旅行記的なものを書いていると飽きてしまうので普通の日記的なものも。以前は旅行記のほとんどは旅行中、一日の終わりに書いてしまっていたんだけど、最近は夜遊んでいることが多いからか、そんな感じでもなくなってしまい、帰ってきてからひいひい言いながら書いてる感じ…って負担って意味じゃないんだけどね、忘れたくないから書いときたいんだけど、でもまとまるとめんどくさいのは何事も一緒。あーあと最近日記が週期になり、しまいには単なる不連続な旅行記になりつつある気もするので、ささやかな抵抗。
今週は水曜帰国だけど木曜一日休みで、ちょっとのんびりしていました。普段ならぎりぎりまで海外で遊ぶんだけど、今回は疲れることが予想されていたので日本での休日を一日作って、それが結構成功だったかなと思います。しかも金曜も遠くで打ち合わせが入ってて実質労働時間が少なくてそのまま土日に突入して結構休めたし。いや欲を言うならもう一日だけ休みたかった気持ちはあるけどね…。
ま、そんなんで木曜は夜元同僚たちとご飯食べるまで完全にまき直しな時間。こういう日本当に珍しい…。洗濯して、マッサージ行って、ギャラリー行って。本当は根津美術館にも行きたかったんだけど、1時間のはずのマッサージがなぜか2時間くらいみっちり施術されてしまい(まあ金はとられなかったから…暇だったから好意か?)時間がなくなって、その面では残念。
ギャラリー、というのは根津の正面にある備前焼の専門ギャラリー(http://www.bizenpottery.com/)のこと。こういう所ってすごいハードルが高いと感じるんだけど、なんか気分がのったので行ってみました。若い店主が写真を趣味にしているだけあって(偉そう?)、ウェブを見てるととても実物が見たくなるんですわ。実物がかっこいいのは大前提として、写真の見せ方がうまいなーと思います。実際お会いして色々素人むき出して質問しても教えてくれて、それもまた楽しく。ただビルの2Fにあって相当入りにくいです。ほかに客いないし…って狭い店内にほかに客(どうせ常連だ)がいてもそれはそれで気詰まりなものだけれどもね。すぐに何か買う、ということにはならなかったけど、そこまで想像していたよりは高くないし、いくつか持ってもいいかも、とは思いました。しかし下世話ながらこの人どうやって生活するんだろう…という疑問はぬぐえず(生活できるくらい売り上げが立つとは…)。
夜は元同僚マッキー&フジコさんと和食。元クライアントの会社のサービスをうっかり(?)使ったらひどくて、とかいう笑い話とかフジコさんがチームを移った先のボスが僕らが入社した頃日本チームにいたインド人で、あいつはまあぎりぎり知識階級っぽいけどそのあとくらいにいたもうひとりのインド人は背も高くて痩せててスーツがびしっと決まってて絶対運転手つき、カースト高いよねとかわけのわからないことを言っていました。
金曜は上に書いたようにかるーく仕事して(朝はメールのキャッチアップとかでもちろんばたばたしたけどね)、会社近くで中国人のごんさんと餃子…のつもりが結局東北料理かな。ごんさんは北京のあたりの出身で、大学でちょっと日本語勉強してよくわからん日本の大学に編入して…という、まあわりと一般的なルートで日本に滞在している人で、今は某日系上場企業の社員。全く中国関係のない部署にいるだけあって(ていうのも変か)日本語上手です。そう、ルートは一般的だけど、かなり頭がよい…。聞いててひっかかるのは、本当に時々です。まあ例の中華系SNS?で知り合ったわけですけど、なんか僕の事を知り合いの旦那さんと勘違いしたらしくそこで交信が始まり…という、わりと会って話してみても(ヲタっぽくないという意味で)普通の人です。ヨーロッパやアメリカを担当するセクションにいるので、結構出張に行っています。
そんなほぼ日本語パーフェクトごんさんにして唯一多分苦手なのが「は」と「が」の使い分け。「僕はあなたが好き」はOKで「僕があなたが好き」がおかしいのはわかるけど、「話は変わるけど」「話が変わるけど」が何で両方OKなのか、とかなんで「僕がこの仕事をやる」と「僕はこの仕事をやる」だと意味が変わるのかとか…言われてみるとまったくわかりませんな僕ネイティブジャパニーズですが。一応「が」が標準的で、例外で「は」がある(両方OKの場合も多いし「は」だけOKで「が」がダメという場合は結構少ないような)、という感じだよとは教えているんだけど…。
今まで外国人の友達って英語でコミュニケーションしたりだとかあとはそもそも日本語能力が異常に高いかどうにか意思疎通レベルでしかないからそういう細かい事考えないか、そんな人ばかりだったのでまさに「日本語勉強したい!」という感じの人に会うとこれまたこっちも勉強になるなーと思ってます。
あ、中華SNSについては始めた、というあとはあまり書いていませんが(まああんまり書くことはない)、かなり中国語の勉強には役に立ちます。中国語で日記つければ友達?が言い回しとか修正してくれたりするし、なんかわからない言葉あった時もチャットで聞けば誰かしら答えてくれる。もちろん無料。そんなわけで無差別爆撃の後適当に続いた人とは今もコミュニケーションしていて、ぼちぼち第一次刈り取り(会う)かなー?という感じ。やっぱり対面で会うとまた情報量多いしねえ。断じてナンパツールのつもりだけで使っているのではありません…いや、まあ、うん。
そろそろ本業が忙しくなる季節、どうなるかねえ。とりあえず北京に、という話は社内で本格的に希望をしはじめているんだけど、それと同時にほかの出口も探し始めないとな、と思っています。一番悪いのはずるずる今の楽な環境に立ち止まってしまうことだから。
今週は水曜帰国だけど木曜一日休みで、ちょっとのんびりしていました。普段ならぎりぎりまで海外で遊ぶんだけど、今回は疲れることが予想されていたので日本での休日を一日作って、それが結構成功だったかなと思います。しかも金曜も遠くで打ち合わせが入ってて実質労働時間が少なくてそのまま土日に突入して結構休めたし。いや欲を言うならもう一日だけ休みたかった気持ちはあるけどね…。
ま、そんなんで木曜は夜元同僚たちとご飯食べるまで完全にまき直しな時間。こういう日本当に珍しい…。洗濯して、マッサージ行って、ギャラリー行って。本当は根津美術館にも行きたかったんだけど、1時間のはずのマッサージがなぜか2時間くらいみっちり施術されてしまい(まあ金はとられなかったから…暇だったから好意か?)時間がなくなって、その面では残念。
ギャラリー、というのは根津の正面にある備前焼の専門ギャラリー(http://www.bizenpottery.com/)のこと。こういう所ってすごいハードルが高いと感じるんだけど、なんか気分がのったので行ってみました。若い店主が写真を趣味にしているだけあって(偉そう?)、ウェブを見てるととても実物が見たくなるんですわ。実物がかっこいいのは大前提として、写真の見せ方がうまいなーと思います。実際お会いして色々素人むき出して質問しても教えてくれて、それもまた楽しく。ただビルの2Fにあって相当入りにくいです。ほかに客いないし…って狭い店内にほかに客(どうせ常連だ)がいてもそれはそれで気詰まりなものだけれどもね。すぐに何か買う、ということにはならなかったけど、そこまで想像していたよりは高くないし、いくつか持ってもいいかも、とは思いました。しかし下世話ながらこの人どうやって生活するんだろう…という疑問はぬぐえず(生活できるくらい売り上げが立つとは…)。
夜は元同僚マッキー&フジコさんと和食。元クライアントの会社のサービスをうっかり(?)使ったらひどくて、とかいう笑い話とかフジコさんがチームを移った先のボスが僕らが入社した頃日本チームにいたインド人で、あいつはまあぎりぎり知識階級っぽいけどそのあとくらいにいたもうひとりのインド人は背も高くて痩せててスーツがびしっと決まってて絶対運転手つき、カースト高いよねとかわけのわからないことを言っていました。
金曜は上に書いたようにかるーく仕事して(朝はメールのキャッチアップとかでもちろんばたばたしたけどね)、会社近くで中国人のごんさんと餃子…のつもりが結局東北料理かな。ごんさんは北京のあたりの出身で、大学でちょっと日本語勉強してよくわからん日本の大学に編入して…という、まあわりと一般的なルートで日本に滞在している人で、今は某日系上場企業の社員。全く中国関係のない部署にいるだけあって(ていうのも変か)日本語上手です。そう、ルートは一般的だけど、かなり頭がよい…。聞いててひっかかるのは、本当に時々です。まあ例の中華系SNS?で知り合ったわけですけど、なんか僕の事を知り合いの旦那さんと勘違いしたらしくそこで交信が始まり…という、わりと会って話してみても(ヲタっぽくないという意味で)普通の人です。ヨーロッパやアメリカを担当するセクションにいるので、結構出張に行っています。
そんなほぼ日本語パーフェクトごんさんにして唯一多分苦手なのが「は」と「が」の使い分け。「僕はあなたが好き」はOKで「僕があなたが好き」がおかしいのはわかるけど、「話は変わるけど」「話が変わるけど」が何で両方OKなのか、とかなんで「僕がこの仕事をやる」と「僕はこの仕事をやる」だと意味が変わるのかとか…言われてみるとまったくわかりませんな僕ネイティブジャパニーズですが。一応「が」が標準的で、例外で「は」がある(両方OKの場合も多いし「は」だけOKで「が」がダメという場合は結構少ないような)、という感じだよとは教えているんだけど…。
今まで外国人の友達って英語でコミュニケーションしたりだとかあとはそもそも日本語能力が異常に高いかどうにか意思疎通レベルでしかないからそういう細かい事考えないか、そんな人ばかりだったのでまさに「日本語勉強したい!」という感じの人に会うとこれまたこっちも勉強になるなーと思ってます。
あ、中華SNSについては始めた、というあとはあまり書いていませんが(まああんまり書くことはない)、かなり中国語の勉強には役に立ちます。中国語で日記つければ友達?が言い回しとか修正してくれたりするし、なんかわからない言葉あった時もチャットで聞けば誰かしら答えてくれる。もちろん無料。そんなわけで無差別爆撃の後適当に続いた人とは今もコミュニケーションしていて、ぼちぼち第一次刈り取り(会う)かなー?という感じ。やっぱり対面で会うとまた情報量多いしねえ。断じてナンパツールのつもりだけで使っているのではありません…いや、まあ、うん。
そろそろ本業が忙しくなる季節、どうなるかねえ。とりあえず北京に、という話は社内で本格的に希望をしはじめているんだけど、それと同時にほかの出口も探し始めないとな、と思っています。一番悪いのはずるずる今の楽な環境に立ち止まってしまうことだから。
敦煌とトルファンは違う町です。
2012年9月16日 非日常
当たり前といわれれば当たり前なんですが、なんとなくおなじ「ト」からはじまるせいか、同じに見えたりしませんかね。ええ、まあ要するにその程度の認識で選ばれたんです、敦煌。
敦煌二日目。とりあえず来たからには名所観光しなきゃなあ、ということで莫高窟に向かいました。莫高窟は市内からちっちゃなバスで…20分くらいかな?。敦煌飯店というホテルの前(という表現をされるけど、正確には小さな十字路の反対側、看板あるからわかる)からでます。あ、そうそうそのバスに乗る前に街中朝ごはん…と思って探したら牛肉面(これも新疆の特産料理)屋しかなくて、重いなーと思いながら朝ごはん。システムよくわからんし、普通話じゃないからあっちが何言ってるかもまったくわからん(普通話だったらわかるか、というのはまあ置いておくとして…)。でもおいしかったです。
で、そのバス乗り場っていっても単なる道なんだけど、で待っているとタクシーの運ちゃんが勧誘してきたりするけどまあそれは跳ね返して、バスが来たら乗ります。でもバスちっちゃい上に客がわりとばーっと乗るので、負けると乗れません。乗れないと多分また20分とか30分とか待ちです。一応座れないと乗っちゃいけないことになっているようで、ぱんぱんの場合は謎の木片?が椅子の下から出てきて、それを通路に転がして座るよう要求されます。白人などもほとんどいないので心細いですが、がんばりましょう。バス内すごい人口密度でした。片道8元(90円くらい?)だっけか。
そうしてゆらゆら揺られて、莫高窟へ。事前情報では9時半ごろ日本語のツアーがはじまるということだったんだけど、現場の張り紙に書いてあったのは「外国語ガイドは9時、12時、15時に出発します」とのことで、参加できず…。あ、一応後からその僕が9時半ごろとかって情報を聞いたガイドさんに確かめた所、人がある程度いればその時間以外もツアーはあるらしいです。まあ確かにパッと見、僕が行ったときはほとんど外国人いなかったもんなあ…。
まあそんなわけで短期滞在観光客としてはこんなところで2時間も待つのはあり得ないので受付で中国語でいいから混ぜて?って交渉して中国人料金で入れてもらうことに成功し、結局中国人集団と一緒に回ることになったのでした…。この莫高窟はわりと管理が厳重で、各洞窟ごとに鍵がかかっていてガイドが開けないと入れないんで、最初に作られたグループにつくガイドさんの後ろをひたすらくっついていく形になるんです。余談だけどこの時までずっと全然中国語ききとれねー!とちょっとへこんでいて、でもこのガイドさんの言葉は多少わかって、この時ようやくこの地域の人たちが普通話しゃべってなくてガイドさんが普通話だからわかったんだ、ということに思い至ったのでした。かといって仏像の説明なんかまったくわからんけどね。次行く、とかボリューム調整しろ、とかまあ簡単かつまったく言葉知らなくても空気読めば理解できるくらいのレベルの事くらいで。
莫高窟の中は…説明がわからなかったからという事ではなく、入場料ほどの価値はないかも。いや価値がないというか入場料が高すぎる(中国人で160元=2000円以上)んだよね。でも洞窟の中で保存状態がいいから色が鮮やかに残っている仏像があんなにたくさん、しかもあんなところにあるというのはとても面白いなあとは思いました。
ツアー自体は2時間弱くらいかな、結構長くて、ちょっと飽きかけたあたりで終了。あ、そうそうタイにしかないと思ってた寝仏なんていうのもいて(しかも肘ついてるタイのよりさらに怠惰笑で完全に横になっている)それは面白かった。全部撮影禁止なのが残念。
帰りのバスがまた見つからなくてわーと思ったんだけど、駐車場の大分隅っこに見覚えのあるちっこいのがいたので乗り込んで座っていたらちゃんと町につきました。まあもちろん運転手に確認したけどね…。
ちょっと昼寝して、夕方は鳴沙山。特にやること詰まってないし日も長いので、歩いて行ってみました。わりと自転車で行ったとかって書き込みもあったし地図を見たらせいぜい5kmないくらいに見えたので。ぶらぶら町はずれを歩いていてると子供が通ってる学校(城みたい!)があったり、奇岩を売ってる所があったり、なんか映画の撮影所?みたいなのがあったりお寺があったり、面白かったです。
鳴沙山は…なんか言葉にできないというか、いやあでかい砂山です。砂丘?写真見てください。とりあえず登ってみたけど、切り立った尾根みたいなところを登っていくんで高所恐怖症の僕にはつらかった。登りながら動画撮ったんだけど後から聞いたら自分がふうふう言ってるのが聞こえて恥ずかった…。いや、息切れしてたんですけどね!恐怖じゃないんですけどね!あ、ラクダにはのりませんでした。高いし。でもラクダが自分の横を歩いてる、ってだけでわりと不思議な気分ですわ…。なにやってるんだろ俺…みたいな。
ちょうど鳴沙山を登っているところでガイドさんから電話があり、帰還後夜合流して飯食って、適当な店で地元特産ワイン(まだ飲んでない)を飲んで、この日は終了。
敦煌二日目。とりあえず来たからには名所観光しなきゃなあ、ということで莫高窟に向かいました。莫高窟は市内からちっちゃなバスで…20分くらいかな?。敦煌飯店というホテルの前(という表現をされるけど、正確には小さな十字路の反対側、看板あるからわかる)からでます。あ、そうそうそのバスに乗る前に街中朝ごはん…と思って探したら牛肉面(これも新疆の特産料理)屋しかなくて、重いなーと思いながら朝ごはん。システムよくわからんし、普通話じゃないからあっちが何言ってるかもまったくわからん(普通話だったらわかるか、というのはまあ置いておくとして…)。でもおいしかったです。
で、そのバス乗り場っていっても単なる道なんだけど、で待っているとタクシーの運ちゃんが勧誘してきたりするけどまあそれは跳ね返して、バスが来たら乗ります。でもバスちっちゃい上に客がわりとばーっと乗るので、負けると乗れません。乗れないと多分また20分とか30分とか待ちです。一応座れないと乗っちゃいけないことになっているようで、ぱんぱんの場合は謎の木片?が椅子の下から出てきて、それを通路に転がして座るよう要求されます。白人などもほとんどいないので心細いですが、がんばりましょう。バス内すごい人口密度でした。片道8元(90円くらい?)だっけか。
そうしてゆらゆら揺られて、莫高窟へ。事前情報では9時半ごろ日本語のツアーがはじまるということだったんだけど、現場の張り紙に書いてあったのは「外国語ガイドは9時、12時、15時に出発します」とのことで、参加できず…。あ、一応後からその僕が9時半ごろとかって情報を聞いたガイドさんに確かめた所、人がある程度いればその時間以外もツアーはあるらしいです。まあ確かにパッと見、僕が行ったときはほとんど外国人いなかったもんなあ…。
まあそんなわけで短期滞在観光客としてはこんなところで2時間も待つのはあり得ないので受付で中国語でいいから混ぜて?って交渉して中国人料金で入れてもらうことに成功し、結局中国人集団と一緒に回ることになったのでした…。この莫高窟はわりと管理が厳重で、各洞窟ごとに鍵がかかっていてガイドが開けないと入れないんで、最初に作られたグループにつくガイドさんの後ろをひたすらくっついていく形になるんです。余談だけどこの時までずっと全然中国語ききとれねー!とちょっとへこんでいて、でもこのガイドさんの言葉は多少わかって、この時ようやくこの地域の人たちが普通話しゃべってなくてガイドさんが普通話だからわかったんだ、ということに思い至ったのでした。かといって仏像の説明なんかまったくわからんけどね。次行く、とかボリューム調整しろ、とかまあ簡単かつまったく言葉知らなくても空気読めば理解できるくらいのレベルの事くらいで。
莫高窟の中は…説明がわからなかったからという事ではなく、入場料ほどの価値はないかも。いや価値がないというか入場料が高すぎる(中国人で160元=2000円以上)んだよね。でも洞窟の中で保存状態がいいから色が鮮やかに残っている仏像があんなにたくさん、しかもあんなところにあるというのはとても面白いなあとは思いました。
ツアー自体は2時間弱くらいかな、結構長くて、ちょっと飽きかけたあたりで終了。あ、そうそうタイにしかないと思ってた寝仏なんていうのもいて(しかも肘ついてるタイのよりさらに怠惰笑で完全に横になっている)それは面白かった。全部撮影禁止なのが残念。
帰りのバスがまた見つからなくてわーと思ったんだけど、駐車場の大分隅っこに見覚えのあるちっこいのがいたので乗り込んで座っていたらちゃんと町につきました。まあもちろん運転手に確認したけどね…。
ちょっと昼寝して、夕方は鳴沙山。特にやること詰まってないし日も長いので、歩いて行ってみました。わりと自転車で行ったとかって書き込みもあったし地図を見たらせいぜい5kmないくらいに見えたので。ぶらぶら町はずれを歩いていてると子供が通ってる学校(城みたい!)があったり、奇岩を売ってる所があったり、なんか映画の撮影所?みたいなのがあったりお寺があったり、面白かったです。
鳴沙山は…なんか言葉にできないというか、いやあでかい砂山です。砂丘?写真見てください。とりあえず登ってみたけど、切り立った尾根みたいなところを登っていくんで高所恐怖症の僕にはつらかった。登りながら動画撮ったんだけど後から聞いたら自分がふうふう言ってるのが聞こえて恥ずかった…。いや、息切れしてたんですけどね!恐怖じゃないんですけどね!あ、ラクダにはのりませんでした。高いし。でもラクダが自分の横を歩いてる、ってだけでわりと不思議な気分ですわ…。なにやってるんだろ俺…みたいな。
ちょうど鳴沙山を登っているところでガイドさんから電話があり、帰還後夜合流して飯食って、適当な店で地元特産ワイン(まだ飲んでない)を飲んで、この日は終了。
敦煌。噂の日本語ぺらぺらガイドさんと一緒にいた旅でした。この人はどうかなー。ニュートラルな意味で微妙です。決して悪いとは思わないんだけど各所ブログに書かれているほどでもないというか、悪い面として「日本人相手の商売に慣れてるなあ」という感じがありありとします。年末に台湾で味わったようなやつです。だから気付かずに結構大金落としてる人が多そう。ただ、ガイドとしてはプロだと思うし、最初からその値段出しといても問題ないのでは?という...。
話を時系列でいきましょか。まず北京早朝発の便で昼前に敦煌入り。遅延もなく順調に…と思ったら早速空港までの迎えの車がこない。死ねと思ってホテルに電話したら対応してくれた...のはいいんだけど("Just a moment"って言って電話切られたからこれは間違って切ったのか?なに?と思ったけど)ドライバーの電話番号を言われて、こいつに直接コンタクトしろそこらへんにいるから、と。勿論訊きますよね、"Does he speak English?" 答えは"NO"。どうやってコンタクトしろと...。そしたら明らかに人探してる体のおっちゃん(労働者風)が来たんで電話かけてみたら手で持ってる電話を取るからああこの人だと思ってそのままホテルまで黙って連れて行ってくれればいいものをなんか連れて行ってくれない。勿論コミュニケーション成り立たない。普通話もあまり通じていない様子…ってこれは僕の発音とかの問題の可能性ありだけど。
と思ったらその仲間?が流暢な日本語喋る人をつれてくる。格好からガイドっぽくてかなり日本語うまいけど多分あれはこっちの人だな...と思いながら助け舟出してもらうと「このまま一日運転手したらどうのこうのとか言ってるけど」とか言い出す。この状況で商売はじめるって通訳してくれたガイド(っぽい)人もグルですかねと不審を抱きつつ「いや何するか全くきめてないんで断ってもらえますか」と言ってみると不審者を見る目で見られたりね。やっぱ敦煌来る人ってあこがれたりしてわりと調べてからくるんだろうなあ...。
まあ、とりあえずそこは問題なくホテルまでつれてってくれて(ちなみに迎えは特に追加料金加算されませんでした)、無事チェックイン。ちょっと昼寝して例のうさんくさいガイドさんに電話して、夜のツアーを予約。天の川ツアーというこのツアーは安くて、たった70だか80元。多分向こうとしても挨拶代わりというか、そこから勧誘できるからこっちは捨て値で、という事なんでしょう...というのはあとからの感想ではあります。そのあと市内散歩。いろんな所に「狭い町」と書いてあってまあ確かにその通りなんだけど、1時間で回れちゃう、とかは嘘です。そりゃ何も興味を持たずに駆け足なら不可能じゃないかもしれないけど一応ショッピングモールとか変な像とかあるしさ。
天の川ツアーは夜7時(だっけ)集合。本当は星を見るというのが目的になるんだろうけど、残念ながら曇っていて見れず。ただ確かにあとから登った鳴砂山などに比べるとまったく観光地化されていない砂漠に連れて行ってくれ、四方が全て砂漠というところでねっころがれるのはいいもんです。安いし。踏み荒らされてないから砂紋がきれいに出てるし、人が歩かないから砂の目は細かいのに柔らかくなっていない。砂丘の斜面は上から崩れてるから柔らかいけど、頂上(別にそんな高くなくても)の部分は堅いんだそうな。座ってもまったく問題ありません。そして面白かったのが、砂漠の中に川が流れている事。なにやら近くの山の雪解け水らしいですが、なんというか…固定観念ってこわいね。砂漠っていうとカラカラなイメージがとてもあるわけで…そしてもうひとつ意外だったのは全然暑くないのね。まあ夕方(中国は標準時が1個しかないくせに東西に超長いから、7時といってもまだ感覚的には夕方)だってこともあっただろうけど。
このツアーで連れて行ってもらった場所は(もしかしたら時によって違うのかもしれないけど)七里鎮という敦煌に隣接した地域のぶどう園(最近ワイン作りが盛んとか)の奥にあるあたり。青海油田という油田地域の更に奥です。ちなみにここの油田の従業員は月収1万元とかだってさ。上海で働く若い外資の従業員並です。しかも物価安いしなあ。砂丘の上に座ってガイドさんに住んでる日本人の話とか「特別ツアー」の話とか、まあいろんな話を聞きました。あ、ちなみに「ゴビ砂漠」というのは意味的におかしくて、「ゴビ」は地名ではなく地形の名前らしいです。たまにそういう表現あるよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%93%E7%A0%82%E6%BC%A0
…こんなのんびり書いてると書き終われるか心配だ…
1枚目:数少ない砂漠写真の中から一枚。
2枚目:夜に食べた「砂鍋」。会社の近くにあるからよく食べる「砂鍋飯」とは名前は似てるけど全く別の料理のようです。500gの羊肉入り大鍋…高いです。
3枚目:数々のへヴィメタギタリストにインスピレーションを与えたという(嘘)莫高窟の何か、のレプリカ。市内中心部にでーんといらっしゃいます。
話を時系列でいきましょか。まず北京早朝発の便で昼前に敦煌入り。遅延もなく順調に…と思ったら早速空港までの迎えの車がこない。死ねと思ってホテルに電話したら対応してくれた...のはいいんだけど("Just a moment"って言って電話切られたからこれは間違って切ったのか?なに?と思ったけど)ドライバーの電話番号を言われて、こいつに直接コンタクトしろそこらへんにいるから、と。勿論訊きますよね、"Does he speak English?" 答えは"NO"。どうやってコンタクトしろと...。そしたら明らかに人探してる体のおっちゃん(労働者風)が来たんで電話かけてみたら手で持ってる電話を取るからああこの人だと思ってそのままホテルまで黙って連れて行ってくれればいいものをなんか連れて行ってくれない。勿論コミュニケーション成り立たない。普通話もあまり通じていない様子…ってこれは僕の発音とかの問題の可能性ありだけど。
と思ったらその仲間?が流暢な日本語喋る人をつれてくる。格好からガイドっぽくてかなり日本語うまいけど多分あれはこっちの人だな...と思いながら助け舟出してもらうと「このまま一日運転手したらどうのこうのとか言ってるけど」とか言い出す。この状況で商売はじめるって通訳してくれたガイド(っぽい)人もグルですかねと不審を抱きつつ「いや何するか全くきめてないんで断ってもらえますか」と言ってみると不審者を見る目で見られたりね。やっぱ敦煌来る人ってあこがれたりしてわりと調べてからくるんだろうなあ...。
まあ、とりあえずそこは問題なくホテルまでつれてってくれて(ちなみに迎えは特に追加料金加算されませんでした)、無事チェックイン。ちょっと昼寝して例のうさんくさいガイドさんに電話して、夜のツアーを予約。天の川ツアーというこのツアーは安くて、たった70だか80元。多分向こうとしても挨拶代わりというか、そこから勧誘できるからこっちは捨て値で、という事なんでしょう...というのはあとからの感想ではあります。そのあと市内散歩。いろんな所に「狭い町」と書いてあってまあ確かにその通りなんだけど、1時間で回れちゃう、とかは嘘です。そりゃ何も興味を持たずに駆け足なら不可能じゃないかもしれないけど一応ショッピングモールとか変な像とかあるしさ。
天の川ツアーは夜7時(だっけ)集合。本当は星を見るというのが目的になるんだろうけど、残念ながら曇っていて見れず。ただ確かにあとから登った鳴砂山などに比べるとまったく観光地化されていない砂漠に連れて行ってくれ、四方が全て砂漠というところでねっころがれるのはいいもんです。安いし。踏み荒らされてないから砂紋がきれいに出てるし、人が歩かないから砂の目は細かいのに柔らかくなっていない。砂丘の斜面は上から崩れてるから柔らかいけど、頂上(別にそんな高くなくても)の部分は堅いんだそうな。座ってもまったく問題ありません。そして面白かったのが、砂漠の中に川が流れている事。なにやら近くの山の雪解け水らしいですが、なんというか…固定観念ってこわいね。砂漠っていうとカラカラなイメージがとてもあるわけで…そしてもうひとつ意外だったのは全然暑くないのね。まあ夕方(中国は標準時が1個しかないくせに東西に超長いから、7時といってもまだ感覚的には夕方)だってこともあっただろうけど。
このツアーで連れて行ってもらった場所は(もしかしたら時によって違うのかもしれないけど)七里鎮という敦煌に隣接した地域のぶどう園(最近ワイン作りが盛んとか)の奥にあるあたり。青海油田という油田地域の更に奥です。ちなみにここの油田の従業員は月収1万元とかだってさ。上海で働く若い外資の従業員並です。しかも物価安いしなあ。砂丘の上に座ってガイドさんに住んでる日本人の話とか「特別ツアー」の話とか、まあいろんな話を聞きました。あ、ちなみに「ゴビ砂漠」というのは意味的におかしくて、「ゴビ」は地名ではなく地形の名前らしいです。たまにそういう表現あるよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%93%E7%A0%82%E6%BC%A0
…こんなのんびり書いてると書き終われるか心配だ…
1枚目:数少ない砂漠写真の中から一枚。
2枚目:夜に食べた「砂鍋」。会社の近くにあるからよく食べる「砂鍋飯」とは名前は似てるけど全く別の料理のようです。500gの羊肉入り大鍋…高いです。
3枚目:数々のへヴィメタギタリストにインスピレーションを与えたという(嘘)莫高窟の何か、のレプリカ。市内中心部にでーんといらっしゃいます。
北京立ち寄り、都合により戻りは来週。
2012年9月14日 非日常 最近ぐちゃぐちゃに忙しくて何も書けていなかった(大体なんだ、一個前の「急がしい」って…器用すぎだろ)。反省。ようやく夏休み...と思って切符取ったらなぜか反日まっさかさま、という話。この文章を書き終えた頃にどこにいるかわからないけど、とりあえず今は北京の空港にいて、敦煌行き国内線のフライトを待っています。
そう、中国にいます。この最悪な時期に。日本にいる日本人とか中国にいる中国人はあまり気にしてないようにも思えるけど(そうでもない?)、こっち...って言っても主に上海だけど...の友人は結構気にしていて、色々な警告を受けました。結構長くいる人の間でも「近年一番ひどい」ということになっているらしく。まあ実際に起こっていることだけを見たって今までの「近年で一番」は2010年だっけ、の尖閣の問題より今回は明らかにひどいわけで、そりゃ反発も盛り上がるよなあ...。タクシーの運ちゃんに「何人?」ってよく聞かれるんだけど、僕もとりあえず「韓国人」と答えるようにしといてます。しかも今回についてはタイミングが悪くて、政府も内部でいつも以上の問題を抱えているから目が向きやすいんだろうなあと思ったりします。
そんなんですが、まあとりあえず幸いにも被害は受けていません。別に周囲を見ても日本料理屋が閉まってたりも多分しません。この先どうなるかはわからんけど。つうか肩が凝るね。せっかくの休みなのに。
そして、来る18日は満州事変の日、ということで中国の反日感情が何もなくても頂点に達する日。その日僕は上海の路上でザリガニ食おうぜ!とか言ってるんだけど、やめたほうがいいかなーと思ってます。昨日この件で上海に住んでるライターの友達と話をしてたんだけど、普段おちゃらけたというか日本人として有り得ないレベルで適当かつ無神経に生きてる彼でさえ、遠まわしな表現だけど止めとけって言ってたしな。「お前日本人に見えないから大丈夫」って何人かに言われたけどたとえ容姿がそうでも喋ってりゃばれるしなあ...。
最初にちょっと書いたけど、今回の目的地は敦煌。別にどこでもよかったんだけど(中国じゃなくたってよかった、もちろん)、とても適当にきめてしまいました。いまだに何があるかよくわからん(というか調べてもあんまり出てこない...有名観光地の数箇所だけ)。というわけで北京は単なるトランジット。とはいえ、敦煌は北京からも結構遠いのでフライト長いのだるいし空港で2時間とか待ちたくないので一泊、ちょっと自分の会社に寄ったり、一瞬天壇公園見たり、あと友達と飯食ったりしました。
その子は今は北京に帰って国内第二のメディアグループのテレビ局で記者をやっている、南京人の新しい友人。そういやここでの名前つけてない気がするなあ...。とにかくその彼女は日本語喋らない友達を連れてきたのいいけど英語わかるのにシャイなのか喋ってくれない...調子をあわせるために英語で苦労して喋ってるのに全然会話に参加してこないから終盤日本語になってしまいましたが、それはそれで隣の彼女(僕の友人)の袖引っ張って「ねえねえ今なに話してるの」みたいなこと訊くし...なら反応してよ、みたいな。
北京、反日的な意味で特に怖い事はなかったけど、空港で捕まえたタクシーの運ちゃんが中国人によくいる(偏見か)いきなり切れるオヤジでめんどくさかった...僕が渡したホテルの名前ではわからなかったらしく何か聞いてくるんだけど何言ってるかよくわからず(僕が聞き取れない&北京語じゃなかったような...)、さんざか大声で悪態つかれて、結局でも運ちゃんはどこかに電話をかけてホテルの番号を聞きだし、無事にたどり着けたんですが...おもいっきり遠回りされた分やたら高くなっててやれやれな上、多分これについては悪意ないんだろうけど、荷物降ろす前に僕が降りた時点で走り出しちゃって走って追っかける羽目に。だせえ。とりあえず全力疾走して追いかけて(といっても3mくらい)後ろバンバン叩いたら気付いて止まってあけてくれました。やれやれ。
そんな感じで、毎日早起きの旅ははじまったのでした...。あ、どうでもいいけど北京の渋滞は本当にいらいらしますね。夕方ほとんど麻痺だもん。
そう、中国にいます。この最悪な時期に。日本にいる日本人とか中国にいる中国人はあまり気にしてないようにも思えるけど(そうでもない?)、こっち...って言っても主に上海だけど...の友人は結構気にしていて、色々な警告を受けました。結構長くいる人の間でも「近年一番ひどい」ということになっているらしく。まあ実際に起こっていることだけを見たって今までの「近年で一番」は2010年だっけ、の尖閣の問題より今回は明らかにひどいわけで、そりゃ反発も盛り上がるよなあ...。タクシーの運ちゃんに「何人?」ってよく聞かれるんだけど、僕もとりあえず「韓国人」と答えるようにしといてます。しかも今回についてはタイミングが悪くて、政府も内部でいつも以上の問題を抱えているから目が向きやすいんだろうなあと思ったりします。
そんなんですが、まあとりあえず幸いにも被害は受けていません。別に周囲を見ても日本料理屋が閉まってたりも多分しません。この先どうなるかはわからんけど。つうか肩が凝るね。せっかくの休みなのに。
そして、来る18日は満州事変の日、ということで中国の反日感情が何もなくても頂点に達する日。その日僕は上海の路上でザリガニ食おうぜ!とか言ってるんだけど、やめたほうがいいかなーと思ってます。昨日この件で上海に住んでるライターの友達と話をしてたんだけど、普段おちゃらけたというか日本人として有り得ないレベルで適当かつ無神経に生きてる彼でさえ、遠まわしな表現だけど止めとけって言ってたしな。「お前日本人に見えないから大丈夫」って何人かに言われたけどたとえ容姿がそうでも喋ってりゃばれるしなあ...。
最初にちょっと書いたけど、今回の目的地は敦煌。別にどこでもよかったんだけど(中国じゃなくたってよかった、もちろん)、とても適当にきめてしまいました。いまだに何があるかよくわからん(というか調べてもあんまり出てこない...有名観光地の数箇所だけ)。というわけで北京は単なるトランジット。とはいえ、敦煌は北京からも結構遠いのでフライト長いのだるいし空港で2時間とか待ちたくないので一泊、ちょっと自分の会社に寄ったり、一瞬天壇公園見たり、あと友達と飯食ったりしました。
その子は今は北京に帰って国内第二のメディアグループのテレビ局で記者をやっている、南京人の新しい友人。そういやここでの名前つけてない気がするなあ...。とにかくその彼女は日本語喋らない友達を連れてきたのいいけど英語わかるのにシャイなのか喋ってくれない...調子をあわせるために英語で苦労して喋ってるのに全然会話に参加してこないから終盤日本語になってしまいましたが、それはそれで隣の彼女(僕の友人)の袖引っ張って「ねえねえ今なに話してるの」みたいなこと訊くし...なら反応してよ、みたいな。
北京、反日的な意味で特に怖い事はなかったけど、空港で捕まえたタクシーの運ちゃんが中国人によくいる(偏見か)いきなり切れるオヤジでめんどくさかった...僕が渡したホテルの名前ではわからなかったらしく何か聞いてくるんだけど何言ってるかよくわからず(僕が聞き取れない&北京語じゃなかったような...)、さんざか大声で悪態つかれて、結局でも運ちゃんはどこかに電話をかけてホテルの番号を聞きだし、無事にたどり着けたんですが...おもいっきり遠回りされた分やたら高くなっててやれやれな上、多分これについては悪意ないんだろうけど、荷物降ろす前に僕が降りた時点で走り出しちゃって走って追っかける羽目に。だせえ。とりあえず全力疾走して追いかけて(といっても3mくらい)後ろバンバン叩いたら気付いて止まってあけてくれました。やれやれ。
そんな感じで、毎日早起きの旅ははじまったのでした...。あ、どうでもいいけど北京の渋滞は本当にいらいらしますね。夕方ほとんど麻痺だもん。
最近急がしかった。ただ、連中がようやく旅に出て、居残り組としては今日の初日開演をもってようやく一息。とはいえ、現地のスタッフの(熱意は買うけど)錬度がやっぱり高くないなあ、というのが正直なところ。経験値なのかなあ、とも思うけど、そもそもおもてなしについての考え方というか合格点が違うんだろうな、とも思う。よくこの国をDisるのに使われる表現ではあるのであまり考えなしに使いたくないけど、上下差ではなく違いとしてそういう事が事実としてあるんじゃないかという気は、やっぱりするわけ。
さて、そんな夏休み全ぶっつぶれ、その他もろもろの休日出勤の合間などに読みました。屍者の王国。
出版の経緯は
http://togetter.com/li/356588
伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』刊行までの経緯
あたりを。
タイトルを見て、そしてその作品と出会ったのが共に作者がなくなった直後だったという個人的な体験もあり、打海文三を思い出してしまう(彼の出版されなかった応化戦記最後の一冊は「死者と死者」と題される予定だったとどこかに書いてあった気がする)。出版された最後の一冊は「覇者と覇者」、長く続いた戦争の終わりを描く作品で、覇者となった彼らのその後が少し描かれて終わっている。ということは最終巻は主要キャラクターの死体の山が予定されていたのかな、と思ったりする。そう考えると、ここで似ているのは言葉だけで、中身は似ても似つかないのかもしれない。でもこれもうろ覚えだけど、打海の作品の中にはやはり意識や感情を扱ったものがあって(「ぼくが愛したゴウスト」)、その辺でも案外近い問題意識(?)を持っていたような妄想を抱いてしまうんですよ、ファンは。
円城塔の作品を読むのは今回がはじめて。そしてこの「屍者の帝国」は、分別するならまあスチームパンクの類なんだと思う。主人公がワトソンなのをはじめ、いろんなところに有名人がのべつまくなし出てくるのはなんとなくリーグオブレジェンド(あれもイギリスだ)を思わせる。そういうなんていうんだろう…作品そのものじゃない面白さもあるし、作品そのものもしっかり書かれているように思う。普通に面白いです。
伊藤計劃が書いたのはプロローグ的な部分だけで、あとはすべて円城ということで、この作品はやっぱり、円城のものなんだろう。伊藤特有のグロさというのかシニカルな部分はやっぱりプロローグだけ読んでも強く個性としてあって、実際最初この部分だけが伊藤が書いたと知らずに読んで「なんと伊藤的な文章だろう」と思ったくらいです。逆に、そのあとにはそういった香りを感じないのは、わざとなのかどうなのかは知りません。ただ、それがないことがより一般的な意味で読みやすい作品になっているという気もまたするのは確か(この点小飼弾の書評に同意)。
中盤トレイルが始まるのは虐殺言語なのかな、と思ったり、話の中心的なテーマの一つである意識の解釈はハーモニーのそれが下敷きになっていることは感じるんだけど、いずれもなんかオマージュというかガジェット的というか…あんまり深さを感じない気がして、でもそれが読みやすさでもあるような気もするし「他人の思考を借りる」ことの限界なんだから言ってもしゃあない気もするし、なんともかんともです。なんていうか、「出力を見てそれを変奏させた」感じがすごくするんだよね。その出力に至った理由とか道筋がない。まあ当たり前っちゃ当たり前なんだけど…面白いんだけど…そんな感じ。
そういえば全然雰囲気は違うけど、菊池秀行のマンサーチャーシリーズの「死人機士団」もフランケンシュタインをテーマ?にしていて、この手の作品としてはとても面白かったように思います。読んだのずいぶん前だけど。
あ、昨日は例の新聞記者さん仕切りの合コン再び、でそれはそれで楽しかったんですが、横に座ってて楽しかった人に名刺渡したものの連絡もらえてなくてへこんでます。とりあえずFBでおっかけるかねえ。
そうそう、あと知り合いの弁護士秘書が「うちの先生のクライアントが広告会社を探してて」とかなんとか言ってきたので先生と直接話してみたら僕の前職と分野がどんぴしゃだたもんでいろんな選択肢があっていろいろ悩んだ挙句某外資のVPご紹介してみたりして、ちょっともしかして役に立ったんじゃね?と思ったけどその報告を先生にしてあげたら、僕がマージンとってると思ってるだろうなあ、という感じのリアクションで軽くいらっときました。慈善事業で人紹介してるのにその態度はなんだよ、という…まあ別にマージンとってもいいような案件な気もするけどね。
今週の初めまして:5くらい。日記書いてないここ数週間だと…でも10とかかな?大きなパーティとかはなかったので。
さて、そんな夏休み全ぶっつぶれ、その他もろもろの休日出勤の合間などに読みました。屍者の王国。
出版の経緯は
http://togetter.com/li/356588
伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』刊行までの経緯
あたりを。
タイトルを見て、そしてその作品と出会ったのが共に作者がなくなった直後だったという個人的な体験もあり、打海文三を思い出してしまう(彼の出版されなかった応化戦記最後の一冊は「死者と死者」と題される予定だったとどこかに書いてあった気がする)。出版された最後の一冊は「覇者と覇者」、長く続いた戦争の終わりを描く作品で、覇者となった彼らのその後が少し描かれて終わっている。ということは最終巻は主要キャラクターの死体の山が予定されていたのかな、と思ったりする。そう考えると、ここで似ているのは言葉だけで、中身は似ても似つかないのかもしれない。でもこれもうろ覚えだけど、打海の作品の中にはやはり意識や感情を扱ったものがあって(「ぼくが愛したゴウスト」)、その辺でも案外近い問題意識(?)を持っていたような妄想を抱いてしまうんですよ、ファンは。
円城塔の作品を読むのは今回がはじめて。そしてこの「屍者の帝国」は、分別するならまあスチームパンクの類なんだと思う。主人公がワトソンなのをはじめ、いろんなところに有名人がのべつまくなし出てくるのはなんとなくリーグオブレジェンド(あれもイギリスだ)を思わせる。そういうなんていうんだろう…作品そのものじゃない面白さもあるし、作品そのものもしっかり書かれているように思う。普通に面白いです。
伊藤計劃が書いたのはプロローグ的な部分だけで、あとはすべて円城ということで、この作品はやっぱり、円城のものなんだろう。伊藤特有のグロさというのかシニカルな部分はやっぱりプロローグだけ読んでも強く個性としてあって、実際最初この部分だけが伊藤が書いたと知らずに読んで「なんと伊藤的な文章だろう」と思ったくらいです。逆に、そのあとにはそういった香りを感じないのは、わざとなのかどうなのかは知りません。ただ、それがないことがより一般的な意味で読みやすい作品になっているという気もまたするのは確か(この点小飼弾の書評に同意)。
中盤トレイルが始まるのは虐殺言語なのかな、と思ったり、話の中心的なテーマの一つである意識の解釈はハーモニーのそれが下敷きになっていることは感じるんだけど、いずれもなんかオマージュというかガジェット的というか…あんまり深さを感じない気がして、でもそれが読みやすさでもあるような気もするし「他人の思考を借りる」ことの限界なんだから言ってもしゃあない気もするし、なんともかんともです。なんていうか、「出力を見てそれを変奏させた」感じがすごくするんだよね。その出力に至った理由とか道筋がない。まあ当たり前っちゃ当たり前なんだけど…面白いんだけど…そんな感じ。
そういえば全然雰囲気は違うけど、菊池秀行のマンサーチャーシリーズの「死人機士団」もフランケンシュタインをテーマ?にしていて、この手の作品としてはとても面白かったように思います。読んだのずいぶん前だけど。
あ、昨日は例の新聞記者さん仕切りの合コン再び、でそれはそれで楽しかったんですが、横に座ってて楽しかった人に名刺渡したものの連絡もらえてなくてへこんでます。とりあえずFBでおっかけるかねえ。
そうそう、あと知り合いの弁護士秘書が「うちの先生のクライアントが広告会社を探してて」とかなんとか言ってきたので先生と直接話してみたら僕の前職と分野がどんぴしゃだたもんでいろんな選択肢があっていろいろ悩んだ挙句某外資のVPご紹介してみたりして、ちょっともしかして役に立ったんじゃね?と思ったけどその報告を先生にしてあげたら、僕がマージンとってると思ってるだろうなあ、という感じのリアクションで軽くいらっときました。慈善事業で人紹介してるのにその態度はなんだよ、という…まあ別にマージンとってもいいような案件な気もするけどね。
今週の初めまして:5くらい。日記書いてないここ数週間だと…でも10とかかな?大きなパーティとかはなかったので。
My sweet 30s / お前の処遇
2012年8月19日 日常 いつの間にか、というより粛々と30歳というやつになってしまいました。その抱負とかなんとかをたらたらしたためてやろうかという気持ちも多少脳裏をよぎったけど、それいっつも年始にやってるやんね、ということでやめます。ていうか今年の目標ってなんやったっけ…とここまできてとても駄目なことに気付きました。忘れてるよ…
で、見直してみたら駐在したいねーってことね。語学と人脈ね。ま、いまんとこ、わりと両方できてるんじゃないでしょうか。語学は教室には通ってないわりにこの半年くらいで読解については結構伸びた気がするし(本当は会話を練習したいなあ)、今年は人には異常に会ってる。誘われたら基本的に断らない、試してみるというのを心掛けてはいるけどそれって基本的な姿勢であって今年特別ってわけでもないし、なんででしょうね。特に薄い人脈からの再びのお誘い、みたいなのが多くて若干待ち合わせが怖い(どっかで一回会っただけだと顔に自信がない…いやそういうときFacebookって文字通り顔載ってること多いから助かりますね)感じではありつつも、元が薄いから飛躍が大きいのがお得な感じです。飛躍って要するに他で人脈に重複がないから会う人みんな初対面で出会い効率?がいいってことね。なんかこう、より一層そういう超アウェイ環境にひるまなくなった気がする今日この頃です。どっかの本にも書いてあったけど、とにかく期待値下げることなんだよねー。参加費分飲み食いできれば合格で、あとは誰か一人とでもいい話ができればラッキー、くらいの期待値でいれば少なくともみじめな気分にはならない。
昨日もそんな薄い人脈(元同僚にお茶に誘われた時に同席してた人)からのお誘いで花火大会へ。なんか行ってみたら30人くらいの大所帯、しかもバックボーンがない結構みんなバラバラに集まっているような感じで誰も知らないのが当然、でも家が近かった&僕を誘った人が幹事だったこともあってわりとホーム感で楽しくすごさせてもらいました。某わりと最近知ってるウェブサービスの創業者が来てて話し込んだのがまじめなところでは楽しかったし、まあお誕生日特権で色々よくしてもらったしね。
あ、今日?今日はずっと仕事。昨日の疲れもあってか、なんかあまり集中できず、でもだらだら長時間働いてしまいました。なんか夏休み取りたいな…と思って、あてもないのに行き先を妄想したり…といっても今とっても行きたい所ってのはないのよね。だから金を使わずぼーっとしてる方がいい気はしている。そう、そういえば昨日花火の場所取りをしている時に時間がどかっと空いたので河原で昼寝していたんだけど、空が広いのよ。当たり前に知っている人には当たり前のことかもしれないけど、北海道行かなくてもちょっと開けた所にいくだけでこんなに空って広いんだ、とか間抜けなことを思ったのです。別にあれのかもしれません。青い鳥は、ってのは表現が陳腐かね。
お前の処遇
ある日、最近ちょっとChatpadで仲良くなった人に偽名さんの話をしていました。そこで新しい意見が。いやちいともあたらしくないのかもしれないんだけど、「いやそれ明かされたとか調子のってる情報も嘘じゃないんですか。今の彼氏と長期間安定してて火遊びしたくなったんですよ」っていうね。まあ確かに材料だけで見るとそうも見えるのか…というか普通そう考えるか。
で、そういえばこないだ偽名ちゃんとご飯食べていていろんな話の流れで、一年以内にシンガポール行きましょうねえとかよくわからない事言われたんですよね。まあとりあえずどの口が、と思って横に引っ張っておきましたが…。
そんなことを考え合わせて、なんとなくそのシンガポールを「偽名ちゃんの正体知っちゃった2周年アニバーサリー&サヨナラツアー」にしようかなとか思ってます(アニバーサリーイベント好きです)。いや別にサヨナラしなきゃいけない理由はないんだけど、色々今僕だけが一方的に知ってるカードってのがあるので、それを全部あけちゃおうかな、という。そこで終わるならいろいろ終わるだろうし、終わらないならまあ終わらないでしょう。別に今の状況に不満があるわけでもないけどやっぱ大分いびつだよね、という気がなんかむくむくするわけです。
彼女にはそれこそこないだ会ったときに直接言ったんだけどなんか「あと一歩」でいながら、そのままなんだよね。相変わらず色んな嘘をついているというそれはそれとしてそうじゃなくって、大げさにいえば心的動機っていうか、もう少しでからくりがわかりそうなの。何を、ではなくなんで、の部分がね…。それが開示される資格が僕にあるのかはよくわからない(というか一般的に言えばない気がする)けどだらだらやっててもしょうがないし、ここらでそれを清算するかな、という…なんでそんな気持ちになったんだかよくわかりませんが…。
世界を分断せよ!について書こうと思ったけど眠いからまたこんどにします。なんか偽名ちゃんの事書きたくて書いた記事みたいだなー心外だなー30にもなってこれかよ(とこれから同じことを延々言うんだろうなあ、の一回目)。
で、見直してみたら駐在したいねーってことね。語学と人脈ね。ま、いまんとこ、わりと両方できてるんじゃないでしょうか。語学は教室には通ってないわりにこの半年くらいで読解については結構伸びた気がするし(本当は会話を練習したいなあ)、今年は人には異常に会ってる。誘われたら基本的に断らない、試してみるというのを心掛けてはいるけどそれって基本的な姿勢であって今年特別ってわけでもないし、なんででしょうね。特に薄い人脈からの再びのお誘い、みたいなのが多くて若干待ち合わせが怖い(どっかで一回会っただけだと顔に自信がない…いやそういうときFacebookって文字通り顔載ってること多いから助かりますね)感じではありつつも、元が薄いから飛躍が大きいのがお得な感じです。飛躍って要するに他で人脈に重複がないから会う人みんな初対面で出会い効率?がいいってことね。なんかこう、より一層そういう超アウェイ環境にひるまなくなった気がする今日この頃です。どっかの本にも書いてあったけど、とにかく期待値下げることなんだよねー。参加費分飲み食いできれば合格で、あとは誰か一人とでもいい話ができればラッキー、くらいの期待値でいれば少なくともみじめな気分にはならない。
昨日もそんな薄い人脈(元同僚にお茶に誘われた時に同席してた人)からのお誘いで花火大会へ。なんか行ってみたら30人くらいの大所帯、しかもバックボーンがない結構みんなバラバラに集まっているような感じで誰も知らないのが当然、でも家が近かった&僕を誘った人が幹事だったこともあってわりとホーム感で楽しくすごさせてもらいました。某わりと最近知ってるウェブサービスの創業者が来てて話し込んだのがまじめなところでは楽しかったし、まあお誕生日特権で色々よくしてもらったしね。
あ、今日?今日はずっと仕事。昨日の疲れもあってか、なんかあまり集中できず、でもだらだら長時間働いてしまいました。なんか夏休み取りたいな…と思って、あてもないのに行き先を妄想したり…といっても今とっても行きたい所ってのはないのよね。だから金を使わずぼーっとしてる方がいい気はしている。そう、そういえば昨日花火の場所取りをしている時に時間がどかっと空いたので河原で昼寝していたんだけど、空が広いのよ。当たり前に知っている人には当たり前のことかもしれないけど、北海道行かなくてもちょっと開けた所にいくだけでこんなに空って広いんだ、とか間抜けなことを思ったのです。別にあれのかもしれません。青い鳥は、ってのは表現が陳腐かね。
お前の処遇
ある日、最近ちょっとChatpadで仲良くなった人に偽名さんの話をしていました。そこで新しい意見が。いやちいともあたらしくないのかもしれないんだけど、「いやそれ明かされたとか調子のってる情報も嘘じゃないんですか。今の彼氏と長期間安定してて火遊びしたくなったんですよ」っていうね。まあ確かに材料だけで見るとそうも見えるのか…というか普通そう考えるか。
で、そういえばこないだ偽名ちゃんとご飯食べていていろんな話の流れで、一年以内にシンガポール行きましょうねえとかよくわからない事言われたんですよね。まあとりあえずどの口が、と思って横に引っ張っておきましたが…。
そんなことを考え合わせて、なんとなくそのシンガポールを「偽名ちゃんの正体知っちゃった2周年アニバーサリー&サヨナラツアー」にしようかなとか思ってます(アニバーサリーイベント好きです)。いや別にサヨナラしなきゃいけない理由はないんだけど、色々今僕だけが一方的に知ってるカードってのがあるので、それを全部あけちゃおうかな、という。そこで終わるならいろいろ終わるだろうし、終わらないならまあ終わらないでしょう。別に今の状況に不満があるわけでもないけどやっぱ大分いびつだよね、という気がなんかむくむくするわけです。
彼女にはそれこそこないだ会ったときに直接言ったんだけどなんか「あと一歩」でいながら、そのままなんだよね。相変わらず色んな嘘をついているというそれはそれとしてそうじゃなくって、大げさにいえば心的動機っていうか、もう少しでからくりがわかりそうなの。何を、ではなくなんで、の部分がね…。それが開示される資格が僕にあるのかはよくわからない(というか一般的に言えばない気がする)けどだらだらやっててもしょうがないし、ここらでそれを清算するかな、という…なんでそんな気持ちになったんだかよくわかりませんが…。
世界を分断せよ!について書こうと思ったけど眠いからまたこんどにします。なんか偽名ちゃんの事書きたくて書いた記事みたいだなー心外だなー30にもなってこれかよ(とこれから同じことを延々言うんだろうなあ、の一回目)。
食の終焉 ポール・ロバーツ / S川の野郎
2012年8月12日 感想文。
重い本である。いや、分厚いという意味ではなくて。
数個前の日記で言語の統一と文化的多様性みたいな文章を書いたけど(それはちょっときれいにまとめすぎかね)、これは食料のサプライチェーンについてのそういった話、ともとらえられるかもしれない。
本書で取り上げられている内容をすごく簡単にまとめると、(上の言い換えになるけど)「流通が便利になりすぎた今の世の中は最適化が過剰に進みすぎていてバッファがなく、一か所やられるとすべてがめちゃくちゃになる危険性を秘めている」ということと、「酪農家などの個人の利得が全体の利得と食い違っている」という共有地の悲劇のような話を世界中飛び回っていろんな人に話を聞いて出てきた例を元に提出する、といったものと理解した。
内容は濃く、Amazonで5ばっかりなのもうなずける(★1のレビューは正直なにがいいたいかよくわからないし、3のレビューはなんか3にしては褒めてるように見えるんだけど…)。ただそれゆえか、僕はちょっと読むとげっぷが出てしまい読み終わるのに結構時間がかかりました。でも止まってもちゃんとしばらくすると手に取る、という自分の行動からも面白い本だということは断言できるんですよ(つまんなくて投げた本だともちろん戻ってきませんから)。
前者(行き過ぎた最適化)に関しては、結局は実物の流通が必要とされる本書の取り上げる内容よりも、ネットインフラの発達によって極限まで加速した情報流通と繋がりによっていろんなことが起こった金融危機なんかが先行している気はする。サブプライムとかね。つまり食料に関してはやはり鮮度というのがネックになっていて、ある程度のブレーキが利いている部分があるんじゃないかなあ、ということです。でもそれでも結局ダメなんだけどね。
僕はおいしいものを食べるのが好きな人だから食料の問題についても比較的周囲よりは関心が高いと思うんだけど(たとえばここでも食料廃棄とか、食育…先生でお箸をちゃんと使えない人の比率だとか、ドギーバッグとかについて以前書いているような)、だからそれで何ができるっていうとどうしようもない感じなのか悲しいなあと思うんです。この本を読んでもなんら対策は書いてなくて、くらーい気分になるだけ、というのが不満といえば不満といえなくもないかと思われます(★1の人もそういうことが言いたいのか)。そこまでもとめんな、っつう気もしつつ。とりあえず肉の消費量を減らすのはやだなあ。
ちなみにとあるamazon書評にあった「本書の文章だが、多くのデータが紹介されているにも関わらず、文芸書ということで数字表記は漢数字になっている。ダイヤモンド社の
「週刊ダイヤモンド」のほうは算用数字であり、日経新聞なども読みやすさを考え数年前からそうなっているが、新聞・雑誌は算用数字で
かまわないのに、なぜ書籍となると漢数字にこだわるのか? 慣習的なものから離れる難しさがここにもあるようだ。 」という指摘が面白かった。
http://amzn.to/xsU4W7
類書ではないけど、「アメリカ人はなぜ肥るのか(http://amzn.to/OiKsnL)」も遠いアメリカの話とバカにできない食料問題の一部を垣間見ることができて興味深いのでお勧め。
S川。
昨日は東京湾花火大会、そしてなぜかお台場ダイバーシティのBBQ場(http://digiq.jp/diver/)が取れた!花火見えるかも!ということで友達を集めて眺めてきました。まあ、フジテレビのあの球体が花火らしきものに照らされて色が変わっていましたね。うん。要するにまったく見えなかったんですが、会自体は楽しかったです。俺にどんだけ恨みがあんの、って思うくらいキャンセルされまくって12人枠が一時期ほぼ全滅した時にはもう僕どうしようと思ったんですが、結局開催2日前に会社の後輩が2人友達連れて参加してくれることになって、それでぎりぎり集まりました。いやー「そんだけキャンセルされても集められるのがすごい」と褒めてももらったけど、胴元としてはあつまんなかったらお金がすんごい飛ぶわけで、非常にドキドキでしたよ。
BBQ場は非常にオペレーションが雑だったけど、まあ場所はよいでしょう。花火と関係ない時に来て宴会やるにはいいと思います。なんてったって複合商業施設の屋上でしかももちこみし放題、酒やらなんやらは下の階に入ってる成城石井(ちょっと高いけどね、でもBBQ場で買うよりは安い…)やらで買ってしまえばよい。ほかにも31とかも入ってるし、多分タリーズからデリバリーとかもとれる。そんなわけで採算性があやしくね?ってくらいお得です。食いきれない肉と酒で一人4000円切ってました(うち2000円が場所代)。おすすめ。
で、お粗末だったのがS川。運送屋です。実はこの日のビールは賞味期限間近のためという理由で安値放出されていた某アジアビールをネットで買って会場に直接届けさせる目算でした。開始時間の一時間前には会場に搬入される予定だったんですが…さて、始まっても来ないわけです。
で、S川の担当店舗に電話を入れた所、「状況調べて折り返します」とのこと。そして待つこと1時間くらい、ようやくコールバックがあって「荷物なくしました。いま探してますので見つかったらまた連絡します」。もちろんもう諦めて飲み始めていましたが、道化さんは手配主として怒り心頭。「いや今から見つかったとか言われてもこっちも困るんですが」というような話から始まりとりあえず詰め、しばらく待ってたら宴終わり近くになって連絡きました。「見つかりました」と。で、いや今から届けられても困るんで、とりあえず自宅に届けてくださいと言って、届いたのを確認したらクレーム入れるんで、担当部署教えてね、ということでその日は終了。
そして今日自宅にちゃんと届いたんですが、いまさら届いてもなあ…という。そしてうちに届けたドライバーは事情をまったく知らされておらず、一通り説明したら「すみません…」ってまああんたが悪いわけじゃないからねえ…と思って店舗に改めてクレーム電話いれて、そしたら「大変申し訳ございません。本日中に担当から今後の対応についてご連絡させていただきます」。で、夜になっても何も来ない。ひどいなあ、S川。
ここで思った事。~しとけばよかったのにねえシリーズ。
1)当日配送が遅れるなら事前に連絡しておけばよかった(まあそもそもこっちから電話するまで荷物ロスト状態だったのでこれは無理だったけど)
2)その日の内に責任者から詫びの電話を入れればよかった
3)翌日配送する際、店舗の責任者が直接届け、詫びを入れればよかった
4)クレームがはいってすぐに折り返し、平身低頭すればよかった
という4つのチャンス(?)をすべて彼らは逃してしまったので、もうこちらとしてもどうにも許してあげる理屈が立ちません。最近ずっと喧嘩してたウェブ屋にもあることなんだけど「どこかで落としどころを」と被害者である僕が思ってあげてる(?)のに、相手に落ち度がありすぎて真ん中で落とせないんですな。責任割合がどう考えても0:100で。
つうことで徹底的にやれるところまでやりましょうかねえ…とかいっても額もたいしたことないし、せいぜい購入代金+送料の返金くらいが関の山でしょうけれども。あ、あとショップには何の落ち度もないけどとりあえずトラブルがあった事は通報しようと思います。「こういう運送屋をつかっているとおたくの評判が落ちますよ」っていうね。…とかって嫌がらせは、先に謝っとけばされないで済んだのにねえ。
ちなみに偶然最近読んでいるS川創業者の話。おもしろいよ。
http://polestar.0510.main.jp/?eid=780998
数個前の日記で言語の統一と文化的多様性みたいな文章を書いたけど(それはちょっときれいにまとめすぎかね)、これは食料のサプライチェーンについてのそういった話、ともとらえられるかもしれない。
本書で取り上げられている内容をすごく簡単にまとめると、(上の言い換えになるけど)「流通が便利になりすぎた今の世の中は最適化が過剰に進みすぎていてバッファがなく、一か所やられるとすべてがめちゃくちゃになる危険性を秘めている」ということと、「酪農家などの個人の利得が全体の利得と食い違っている」という共有地の悲劇のような話を世界中飛び回っていろんな人に話を聞いて出てきた例を元に提出する、といったものと理解した。
内容は濃く、Amazonで5ばっかりなのもうなずける(★1のレビューは正直なにがいいたいかよくわからないし、3のレビューはなんか3にしては褒めてるように見えるんだけど…)。ただそれゆえか、僕はちょっと読むとげっぷが出てしまい読み終わるのに結構時間がかかりました。でも止まってもちゃんとしばらくすると手に取る、という自分の行動からも面白い本だということは断言できるんですよ(つまんなくて投げた本だともちろん戻ってきませんから)。
前者(行き過ぎた最適化)に関しては、結局は実物の流通が必要とされる本書の取り上げる内容よりも、ネットインフラの発達によって極限まで加速した情報流通と繋がりによっていろんなことが起こった金融危機なんかが先行している気はする。サブプライムとかね。つまり食料に関してはやはり鮮度というのがネックになっていて、ある程度のブレーキが利いている部分があるんじゃないかなあ、ということです。でもそれでも結局ダメなんだけどね。
僕はおいしいものを食べるのが好きな人だから食料の問題についても比較的周囲よりは関心が高いと思うんだけど(たとえばここでも食料廃棄とか、食育…先生でお箸をちゃんと使えない人の比率だとか、ドギーバッグとかについて以前書いているような)、だからそれで何ができるっていうとどうしようもない感じなのか悲しいなあと思うんです。この本を読んでもなんら対策は書いてなくて、くらーい気分になるだけ、というのが不満といえば不満といえなくもないかと思われます(★1の人もそういうことが言いたいのか)。そこまでもとめんな、っつう気もしつつ。とりあえず肉の消費量を減らすのはやだなあ。
ちなみにとあるamazon書評にあった「本書の文章だが、多くのデータが紹介されているにも関わらず、文芸書ということで数字表記は漢数字になっている。ダイヤモンド社の
「週刊ダイヤモンド」のほうは算用数字であり、日経新聞なども読みやすさを考え数年前からそうなっているが、新聞・雑誌は算用数字で
かまわないのに、なぜ書籍となると漢数字にこだわるのか? 慣習的なものから離れる難しさがここにもあるようだ。 」という指摘が面白かった。
http://amzn.to/xsU4W7
類書ではないけど、「アメリカ人はなぜ肥るのか(http://amzn.to/OiKsnL)」も遠いアメリカの話とバカにできない食料問題の一部を垣間見ることができて興味深いのでお勧め。
S川。
昨日は東京湾花火大会、そしてなぜかお台場ダイバーシティのBBQ場(http://digiq.jp/diver/)が取れた!花火見えるかも!ということで友達を集めて眺めてきました。まあ、フジテレビのあの球体が花火らしきものに照らされて色が変わっていましたね。うん。要するにまったく見えなかったんですが、会自体は楽しかったです。俺にどんだけ恨みがあんの、って思うくらいキャンセルされまくって12人枠が一時期ほぼ全滅した時にはもう僕どうしようと思ったんですが、結局開催2日前に会社の後輩が2人友達連れて参加してくれることになって、それでぎりぎり集まりました。いやー「そんだけキャンセルされても集められるのがすごい」と褒めてももらったけど、胴元としてはあつまんなかったらお金がすんごい飛ぶわけで、非常にドキドキでしたよ。
BBQ場は非常にオペレーションが雑だったけど、まあ場所はよいでしょう。花火と関係ない時に来て宴会やるにはいいと思います。なんてったって複合商業施設の屋上でしかももちこみし放題、酒やらなんやらは下の階に入ってる成城石井(ちょっと高いけどね、でもBBQ場で買うよりは安い…)やらで買ってしまえばよい。ほかにも31とかも入ってるし、多分タリーズからデリバリーとかもとれる。そんなわけで採算性があやしくね?ってくらいお得です。食いきれない肉と酒で一人4000円切ってました(うち2000円が場所代)。おすすめ。
で、お粗末だったのがS川。運送屋です。実はこの日のビールは賞味期限間近のためという理由で安値放出されていた某アジアビールをネットで買って会場に直接届けさせる目算でした。開始時間の一時間前には会場に搬入される予定だったんですが…さて、始まっても来ないわけです。
で、S川の担当店舗に電話を入れた所、「状況調べて折り返します」とのこと。そして待つこと1時間くらい、ようやくコールバックがあって「荷物なくしました。いま探してますので見つかったらまた連絡します」。もちろんもう諦めて飲み始めていましたが、道化さんは手配主として怒り心頭。「いや今から見つかったとか言われてもこっちも困るんですが」というような話から始まりとりあえず詰め、しばらく待ってたら宴終わり近くになって連絡きました。「見つかりました」と。で、いや今から届けられても困るんで、とりあえず自宅に届けてくださいと言って、届いたのを確認したらクレーム入れるんで、担当部署教えてね、ということでその日は終了。
そして今日自宅にちゃんと届いたんですが、いまさら届いてもなあ…という。そしてうちに届けたドライバーは事情をまったく知らされておらず、一通り説明したら「すみません…」ってまああんたが悪いわけじゃないからねえ…と思って店舗に改めてクレーム電話いれて、そしたら「大変申し訳ございません。本日中に担当から今後の対応についてご連絡させていただきます」。で、夜になっても何も来ない。ひどいなあ、S川。
ここで思った事。~しとけばよかったのにねえシリーズ。
1)当日配送が遅れるなら事前に連絡しておけばよかった(まあそもそもこっちから電話するまで荷物ロスト状態だったのでこれは無理だったけど)
2)その日の内に責任者から詫びの電話を入れればよかった
3)翌日配送する際、店舗の責任者が直接届け、詫びを入れればよかった
4)クレームがはいってすぐに折り返し、平身低頭すればよかった
という4つのチャンス(?)をすべて彼らは逃してしまったので、もうこちらとしてもどうにも許してあげる理屈が立ちません。最近ずっと喧嘩してたウェブ屋にもあることなんだけど「どこかで落としどころを」と被害者である僕が思ってあげてる(?)のに、相手に落ち度がありすぎて真ん中で落とせないんですな。責任割合がどう考えても0:100で。
つうことで徹底的にやれるところまでやりましょうかねえ…とかいっても額もたいしたことないし、せいぜい購入代金+送料の返金くらいが関の山でしょうけれども。あ、あとショップには何の落ち度もないけどとりあえずトラブルがあった事は通報しようと思います。「こういう運送屋をつかっているとおたくの評判が落ちますよ」っていうね。…とかって嫌がらせは、先に謝っとけばされないで済んだのにねえ。
ちなみに偶然最近読んでいるS川創業者の話。おもしろいよ。
http://polestar.0510.main.jp/?eid=780998
中華系SNS / 華僑 / とある異常
2012年7月28日 日常 最近、中華系SNSというやつをはじめている。上海で友人に教えてもらったLINEもどきなんだけど、LINEにない下品な機能としてGPS連動で「近くにいるユーザを検索」という機能がついているのだ。とかいって知ったかぶりしてるけど、LINE使った事ないんだけどね(拒否も出来るとはいえ、アドレス帳アップロードしないとあまり意味がないアプリのように感じるし、そんなことするの怖い...言っちゃ悪いけど提供元Naverだぜ?)。 あ、僕はそういうのが怖いので台湾で買ったパチモン携帯にインストールして使ってます。こっちならどうせアドレス帳上海の友人が10人くらい入ってるだけだから最悪どっかに流れようが把握も出来るしそもそもそんな価値はない。
しかもGPS機能、男女でフィルタリングできるんだよね。遠い昔から「携帯アプリはどう出会い系じゃないふりしつつ出会える期待を持たせるか」がキーワードだった気がするけど、これはそれを易々と突破、というかとても直球です...べりーちゃいな。そしてなぜか顔を晒すのが好きな中国人(というか日本人が嫌いなだけか...)
そしてこの微信、中華系アプリにありがちな事なんだけど中国人しか使ってません。一応多言語化されてるようだけど日本語はないし、ということで日本でGPS検索しても95%くらい中国人なので、辻斬りして中国語勉強し放題。適当に話しかけ、相手が日本語わかれば(まあ使ってるのは留学生中心なので程度の差はあれ、わかるし)日本語に中国語まぜて適当にお話するのです。プロフィールに適当に「中国語勉強してまーす」とかいれときゃ、そういう人種が珍しいのかわりとほっといても話しかけられます。女子からね!男女比が狂ってるネットの世界で女子のほうから話しかけてくるってのは奇跡ですぜ旦那?
そういった感じです。多分LINEにこんな機能があってもつかわないだろーなーと思うんだけど(日本人同士だと逆に趣味とかがあわないと話が出来ないだろうし)、こっちはレベルの低い日常会話ができればそれで満足というか勉強にもなるし、それでいいかなと。
最近ちょっと仕事で在日華僑にアプローチしなきゃいけないんだけど、やったら組織が乱立していて外からだとちょっとまったく意味がわからん状態です。ビジネスのための会、同郷互助の会(省単位、国単位)、留学生会...そういえば素朴な疑問だけど、中国共産党って国外に支部持ってるのかな?特に日本...まあいいけど。
で、さらにそういう組織のごちゃごちゃの上に中国と台湾というレイヤーがあり(まあこれは出身地域の、という所に回収できるといえなくもない)、さらに老華僑と新華僑という構造がある。新華僑ってのは80年代以降に来日したと言われる、IT系とかの人ね。老のほうがいわゆる中華料理屋とか貿易とかやってたりする方。門とか建てちゃう中華街に住んでいるのは老で、池袋とか新大久保にいるのは新かな。
それらは全然MECEじゃないというか色んなレイヤーで存在する組織だからきれいに「モレなくダブりなく」全ての人に情報を伝えるってのがとても難しいと感じる。特に台湾系と大陸系間違えたら一発退場な気がするしね...とか怯えながら、逆に当人たちはあんまり気にしてない可能性もあるし、そもそもそういう捉え方って一律にどう、って話じゃなくて育った家とか個人の考え方による所も大きいだろうし...よくわかりません。でも(多少図々しいやりかたかもしれないけど)きっと知らなくて当たり前だし、それでびびって立ち止まるのが最も意味のないことなのかな、とも思います。
横浜中華街に住んでいる年長の友人がいる、という話は以前何度か書いている気がします。その人に色々教えていただいたりして今回の調査を進めているんだけど、この辺りの事って本当に面白いな、と思います。何か機会を見つけて中華街出身の同世代の人と交流してみたい。異国の地で生まれ、狭い地域で育ち、暮らし結婚して子供ができる、多分僕たちの1つ上の世代はそうせざるを得ない環境があったんだろうけど、新華僑としてそういう特定の地域に縛られず成功する人が出てきている今、多分若い人にとっては料理屋を継ぐとかそういったことはナンセンスに感じるはず。そういう人がいまの日本見てどう思っているのかな、って。そんな意味でも
http://www.youtube.com/watch?v=ydk94E99Ct0
「中華学校の子どもたち」
知ってたのに見れなかったのは残念。TSUTAYAとかで置いてなさそう...。
とある異常。まあこれは出来るだけさらっと書きますけど、今日昼間、一緒にバンドをやっている魔女さんから電話があって。夕刻練習の予定だったとはいえ彼女から電話が入るのはとてもとても珍しいので(大概メール)どうしたのかなーと思って出たら「魔女の姉ですけど、彼女は今日とても疲れているので眠らせました。会う約束があるとのことだったのでご連絡まで」とかってよく知る声が言うわけです。いやどう聞いても魔女さんの声なんですけど。そして彼女、姉いないんですけど...すっごいいやな予感がしつつ聞こえないふり(実際電波悪かった)をして一回切ったら即またかかってきて、同じような事を言うわけ。「あんた誰?」って聞いても「姉です」って言うから「いや姉いないしね」って返すとだまるんですよ...。「とりあえずあんたじゃ意味わかんないから本人から連絡させて」って言ったら数秒黙って切られました。
...。
選択肢は
1)悪ふざけ
2)実は姉がいる(もしくは妹がいるのは事実なので妹の悪ふざけ)
3)ガチで病気
元々精神的にそんなに強くない(けど僕らといる時はわりと安定してる)んで、3)かなーと思ったけどそれにしたって段階飛びすぎだし、多重人格なんて今更流行りませんぜ...知る限りだけど、虐待受けてるとかそこまでひどい生育環境でもないわけだから自己防衛がそこまでいくとかってのもわからんし...とか色々去来してしまいました。
で、夕方今日はこないかもなーとおもったら普通に練習きたんでとりあえず「あれなに?」って直球投げてみました。覚えてるならそれで済む話だし...という一縷の望みをかけたんだけど...だめ。覚えてない。というか「最近実は彼氏にも似たような事を指摘されて...」っておい...どうしよう。突っ込みようもなく、でもまあ別に薬使ってるとかじゃないみたいなんで(この子はアングラと付き合いがあるのでない話じゃない)まあいいけどね、っていっときました。別に実害ないし。でもなあ。
いや、そんくらいで流すなよ...って自分でも思うんだけど、まあまた自分の周りに異常者(差別的な表現ですみません)が増えたなあ、というのが正直な感想。偽名ちゃんを筆頭に世間的に相当飛んでる人は多いし、鬱とかは珍しくもないほどにいるんだけど、それにしたってねえ...。次はミリガンかっていう...。
まあ、そんな日常。
しかもGPS機能、男女でフィルタリングできるんだよね。遠い昔から「携帯アプリはどう出会い系じゃないふりしつつ出会える期待を持たせるか」がキーワードだった気がするけど、これはそれを易々と突破、というかとても直球です...べりーちゃいな。そしてなぜか顔を晒すのが好きな中国人(というか日本人が嫌いなだけか...)
そしてこの微信、中華系アプリにありがちな事なんだけど中国人しか使ってません。一応多言語化されてるようだけど日本語はないし、ということで日本でGPS検索しても95%くらい中国人なので、辻斬りして中国語勉強し放題。適当に話しかけ、相手が日本語わかれば(まあ使ってるのは留学生中心なので程度の差はあれ、わかるし)日本語に中国語まぜて適当にお話するのです。プロフィールに適当に「中国語勉強してまーす」とかいれときゃ、そういう人種が珍しいのかわりとほっといても話しかけられます。女子からね!男女比が狂ってるネットの世界で女子のほうから話しかけてくるってのは奇跡ですぜ旦那?
そういった感じです。多分LINEにこんな機能があってもつかわないだろーなーと思うんだけど(日本人同士だと逆に趣味とかがあわないと話が出来ないだろうし)、こっちはレベルの低い日常会話ができればそれで満足というか勉強にもなるし、それでいいかなと。
最近ちょっと仕事で在日華僑にアプローチしなきゃいけないんだけど、やったら組織が乱立していて外からだとちょっとまったく意味がわからん状態です。ビジネスのための会、同郷互助の会(省単位、国単位)、留学生会...そういえば素朴な疑問だけど、中国共産党って国外に支部持ってるのかな?特に日本...まあいいけど。
で、さらにそういう組織のごちゃごちゃの上に中国と台湾というレイヤーがあり(まあこれは出身地域の、という所に回収できるといえなくもない)、さらに老華僑と新華僑という構造がある。新華僑ってのは80年代以降に来日したと言われる、IT系とかの人ね。老のほうがいわゆる中華料理屋とか貿易とかやってたりする方。門とか建てちゃう中華街に住んでいるのは老で、池袋とか新大久保にいるのは新かな。
それらは全然MECEじゃないというか色んなレイヤーで存在する組織だからきれいに「モレなくダブりなく」全ての人に情報を伝えるってのがとても難しいと感じる。特に台湾系と大陸系間違えたら一発退場な気がするしね...とか怯えながら、逆に当人たちはあんまり気にしてない可能性もあるし、そもそもそういう捉え方って一律にどう、って話じゃなくて育った家とか個人の考え方による所も大きいだろうし...よくわかりません。でも(多少図々しいやりかたかもしれないけど)きっと知らなくて当たり前だし、それでびびって立ち止まるのが最も意味のないことなのかな、とも思います。
横浜中華街に住んでいる年長の友人がいる、という話は以前何度か書いている気がします。その人に色々教えていただいたりして今回の調査を進めているんだけど、この辺りの事って本当に面白いな、と思います。何か機会を見つけて中華街出身の同世代の人と交流してみたい。異国の地で生まれ、狭い地域で育ち、暮らし結婚して子供ができる、多分僕たちの1つ上の世代はそうせざるを得ない環境があったんだろうけど、新華僑としてそういう特定の地域に縛られず成功する人が出てきている今、多分若い人にとっては料理屋を継ぐとかそういったことはナンセンスに感じるはず。そういう人がいまの日本見てどう思っているのかな、って。そんな意味でも
http://www.youtube.com/watch?v=ydk94E99Ct0
「中華学校の子どもたち」
知ってたのに見れなかったのは残念。TSUTAYAとかで置いてなさそう...。
とある異常。まあこれは出来るだけさらっと書きますけど、今日昼間、一緒にバンドをやっている魔女さんから電話があって。夕刻練習の予定だったとはいえ彼女から電話が入るのはとてもとても珍しいので(大概メール)どうしたのかなーと思って出たら「魔女の姉ですけど、彼女は今日とても疲れているので眠らせました。会う約束があるとのことだったのでご連絡まで」とかってよく知る声が言うわけです。いやどう聞いても魔女さんの声なんですけど。そして彼女、姉いないんですけど...すっごいいやな予感がしつつ聞こえないふり(実際電波悪かった)をして一回切ったら即またかかってきて、同じような事を言うわけ。「あんた誰?」って聞いても「姉です」って言うから「いや姉いないしね」って返すとだまるんですよ...。「とりあえずあんたじゃ意味わかんないから本人から連絡させて」って言ったら数秒黙って切られました。
...。
選択肢は
1)悪ふざけ
2)実は姉がいる(もしくは妹がいるのは事実なので妹の悪ふざけ)
3)ガチで病気
元々精神的にそんなに強くない(けど僕らといる時はわりと安定してる)んで、3)かなーと思ったけどそれにしたって段階飛びすぎだし、多重人格なんて今更流行りませんぜ...知る限りだけど、虐待受けてるとかそこまでひどい生育環境でもないわけだから自己防衛がそこまでいくとかってのもわからんし...とか色々去来してしまいました。
で、夕方今日はこないかもなーとおもったら普通に練習きたんでとりあえず「あれなに?」って直球投げてみました。覚えてるならそれで済む話だし...という一縷の望みをかけたんだけど...だめ。覚えてない。というか「最近実は彼氏にも似たような事を指摘されて...」っておい...どうしよう。突っ込みようもなく、でもまあ別に薬使ってるとかじゃないみたいなんで(この子はアングラと付き合いがあるのでない話じゃない)まあいいけどね、っていっときました。別に実害ないし。でもなあ。
いや、そんくらいで流すなよ...って自分でも思うんだけど、まあまた自分の周りに異常者(差別的な表現ですみません)が増えたなあ、というのが正直な感想。偽名ちゃんを筆頭に世間的に相当飛んでる人は多いし、鬱とかは珍しくもないほどにいるんだけど、それにしたってねえ...。次はミリガンかっていう...。
まあ、そんな日常。
Unite as One
2012年7月22日 非日常 っていう歌があるんですね。しかも歌ってるのが伊藤由奈。いとうゆな...ゆないとう...ゆない...と...
http://www.youtube.com/watch?v=HeJfM5iySJc
Unite as One
さて。今日のどうでも話は、ひとつになること、について。
最近、Twitter上で何かをきっかけに少数民族の独立闘争について考える機会がありました。資料もなく記憶もあいまいなまま適当大まかに書き散らすけど、世界の民族主義というのは冷戦、つまり米ソの対立構造が終わり、その圧力のフタが緩んだところで再び火がついた、といわれています。要するにそれまでは負のエネルギーは単純なイデオロギーに乗せて対立陣営の方に流されていったし、実際に朝鮮やらアフガンやらアフリカやら、代理戦争として殺し合いを提供する場もあった、だけど...という話なんだけど、よく考えてみるとそれって意外と「西側の論理」の域を出ないんじゃないかなあと思ったりします。旧東側には確かにそういう事例がたくさんある気がするけど、バッファ的な地域じゃなく、西側で冷戦が終わって独立闘争が盛んになった地域ってあるの?
...と書きながら毎度脱線していくんだけど、アメリカのミリシアみたいなのを除けば(あれは主義闘争であって民族闘争じゃないでしょう...といってその二つを明確に分けるのが難しい場合も沢山あるけど)、ざっと思いつく西側のある程度の規模を持った民族的独立運動ってバスクとアイルランドくらいじゃないのかな。イスラエルをどうとらえるか、というのは大きな問題としてあるけど、あれはどちらかというと西側の中の問題というより中東と西側の縁で起こっている問題だと思うし。90年代の終わりまでいけば東ティモールがあるけど...ってあれも西側中心地ともいえないしなあ。
そんなわけで、冷戦がどうのってのはあんまり関係ない...というより冷戦によって体力が落ちて子分を管理しきれなくなった東側からぽろぽろと脱落者が出たってののほうが筋としてはあってるんじゃねえの、とか思ったりしました。
...何の話だ?
ああ、そうそう。そもそも民族的なアイデンティティがどこからうまれるのかって言う話。普通は「血だろ」って思うんだけど、殺しあう二つの民族が調べてみると実際ほとんど違いがない、なんて話はよくあります。ボスニア紛争なんかがよく言われる例だと思うんだけど、隣り合って仲良く暮らしてたのになにかのきっかけで些細な違いを見つけて殺しあうようになってしまう、みたいな。
と、思い出したらにちゃんのまとめがきれいにまとめなおされて
http://www37.atwiki.jp/yuki_yugoslav/pages/1.html
戦争の体験談を語るわ まとめ
なつかしい。まだ二年か...随分昔読んだ気がするけど、わりといいスレでした(相当内容が重いけど)。
まあ、だから血じゃなくって違うもの、例えば言葉だったり宗教だったり、住んでいる地域だったり、そういうもので民族意識っていうのはできていく事が多いといわれているわけです...が、それもわりと嘘で、結局そういうのはいいわけで、金がないやつらが「なんで俺ら金ないのよ、差別じゃね?何?言葉違うから?」みたいなノリなんじゃねえの実際は、という風な考え方がわりと最近はメジャーなようです。そりゃそういう不満がなければ違う言葉を喋るからってぶっ殺しちゃおうとまでは思わないもんねえ普通。
雑駁ですが、平常運転です。
でね、その主要要素のひとつである言語が統一されたらどうなんだろう、というような事を考えたのです(ようやくそろそろ本来の話題に...)。
バベルの塔を建てた罪で人の言葉が分かたれたらしいけど、この現実世界でもネットの広がりによって多分ものすごいスピードで英語の世界語化が進んでいるような気がしていて、それは情報流通の経路も似通ってくるということ(=ニュースソースが同じってことね)になるし、そうなると長期的には人々の行動も変わる(というか均質化する)んじゃないかと思うのね。結局違うインプットを与えられ続けて価値観が変わってくるから違う人間に育つわけで、それが同一になれば、いままでの「ひとつの民族の中での多様性」くらいの幅にみんなが収束していく気がする。もちろんそれは「みんなロボットみたいに同じ考え方をするようになる」とかって話じゃなくて、もう少し緩やかなね。アメリカナイズというと陳腐かもしれないけど、情報だけでなく、マックが出来てスタバが出来て、みんながショッピングモールで買い物をするようになると、やっぱり似てくる気がするんだよね。そしてこれも重要な事何だけど、その変化は人々に望まれたものであり、実際コストも安かったりする。地元のものを買うよりも、マックのほうが安い。
で。翻って世界には今でも独立闘争をやってるところがあります。例えばチベット。北京政府はせっせと鉄道作って漢人送り込んで同質化政策を採ろうとしてるみたいだけど、この同質化ってのは大概血と言葉(教育)で行われるものと決まっている。それを無理矢理に行うのは僕もえぐいなあ、と思うんだけど、でも血も言葉も、地理的に難しいとかで程度の差は当然あれど、混ざって行きつつあるのが現状なわけだよね。中国に住んでる日本人なんか珍しくもないし、その逆も然り。いくら近くなったとはいえガーナに住んでる日本人はそんなにいないけど、それにしたって、もしもっとこの先移動が簡単になって英語が通じるようになれば、増えていくでしょう。ちなみにガーナは多分フランス語圏だ、どうでもいいけど。
そうやって行き来する人が増えれば結婚する人も出てくるし、言葉だって混ざっていく。再度書くけどそれと強制的な民族の同質化は違うでしょ、というのはもっともなんだけど、でもそれでも、結局起こっていることは(少なくとも外形的には)同じようなものな気がしてならない。
人間は自分の身の回りの事を判断するときに「民族のため、国のため」なんてのが判断基準の優先順位の一番に来る事はそんなにないと思う。それよりその時の自分の損得でしょう。
だから安くて美味しそうならマックを食べるし、民族衣装よりはH&Mで服を買う。就職に有利だから子供に英語で教育を受けさせる。それは当たり前のことで、「そんなことしたらわが民族の誇りが!」というのはなんていうか、ナンセンス。そんなもんに従っても少なくとも個人に益はないわけで。
ああだから侵略する側としては個人の利得になるようにしてあげればあんまり抵抗されないよ...というのではなくてね、話は。いやそうかもしれないけど。
ようやくたどり着いたんだけど、そうやって緩やかに世界が均質化したあとに何が起こるんだろう、という妄想が今日のトピックだったのです。血が均質化するにはさすがにあと300年とか必要だろうけど、生活や文化の均質化はもうあと数世代である程度のところまで進行する気がしていて。
でね、それと平行して、「多様性を失った種は滅ぶ」という事が頭をよぎるのです。外部環境の変化があると多様性があればそれに適応できる種が生き延びられるけど、いくら優れていても完璧は有り得なくて、堤防がアリの一穴、という話になってしまうわけ。そして、同質化だけでなく、情報の伝播速度も異常に上がっているから、一旦バグが発見されると修正する時間の余裕もなくいっぺんにみんな死ぬ気がするんだよね。同じ言語や文化を媒介に伝播するまずいこと、ってのは具体的に思いつかないけど...。
まあだからといって種の保存のために無理矢理個人の利を無視して多様性を作りだす、というのも無理な気がするし、なんとなくこれがゆったりとした滅びへの道なのかな、ともんのすごい暗くて物騒な結論(でもないな、途中だこれ)で今日を終えるのでした。もっかい神様がバベルの塔に罰を下してくれればいいのか。いやいいのかこんな時だけ神様頼っちゃいかんね
http://www.youtube.com/watch?v=HeJfM5iySJc
Unite as One
さて。今日のどうでも話は、ひとつになること、について。
最近、Twitter上で何かをきっかけに少数民族の独立闘争について考える機会がありました。資料もなく記憶もあいまいなまま適当大まかに書き散らすけど、世界の民族主義というのは冷戦、つまり米ソの対立構造が終わり、その圧力のフタが緩んだところで再び火がついた、といわれています。要するにそれまでは負のエネルギーは単純なイデオロギーに乗せて対立陣営の方に流されていったし、実際に朝鮮やらアフガンやらアフリカやら、代理戦争として殺し合いを提供する場もあった、だけど...という話なんだけど、よく考えてみるとそれって意外と「西側の論理」の域を出ないんじゃないかなあと思ったりします。旧東側には確かにそういう事例がたくさんある気がするけど、バッファ的な地域じゃなく、西側で冷戦が終わって独立闘争が盛んになった地域ってあるの?
...と書きながら毎度脱線していくんだけど、アメリカのミリシアみたいなのを除けば(あれは主義闘争であって民族闘争じゃないでしょう...といってその二つを明確に分けるのが難しい場合も沢山あるけど)、ざっと思いつく西側のある程度の規模を持った民族的独立運動ってバスクとアイルランドくらいじゃないのかな。イスラエルをどうとらえるか、というのは大きな問題としてあるけど、あれはどちらかというと西側の中の問題というより中東と西側の縁で起こっている問題だと思うし。90年代の終わりまでいけば東ティモールがあるけど...ってあれも西側中心地ともいえないしなあ。
そんなわけで、冷戦がどうのってのはあんまり関係ない...というより冷戦によって体力が落ちて子分を管理しきれなくなった東側からぽろぽろと脱落者が出たってののほうが筋としてはあってるんじゃねえの、とか思ったりしました。
...何の話だ?
ああ、そうそう。そもそも民族的なアイデンティティがどこからうまれるのかって言う話。普通は「血だろ」って思うんだけど、殺しあう二つの民族が調べてみると実際ほとんど違いがない、なんて話はよくあります。ボスニア紛争なんかがよく言われる例だと思うんだけど、隣り合って仲良く暮らしてたのになにかのきっかけで些細な違いを見つけて殺しあうようになってしまう、みたいな。
と、思い出したらにちゃんのまとめがきれいにまとめなおされて
http://www37.atwiki.jp/yuki_yugoslav/pages/1.html
戦争の体験談を語るわ まとめ
なつかしい。まだ二年か...随分昔読んだ気がするけど、わりといいスレでした(相当内容が重いけど)。
まあ、だから血じゃなくって違うもの、例えば言葉だったり宗教だったり、住んでいる地域だったり、そういうもので民族意識っていうのはできていく事が多いといわれているわけです...が、それもわりと嘘で、結局そういうのはいいわけで、金がないやつらが「なんで俺ら金ないのよ、差別じゃね?何?言葉違うから?」みたいなノリなんじゃねえの実際は、という風な考え方がわりと最近はメジャーなようです。そりゃそういう不満がなければ違う言葉を喋るからってぶっ殺しちゃおうとまでは思わないもんねえ普通。
雑駁ですが、平常運転です。
でね、その主要要素のひとつである言語が統一されたらどうなんだろう、というような事を考えたのです(ようやくそろそろ本来の話題に...)。
バベルの塔を建てた罪で人の言葉が分かたれたらしいけど、この現実世界でもネットの広がりによって多分ものすごいスピードで英語の世界語化が進んでいるような気がしていて、それは情報流通の経路も似通ってくるということ(=ニュースソースが同じってことね)になるし、そうなると長期的には人々の行動も変わる(というか均質化する)んじゃないかと思うのね。結局違うインプットを与えられ続けて価値観が変わってくるから違う人間に育つわけで、それが同一になれば、いままでの「ひとつの民族の中での多様性」くらいの幅にみんなが収束していく気がする。もちろんそれは「みんなロボットみたいに同じ考え方をするようになる」とかって話じゃなくて、もう少し緩やかなね。アメリカナイズというと陳腐かもしれないけど、情報だけでなく、マックが出来てスタバが出来て、みんながショッピングモールで買い物をするようになると、やっぱり似てくる気がするんだよね。そしてこれも重要な事何だけど、その変化は人々に望まれたものであり、実際コストも安かったりする。地元のものを買うよりも、マックのほうが安い。
で。翻って世界には今でも独立闘争をやってるところがあります。例えばチベット。北京政府はせっせと鉄道作って漢人送り込んで同質化政策を採ろうとしてるみたいだけど、この同質化ってのは大概血と言葉(教育)で行われるものと決まっている。それを無理矢理に行うのは僕もえぐいなあ、と思うんだけど、でも血も言葉も、地理的に難しいとかで程度の差は当然あれど、混ざって行きつつあるのが現状なわけだよね。中国に住んでる日本人なんか珍しくもないし、その逆も然り。いくら近くなったとはいえガーナに住んでる日本人はそんなにいないけど、それにしたって、もしもっとこの先移動が簡単になって英語が通じるようになれば、増えていくでしょう。ちなみにガーナは多分フランス語圏だ、どうでもいいけど。
そうやって行き来する人が増えれば結婚する人も出てくるし、言葉だって混ざっていく。再度書くけどそれと強制的な民族の同質化は違うでしょ、というのはもっともなんだけど、でもそれでも、結局起こっていることは(少なくとも外形的には)同じようなものな気がしてならない。
人間は自分の身の回りの事を判断するときに「民族のため、国のため」なんてのが判断基準の優先順位の一番に来る事はそんなにないと思う。それよりその時の自分の損得でしょう。
だから安くて美味しそうならマックを食べるし、民族衣装よりはH&Mで服を買う。就職に有利だから子供に英語で教育を受けさせる。それは当たり前のことで、「そんなことしたらわが民族の誇りが!」というのはなんていうか、ナンセンス。そんなもんに従っても少なくとも個人に益はないわけで。
ああだから侵略する側としては個人の利得になるようにしてあげればあんまり抵抗されないよ...というのではなくてね、話は。いやそうかもしれないけど。
ようやくたどり着いたんだけど、そうやって緩やかに世界が均質化したあとに何が起こるんだろう、という妄想が今日のトピックだったのです。血が均質化するにはさすがにあと300年とか必要だろうけど、生活や文化の均質化はもうあと数世代である程度のところまで進行する気がしていて。
でね、それと平行して、「多様性を失った種は滅ぶ」という事が頭をよぎるのです。外部環境の変化があると多様性があればそれに適応できる種が生き延びられるけど、いくら優れていても完璧は有り得なくて、堤防がアリの一穴、という話になってしまうわけ。そして、同質化だけでなく、情報の伝播速度も異常に上がっているから、一旦バグが発見されると修正する時間の余裕もなくいっぺんにみんな死ぬ気がするんだよね。同じ言語や文化を媒介に伝播するまずいこと、ってのは具体的に思いつかないけど...。
まあだからといって種の保存のために無理矢理個人の利を無視して多様性を作りだす、というのも無理な気がするし、なんとなくこれがゆったりとした滅びへの道なのかな、ともんのすごい暗くて物騒な結論(でもないな、途中だこれ)で今日を終えるのでした。もっかい神様がバベルの塔に罰を下してくれればいいのか。いやいいのかこんな時だけ神様頼っちゃいかんね
(酔ってないつもりだけどちょっと飲んでる)
何度目かよくわからないけど上海に行っていました。一日休んで、土曜から火曜…だけどフライトに結構時間を使うので結局思い切り行動できたのは日曜と月曜だけね。
そのせいか、結構詰まったスケジュールだったように思います。もっと時間ほしいなあ。
ざっと振り返ります。
土曜
朝早く家を出て、初LCC。東京駅からバスに揺られ、茨城空港へ。「当機は只今気流の悪い中を飛行中です」を8回くらい聞きながら、結局浦東に降りられずに虹橋空港へ着陸。普段なら虹橋空港は中心部に近いので喜ばしいんだけど(大雑把にいって羽田と成田みたいな関係なんで)、今回は滞在中の行動範囲考えて浦東の近くに宿をとっていたのでそこから宿まで1時間以上かかることに…。そして適当に前日とった宿は駅から徒歩15分くらいかかるというわりとめんどくさい立地でした。やっぱプラス2000円くらいして知ってるチェーンに泊まったほうがよかったかなあ。ホテルついたら5時すぎてた。
夜は上海生活もうすでに3年くらいになるという友人と香港料理。フライトの遅れ&携帯の通話料カード調達に手間取り、かなり遅刻。申し訳なし。やったら若年層の多い、でもうまい店でした。
二軒目は前回泊まった田子坊というエリアの中のお洒落っぽいバーへ。しかし高い。青島で確か60RMBとか取られて発狂しそうになってたら「いやちょっとしゃれたきたらそんなもんだよ」とかたしなめられた。しかし街中だったら20しないだろ…ていうのはあれな思考ですかね。あ、飲んでたら「いまだにこんなんいるんだ」っていうくらい日本のいなかのおっさんの集団+中国人のおばさんコーディネイターが入ってきて萎えた。いるんだねえ。
そしてこの日の夜は長く、友人と別れて次は近くの別のライターやってる友人宅…の正確には横の部屋で宅飲み。横の部屋って何よ…って、ひどい話なんだけど彼が住んでいるマンションは2部屋でひとつ扉があって、その中でそれぞれの個室があるタイプ(というか多分2部屋あるひとつの物件を無理やり分割して貸出し)で、その対になってる隣の物件が空いてるっていうんでね…いや普通隣人だからって別に鍵とかもってなくね?ってつっこんだら「以前鍵を何かの都合で預かった時に合鍵屋へすぐ…ね…?」っておいおい。まあ客観的に言ってくずですね。主観的に言っても以下同文でございました。
まあでも隣家は彼の部屋よりは確かに広かった。住人いないからものもないし。多分2時すぎくらいまで飲んで、解散。話の内容もわりとげっすいものばかりだった気がしますが。
日曜
日曜だっていうのに昼前から予定が。というか買い物がこのタイミングしかできない!ということで、まずはわりと近くにある正大広場という巨大モールへ。電波塔の横のかなり目立つ建物です。タイだかどっかに住んでる華僑が作ったと聞きましたが。その地下にあるでかいスーパーを探検して、調味料とかクミン(もちろん日本にもあるけど5元とかで爆安だったから…)を買い込んで、宿戻ったのかな?直接だったかも。ランチへ。
この日のランチは北京で就職した南京人(複雑)の子。年末東京で知り合って、ちょいとだけ仕事を手伝ってあげたり、ご飯したりしてまあ少し交流があって、別件で教えてもらいたいことがあって出発前にメールして「実は週末上海いくんだよね~」とか書いといたら「実は研修で週末上海いるんですよ」とか返ってきて。あまり北京から外に出ない仕事なのにすごい偶然で、思わぬ上海での再会となりました。なんか日式のすき焼もどきを食べたりしました。
この子は別に日本が大好きってわけでもないのに5,6年日本にいたのかな?なんで、あまり北京でも日本語コミュニティに触れていないらしく「日本語使うの久しぶり!」とかいって早速ギリシャがわからなかったり、相当危なくなっていました。まあ言葉なんて使わなかったら絶対衰えるよね…。まあ英語も上手なので、数年経ってしゃべれなくなってたら英語にしましょう。この子はテレビ局、しかも相当いい所に就職したので先が楽しみです…って言い方はあれかなあ、でもまあ本音。仕事でどうのとかはないと思うけど、面白い話聞かせてくれそう。
ランチ後はどこ行ったんだろう…とりあえず中国銀行に口座を作りに行ったらさんざか待たされた挙句拒否されたのはおぼえてる。ありゃあっちの英語の問題なんだけど言葉が通じないから指摘もできず。あれ、これ月曜だっけ?
夕方は某所を見学ののち、由子先生&某所関係者で雲南料理。すごくいい!という話といやいや、という話を両方きいてたんで心配してたんだけど、よかった。西洋人寄りの人がすごく良い!というのがとてもよくわかった場所でした。わりと高いけど僕は好きです。とかいって3人でワイン2本まるまる空けてりゃそりゃ高くもなるよね…。高いといっても一人400RMB(5500円くらい?)とかそんなもん。
食べた後は由子先生と撮影をしに電波塔近くへ。撮っていたら2300だったからか電気がきえてしまい、ちょっとしょんぼりでした。
月曜
朝ちょっと寝坊の後、茶市場。本当はいろいろほしかったんだけど交渉する時間も気力もまったくないので(というか上海ではデフォルトで二日酔いなのでだるい)日本語を話せるけどあーこれぼられてんなあという店でとりあえずさっと購入だけ。またきたいなあ。茶器とかじっくりみたかった。
そしてちょい早めランチで元同僚既婚者・巨乳さん。ふたりの定番、湖南料理。共通の友人の噂話をしたり、尖閣問題について語ったり、中国語学習法を教わったり。上海移住して半年くらいで普通に普通の会話こなしてたもんなあ…いろいろあるけど、その部分は少なくともとても尊敬しています。
そして宿移動。最初にとった宿はいろいろあって出なければいけなかったので、もっと空港よりの宿を探して…ということで、いったん宿に戻り、タクシーで新しい宿に。確かに空港に近いんだけど、市内には遠すぎるほど遠いのよね…まあしょうがないんだけど。
夕飯は20人以上集まった火鍋会。日本人中国人半々くらい?かな。日本人のほうが少し多かった?まあそんな感じで、日本人も若くてわりとディープな人が多く、面白い会でした。隣にいたフランスに10年以上住んでて今某ブランドのバイヤーやってますって中国人がものすごくダサい服装&顔&髪型だった(中身はいいやつなんだが)のと、中国人の子が一人異常にかわいかったことがとても印象的でありました。その中国人も日本語ペラペラやしな…ペラペラつうか中国語はなせんの?レベル。なんかたまに出てくるアンさん(あ、この会に誘ってくれたのはアンさんですが)もそうだけど、このレベルでバイリンガルだと強烈だわ…頭の中身はどうあれ勝てる気がしない。
あとは元同業の人とか、カメラマンとか、いろんな人とかなりディープに話してました。みんな月曜から元気だわ。僕はといえば、2時過ぎまで残った最後の人たちと4人くらいでダラダラのみ、もう飲めねえと思ってタクシーで帰りましたよ。やあ、運ばれる途中で吐きそうになって「高速道路走行中のタクシーの扉あけてさりげなく吐く」とかいう高等技術を使いそうになりました…寝逃げたけど。さすがに運ちゃんに言葉がほとんど通じない国で車内で吐いたりするのはあり得ない…。
いつもアンさんはものすごい適当な場所とか集団に僕を連れていくので、連れて行かれるとよくわからないけど緊張を強いられて、でもそれが楽しかったりするのよね。自分の知らない世界にいくことはいつだってストレスだけど、それが楽しみにも変わる(こともある)。理屈では知ってるけど、それを飲み込んで踏み出すのは案外難しいことだよ。前回の北京路上飲みも言葉通じなかったけど楽しかったなーとか思いながら、中国語学習意欲に一層火が付きました。言葉喋れれば世界広がるよ。しかも僕には幸運なことにこうやって使う機会があるわけだから、覚える意味があるのよ。普通の人中国語なんて勉強したってビジネス以外で使う場なんてなかなかないのにさ。
次の日案の定?起きれなくて飛行機逃しかけて死にたくなったのはまた別の話…新しい縁もあったし、また近々いけるといいな上海。
この旅行の初めまして;20くらい?名刺交換で10人、残りそうにディープなやり取りしたのは3人くらいかな。1人とても波長の合う人が拾えたので、それさえあれば成功だと思います。
何度目かよくわからないけど上海に行っていました。一日休んで、土曜から火曜…だけどフライトに結構時間を使うので結局思い切り行動できたのは日曜と月曜だけね。
そのせいか、結構詰まったスケジュールだったように思います。もっと時間ほしいなあ。
ざっと振り返ります。
土曜
朝早く家を出て、初LCC。東京駅からバスに揺られ、茨城空港へ。「当機は只今気流の悪い中を飛行中です」を8回くらい聞きながら、結局浦東に降りられずに虹橋空港へ着陸。普段なら虹橋空港は中心部に近いので喜ばしいんだけど(大雑把にいって羽田と成田みたいな関係なんで)、今回は滞在中の行動範囲考えて浦東の近くに宿をとっていたのでそこから宿まで1時間以上かかることに…。そして適当に前日とった宿は駅から徒歩15分くらいかかるというわりとめんどくさい立地でした。やっぱプラス2000円くらいして知ってるチェーンに泊まったほうがよかったかなあ。ホテルついたら5時すぎてた。
夜は上海生活もうすでに3年くらいになるという友人と香港料理。フライトの遅れ&携帯の通話料カード調達に手間取り、かなり遅刻。申し訳なし。やったら若年層の多い、でもうまい店でした。
二軒目は前回泊まった田子坊というエリアの中のお洒落っぽいバーへ。しかし高い。青島で確か60RMBとか取られて発狂しそうになってたら「いやちょっとしゃれたきたらそんなもんだよ」とかたしなめられた。しかし街中だったら20しないだろ…ていうのはあれな思考ですかね。あ、飲んでたら「いまだにこんなんいるんだ」っていうくらい日本のいなかのおっさんの集団+中国人のおばさんコーディネイターが入ってきて萎えた。いるんだねえ。
そしてこの日の夜は長く、友人と別れて次は近くの別のライターやってる友人宅…の正確には横の部屋で宅飲み。横の部屋って何よ…って、ひどい話なんだけど彼が住んでいるマンションは2部屋でひとつ扉があって、その中でそれぞれの個室があるタイプ(というか多分2部屋あるひとつの物件を無理やり分割して貸出し)で、その対になってる隣の物件が空いてるっていうんでね…いや普通隣人だからって別に鍵とかもってなくね?ってつっこんだら「以前鍵を何かの都合で預かった時に合鍵屋へすぐ…ね…?」っておいおい。まあ客観的に言ってくずですね。主観的に言っても以下同文でございました。
まあでも隣家は彼の部屋よりは確かに広かった。住人いないからものもないし。多分2時すぎくらいまで飲んで、解散。話の内容もわりとげっすいものばかりだった気がしますが。
日曜
日曜だっていうのに昼前から予定が。というか買い物がこのタイミングしかできない!ということで、まずはわりと近くにある正大広場という巨大モールへ。電波塔の横のかなり目立つ建物です。タイだかどっかに住んでる華僑が作ったと聞きましたが。その地下にあるでかいスーパーを探検して、調味料とかクミン(もちろん日本にもあるけど5元とかで爆安だったから…)を買い込んで、宿戻ったのかな?直接だったかも。ランチへ。
この日のランチは北京で就職した南京人(複雑)の子。年末東京で知り合って、ちょいとだけ仕事を手伝ってあげたり、ご飯したりしてまあ少し交流があって、別件で教えてもらいたいことがあって出発前にメールして「実は週末上海いくんだよね~」とか書いといたら「実は研修で週末上海いるんですよ」とか返ってきて。あまり北京から外に出ない仕事なのにすごい偶然で、思わぬ上海での再会となりました。なんか日式のすき焼もどきを食べたりしました。
この子は別に日本が大好きってわけでもないのに5,6年日本にいたのかな?なんで、あまり北京でも日本語コミュニティに触れていないらしく「日本語使うの久しぶり!」とかいって早速ギリシャがわからなかったり、相当危なくなっていました。まあ言葉なんて使わなかったら絶対衰えるよね…。まあ英語も上手なので、数年経ってしゃべれなくなってたら英語にしましょう。この子はテレビ局、しかも相当いい所に就職したので先が楽しみです…って言い方はあれかなあ、でもまあ本音。仕事でどうのとかはないと思うけど、面白い話聞かせてくれそう。
ランチ後はどこ行ったんだろう…とりあえず中国銀行に口座を作りに行ったらさんざか待たされた挙句拒否されたのはおぼえてる。ありゃあっちの英語の問題なんだけど言葉が通じないから指摘もできず。あれ、これ月曜だっけ?
夕方は某所を見学ののち、由子先生&某所関係者で雲南料理。すごくいい!という話といやいや、という話を両方きいてたんで心配してたんだけど、よかった。西洋人寄りの人がすごく良い!というのがとてもよくわかった場所でした。わりと高いけど僕は好きです。とかいって3人でワイン2本まるまる空けてりゃそりゃ高くもなるよね…。高いといっても一人400RMB(5500円くらい?)とかそんなもん。
食べた後は由子先生と撮影をしに電波塔近くへ。撮っていたら2300だったからか電気がきえてしまい、ちょっとしょんぼりでした。
月曜
朝ちょっと寝坊の後、茶市場。本当はいろいろほしかったんだけど交渉する時間も気力もまったくないので(というか上海ではデフォルトで二日酔いなのでだるい)日本語を話せるけどあーこれぼられてんなあという店でとりあえずさっと購入だけ。またきたいなあ。茶器とかじっくりみたかった。
そしてちょい早めランチで元同僚既婚者・巨乳さん。ふたりの定番、湖南料理。共通の友人の噂話をしたり、尖閣問題について語ったり、中国語学習法を教わったり。上海移住して半年くらいで普通に普通の会話こなしてたもんなあ…いろいろあるけど、その部分は少なくともとても尊敬しています。
そして宿移動。最初にとった宿はいろいろあって出なければいけなかったので、もっと空港よりの宿を探して…ということで、いったん宿に戻り、タクシーで新しい宿に。確かに空港に近いんだけど、市内には遠すぎるほど遠いのよね…まあしょうがないんだけど。
夕飯は20人以上集まった火鍋会。日本人中国人半々くらい?かな。日本人のほうが少し多かった?まあそんな感じで、日本人も若くてわりとディープな人が多く、面白い会でした。隣にいたフランスに10年以上住んでて今某ブランドのバイヤーやってますって中国人がものすごくダサい服装&顔&髪型だった(中身はいいやつなんだが)のと、中国人の子が一人異常にかわいかったことがとても印象的でありました。その中国人も日本語ペラペラやしな…ペラペラつうか中国語はなせんの?レベル。なんかたまに出てくるアンさん(あ、この会に誘ってくれたのはアンさんですが)もそうだけど、このレベルでバイリンガルだと強烈だわ…頭の中身はどうあれ勝てる気がしない。
あとは元同業の人とか、カメラマンとか、いろんな人とかなりディープに話してました。みんな月曜から元気だわ。僕はといえば、2時過ぎまで残った最後の人たちと4人くらいでダラダラのみ、もう飲めねえと思ってタクシーで帰りましたよ。やあ、運ばれる途中で吐きそうになって「高速道路走行中のタクシーの扉あけてさりげなく吐く」とかいう高等技術を使いそうになりました…寝逃げたけど。さすがに運ちゃんに言葉がほとんど通じない国で車内で吐いたりするのはあり得ない…。
いつもアンさんはものすごい適当な場所とか集団に僕を連れていくので、連れて行かれるとよくわからないけど緊張を強いられて、でもそれが楽しかったりするのよね。自分の知らない世界にいくことはいつだってストレスだけど、それが楽しみにも変わる(こともある)。理屈では知ってるけど、それを飲み込んで踏み出すのは案外難しいことだよ。前回の北京路上飲みも言葉通じなかったけど楽しかったなーとか思いながら、中国語学習意欲に一層火が付きました。言葉喋れれば世界広がるよ。しかも僕には幸運なことにこうやって使う機会があるわけだから、覚える意味があるのよ。普通の人中国語なんて勉強したってビジネス以外で使う場なんてなかなかないのにさ。
次の日案の定?起きれなくて飛行機逃しかけて死にたくなったのはまた別の話…新しい縁もあったし、また近々いけるといいな上海。
この旅行の初めまして;20くらい?名刺交換で10人、残りそうにディープなやり取りしたのは3人くらいかな。1人とても波長の合う人が拾えたので、それさえあれば成功だと思います。
相変わらず沢山の人と会う / 新しい=いいこと? / 楽しい人生
2012年7月8日 日常 今週も二回、飲み会。一つは送別会で、もう一つはパーティ。そして来週は上海なので確実に宴会続き…
なんか「パーティ」って日本にない言葉だよね、ってよく言われるけど、そもそも(というつなぎ方は言葉として卑怯か?)自分の友達同士を引き合わせるってことをしないよね日本人は、ってなことを僕は時々書いている気がしているけど、まあそりゃそういうことしなきゃパーティは成り立たないのです。
そもそも単なる飲み会と僕が「パーティ」と呼んでいる何かの違いっていうのが飛び入り(というか友人の持ち込み)可かどうか、ということなのでこの質問は自己言及…あれ言葉違うかな、まあそんな感じだと思うんですが。
PC変わってキーボードが一層安っぽくなったのでとても打鍵しにくいです。
まあそんな定義でいうところのパーティが多いのです、最近。つまり、参加者のほぼ全員…というまではいかなくても、半分くらいははじめましてな会。年齢のせいもあるのかな?お友達自慢したい症候群にかかりだす年頃なんでしょうか。あと居酒屋とかでやってるとパーティ感でないよねどうしても…とこの辺はまったく本質的ではないのは自覚していますが、雰囲気的に。
で、送別会とわざわざ書いたように、金曜は某ちっちゃなレコード会社の営業が辞めるというので集まってみました。あんま大人数じゃなかったけど、まあそんなものでしょう。しかし割と勢い自体はあるはずの某社、営業専任がこれでいなくなるんですが大丈夫でしょうか。しったこっちゃないですが。しかも辞めた原因が「ある日経理の手違いで全員の給与明細が見えるところにあって、経営者一族だけがあほみたいにもらって、逆に年はかなり上の人の給料が自分と大差なかったので絶望した」という…会社側の完全なミスですね。ってかうちの会社にもおもいっきりありそうというかぜってえあるだろ、って状態でかなしいです。逆に言えばお前(営業さんね)そんなことも知らんで社員やってたのかという…それは残念ながら一番最初に諦めなきゃいけないところでしょう。いや、えらそうに言うことじゃないし、そっちのほうが賢い選択だとは思うけど。営業氏はまったく別の業界にいくようですが、音大出てレコード会社で営業やってた人間が若いとはいえまともな会社で生きていけるのか…ま、なんにせよ頑張ってください。
あっそうそう、この飲み会の場では時々顔を合わせるヲタクの人からいいアイディアをもらいました。やっぱ別の事にも共通するかもしれないけど、きっちり一本筋が通ってるというかヲタな人ってバカにされがちだけど本当に尊敬できるよね。なんていうかそれなりにそれだけヲタライフが続くというのは理由があるし、だから話していても納得感を得られる。この業界「好き」とだけ言って何も知らない人が案外多いと思うんだけど、弊社に一人いる人にしろこのヲタさんにしろ、一般的に付き合いたい相手かというとあれだけど、尊敬はします。刺激受けますわ。
…とか送別会とか言ってるのに来週水曜日も別の方面でおんなじ人の送別会があるんですけどね笑。
土曜七夕は幼馴染の元カノにして香港を共に旅した?ギミーさん主催の七夕会。なんか3月くらいだっけ、僕がやったパーティに触発されたんだかなんだかで突然やりたい!といいだし、結局30人以上集めてしまいました。まあほぼ集中治療室大学系だったけど、その香港の時以来会った人がいたりとか、ぽろぽろとギミーさんを介して会っているけどあーこの人とこの人は知り合いだったのか、とかそういうのがあって面白かったです。台所がついてる家的な何かを借りたんだけど結構男子も料理するし片づけるし、やっぱ独特な雰囲気ありますよね集中治療室…というより単に外国在住経験者が多いってだけなんでしょうけれども。そうなると(いやらしい話)所得や教育程度だって高いだろうしちゃんとしつけられてるだろうしねえ…なあんて、まあ僕はそういうのからすると微妙ではあるんですが。
外国人は不思議といなかったんだけど、とりあえず英語は当たり前として、多分韓国系の人が混じってた(ちゃんと話してないからわからん)のと、イタリア語とアラビア語とインドネシア語あたりの話者がいることは確認しました。
会は楽しかったけど、やっぱなかなか混ざるのが難しいね。数回会ったって知り合いは多いけど完全外様なんで「同級生の輪」に入れない!まあそれはしょうがないんだろうけど、一緒にいた★さんは会社の後輩をダシにわりとうまくやっとったなあと。
そうそう★さん、なんかよくわからんけど香港でギミーさんと一緒になって以来なぜかお互いに珍妙な点が気に入ったらしく、今回も僕経由じゃなくちゃんとご招待がいったようでその前に直接あわなかったら来ることすら知らなかったくらいの独立っぷり、でもなんか自分を介さないでそうやって友達になってくれるのってうれしいっすね、なんか。別に引き合わせようとしてそうなったわけじゃないにしろ。
そうそう、前々からこういうパーティ的なものにいきたい!と偽名ちゃんがのたまっていたので今回誘ってみたんですよ。残酷なことを言えば彼女がどう名乗るか(もしその場の挨拶だけじゃなく関係を続けたいと思ったら僕が知らない名前を名乗らざるを得ないわけで、それは自分の首を絞めるよね)というのも気になりつつ、まあ普通に偽名ちゃん海外に住んでたしなんとなくエセ外人ノリがわりとあうだろうな、という気持ちもあって。どうせ友達少ないんだろうし。
で、そしたら本当に行く!とか言い出しちゃって仕事まで休んじゃって気合い入れていたようなんですが…ですが、前日に「明日は集中治療室関連が云々」というような客層の話を何の気なしにしたら「ひい・・・やっぱやめときます」みたいな展開に。彼女曰く、なんかそこらへんの年代のあの大学のしかもオケ関係の人には会えないんだとか。行きたい気持ち自体はまだ残ってたようなのでFBにイベントページできてるからそこで来る人チェックすりゃえーやんとかいろいろ焚き付けてみたけど結局だめ…。何をしたんでしょう。
「最悪ひとりならまだいけなくもないけど、道化さんと一緒だと完全にアウト」とか言ってる時点で多分偽名で男に手を出してだまくらかした(ってなんか美人がやりそうなことですが残念ながらこの子は美人ではありません…!)とかそんな話だと思うんだけど…曰く「過去の行いが悪いとこういうことになるんだね」。はあそうですか。まあ、何も言わずに鉢合わせていきなり泣くとか逃げるとか、もしくは男が怒り狂うとかそういう展開を避けられただけでも良しとしましょうよ、ということなのかもしれません。それもそれで宴の余興としては面白かったかもしれないけど…いやでもめんどくせえな自分が連れてきたゲストが当事者になったら相当めんどい。
新しい=いいこと?
非難する、というより、うまくその場で反論できなかったのでメモ。最近社内で打ち合わせをしていて、チラシにQRコードを二個入れたい、と言われたんですよ。で「なんで?」って聞いたら「だって今まであまりそういうのって見たことないでしょ?あたらしくない?」って。
僕はそもそも意外と保守的な部分もあって「新しい」ということにあまり魅力を感じないからそういう所で生理的に気に食わんのかな俺、とか思ってたんだけど、なんかそれでもぬぐえない違和感があって、「新しいとなんでいいの?」ってあほみたいな質問をしてみたら、輪をかけてアホな答え「だって新しいんだよ?」と返ってくるわけです。
そこで絶句してしまいまして。相手の思考にはそれ以上のレイヤーがないわけです。「新しい=良い」以上の理由がないわけで、これってある意味論破するというか納得してもらうのが大変。
冷静に考えればそんなイコールが成り立つわけないんだと思うんだけどそれをわかっていない相手に、相手を傷つけずにそれを伝えるにはどうしたらいいか、それは結構難しいことなんだと思ったわけです。とはいえ、別にこれは相手がバカだという話だけではなくて、このときの相手だって「新しいものは無条件にすべからく絶対に良いものなのか」ときけばそんなはずない、と答えるはず。でも現実にやろうとしている何かについて今まさに考えている状況だとうまく抽象化ができないというか、自分の前の課題が要するにそれを問われているんだ、ということにたどり着けないんですね。
世の中で起きている事はこないだの社会科学について書いたエントリと同じような話になるけど、ものすごいいろんなパラメータが組み合わさっていて、そこに正しく(でもなるべく時間をかけずに)優先順位が付けられないと小さい違いがやたら気になって今まで過去に起こったことのない事象だ!と思えてきたりとか(これどっかで書いたっけ?「自分の業界の特殊性を言い募る病」ってのは多分これが原因ね)、逆に大きな違いを見逃してしまって何かまったく別の種類のものをアナロジーとして使って大きな絵図を間違って読み解いてしまったりとか。
そして、問いを抽象化・単純化できれば、その判断はあまり能力に左右されないと思う。その時点で答えは出ていることが多い気がする。さっきの「新しいことはいいことか」みたいな話で、誰にでもそれが正しいかどうかはわかる。でもそこまで行くまでの優先順位の付け方で、人の能力はとてもよく出る気がするわけ。そして、その付け方には人によっていろいろな考え方があるし、正解がその時点でわかるものではなかったりする。
だから「設定する問いが違う」ということはあり得る。その部分を議論するのはとても理にかなっているというか建設的だと思うんだけど…
まあいいや、とりあえず話を戻すと僕はとっさにその時「2個が新しいという理由でやろうというのなら10個とか100個付ければいいんじゃない?2個より新しいしさらに誰もやったことないと思うからそっちのほうがいいじゃん」って言ったんです。この話のバカらしさが伝わるかと思って。そしたらその場にいた人は鼻で笑う感じになってしまってなんか「議論の本質じゃないよねそれ」みたいな流れに。いやっていうか笑いたいの俺なんだけど、というのはともかく僕は確かに説得に失敗したのでした…。問題となる部分を誇張することで何が問題かわかりやすくする、という手法のつもりだったんだけど。
その時どう言えばよかったのかな、ということを今日いろいろ考えていて、至ったのが「新しさは単独では意味をなさない」という言い方。新しさは確かに目を引くとか受け入れてもらえることの重大な一つの要素だと思う。それは確か。
でも、それはあくまで「いいアイディア+誰もやったことがない」でこそ機能するんだよね。いいアイディアも逆に新しさがなかったら全然いいアイディアじゃないわけで、そこに新しさがあるからこそいい。でも使い古した手法はいくら目を引くように思えるものでも陳腐化しちゃってるから意味がない。だからこそこの二つは常に両方を満たすべきだ、というような。
ま、説明の仕方としてはきれいなんだけどこの説明って実は詭弁(という表現でいいのかな)で、いいアイディアって必ず何らかの要素において新しいんだよね。だから「いいアイディア+誰もやったことがない」だなんてわざわざ二つの要素に分解する必要なんかない。だって意外性がなかったらいいアイディアだなんて誰も思わないもん。
逆に誰もやったことがないけど実は単に「結果が見えてるから誰もやらないだけ」っていうことは腐るほどある。上の例におけるQRコード100個、みたいな。あ、ここでは言及しないけど、全く別の話でアイディアを膨らますにはばかばかしいくらい極端に一個のパラメータをいじってみる、という方法はあって、QRコードだって100個も並べればそれはそれで違う意味で面白さが出たりするんだけど(たとえばそのうち1個だけ当たりにしちゃうとか、何個かあたりを組み合わせるともらえるプライズが変わるとか)…まあ、それは別の話。
あくまでこういう事を主張した人と余計に争わずに説得するためにはどうすればよかったか、という自分の反省でした。まあ正直相手に関しては頭悪いなあこんなこともわからなくて、とは思います。
で、そこでさらに面倒なのがこういう人ってロジックを否定されるとアウトプットまで否定された気分になっちゃうことなんだよね…というより正確にはロジックを否定してるのにアウトプット否定にすり替えて逃げ(?)ようとする、というのが正しいか。僕は別にQRが2個だろうが1個だろうがどうでもいいんだけど…。ふう。
楽しい人生。
なんかパーティとかで人と知り合う機会が多かったり、改めて考えてみると友人にも結構恵まれてるし、時間もわりと好きに使えるから料理したりもできる。旅行にもかなりの頻度で行っている。実家に住んでいるから金がかからなくて好きなことに金が使えて、結婚してもいないし子供もいないから義務もとても少ない。収入が低い以外はいまってとても恵まれているんじゃないかと思ったですよ、突然。
この先もそう。上記のうちいくつかのアドバンテージはなくなっていくけど、逆に収入だって今と比べりゃさすがにちぴっとはあがるだろうし、仕事における自分の裁量権も増えていくだろう。そういう事を考えると、金はなくてもハッピーでそこそこ文化的、つまり普通からすれば普通にうらやましいであろう生活をこの職業でも送っていけるんだろうなと。もちろん金だけが人生ではないけど、それがないのも暗すぎる。どうすりゃいいんだろうねえ…
といったことを、このごろ常に考えている気がする。選択肢としては普通の業界に戻るというのと今の業界で我慢(?)するかというのと2つが常にうろうろしているんだけど、よく考えてみるとたとえば今の業界でだってうまく儲ける方法を見つければそれでいいわけだし、ダブルインカム狙ってみてもいいのかもしれない(この業界わりと一般的な気がする)。会社の仕事しながら個人事業主みたいな話ね。まーそりゃ理想論というか「できるならだれでもその道選ぶだろ」ってことなのかもしれないけどね…。ま、引き続き考えましょう。
今週の初めまして:10くらい?FBのお友達数は3人くらいしか増えてません。要するに他とはほぼ再会する可能性ないってこと。
なんか「パーティ」って日本にない言葉だよね、ってよく言われるけど、そもそも(というつなぎ方は言葉として卑怯か?)自分の友達同士を引き合わせるってことをしないよね日本人は、ってなことを僕は時々書いている気がしているけど、まあそりゃそういうことしなきゃパーティは成り立たないのです。
そもそも単なる飲み会と僕が「パーティ」と呼んでいる何かの違いっていうのが飛び入り(というか友人の持ち込み)可かどうか、ということなのでこの質問は自己言及…あれ言葉違うかな、まあそんな感じだと思うんですが。
PC変わってキーボードが一層安っぽくなったのでとても打鍵しにくいです。
まあそんな定義でいうところのパーティが多いのです、最近。つまり、参加者のほぼ全員…というまではいかなくても、半分くらいははじめましてな会。年齢のせいもあるのかな?お友達自慢したい症候群にかかりだす年頃なんでしょうか。あと居酒屋とかでやってるとパーティ感でないよねどうしても…とこの辺はまったく本質的ではないのは自覚していますが、雰囲気的に。
で、送別会とわざわざ書いたように、金曜は某ちっちゃなレコード会社の営業が辞めるというので集まってみました。あんま大人数じゃなかったけど、まあそんなものでしょう。しかし割と勢い自体はあるはずの某社、営業専任がこれでいなくなるんですが大丈夫でしょうか。しったこっちゃないですが。しかも辞めた原因が「ある日経理の手違いで全員の給与明細が見えるところにあって、経営者一族だけがあほみたいにもらって、逆に年はかなり上の人の給料が自分と大差なかったので絶望した」という…会社側の完全なミスですね。ってかうちの会社にもおもいっきりありそうというかぜってえあるだろ、って状態でかなしいです。逆に言えばお前(営業さんね)そんなことも知らんで社員やってたのかという…それは残念ながら一番最初に諦めなきゃいけないところでしょう。いや、えらそうに言うことじゃないし、そっちのほうが賢い選択だとは思うけど。営業氏はまったく別の業界にいくようですが、音大出てレコード会社で営業やってた人間が若いとはいえまともな会社で生きていけるのか…ま、なんにせよ頑張ってください。
あっそうそう、この飲み会の場では時々顔を合わせるヲタクの人からいいアイディアをもらいました。やっぱ別の事にも共通するかもしれないけど、きっちり一本筋が通ってるというかヲタな人ってバカにされがちだけど本当に尊敬できるよね。なんていうかそれなりにそれだけヲタライフが続くというのは理由があるし、だから話していても納得感を得られる。この業界「好き」とだけ言って何も知らない人が案外多いと思うんだけど、弊社に一人いる人にしろこのヲタさんにしろ、一般的に付き合いたい相手かというとあれだけど、尊敬はします。刺激受けますわ。
…とか送別会とか言ってるのに来週水曜日も別の方面でおんなじ人の送別会があるんですけどね笑。
土曜七夕は幼馴染の元カノにして香港を共に旅した?ギミーさん主催の七夕会。なんか3月くらいだっけ、僕がやったパーティに触発されたんだかなんだかで突然やりたい!といいだし、結局30人以上集めてしまいました。まあほぼ集中治療室大学系だったけど、その香港の時以来会った人がいたりとか、ぽろぽろとギミーさんを介して会っているけどあーこの人とこの人は知り合いだったのか、とかそういうのがあって面白かったです。台所がついてる家的な何かを借りたんだけど結構男子も料理するし片づけるし、やっぱ独特な雰囲気ありますよね集中治療室…というより単に外国在住経験者が多いってだけなんでしょうけれども。そうなると(いやらしい話)所得や教育程度だって高いだろうしちゃんとしつけられてるだろうしねえ…なあんて、まあ僕はそういうのからすると微妙ではあるんですが。
外国人は不思議といなかったんだけど、とりあえず英語は当たり前として、多分韓国系の人が混じってた(ちゃんと話してないからわからん)のと、イタリア語とアラビア語とインドネシア語あたりの話者がいることは確認しました。
会は楽しかったけど、やっぱなかなか混ざるのが難しいね。数回会ったって知り合いは多いけど完全外様なんで「同級生の輪」に入れない!まあそれはしょうがないんだろうけど、一緒にいた★さんは会社の後輩をダシにわりとうまくやっとったなあと。
そうそう★さん、なんかよくわからんけど香港でギミーさんと一緒になって以来なぜかお互いに珍妙な点が気に入ったらしく、今回も僕経由じゃなくちゃんとご招待がいったようでその前に直接あわなかったら来ることすら知らなかったくらいの独立っぷり、でもなんか自分を介さないでそうやって友達になってくれるのってうれしいっすね、なんか。別に引き合わせようとしてそうなったわけじゃないにしろ。
そうそう、前々からこういうパーティ的なものにいきたい!と偽名ちゃんがのたまっていたので今回誘ってみたんですよ。残酷なことを言えば彼女がどう名乗るか(もしその場の挨拶だけじゃなく関係を続けたいと思ったら僕が知らない名前を名乗らざるを得ないわけで、それは自分の首を絞めるよね)というのも気になりつつ、まあ普通に偽名ちゃん海外に住んでたしなんとなくエセ外人ノリがわりとあうだろうな、という気持ちもあって。どうせ友達少ないんだろうし。
で、そしたら本当に行く!とか言い出しちゃって仕事まで休んじゃって気合い入れていたようなんですが…ですが、前日に「明日は集中治療室関連が云々」というような客層の話を何の気なしにしたら「ひい・・・やっぱやめときます」みたいな展開に。彼女曰く、なんかそこらへんの年代のあの大学のしかもオケ関係の人には会えないんだとか。行きたい気持ち自体はまだ残ってたようなのでFBにイベントページできてるからそこで来る人チェックすりゃえーやんとかいろいろ焚き付けてみたけど結局だめ…。何をしたんでしょう。
「最悪ひとりならまだいけなくもないけど、道化さんと一緒だと完全にアウト」とか言ってる時点で多分偽名で男に手を出してだまくらかした(ってなんか美人がやりそうなことですが残念ながらこの子は美人ではありません…!)とかそんな話だと思うんだけど…曰く「過去の行いが悪いとこういうことになるんだね」。はあそうですか。まあ、何も言わずに鉢合わせていきなり泣くとか逃げるとか、もしくは男が怒り狂うとかそういう展開を避けられただけでも良しとしましょうよ、ということなのかもしれません。それもそれで宴の余興としては面白かったかもしれないけど…いやでもめんどくせえな自分が連れてきたゲストが当事者になったら相当めんどい。
新しい=いいこと?
非難する、というより、うまくその場で反論できなかったのでメモ。最近社内で打ち合わせをしていて、チラシにQRコードを二個入れたい、と言われたんですよ。で「なんで?」って聞いたら「だって今まであまりそういうのって見たことないでしょ?あたらしくない?」って。
僕はそもそも意外と保守的な部分もあって「新しい」ということにあまり魅力を感じないからそういう所で生理的に気に食わんのかな俺、とか思ってたんだけど、なんかそれでもぬぐえない違和感があって、「新しいとなんでいいの?」ってあほみたいな質問をしてみたら、輪をかけてアホな答え「だって新しいんだよ?」と返ってくるわけです。
そこで絶句してしまいまして。相手の思考にはそれ以上のレイヤーがないわけです。「新しい=良い」以上の理由がないわけで、これってある意味論破するというか納得してもらうのが大変。
冷静に考えればそんなイコールが成り立つわけないんだと思うんだけどそれをわかっていない相手に、相手を傷つけずにそれを伝えるにはどうしたらいいか、それは結構難しいことなんだと思ったわけです。とはいえ、別にこれは相手がバカだという話だけではなくて、このときの相手だって「新しいものは無条件にすべからく絶対に良いものなのか」ときけばそんなはずない、と答えるはず。でも現実にやろうとしている何かについて今まさに考えている状況だとうまく抽象化ができないというか、自分の前の課題が要するにそれを問われているんだ、ということにたどり着けないんですね。
世の中で起きている事はこないだの社会科学について書いたエントリと同じような話になるけど、ものすごいいろんなパラメータが組み合わさっていて、そこに正しく(でもなるべく時間をかけずに)優先順位が付けられないと小さい違いがやたら気になって今まで過去に起こったことのない事象だ!と思えてきたりとか(これどっかで書いたっけ?「自分の業界の特殊性を言い募る病」ってのは多分これが原因ね)、逆に大きな違いを見逃してしまって何かまったく別の種類のものをアナロジーとして使って大きな絵図を間違って読み解いてしまったりとか。
そして、問いを抽象化・単純化できれば、その判断はあまり能力に左右されないと思う。その時点で答えは出ていることが多い気がする。さっきの「新しいことはいいことか」みたいな話で、誰にでもそれが正しいかどうかはわかる。でもそこまで行くまでの優先順位の付け方で、人の能力はとてもよく出る気がするわけ。そして、その付け方には人によっていろいろな考え方があるし、正解がその時点でわかるものではなかったりする。
だから「設定する問いが違う」ということはあり得る。その部分を議論するのはとても理にかなっているというか建設的だと思うんだけど…
まあいいや、とりあえず話を戻すと僕はとっさにその時「2個が新しいという理由でやろうというのなら10個とか100個付ければいいんじゃない?2個より新しいしさらに誰もやったことないと思うからそっちのほうがいいじゃん」って言ったんです。この話のバカらしさが伝わるかと思って。そしたらその場にいた人は鼻で笑う感じになってしまってなんか「議論の本質じゃないよねそれ」みたいな流れに。いやっていうか笑いたいの俺なんだけど、というのはともかく僕は確かに説得に失敗したのでした…。問題となる部分を誇張することで何が問題かわかりやすくする、という手法のつもりだったんだけど。
その時どう言えばよかったのかな、ということを今日いろいろ考えていて、至ったのが「新しさは単独では意味をなさない」という言い方。新しさは確かに目を引くとか受け入れてもらえることの重大な一つの要素だと思う。それは確か。
でも、それはあくまで「いいアイディア+誰もやったことがない」でこそ機能するんだよね。いいアイディアも逆に新しさがなかったら全然いいアイディアじゃないわけで、そこに新しさがあるからこそいい。でも使い古した手法はいくら目を引くように思えるものでも陳腐化しちゃってるから意味がない。だからこそこの二つは常に両方を満たすべきだ、というような。
ま、説明の仕方としてはきれいなんだけどこの説明って実は詭弁(という表現でいいのかな)で、いいアイディアって必ず何らかの要素において新しいんだよね。だから「いいアイディア+誰もやったことがない」だなんてわざわざ二つの要素に分解する必要なんかない。だって意外性がなかったらいいアイディアだなんて誰も思わないもん。
逆に誰もやったことがないけど実は単に「結果が見えてるから誰もやらないだけ」っていうことは腐るほどある。上の例におけるQRコード100個、みたいな。あ、ここでは言及しないけど、全く別の話でアイディアを膨らますにはばかばかしいくらい極端に一個のパラメータをいじってみる、という方法はあって、QRコードだって100個も並べればそれはそれで違う意味で面白さが出たりするんだけど(たとえばそのうち1個だけ当たりにしちゃうとか、何個かあたりを組み合わせるともらえるプライズが変わるとか)…まあ、それは別の話。
あくまでこういう事を主張した人と余計に争わずに説得するためにはどうすればよかったか、という自分の反省でした。まあ正直相手に関しては頭悪いなあこんなこともわからなくて、とは思います。
で、そこでさらに面倒なのがこういう人ってロジックを否定されるとアウトプットまで否定された気分になっちゃうことなんだよね…というより正確にはロジックを否定してるのにアウトプット否定にすり替えて逃げ(?)ようとする、というのが正しいか。僕は別にQRが2個だろうが1個だろうがどうでもいいんだけど…。ふう。
楽しい人生。
なんかパーティとかで人と知り合う機会が多かったり、改めて考えてみると友人にも結構恵まれてるし、時間もわりと好きに使えるから料理したりもできる。旅行にもかなりの頻度で行っている。実家に住んでいるから金がかからなくて好きなことに金が使えて、結婚してもいないし子供もいないから義務もとても少ない。収入が低い以外はいまってとても恵まれているんじゃないかと思ったですよ、突然。
この先もそう。上記のうちいくつかのアドバンテージはなくなっていくけど、逆に収入だって今と比べりゃさすがにちぴっとはあがるだろうし、仕事における自分の裁量権も増えていくだろう。そういう事を考えると、金はなくてもハッピーでそこそこ文化的、つまり普通からすれば普通にうらやましいであろう生活をこの職業でも送っていけるんだろうなと。もちろん金だけが人生ではないけど、それがないのも暗すぎる。どうすりゃいいんだろうねえ…
といったことを、このごろ常に考えている気がする。選択肢としては普通の業界に戻るというのと今の業界で我慢(?)するかというのと2つが常にうろうろしているんだけど、よく考えてみるとたとえば今の業界でだってうまく儲ける方法を見つければそれでいいわけだし、ダブルインカム狙ってみてもいいのかもしれない(この業界わりと一般的な気がする)。会社の仕事しながら個人事業主みたいな話ね。まーそりゃ理想論というか「できるならだれでもその道選ぶだろ」ってことなのかもしれないけどね…。ま、引き続き考えましょう。
今週の初めまして:10くらい?FBのお友達数は3人くらいしか増えてません。要するに他とはほぼ再会する可能性ないってこと。
たくさんの人に会う(追記)
2012年7月1日 日常 今週はやたら沢山の人に会う週だった。水曜?にはイギョウシュコウリュウカイ、土曜昼はBBQで夜はなんかよくわからん集まり。なんてリア充。
水曜はなんというか、僕史上多分胡散臭いランキング最上位に近い、胡散臭い会。そもそもが以前怪しい異業種交流会(http://42583.diarynote.jp/201202270103325644/)で会った新聞記者から「美人女医姉妹とXX(社名)とAKB似のピアニストが来る云々」などと釣られてついつい行ったわけです。多分ピアニストって所でクラシック関係のやつと会ったな~って思い出してもらったんでしょう。
まず主催が色々とガンガン行くと言われている某外資系保険会社の50代のおっさんで会場が銀座のレストラン、しかもそこはビルのてっぺんで多分ビルオーナーの趣味だけで作られたような物件でしかもギャラリー併設…ロートレックの真作だったらン千万単位にはなるだろうという誰でも見たことのある絵が飾ってあったりして、もうこれ見ただけでそのギラギラ具合にワクワクするか吐き気を覚えるかどっちかでしょう、といった感じ。
そして冒頭からいきなり某大臣の秘書がマイク握ってご挨拶をし始めたりしてもうあんたもドサ回り大変だなといった。なんか数人が必ず毎回余興やご挨拶をしているらしく、他にもいろんな人がやってましたね。
参加者はわりと年齢が高く、一流企業の人といっちゃあわるいがなんでそこにいるかよくわからん起業系、あと本当に何で食ってるかわからん数人が混在。面白いけどなんかこう、どう広げていいかわからない会ではありました。自分の突撃力も足りんのか。しかし結局二次会で新聞記者氏と終電まで飲んでた間の話が一番面白かったような。事件の裏話とかね。あと一次会に関しては改めて新聞記者氏の人を巻き込む能力というか接客技術の高さに驚き、でした。
土曜は指揮者氏に誘われ、なぜか昔所属していたオケの関係のBBQ。いまでもなんで誘われたかよくわからん。まあ内容はどうでもいいとして、会計が6000円。出てきたものを勝手に焼くBBQで飲み放題とはいえこの値段っていい商売だよな...
この事とリンクしているとは言いたくはないんだけど、随分昔から思っていることのひとつである「何で食に興味がない人ほど金をどぶに捨てるような食い方をするのか」ってのを思い出した。この表現正しいかな?まあ一番わかりやすいのは赤系の居酒屋とかなんだけど、ああいうところって大して食ってもいないのに会計見てみると4000円とか5000円とか、ざらじゃないですか。そんだけ金だせばこんなところでゴミみたいな飯食ってないでもちょっとちゃんとした店で食えるんじゃないの?ってやつ。コンビニも一緒ね。
それなのにそういう所に行く人は僕に「お前はいい店で高い飯食って」とか言ったりする。俺ランチに6000円なんて払ったこと多分ないよ...。まあそういう人は「知らないだけ」な気もするんだけど、そういう分断が恐ろしいよねえ。あ、別に居酒屋に存在価値がないって言いたいわけじゃないよ。まあ多くの場合あそこを使う意味はないと思うけど、例えば昨日の二次会みたいに荒れる(騒がしい)のがわかってる場合なんかにはいい。大人数でグダグダやるにも、座敷ってのはとてもいい。椅子じゃないから交流しやすいしね。でもねえ...。ちなみにBBQで出てきた肉はクズ肉で、海産物は臭くて食えたもんじゃなかったです。あんだけ原価抑えてしかも飲み放題とかって表に丸見えな感じでペットボトルから注いだものだけ出してりゃ良いって相当いい商売だよね。自分らで川原でやったら多分2000円くらいでできました。
適度なところでBBQから消滅し、漫画喫茶で休憩の後、夜の会へ。夜の会は前述の新聞記者氏の友人の会で完全プライベート。一応その中の一人の送別会だったけど初対面という笑。なんかよくわからんけど面白い集まりでした。なんだろ、同じくらいの年の人が多く、それでなんも利害関係なくサークル的なノリで適当にだらだら飲むという...ある意味珍しい集まりな気がしました。あんまり上手に絡めなかったけど、こういうのもいいな。普通のメーカー、SE、キックボクサー、記者、PR屋(元同業やんw)、etc,etc。朝までコースだったっぽいので昼からだった僕は終電で離脱。
今週のはじめまして:恐らく30くらい。
来週も既に3件夜アポで、一件はパーティ。まあ仕事暇だしね(ラッシュがないだけで内容は結構つまってるんだけど)。
水曜はなんというか、僕史上多分胡散臭いランキング最上位に近い、胡散臭い会。そもそもが以前怪しい異業種交流会(http://42583.diarynote.jp/201202270103325644/)で会った新聞記者から「美人女医姉妹とXX(社名)とAKB似のピアニストが来る云々」などと釣られてついつい行ったわけです。多分ピアニストって所でクラシック関係のやつと会ったな~って思い出してもらったんでしょう。
まず主催が色々とガンガン行くと言われている某外資系保険会社の50代のおっさんで会場が銀座のレストラン、しかもそこはビルのてっぺんで多分ビルオーナーの趣味だけで作られたような物件でしかもギャラリー併設…ロートレックの真作だったらン千万単位にはなるだろうという誰でも見たことのある絵が飾ってあったりして、もうこれ見ただけでそのギラギラ具合にワクワクするか吐き気を覚えるかどっちかでしょう、といった感じ。
そして冒頭からいきなり某大臣の秘書がマイク握ってご挨拶をし始めたりしてもうあんたもドサ回り大変だなといった。なんか数人が必ず毎回余興やご挨拶をしているらしく、他にもいろんな人がやってましたね。
参加者はわりと年齢が高く、一流企業の人といっちゃあわるいがなんでそこにいるかよくわからん起業系、あと本当に何で食ってるかわからん数人が混在。面白いけどなんかこう、どう広げていいかわからない会ではありました。自分の突撃力も足りんのか。しかし結局二次会で新聞記者氏と終電まで飲んでた間の話が一番面白かったような。事件の裏話とかね。あと一次会に関しては改めて新聞記者氏の人を巻き込む能力というか接客技術の高さに驚き、でした。
土曜は指揮者氏に誘われ、なぜか昔所属していたオケの関係のBBQ。いまでもなんで誘われたかよくわからん。まあ内容はどうでもいいとして、会計が6000円。出てきたものを勝手に焼くBBQで飲み放題とはいえこの値段っていい商売だよな...
この事とリンクしているとは言いたくはないんだけど、随分昔から思っていることのひとつである「何で食に興味がない人ほど金をどぶに捨てるような食い方をするのか」ってのを思い出した。この表現正しいかな?まあ一番わかりやすいのは赤系の居酒屋とかなんだけど、ああいうところって大して食ってもいないのに会計見てみると4000円とか5000円とか、ざらじゃないですか。そんだけ金だせばこんなところでゴミみたいな飯食ってないでもちょっとちゃんとした店で食えるんじゃないの?ってやつ。コンビニも一緒ね。
それなのにそういう所に行く人は僕に「お前はいい店で高い飯食って」とか言ったりする。俺ランチに6000円なんて払ったこと多分ないよ...。まあそういう人は「知らないだけ」な気もするんだけど、そういう分断が恐ろしいよねえ。あ、別に居酒屋に存在価値がないって言いたいわけじゃないよ。まあ多くの場合あそこを使う意味はないと思うけど、例えば昨日の二次会みたいに荒れる(騒がしい)のがわかってる場合なんかにはいい。大人数でグダグダやるにも、座敷ってのはとてもいい。椅子じゃないから交流しやすいしね。でもねえ...。ちなみにBBQで出てきた肉はクズ肉で、海産物は臭くて食えたもんじゃなかったです。あんだけ原価抑えてしかも飲み放題とかって表に丸見えな感じでペットボトルから注いだものだけ出してりゃ良いって相当いい商売だよね。自分らで川原でやったら多分2000円くらいでできました。
適度なところでBBQから消滅し、漫画喫茶で休憩の後、夜の会へ。夜の会は前述の新聞記者氏の友人の会で完全プライベート。一応その中の一人の送別会だったけど初対面という笑。なんかよくわからんけど面白い集まりでした。なんだろ、同じくらいの年の人が多く、それでなんも利害関係なくサークル的なノリで適当にだらだら飲むという...ある意味珍しい集まりな気がしました。あんまり上手に絡めなかったけど、こういうのもいいな。普通のメーカー、SE、キックボクサー、記者、PR屋(元同業やんw)、etc,etc。朝までコースだったっぽいので昼からだった僕は終電で離脱。
今週のはじめまして:恐らく30くらい。
来週も既に3件夜アポで、一件はパーティ。まあ仕事暇だしね(ラッシュがないだけで内容は結構つまってるんだけど)。
キャリアパスにおける進歩史観の嘘
2012年6月24日 考え事 とかってまたかっこいい書き出しで書いてみますが、いつものように半分寝ながらの日記です。
最近転職が頭をよぎる時に決まって思うのは、「10年後に自分がどうなっていたいか」ということ。多分時間軸がやたら長いのは、ひとつには今の仕事内容にあまり不満がないということがあるんだと思う。そこに気を払わなくていいといえばそうだし、これ以上仕事が面白くて楽、なんてそうそうないと思うから。いやそりゃ全然休みが取れなかったりとかそう言う事はあったりするけど、自分のペースでやれている事が多いからたまにそう言う事あってもそこまではイヤだと思わないのよ(その最中は勿論不満たらたらですけどね)...体調とかがついてこないのはま、しょうがないとして。
しょっぱなから話がそれた。とにかくそんな長い時間軸で考える。それは、多分30代に入ったらそうそう非連続的な転職は無理だろうしその最後のチャンスが今回かな、と思っているからということもあるとおもう。同じ業界内で考えてたら手元の仕事もその先に見えるものもそんな大きなぶれはないだろうしね。
で、その長い時間軸で考えた時のいまの仕事の不満というのが、先が見えないって事なのよね。普通の会社のように最初は駒としてすら使ってもらえなくてひたすら議事録とって数年経ってようやく前線にでて、しばらくしてチームをまとめるようになってさらに10年くらいすると部門長になって...みたいな社内(まあ業界内でもいいや)キャリアパスが見えない。あ、勿論こんなキャリアを辿れる人はそんなにいないのは承知として、でも理想系が見えてるかそうでないかって結構ちがうと思う…。うちの会社なんて別に10年キャリアがあっても仕事変わらないのよね。よく言えば組織がフラットで望めばかなりのことができる、というのは裏返すと面白い仕事をするのに順番待ちをする必要がないと言う事でしょ。
で、じゃあ自分が10年後も似たようなうさんくさいというか短期的な視野の仕事をしてるかと思うと若干うんざりするんですよね...いや、悪くないんだけど同じ仕事してたら給料もかわらんだろうし、いい加減惨めだろうなと。
でもよく考えてみると、自分の周りで10年後にいまよりちゃんと確実に大きな仕事してるだろうな、って人は日系大手にはいった奴ばっかりで、数というか比率もあまり多くないんだろうなと思い至ったんです。専門職っていうとかっこいいけどそれって同じ事を延々とやり続けるってことだしさ。なら、そんな事気にしてもしょうがないのかな、という多数派っぽいものに抱かれて安心感を感じてしまっている今日この頃。
ところで「進歩史観」についてはWikipediaとはてなキーワードが同じ言葉を側面から紹介していて興味深い。というか、はてなで言っているこの意味はWikipediaのものから派生したものだよね...とはいえ、普通はこうした場合比重の違いはあれど両方の意味を書くものだと思うけど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E6%AD%A9%E5%8F%B2%E8%A6%B3
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BF%CA%CA%E2%BB%CB%B4%D1
最近転職が頭をよぎる時に決まって思うのは、「10年後に自分がどうなっていたいか」ということ。多分時間軸がやたら長いのは、ひとつには今の仕事内容にあまり不満がないということがあるんだと思う。そこに気を払わなくていいといえばそうだし、これ以上仕事が面白くて楽、なんてそうそうないと思うから。いやそりゃ全然休みが取れなかったりとかそう言う事はあったりするけど、自分のペースでやれている事が多いからたまにそう言う事あってもそこまではイヤだと思わないのよ(その最中は勿論不満たらたらですけどね)...体調とかがついてこないのはま、しょうがないとして。
しょっぱなから話がそれた。とにかくそんな長い時間軸で考える。それは、多分30代に入ったらそうそう非連続的な転職は無理だろうしその最後のチャンスが今回かな、と思っているからということもあるとおもう。同じ業界内で考えてたら手元の仕事もその先に見えるものもそんな大きなぶれはないだろうしね。
で、その長い時間軸で考えた時のいまの仕事の不満というのが、先が見えないって事なのよね。普通の会社のように最初は駒としてすら使ってもらえなくてひたすら議事録とって数年経ってようやく前線にでて、しばらくしてチームをまとめるようになってさらに10年くらいすると部門長になって...みたいな社内(まあ業界内でもいいや)キャリアパスが見えない。あ、勿論こんなキャリアを辿れる人はそんなにいないのは承知として、でも理想系が見えてるかそうでないかって結構ちがうと思う…。うちの会社なんて別に10年キャリアがあっても仕事変わらないのよね。よく言えば組織がフラットで望めばかなりのことができる、というのは裏返すと面白い仕事をするのに順番待ちをする必要がないと言う事でしょ。
で、じゃあ自分が10年後も似たようなうさんくさいというか短期的な視野の仕事をしてるかと思うと若干うんざりするんですよね...いや、悪くないんだけど同じ仕事してたら給料もかわらんだろうし、いい加減惨めだろうなと。
でもよく考えてみると、自分の周りで10年後にいまよりちゃんと確実に大きな仕事してるだろうな、って人は日系大手にはいった奴ばっかりで、数というか比率もあまり多くないんだろうなと思い至ったんです。専門職っていうとかっこいいけどそれって同じ事を延々とやり続けるってことだしさ。なら、そんな事気にしてもしょうがないのかな、という多数派っぽいものに抱かれて安心感を感じてしまっている今日この頃。
ところで「進歩史観」についてはWikipediaとはてなキーワードが同じ言葉を側面から紹介していて興味深い。というか、はてなで言っているこの意味はWikipediaのものから派生したものだよね...とはいえ、普通はこうした場合比重の違いはあれど両方の意味を書くものだと思うけど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E6%AD%A9%E5%8F%B2%E8%A6%B3
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BF%CA%CA%E2%BB%CB%B4%D1
外事警察(映画) ★★★★☆
2012年6月17日 感想文。
半分お仕事、というかお仕事にしたい、という感じで見てきました、ソトコト警察…と書くとポイ捨て即銃殺って感じですかね。
最近多かった移動のお供に原作読んで映画見たけど、面白いです。えげつない事をほいほいやる渡部さんはホント、半ばおかしい人の役が本当によくお似合いになる。何食べて育ったらこんな子が育つのか。いや、多分一番好きな日本人男優ですけどね。この役にはこの人しかいない気がします。
ヒロインは最後まで綾瀬はるかだと思ってたら尾野真千子でした。こないだテレビで見てかわいいなーと思ってTwitterフォローしたりしてたのに。普段より前半でちょっとだけやってた髪の毛下ろしてる状態の方が可愛い気がする…!よく見ると綾瀬はるかにちょっとだけ皆藤愛子が混ざってる気もします。いやどにしろ別人なんだけど。
そういえばかわいそうな役柄の正秀さん、なんか見覚えあるなーと思ったらアメリカ行く機内でみた男たちの挽歌リメイク版にでていたようです。
あとそのかわいそうな正秀さんの奥さん役の印象が強いというかこの人が演技できなかったらめちゃくちゃだっただろうなーというのがスタッフロールみたら真木よう子(どこまで女優の顔を知らないんだ俺)だったんだけど、おなじ真木でこわいこわいと噂の蔵人さんの親族だと思ったら違ったみたい…芸能界はむずかしいなあ。なんていうかこの人の演技もなんだけどすごいおっぱいが気になる映画で…なんつうんだ、カメラの人の趣味だと思うんだけどお前それ絶対狙ってるよね、って感じ。いや別になんもいいことなくて気が散るだけなんだよね…あと終盤の衣装やたら胸元開いてて下品というか…ううむ。なんか不幸な家庭に育ったけど強く生きてる女、ただし風俗上がりで教養ないっす、ってのを表現してるっちゃしてるという超・好意的な捉え方も不可能ではないけどねえ…。てか役柄上なんか結局最後までババ引かされっぱなしというか、超絶不幸なまま終わってる気がします。
ストーリーに関しては…北朝鮮を題材にするってのがちょっと安直というかアリガチだし、結局田中さんが最後何を思ってああいう行動に出たのかよくわからない(あとそもそも何で裏切って一度逃げた国に素直に戻ったのか)とかいう消化不良な点も少しはありつつ、でも全体的にはとてもよくまとまっています。多分焦点を当てる人物を思い切ってごっそり削ったのがよかったのでしょう。ヒロイン尾野さんとかもほとんど背景だけど、2時間にこの内容を収めるにはこれでいいんじゃないかな…なんか僕が見る映画ってやりたい事はわかるけどおさまってないよ、ってことが多いんで、尚更その部分すごいなーと。
あと画面の温度が好きです。
最近多かった移動のお供に原作読んで映画見たけど、面白いです。えげつない事をほいほいやる渡部さんはホント、半ばおかしい人の役が本当によくお似合いになる。何食べて育ったらこんな子が育つのか。いや、多分一番好きな日本人男優ですけどね。この役にはこの人しかいない気がします。
ヒロインは最後まで綾瀬はるかだと思ってたら尾野真千子でした。こないだテレビで見てかわいいなーと思ってTwitterフォローしたりしてたのに。普段より前半でちょっとだけやってた髪の毛下ろしてる状態の方が可愛い気がする…!よく見ると綾瀬はるかにちょっとだけ皆藤愛子が混ざってる気もします。いやどにしろ別人なんだけど。
そういえばかわいそうな役柄の正秀さん、なんか見覚えあるなーと思ったらアメリカ行く機内でみた男たちの挽歌リメイク版にでていたようです。
あとそのかわいそうな正秀さんの奥さん役の印象が強いというかこの人が演技できなかったらめちゃくちゃだっただろうなーというのがスタッフロールみたら真木よう子(どこまで女優の顔を知らないんだ俺)だったんだけど、おなじ真木でこわいこわいと噂の蔵人さんの親族だと思ったら違ったみたい…芸能界はむずかしいなあ。なんていうかこの人の演技もなんだけどすごいおっぱいが気になる映画で…なんつうんだ、カメラの人の趣味だと思うんだけどお前それ絶対狙ってるよね、って感じ。いや別になんもいいことなくて気が散るだけなんだよね…あと終盤の衣装やたら胸元開いてて下品というか…ううむ。なんか不幸な家庭に育ったけど強く生きてる女、ただし風俗上がりで教養ないっす、ってのを表現してるっちゃしてるという超・好意的な捉え方も不可能ではないけどねえ…。てか役柄上なんか結局最後までババ引かされっぱなしというか、超絶不幸なまま終わってる気がします。
ストーリーに関しては…北朝鮮を題材にするってのがちょっと安直というかアリガチだし、結局田中さんが最後何を思ってああいう行動に出たのかよくわからない(あとそもそも何で裏切って一度逃げた国に素直に戻ったのか)とかいう消化不良な点も少しはありつつ、でも全体的にはとてもよくまとまっています。多分焦点を当てる人物を思い切ってごっそり削ったのがよかったのでしょう。ヒロイン尾野さんとかもほとんど背景だけど、2時間にこの内容を収めるにはこれでいいんじゃないかな…なんか僕が見る映画ってやりたい事はわかるけどおさまってないよ、ってことが多いんで、尚更その部分すごいなーと。
あと画面の温度が好きです。
社会科学において一番悩ましいのは(などとケンキューシャっぽい書き出しだけど)、パラメータを制御できない事であると思う。与える環境を制御できる実験室での実験が難しく、実社会での観察やら何やらがメインになると、「何が結果に影響しているのかわからない」という事が起こる。チケットが売れたのは、天気のせいか、場所のせいか、演目のせいか、はたまた出演者のせいなのだろうか? また、どうしても派手な現象の与える影響が大きい気になってしまうけど、実際は小さくて気付かないようなものが結果に大きな影響を与えていたりする。
だから何が本当に結果にインパクトがあるのかを知るためには、可能な限りパラメータの少ないと思われる環境で実験を行い、また仮説を立てた上でパラメータをひとつだけ変えてみて、結果の差を見たりする。
あとは泥臭いけど考えられる全てのパラメータをぶちこんで一個一個しらみつぶしにしていく、というのもPCの性能が高くなってきた今、結構現実的な手法ではある。小さい要素が大きな影響を与える事は否定はできないものの、やはり大きく目立つ要素が大きな影響を与える可能性の方が高いのは確かなわけで、ほかにどうにも方法がなければ、やってみる価値はある。
そんな長い前置きを踏まえたうえで。 最近、ソーシャルゲームに興味がある。といっても当然ゲームとして興味があるわけではなく、その構造に。
http://gamez.itmedia.co.jp/games/articles/1012/21/news002.html
野島美保の“仮想世界”のビジネスデザイン:ユーザーがお金を払いやすくなる仕掛け――アイテム課金が優れている理由
随分前の文章で、発表されたときも多分流し読みしたような記憶があるんだけど、残念ながらその時はあまりピンとこなかった。 でも改めて読み直して、「そもそもの使用価値がない」というソーシャルゲームのアイテムというのは実物ではあまり有り得ない性質を持っていて、これはもしかしたら僕のテーマを考える上で非常に便利なのではないか?と思ったのね。
時々書くように、僕は「幸せ」という状態を作るにはどうしたらいいか、と言う事にとても関心がある。「幸せになる」と書かないのは、自分が幸せになる事と、他人を幸せにする(他人に「今自分は幸せ」と感じさせる)の両方に興味があるから。というかそこにそんなに差はないような気がするから。
お金を含むほとんどのモノは、もっていない事で不幸を味わう感じる事はあっても、沢山持っていたからといって幸せを約束してくれるものではない、と思う。金を例に取れば、それがたくさんあると選択肢が増えるのは事実。家を買ったり、いい車に乗ったり。でもきっと(持ってないからしらないけど)わずらわしい事も沢山増えるような気がする。そもそも選択肢が増える事ということは「選択されないけれど魅力的な選択肢」を常に諦めながら進んでいかなければいけないということだとすると、やっぱり無条件にいいものとは思えない。
この辺は最近どっかで書いた気がする(そして結構頻繁に例としてあげる気がする)「圧政下でのクーデターは威圧的な統治が和らいだ時に起きやすい」という話とつながっている気がする。完全にクソミソにやられている時は生きる事に必死で反抗する事なんてかんがえられない(というわけじゃないか…まあ立ち上がる気力がわかない)けど、希望が見えてくると立ち上がってしまう。まあその結果勝てればいいんだけど。あ、でもこの例自体は交絡のような気もしてます。反抗勢力の勢いが増してきたから圧政の手を緩めなければいけない、とかそういう別の隠れたトリガーがある、という、ね。
まあそれはいいんだけど、とにかく「たくさんの選択肢から選ぶ権利」というのは一般的なイメージに反して、必ずしも幸せに直結しないと言う事をいいたいのね。
逆に、選択肢がない、というのはその選択肢が悪いものでないのであれば、楽な生き方にも思える。選択肢がないのだから自分の意思が介入する余地はなく、自分の選択でないのだから結果が悪くても他人なり運なりを恨めば良い(恨んだ所で状況が好転するか、という話はおいとくとして…)。
というかほとんどの選択というのはあとからの解釈でどうにでも結末を読みかえることができてしまう。宗教において自分に降りかかる不幸を「神からの試練」とか言っちゃうアレだ。そういった所からすると結局ひとつの価値観に基づいて結果を解釈してしまうのだから実際の選択肢である「右と左のどっちを選ぶか」は実はあんまり関係ないのかもしれない。
話が多少ずれた気がする。話を戻すと、幸せというのは「何を選ぶか」ではなく「何に基づいて選ぶか」がはっきりしている事、つまり揺るぎのない価値観(判断基準)を持っていることであると僕は思っている。なんかトートロジーっぽいけど「自分はラッキーで恵まれていて、幸せである」と信じられる価値観を持つことが、幸せなんだと思う。
では、自分が幸せであると信じるためにはどうすればよいのか?それには幸せに関する、もうひとつの側面というか要素が必要だと思う。それは「他人との比較」。僕も含めて人間は意地汚いものだから、結局自分への評価は周囲と比べて行う。幸せなんて特に形がないものだし。それとも優越感っていっちゃってもいいのか。自分より恵まれていない誰かを憐れみ、そこで自分が恵まれている事を再認識する、みたいな…うーん言葉にすると最悪っぽいな、でもそんなもんじゃない?全てがそうではないかもしれないけど、要素としては絶対に大きなものと思う。
そして自分が他人より恵まれている事を自分に対して示す上で一番わかりやすいのは、視覚的な違いじゃないかな。背が高いとか耳たぶが大きいとかそういう身体的特徴だって自分で根拠さえ作れるなら自信の元になるけど、まあそれはなかなか難しいと思う(上のお金の例と同じく、足りない…例えば背が低いとか耳が聞こえないとかは不幸を強く感じる原因にはなりうるけどね)。
これも極端な例かもしれないけど、キリスト教の信者にスティグマ(聖痕…キリストがはりつけになった時に杭を打たれた所にあざができたりするやつ)っぽいあざを持ってる人がいたとするなら、それは「もしかして俺選ばれちゃってるかも」と思う根拠になる。身体的な特徴に偏りたくないのでモノに話を戻してもいい。上のほうで「モノを持っている事は必ずしも幸せになることを意味しない」と書いておいてなんだけど、他人と違うモノを持っているというのはやっぱり幸せの一部を形作ると思う。それはモノの量ではなく、質の問題(だから上の話とは矛盾しない、といいたいんです)。例えば誰か好きな芸能人のサイン色紙とか、そういったもの。モノとしての価値ではなく、あくまでも精神的な意味合いとして、そういう目で見れるモノを持っていることが、幸せを形作る大きな要素のひとつではないかと思っている。
ようやく話を収める方向にいくんだけど、ソーシャルゲームにおける課金アイテムってそもそもデジタルデータだからモノとしての価値はゼロ。そのくせゲーム内の貨幣ならともかく、他にいくらでも「有意義」な使い道がある現金を遣ってでも欲しくなったりする人がいるくらい、価値を感じている人が結構いる。AKBの投票権つきCDでもいいんだけどあれには一応CDとしての価値というのもあるし、曲としての価値に加えてモノなんだからフリスビーして遊んだり、まあモノとしての価値だってある。それが価格と釣り合っているかは勿論別の話として…。だから、この価値ゼロのものを考えていく事によってもしかしたら心の中での価値の生成プロセスみたいなものができるんじゃないかなと思うのです…まだ考えられてないけどね。
ずれ。
最近時々ご飯する相手の話。この人とは話は結構あうんだけど、感覚が全くあわない。最近この話を会う人会う人にしているけど、その一番が食欲。その人は食も細いんだけど、とにかく食べることにまったく興味がなさそう。何食べても美味しいって言ってる記憶がない。別にまずという顔をするわけじゃなく、単に興味がないのね。今まで僕の周りにいた人でそういう人がいなかったんで新鮮…っていうのはなんか表現がねー、よくないとおもうんだけど。皮肉じゃなくて。
あと、その人は(すんごい細かいけど)、毎回ナイフを逆に置く。向かい合ってるとしたら、僕のほうに刃をむけるのね。これって右手にフォーク、左手にナイフで食べるのと同じくらいマナーとしては有り得ないと思いつつ、でもホント俺細かいな、と思う。というか自分にとってそんなことが気になるなんて、今まで知らなかった(いや、正確には去年一回あったけど…多分その時も書いた)。
んで懲りずにこないだご飯を食べている時に、僕の友達に占める女子の比率の話から、寝るってどう言う事なのかね、みたいな話に(よく覚えてないけどありがちな「男女の友情はあるのか」みたいな話から流れたんだと思う)。僕はあまりセックスを「いつでもしたい楽しいもの」と思っていないので、逆にお互い気分が乗れば付き合ってるとかじゃなくたってすればいいんじゃないそういう気分の時もあるし、とかっていうわりと投げやりな事を言った所、彼女は「へー、道化さんってすごい自信あるんですね!」って言ったんですね。自分はコンプレックスが強いからよっぽど信頼できる相手じゃないと無理だと。なんつー話をそれこそ付き合ってもいない相手としてるんだ、という話は置いておくとしてなんかそれ聞いてダメだわと思ったんですわ。つうかセックスに自信あるって何?相手を篭絡するテクニック?寝ただけで惚れ直してくれたりすんの?俺下手だからそういう経験ないだけ?
…つう話も置いておくとしよう。いやその時どうしようもない気分になったのは正直自分でもなんでだかうまく説明できない(というかよくわかってないのかも)んだけど、お前その年で夢見てんのか、って思った…のかなあ…。よっぽどその場で「んじゃ今晩試してみる?」みたいな流れにもっていこうかと思いましたよ。いや、実際はその台詞聞いた瞬間帰りたくなったんですけど。
なんつーのかなー、まあ三大欲求の内の食欲と性欲の感覚があわなきゃ、もう他の何が合致したって無理じゃねえ?って話ですよね。せっかく話があう相手にたまに好意を向けられてもここまでダメだともうどうにもこうにもできないんじゃないかと思うのです。
ああ別に書く必要もない気がするけど、そもそもセックスをする回数以上に、それについてベッドの外で話をするという経験が自分に薄いのかもなあ…。あなたとはまだ寝る関係でもないのになんでそんな話するんだという引きかたを、もしかしたらしたのかもしれません。
だから何が本当に結果にインパクトがあるのかを知るためには、可能な限りパラメータの少ないと思われる環境で実験を行い、また仮説を立てた上でパラメータをひとつだけ変えてみて、結果の差を見たりする。
あとは泥臭いけど考えられる全てのパラメータをぶちこんで一個一個しらみつぶしにしていく、というのもPCの性能が高くなってきた今、結構現実的な手法ではある。小さい要素が大きな影響を与える事は否定はできないものの、やはり大きく目立つ要素が大きな影響を与える可能性の方が高いのは確かなわけで、ほかにどうにも方法がなければ、やってみる価値はある。
そんな長い前置きを踏まえたうえで。 最近、ソーシャルゲームに興味がある。といっても当然ゲームとして興味があるわけではなく、その構造に。
http://gamez.itmedia.co.jp/games/articles/1012/21/news002.html
野島美保の“仮想世界”のビジネスデザイン:ユーザーがお金を払いやすくなる仕掛け――アイテム課金が優れている理由
随分前の文章で、発表されたときも多分流し読みしたような記憶があるんだけど、残念ながらその時はあまりピンとこなかった。 でも改めて読み直して、「そもそもの使用価値がない」というソーシャルゲームのアイテムというのは実物ではあまり有り得ない性質を持っていて、これはもしかしたら僕のテーマを考える上で非常に便利なのではないか?と思ったのね。
時々書くように、僕は「幸せ」という状態を作るにはどうしたらいいか、と言う事にとても関心がある。「幸せになる」と書かないのは、自分が幸せになる事と、他人を幸せにする(他人に「今自分は幸せ」と感じさせる)の両方に興味があるから。というかそこにそんなに差はないような気がするから。
お金を含むほとんどのモノは、もっていない事で不幸を味わう感じる事はあっても、沢山持っていたからといって幸せを約束してくれるものではない、と思う。金を例に取れば、それがたくさんあると選択肢が増えるのは事実。家を買ったり、いい車に乗ったり。でもきっと(持ってないからしらないけど)わずらわしい事も沢山増えるような気がする。そもそも選択肢が増える事ということは「選択されないけれど魅力的な選択肢」を常に諦めながら進んでいかなければいけないということだとすると、やっぱり無条件にいいものとは思えない。
この辺は最近どっかで書いた気がする(そして結構頻繁に例としてあげる気がする)「圧政下でのクーデターは威圧的な統治が和らいだ時に起きやすい」という話とつながっている気がする。完全にクソミソにやられている時は生きる事に必死で反抗する事なんてかんがえられない(というわけじゃないか…まあ立ち上がる気力がわかない)けど、希望が見えてくると立ち上がってしまう。まあその結果勝てればいいんだけど。あ、でもこの例自体は交絡のような気もしてます。反抗勢力の勢いが増してきたから圧政の手を緩めなければいけない、とかそういう別の隠れたトリガーがある、という、ね。
まあそれはいいんだけど、とにかく「たくさんの選択肢から選ぶ権利」というのは一般的なイメージに反して、必ずしも幸せに直結しないと言う事をいいたいのね。
逆に、選択肢がない、というのはその選択肢が悪いものでないのであれば、楽な生き方にも思える。選択肢がないのだから自分の意思が介入する余地はなく、自分の選択でないのだから結果が悪くても他人なり運なりを恨めば良い(恨んだ所で状況が好転するか、という話はおいとくとして…)。
というかほとんどの選択というのはあとからの解釈でどうにでも結末を読みかえることができてしまう。宗教において自分に降りかかる不幸を「神からの試練」とか言っちゃうアレだ。そういった所からすると結局ひとつの価値観に基づいて結果を解釈してしまうのだから実際の選択肢である「右と左のどっちを選ぶか」は実はあんまり関係ないのかもしれない。
話が多少ずれた気がする。話を戻すと、幸せというのは「何を選ぶか」ではなく「何に基づいて選ぶか」がはっきりしている事、つまり揺るぎのない価値観(判断基準)を持っていることであると僕は思っている。なんかトートロジーっぽいけど「自分はラッキーで恵まれていて、幸せである」と信じられる価値観を持つことが、幸せなんだと思う。
では、自分が幸せであると信じるためにはどうすればよいのか?それには幸せに関する、もうひとつの側面というか要素が必要だと思う。それは「他人との比較」。僕も含めて人間は意地汚いものだから、結局自分への評価は周囲と比べて行う。幸せなんて特に形がないものだし。それとも優越感っていっちゃってもいいのか。自分より恵まれていない誰かを憐れみ、そこで自分が恵まれている事を再認識する、みたいな…うーん言葉にすると最悪っぽいな、でもそんなもんじゃない?全てがそうではないかもしれないけど、要素としては絶対に大きなものと思う。
そして自分が他人より恵まれている事を自分に対して示す上で一番わかりやすいのは、視覚的な違いじゃないかな。背が高いとか耳たぶが大きいとかそういう身体的特徴だって自分で根拠さえ作れるなら自信の元になるけど、まあそれはなかなか難しいと思う(上のお金の例と同じく、足りない…例えば背が低いとか耳が聞こえないとかは不幸を強く感じる原因にはなりうるけどね)。
これも極端な例かもしれないけど、キリスト教の信者にスティグマ(聖痕…キリストがはりつけになった時に杭を打たれた所にあざができたりするやつ)っぽいあざを持ってる人がいたとするなら、それは「もしかして俺選ばれちゃってるかも」と思う根拠になる。身体的な特徴に偏りたくないのでモノに話を戻してもいい。上のほうで「モノを持っている事は必ずしも幸せになることを意味しない」と書いておいてなんだけど、他人と違うモノを持っているというのはやっぱり幸せの一部を形作ると思う。それはモノの量ではなく、質の問題(だから上の話とは矛盾しない、といいたいんです)。例えば誰か好きな芸能人のサイン色紙とか、そういったもの。モノとしての価値ではなく、あくまでも精神的な意味合いとして、そういう目で見れるモノを持っていることが、幸せを形作る大きな要素のひとつではないかと思っている。
ようやく話を収める方向にいくんだけど、ソーシャルゲームにおける課金アイテムってそもそもデジタルデータだからモノとしての価値はゼロ。そのくせゲーム内の貨幣ならともかく、他にいくらでも「有意義」な使い道がある現金を遣ってでも欲しくなったりする人がいるくらい、価値を感じている人が結構いる。AKBの投票権つきCDでもいいんだけどあれには一応CDとしての価値というのもあるし、曲としての価値に加えてモノなんだからフリスビーして遊んだり、まあモノとしての価値だってある。それが価格と釣り合っているかは勿論別の話として…。だから、この価値ゼロのものを考えていく事によってもしかしたら心の中での価値の生成プロセスみたいなものができるんじゃないかなと思うのです…まだ考えられてないけどね。
ずれ。
最近時々ご飯する相手の話。この人とは話は結構あうんだけど、感覚が全くあわない。最近この話を会う人会う人にしているけど、その一番が食欲。その人は食も細いんだけど、とにかく食べることにまったく興味がなさそう。何食べても美味しいって言ってる記憶がない。別にまずという顔をするわけじゃなく、単に興味がないのね。今まで僕の周りにいた人でそういう人がいなかったんで新鮮…っていうのはなんか表現がねー、よくないとおもうんだけど。皮肉じゃなくて。
あと、その人は(すんごい細かいけど)、毎回ナイフを逆に置く。向かい合ってるとしたら、僕のほうに刃をむけるのね。これって右手にフォーク、左手にナイフで食べるのと同じくらいマナーとしては有り得ないと思いつつ、でもホント俺細かいな、と思う。というか自分にとってそんなことが気になるなんて、今まで知らなかった(いや、正確には去年一回あったけど…多分その時も書いた)。
んで懲りずにこないだご飯を食べている時に、僕の友達に占める女子の比率の話から、寝るってどう言う事なのかね、みたいな話に(よく覚えてないけどありがちな「男女の友情はあるのか」みたいな話から流れたんだと思う)。僕はあまりセックスを「いつでもしたい楽しいもの」と思っていないので、逆にお互い気分が乗れば付き合ってるとかじゃなくたってすればいいんじゃないそういう気分の時もあるし、とかっていうわりと投げやりな事を言った所、彼女は「へー、道化さんってすごい自信あるんですね!」って言ったんですね。自分はコンプレックスが強いからよっぽど信頼できる相手じゃないと無理だと。なんつー話をそれこそ付き合ってもいない相手としてるんだ、という話は置いておくとしてなんかそれ聞いてダメだわと思ったんですわ。つうかセックスに自信あるって何?相手を篭絡するテクニック?寝ただけで惚れ直してくれたりすんの?俺下手だからそういう経験ないだけ?
…つう話も置いておくとしよう。いやその時どうしようもない気分になったのは正直自分でもなんでだかうまく説明できない(というかよくわかってないのかも)んだけど、お前その年で夢見てんのか、って思った…のかなあ…。よっぽどその場で「んじゃ今晩試してみる?」みたいな流れにもっていこうかと思いましたよ。いや、実際はその台詞聞いた瞬間帰りたくなったんですけど。
なんつーのかなー、まあ三大欲求の内の食欲と性欲の感覚があわなきゃ、もう他の何が合致したって無理じゃねえ?って話ですよね。せっかく話があう相手にたまに好意を向けられてもここまでダメだともうどうにもこうにもできないんじゃないかと思うのです。
ああ別に書く必要もない気がするけど、そもそもセックスをする回数以上に、それについてベッドの外で話をするという経験が自分に薄いのかもなあ…。あなたとはまだ寝る関係でもないのになんでそんな話するんだという引きかたを、もしかしたらしたのかもしれません。
体調悪いのが慢性化してるんでしょうかね、今週末もずっと寝ていました。金曜は夜の約束を断りました。今週は平日もずっとこんな感じでいったい私はどうしたのでしょう…。まあ流石に少し回復したけど、長いなあ...。
さて、久しぶりだかなんだかで、PS3のソフトを買ってみました。なんか50種類くらいいる動物から一種類選んで人間がいなくなった東京を生存していくという内容。最初はひ弱な動物しか選べないけどイベントを進めると色々アンロックされてライオンとか使えるようになります。大別して肉食と草食動物がいるんだけど、肉食の最初はポメラニアン...ヒヨコとか食って生き延びるわけです。面白いけど奥は深くないね...マップ狭いから割とすぐにすべてを把握できてしまう。でも安いし、こんなもんかなー。値段なりだと思います。
だから今週末は寝るかPS3という怠惰っぽい生活をしていたんですが、昨日、土曜夜だけは高校の友人の集まりへ。最近全然集まれてないから多少無理してでもねえ...というわりには突然一人が声かけたらほとんどが集まれたという...いつも僕が集客するんだけど、これはあれですかね、人徳の差。けっ。
トルコ料理食べながらその中の一人、今回の感じの子が「来年結婚します」という宣言。彼氏連れてきてたしまーそういう流れだと思ったらやっぱりそういう流れでした。ちなみにこのオリジナルメンバーは6人で、その内2人が既婚。二人とも結婚が決まった際には事前にこの会合にパートナーを連れてきてたんで、半ばしきたりやね...という。さて、僕がパートナーを連れて行くのはいつの日か。
来週はなんか音大の職員になった元同僚(今の職場の方のね)から連絡があり、採用のためのウェブ戦略にアドバイスが欲しいとのことで、ミーティング。せっかくなのでゴリゴリと足らない部分を指摘しまくって「新しくサイト作らなきゃやばくね」って話に持っていってコンサルという名の丸投げ中抜きでおこずかい(゜Д゜)ウマーに持っていくためにも色々仕込みをせねば…と思いつつ、そんな体調でだるかったんでホントに大枠しか見れてません。それでもやらないより相当マシだと思うし、そもそもどこまで期待されているのか、あと何をやりたいのか、そして何より金はあるのか!!!意地汚いねーでも別に僕もありがとうございます言われるためだけにミーティングしてもしょうがないし...。
あーあと明日久しぶりに指揮者氏と会うんだけど、「相談したいプロジェクトが…」とか言われてて、多分流れからして某スポーツの世界大会の地元招致の話なんだろうけど...あなたにアドバイスしても誰も動かない気がするし、そもそも俺そういうの専門じゃないから役に立つアドバイスなんかできないよ...まあ彼はかなり浮世離れしてるのでそれよりかはマシだろうけどね...。はてさて。
さて、久しぶりだかなんだかで、PS3のソフトを買ってみました。なんか50種類くらいいる動物から一種類選んで人間がいなくなった東京を生存していくという内容。最初はひ弱な動物しか選べないけどイベントを進めると色々アンロックされてライオンとか使えるようになります。大別して肉食と草食動物がいるんだけど、肉食の最初はポメラニアン...ヒヨコとか食って生き延びるわけです。面白いけど奥は深くないね...マップ狭いから割とすぐにすべてを把握できてしまう。でも安いし、こんなもんかなー。値段なりだと思います。
だから今週末は寝るかPS3という怠惰っぽい生活をしていたんですが、昨日、土曜夜だけは高校の友人の集まりへ。最近全然集まれてないから多少無理してでもねえ...というわりには突然一人が声かけたらほとんどが集まれたという...いつも僕が集客するんだけど、これはあれですかね、人徳の差。けっ。
トルコ料理食べながらその中の一人、今回の感じの子が「来年結婚します」という宣言。彼氏連れてきてたしまーそういう流れだと思ったらやっぱりそういう流れでした。ちなみにこのオリジナルメンバーは6人で、その内2人が既婚。二人とも結婚が決まった際には事前にこの会合にパートナーを連れてきてたんで、半ばしきたりやね...という。さて、僕がパートナーを連れて行くのはいつの日か。
来週はなんか音大の職員になった元同僚(今の職場の方のね)から連絡があり、採用のためのウェブ戦略にアドバイスが欲しいとのことで、ミーティング。せっかくなのでゴリゴリと足らない部分を指摘しまくって「新しくサイト作らなきゃやばくね」って話に持っていってコンサルという名の丸投げ中抜きでおこずかい(゜Д゜)ウマーに持っていくためにも色々仕込みをせねば…と思いつつ、そんな体調でだるかったんでホントに大枠しか見れてません。それでもやらないより相当マシだと思うし、そもそもどこまで期待されているのか、あと何をやりたいのか、そして何より金はあるのか!!!意地汚いねーでも別に僕もありがとうございます言われるためだけにミーティングしてもしょうがないし...。
あーあと明日久しぶりに指揮者氏と会うんだけど、「相談したいプロジェクトが…」とか言われてて、多分流れからして某スポーツの世界大会の地元招致の話なんだろうけど...あなたにアドバイスしても誰も動かない気がするし、そもそも俺そういうの専門じゃないから役に立つアドバイスなんかできないよ...まあ彼はかなり浮世離れしてるのでそれよりかはマシだろうけどね...。はてさて。
阿寒虹別、旅の終わり。
2012年6月4日 非日常 というわけで、ここからは車。朝宿からレンタカーを借りて、移動です。でも普通に行くと2時間くらいで着いちゃうからさすがにどうしよう…ということで朝風呂してからひたすらスマホで検索。ああそうだ、この宿の数少ないダメポイントはwifi飛んでないところ…まあ「休みに来るところなんだから」というポリシーならしょうがないと思うんだけど。でも、なんとも面白そうなところがいい距離にない。網走とか羅臼とかは遠すぎる…。で、まあ時間切れ(チェックアウト)だしもうとりあえず近くの摩周湖行ってから考えようと思い、摩周湖の第一展望台行って昼は通りがかりの鹿肉ハンバーグをだす店で。
おっちゃんいい人なんだけど「それ言っていいのかなあ」的なことをぺらぺら喋ってるのが大丈夫か感ありつつ、鹿肉。東京の人に頼まれて送ってあげたら2回目以降振込みがなかったという、鹿肉。ハンバーグはまあ、普通でした。ここ数年で客が更に減った、みたいなことを言ってた。そりゃみんなそうだよね、って思うけど聞いて面白かったのはグループの人数が減ったという話。以前は三世代とかで来る客が多かったけど、今は二世代がせいぜいだって。確かに言われてみればそういう人数で行動してるグループって見ないかも。熟年夫婦とか若いカップル(+子供)が多くて、親と一緒ってのが少ない感じ。こりゃ金の問題というより文化なんだろうねえきっと。
お次は鹿肉の店で教わった多和平(http://www.sip.or.jp/~tawa360/kankou-top.html)というポイントへ。いきあたりばったりやなー。一応牧場なのかな?検索すると「丘」って書いてあるけどそんななまっちょろいものではありません。わりと入りこんだ中にあるんだけど、なんだろう、ホントそこの展望台からは地平線が360度見れるのね。その場所がすごいというより周りまで含めて全ての景観がすばらしい。景色の中では一番感動しました今回。テントサイトもあったんで、夏とかは泊まったら相当良いでしょうな。何もないけど、転がってぼーっと数時間とか過ごしていたかった。
多和平を抜け、いよいよ宿へ。今回北海道に行く、ということにした一番の理由がこの宿で、イギリスの洋館(っていえばいいのかな)をそのまま北海道の田舎に持ってきたという無茶(というか趣味性高い)なもの。しかもアウトドアアクティビティのコーディネイトもやってて、頼むとカヤックとかラフティング、ネイチャーウォッチング、釣り、はてはハンティング(これにはさすがに本人に免許がいるけど)まで手配できる。前は馬も持ってたみたい。
経営母体がなんだかはよくわからないんだけど、広尾にレストランやってた時期もあるみたい。ただ、最近めっきりブログの更新がなかったりレストランのメニューが全然更新されてなかったり空港への無料送迎がなくなったり、濃厚な屍臭が漂っている気もして、ちょっとはらはらしていました。「実はお客様が最後の…」とか言われたらしゃれにならんがな。でも行ってみたらその辺は心配なし。まーゲスト僕だけだったけど、これは季節のせいもあるでしょう。ラウンジやダイニングスペース、そして部屋も確かに好きなんだろうなあ…という立派な西欧風家具が沢山入っていて、ニヤニヤできます。ただまー使用感(というか経年感)ないからぺらい感じは若干するんだけどそれはしかたないよね。本当はアンティークのものを入れればもっといいんだろうけど、そんなんしてたら幾らかかる事やら…。
で、チェックイン後宿の人に「食事までちょっと早いしなんかこの周りでできることないですか」と相談して教えてもらった養老牛温泉、からまつの湯へ。「ヌシがいるかもしれませんよ…ふふふ」とかいうから猿でも出るかと思ったら、単なる口やかましいおっさんでした。…っていやいや、なんかこの「からまつの湯」は元々営林署の人かなんかが沸いてた温泉をためて入る程度のものを作ってたのをその「ヌシ」が石並べて水温調節のための水引いて底に砂利ひいて、あと脱衣所も作って、と色々改造して快適な温泉にしたものらしいんですな。だから公営というわけではなく、単なる…いやでも私営でもないな、別にヌシ儲けてないし…。でも公か私かでいったら私です。
そのヌシさん、偶然居たのでちょっとだけお話したんだけど「ここの管理してらっしゃるんですか」って聞いたら嫌そうに「いや俺自分が入りたいからやってるだけだし」みたいな事をいっていました。色々補修したりしてるのにマナーが悪い人がいて困るわーだそうです。まあ気持ちはわかるなーと思いながら、適当にやってくる観光客(自分も含む)にその辺わかれつうても多分無理なんだろうなーとも思った。例えばヌシは足湯みたいに入る人が嫌いらしくて、その理由は「自分ら裸で入ってると変でしょ」って。確かにそうなんだけどー。あれだよね、スキー場だって別に雪の山としては変わらなくてもスノボ用とスキー用と別れてる、みたいなもんで、そりゃ同じお湯だけど…うん、自分が裸で入ってる所に服着て「足湯です」ってこられたらイヤなんだろうなとは思います。まーそんな感じ。狭いので人がたくさんいるとちょっときついかもしれないけど、いかにも謎の露天ぽくてよいです。お湯も気持ちよい。
湯上りで宿に戻って少しだけ昼寝して、ディナー。はじめての一人フレンチ・フルコースです。孤独のグルメ!AとBふたつのコースは魚or肉、または魚&肉というわけかた。当然ボリュームが多いBを選び、魚は時知らず(鮭)のポワレにウイキョウのソースをかけたもの、肉はうずら(だよね)に大麦とフォアグラをつめたものにインカの目覚めを細切りにしてもじゃもじゃしたのを揚げたものにうずらの卵が乗ってるというものを頂きました。
このディナーはコストパフォーマンスがめちゃくちゃいいです。このメニューでこの質だったら東京だったら1万円越えてきても文句はありません。それで8000円代(うずらは追加料金1000円)。すばらしい。あとワインもグラスだったけどうまかった。料理はそれぞれによかったんだけど、あえて言うなら前菜のサラダのプレゼンテーション(味もね)とうずらかなあ。サラダは近くの牧場のチーズと生ハム(これはイタリアって言ったかな)、それに地元野菜の組み合わせだったんだけど、その色合いが美しくてねえ。
お食事を終えて、デザートはラウンジで。革張りの立派なソファでくつろぎながら(ちなみに暖炉もあるよ)紅茶など頂いて、ゆったり読書とかPCいじったりとか。いいよね。いい加減だらだらして、部屋へ戻ってこの日はおやすみ。ベッドも幅広でふかふか。
最終日である今日はちょっと寝坊して、朝ご飯もおいしかった。なんかジャムも手作りなんだけど、牛乳で作ったジャムというのがあってね…。若干見た目がアレですが、キャラメルみたいな感じ。めずらし。んで相変わらずサラダの見た目も味も良いし、つけあわせのソーセージも多分自分で詰めてるんだろうなあ…。うまかった。朝からあんなうまいものを。
またも特にやる事ない、ということで海へ向かって走り、野付半島の先っぽ(特に面白くはなかった)へ行き、宿の人に教えてもらった中標津空港近くの回転すし屋で寿司を食って空港に向かい、僕の旅は終わったのでした。回転すしとかほとんど食ったことないから頼み方わからんし最悪だったわー。回転なのにコンベアはほとんど機能してないし。あとあんまお土産買う時間なかったなあ。阿寒湖で買っといてよかった。本当はフライトまで余裕があったら中標津にあるショッピングセンターで色々買い物できるかな?と思ってたんだけど野付半島がおもったより遠くて、ダメでした。そこだけ残念。
旅の総括。国内長期間?旅行はたぶん結構久しぶり。具体的には…もしかしたら広島とか行って以来なのかな。とするとやっぱり3年ぶりくらいな気がします。1泊くらいだと京都行ったりしてるけどね。
今回はそもそも行き先を相当迷った末に北海道行こう!と思ったら気仙沼が途中で入ってきたりして、わりとめちゃくちゃというかツギハギな感じで慌しかった気がします。で、しかもというかやっぱりというか、結局インパクトは気仙沼が一番大きくて、旅の間中、もちろん今も、その事ばかりが頭の中をぐるぐるとしています。だからー俺のんびりだらだらするために行ったはずなんだってー!もうなんでこうなるの…。
あまりに気仙沼のインパクトが大きかったもんであとはまーそうだよね、って程度といえば程度になっちゃってます。いやおいしかったしたのしかったんだけどさ、比較の対象が悪すぎる。阿寒湖の宿の夕食だって地のもの使ってて悪くなかったんだけどサメの心臓やらジビエやらが対抗馬で出てきたら勝ち目ないでしょ、そういうかんじ。
あとはこの旅は誰かと一緒でもよかったかなーと思った。うん。フルコース一人はやっぱさびしいぜ。そのためだけに都合よく偽名ちゃんでも呼び寄せようかと思ったんだけど今フェードアウト期間らしく別件にも返事がない状態なんで諦めました。偽名ちゃんに関しては基本放し飼いというか連絡取れない時は取ろうとしても無駄なのです、。広い心と諦めをもって接しないと。ちなみに以前青森行った時には同じような理由(しかも確か現地で足がないと不便=運転手代わりという意味もこめて)で★さんを青森までお呼びしましたな。一緒に竜飛崎とか行ったね。
別に交際とかしてなくてもさー、こういう時に一緒にご飯食べれる相手が欲しいよねえ…って遠隔地だと確実にそれはお泊りなわけで、そしたらやられても文句言えないって意味で結局ハードル高いんだけどねーわかってるんだけどねー。
そんな久しぶりの国内の旅でした。
おっちゃんいい人なんだけど「それ言っていいのかなあ」的なことをぺらぺら喋ってるのが大丈夫か感ありつつ、鹿肉。東京の人に頼まれて送ってあげたら2回目以降振込みがなかったという、鹿肉。ハンバーグはまあ、普通でした。ここ数年で客が更に減った、みたいなことを言ってた。そりゃみんなそうだよね、って思うけど聞いて面白かったのはグループの人数が減ったという話。以前は三世代とかで来る客が多かったけど、今は二世代がせいぜいだって。確かに言われてみればそういう人数で行動してるグループって見ないかも。熟年夫婦とか若いカップル(+子供)が多くて、親と一緒ってのが少ない感じ。こりゃ金の問題というより文化なんだろうねえきっと。
お次は鹿肉の店で教わった多和平(http://www.sip.or.jp/~tawa360/kankou-top.html)というポイントへ。いきあたりばったりやなー。一応牧場なのかな?検索すると「丘」って書いてあるけどそんななまっちょろいものではありません。わりと入りこんだ中にあるんだけど、なんだろう、ホントそこの展望台からは地平線が360度見れるのね。その場所がすごいというより周りまで含めて全ての景観がすばらしい。景色の中では一番感動しました今回。テントサイトもあったんで、夏とかは泊まったら相当良いでしょうな。何もないけど、転がってぼーっと数時間とか過ごしていたかった。
多和平を抜け、いよいよ宿へ。今回北海道に行く、ということにした一番の理由がこの宿で、イギリスの洋館(っていえばいいのかな)をそのまま北海道の田舎に持ってきたという無茶(というか趣味性高い)なもの。しかもアウトドアアクティビティのコーディネイトもやってて、頼むとカヤックとかラフティング、ネイチャーウォッチング、釣り、はてはハンティング(これにはさすがに本人に免許がいるけど)まで手配できる。前は馬も持ってたみたい。
経営母体がなんだかはよくわからないんだけど、広尾にレストランやってた時期もあるみたい。ただ、最近めっきりブログの更新がなかったりレストランのメニューが全然更新されてなかったり空港への無料送迎がなくなったり、濃厚な屍臭が漂っている気もして、ちょっとはらはらしていました。「実はお客様が最後の…」とか言われたらしゃれにならんがな。でも行ってみたらその辺は心配なし。まーゲスト僕だけだったけど、これは季節のせいもあるでしょう。ラウンジやダイニングスペース、そして部屋も確かに好きなんだろうなあ…という立派な西欧風家具が沢山入っていて、ニヤニヤできます。ただまー使用感(というか経年感)ないからぺらい感じは若干するんだけどそれはしかたないよね。本当はアンティークのものを入れればもっといいんだろうけど、そんなんしてたら幾らかかる事やら…。
で、チェックイン後宿の人に「食事までちょっと早いしなんかこの周りでできることないですか」と相談して教えてもらった養老牛温泉、からまつの湯へ。「ヌシがいるかもしれませんよ…ふふふ」とかいうから猿でも出るかと思ったら、単なる口やかましいおっさんでした。…っていやいや、なんかこの「からまつの湯」は元々営林署の人かなんかが沸いてた温泉をためて入る程度のものを作ってたのをその「ヌシ」が石並べて水温調節のための水引いて底に砂利ひいて、あと脱衣所も作って、と色々改造して快適な温泉にしたものらしいんですな。だから公営というわけではなく、単なる…いやでも私営でもないな、別にヌシ儲けてないし…。でも公か私かでいったら私です。
そのヌシさん、偶然居たのでちょっとだけお話したんだけど「ここの管理してらっしゃるんですか」って聞いたら嫌そうに「いや俺自分が入りたいからやってるだけだし」みたいな事をいっていました。色々補修したりしてるのにマナーが悪い人がいて困るわーだそうです。まあ気持ちはわかるなーと思いながら、適当にやってくる観光客(自分も含む)にその辺わかれつうても多分無理なんだろうなーとも思った。例えばヌシは足湯みたいに入る人が嫌いらしくて、その理由は「自分ら裸で入ってると変でしょ」って。確かにそうなんだけどー。あれだよね、スキー場だって別に雪の山としては変わらなくてもスノボ用とスキー用と別れてる、みたいなもんで、そりゃ同じお湯だけど…うん、自分が裸で入ってる所に服着て「足湯です」ってこられたらイヤなんだろうなとは思います。まーそんな感じ。狭いので人がたくさんいるとちょっときついかもしれないけど、いかにも謎の露天ぽくてよいです。お湯も気持ちよい。
湯上りで宿に戻って少しだけ昼寝して、ディナー。はじめての一人フレンチ・フルコースです。孤独のグルメ!AとBふたつのコースは魚or肉、または魚&肉というわけかた。当然ボリュームが多いBを選び、魚は時知らず(鮭)のポワレにウイキョウのソースをかけたもの、肉はうずら(だよね)に大麦とフォアグラをつめたものにインカの目覚めを細切りにしてもじゃもじゃしたのを揚げたものにうずらの卵が乗ってるというものを頂きました。
このディナーはコストパフォーマンスがめちゃくちゃいいです。このメニューでこの質だったら東京だったら1万円越えてきても文句はありません。それで8000円代(うずらは追加料金1000円)。すばらしい。あとワインもグラスだったけどうまかった。料理はそれぞれによかったんだけど、あえて言うなら前菜のサラダのプレゼンテーション(味もね)とうずらかなあ。サラダは近くの牧場のチーズと生ハム(これはイタリアって言ったかな)、それに地元野菜の組み合わせだったんだけど、その色合いが美しくてねえ。
お食事を終えて、デザートはラウンジで。革張りの立派なソファでくつろぎながら(ちなみに暖炉もあるよ)紅茶など頂いて、ゆったり読書とかPCいじったりとか。いいよね。いい加減だらだらして、部屋へ戻ってこの日はおやすみ。ベッドも幅広でふかふか。
最終日である今日はちょっと寝坊して、朝ご飯もおいしかった。なんかジャムも手作りなんだけど、牛乳で作ったジャムというのがあってね…。若干見た目がアレですが、キャラメルみたいな感じ。めずらし。んで相変わらずサラダの見た目も味も良いし、つけあわせのソーセージも多分自分で詰めてるんだろうなあ…。うまかった。朝からあんなうまいものを。
またも特にやる事ない、ということで海へ向かって走り、野付半島の先っぽ(特に面白くはなかった)へ行き、宿の人に教えてもらった中標津空港近くの回転すし屋で寿司を食って空港に向かい、僕の旅は終わったのでした。回転すしとかほとんど食ったことないから頼み方わからんし最悪だったわー。回転なのにコンベアはほとんど機能してないし。あとあんまお土産買う時間なかったなあ。阿寒湖で買っといてよかった。本当はフライトまで余裕があったら中標津にあるショッピングセンターで色々買い物できるかな?と思ってたんだけど野付半島がおもったより遠くて、ダメでした。そこだけ残念。
旅の総括。国内長期間?旅行はたぶん結構久しぶり。具体的には…もしかしたら広島とか行って以来なのかな。とするとやっぱり3年ぶりくらいな気がします。1泊くらいだと京都行ったりしてるけどね。
今回はそもそも行き先を相当迷った末に北海道行こう!と思ったら気仙沼が途中で入ってきたりして、わりとめちゃくちゃというかツギハギな感じで慌しかった気がします。で、しかもというかやっぱりというか、結局インパクトは気仙沼が一番大きくて、旅の間中、もちろん今も、その事ばかりが頭の中をぐるぐるとしています。だからー俺のんびりだらだらするために行ったはずなんだってー!もうなんでこうなるの…。
あまりに気仙沼のインパクトが大きかったもんであとはまーそうだよね、って程度といえば程度になっちゃってます。いやおいしかったしたのしかったんだけどさ、比較の対象が悪すぎる。阿寒湖の宿の夕食だって地のもの使ってて悪くなかったんだけどサメの心臓やらジビエやらが対抗馬で出てきたら勝ち目ないでしょ、そういうかんじ。
あとはこの旅は誰かと一緒でもよかったかなーと思った。うん。フルコース一人はやっぱさびしいぜ。そのためだけに都合よく偽名ちゃんでも呼び寄せようかと思ったんだけど今フェードアウト期間らしく別件にも返事がない状態なんで諦めました。偽名ちゃんに関しては基本放し飼いというか連絡取れない時は取ろうとしても無駄なのです、。広い心と諦めをもって接しないと。ちなみに以前青森行った時には同じような理由(しかも確か現地で足がないと不便=運転手代わりという意味もこめて)で★さんを青森までお呼びしましたな。一緒に竜飛崎とか行ったね。
別に交際とかしてなくてもさー、こういう時に一緒にご飯食べれる相手が欲しいよねえ…って遠隔地だと確実にそれはお泊りなわけで、そしたらやられても文句言えないって意味で結局ハードル高いんだけどねーわかってるんだけどねー。
そんな久しぶりの国内の旅でした。
アイヌコタンへ(青森→阿寒湖)
2012年6月2日 非日常 ふかひれさんとバイバイして新幹線に飛び乗り、盛岡を経由して青森へ。青森では新幹線と寝台の接続に1時間くらい余裕があったので、青森在住の面白い後輩だいたちゃん(だいたひかるに超似てる)を3年半ぶりくらいにお呼び出しし、雑談。久しぶりに会ったのにそれか、というくらいふっつーの話やまあ少しの近況報告はしたけどすぐに時間は来てしまったのでした。当たり前だよな1時間…。「センパイもっと早く来ればよかったのに」とか恨み言を言われたけど、ごめん君はサメの心臓に負けた(と明言)。10月に同期とはじめての海外(ハワイ)だそうな。3年会ってないと大人になるね(同じような事を月初に元上司に言われた)。
今回っていうか最近このパターンばっかだな(京都名古屋行った時も長距離列車にかけこんでばかりでした)、と思いながら寝台に駆け込み。それこそ前にだいだちゃんに会った3年半前ぶりに寝台に乗ったんだけど(その時は青森まで寝台、今回は青森から)車両はちょっと違うとはいえ、基本的には構造ってか設備は一緒ね。固いといえば固いけどそこまで気にならず、ちょっと本読んでたら眠くなって終了。この日朝早かったしね…。
次の日、起きたら札幌。6時着。そこで発覚したのが乗車券がえらく複雑になってることが招いた悲劇…。僕は
1)前もって東京で一関→札幌間の乗車券(a)と特急券(新幹線と寝台)(b)
2)当日朝に東京で(a)を廃棄し、新たに東京→新青森の乗車券(c)と東京→一関の特急券(d)
3)当日夜に新青森→札幌の乗車券(e)がない?と思い購入
を持っていたんです。上を注意深く読むと、っていうか図を書くとわりと明快にわかるんだけど(c)がおかしいんですね。本来ならこれ、東京→札幌じゃないといけないのになぜか新青森で止まってる(eは不要だったはず)。これには原因があって、2)の話を駅員さんに相談してたらJRの管区(っていうの?)をまたぐ話しだもんでなんか思った以上に複雑だったらしく時間がかかり、発車時間間際になっちゃったんで駅員さんがあせってたんですね、多分それで間違えたんだと…。
札幌で降りるときになくしたと思ってた(a)をみつけてしまい、駅員さんに相談して、結局(a)を後日払い戻し(JR北海道では対応できないので東日本の駅にいってね、という事らしく)という決着がつきましたがこれをわかってもらうのに時間がかかった…そりゃ駅員も困るよね。まったく未使用の(a)と(e)をもってこられても…って今考えるとこれ重複してるの一関→新青森間だけだからそこだけ払い戻しすればいい気もするけど…まあいいや。
で、このすったもんだをしたあとは駅の構内のおにぎり+豚汁屋さんで朝食を食べ、すぐこんどは特急おおぞらで…何時間だ。4時間くらいかな。ホント今日は移動ばっかりですわ...釧路へ。そして釧路では宿からの迎えのバスを3時間待ち。しかし釧路もなんもないので…とりあえずフィッシャーマンズワーフMOOとかいうのを見て(川沿いに建ってるけど相当変な建物、用途不明)、和商市場という駅の近くの魚市場(観光向けだね)で勝手丼という名物をお昼に。勝手丼というのはご飯と具が別の店で別売りになってて自分で具を選んで刺身を乗っけるというものなんだけど…高い。いや刺身はそれなりに美味しいしあまり食べられない具もあるし、そもそも刺身って地味にもともと高いものなのは知ってるんだけどさ…と釈然としない道化さんは凶相のままどんぶりをかきこんでいましたよ。時知らず(サーモンのうまいの)が季節だ!といってたけどほんとか。ちんまりした刺身で一切れ200円…いや、店で食うとちんまりした数切れで1000円以上だった気もするのでしょうがないというか別に高くないんだけど…けど(エコー)…。
食べてもまだまだ時間が楽勝余ってしまっている上に何もすることが見つからずとりあえず駅の反対側行ってみたけど謎のザンギ屋しかなくて、まあそれじゃあということでザンギのちっさいパック買って食べながらまた駅舎に戻ってうろうろしてたらありましたよ、古本屋。でなめてみたら好きな売れてない昔の作家のもう今は売ってなくて偶然出会うしかないような本があったので購入し、駅の売店でヤンジャンを購入し、あとはカフェらしきところで紅茶を飲みながらひたすら読んで時間つぶし。宿へのバスに乗っても寝るか本読むかで時間つぶし。ずっとそんな感じ。
本日の宿は阿寒湖に面した「鶴雅」という宿。阿寒湖の周りでは多分一番でかく、きれいでグループのホテルもたくさんもってるようです。Twitterで「道央から道東にかけてのおすすめ温泉おしえて!」って教えてもらったんだけど、確かにいいです。大型ホテルだしあまり安くはないけど、快適。
まずサービスがやたら丁寧。1ゲストずつ荷物を持って部屋に案内し中の説明もしてくれたりいろんな所に人が配置されていて、まあきっとコンサルみたいな人が見たら「人多すぎ!」って怒りそうなくらい、館内にサポートしてくれる人が多い。そして部屋の内装も暗めだけどうまく木を使っててとても素敵。和洋室という、ベッドの横になぜかたたみで上がれる部分がついてるという謎仕様だったんだけど内装の雰囲気は今まで泊まった事があるホテルの中でも1,2を争うまとまり。色に統一感があるし、清潔だし。なのになんで廊下が普通の宿…というか壁紙ピンクやねんってのが少し残念ではあって、これを内装にあわせる(って普通ぎゃくやが)ことができたらもう何も言う事はなくなるでしょう。
風呂もかなりいいです。大浴場はB1と8Fにふたつあって時間で男女交代、両方入ってきたんだけど8Fは屋上が露天になってるからホント何もさえぎるものがない空を見ながらぼーっとできるし、B1のほうも湖が見渡せる。大浴場自体の面積も相当広くていろんな風呂が楽しめるし、清潔です。すばらしい。改善点があるとしたら露天にはやぶ蚊?の大群が所々にいるので、あれを追い払えれば…男の子はともかく、女の子にはつらいでしょう…。あと温泉としては多分単なるお湯です。特に何かに効果があるとかそういうのはないと思うんで、湯治とか楽しい!って以上を求めるなら多分別のところへいかれたほうがよいかと思います。ここも誰かときたかったなー。ひとりでも楽しいけど、きゃいきゃいしたらもっと楽しそう。
知らなかったけど、阿寒湖ってアイヌの拠点なんですかね。ホテルの周りには「アイヌコタン」というアイヌ土産?屋が軒を連ねる通りがあったり、そもそもこのホテルもアイヌテイストをいろんな所に取り入れていたり。しかし「アイヌ部落」って抵抗なく書いちゃう/言っちゃうのはカルチャーの違いかねえ。僕アイヌの模様結構好きで、あれを取り入れた布で作ったシャツとかほしいなーと思うんだけどそういうのはなさそう。木彫りの熊、みたいなんだけじゃなくてそれこそ京都の若い人がやってるみたいに自分の民族の色んなものを現代とミックスしたら結構面白いってこともあるんじゃないかなと思ったりするんだけど。
今回っていうか最近このパターンばっかだな(京都名古屋行った時も長距離列車にかけこんでばかりでした)、と思いながら寝台に駆け込み。それこそ前にだいだちゃんに会った3年半前ぶりに寝台に乗ったんだけど(その時は青森まで寝台、今回は青森から)車両はちょっと違うとはいえ、基本的には構造ってか設備は一緒ね。固いといえば固いけどそこまで気にならず、ちょっと本読んでたら眠くなって終了。この日朝早かったしね…。
次の日、起きたら札幌。6時着。そこで発覚したのが乗車券がえらく複雑になってることが招いた悲劇…。僕は
1)前もって東京で一関→札幌間の乗車券(a)と特急券(新幹線と寝台)(b)
2)当日朝に東京で(a)を廃棄し、新たに東京→新青森の乗車券(c)と東京→一関の特急券(d)
3)当日夜に新青森→札幌の乗車券(e)がない?と思い購入
を持っていたんです。上を注意深く読むと、っていうか図を書くとわりと明快にわかるんだけど(c)がおかしいんですね。本来ならこれ、東京→札幌じゃないといけないのになぜか新青森で止まってる(eは不要だったはず)。これには原因があって、2)の話を駅員さんに相談してたらJRの管区(っていうの?)をまたぐ話しだもんでなんか思った以上に複雑だったらしく時間がかかり、発車時間間際になっちゃったんで駅員さんがあせってたんですね、多分それで間違えたんだと…。
札幌で降りるときになくしたと思ってた(a)をみつけてしまい、駅員さんに相談して、結局(a)を後日払い戻し(JR北海道では対応できないので東日本の駅にいってね、という事らしく)という決着がつきましたがこれをわかってもらうのに時間がかかった…そりゃ駅員も困るよね。まったく未使用の(a)と(e)をもってこられても…って今考えるとこれ重複してるの一関→新青森間だけだからそこだけ払い戻しすればいい気もするけど…まあいいや。
で、このすったもんだをしたあとは駅の構内のおにぎり+豚汁屋さんで朝食を食べ、すぐこんどは特急おおぞらで…何時間だ。4時間くらいかな。ホント今日は移動ばっかりですわ...釧路へ。そして釧路では宿からの迎えのバスを3時間待ち。しかし釧路もなんもないので…とりあえずフィッシャーマンズワーフMOOとかいうのを見て(川沿いに建ってるけど相当変な建物、用途不明)、和商市場という駅の近くの魚市場(観光向けだね)で勝手丼という名物をお昼に。勝手丼というのはご飯と具が別の店で別売りになってて自分で具を選んで刺身を乗っけるというものなんだけど…高い。いや刺身はそれなりに美味しいしあまり食べられない具もあるし、そもそも刺身って地味にもともと高いものなのは知ってるんだけどさ…と釈然としない道化さんは凶相のままどんぶりをかきこんでいましたよ。時知らず(サーモンのうまいの)が季節だ!といってたけどほんとか。ちんまりした刺身で一切れ200円…いや、店で食うとちんまりした数切れで1000円以上だった気もするのでしょうがないというか別に高くないんだけど…けど(エコー)…。
食べてもまだまだ時間が楽勝余ってしまっている上に何もすることが見つからずとりあえず駅の反対側行ってみたけど謎のザンギ屋しかなくて、まあそれじゃあということでザンギのちっさいパック買って食べながらまた駅舎に戻ってうろうろしてたらありましたよ、古本屋。でなめてみたら好きな売れてない昔の作家のもう今は売ってなくて偶然出会うしかないような本があったので購入し、駅の売店でヤンジャンを購入し、あとはカフェらしきところで紅茶を飲みながらひたすら読んで時間つぶし。宿へのバスに乗っても寝るか本読むかで時間つぶし。ずっとそんな感じ。
本日の宿は阿寒湖に面した「鶴雅」という宿。阿寒湖の周りでは多分一番でかく、きれいでグループのホテルもたくさんもってるようです。Twitterで「道央から道東にかけてのおすすめ温泉おしえて!」って教えてもらったんだけど、確かにいいです。大型ホテルだしあまり安くはないけど、快適。
まずサービスがやたら丁寧。1ゲストずつ荷物を持って部屋に案内し中の説明もしてくれたりいろんな所に人が配置されていて、まあきっとコンサルみたいな人が見たら「人多すぎ!」って怒りそうなくらい、館内にサポートしてくれる人が多い。そして部屋の内装も暗めだけどうまく木を使っててとても素敵。和洋室という、ベッドの横になぜかたたみで上がれる部分がついてるという謎仕様だったんだけど内装の雰囲気は今まで泊まった事があるホテルの中でも1,2を争うまとまり。色に統一感があるし、清潔だし。なのになんで廊下が普通の宿…というか壁紙ピンクやねんってのが少し残念ではあって、これを内装にあわせる(って普通ぎゃくやが)ことができたらもう何も言う事はなくなるでしょう。
風呂もかなりいいです。大浴場はB1と8Fにふたつあって時間で男女交代、両方入ってきたんだけど8Fは屋上が露天になってるからホント何もさえぎるものがない空を見ながらぼーっとできるし、B1のほうも湖が見渡せる。大浴場自体の面積も相当広くていろんな風呂が楽しめるし、清潔です。すばらしい。改善点があるとしたら露天にはやぶ蚊?の大群が所々にいるので、あれを追い払えれば…男の子はともかく、女の子にはつらいでしょう…。あと温泉としては多分単なるお湯です。特に何かに効果があるとかそういうのはないと思うんで、湯治とか楽しい!って以上を求めるなら多分別のところへいかれたほうがよいかと思います。ここも誰かときたかったなー。ひとりでも楽しいけど、きゃいきゃいしたらもっと楽しそう。
知らなかったけど、阿寒湖ってアイヌの拠点なんですかね。ホテルの周りには「アイヌコタン」というアイヌ土産?屋が軒を連ねる通りがあったり、そもそもこのホテルもアイヌテイストをいろんな所に取り入れていたり。しかし「アイヌ部落」って抵抗なく書いちゃう/言っちゃうのはカルチャーの違いかねえ。僕アイヌの模様結構好きで、あれを取り入れた布で作ったシャツとかほしいなーと思うんだけどそういうのはなさそう。木彫りの熊、みたいなんだけじゃなくてそれこそ京都の若い人がやってるみたいに自分の民族の色んなものを現代とミックスしたら結構面白いってこともあるんじゃないかなと思ったりするんだけど。
と、いうことで旅の最初に気仙沼行ってきまして、その事をまず書いておこうと思います。ちなみに、写真は撮りませんでした。被災者であるふかひれさんがずっと横にいる所でカメラで写真を撮るのはなんか気が引けた、というのも正直なところあるんだけどもっともやもやと何もわからないところで撮る気が起きなかったのよね。なんでだろ。
一関まで車で迎えに来てくれて、1時間ほどアイスブレイク的なお話をちょこちょこしながら気仙沼市内に。まずはある種のシンボルになっている「船」の所にいきました。鹿折唐桑って気仙沼線の駅(いまは使えない)の目の前にころんと転がっている(つっかえ入れて立ってるけど)その船の前にはちょこんと献花台があって、地元のおじいさんがお祈りしてました(船の周りをうろうろしている間にも人がぱらぱら来ていたし、人手がこれだけの短期間で絶えるはずもないのに花が全て枯れていたのが悲しかった。潮風とかの影響もあると思うけど)。その周りはまっ平らで、道路だけは土を盛って新しく作ったんだとか。海から1kmくらいって言ってたかな、あまり距離はないけど土地が平坦なせいか建物があまり残っていないとはいえ海もみえずあまり水辺という感じはしないんだけど、それでもそこら辺まで波にのってこの船はきたんだそうです(ちなみに7だか8メートル水がないと船は浮かないんだそうな)。ちょうど船の向かいにセブンイレブンが新規開店していてその横に駐車したんだけど、そこからは火がどこまで行ったか、山に行ったら歯止めが利かなくなると言う事で防衛線のようなものを築いて消したらしい、といった話を聞かせてもらいました。海と山が近いのよね。山、といってもそこまで高いわけじゃないんだけど。
そして復興屋台村でお昼。何食うかねえ、と話していてどうせならじゃあ名物(らしい)気仙沼ホルモンくうべかと。夜鮫食う予定だったからね。昼からホルモンってすごいよね…。んで屋台村(2つある、大きくないほう)でギトギトして、食後は彼女の家の工場があった辺りへ。その道中もこの地区の避難先はここだったから助かった、逆にこの地区のはあそこだったから全員ダメだった、といった事を教えてもらいながら。見た目にはある程度高さがあった建物でもダメだったところはダメだったし、その辺は本当に神のみぞ、の世界みたい。
彼女の元家、そして隣の工場、彼女が上って助かったという会社の隣の作業場。加工用の工場がなくなってしまったので天日で干して作れる製品しか作れないけど、今はとにかくそれを作っていると彼女はその干してあるサメたちのひれを見せてくれたりして。それをみてなんか、「語るべき言葉を持たない」といった言葉がいかにも陳腐というか、それは「語るべきでない言葉」であるようなって言えばいいのかな。くだらない言葉遊び。この人はここで日常を生きていて僕は単なる観光客だし、そのぼーっとした無責任な立場で何かを言う事自体がなんか内容がなんであれひどく無神経な気がしました。
その間にも続く、色々な話。あの建物の上に居た人は息子がイギリスに留学していて、そちらにSOS連絡したらTwitter経由で広がってそれが自衛隊に伝わって生き延びた、というような話とか、自分の会社の従業員を解雇する書類を作るにも社印が必要だけどそんなものだって流されてしまって隣町のはんこ屋まで行って作らなきゃいけなかったのにそんなとこまで車もなしにどうやって行けって言うんだ(けどしゃーないからいった)、って話とか。そう、平らな土地は割合あるけど、結局事業をするためには電気も水も必要だし、それを確保できる場所はそんなにない、とか地盤沈下を補うため(なのか?)結局海の近くの土地は大規模な盛り土をしないと建物を建てられなくて、でもその作業完了を待っていたら数年かかりそうで、誰がそこまで待てるのか、といった話とか。
本当に色々な話をしてもらった気がする。のになんかどうリアクションをすればいいのかよくわからなかった。
瓦礫やなにかのひどさに絶句したわけではない。あそこまでひどかったわけではないけど僕も阪神の被災者であり、映画のセットでしかありえない光景の中で数ヶ月とはいえ暮らしてるんだから。道路の向かい側はビルが斜めになっていつ崩れるかわからないから歩行禁止、とか完全に瓦礫になってる建物の前で商売してたりとか、そういう光景は沢山見ている。普通の人が見る「被災地の写真」は非日常たるそういったものだけを切り取ったものだと思う。だけど実は当たり前だけどどんなになろうが、それこそ放射能でも飛んでない限りそこは誰かの生活の場で、その壊れかかった家の前を普通に犬連れて散歩してたり小学生が登下校してたりする。想像すりゃ当たり前だけど実地に行くとそのアンバランス(作りこまれていない単なる現実の発するメッセージに統一性なんてものは勿論ないわけよ)に多分衝撃を受けるんだろうけど、まさに自分はその当事者だったわけだし、そんなものは意外でもない。もやもや。
工場跡地(ちなみに今後は工場機能を分けて、今の場所に最初の加工の拠点を残しつつ、作業の大半は車で少し行ったところに作る新しい工場でやるみたい)を見たあとは、南下して岩井崎へ。九代目…なんだっけ、横綱が岬の突端から沖を指差している像があるんだけど、それが震源地を指しているんだとか。高地なわけでもないのにものすごいガスってました。ずっと多分松の木の林なんだけどその木は無事で、その周りの店とか建物は土台だけ。夜来たら怖いだろうなーって感じのところ。潮吹き岩?とかってのがあって波が強く当たると鯨が潮を吹いてるみたいに見えるらしいんだけどガスって見えず…。でも岬の突端は視界がとても開けていて、なんか気持ちよかった。長くはいなかったけど。
もどって…どこいったんだっけ。そうそう、お買い物。みやげ物屋やスーパー的なところで勧められるままに(というほどでもない)おいしそうなものを買ったり生物だったから諦めたり、まあ色々。しかしなぜ気仙沼限定ワンピースキーホルダーが海産物屋に…。ふかひれさんもあまり観光の人がいくような店に行く事がないらしく(当たり前か)わりと珍しそうにしていました。
夕食(1)は地元の居酒屋。安くてうまい!と評判で、さめの心臓(「もうかのほし」という)食べたいよう、という僕のわがままにしたがって(?)彼女がセットしてくれました。7時過ぎの新幹線に乗らなきゃいけないけどその店の夜の開店時間が比較的はやいのでいそげば食える!ということで。でもわりとゆっくりしちゃった。刺し盛りうめえな…サメの心臓はなんだろう、思ったより全然柔らかくて、ツルツル入ってくる。筋肉だし堅いのかな?と想像していたんだけど。酢味噌だったかね。うまいです。というかマグロの歯ごたえの柔らかさがありえん…。これで体調100%完璧だったらもっともっと食べられたし楽しめたんだろうなと思うけど(刺身の味の感じかたってモロに体調が影響する気がする)、でもそれでも美味しかった。
帰りも一関まで送ってもらいながら、また色々お話。この先どうしていくのか、何が障害なのかとかそんな仕事っぽい話とか、僕の話もしたしね。彼女の仕事であるふかひれについても色々話してくれました。すごく面白かった(ちゃんと話聞けばそれだけで面白い本でも書けそう)。お金は集まっても使い方が難しい、とか漁業権を猟師以外の民間(という表現はなんかおかしい感じもするけど)の会社にも与えるかどうかの議論が起こっている話とか、復興支援的なイベントに呼ばれる機会はあるんだけどそれに出て行くのだって金がかかるし、自分たちはB2Bで最終製品持ってないわけだから別に儲かるわけじゃないし、とか。そのすべてにちゃんとした答えができない自分は浅いなあ、と思ったりもしました。いや、答えられるかもしれないと思うこと自体が驕りなのかも知れんけどさ。正解という意味ではもちろんなく、ちゃんと考えてちゃんと返事をする、くらいはしたいよ。
というか多分、理屈で考えた所に多分正解的な答えはないのよ。東北6県の日本全体の税収に占める割合が3%(しかもそのうちの相当分が仙台)という現実とかさ(という話も聞いた)、ちゃんとしたデータを元に考えたらばら色の未来なんて描けない。その種がない。でもブレイクスルーが期待できないからってんでぱっとやめちゃうか、っていうとそれも違っているんだろうなとぼんやり思うのです。
僕は東京で生まれ、おそらく大きなことがなければ東京で暮らして死んでいく(まーありえるとしてもしかしたら海外か)人間です。田舎と呼ばれるものを持たず、だから田舎で生まれて田舎で育ち、死んでいく人と関わる事はとても少ない。きっとこの先だって何人も会うわけではない。今日のように直接話をすることももしかしたらほとんどない。そういう意味で勉強…というとなんか違う気もするけど…まあとにかく色々考える端緒・刺激にはなったのはたしか。しかしそれこそインターネッツ万歳だよな。ネットがなければこうして僕の生活の中に立ち現れることもなかったわけだから。
なんだろ、これもうまく表現できないんだけど、彼女のように否応なしに何かに縛られている、というのはきっとよくある話なんだと思う。家業を継がなきゃいけない、どこかで暮らしていかなきゃいけない、家の名前を残さなきゃいけないetc…僕や僕の周りに居る人は結構そういうものから自由な人が多くて、あまりそういう話がでてこない。でもふかひれさんのように持った札で勝負をせざるを得ない(別にそれが嫌なわけではないみたいだけど)人というのが一方にはいて、そういう人と会った時にぼくはどうすればいいんだろうか。もちろん自分が恵まれている立場だって改めて認識して感謝する、そんなことは当然するんだけど、それだけじゃない気がするんだよね。何かできる、しなきゃいけないはずだと思うんだけど…。うまい考えが浮かびません。
なんかちょっと刺身に熱中しすぎて遅刻するか?と思ったけどそこはギリギリセーフ…ってか東京で地震があった影響とかで新幹線が遅れて助かった形なんだけど…まあ何に助けられたかはおいといて、間に合いました。一路青森。
次に彼女と会うのはいつになるんでしょう。元々彼女は結構頻繁に東京に来てたんだけどそれは妹がいたからで、妹は今地元に帰ってる。あと多分仕事が軌道に乗りなおさないとそんなに遊んでもいられないでしょう。僕が今後気仙沼に行く事は現実的な話、おそらくないだろうし…。彼女はSNSなどやっていないから気まぐれにメッセンジャーに現れたところを捕まえるしかないんだけど、まーそれもいいのかな。Chatpadで適当に出会って数ヶ月(?)チャットしただけのわりにはもう少し腹を割って話すともっと面白い関係になれる気がしていて、今回その時間がなかったのが残念でもあり、でもそれ以前に一旦途切れた関係をちゃんと修復できた事に感謝すべきなのでしょう。
そんな、気仙沼初訪問でした。
一関まで車で迎えに来てくれて、1時間ほどアイスブレイク的なお話をちょこちょこしながら気仙沼市内に。まずはある種のシンボルになっている「船」の所にいきました。鹿折唐桑って気仙沼線の駅(いまは使えない)の目の前にころんと転がっている(つっかえ入れて立ってるけど)その船の前にはちょこんと献花台があって、地元のおじいさんがお祈りしてました(船の周りをうろうろしている間にも人がぱらぱら来ていたし、人手がこれだけの短期間で絶えるはずもないのに花が全て枯れていたのが悲しかった。潮風とかの影響もあると思うけど)。その周りはまっ平らで、道路だけは土を盛って新しく作ったんだとか。海から1kmくらいって言ってたかな、あまり距離はないけど土地が平坦なせいか建物があまり残っていないとはいえ海もみえずあまり水辺という感じはしないんだけど、それでもそこら辺まで波にのってこの船はきたんだそうです(ちなみに7だか8メートル水がないと船は浮かないんだそうな)。ちょうど船の向かいにセブンイレブンが新規開店していてその横に駐車したんだけど、そこからは火がどこまで行ったか、山に行ったら歯止めが利かなくなると言う事で防衛線のようなものを築いて消したらしい、といった話を聞かせてもらいました。海と山が近いのよね。山、といってもそこまで高いわけじゃないんだけど。
そして復興屋台村でお昼。何食うかねえ、と話していてどうせならじゃあ名物(らしい)気仙沼ホルモンくうべかと。夜鮫食う予定だったからね。昼からホルモンってすごいよね…。んで屋台村(2つある、大きくないほう)でギトギトして、食後は彼女の家の工場があった辺りへ。その道中もこの地区の避難先はここだったから助かった、逆にこの地区のはあそこだったから全員ダメだった、といった事を教えてもらいながら。見た目にはある程度高さがあった建物でもダメだったところはダメだったし、その辺は本当に神のみぞ、の世界みたい。
彼女の元家、そして隣の工場、彼女が上って助かったという会社の隣の作業場。加工用の工場がなくなってしまったので天日で干して作れる製品しか作れないけど、今はとにかくそれを作っていると彼女はその干してあるサメたちのひれを見せてくれたりして。それをみてなんか、「語るべき言葉を持たない」といった言葉がいかにも陳腐というか、それは「語るべきでない言葉」であるようなって言えばいいのかな。くだらない言葉遊び。この人はここで日常を生きていて僕は単なる観光客だし、そのぼーっとした無責任な立場で何かを言う事自体がなんか内容がなんであれひどく無神経な気がしました。
その間にも続く、色々な話。あの建物の上に居た人は息子がイギリスに留学していて、そちらにSOS連絡したらTwitter経由で広がってそれが自衛隊に伝わって生き延びた、というような話とか、自分の会社の従業員を解雇する書類を作るにも社印が必要だけどそんなものだって流されてしまって隣町のはんこ屋まで行って作らなきゃいけなかったのにそんなとこまで車もなしにどうやって行けって言うんだ(けどしゃーないからいった)、って話とか。そう、平らな土地は割合あるけど、結局事業をするためには電気も水も必要だし、それを確保できる場所はそんなにない、とか地盤沈下を補うため(なのか?)結局海の近くの土地は大規模な盛り土をしないと建物を建てられなくて、でもその作業完了を待っていたら数年かかりそうで、誰がそこまで待てるのか、といった話とか。
本当に色々な話をしてもらった気がする。のになんかどうリアクションをすればいいのかよくわからなかった。
瓦礫やなにかのひどさに絶句したわけではない。あそこまでひどかったわけではないけど僕も阪神の被災者であり、映画のセットでしかありえない光景の中で数ヶ月とはいえ暮らしてるんだから。道路の向かい側はビルが斜めになっていつ崩れるかわからないから歩行禁止、とか完全に瓦礫になってる建物の前で商売してたりとか、そういう光景は沢山見ている。普通の人が見る「被災地の写真」は非日常たるそういったものだけを切り取ったものだと思う。だけど実は当たり前だけどどんなになろうが、それこそ放射能でも飛んでない限りそこは誰かの生活の場で、その壊れかかった家の前を普通に犬連れて散歩してたり小学生が登下校してたりする。想像すりゃ当たり前だけど実地に行くとそのアンバランス(作りこまれていない単なる現実の発するメッセージに統一性なんてものは勿論ないわけよ)に多分衝撃を受けるんだろうけど、まさに自分はその当事者だったわけだし、そんなものは意外でもない。もやもや。
工場跡地(ちなみに今後は工場機能を分けて、今の場所に最初の加工の拠点を残しつつ、作業の大半は車で少し行ったところに作る新しい工場でやるみたい)を見たあとは、南下して岩井崎へ。九代目…なんだっけ、横綱が岬の突端から沖を指差している像があるんだけど、それが震源地を指しているんだとか。高地なわけでもないのにものすごいガスってました。ずっと多分松の木の林なんだけどその木は無事で、その周りの店とか建物は土台だけ。夜来たら怖いだろうなーって感じのところ。潮吹き岩?とかってのがあって波が強く当たると鯨が潮を吹いてるみたいに見えるらしいんだけどガスって見えず…。でも岬の突端は視界がとても開けていて、なんか気持ちよかった。長くはいなかったけど。
もどって…どこいったんだっけ。そうそう、お買い物。みやげ物屋やスーパー的なところで勧められるままに(というほどでもない)おいしそうなものを買ったり生物だったから諦めたり、まあ色々。しかしなぜ気仙沼限定ワンピースキーホルダーが海産物屋に…。ふかひれさんもあまり観光の人がいくような店に行く事がないらしく(当たり前か)わりと珍しそうにしていました。
夕食(1)は地元の居酒屋。安くてうまい!と評判で、さめの心臓(「もうかのほし」という)食べたいよう、という僕のわがままにしたがって(?)彼女がセットしてくれました。7時過ぎの新幹線に乗らなきゃいけないけどその店の夜の開店時間が比較的はやいのでいそげば食える!ということで。でもわりとゆっくりしちゃった。刺し盛りうめえな…サメの心臓はなんだろう、思ったより全然柔らかくて、ツルツル入ってくる。筋肉だし堅いのかな?と想像していたんだけど。酢味噌だったかね。うまいです。というかマグロの歯ごたえの柔らかさがありえん…。これで体調100%完璧だったらもっともっと食べられたし楽しめたんだろうなと思うけど(刺身の味の感じかたってモロに体調が影響する気がする)、でもそれでも美味しかった。
帰りも一関まで送ってもらいながら、また色々お話。この先どうしていくのか、何が障害なのかとかそんな仕事っぽい話とか、僕の話もしたしね。彼女の仕事であるふかひれについても色々話してくれました。すごく面白かった(ちゃんと話聞けばそれだけで面白い本でも書けそう)。お金は集まっても使い方が難しい、とか漁業権を猟師以外の民間(という表現はなんかおかしい感じもするけど)の会社にも与えるかどうかの議論が起こっている話とか、復興支援的なイベントに呼ばれる機会はあるんだけどそれに出て行くのだって金がかかるし、自分たちはB2Bで最終製品持ってないわけだから別に儲かるわけじゃないし、とか。そのすべてにちゃんとした答えができない自分は浅いなあ、と思ったりもしました。いや、答えられるかもしれないと思うこと自体が驕りなのかも知れんけどさ。正解という意味ではもちろんなく、ちゃんと考えてちゃんと返事をする、くらいはしたいよ。
というか多分、理屈で考えた所に多分正解的な答えはないのよ。東北6県の日本全体の税収に占める割合が3%(しかもそのうちの相当分が仙台)という現実とかさ(という話も聞いた)、ちゃんとしたデータを元に考えたらばら色の未来なんて描けない。その種がない。でもブレイクスルーが期待できないからってんでぱっとやめちゃうか、っていうとそれも違っているんだろうなとぼんやり思うのです。
僕は東京で生まれ、おそらく大きなことがなければ東京で暮らして死んでいく(まーありえるとしてもしかしたら海外か)人間です。田舎と呼ばれるものを持たず、だから田舎で生まれて田舎で育ち、死んでいく人と関わる事はとても少ない。きっとこの先だって何人も会うわけではない。今日のように直接話をすることももしかしたらほとんどない。そういう意味で勉強…というとなんか違う気もするけど…まあとにかく色々考える端緒・刺激にはなったのはたしか。しかしそれこそインターネッツ万歳だよな。ネットがなければこうして僕の生活の中に立ち現れることもなかったわけだから。
なんだろ、これもうまく表現できないんだけど、彼女のように否応なしに何かに縛られている、というのはきっとよくある話なんだと思う。家業を継がなきゃいけない、どこかで暮らしていかなきゃいけない、家の名前を残さなきゃいけないetc…僕や僕の周りに居る人は結構そういうものから自由な人が多くて、あまりそういう話がでてこない。でもふかひれさんのように持った札で勝負をせざるを得ない(別にそれが嫌なわけではないみたいだけど)人というのが一方にはいて、そういう人と会った時にぼくはどうすればいいんだろうか。もちろん自分が恵まれている立場だって改めて認識して感謝する、そんなことは当然するんだけど、それだけじゃない気がするんだよね。何かできる、しなきゃいけないはずだと思うんだけど…。うまい考えが浮かびません。
なんかちょっと刺身に熱中しすぎて遅刻するか?と思ったけどそこはギリギリセーフ…ってか東京で地震があった影響とかで新幹線が遅れて助かった形なんだけど…まあ何に助けられたかはおいといて、間に合いました。一路青森。
次に彼女と会うのはいつになるんでしょう。元々彼女は結構頻繁に東京に来てたんだけどそれは妹がいたからで、妹は今地元に帰ってる。あと多分仕事が軌道に乗りなおさないとそんなに遊んでもいられないでしょう。僕が今後気仙沼に行く事は現実的な話、おそらくないだろうし…。彼女はSNSなどやっていないから気まぐれにメッセンジャーに現れたところを捕まえるしかないんだけど、まーそれもいいのかな。Chatpadで適当に出会って数ヶ月(?)チャットしただけのわりにはもう少し腹を割って話すともっと面白い関係になれる気がしていて、今回その時間がなかったのが残念でもあり、でもそれ以前に一旦途切れた関係をちゃんと修復できた事に感謝すべきなのでしょう。
そんな、気仙沼初訪問でした。
休日のつもりではあったけど
2012年5月27日 日常 ほんとうにまったく動けない日になってしまいました。この先週まで遠くで結婚式2連発だったし来週は旅だし、ということで今週末は少し遅いけど季節ものの衣料品の出し入れでもして靴を磨いてゆっくりすごそう...と思っていたら異変が訪れたのは木曜日。夕方くらいから腰が痛いんですね。あーこれは来たか、とこの時既に悪い予感(というかもう来てるんだから予感じゃねえか...)はとりあえず見ないふりをして、阿部芙蓉美(いつも変換がめんどくさい)さんのワンマンへ。渋谷の例の元映画館、マウントリニアーだっけ、だったんでお座りだったんだけど、ちょっとしたホール級でもあの独特の、というかふざけた、というか喋りは変わらず、歌も変わらず、良いライブでした。そして出口でなぜかセットリスト配ってた。別にいいけど今日来る人は大体全曲知ってるんじゃなかろうか...新しい曲があったわけでもなし。
最近、といってそんな短いスパンじゃなくここ5年とかもしかしたらもっとかもしれないけど、僕の音楽の好みってジャンルに対してストレートに上手い人にあまり興味がわかなくて、この人みたいにやりたい事が先にあって声とか楽器の使い方をその「やりたい事」を表現するために使っていく、という人に向いている気がしています。どんなに変な歌い方や楽器編成でも目的が見えればそれでいいというか...ってこういう書き方をするとそりゃ当然だよな...うーん、文字にするの難しいな。まあこの話はこれくらいで。あーでも上手い人も好きですよ、圧倒的に上手ければ(またえらそうな)。
話はどんどんそれていくけど、僕は良く(?)言えば極端な人しか好きにならないので、それがたまにクラシック退屈だなーと思う瞬間に結びついていくのかなと思います。定番で上手いのって特にこの業界既に神様がたくさんいて掘りつくされてるし、なんかむなしい気がするのよね...いや安易な逃げだって言いたい人がいるだろうことは想像つくんだけどさ。
今その偉人たちに勝っていくためには、その人たちが絶対出来ないことで競っていくしかない。一番大きなことはもちろん、自分たちが現役であるということ、つまりライブが出来るって事。求められたことに対して応える事ができるってこと。だけど、もうひとつ、その先人と違う道を拓くってのもありなんじゃないかなと思うわけ。例えばモーツァルトのヴァイオリン協奏曲弾きながら途中のソロの部分で色々はじめるジル・アパップ(http://www.gillesapap.com/)とか、たまに裸足、たまに歌うコパチンスカヤ(http://www.youtube.com/watch?v=pbRCYlm3oCY)とか。ちなみにコパチンは自分のオフィシャルサイトにくそみそにかかれた批評を集めたコーナーを作ってたはず...。ていうかこの適当に今検索して見つけたリンク先のチャイコフスキーかっこよすぎるよ…音はずしてるけど全然そんなこと問題じゃない。超テンポはやいねー。
あー
と生中継モードに入ってしまうのでここらで(聴きながら)話を戻すとして…どこに戻すんだ?まあいいや。
ああそうそう、★さんと行ったんですけどそのライブ、終わって飯食ってる時から座ってるのが辛くてあーやっぱ駄目かなーと思って、でも色々積もる話もあったんで頑張って、でも帰りはタクシーで収容だったんです。駅から歩くのが辛くて。
で、金曜一層腰も痛いしああーと思って帰宅してすぐ寝て、起きて寝るを繰り返して気付いたら日曜朝と。腹も痛いし出ないくせにうっ、っと来ると下痢だし体温がおかしい...というか末端が冷えまくるしやたら汗かくし、今回はやばいかなーとおもいました。腰から始まって腹、そして頭。悪いところはどんどん移っていくしね。思い返すとそんなに長い時間じゃなかったんだけど30分から1時間ごとに寝て起きて水飲んでを繰り返してるとそりゃ嫌にもなりますわな。なんでそんなんで起きちゃうのに寝れるんだ。昨日の夜は長かった。以前書いたことあるはずだけど抗生物質と酒を一緒に飲んでバッドトリップしたことがあって、あれだけは二度とやるまいと思ったんだけどその時とちょっと似てた(末端の冷え方とか)。つうかこれ多分風邪じゃない気がする…食中毒とかじゃねえの。もちろん疲労とのあわせ技なんだろうけど。
まあ最近飛び回ってたしその前もほんときつかったんで当然というかそろそろお休み必要ポイントだとはわかっていたんですが、それにしてもきっちりはまりましたよね。そして悲しいことに(?)こうやって体調も戻ってきて明日から会社とかいけちゃいそうな雰囲気なわけです。ていうか金曜休むんだから今週他の曜日は全部でなきゃいかん。
ああそうそう、旅。結局金曜から月曜の四日間で日本半分横断、というものになりそうです。そもそもは…ってのは前書いたな、とりあえず北海道に行こう!と決めて色々考えていたある日、昨年4月以降連絡が取れなかったふかひれさんからメールがきたんですな。ふかひれさんはメッセンジャーでたまにやりとりをしていた気仙沼の人で、ふかひれ加工業を営んでいました。で、上海留学経験があるとかでそういう話で盛り上がっていたりしたんですがあの震災で、海沿いに会社がという話だしあーだめか…と思ってたら4月になって「死にかけたけど生きてる」ってな連絡を貰って、うおーと思って返事したらそのまま連絡が取れなくなり…といった感じで。まあ色々大変だろうし顔もしらんネットの交友関係とうだうだしてる余裕はないのかなーとか思っていたわけです。まあ余震或いは他の何かで死んだかも、ってな事も考えましたし。
んでまー連絡が来て久しぶりにチャットなどしていて一年も前だとそもそも相手がどんな人だったかも覚えてないよねあっはっは(実際あんま覚えてない)などと言いながら少し身分を明かしたりして、いろんな近況の話とかをする中で「機会があったら来れば?」みたいな話になって。その時即はうけなかったんだけど、もう既に北海道は考えていたから同じ北だし(安易)調整つくなら行ってみてもいいかな、と思ったわけです。んで、ついちゃったと。
しかし安易でしたけどね。同じ北とはいえあの辺から下手したら北海道いくのって東京経由の方が近くなってしまうという…とうほくこわい。というか平泉と一ノ関がめちゃちかいとかまあ色々自分の地理感覚のなさに泣けていました。
最近、といってそんな短いスパンじゃなくここ5年とかもしかしたらもっとかもしれないけど、僕の音楽の好みってジャンルに対してストレートに上手い人にあまり興味がわかなくて、この人みたいにやりたい事が先にあって声とか楽器の使い方をその「やりたい事」を表現するために使っていく、という人に向いている気がしています。どんなに変な歌い方や楽器編成でも目的が見えればそれでいいというか...ってこういう書き方をするとそりゃ当然だよな...うーん、文字にするの難しいな。まあこの話はこれくらいで。あーでも上手い人も好きですよ、圧倒的に上手ければ(またえらそうな)。
話はどんどんそれていくけど、僕は良く(?)言えば極端な人しか好きにならないので、それがたまにクラシック退屈だなーと思う瞬間に結びついていくのかなと思います。定番で上手いのって特にこの業界既に神様がたくさんいて掘りつくされてるし、なんかむなしい気がするのよね...いや安易な逃げだって言いたい人がいるだろうことは想像つくんだけどさ。
今その偉人たちに勝っていくためには、その人たちが絶対出来ないことで競っていくしかない。一番大きなことはもちろん、自分たちが現役であるということ、つまりライブが出来るって事。求められたことに対して応える事ができるってこと。だけど、もうひとつ、その先人と違う道を拓くってのもありなんじゃないかなと思うわけ。例えばモーツァルトのヴァイオリン協奏曲弾きながら途中のソロの部分で色々はじめるジル・アパップ(http://www.gillesapap.com/)とか、たまに裸足、たまに歌うコパチンスカヤ(http://www.youtube.com/watch?v=pbRCYlm3oCY)とか。ちなみにコパチンは自分のオフィシャルサイトにくそみそにかかれた批評を集めたコーナーを作ってたはず...。ていうかこの適当に今検索して見つけたリンク先のチャイコフスキーかっこよすぎるよ…音はずしてるけど全然そんなこと問題じゃない。超テンポはやいねー。
あー
と生中継モードに入ってしまうのでここらで(聴きながら)話を戻すとして…どこに戻すんだ?まあいいや。
ああそうそう、★さんと行ったんですけどそのライブ、終わって飯食ってる時から座ってるのが辛くてあーやっぱ駄目かなーと思って、でも色々積もる話もあったんで頑張って、でも帰りはタクシーで収容だったんです。駅から歩くのが辛くて。
で、金曜一層腰も痛いしああーと思って帰宅してすぐ寝て、起きて寝るを繰り返して気付いたら日曜朝と。腹も痛いし出ないくせにうっ、っと来ると下痢だし体温がおかしい...というか末端が冷えまくるしやたら汗かくし、今回はやばいかなーとおもいました。腰から始まって腹、そして頭。悪いところはどんどん移っていくしね。思い返すとそんなに長い時間じゃなかったんだけど30分から1時間ごとに寝て起きて水飲んでを繰り返してるとそりゃ嫌にもなりますわな。なんでそんなんで起きちゃうのに寝れるんだ。昨日の夜は長かった。以前書いたことあるはずだけど抗生物質と酒を一緒に飲んでバッドトリップしたことがあって、あれだけは二度とやるまいと思ったんだけどその時とちょっと似てた(末端の冷え方とか)。つうかこれ多分風邪じゃない気がする…食中毒とかじゃねえの。もちろん疲労とのあわせ技なんだろうけど。
まあ最近飛び回ってたしその前もほんときつかったんで当然というかそろそろお休み必要ポイントだとはわかっていたんですが、それにしてもきっちりはまりましたよね。そして悲しいことに(?)こうやって体調も戻ってきて明日から会社とかいけちゃいそうな雰囲気なわけです。ていうか金曜休むんだから今週他の曜日は全部でなきゃいかん。
ああそうそう、旅。結局金曜から月曜の四日間で日本半分横断、というものになりそうです。そもそもは…ってのは前書いたな、とりあえず北海道に行こう!と決めて色々考えていたある日、昨年4月以降連絡が取れなかったふかひれさんからメールがきたんですな。ふかひれさんはメッセンジャーでたまにやりとりをしていた気仙沼の人で、ふかひれ加工業を営んでいました。で、上海留学経験があるとかでそういう話で盛り上がっていたりしたんですがあの震災で、海沿いに会社がという話だしあーだめか…と思ってたら4月になって「死にかけたけど生きてる」ってな連絡を貰って、うおーと思って返事したらそのまま連絡が取れなくなり…といった感じで。まあ色々大変だろうし顔もしらんネットの交友関係とうだうだしてる余裕はないのかなーとか思っていたわけです。まあ余震或いは他の何かで死んだかも、ってな事も考えましたし。
んでまー連絡が来て久しぶりにチャットなどしていて一年も前だとそもそも相手がどんな人だったかも覚えてないよねあっはっは(実際あんま覚えてない)などと言いながら少し身分を明かしたりして、いろんな近況の話とかをする中で「機会があったら来れば?」みたいな話になって。その時即はうけなかったんだけど、もう既に北海道は考えていたから同じ北だし(安易)調整つくなら行ってみてもいいかな、と思ったわけです。んで、ついちゃったと。
しかし安易でしたけどね。同じ北とはいえあの辺から下手したら北海道いくのって東京経由の方が近くなってしまうという…とうほくこわい。というか平泉と一ノ関がめちゃちかいとかまあ色々自分の地理感覚のなさに泣けていました。