ということで2018年。振り返ってみると実は去年どころか一昨年もそんなにろくに計画を立てていないことに気づいて、なんだかなあという気分になる。それに気づいて、というより気づく前から色々考えてはいたんだけどいまいちまとまらないのも事実。でもまあ、つらつら書いていこうと思う。

 まず去年の継続。
1 中国語。まあこれはそこまでの意識的な努力は必要ないと思う。やるだけだ。もっと本を読む。もっと会話をする。それだけ…ってその2つをやるのがどんだけ大変かって話なんだけどね。
 ちなみに今偶然、日本語学校の先生になるという誘いを受けている。どの程度の学校かわからないけど、結構面白い話だとは思う。日本語を客観的に理解することは、自分の色々なことを客観的に理解することでもある…かもしれないし。

 そう、昨日書かなかったけど自分の上達の実感の中に、英語を喋ったり書くのが面倒になってきたりということがある。英語のほうが喋り慣れてるからまだ話している分には英語のほうが心地よいんだけど、でも多分局地的には中国語のほうが上回っているという現象が起きつつあるんだと思う。


2 お嬢
 そもそもこの人、下手したら今日広州居るはずだったんですよね…お陰で正月のスケジュールぐちゃぐちゃ…。やっぱり「終われると黙る」というのがこの人の極限悪い癖ですね。前も一回書いたけど、多分打たれることに慣れていない。別に責めているわけでもないのにスケジュールをやたら確定させたがらない、聞かれても「もしかして」とか体のいいコトいってブロックさせておいて決めないという…まあああいう階級だしなあ、という事以外ないです。別に怒ってないんだから来れないなら来れないって言えばいいだけなのにね。そういう意味では弱いというか、ごめんなさいが出来ない人なんだなと思ったりはします。
 まあともかく、今年もこれは追い続ける一つの目標になるのでしょう。昨日書いたように、もはやどうケリを付けていいかよくわからなくなってきてるけど…ていうか次にどうやって連絡とりゃいいんだろ。


3 書くこと
 これは確実に入ってくるでしょうね。今実は結構な大ネタを用意していて、これを出来れば春節前までに完成させたいと思っている。ネタを相談している人には「ちゃんと書いたら本一冊の内容だよね」って言われているけど…一応この構想は評価してもらっていて、ちゃんと書けたらしかるべき雑誌の偉い人に紹介してもらえることになってます。はてさて。

 それ以外でも、最低でも月1本くらいは書きたいなと思ってます。これは載せていただく分もそうだし、自分のブログも含めて。で、少なくとも専門家の間では自分のブランドをある程度見える形で確立する年にしたいなと思っています。それは勿論ある程度のブランドがある雑誌などへの発表でしょうし、アクセス数やはてブなどでもありましょう。何かしらのマイルストーンを突破したいと思っています。
 ひとまず、前回のはてブ(を基準にするってのが自分でも不思議だけどFBシェアとかで考えるのもなあ)数を越えるものを上下半期で2本とか産めたら最高じゃないでしょうか。

 あとは本名で有名になろうぜ計画ってのも有るんだけど…まあこれは詳細書きません。恥ずかしいし。

4 プログラミング
 これは迷ってます。本とか買ってちょいちょい読んでるんだけど、実用のイメージが抱けないということが大きく、なんか進まない。そもそもプログラミング「言語」っていうくらいで新しい言語だし、それを覚えるのは(昔に比べて簡単になってきているとはいえ)それなり以上に難しいわけで、それをやるべきなのか…迷うけど、だけどこれからの時代というかこれからも、実際に戦力になるかはともかくとしてプログラミングがわかっていることは必須条件な気がするのよね…そして言いたくはないけど年令を重ねるごとにこういうことを覚える能力は下がっていくんだろうし、あせりを感じなければいけないんだろうなと思います。

5 次の仕事
 うーん、これも迷い中。今年を通じて思った(そしてここにも書いた)のは、広州もう良いかな、という事とやっぱり俺上海好きだなあということ。でも僕はいま会社に送っていただいてここにいるし、それは普通の転職と比べて動くと色々影響があるから簡単には出来ないということでもある。言い訳するなよ、とか言われそうだけど、事実そういう面はあるわけです。
 それに、広州の弊社のレベルは低いのは確かだけど居心地は悪くないわけで、出張もできるわけ、であれば精一杯この機会というかリソースを使い倒して遊び倒す、というのもひとつの選択肢。いまやっていることはそれに近いかもしれないけど…。家だって、上海行ったらこれと同じ家には住めないだろうしなあ…。

 僕の駐在期限がまあ自分が希望しない限りはおそらくあと1年半弱のはずで、半分を過ぎている。であればフルに1年あるのが最後ということでもあるし、次を本当に明確に考えなきゃいけない。お嬢の話がちょっと連動してくるんだけど…このままの関係で上海に行ってしまうと、結構今後捕まえるのが面倒になり、続けるのが困難。ただ彼女は杭州に定期的に来る機会はあるので、逆に一端固定してしまえば、僕が上海ベースになってもなんとかやっていける気はする。結構それが影響している気がする。彼女の「庇護下」に入ることができるのなら、それは正直どんなキャリアプランとやらより一番確実な「上がり」ではある、という意味も含めて。書いてて自分でもゲッスいなあ、と思うけど実際そうやねん。これは僕が彼女をどう思うかとかとはちょっとまた違うレイヤーでね。

 まあでもそんな起こるかどうかわからない話で時間を空転させてもしょうがないよね。日本で働くのも良いなあ、と思ってはいるけど具体的にやれる仕事のイメージがわかないし(まあ1年位は今の会社に戻れば良いんだけどさ)なあ…生活のイメージは湧くんだけど。しばらく食うだけならいろんな中国関係の仕事はあるんだろうけど、べつに食うために仕事するんじゃなくて根本的には暇つぶしだしな…ってまた稼がなくても食っていけるかのような発言しちゃダメですな。

6 その他
 これもまあ、どうしようかなあという類でいうと、トレーニング。俺太ったよなあみたいなのはあって、体型管理的な意味でトレーニングしなきゃいけないのかも、とは思っています…思って入るものの、という感じ。家でできることをやればいいんだろうけど。

 あとは料理のレパートリー増やすかとかそんな程度はあるけど、何かがほしいとか何をしたいとか、あんまりないな…バンドかヴァイオリンかは久しぶりにやれたら良いなと思うけれども。


 ちなみに話は全然違うけど、今年はやたら沢山のおせちをつくりました。
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 元旦から、こないだ帰国した時に買った佐藤究によるAnkという小説。ジャンルはよくわからない。近年読んだ小説と呼ばれるものの中で最高だった(って別に年百冊読むような人間ではないですけど)。有栖川有栖の帯コメント「人類史の先まで射程が及ぶ奇想・思弁は、この作者ならでは」が本当にしっくりくる。こんな大袈裟に書いているにも関わらず。

 着想の壮大さに加え、それがちゃんと破綻なく解決されていることも素晴らしい。「筋はすごかったけど、なんか細部が雑」みたいな事はこういう話にはよくある、しかしこの作品にはそういったことが一切ない。おそらく登場人物を絞り、その絞られた人物たちの内面も(作品の厚さの割には)意図的に掘り下げなかったことで、話が散らずにうまくまとめられたのだろう。

 この本は書店をぶらついている時にみつけて買ったもので、作者のことも、乱歩賞を取ったという前作のことも知らない。しかしこういった異常な長さと深さの射程を持った作品が第二作であるということに本当に驚く。たまに小説でありながら自分の専門分野を駆使してものすごい深さの作品を書く人というのはいる。ただ、人間は人生を1回しか生きられない以上、そして同じネタで2作品は難しい以上、別に悪い意味ではないが一発屋で終わってしまうことが多いと思う。これはノンフィクションなどではもっとよくある話で、自分が人生を掛けて追いかけているものを文字に起こしている、といったものだ。

 前作のことは知らないしこの人がチンパンジーの研究に関わっていた経歴があるかも知らないが、この着想を全くの外から編み出したとしたら…もうため息しか出ない。

 さて、この本は色々なサイトでもきっと絶賛されているだろうし(見てないけど)これ以上褒めない。ただひとつだけ、ざっと検索した限りでは出ていなかった奇妙な符号について書き残しておこうと思う。

 この本のサブタイトル "a mirroring ape"は、作品の構想の中核でもある(先が読みたすぎてわりとわーっと読んじゃったのでもしかして理解が間違ってたり…とかいうのが怖いけど)。ネタバレというと厳密にはネタバレになるかもしれないのでざっくりとだけ書くと、要するに水面に映る己を見た猿がそれを己と認識できるかどうかによって進化する…という話。そしてこの作品の舞台は京都。
 
 このふたつの要素が揃う小説が他にもある。「カーニバル」。清涼院流水という自称「大説家」が書いた推理小説だ。といってもそこで起こるのはちょっと飛びすぎていて推理とも言えないし…まあ奇書と言って反対する人は多分誰もいないだろう。
索したってでてこないし自分の記憶自体(繰り返しになるけど)相当いい加減なので直接書くと、「カーニバル」の中で起こる事件の黒幕(だったか黒幕のひとり)はEVEという猿(がたしか転生した姿)で、そのEVEは群れから離れてひとりで生きていたある日水面を見て自分以外の他者を認識し、その認知から自我が生まれ、一気に進化した…という話だったように記憶している(というか忘れていたけど、この本を読んで思い出した)。

 そしてもうひとつ。清涼院流水(今amazonのレビューなどを読んでも非常に評価は低いし自分の周りでも誰かが褒めているのを聞いたこともないが僕は結構好きだ)は京都大学出身で、そこの推理研究同好会だったかミステリ研究会だったかなんだったか、綾辻行人などを排出した名門サークルの出身だったはず。だから彼のJDCシリーズは京都が舞台になっていたりする。

 さて、これは符合なのか暗合なのか…と書くと清涼院っぽい?よくわからんけど。意識されたものなのか偶然なのかはわからない(し、実はこの猿と鏡と自己認識の話は実は小説家の間でよく使われるネタなのかもしれない)。しかしちょっとニヤッとしてしまいました。ちなみにカーニバルとは話の中身がぜんぜん違うというかカーニバルはあれすぎるので別に両方読んでも何も面白さが減ったりとかは無いと思いますよ。
 その話はあとで書く(たぶん)。

 機内で映画を見た。しかも寝れなくて3本も。

 インターステラー ★★★☆☆
「特異点」とか英語で言われてもさっぱわからん、という意味で字幕もないとハードル高すぎな映画だったせいかも。あんま面白いと思いませんでした。よく作ってあるとは思うけど、すごく派手なわけでもないし。
 色々読むと科学的考証がしっかりしているとか書かれていたり、恐らく地味にすごく頑張ったんだろうなあというのはわかる気はするものの、華がない感じがいたたまれない。なんかこう、質の高いベーシックなものを見せられた感じって表現すればいいのかな。

 ラン:オールナイト★★★★☆
クリントイーストウッドじゃないよなこのおじさん誰だっけ…とずっと思いながら見てたらエド・ハリスでした。あとで写真見比べたら結構似てるでやんの。

 面白かったです。おっさん同士の友情が若干ゲイっぽいとか主人公(おっさん)がそんなに強くない気がするのに強いとか、なんか最後のショットガンの所スローになるけどそういう映画だったっけ…とかまあ、色々細かい部分はあるけど、全体的には面白かったです。エドハリスかっこよい。これも話自体はオーソドックスといえばオーソドックス。一晩逃げるものとして昔見たワイルド・バレットを思い出したけど、あっちのほうが黒かったね。


 アベンジャーズ/エイジオブウルトロン ★★★☆☆
アベンジャーズシリーズは初見。オールスター的豪華さを言いたいんだろうけど、なんか見てるとヒーロー一人当たりの活躍は当然少ないわけで、十把一絡げにみえてしまうね。なんていうかお正月だよ歴代ライダー大集合感というか…そして仲間割れする。というかwikipediaでざっと読んだだけだけど、こいつらもしや毎回仲間割れしてない?しかも民間人に犠牲者だしながら。人物描写もくそもないから、まあわーっと楽しいというだけでいいならいいのかも。さすがにCGとか超金かかってるし。


 全然話違うんですけど、おととい会社でものすごくミスをやらかした…と思ったら取引先のミスで…というのは、眠いし次にかきましょ。
 伊坂幸太郎を読むのは何年振りか、というか前何を読んだかも覚えていないんだけど、ちょっと機会があり、また時間もあったので読んでみました。

 やあ、中途半端ですね。設定が緩く、謎が残ると言うよりはどうとでも解釈できる=多分作者の中でも決まってないんだろうなあ、という雰囲気が漂う部分が多い。

 確かにテーマは大きいし興味があるんだけど、なんというか構えだけ見せてやっぱこのテーマムリでしたわ…って諦めちゃった感じがする、といえばいいのかな。なんかこう切り取る言葉には耳触りがいいものが多いのに中身はふにゃふにゃだよねー残念。

 なんていうか一番アレレだったのは魔王のほうの最後のシーン、主人公、あれ「対決」したわけじゃないし、そもそもどうしようと思ってたわけでもなく、とりあえず敵が出たから顔出してみて、どうにかしようとおもったら苦しくなってきちゃったっていう…なにそれ。

 ただ全体主義に向かっていく不気味さみたいなのはよく描かれていて、アンダーソンさんはその部分においては役割を果たしていると思います。なんか小話用の配役ってどうなのよってちょっと思うけどね。でも彼のおかげでこの本を読んだ中国人はとてもいやな気分になっただろうなあ、と思ったのでした。別にこんなことは日本特有ではなく、第二次世界大戦の時アメリカで日本人は結構な仕打ちを受けたらしいし、国と国との関係が悪くなれば、その国から来た人にとっては色々面倒な事があるでしょう、というのは残念ながら普遍的な事なんだろうなあと思ったりはします。


 あ全然関係ないけど、引っ越すかも。
 さりとて仕事というわけでもなく。


 いや、仕事関係なんだけどね。四月からちょっと関係の仕事をしていることもあって、しかも近く(といっても別に近くないけど…比較の問題として)で大きなレースがあるという事で、うまれてはじめて富士スピードウェイとやらに行ってまいりました。

 遠い。

 今回、元々は元走り屋でハゲの高校の同級生を連れて行って先生をやらせようと思ってたんですが当日朝になってキャンセルになり、しょうがないから独りで行ったわけなんですが…やあ、思った以上に人気あるんですねこれ。でもこれ以上広がらない理由はよくわかります。めちゃくちゃな立地、広すぎる会場(まあこれは仕方ない)、競技自体なんというか全体が把握できないから目の前を通り過ぎる「びゅー」って例のアレの連続で、飽きてくる(一回一回はすげえ!と思うしオトコノコゴコロをそそられるんだけどね)、などなど。

 一個一個かみしめました。真面目に見ようと思ったら、コースで見る意味ないです。結局ほとんど実況とモニタで状況把握することになるし。ただ、ピクニックお出かけ気分でまともに見ないでタラタラするにはいいかもしれないですね、いや別に皮肉とかじゃなく…じゃあなんでそんなに金取るの!って気持ちにもなりますが。

 あそうそう、敷地が広いからってのもあるんでしょうが、入場管理が相当雑なので、チケット高いのに結構簡単に入れちゃう上に追加料金エリアも楽勝で入れます(両方悪意なくいつの間にか入り込んでしまったので…。当日券と前売も1000円しか使わないので、倫理を考えなければチケット持たずに行って入れればOK,止められたら当日券で十分でしょうね。別に中でチェックされる可能性ないし(みんな適当なのでもしチェックされてもなくしたといえば絶対に通りそう)。


 修行感ありますよ、あれ。まあ行った事はなかったし、「スタンプを押した」ってことで今回は許してあげましょう。つまんない娯楽です(そして交通費など含めて1万円以上飛んでるのが頭痛いわ)。なーんてレポートを会社にあげられないので、どうしようかな。


 あ、帰りは御殿場のアウトレットモールに寄ってみました。やたら密集というかなんだろう…なんか狭苦しい感じがするのはなんでなんでしょう。店舗ごとの面積が異常に狭いわけでもないんだけど、なんか狭いです。多分高さがない事もひとつの原因なんだけど、何かの理由でわざと圧迫感感じるような設計にしてるような気がする(その「理由」がまったく思いつかないけど)。結構いいブランドがわんさか入っててそういう意味では面白いけど別に安くない気がするんだけどね…アウトレットじゃないの?特にBoseお前だよ定価XX円!今なら期間限定〰割引きで〰円!って完全に自分がアウトレットに入居してる事忘れてる煽り入れてんじゃねえよ、という感じでした(せめて定価→アウトレット価格→更に…だろっていう。しかも割引率が10%とかだったんでお前やっぱりそれアウトレットの意味わかってないよね?ってなったわけ)。
 まあブランドに関しては僕大体ユーズドばっかりなので、そういう意味でも価格の感覚が壊れているという面があることは否定できません。

 うーん、ハゲがこれないとわかってればお泊りグッズもってそのまま旅に出ちゃってたんだけどなーでもここ、金使うポイントじゃないよなーとかまあいろいろ思ったのでした。
 映画館で映画見るのって久しぶりだなーと思いながら映画館。あやうく一日二本になるところでした。本当は僕は凶暴ジャズ映画であるところのセッションを見たかったんだけどね。

 今回のワイルドスピードは7作目にして最終作、昔どれか忘れたけど見たのは見たけど別に覚えてなくて、しかも車のヒャッホウ映画なのにその作品、走行シーンが何の事情か削られててすげーなんかショックというかなんというか…だったもんでいい印象は正直なかったんだけど、女子からお誘いを受けたら行かざるを得ないでしょう。ていうかこんなものを見たがる女子とは一体。あ、その女子とは最近ちょくちょく登場する箏さんとでも呼びましょうか、中国人女子です。前作を父親と複数回見に行って泣いたとかなんとか。どこに泣きのシーンあるねんっつう話ですが(見てないけど…でもそういう映画じゃなくね)。

 いや、面白かったです。ばかばかしくて。ここまで力押しされると別に細かいことはいいよね、って感じですよねうん。2時間半あって正直なげーって思うんですが、それでも詰め込み過ぎ感半端ないです。アゼルバイジャンのエピソード丸々不要な気がします。序盤のレーシングなんちゃらの部分も省略できます。でもまあいっか、って感じ。ロック様は最強すぎるので序盤で強制的に病院送りにされます。主人公よりつおいしね。

 しかし見てて思い出したんだけど、僕この作品の主役であるところのヴィン・ディーゼル、ぜんぜんかっこいいと思えないんだよね。ロック様超かっこいいのにさ。なんか体型も顔も全体的にだらしないというかなんというか…そして彼女役の人もぜんぜんかわいくないし。なんやねん、ここまでイケイケの映画ならそこ押さえろや、と思ったりするんですけど、このディーゼルさん人気みたいっすね。ぜんぜん時流というやつがわからん。

 てかアブダビってイスラムじゃないの?女子が水着でうろうろしてていいの?謎…。あとあんか見終わったらすげーアメリカ行きたくなった。すげー行きたい。去年行ったばっかだけど笑。
 そうそうそう、あと最後に犯人がCIAのブラックサイトにぶち込まれるってシーンがあるんですが、ブラックサイトってそんなカジュアルに話題にしていい場所になってるんですね今のアメリカ。てか単なる「脱獄が難しい牢屋」ていう扱い…。ちなみに本来のブラックサイトは基本的にアメリカ国内でできないような尋問(という名前の拷問)をしたりとかするために容疑者を誘拐して連れ込むためにアメリカが国外に借りている秘密施設で、アルカイダとの戦いのときにフル活用され、人違いでさらって拷問とかしちゃって大変なことになっていた実在の施設です。当初は存在も否定されていたような。別にこの事件の犯人は自白させる必要もないので、単なる刑罰として収容されたってことなんでしょうか。それもそれで怖いというかなんというか…。


 で、映画終わった後は湖南菜館に移動して湖南料理食べながら色々。やっぱこの子と話すの楽しいわー。次の仕事の話、今の仕事の裏話、まあ色々。しかし6月9日で仕事を辞め、7月からは新天地でお仕事だそうです。でも話聞いてるとなんか続かない気がしてきた。きっと今は疲れてるだけで、多分英気を養うと飽きてきて辞める気がする(という事を本人の目の前で言う僕)。日本に帰ってくるかどうかは知らないけど、多分今後も色々やれる余地があるんじゃないかな、なんてことを思ったのでした。とりあえずこの滞在中にあと何回会えるかな。

 その話の中で超ド定番「なんで君日本語はじめたの」とかいう質問もしてしまったのですが、話の中で「N1は一年で取れちゃったから目標を失って〰」とか言い出して、ああまた出たこいつもN1一年で取った組かと。どんだけ日本に住んでる外人が苦労してると思ってんねんっつう話ですよほんと。またっていうのは前も書いた気がするけど広州にいた時の語学学習のパートナーが中国から出たことないとか言ってくるくせに異常に日本語上手くて、この子もN1一年だったんですよね(平均どれくらいというのはないみたいだけど、大体本国で多少は勉強した+日本に留学して暮らして2年くらいで取るのが多いみたい、と書けばこの異常さは伝わるかな)。

 ちなみに楽器専門からマネジメントに転向した理由ていうか日本に来た理由は「とあるコンテストで自分の順位が異常に低く、自分の生徒が(賄賂を含む政治的な事情で)1位になったのを見てあほくさくなったから(大意)」だそうです。面白いわ。ていうか中央音楽学院の楽器専攻の修士課程を「日本の大学受からなかった時のために保険で」受けたらしいですからね。日本で言えば芸大や桐朋の修士の水準なわけで(高いとはいえ、西洋クラシックで言えばヨーロッパの大学や大学院には比べるべくもないのですが、国内水準でいえば圧倒的です)…。うーむ。

 あ、昨日は某訪日外国人向け媒体の創刊記念パーティにご挨拶にいったんだけど、なぜか超有名クラブが会場でそこだけ面白かったです。パーティ自体はなんともかんとも。美人さん多かったけどねえ。ひとつのパーティでひとつの関係、という目的はここでは果たせず。まー、またがんばりましょ。

 仕事が本格的に始まったんだけど、これは結構根深いかも。ぼく意外に人のことをけなさないし、けなしているのを聞くのも嫌なんだけど、それでも明確にぼんくらだな、という人が毎日見つかる。嫌いだった前職と比べたような発言をしてしまって(業界上位から「降りてきた」という立場もあって」俺ってイヤなやつだよな、でもこいつボケだよね、という感じ。勝手に致命的な方向に話を盛る営業、自分が物理的に不可能なことを言ってることをつっこまれるまで気付かない、要するに客の話を理解していないことが丸わかりな四十代、ギャラの確認取る前に提案しちゃって、そしたら思ってたより高くて「どうしよう・・」ってなってる中堅、全員つるし首ですわ。特に最後のお前はアコム行ってこいって話。
 知識も足りず場数も足りず、えらそうなこといいなくないけど、この人たちにはどのレベルまで目線を下げて話せばいいのか、結構先々苦労しそう。勿論まともなひともいて、そちらとはばちばちやればいいんだけど。


という愚痴。感想文はひみつにて。。


 感想を書こうと思ったけど意外とむずい。というのは、これ僕は「無国籍(または制度的には国籍があっても国家への帰属意識が捻じれている)の人」に焦点を当てた作品だと思っていたのだけれど、なんか違うのよね。
 そんな感じなのは最初の章だけで、次の章では在日ウイグル人支援組織の実体と内紛みたいな話になり、その次では上海で出会った没落貴族(て言わないのかな)の末裔のたどった歴史みたいな中身になる。
 多分タイトルは後付けで、「自分で調べて書きたいと思ってたネタをまとめて一冊にした」という感じじゃないかなというのを強く感じる内容。なんだろう…これを一冊にする意味はあったんだろうかと思ってしまいました(そもそも「一冊にする意味」とやらが本に必要か、という話は当然ありますけどね)。

 個別のエピソードはそれぞれ、かなり面白いです。買って読む価値は十分にあるし、この人が若手の中で結構売れてる事は、「ちゃんとした人がちゃんと評価される」という意味でとても喜ばしいことだと思ってます視点も書き方もかなりきちんとしているし、まずそもそもよくこんなネタ拾うなあ…ということですよね。これだけ面白い人やネタを拾ってくるということは背後に絶対その数百倍の死筋はあるわけで、苦労が偲ばれます。

 そして、おそらくこのそれぞれのネタは1つでは記事にも本にもならない。マニアックすぎる。だから、それらに「それっぽい」テーマを与えて一冊に仕立て上げたのが編集者か筆者か知らないけど、このネタを活かすための方法としては仕方がないというか、正しいやり方だったんだろうと思う。ただ、釈然としない(羊頭狗肉感というか…)のよね。
 あと、紙幅の問題もあるのかもしれないけど、それよりもおそらく筆者がジャーナリストとして訓練がまだまだなんだろうな、という…具体的な何かじゃないんだけど、「浅さ」みたいなものを感じるのは事実。無理して考えると…たとえばウイグル団体の内部資料とか入手してるんだけど、使いきれてない感じがする、のかな。乱暴な書き方をすると、「ありました」でコピーぼーんと載せて以上終了になっちゃってる。ならどうすりゃよかったんだ、と言われても難しいんだけど、新聞記者とか相応の訓練を受けている人だとまた別の使い方があるんだろうな、と。
ただそういう事はたらればというか、今後そこを伸ばせると更にいいなーというだけの話でもあり、彼の作品が持つ本質的な(何が本質かなんて知らんから言葉のあやだけどさ)良さみたいなものを損なうものではありませんよ。
【少し飲んでる】

 最近の土日は空気抜け気味でダラダラしている事が多かったんですが、意を決して?映画など見に行ってみました。自分史上初眼鏡かけて3D映画、パシフィック・リム。ちなみに太平洋の淵という意味です。Kijuがそこから出てくるので…ということなんでしょう、多分。Kaiju World Warとかのほうがいい気もするけど。

 いやあ、いろんな人が「これは家で見る映画じゃない、劇場でこそ見るものだ」と書いているのがよくわかる映画でした。そんな内容じゃないのに何度泣いたか知らん。全編にカイジュー映画とかロボットアニメとかそういったものへの愛があふれてる映画でした。いや、これ日本の特定年齢層以外にはうけないんじゃないかなあ、と思えるほどに。エヴァを入れたとしても最近の日本のロボットもの、怪獣ものって別にパッとしないんじゃないの?という気はしていて、それなのにそこからインスピレーションを受けたんだろうなあ、というものがこんなすごい映画になってるのを見てね…お父さんはね…うれしくてね…。でも中国ですごい売れた映画ってわりには扱いが超雑っていうか…なんていうかすごいステレオタイプな感じでワロタ的な。ちなみにキャストは本当に三つ子だそうです当初脚本で予定していた四つ子が見つからなかったから三つ子にしたって書いてあったけど別に大した役じゃないっていうかアップにすらならないんだから別にいいじゃん…みたいな。

 ま、そんな感じ。なんかこう、息子がいたら連れて行きたい的なノリでした。とても健全で、たのしい。
 あとシンプルなだけに妙な回収忘れの伏線とかがないのも好感。ぼくがよく見るような小難しい系って意外とちゃんと考えると矛盾してたりしてる所が目について、そういう仕掛けを前面に出してるだけにイタいなあと思ったりすることが多いんだけど、この映画に関してはそんな心配はありません。菊池凜子の格闘シーンがおいおい、ってくらいかな…。そりゃ別にアクション俳優じゃないからいいんだけど、それにしてもダブルの使い方がうまくないような、みたいな。彼女英語もへたくそだしなあ…。あ、登場人物がたまに日本語をしゃべるんだけど、わりとキーっぽいせりふに英語字幕がなかったのはいいんでしょうか(といってそのセリフでぐぐってみても一人しかひっかからない…なんでや)。見た後にWikipedia見たら面白かったです(あらすじの所に結末まで書いてあるので鑑賞前に…まあ見たってどうってことない気もするけど)。なんかこう、Gガンダムを思い出しました。あとロシア代表の名前が「チェルノ」ってそれはギャグなのかな…。



 はい、一転して暗い話。


 北京から帰国して以来、なんか連絡が取れなくなる人が多いです。なんでだろ。特に自分が変わった意識はないんだけど…かなしいです。こないだの日記にも書いたけどさ。なんかこう自分の扱われかたが(嫌な表現だけど)雑になってる気がするんですわ。そういう視点でいくと自分の価値が下がったのかな、とも思うんだけど…。自分が仲がいいと認識してた人間にそれをやられると結構くるものがありますね。

 という実例として、某レコード屋さんの話。お別れ会やってもらってすげー楽しい!仲良くなった!と思ってたんだけど(ちょろっと書いてる http://42583.diarynote.jp/201305100141056318/ )、あっさり連絡とれなくなりました。CDと金借りてるからそれをどうしよう…というかそれなりに大事なCDを借りたはずなんだけど放棄ってことでいいのかね、そんなに僕と連絡取るのいやかね…という感じ。なんかちょっとむかつくので会社あてに借りたものとあと現金に大分色つけて送りつけようと思ったりしています、「会社あてにお送りする無作法をお許しください」とか言って。大人げない?うっせー。

 まあこの件じゃなく北京行ってる間に、の人の話を昔の同級生SUさん(旦那がベトナムに長期出張決定)にしたところ「あなたの周りはそういう変な連絡の絶ちかたをする人が多すぎる、精神不安定な人多くない?」とか突っ込まれました。
 まあ確かに良い分に気になったと思ったら彼氏が迎えに来て鉢合わせたとか実は偽名だったとかなんか変な女が多いですよね自分の周り…いや愛すべき変な人、というのも多くてそれはいいんだけどなんか本当に行動原理がわからないというか「それってやってる君になんの得があるの?」的な…ううむ。

 でそうそう、ちょっとその関連で言うと、わりと僕も僕で見切るのが早いようです。こないだ後輩に指摘というか…なんか言われて改めて自覚しました。そういう意味では因果応報ということにもなるのかな。筋が通せない・ルールが守れないなら過去の関係の如何に関わらずパッと切ってしまうというのが、なんかはたから見てるとちょっと危ういと言うか怖いみたいなところがあるようで…でも別にそんな高いハードルを設けてるつもりは一切ないんだけどね。2,3回はチャレンジするし。これの実例で出たのは(もう最近日記にも全然名前が登場しないけど)彼氏の話とか。そんだけ仲良かったのになんで諦めるの?的な事は当時も、いまもたまに言われます。でもメールも何度もして電話もして、別にこちらに非どころか何もない状態でそれ以上のアクションを求めるのは甘えじゃないのかなと思うんですよ。
 オトナなんだから、自分がどんな状態でも最低限の事はしないといけません。何らかの事情があったならその場でうまくできないのは仕方ないとしても、その後いくら辛くてもリカバリのために自分から動かなきゃいけません。その自分の事情による負担を自分の周囲の人間に期待するのは間違ってますよ。それをしなかったら自分の手の中のものは失われるわけで、でもそれも大人の選択としてはアリだと思ってます。だけど繰り返しになるけど、その選択の責任は自分でとるしかないのです。


 うーん。新しいステージにいけば仲間が変わるというのは理屈の上ではそうなんだけど、できるだけそういうことはしたくなくてこちらから積極的に連絡を取ってるつもりなだけに残念…というと上から過ぎるな、なんか悔しいんですよないがしろにされてる感じだしね。ちぇ。あ、別に新しい会社でお友達ができてないとかそういう話では…いや、友達といえる存在はいないけどさ。
 ブルース・リーの師匠を主人公に拳法使いたちが闘う!しかも監督はウォン・カーウァイだ!

 …ということで期待してたんですが、アレレな感じ。いや映像は美しいし、なによりチャンツィイー超きれい・・・!という事は確かなんだけど、明らかに話の流れがおかしかったり説明が足りなすぎたり、あと宣伝はミスリーディング過ぎます…。これは武侠モノじゃあないよ。かといって何かといわれると困るけど、多分なんかチャンツイィー、女の生涯、みたいな感じじゃないのかな。

 もし時間があれば

 http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1370081876/
 【一代宗師】グランド・マスター【ウォン・カーウァイ】

を読むと自称カーウァイ信者の人が色々細かくわかりやすく解説してくれてとてもわかりやすいんだけど、要するに
- 本当はちゃんと葉問を中心に置いてたけど途中で別の監督が同じ人物を題材に映画を作ってそれがかなり当たっちゃったもんで路線変更を迫られた
- 編集の都合?で一部の人物(というか劇中多分一番かっこよかったチェン・チャン)の存在意義がなくなっているが、完全版を出したいと監督が言っている

ということらしいです。

 多分、チャンツィイー綺麗だな~と思いながらぼーっと見るのが一番いい見方。格闘シーンもきれいに撮ろうとしてる感じはするけど、役者が動けないことをごまかしたいのかやたら寄った中で大きな動きをさせたりして、何が起こってるか把握しづらいです。それぞれの流派の特徴みたいなのは出てる気はするのに…ちょっと残念。なんか役者さんたち相当特訓させられた(そしてチェン・チャンは練習しすぎて八極拳の大会で優勝しちゃったとか)のにもったいないなーと思います。

 なんか最近同じような感想(絵は綺麗だけどシナリオが破綻してる)の映画を見た気がするけどなんだったか…とブログの「感想」カテゴリをたどりはじめるとそれが楽しくなり始めちゃったりして、思考は明後日の方向に行ってしまったのでした。


 あ、そうそう昨日なぜかDの人とChatpadであたってやたら盛り上がったんですが、やっぱやつら頑丈ですわ。明け方4時半までチャットして翌日普通に朝から仕事とか…。

 仕事がちょっと決まりそうな予感もあってニート終了が見えてきちゃったりもしてるんですが、なんかこう微妙なテンションで日々を過ごしています。相変わらず夜は大体人と会ってるんだけど、なんかなーなんかなー。うまくいえないけど。

 会社をさぼって、映画など久しぶりに。ていうかバルト9って実は中はいったの初めてだっていうの、入ってから気付きました。あ、あと冒頭10分くらい遅刻したので見てません。

 前半はあーこりゃPG-12だよな、って感じ。知ってればそんなもんだよね、って感じだけどそういう事聞いたこともない人からしたらちょっとショックなのかも。わりとやり方が地味(ただし拷問としては非常に効きそう)なのがかえってえげつない感じです。たとえば水責めって水に顔をそのまま突っ込まずになぜか顔にタオル乗っけて上からかけるんだよね、とか(それがなんで効果があるのかよくわかりません…視界覆うと多分いつくるか分からない、って意味での恐怖感は増すだろうけど…)。

 まあ拷問マニアっぽい発言はいいとして、映画。拷問のみならずかなり不格好な場面がちょこちょこあって、そういう意味でリアリティがあります。あとはなんだろうなあ、CIAマンがいわゆる典型的なパワーエリート(エリート官僚)っぽさむき出しになってる辺りがよくとらえてるなーと。主人公チームはあんまりCIAっぽくないけどね。あと長官がなぜか一人だけ字幕がべらんめえ調でそれも面白かったり(登場キャラの中では長官が一番好きです。なんかかわいい)。


 主人公は最初から最後まであんまかわいくないです。あとこの映画を見るとオサマが殺された時点で、すでにオサマ暗殺に戦術的な意味はなくなっていた(のに主人公はそれにこだわってやり遂げてしまう)ことが結構はっきり書かれていて、なんか「うーん」って気分になったね。
 あ、まあどうでもいいけどオサマはとっくに病気で死んでいて、あの時点で作戦が公表されたのは単に大統領選にインパクトを与えたかったからだ、という人もいますね。この規模の話になるとこういったよくわからない話は出回るものだし、そもそもいきなり死体捨てちゃったり色々証拠隠してるっぽいしねえ。

 んー、こうやって書いてると映画としてどう、って視点が難しいな。だって事実ベースみたいな話だし、そういう意味で劇的な展開はあんまり求められないし。うーん。面白かったんだけど、どこがどうとはなかなかいいづらい。それに、正直別段こういう関係に対して知識がない人がみて面白いかは謎…。あ、地味に音楽は「英国王のスピーチ」でオスカーだっけ、とった人が担当しているようでした。

 あ、どうせなら松本光弘「グローバル・ジハード」を読んでから見ると、ちょっと楽しいよ。この本が書かれたのはオサマがまだ捕まってない頃だから色々ちがうけどね。
 
 僕はおそらく、人と比べれば結構文字を読むほうだと思う。といってもその「文字」はウェブ媒体の占める割合がかなり多くて、実際の紙の本を読む量は、たいして多くはない。昔のほうが、確実に読んでいたんじゃないかな。
 じゃ、たまに読む紙の本は何が多いかといえば、(まんがを除けば)ノンフィクションが圧倒的に多い。特に旅行前にブックオフなどできっちり書き込まれたノンフィクションが100円で大量に叩き売られているのを「救出」するなんてのは割と幸福を感じる瞬間である。いや、ちゃんと本屋で買えよ、というのは正論なんだけどね、ノンフィクションは文庫化されることが少ない気がするし、ハードカバーは高いのよ…。あとこれは自分の至らない部分かもしれないけど、よーーーーっぽどじゃないと、ノンフィクションは二度読まない。タネが明かされた密室殺人モノよりも、読む気が起きない。なんでだろうね。だからどうしても100円読み捨てになってしまう。

 さて、最近HONZ(http://honz.jp/)というサイトがあることを知った。ノンフィクションを専門に取り上げる書評サイトらしい。知ったのはそれより少し前だと思うけど、数週間前?読んだ「和僑」という中国関係の作家さんの本のレビュー(http://honz.jp/20505)が結構よく書けているなー、と思って興味をなんとなく持っていて、しかも旅行前で本を探していた時に面陳してあって手に取ったのがこの「ノンフィクションはこれを読め!」であったわけ。前書きによれば、HONZに掲載された500本だかのレビューから150本を厳選したのが本書であるらしい。
 別に書評本の書評を試みようメタ的な取り組み!とか意気込んでこんなものを書いているのではなくて、まあ要するにとても読みながら残念さのあまりクラクラしてオエってなりながらもせっかく金出したんだし1Pなりの独立書評ものなんだから別に最初が気に食わなかったから最後までそうであるというわけではないんだし最後まで読んだんだよボク!というような事を主張したかった…わけでも多分なくて、いや多分にそういう事はあるんだけど、それでも多少は学ぶことがあったからこそ書いておこうかなと思ったんですよ、ホントですよ。
 
 気に食わない点は主に、3点(外資のプレゼンみたいだな)。
 最大の理由は書評じゃないものが多く混じっている、ということ。エラい根本的な話だけど。「ノンフィクションはこれを読め!」というタイトル通り、こうした書評(レビュー)は「自分が面白いと思った本を、まだそれを知らない人に(本物を読んだ時にまだ面白いさを残す形で)紹介する、読みたい気持ちにさせる」のが目的であることは誰も疑わないと思う。
 だけど、この本に収録されているいくつかの記事は、とても申し訳ないけれど読んでいてこの目的を理解していないで書いているのでは?と思わされる。多いのは読書感想文、または本のサマリと化していること。ぱっとどの項目がと槍玉にあげられないけど、これはそもそも書評が陥りやすいポイントなのかもしれないし、さらに酷い表現を使うなら書評として機能していなくったって本について書いているんだから最低でも読書感想文にはなるわな、と言ってしまうこともできるかもしれない。

 あとはダシとしてその本を取り上げているだけのもの。例えば「白い死神」というフィンランドの狙撃兵シモ・ヘイヘを取り上げた本を紹介している項は(少し変形だけど)あちゃー感が一番強く心に残った箇所で、何しろ本の内容に触れているのは最初の1パラグラフ10行(「この本はシモ・ヘイヘのインタビュー本だよ」と言うだけの内容)だけで、残りの120行くらいはこのヘイヘの紹介とフィンランド史の紹介に割かれている。いくら「(本書では触れられていないが)知っているかで本書の面白さが大きく変わる」からといってそりゃないだろう、というかこの人自分が紹介すればとりあえず読者は買うから、買ってから俺の書評とあわせて読んでくれよ、とでも思ってるのか?とさえかんぐりたくなってしまう。だって順番違うでしょ。普通の人は書評読んでから本買うんだから…。「閉じこもるインターネット」もクッキーなどネット上の行動履歴の売買の現状について紹介しているだけで、こちらは本に何が書いてあるかまったく触れていない。いいのかそれ(もしかしたら本の中で紹介されていることを取り上げているのかもしれないが、そう明示しないのはそれはそれで問題では…)?
 
 もうひとつは書き手または僕の能力不足でそもそも何を言いたいのかさっぱりよくわからない文章。「ひとり家飲み通い飲み」などがそうで、評を3回くらい読んだけど結局そもそもこの本が何を取り上げた本なのかわからないまま(家飲みの素晴しさを説く、という内容の文章が1つだけある…けどそんなものはタイトルでわかるでしょ)。そういう意味では感想文にすらなってない。評者はきっとこの本を好きなんだろうな、というのだけは伝わるけど、まるでアヒルの群れにガチョウが我が物顔で混ざっているのを見つけてしまった感じ。あ、別に他が全部優れているのに、という意味じゃなくてね。ただ同じ評者でも「漁業と言う日本の問題」とかはちゃんとした評になっているから、要するにこれはフィルタリングの甘さなんじゃないか(逆に500から150選んでこれが残るのでは残りの350は一体…)ということ。

 一つ目の理由が長かったな…最初に「課題は3つあって」と切り出すけど2つめに移る辺りで既に残りで何を喋りたかったか忘れる辺りも外資系っぽいっすね。酷いときは「3つ」って指を出してる時点でようやく1個目を何にするか思いついてるとかだからね。とりあえず、3つ。

 2つめは確か、ちゃんとした校正校閲を通り抜けていないと思われること。というか上で書いたように評のセレクションにもブレを感じるし、全体的に編集がうまくいってないのかな。
 ウェブ媒体には校閲がちゃんと入らないと言うのは確か小田嶋隆が日経ビジネスオンラインかどこかで書いていた。確かにかの媒体はよく自分が読みに行く頃には文末にぞろぞろと誤字脱字の訂正の報告が載っていたりすることも多い(それをちゃんと公表するのは偉いと思うけど)。僕は結構文章は正しく書かせるべきだから校閲は無料の媒体であってもメディアを自称するからには(といって自分の誤字脱字や日本語の至らなさを許してほしいという趣旨ではないよ)ちゃんと行われるべきだと思うけれど、きっとそれは読者の論理であって、そんな経費かけらんねえよしかも別に無くても文章自体が形にならないわけでもないし、といわれれば確かにねといわざるを得ない。しかもHONZは別に大手出版社系のサイトでもなんでもなく、代表は有名人のようだけど基本的には個人サイトの延長みたいなものなんだと思う。だからそこに期待するのは筋違いかもしれない。
 しかし、これは出自はどうあれ紙の本である。ウェブ上のものは間違いを見つけたらすぐに訂正できるしすればいい、そこの事前チェックに金をかけないのは許せるとして、それを紙に落とす時はちゃんと校閲にかけよう。多分この本はそれをけちっている。言おうと思えば「ウェブのライブ感が」とかなんとか理由はつけられるかも知れないけれども、結局これは「だからウェブ発の文章は質が低い」と思われる原因をまたひとつ増やしているにすぎない。しかも訂正できない証拠とともに。しかも中央公論ってまともな出版社やんか…中央●版じゃないんでしょ(つぶれたっけ?)?「加圧厳菌(「喜びはどれほど深い?」)」とか「日本でもついこのあいだまで羽音が聞こえるくらいバリバリと昆虫を食べていたのだ(「昆虫食入門」)」とか…。
 あとは唖然としたのはちょっと長くなるけど「しかし男は女より多く産まれるという現象はどう考えても自然選択説にそぐわない。なぜなら男女が同数産まれたほうが成立するペアの数が増え、より多くの子孫を残せるからだ(「なぜ男は女より多く産まれるのか」)」って…同数産まれるとなんで成立するペアの数が増えるの???この評でまったく触れられていない同性愛とか重婚をカウントすればそれはその通りだけど、男と女のバランスがどうなろうと、1対1のペアかつ異性愛を前提とする限り成立しうるマックスのペア数は少ないほうの人数だよね…?誤植とかそういう話じゃなくもっと根本的な所がチェックできていない例では…。それともこの本を読むと意味がわかるのかな。

 
 3つめ、いかんね、本格的に忘れたよ。プレゼンでこういう場面になってしまった時は「実は3つめはお話の流れ上、さっきの2つに含まれてしまっていて云々」というような弁解を慌ててするようなことが多いような気がするけど、いやホント今回は何を書こうとしたか思い出せない。思い出したら書きます。

 (数分経過)あ、そうそう3つめは上の2つと比べればたいした話じゃないんだけど鼻についた、って話だ。なんかメンバーによるHONZ絶賛コラムみたいなのが随所に挟んであって、読まされた(って別に強制じゃないけれども)僕はただ「そうですか。楽しそうでいいですね(棒」とそういった感想を抱かざるを得なくて白目でした、という話だ。別に外向きに書かなくてもいいのにねえ…というだけだけどね。


 で、まあそんな不満は数々あれど、読んでいてそれでも「読んでみようかな」と思わされた本はあるので、あげていきましょう。まあ実際まだ読んだわけじゃないから何も書けないしあくまで自分メモな。"/"の後は評者。

牡蠣と紐育 マーク・カーランスキー / 土屋
IT時代の震災と核被害 宮台真司他 / 久保※「核」じゃなくて「原発」じゃないのかな…読んでないけど
摩擦との闘い 日本トライポロジー学会 / 村上
宙へ挑む リチャード・ブランソン / 高村
クリーニング革命 古田武 / 久保
子供の無縁社会 石川結貴 / 栗下
江戸時代に描かれた鳥たち 細川博昭/ 新井
アイ・ウェイウェイは語る ハンス・ウルリッヒ・オブリスト / 新井
情熱の階段 日本人闘牛士、たった一人の挑戦 濃野平 / 高村
ウイルスと地球生命 山内一也 / 久保
ハチはなぜ大量死したのか ローワン・ジェイコブセン / 久保
寄生虫のはなし わたしたちの近くにいる驚異の生き物達 ユージーン・H・カプラン / 久保
砂 文明と自然 マイケル・ウェランド / 久保
大村智 2億人を病魔から守った化学者 / 仲野
なぜ本番でしくじるのか プレッシャーに強い人と弱い人 シアン・バイロック / 栗下
喜びはどれほど深い? 心の根源にあるもの ポール・ブルーム / 山本
偶然の科学 ポール・ワッツ / 高村
友達の数は何人? ダンパー数とつながりの進化心理学 / 成毛

150冊の内17冊というのを多いと見るか、少ないと見るか。元々ノンフィクション好きとはいえ好きなジャンルは事件や検証ものが多いという分野の違い(この本にはそのジャンルは少ない)はあろうけれども、やっぱりもう少し多くてもいいんじゃないかなと思いましたとさ。

 旅先でまで何やってんだかねえ…。

屍者の帝国

2012年9月1日 感想文。
 最近急がしかった。ただ、連中がようやく旅に出て、居残り組としては今日の初日開演をもってようやく一息。とはいえ、現地のスタッフの(熱意は買うけど)錬度がやっぱり高くないなあ、というのが正直なところ。経験値なのかなあ、とも思うけど、そもそもおもてなしについての考え方というか合格点が違うんだろうな、とも思う。よくこの国をDisるのに使われる表現ではあるのであまり考えなしに使いたくないけど、上下差ではなく違いとしてそういう事が事実としてあるんじゃないかという気は、やっぱりするわけ。

 さて、そんな夏休み全ぶっつぶれ、その他もろもろの休日出勤の合間などに読みました。屍者の王国。

出版の経緯は

http://togetter.com/li/356588
伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』刊行までの経緯
あたりを。


 タイトルを見て、そしてその作品と出会ったのが共に作者がなくなった直後だったという個人的な体験もあり、打海文三を思い出してしまう(彼の出版されなかった応化戦記最後の一冊は「死者と死者」と題される予定だったとどこかに書いてあった気がする)。出版された最後の一冊は「覇者と覇者」、長く続いた戦争の終わりを描く作品で、覇者となった彼らのその後が少し描かれて終わっている。ということは最終巻は主要キャラクターの死体の山が予定されていたのかな、と思ったりする。そう考えると、ここで似ているのは言葉だけで、中身は似ても似つかないのかもしれない。でもこれもうろ覚えだけど、打海の作品の中にはやはり意識や感情を扱ったものがあって(「ぼくが愛したゴウスト」)、その辺でも案外近い問題意識(?)を持っていたような妄想を抱いてしまうんですよ、ファンは。


 円城塔の作品を読むのは今回がはじめて。そしてこの「屍者の帝国」は、分別するならまあスチームパンクの類なんだと思う。主人公がワトソンなのをはじめ、いろんなところに有名人がのべつまくなし出てくるのはなんとなくリーグオブレジェンド(あれもイギリスだ)を思わせる。そういうなんていうんだろう…作品そのものじゃない面白さもあるし、作品そのものもしっかり書かれているように思う。普通に面白いです。
 伊藤計劃が書いたのはプロローグ的な部分だけで、あとはすべて円城ということで、この作品はやっぱり、円城のものなんだろう。伊藤特有のグロさというのかシニカルな部分はやっぱりプロローグだけ読んでも強く個性としてあって、実際最初この部分だけが伊藤が書いたと知らずに読んで「なんと伊藤的な文章だろう」と思ったくらいです。逆に、そのあとにはそういった香りを感じないのは、わざとなのかどうなのかは知りません。ただ、それがないことがより一般的な意味で読みやすい作品になっているという気もまたするのは確か(この点小飼弾の書評に同意)。

 中盤トレイルが始まるのは虐殺言語なのかな、と思ったり、話の中心的なテーマの一つである意識の解釈はハーモニーのそれが下敷きになっていることは感じるんだけど、いずれもなんかオマージュというかガジェット的というか…あんまり深さを感じない気がして、でもそれが読みやすさでもあるような気もするし「他人の思考を借りる」ことの限界なんだから言ってもしゃあない気もするし、なんともかんともです。なんていうか、「出力を見てそれを変奏させた」感じがすごくするんだよね。その出力に至った理由とか道筋がない。まあ当たり前っちゃ当たり前なんだけど…面白いんだけど…そんな感じ。

 そういえば全然雰囲気は違うけど、菊池秀行のマンサーチャーシリーズの「死人機士団」もフランケンシュタインをテーマ?にしていて、この手の作品としてはとても面白かったように思います。読んだのずいぶん前だけど。


 あ、昨日は例の新聞記者さん仕切りの合コン再び、でそれはそれで楽しかったんですが、横に座ってて楽しかった人に名刺渡したものの連絡もらえてなくてへこんでます。とりあえずFBでおっかけるかねえ。

 そうそう、あと知り合いの弁護士秘書が「うちの先生のクライアントが広告会社を探してて」とかなんとか言ってきたので先生と直接話してみたら僕の前職と分野がどんぴしゃだたもんでいろんな選択肢があっていろいろ悩んだ挙句某外資のVPご紹介してみたりして、ちょっともしかして役に立ったんじゃね?と思ったけどその報告を先生にしてあげたら、僕がマージンとってると思ってるだろうなあ、という感じのリアクションで軽くいらっときました。慈善事業で人紹介してるのにその態度はなんだよ、という…まあ別にマージンとってもいいような案件な気もするけどね。


 今週の初めまして:5くらい。日記書いてないここ数週間だと…でも10とかかな?大きなパーティとかはなかったので。

 重い本である。いや、分厚いという意味ではなくて。

 数個前の日記で言語の統一と文化的多様性みたいな文章を書いたけど(それはちょっときれいにまとめすぎかね)、これは食料のサプライチェーンについてのそういった話、ともとらえられるかもしれない。
 本書で取り上げられている内容をすごく簡単にまとめると、(上の言い換えになるけど)「流通が便利になりすぎた今の世の中は最適化が過剰に進みすぎていてバッファがなく、一か所やられるとすべてがめちゃくちゃになる危険性を秘めている」ということと、「酪農家などの個人の利得が全体の利得と食い違っている」という共有地の悲劇のような話を世界中飛び回っていろんな人に話を聞いて出てきた例を元に提出する、といったものと理解した。
 内容は濃く、Amazonで5ばっかりなのもうなずける(★1のレビューは正直なにがいいたいかよくわからないし、3のレビューはなんか3にしては褒めてるように見えるんだけど…)。ただそれゆえか、僕はちょっと読むとげっぷが出てしまい読み終わるのに結構時間がかかりました。でも止まってもちゃんとしばらくすると手に取る、という自分の行動からも面白い本だということは断言できるんですよ(つまんなくて投げた本だともちろん戻ってきませんから)。


 前者(行き過ぎた最適化)に関しては、結局は実物の流通が必要とされる本書の取り上げる内容よりも、ネットインフラの発達によって極限まで加速した情報流通と繋がりによっていろんなことが起こった金融危機なんかが先行している気はする。サブプライムとかね。つまり食料に関してはやはり鮮度というのがネックになっていて、ある程度のブレーキが利いている部分があるんじゃないかなあ、ということです。でもそれでも結局ダメなんだけどね。

 僕はおいしいものを食べるのが好きな人だから食料の問題についても比較的周囲よりは関心が高いと思うんだけど(たとえばここでも食料廃棄とか、食育…先生でお箸をちゃんと使えない人の比率だとか、ドギーバッグとかについて以前書いているような)、だからそれで何ができるっていうとどうしようもない感じなのか悲しいなあと思うんです。この本を読んでもなんら対策は書いてなくて、くらーい気分になるだけ、というのが不満といえば不満といえなくもないかと思われます(★1の人もそういうことが言いたいのか)。そこまでもとめんな、っつう気もしつつ。とりあえず肉の消費量を減らすのはやだなあ。


 ちなみにとあるamazon書評にあった「本書の文章だが、多くのデータが紹介されているにも関わらず、文芸書ということで数字表記は漢数字になっている。ダイヤモンド社の
「週刊ダイヤモンド」のほうは算用数字であり、日経新聞なども読みやすさを考え数年前からそうなっているが、新聞・雑誌は算用数字で
かまわないのに、なぜ書籍となると漢数字にこだわるのか? 慣習的なものから離れる難しさがここにもあるようだ。 」という指摘が面白かった。
http://amzn.to/xsU4W7

 類書ではないけど、「アメリカ人はなぜ肥るのか(http://amzn.to/OiKsnL)」も遠いアメリカの話とバカにできない食料問題の一部を垣間見ることができて興味深いのでお勧め。


 S川。
 昨日は東京湾花火大会、そしてなぜかお台場ダイバーシティのBBQ場(http://digiq.jp/diver/)が取れた!花火見えるかも!ということで友達を集めて眺めてきました。まあ、フジテレビのあの球体が花火らしきものに照らされて色が変わっていましたね。うん。要するにまったく見えなかったんですが、会自体は楽しかったです。俺にどんだけ恨みがあんの、って思うくらいキャンセルされまくって12人枠が一時期ほぼ全滅した時にはもう僕どうしようと思ったんですが、結局開催2日前に会社の後輩が2人友達連れて参加してくれることになって、それでぎりぎり集まりました。いやー「そんだけキャンセルされても集められるのがすごい」と褒めてももらったけど、胴元としてはあつまんなかったらお金がすんごい飛ぶわけで、非常にドキドキでしたよ。

 BBQ場は非常にオペレーションが雑だったけど、まあ場所はよいでしょう。花火と関係ない時に来て宴会やるにはいいと思います。なんてったって複合商業施設の屋上でしかももちこみし放題、酒やらなんやらは下の階に入ってる成城石井(ちょっと高いけどね、でもBBQ場で買うよりは安い…)やらで買ってしまえばよい。ほかにも31とかも入ってるし、多分タリーズからデリバリーとかもとれる。そんなわけで採算性があやしくね?ってくらいお得です。食いきれない肉と酒で一人4000円切ってました(うち2000円が場所代)。おすすめ。

 で、お粗末だったのがS川。運送屋です。実はこの日のビールは賞味期限間近のためという理由で安値放出されていた某アジアビールをネットで買って会場に直接届けさせる目算でした。開始時間の一時間前には会場に搬入される予定だったんですが…さて、始まっても来ないわけです。
 で、S川の担当店舗に電話を入れた所、「状況調べて折り返します」とのこと。そして待つこと1時間くらい、ようやくコールバックがあって「荷物なくしました。いま探してますので見つかったらまた連絡します」。もちろんもう諦めて飲み始めていましたが、道化さんは手配主として怒り心頭。「いや今から見つかったとか言われてもこっちも困るんですが」というような話から始まりとりあえず詰め、しばらく待ってたら宴終わり近くになって連絡きました。「見つかりました」と。で、いや今から届けられても困るんで、とりあえず自宅に届けてくださいと言って、届いたのを確認したらクレーム入れるんで、担当部署教えてね、ということでその日は終了。
 そして今日自宅にちゃんと届いたんですが、いまさら届いてもなあ…という。そしてうちに届けたドライバーは事情をまったく知らされておらず、一通り説明したら「すみません…」ってまああんたが悪いわけじゃないからねえ…と思って店舗に改めてクレーム電話いれて、そしたら「大変申し訳ございません。本日中に担当から今後の対応についてご連絡させていただきます」。で、夜になっても何も来ない。ひどいなあ、S川。

 ここで思った事。~しとけばよかったのにねえシリーズ。
1)当日配送が遅れるなら事前に連絡しておけばよかった(まあそもそもこっちから電話するまで荷物ロスト状態だったのでこれは無理だったけど)
2)その日の内に責任者から詫びの電話を入れればよかった
3)翌日配送する際、店舗の責任者が直接届け、詫びを入れればよかった
4)クレームがはいってすぐに折り返し、平身低頭すればよかった

 という4つのチャンス(?)をすべて彼らは逃してしまったので、もうこちらとしてもどうにも許してあげる理屈が立ちません。最近ずっと喧嘩してたウェブ屋にもあることなんだけど「どこかで落としどころを」と被害者である僕が思ってあげてる(?)のに、相手に落ち度がありすぎて真ん中で落とせないんですな。責任割合がどう考えても0:100で。

 つうことで徹底的にやれるところまでやりましょうかねえ…とかいっても額もたいしたことないし、せいぜい購入代金+送料の返金くらいが関の山でしょうけれども。あ、あとショップには何の落ち度もないけどとりあえずトラブルがあった事は通報しようと思います。「こういう運送屋をつかっているとおたくの評判が落ちますよ」っていうね。…とかって嫌がらせは、先に謝っとけばされないで済んだのにねえ。


ちなみに偶然最近読んでいるS川創業者の話。おもしろいよ。
http://polestar.0510.main.jp/?eid=780998
 半分お仕事、というかお仕事にしたい、という感じで見てきました、ソトコト警察…と書くとポイ捨て即銃殺って感じですかね。

 最近多かった移動のお供に原作読んで映画見たけど、面白いです。えげつない事をほいほいやる渡部さんはホント、半ばおかしい人の役が本当によくお似合いになる。何食べて育ったらこんな子が育つのか。いや、多分一番好きな日本人男優ですけどね。この役にはこの人しかいない気がします。

 ヒロインは最後まで綾瀬はるかだと思ってたら尾野真千子でした。こないだテレビで見てかわいいなーと思ってTwitterフォローしたりしてたのに。普段より前半でちょっとだけやってた髪の毛下ろしてる状態の方が可愛い気がする…!よく見ると綾瀬はるかにちょっとだけ皆藤愛子が混ざってる気もします。いやどにしろ別人なんだけど。

 そういえばかわいそうな役柄の正秀さん、なんか見覚えあるなーと思ったらアメリカ行く機内でみた男たちの挽歌リメイク版にでていたようです。

 あとそのかわいそうな正秀さんの奥さん役の印象が強いというかこの人が演技できなかったらめちゃくちゃだっただろうなーというのがスタッフロールみたら真木よう子(どこまで女優の顔を知らないんだ俺)だったんだけど、おなじ真木でこわいこわいと噂の蔵人さんの親族だと思ったら違ったみたい…芸能界はむずかしいなあ。なんていうかこの人の演技もなんだけどすごいおっぱいが気になる映画で…なんつうんだ、カメラの人の趣味だと思うんだけどお前それ絶対狙ってるよね、って感じ。いや別になんもいいことなくて気が散るだけなんだよね…あと終盤の衣装やたら胸元開いてて下品というか…ううむ。なんか不幸な家庭に育ったけど強く生きてる女、ただし風俗上がりで教養ないっす、ってのを表現してるっちゃしてるという超・好意的な捉え方も不可能ではないけどねえ…。てか役柄上なんか結局最後までババ引かされっぱなしというか、超絶不幸なまま終わってる気がします。

 ストーリーに関しては…北朝鮮を題材にするってのがちょっと安直というかアリガチだし、結局田中さんが最後何を思ってああいう行動に出たのかよくわからない(あとそもそも何で裏切って一度逃げた国に素直に戻ったのか)とかいう消化不良な点も少しはありつつ、でも全体的にはとてもよくまとまっています。多分焦点を当てる人物を思い切ってごっそり削ったのがよかったのでしょう。ヒロイン尾野さんとかもほとんど背景だけど、2時間にこの内容を収めるにはこれでいいんじゃないかな…なんか僕が見る映画ってやりたい事はわかるけどおさまってないよ、ってことが多いんで、尚更その部分すごいなーと。
 あと画面の温度が好きです。

 仕事を抜けて、ルート・アイリッシュという映画を見てきました。イラク戦争での民間軍事会社の引き起こす負の面について取り上げた映画で、アメリカでは2010年公開。

http://ism.excite.co.jp/art/rid_E1333086064074/
今週末見るべき映画「ルート・アイリッシュ」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20120328/230342/?P=1
民間軍事会社のリアルな実態を描く『ルート・アイリッシュ』

 この監督の作品を見るのは初めてだけど、この人が高い評価を得ている理由は見てすぐにわかる。細かい破綻が少なく、絵もまとまっている。その場面で何を言いたいのか、言葉を使わずにちゃんと表現できている。最近に限ってるわけじゃないけどそういった基本的な所がダメな映画を良く見るので、そういうものと比べると安心して見る事が出来た。

 だけど残念な事に超映画批評(http://movie.maeda-y.com/movie/01659.htm)で指摘されているように、なんつーか題材が古すぎる。内容が渋すぎて日本に入ってくるのに時間が云々といった事も書いてあるけど、たとえばPMCって頭おかしいよね、って話が世間で騒がれるようになったブラックウォーターズの民間人虐殺って2007年(年号は調べて知った。思ったより前だね)なわけで…LiveLeak.comなんかでそれこそ携帯で撮った似たような話の動画を手軽に鼻くそほじりながら見れる今、それだけを映画にする事にどんな意味があるんだろう、と思わずには居られませんでした(ちなみに劇中でも「ネットに流せ」みたいな事を言う人はいる)。その当時に言われていた事以上の内容が出てくるかと思いきやそういうわけでもないしね。結末も結局テロ肯定みたいにとれなくもなくて、まあある種の皮肉といえばそうなのか…。圧倒的な装備の正規軍vsゲリラの非対称型の戦争といわれるイラク戦争をテーマにしている作品で結局主人公は復讐のために非対称戦を選ぶわけで(といっても超映画批評が書いてるように巨悪過ぎて勝てないんじゃなく、法律に訴えても立証苦しそうで裁判勝てそうもないから憂さ晴らしに殺っちゃってるという面が強いような…)。

 ただ繰り返しになるけど、物語・作品としてはよく出来てると思うのね。だから見ててつまんないとは思わなかったし、むしろ逆。だけど見終えたあとに考えれば考えるほど…あれ…みたいな。なーんか残念。

 あ、あとポスターやウェブなどで公開されているビジュアルが全て本編で登場しないニセモノでなんかミスリーディングです。あれ見ると実際にイラク行ってなんかする話なのかなと思うけどそんな事はなくて、ほとんどずっとリバプールでウダウダしてます。というか主人公パスポート取り上げられてて国外出れない設定…ってことはあのビジュアルは最初どういう設定だったら有り得たんだ?…という相当な途中からの路線変更を感じさせますよね。「編集の都合で採用されなかったカット」とかじゃなく、完全に違う設定の話だもん。


 ここからはまた偽名ちゃん話。昨日ぼーっとしてたらいきなり降ってきたんですよ、天啓。ある外国の有名人の名前が偽名ちゃんの名前と酷似していることに!ということは...?
 といっても全くわからないと思うのでここで偽名ちゃんの嘘で塗り固められた嘘ライフをもう一度整理。彼女の偽名は複層構造で、外側から

1)ハンドルネーム1
2)ハンドルネーム2
3)ハンドルネーム3
4)偽名1(ハンドルネーム1と紐付く。僕が知ってる名前)
5)偽名2からXまで(僕も何個あるか知らない) 
6)本名っぽいもの(世間で一番流通している名前・ハンドルネーム2は恐らくここから・通名?)
7)本名(民族名?)

 という7段階になっているかと思われる...まあ7を偽名っていうのはちょっと膨らませすぎてて、普通の人でもハンドルネームいくつか使い分けてる、ってのはよくあるんじゃないかなと思うは思う(僕もそんな一人)...けどねえ。まあいいんだけど。いいんだけど。

 で、今日の天啓ってのは会って最初の日に知らされ、また僕が信じていた偽名1が実は7)の「本名」とリンクしていたのではないか疑惑…いや疑惑っていうほどネガティブじゃないか。まあそんな話。まったくの嘘だと思ってたんだけど、実は一番奥にあったものが一番表に出ていました、という。だからなんだって言われるとまあなんでもないんだけど、そんな発見を記すのです。


 最近忙しいです、とかって事をことさらに言い立てるのは好きじゃない(とかいっときながら、気を抜くとそう言う事無意識に言う自分が)んだけど、実際忙しいといって差し支えないでしょう今の私。昨日はコンサートの立会いの後サイン会のさばきを途中で抜けて22時前から終電まで打ち合わせ。
 で、忙しいと色々不安定になってくるのが人間だものってやつで、なんか去っていったり不安定だったりする人間関係について朝晩布団の中で考えています。いや考えているというか勝手に意識に上ってくるというか。厄介なものです。
 仕事に限らずこの先自分がどうしたいのか、そんなことを最近考える事が多いことも多分原因なんだろうね。仕事に限らずと書いておきながら仕事が一番たとえとしてわかりやすいんだけど、自分の(仕事で言えばキャリアの)連続性みたいな事を考えてしまうのよ。人生って割と選択肢が多いし、王様から魔王を倒してこいといわれるわけでもない。だから今すぐ仕事をやめて明日の飛行機でタイ行って外こもる事を止める力なんて、実は何もないのよ。なんとなくしない、考えないだけ。多分誰しも自分が一直線に進んでいるかのように考えたがっていて(僕だってそう)、自分が拡散していくのを自分で縛り付けている。
 なんで一直線に進んでいるかのように考えたがるのか、ってのは一時自分でも不思議で考えてみたんだけど、多分一人の人間が人生で何を味わうか、なんてのを小さい頃から死の床まで全て見ることが出来るのは有名人の伝記ぐらいのもんで、そういう選ばれた成功者の物語なんてのは大幅に「編集」される、つまり大まかな方向性と矛盾があるものなんかは取り上げられないわけじゃないですか。でもそういうものでしか自分たちは人生の全体像(らしきもの)を見ることができないから、人生ってきれいにそろっててそういうものなんだろうなーって思うんだろうな、と。
 だからどうできる、どうしようってわけじゃないんだけど、余計な事心配しないで適当にやりたいように暮らせば後で結果が出れば立派な人生だった!と思ってもらえるだろうし逆なら逆なのかな、ということです。...とこうやって「好きに生きよう好きに生きよう」ってこれ以上そっちに行っちゃうともうなんていうか帰ってこれない気もするんだけどね。
 まあ、ジャケ買いです。昨日外出先ですごく時間が余ったので本屋でなんかないかなーと思ってうろうろしていて、西島大介が文庫本の表紙かーとかいう驚きと(まあでも小畑健とか純文復刻のとかやってるしねえ)、堂々と恋愛小説であることをうたい、ハッピーエンドがうんたらなんて帯に書いてあるなんかこうストレートな感じが気に入って買ったんですけどね。

 いや、面白かった。ハッピーな恋愛小説という僕が読まないジャンル二段重ねというのでなんていうか大丈夫かなと思ってたんだけど。いつも読んでるのってこういうのと真逆の...陰鬱でひねくれてるのばっかだからなあ...。なんだろ、こういう害も毒もない感じ、いいなあ...と思ったのです、簡単な話。というか文字にするとはずかしいけど、こういうのもっと昔に読んでたらもっと恋とかにあこがれてたかもな!
 これがハッピーな終わり方なのか、というのは正直疑問だけど(このエピソードの結末としてはハッピーでも主人公のこの後の人生がハッピーになるとはちょっと思えない...)それはおいとくとして、技術的には物語のたたみ方がとてもきれいだなと思いました。中盤以降まで延々展開がなくこれどうやって終わらすの?と思ってたんだけど(ただ冬目景の「イエスタデイ」みたいなもんで、展開がないのが心地よい部分もあるんだけど)終盤その短いページ数にも関わらず、とてもきれいにまとめあげてくれます。まあそのたたむ方法は推理なんかでやったら確実に邪道ていうかノックスの十戒でそのまんま駄目っていわれてなかったっけ(確認してない)みたいな方法だけど、雰囲気的にアリと思えるのも作者の作戦勝ちなのかな…。読みながらニヤニヤしました。最近ニヤニヤしてない人にはいいのかもしれません。あー恋してえ。具体的には身長170cm以上の黒髪肌がとても白い女子が希望ですけどね!

 まあ個人的に彼女の素性正体が不明云々ってのは実体験(いやちゃんと付き合ってないけど)というか身につまされるというか事実は小説より以下省略というやつですよねーというそんな事情もあったのかもしれません。別に偽名ちゃんに関しては実は他の星からの使者でも驚かんもんね、とりあえず尻尾はなかった気はするけど。

 

 違う話。NYよりなぜか管理人さんが一時帰国していて、こないだNYで会ったばかりで次は何年後?とか思ってたのにとかまあ色々考えながらランチをして、彼女はそのあと演劇を見て地元に帰ったんだけど、その演劇の感想を聞いて思ったこと。
 具体名は避けるけど、その芝居は政治…というか時事的な話題(まあ放射能とかよ)を取り上げたものだったらしく、でも管理人さんいわく、見ていて作家の戸惑いが見えてあまり何を言いたいのか伝わってこなかったんだとか(あらっぽい要約だけど)。
 多分アングラとか芝居小屋系の、って限定なんだろうけど演劇というのは僕のあまり深くない知識では、確か一時期新左翼と構成する人脈が重なっていたせいだからかなんなのか、政治的なメッセージを表現、啓蒙するツールとして使われていたイメージがある。だからこそ通常の芸術とは毛色が違う、というかエラい、というか。そして蛇足かもしれないけど、小劇場系の演劇の人口が減って高齢化しているのは新左翼の高齢化と歩調を合わせているのとそういうところでリンクしている気がする…。

 まあそれこそ荒っぽく言うと教化の材料として芸術を使う、というのは中国や旧ソ連を見れば左翼(というかあらゆる思想・主義者に、なのかな)には共通の発想・行動なのかもしれないと思ったりするんだけど、それは今日の本題じゃなくて、果たしてその手法は現代でも生きるのだろうか、ということだった。
 僕は個人的にそもそも音楽にしろ絵にしろ舞台にしろ芸術に芸術それ自身以外の要素が入ってくるのが嫌いな人なのでなおさらなんだけど、芸術を通じて何かを伝える、って確かにそれは「感情表現の手段」であるとすれば否定されるものじゃないはずなのに、なんでこんなに釈然としないんだろうなー、という話です。若干眠いので論旨が明快か心配だ。
 ちなみに僕がそういうのを嫌いな理由は…どっかで書いてる気がするけど、まず外部に依存しているという点でその作品は脆弱である、ということ。観客にある共通の知識を求めたりする作品は、時代が過ぎてその知識が流されてしまえば作品としての寿命もあわせて流されてしまう。極端な例を出すなら要するにCMや時事ネタのパロディなんかそうよね。パロディはあくまでオリジナルあってのものであって、結局は影にしか過ぎないし、批判していることが多いのに、その批判対象が権威や知名度を失ったら自分自身の首が絞まる。

 あとは上の段で書いたことと矛盾するかもしれないけど、結局やっぱり芸術が手段として扱われることに抵抗がある、ということもあるのかもね。ああこれ一歩間違えると自分の昔の商売批判してる感じになるし自分でも峻別が難しいんだけど…。
 僕の大好きな打海文三の絶筆「覇者と覇者」という作品の中で、とある歌手を指して「あの人の歌は何かに向けて人々を煽り立てるという事を注意深く避けている」というような一節があって、それと似たようなことなのかな。何かを見たり聞いたりして人々が何かの感情を抱く事はまったく自然だし、それが行動に繋がるのは否定されるべきではないとおもうんだけれども、それと「こういう気持ちを抱かせたい」という気持ちを作り手があらかじめ計画してそのような作品を作る事は、現出するものが例え同じであるように見えたとしても全く違うものである、というような…ううん、なんか歯切れ悪いのかな。

 
 話を戻すと、そうやって戯曲化して届ける、というある種のパッケージ戦略?がこれだけ生の情報がネットで拾える時代に有効なのかな…というのが疑問だったわけ。テレビのニュースがその「ネットの時代」でも有効なのは原因は色々あるにせよそのフィルタリング機能によるわけだけど、そうやって芸術作品にまでする抽象化によって得られるものは何なんだろう。事象に対する批評は言葉によって例えばマスメディアなり、そこに力をふるえないならブログなどデジタルメディアでされればよくて、小さな、物理的に伝達出来る人数が限られた場所で行っても影響力は限られてる、というのが「一般的」な考え方じゃないかと思う。そうしたスタイル自体がかっこよかったり進んでいると思ってもらえる環境があれば、そこに誰かを呼んだりすることでその誰かがどっかの媒体に書いて…と続いていくかもしれないけど、もはやそんな神通力は失せたというか逆に正直胡散臭いイメージがとても強い演劇という方法が自分の政治的なメッセージや主張を伝えるという目的に対してどうなのか…ということです。

 いや否定するというより本当にじゃあどうすりゃいいんだろうね、ということを書きたいだけなんだけど…なんか否定してるみたいな文章だな。あーあと台詞という具体的なものを持ってしまっているだけに、というかそのせいで?というか、クラシックみたいなインスト音楽よりもメッセージ性を簡単に持たせることが出来てしまう演劇というものはなんかその可能性を持っているだけに逆にそれに縛られるというか絶えず意識しなきゃいけないというか、そういう側面もあるのかなあ…と思ったりしています。
 クラシックで政治やら時事批評というのはせいぜい状況に対応した表題の曲を演奏するってくらい(例えば今年の9月10日にマーラーの「復活」をニューヨークで演奏していたような)で、もう少し踏み込んだ他の例といえば…ハイドンがお休みほしくて書いた「告別」…最後の楽章で自分のパートを演奏し終えた団員が次々に楽器をしまって出て行き、確か最後はコンサートマスターだけが舞台に残って曲を弾き終える…とかって程度だもんなあ…。いや知らないだけであるのかな?歌詞がないとやっぱり直接「ばーか」っていえなくて、となるとその批判・批評を理解するだけの能力が相手にも必要になるから、やっぱ技法的にも難しいよね。

 ぬぬぬ。
 機内。シーズンの問題か僕の趣味か、映画にしてもしょんぼりなものしかやってなかったのでしょんぼり前提で見たら楽しめたのとやっぱり、というのと。カンフーパンダは面白いらしいけどしゃくだったので見てない。


1)Gantz Perfect Answer ★★★☆☆
 最初にこれを見たってのがもう既に期待感のなさをあらわしているでしょう。でもマシだったほう。前半の地下鉄アクション辺りは相当面白かった。全体的な感想はhttp://cinefun.blog89.fc2.com/blog-entry-324.html にかなり近いです。僕はもう少し評価してるけど。なぜなら原作は途中まで斜め読みって程度だから誰が誰だかわからないし、設定が変でも「ああ原作知ってる人ならわかるんだろうな」でスルーできるから。いや、本当は映画の中で全部解決してないと駄目なんだろうけど…。
 この上のブログの人も書いてるけど、特に地下鉄の女吸血鬼vsGantzの人たちの殺陣は邦画原作物らしからぬスピード感でよかった。ちょっとどきどきした。女の子すげー動けてるな!と思って調べたけど(水沢奈子というグラビアアイドルらしい)Wikipediaみたかんじではバックグラウンドにそういうものがある人ではなさそうなので、多分カメラワークがうまかったのでしょう。
 後半?まぁアイドルだったらあんなもんでしょ。最後の向き合って撃ち合うのはなんぼなんでもさすがにやりすぎだと思ったけど。痛みを感じないとかいう設定ならともかく普通に撃たれて傷つくし、それなら普通避けるだろ。ゾンビ同士の銃撃戦みたいになってた(※でも死ぬ)。あ、そうそう、この映画の何が一番わからなかったかって、敵が「これは復讐だ!」みたいなことを口々に言うんだけどそれ前編の内容だから劇中全く触れられないのよね。前編見てない僕にはそもそも敵の目的がわからないというこの致命的な。ま、いいんですけど。


2)男たちの挽歌 A Better Tomorrow ★☆☆☆☆
 韓国映画って見るのとても久しぶりかも。あの男たちの挽歌がリメイクされるってのはどこかで読んだな…でも超絶☆悪い予感と思ったんだけど、やっぱり悪寒ばりばりでした。
 全体的に薄っぺらいというか…「ああ、リメイク前は名作だったよね」って感じ。素材はいいのに料理が駄目感がそこここに出ていてなんというか。あ、ちなみに僕は元のは10年以上前に読んだだけなので相当記憶がおぼろげです。でも「刑事さん!」の辺りとかはなんとなく覚えていて…ねえ?かなしい。あ、でもそのままリメイクじゃなくて舞台やら設定を変えているということは評価できると思うんですよ。やりきる力が足りなかった気がするけど。
 あとこれは僕の問題なんだろうけど、韓国人の役名が覚えられない&結構最初の派手にやってた頃とその後で顔やら服が変わっていて誰が誰になったのかよくわからなかったりもしましたよ。特にヨンチュン。ていうかヨンチュン。あれかっこいいおにいちゃんは?みたいな。まあ、チョウヨンファと比べるのは酷なのかもしれないけど…。

http://banka2011.com/about/character.html
あとどうでもいいけど公式サイトの人物相関図の社長ひどい。名前含め全部空欄…。サイトくらいはちゃんと最後まで作ってあげなさい。


3)X-Men First Generation ★★★☆☆
 ふつー。面白いけど、派手さというか突出した点はなし。当時の社会情勢(アメリカvsソ連)とミュータントvs人間ってのをクロスさせるというアイディアの大枠はとても面白いんだけど…なんだろうなあこのいまいち感は。
 そうそう舞台が昔、つまり1世代前だからだけど、よく知ったX-Menはほとんど出てきません。そこらへんもあるのかなあ。そうそう、あとこの時代のスーパーヒーローものだとウォッチメンを思い出してしまって、あれは暗いけど結構リアリティ(っていうのか?)があって面白かったからそれと比べるとねえ…という。


4)ワイルド・スピード MEGA MAX ★☆☆☆☆
 見た感じバカ映画で実際バカ映画。脇役のおっさんかっこよすぎだろあと腕太すぎと思ったらロック様だったので星1個あげるけど本来は…とかなんとか。それになりに作りこまれてるX-Menを見た後だとそのチープさが更に強調されてというかなんかこう、せつなくなりますね。ていうかロック様今俳優として割とちゃんと評価されてるのね。確かにあんまり棒って感じもしなかった(でも自分が知ってる顔より大分年取った感じ)。
 なんていうか貧乏人のバカガキをターゲットにした感じで、頭使わずに楽しもうぜヒャッハー!って汁が全編あふれてます。あふれすぎです。自分が金ほしいために無関係の警察官殺しまくるしチンピラ雇って警察官(ロック様だけど)脅迫するし主人公のやる事がめちゃくちゃすぎてしかもそれがいちいち深い理由もなく別に面白くないので不愉快。最後のカーチェイスだって客観的には警察署襲撃して金庫盗んでるんだからパトカーにおっかけられても銃撃されても文句言えないでしょ、それをもうなんであんなにゴミみたいに殺すかね。でもやつら仲間内の友情とかは優先してお泪頂戴的なことをやるわけですよ。ぺっ。ロック様だってかわいい部下の復讐だからってそんなあっさり…。いやしかしなんていうかここでのロック様のかっこよさはデスペラードでのダニー・トレホ(ナイフの先っちょでダイアルするよ)ばりですよ?
 ああなんかwikipedia読むと最初の方は車フィーチャーしまくりの映画だったのね。そういう一箇所大プッシュでそこに説得力あれば確かに別に他の舞台設定とかどうでもよくなることもあると思うんだけど、今回はそこも力が抜かれてるというかほとんどまともなレースシーンがないのよね・・・「お互いの車をかけてレースで勝負」とかって本来熱くなる戦いもレースシーンは一切描かれず1コマ後には勝ってるし、あとはメンバー同士でゼロヨン!とか突然言い出すシーンがあるけどお前らみんな同じ車種なんだからそれでゼロヨンやっても…って話じゃね?あと別のところでちょこっとドリフトするシーンとかはあるけどね。あ、でも女の子がみんなかわいいです。Gal Gadotとか…。
 お子様向けなのに倫理的にむちゃくちゃすぎてお子様には見せられない内容。いったい誰のほうを向いて…と思ったら興行成績良いのかこれ!俺もうやだ。
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/searchdiary?word=%2A%5B%B5%AE%BB%D6%CD%A4%B2%F0%5D

にある「骨太」というのがとても的を射てると感じた作品。上の書評を偶然読んで、んで買った。悪い点を先に上げれば

 ・相当そもそもな話、タイトルが何を指してるか結局よくわからない(回顧という体裁だけど大事件は起こり真実を知った主人公や周囲の人物の生き方は変わるが、別に世界自体はあまり変わってないような気がする。しかもさらに未来に向けて書いてるからそのタイトルが「新世界より」じゃおかしいし)
 ・記憶操作について結局真相がよくわからないような
 ・愧死機構の発現はDNAに組み込まれてるんだったら誰に拾われて教育されたかって関係あるのかな
 ・エロシーンがなんか義務的。いらない気がする
 ・TVバラエティを意識してるのか謎の「またぎ」が時々うっとおしい(「その時私たちはこれが更なる悲劇の始まりだとは知らなかったのだ…」みたいなのでパラグラフが終わる)

 とかってのはあるはあるんだけど、全体的にはとても落ち着いてよく練られていて世界に隙がなくて、すばらしい、そして日本人が書いたんだよねーって強く思わされる作品です。本当に世界がよく作られていて(多分日本の原風景みたいななんとなく僕たちが持っているイメージを取り込んでるから文章でわざわざ書きこまなくてもそのイメージを伝えられるって所もあると思うけど)だからオチというか最後を知ってももう一度読みたいと思えるんだよね。勢い重視だと最後まで読むとすぐご馳走様になっちゃいがちなんだけど。一日で全部読みましたです(ので若干中盤眠たかった部分があり、上記の説明がもしかしたらされてる部分があるのかも)。


 最近小説を読む量が昔に比べて圧倒的に減ってるんだけど、そのくせ当たりと思えるものに会う可能性がめちゃくちゃ高くなってる。これは選球眼がよくなったのか自分のハードルが下がったのか…。まぁどちらであれ自分の幸福度が高くなっていることだけは事実で、だからそんなことどうでもいいのかもしれないんだけどね。この傾向が続くといいなあ。

Openness

2011年2月13日 感想文。
イギリスの文化なんとか機関である所のBritish Councilが開催したイベント、Digital Creative Conference (http://bc-dcc.tumblr.com/)二日目の最終セッションに行ってきました。「アート」と大括りしてる割には中身はメディアアートの人が出てきて色々喋るってイベントだったのが…まぁでも社会と密接にかかわっているって意味ではアートの中で一番技術の進歩とかによって脅威にさらされやすいわけで、その代表という意味ではわかるんだけど。

 僕が出席したこのパネルは非常に興味深かった。彼らは"Openness"をキーワードにアートが「外」に出て行くことによって社会と溶け合ってアートとしてのアイデンティティを失っていくこととか「これはアートなのか、技術なのか」みたいな、なんか外からのまなざしを気にしている(悪い意味じゃなくて)ような印象をすごく受けて、それが新しいなぁと思ったんですわ。
 んで、質問したかったけどできなかったから自分の印象での独断だけど、多分登壇者にも質問してた人たちの頭にもクラシック音楽…じゃなくてもいわゆる伝統的な芸術(絵描きとか彫刻とか、例えば伝統芸能とか)、つまりデジタルやテクノロジーをディストリビューションにしか使わない/使えない人(作品の中にはあまり入ってこない人ってニュアンスかな)にあるような一子相伝、神秘のヴェールに包まれた「アーティスト様」というような芸術家像がないんだろうなぁ、というのが興味深かった。それは彼らにとって時代遅れな、「昔の芸術家」なのかな?それとも今日がデジタルについて語る場だったからあえてそういったものをトピックにあげなかったのか。

 で、まぁこんな場で答えが出るわけがないんだけど、僕がすごく気になってたのは芸術家にとってのオーラというのがダイレクトかつリアルタイムなコミュニケーションが可能になってしまった現代においてさらに消えていくことについてどう思うか、ということ。芸術作品のオーラはベンヤミンの時代に複製可能性によってもう消えていたのかもしれないけれど、それを生み出す存在の芸術家のオーラまでもが奪い去られようとしているような気がしていて、それはある種のつまり「オーラをまとわないこと」を表現の軸にするような、そういうものへのアンチテーゼとしての芸術にとっては歓迎すべきことなのかもしれないけれど、大概のアートは例えば異常な犯罪が異常者によって引き起こされるべき(といって逮捕された容疑者に異常な物語があとからあとから追加されていくように)である、というものと似て、人ならぬ人によって生み出されなければいけないものだと思うのよね。
 才能か、努力か、または振る舞いか。何かが異常(常人を超えている、という意味でね)でなければならない。そして人間くさくあってはならない。プラスでなくてはならないし、マイナスであってはならない。自分たちと同じものを食べ、同じ映画を見て笑い、同じ事で涙する人間の生み出す作品が自分たちのものと違うなんてこと、信じられないでしょう。そしてそうであるならば、接触を増やすにつれて芸術家は自分がいかに常人と違うかってことを表現し続けなければならなくなる。今までは接触がなく、ヴェールに包まれていたおかげで受け取る側が勝手に神話を妄想してくれていたのに、自分から進んでそれを生産しなければならなくなる。狂ったフリをするのはめんどくさいよ?
 それってなんかとってもアーティストにとって負荷がある話だと思うんだよね。感受性は普通で技術だけ突出してるって芸術家はもしかしたら存在しないのかもしれないけど。

 まぁこの話はきりがないのでこの辺として(もーーしかしたら追記するかもだけど)、心に残ったのは登壇者のひとり、斉藤精一さんが言っていた「Artは問題提起、Commercialは問題解決」という言葉。これも僕らがいるようなクラシックであるとか伝統芸能の世界全否定というか多分視野に入ってないんだろうなーって思ったんだけどそれをおいておくと、この定義はとても使いやすいなと思います。大枠をとらえているし、本当に使いやすい。二分論だけにやっぱり乱暴ではあると思うけど、それでもなんかそういう方向を志向すればいいのかな、って思える。

 我々も結構いつも「社会に影響を与える」ってのを標榜してるんだけど、実際には少なくとも普段は社会とのエッジにいるわけじゃなく所詮娯楽産業なわけ。でこの人たちは逆に常にそうやって社会と自分とか自分の芸術、て意識でいるのが面白いなって、そういう対比でもあったのかもしれません。

 あとはなんだろ、途中で会場に質問を求めたりして何人か発言してたけど、名乗らなくても登壇者がほぼ全員を認識してたってのがなんつーか世界せますぎ…っていう。まぁ元森美術館のキュレータとかが長々喋ってたりして、ある意味で会場からの質問にしちゃあ豪華だったとは思うんだけど…いやでもこれ日本人だからなのかよくわからないけど、こういう場での発言が下手。意見言ってるんだか質問してるんだかわからない。日本語って言葉の問題?あれを拾って答えてるパネルはすごいなーって思った。せめて自分の発言の最後にまとめというか、「要するに1~、2~、3~について答えてほしい」とかそういうのをつければいいのに…とか思いました。


 ま、もう少し時間がほしかったです。すごい深いテーマだったと思うからいつまでやってもひょっとしたら時間はたりないのかもしれないけどね。

あーちなみに飲み始めながら書いてました。なんか鬱っぽくなってたので酒逃げ。
 僕にとっての名作を書く人はみんな死ぬ…かどうかはわからないけれど、これも亡くなってしまった作家「伊藤計劃(いとうけいかく)」さんの本です。こんなに衝撃を受けたのは

http://42583.diarynote.jp/200802152041460000/

 打海文三さん(も亡くなってる)の「裸者」を読んだ時以来。あれが2008年ってことでそんなに時間経ってないしそう考えるとその程度の衝撃か?って気もしてしまうけれどそうではなく、たった2年でこんなにもすばらしい作品にめぐり合えたってもしかして僕結構幸せかな、というのが、ほんと今の気持ちです。だって上の日記にも書いてるけど、ここまでうわって思ったのって裸者の前は多分京極さんの絡新婦の理以来だもの。

 ハヤカワだしSFってんでなんかスペースオペラかしらSFとか書いてあるし…と思ってたけど、中身は近未来国際謀略系ハードボイルド(?)って感じ。タイトルがどぎつくてそれが人を遠ざけている気もするけれど、でも実際中身も相当きつい(虐殺という言葉から想像するグロさというよりは話の濃さとかその辺で)。マクナマラって言われて誰かわからないとちょっときついかもね(もちろん実在の人物)。

 本当に言語が世界を規定するかはわからないけれど、この話はそんな内容。それ自体のテーマ性と、さらに主題にはされないけれど現われる例えばトレーサビリティ(今の世の中興味を持てば自分が手にしているものがどういったものから出来ているのかすぐに調べる事が出来る…のに興味をもたれないが故にそのトレーサビリティがあんまり生かされていない、みたいな話)の話とか、色々と脇を彩っているものも興味深く、多分すぐに再読するでしょう。残念ながらというかなんというか、マルドゥックスクランブルもかなりよかったけど、相手がこれじゃしょうがないわな。

 結末の解釈というか主人公の行動の意図については以下の増田に同意します(大嘘って書いてあるから批判かと思ったらそういうのではなかった)。ここまで自分で言語化はできなかったけど、読んで感じた違和感の正体はこれなんだろうなぁと。しかし冒頭にも書いてあるけど下の文章は本編未読で読んじゃうとつまらなさ半減かも。

http://anond.hatelabo.jp/20090905184450
伊藤計劃『虐殺器官』の“大嘘”について

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