煩悶

2014年11月21日 Guangzhou
 うわーーー!


 彼氏が日本人だった件。


 さあころそう(はい、飲んでいます)。


 …なあんて。しかし聞いてみるとなんかよくいるクズっぽいんだよな言動が…今時彼女の携帯チェックするとか同性と出かけるのすら報告とかちょっとやばくないすか?別に自分の気持ち抜きでもババひかせてやりたいなあ、と思うんだけどどうしたらいいのかな、とかいいつつ結局私怨入りまくりなのはわかってるんだけどな。あー。まあ自分の気持ちがどこに着地するかはともかく、ひさしぶりにわりと策を練ってる愚かな私(恐らく他にやることがない、ということもあるとは思うんだけど)。先のない話なんだけどなーでもなんかどうにかしたいんだよなーくそくそ。
 でも香港の日系企業に勤めている同じくらいの年齢の日本人って、多分簡単に出会えるというか、意図せずとも出会ってしまう気がして仕方ないんだよね。だからこそ名前は聞きませんでした・・・いやホント名前きいたら・・・ふひひ。「一緒に遊びに行きますか?」とか言われたけど、多分それもめる元になるねえ(ちょっともめさせてみたいね)。


 で、肝心のコンサートですが現場のダフ屋に定価380(6000円くらい)のチケットを1000といわれたから「いやいや」って言ったら「幾らなら買うんだよ」って言われたから「2枚で600だな」と我ながらいいセンついたのに鼻で笑われました...ああ聞きたかったな。開演後のチケットだぜ?普通定価より安いだろうが...ということで仕方なく諦め、近くのスタバでお茶してから謎に「友達呼ぶから中国語の練習をしなさい」といわれたので「ええ、まあ・・・」とか言ってたらその友達が車にのって現れて家まで送ってくれたのはいいんだけど、その途中に会話しても全然通じないっていうね。あああああああああああああああああああああああああ。

 そんな感じです。やっぱ店で買い物、くらいのことは出来てもホントどうしたらいいんだろうね。進歩がない・・・わけではないけど普通に話せるまでは、本当に遠いです。

 まじめな話、まだ時間は半分も経っていないし、残り時間がないわけではない。また、別にここに来てからの伸びが普通より低いとも思わない。そして半年でちゃんと喋れるようになる、という目標は元々決して低くはない。言語を学ぶって、結構大変なのは想像はしている(実際は知らんよ)。でもなあ...無力感というか、なんというか。どうしたらいいんだろうな、日本語完全に遮断すればいいのかな。ただ元々日本語で話をする機会は元々あまりないのと、読む・書くのはそもそもそんなに問題ではない・・・いや問題ないわけでは全然ないけど優先順位からすれば・・・ううううむまあとにかく、読み書きを制限しても伸びるイメージがないのよね。どうすりゃいいんだろうね、ホント。

 あ、東京はとっくにさむいみたいだけどこっちはまだ暑くて…どころか蚊にさされてますなうです。
 相変わらず「忙しくないけど不思議と全然時間がない」状態が続いています。効率悪いっちゃ悪いんだよなあ...。今日も朝出て帰ってきたらもう7時とかだったし…。例えば今日何していたかというと学校行って昼にちょっと遠くに飲茶しにいってすぐ帰ってプライベートレッスン受けて、その後街まで携帯電話を見に行っただけです。そんな特別なことしてないんだけどなあ・・・ちなみにちょっと風邪気味かも。でも宿題とか自分の勉強もあって、なんだかぼーっとできません。いまこれ書いてるのも、本当は明日までにやらなきゃいけないことをすっぽかして書いてる。まあ明日は授業終わってレッスンまで時間があるのでその間を使ってどうにかしようという今のところの計画。

 最近のこと。なんかたいしたことはしてないんだけど帰ってみると意外と色々思い出せないものだし、なんでもないような事が幸せだったと以下省略なわけで。

 先週は佛山という隣の都市にいってきました。地下鉄とバスで1時間半とかかな。広州の衛星都市で一番大きな場所で、ブルースリー推しの街です(行かなかったけど記念公園とかあるらしい)。元々は陶器で有名らしい、ということと、広州市内にある狂ったようにでかい布市場よりさらに広い、しかも質が高い布が集まる市場があるというかすかな情報を得たので行ってみたのですが、その市場はなんていうか、町でした。普通に町。でも並んでる店が全部糸とかボタンとかジッパーとかの店。
 でも地図とかないので、どこにどの材料売ってる店が集まってるのかよくわからない、というか本当は小売をやっているらしいという情報があったのでそこを目指したかったんだけど...無理です。あとおなじ服の材料系市場といっても、どうやら市内の一歩手前つまり布じゃなくて糸、みたいな感じが多いようにも思えて、こりゃ素人がぶらぶらしても収穫ないわ、ということで諦めたのでした。見て楽しいというレベルにも達しなかった...ちょっとくやしい笑。せっかく駅からさらに一時間くらいバス乗り継いで「お前ここでホントに降りるの?」的なところまで行ったのになあ...。実はバスを降りたところに客待ちのバイクタクシーのあんちゃんが沢山たむろしてたので「小売してくれる所まで!」って言ったらもしかしたらつれてってもらえたのかも、といまさら思った。

 その市場?を見るのに意外と時間を食ってしまったので若干駆け足になったけど、陶器の地域にも行ってきました。器というよりは彩色がきれいな置物系が多かった。お土産とかにはいいかもだけど、質は一部を除いてどうなんだろうという感じ。いや、悪いという意味じゃなくてがんがん彩色されてると質なんてわからないよね。
 時間を考えると泊まってきたかったんだけど、パスポート家に忘れたので不可能、ということでがんばって帰りました。


 あとは何してるかなあ。あ、道端で逆ナンされた話を書いてなかったね。ある日ビザの問題があったので公安(警察)にいった帰りにふらふら歩いてたら公安で僕の前に並んでた人に駅までの道を聞かれて。
 中国ってあんまり通りの名前を角ごととかには書いてないから僕も「~通りをどうこう」って教えられなくて、しかも突然中国語で道聞かれてあわててたし、「あっち~」とだけ言って逃げようとしたんだけど食い下がられて、しょうがないから下手な中国語であたふた案内してたらようやく気づいてくれて「あら、外国人?英語喋れる?」って聞かれて。
 んで色々話してたら僕と同じくらいの時期に広州に引っ越してきた湖南(毛沢東の出身地という以外何もイケてるところがないけど何故か僕と縁のある中国人はやたら湖南人が多い・・・多分何もないから都会に来てる人が多いんだと思う)人で、英語の先生なんだとか。だから英語喋れるのね(かといって、プロとしてはそこまで上手くはない・・・ぼくとどっこいな感じ)。

 んでまあ駅まで送ってあげて連絡先を交換して、ご飯食べに行ったりしました。若いことはこわいねえっていうかなんていうか、まったく悪気なく「島」やら「神社参拝」について意見を求められて若干困った。とりあえず「ああいうのは政治家のおもちゃなんだから僕らが気にしてもねえ」という答え方をしておきました。
 そうそう、中国って日本以上に格差が激しいので(というか日本以下の国なんかないけど)政治家ってマジ雲上人なんですよね。「絶対一生関わらない」「あれは別の生き物」的な。だからそういう逃げ方はわりと納得されやすい気がする。

 あとは出会い系(って名前嫌だな)でいうと、外国人向けの高級アパート(家賃月日本円換算だと最低55万~、でも日本企業の総経理ですらないクラスでも入居してるとか。あと某国営放送の記者、お前半分香港なのになんでこんなとこ住んでんねん)のフロントでインターンやってる子とご飯食べたりしています。なんか中国の大学って、4年の後半は「実習」といって企業にインターンに行くみたいなんですね。別に直接就職に繋がるというわけではないみたいだけど...。んで、言語交換とかそういうサイトを見て連絡すると実習中の学生ってのが多い。多分実習だと町に出てる&地元じゃないから案外休みの日とか暇なんでしょうな。まあこっち中国語であっち日本語でチャットしたりしています。滅多に会うまではいかない。特によこしまなことはないです。別に男でもいいくらいなんだけど。

 あとはああ、明日大本命笑の不動産屋さんと二人で遂にコンサートに!いいのか俺に誘われてコンサートとか行ってる場合か!と思いつつまあいいのですぐふふ。丁度亡命中国人の有名なピアニストが演奏会やるんですよ・・・気づいた頃にはとっくに売り切れてたけど、まあそれは現場でダフ屋から買えばいいかなと。すげーゆるいなホント。不動産屋は子供の頃ピアノを習っていたらしく、またクラシックのコンサートなんて行ったことないらしいので、それをネタに釣りました。

 そうそう、今日からモーターショーが始まっています。次の仕事の関係もあって、見に行こうとは思ってます。東京でも行ったことないんだけどね。広州はこういうイベント多いのよ、ほんとに。あ、あと書きながら思い出したけどtea expoってのもある。中国最大規模の茶の交易会だってさ。ホント毎週こういうのやってるんだよね。見て何が楽しいんだといわれると言葉に詰まるけど...まあとりあえずいろんなものが見れるのは楽しいじゃないですか。

 あ、それに関連してだけど、こっちに来てから革製品、茶、家具、乾物、おもちゃ、布、音響製品、携帯といろんな卸市場に程度の差はあれ行ったけど、なんかフィレンツェとデジャヴュなんだよね...なんでフィレンツェやねん、って思うと思うんだけど、要するに金太郎飴というか、店が腐るほどあるのに結局扱ってるものはみんな一緒っていう。せっかくそれだけ店があるのに独自性とかで攻めずにみんな携帯だったらiPhoneとGalaxyを置いてるからお前ら意味ねーだろーって言う。
 北京の携帯電話ビルとかもそうなんだけど、ホントこれでどうやって隣の店に勝って行くんだろうこの人たちは、という疑問は一向に解消されません。誰かにきいてみたいな。たまーにその中にいい意味で変なものを扱ってる場所もあるんだけどね。

 そう、だから「市場に日本とは桁が違う大量のものがある」というのはホントだけど、別に数が多いのは必ずしも正しいことじゃないなというか...やっぱり特にデザインとかが絡むものは中国はまだ弱いなあ、という印象がさらに強くなりました。交易会の衣料品の日にいった時も思ったんだけど、ださすぎてこれじゃ海外のバイヤーは価格以外になにも見出せないだろうなと。発注者が作りたいものを言われたとおりに作るという機能しか求められない気がするというか(そしたら当然差別化もクソもないので納入価格は永遠に上げられない)。
 ホント、驚くほどたくさんのものが溢れているのに、驚くほど全部が全部ださいのよね。なんでや、という感じ。総当りで部品とかつけてってバリエーション出したほうがもしかしたらかっこいいもの出来る可能性高いんじゃねーの?って嫌味言いたくなるくらい。

 あとそれと関係しそうでするかわからない話、やっぱ大半の女の子は鬼のようにダサい、やすっぽい服を着てるのをよく見るんだけど店で見る値段を考えるとそこまで価格で行ったら安くないというか、物価もあがってる今、「それなりの金払ってるのにださい」という救いようのない状態に少し近づいているのではないか…というようなことを感じてしまったりしたのでした。
 安い服って僕も着るんだけど、生地とかの種類によって安くてもなんとかそれっぽく着れるものとどうしようもないものがあるじゃないですか。いや別に難しい話ではなく…。なんだろうこの違和感。
 ネットも完全に一般的な今、センスのなさを情報のとぼしさのせいにはできないわけだし、うーん単なる投資というか「かわいくいなきゃ!」という圧力が少ないのかな(ある意味ではいいことなのかも)。この辺はインタビューしてみたら面白いかもね。とりあえずダサめがね率の異常な高さの解消から始めたい運動。

 相変わらず日本語をほとんど使わない生活なせいか、書き始めると結構文字数書いてしまうんですね。そろそろシャワー浴びて寝なきゃいけないのに。

 
 ふと、上海の由子先生のことを思い出したりもしています。なんか思い出しても食い違ってる気がするんだよね…いやいつもとそこまで違うわけではないんだけど、やはり帰る&結婚って決めたからかな?と思ってしまうんだけど...それにもしかしたら僕がそこに理由を見つけてしまってるだけなのかもしれないけど。まあようはさびしいなと。海外で自分の家族並みといえる(いわゆる6時間グループ)の2人の内の一人ですからね...。四国で主婦やられたら上海いるよりある意味ハードル高いっすよ。
 もうひとりのNYの人(管理人さん)には今年夏に行って会ってるわけだけど、そんなわけでまた会いたいなあ、とか思ってしまったりね。年末暇だから別にやることもないけどNY行こうかとか。 んでそんなことを考えながらと夏の写真とか見返したり。

 わかってることだし、別にいまに始まったことじゃないけどやっぱり友情というのは永遠に続きません。別に今回の話だって崩壊したわけでもなんでもないわけだけど、お互いに別の人生を歩んでいるんだから、関係性というのはそもそも不安定なわけです。お互いの努力と幸運によってそれが長く続く事もあれば、努力はしててもどうにもならないことも、また片方(両方のことだって)が努力を放棄することもある。
 だからせめて築けた良い関係を当然と思わず、たまには感謝っぽいことを言おうとは思ってるんですけどね、なかなか難しい(恥ずかしい。僕が上海・NYのひととすごく安心できる関係というのも、恐らく常に会っていないからこそだとは思うし。別に近いだけがいいことではない。また出現するけど偽名ちゃんとかだって別にそこまで頻繁には会ってないしねえ。頻度だけならもっと会ってる人はいるはず。

 ただやっぱり足元、僕の周囲女の子ばっかり&そろそろ年齢的に結婚とかでライフステージ変わる、という状況だとやっぱ減っていくばかりだなあ、というのが実感なわけです。同性ですら、この年で恐らく友人を増やしていくのは難しいのにね。この辺の嘆きは定期的にやってる気がするんだけど...まあ海外にいて普段の友人とはまったく会わないし連絡も取らない(FBでたまにメッセージのやりとりとかはするけどね)という状態でありながら、やっぱりそんなことを考えるのでした、という話です。

 どうせ寝る気がするけど、でも明日のコンサートで最善を尽くしたいのでそろそろ寝ます。っていうかどうやって攻略すりゃいいんだろうなー。



 振り返ると、あんまり日常生活について書いてないね。

 なんか今幸福感がひどいことになってるので、記念?に書きます。あまりに幸せでなんか勝手にニヤニヤとかしてるのはまあ気持ち悪いけど別に誰も部屋にいないのでいいんだけど、まあ。あ、飲んでます。なんか幸せなのでウィスキー飲んでます。

 最近の日常は、朝学校行く→昼に終わって水曜だけ午後に1コマ+個人レッスン、ない場合は昼過ぎに個人レッスンのループ。ほらお前暇やん?と言われて別に否定できるとも思わないし働いていた頃に比べれば勿論事実暇なんだけど、でも8時半から授業で終わるのが早くても午後2時半とか3時ってのは、それなりに何かしらやってるって言ってもいいんじゃないかな…と思ったりはするのです。だってそこから家帰って晩御飯の買出しと支度したら結構もうすぐに一日って終わってしまうじゃないですか。
 …てこれまさに駐在さまのご婦人の生活って感じなんじゃないかと思った…そういうことなのか。

 学校は相変わらず。特にクラスメイトと仲良くもならないあたりは北京時代と変わらないけど、先生ともまったく仲良くなってないので若干これでいいのか感はありますね。先生(特に担任)話してること、これも相変わらずよくわからんし。普通の人の日常会話はわかる部分も増えてきたんだけど、英語以上に個人差…つまり話してる人によってわかったりわからなかったりが激しい気がする。語彙の問題というよりは、単に速度なのかな。はっきりとはわからないけど。

 前多分書いてる友人が北京に同時期に留学してるのでたまに交流するんだけど、結構ちがうもんだなと思います。彼は普通のコースで、僕がとってるのが商貿中国語というビジネス系だということもあるんだと思うけど。結局内容はあくまで「語学の勉強」なわけで、題材が生活かビジネスかの違いだけだからボキャブラリの問題でしかないんだよね。でも、僕のクラスでは今日遂に尖閣問題まで話題に出ましたからね(鄧小平はあえて棚上げにして偉かったね、やっぱ大人物は違うね、というような話で、過度に政治的な踏み込みはなかったので安心だったけど、ちょっとひやっとした)。

 あとは、そう個人指導の先生…といっても大学生だけど、を頼んでいます。結局大人数の班だと口に出す機会がないというのがこの手の留学の大問題で、北京の時とまったく同じ。だから毎日話す場を作るためにプライベートレッスンするのです。むしろ正直プライベートレッスンだけでもいいくらいの気持ちなんですけどね。若いこともあってか教えるのがうまいな、という感じではないけど、最初から「1週間のうち、今日はなにをする」というようなプログラムを組んで提案してくれたり一生懸命やってくれるというのを感じるので、結構気に入っています。
 でもなーまだまだ本当に表現できないことが沢山あるんだよね。いま1ヶ月半までいかないかな、それくらいだけど、早くも(?)あせり始めています。まあ焦りがないとこういうことはうまくいかないのは確かにその通りなんだけど、いやその只中にいるとそんなこといってられませんて。

 ああ今日は他にやることもまだあって(いま夜12時)簡単に書くつもりだったのに少し長いな。

 最後に一個だけ最近の事情を。今日知らされたところによると、僕のとっているクラスは12月の終わりで授業が終わりだそうで、次が始まるのが3月の第二週だといわれました。え…1月2月まったく授業ないの?って聞いたら「よかったねー」って言われたけどいやいやぼく一応勉強に来てたりするので…ということで困った。もちろん旧正月(春節)の間は休みだろうと思ってたけど、何それ…中国的に言うと、学期と学期の間らしいんですな。すぐに事務所に行ってその間に違うクラス取れない?って相談してみたら「君のレベルのクラスはないね、超初級はあるけど」って。テキスト見せてもらったけどホントに簡単でした。やばい。

 というこのハプニングに関してはまだ解決してません。明日以降他の大学とかに片っ端から問い合わせて僕に見合ったクラスが開かれないか調査&編入交渉ですね。めんどすぎです…。勿論最悪語学学校とかそういう手段もあるんだけど、正直語学学校ってなんかインチキくさいなーって感覚をぬぐえず。なんといったらいいかわからないんだけどね。

 そんな感じで、しあわせにくらしています。意外に簡単に1日が過ぎていくのが怖いです。この周りもあまり探検できていない。本当は福建とかも行きたいと思ってはいるんだけど、そんなことしてる場合じゃない!というよりそれより前に広東省、ていうか広州についてもっと知らなきゃなーという感じです。

 あーこの日々がどうか終わりませんように(知ってる、終わるよ)。
 金曜に学校を休んで、木曜の夜着、土曜夕方出発というすごい一瞬だけど上海行ってきた。短い滞在だったけど、なんか密度が濃かった。

 今回の主目的は演奏会。昔の会社で関係があったヴァイオリニストがリサイタルというので。若い女の子なんだけど若干気難しいというか根暗な感じで、非常に巧いんだけどその性格とぴったりなむずかしめな演奏。ビジュアル的にも(それを言うのはかわいそうだけど)あんまり華がない。だから売れない。
 そして今回は選曲が輪を掛けて難しくて。彼女自身が多分選んだんだろうし、彼女の持ち味が多分とても生きてる選曲だろうとは思うんだけど、一目見て「あーこれ売れないな」と別に業界人じゃなくてもちょっとクラシックかじってればわかる感じ。でも僕の好きな曲が入ってたのと、何度か話した彼女の印象がよかったのとでまー「買って応援」とはいわんけど、と言うことで、まあまあとにかく買って行ったのです。あ、いま書きながら思ったけど俺中国でチケットちゃんと買ったのって初めて…では多分ないにしろ相当珍しいのでは笑。大体関係者からの配給があるからねえ。

 彼女の演奏はすばらしかった。やはり巧い。ぞくぞくする。ただ伴奏がちょっとなーという場面がちょいちょい。あと、どう考えても本当に高いレベルでの集中力が要るあの曲を演奏するにはこの聴衆の質は正直つらいだろうな、と感じました。絶対的な沈黙から音が立ち現れるなんて表現は無理っすよ、この騒がしい聴衆では(でも見た感じかなりアッパー層だったんだけどね)。
 あと聞いた話では、当日朝ピアノが何かの手違いで調律されていなかったとのこと。そのせいでリハーサル開始が押したりしていたようで、ちょっとどたばただった模様。その辺の影響なのかピアニストの腕なのか正直わからないけど、ちょっと伴奏側が足りないなと感じたのは事実。ただ全体としてはすばらしかった。
 あ、終了後舞台裏でちょっと挨拶した時に会うの超久しぶりなのに名前呼んでもらえて(確実に僕の友人であるマネージャの差配なんだけど)ちょろっとうれしかった…というか動揺してちゃんと「すごかったよ!」っていえなかったのがちょっと後悔かな。


 そのほかの出来事 in 上海。今回は思いがけず友人カップルの家に泊めてもらえたので、まず木曜夜はその友人と親子丼。最近の上海どうっすかねえ、とか。駐在が若くなった、というのと出張者が減ったというのを言ってました(だから水商売が儲からんのだと)。
 金曜がそのコンサート当日だったんだけど、家主が仕事にいくのにあわせて出発し、まずはいつもの小笼包屋で朝ごはん。そしていつでも上海にきたらファーストプライオリティで会う由子先生と合流してまずは楽譜を買いにm50という芸術区へ。僕が長年探していた中国民族楽器の楽譜がついに出版されたのを上海にいく数日前に発見して、店に電話して在庫を確認した上でのご来店でした。この店の横にはカフェもついていて(というか恐らくカフェメイン営業)とても雰囲気がいいので、その目的の楽譜や、そのほかのCDやらなんやらを買い込んだ後はそこで休憩。
 で、話してたらなんかあっさり爆弾発言が。「あたし来年3月帰る」え…。あなたはわりとずっと住んでる人だと思ったのになあ…ということで上海のコアの人がまた失われてしまうのです…なるべく何回かは会いに来ようと思ってるけど。後からさらっとまた投げられた爆弾によると彼女は結婚するらしく、完全に田舎に引っ込むモード。この先上海よりよっぽど会いづらい感じになっちゃうのよね。かなしいな。
 最近学校ともめて辞めたり色々してたようなので、とても意外ではありつつ、そうか、とも思えるような感じもして...僕は彼女と多分とても仲がよいけど、それでもやっぱり離れた距離で暮らしている以上会った時にあまり後ろ向きな話はしたくないだろうなとは思うし...とかなんとかいって、やっぱり複雑ですよ内心。かなしい。

 まあまあそんな話はしつつも一服後、今度はお気に入りの陶器屋へ。景徳鎮の若手作家の個性的な作品を非常にお値打ちな価格で売っている店です。何故かあんまり知られてない気がするんだけど、僕はこの店のかなりファン。今回こうやって住むわけだし、多分日本に帰っても一人暮らしするから…と自分に言い訳をしてここでお買い物。1万円ちょっとかな。この店の商品はちょっと値段上げて日本で売っても商売になるんじゃないかなと思ってるんだけど。

 結構買い込んだあとは、近くのホテルに入ってるステーキ屋でランチ。なかなかビッグランチでした(そこそこ美味かったけど、高いよ…ご馳走してもらってるけど笑)。ステーキ食べたら死んじゃうので、ローストチキン。

 レッスンにいくという先生と別れ、今度は昔の同僚の会社に。この「同僚」はなんか日本語もぺらぺらのシンガポール人で、前の会社の上海事務所の代表をやってた人。普通の人が想像する「中国人キャリアウーマン」の典型という感じで、人の1・5倍くらいの速度で話し(外国語である日本語でもそんなかんじ)、1.5倍の速度で動く。有能な人だとは思うんだけどかなりアグレッシブで、たまに燃えすぎてやっかい。要するに、話してると疲れる人なんですわ。
 彼女と話すとホント疲れるもんで僕は彼女が僕のいた会社を離れてからあえて連絡はしてなかったんだけど(旅行で短期間遊びに来てる時にあの嵐のような人に会いたくない)、今回は心に余裕があるし、チャレンジしてみようと思って。で、事前連絡自体は取れたんだけど、残念ながら入れ違いで僕が上海にいるときには彼女はシンガポールに戻っているということで、会えず。でも代わりに何故か彼女の今の部下と会って、といわれたので会社訪問したのでした。
 部下の子にしたら「なんで私この道化さんて人と会うんだろう」って感じだったんだろうけど、まあオフィスに行ったら色々相手してくれて、最近の会社の状況とか業界の話とか、色々。
 僕と親しい元同僚の直接の後輩とのことで、「同じ先生に師事してたけど私が入学したときには彼女は卒業していたのでその時は会ってないんですよ」って君まだ本当に若いのね。可愛らしい子でした。あ、以上の会話は英語な。中国語はとりあえず笑って回避しといた。

 1時間くらいだべったあと「またくるねー」で、近くのよく行くマッサージ屋で施術してもらい(相変わらずちょい高いけどそれでも技術雰囲気ともにとてもよろしい)、そして僕が誘った一番親しい元同僚Pちゃんとまずは軽く、ということでアップデートしながらピザ。彼女はいまはラジオ局にいて、クラシック専門チャンネルで番組企画とかをやってます。
 いつものように色々話をしたんだけど、なんかいつになく親密な感じだったなあ…という謎の感想を抱きました。ま、僕この子好きなんだよね元々。もう一人の元同僚はかなりのお嬢様なのでたまに「うへえ」とか思うけど(仲よいけどね)、この子はもう少し普通の家っぽくて、飢えもあるし、いつも色々考えてるし(外見もキュートなのよ)。
 勿論僕らは基本的に英語コミュニケーションなんだけど、彼女は意地悪にもちょいちょい中国語を混ぜてきて、僕もちょいちょい返したり。もう知り合って4,5年経つんだけど、まさか中国語で話をする機会があるとは、というのが本当に。
 んでまあぺらぺら業界のことを食っちゃべってたら隣から謎の割り込み。なんとどこかでリハーサルを終えたばかりの韓国人指揮者だったらしく「来週俺コンサートやるから来てよ」とお誘いを受けたりしました。とりあえず聞いてた内容を彼が世界で言いふらさないことを望みます笑。

 で、コンサート聞いてこれで終わりかと思いきや実はもう一人、今超売れ売れのフリージャーナリスト・変人である某氏と飲むことになって。やーなんでこんなスケジュール詰まるんでしょうね。彼は今日本の週刊誌に結構な数の体当たり中国ものの記事を書いていて、それが面白いんですわ。話題の人、といっても僕は上海くる度に毎回会ってる謎の仲のよさなのでだからどうしたって話なんだけどね。
 しかし入った店が怪しかった。なんかしょぼそうだから安いでしょ、ってんで入ったら恐らく闇営業のガールズバーっていうか、なんだあれは。表向き普通のバーで、別に値段は高くないんだけど注文するときに「横で飲んでいいかしら」って聞かれるわけよ。僕らは当然不要だと言ったんだけど、まあそれで飲まれるというのと、これは推測だけどやたら店内の一部の部屋が暗かったんで、追加料金で色々あるんやろうね(といっても最近KTVなんかも結構高いと聞くし飲み物の値段は普通だったのでどうなってるのか想像つかないけど)。…というシュールな中、男二人でたまに来る営業を避けながら淡々とこちらもアップデート。今度は中国の婚活パーティに潜入するらしいです。

 で、24時近くになって家主から「帰って来い」コールが入ったこともあり解散、帰って家主とまた飲みながら色々話してたら2時くらい、で長い日は終わったのでした。再度まとめると朝ごはん→楽譜+カフェ→陶器→ランチ→会社訪問→マッサージ→ディナー→コンサート→飲みで合計4人(+家主)とあってた事になるんですね。

 上海、恐らく一年ぶりに来たんですが、やっぱ中国じゃないね。広州に住んでさらにそう感じた。異界。西洋の人や文化が違和感バリバリなのにそこかしこにあって、別に誰も疑問に思ってないというのがなんかホント変。旧租界なんかは町並みだって欧風だし。でもそれが面白いんだよね。今回は会った人がいつも会う面子なのに楽しかったことも含め、上海好きだなあ感がさらに強くなったのでした。あ、お世話になったお宅で上海蟹まで頂いちゃったよ。しかも謎に朝ごはん。
 なんか、うれしいよね。でもいいのか、という気もする(変な子に育つねきっと)。

 それを書きたかっただけなのでほかの事はさらっと書くだけにするけど、昨日かな、茶市場に行ってきました。独力。さんざかうろうろして「この外国人なんやねん」的な視線をきっと満身に受けてた気がするんですが(そもそも卸売市場なので中国人ですら普通の人はそこまでいない&挙動不審)、まあ気にせずのんびりと見て回り一軒狙いを定めてえいやと。
 なんか中国茶ってすごくマニアックな世界で、中国でだって老人が飲むもの、というイメージ。若い人はやっぱコーラだよね。かといって別に売り手がおじいちゃんばっかりというわけもないので、大体の店で「こいつ茶わかるんかい」って感じのいけてない感じのおにーちゃんおねーちゃんがスマホで時間潰しながら店番してます。そういう店って入りづらいよねーてかこいつらホント茶わかるんかい(おれわからんし)。
 ということで、店選びはもっぱらやさしそうでひまそうな店員(中年がよい)がいる所、ということになります。当然そこに自分の欲しい茶がないと本末転倒なんだけどね...。

 今回は白茶という南方でよく飲まれているけどあまり日本ではしられていない茶を探しに行ったんだけど、この市場はきっと需要を反映してか、雲南省のプーアルと福建のウーロン茶が主体。あと紅茶。上海だと緑茶が多かったりするのはやっぱり産地との距離もあるんでしょうね。
 で、白茶専門店かつやさしげなご夫婦がいる店、というのに入って買いました。いやー何言ってるかほとんどわからんのでニコニコしながらテレパシーですよ。まあ要所はわかるし、値段は書いて話せばよいのでどうにかなるんだけど...あとは相手の言ってることが半分以上わからなくても自分の要求はいえるようになったので(成長!)、そこでごり押し、わからなかったら全身で「わからん!」というオーラを出すと。
 結局「本来卸売りだからこんな小さな量では売れないんだけど...」とかいって最小250gからとか言われたのを「でもさあ、一人で住んでるからそれ飲みきれないよね...」とか言って同情を引いて「いやでも」とか言われたのを「どないしよ」と返してもごもごしてたら(そもそも「どないしよ」って言われても相手にしてみりゃ「知るか」って話よね・・・)半分の量を半額よりちょっとだけ高い値段でゆずってくれました。ありがと。でも125gだって、わりと多いぜ?
 ちなみに値段、日本でちゃんとした業者から買うものの(品質は違うだろうという大前提は忘れてはいけないとはいえ)1/5とか半額とかで買えます。ただここも産地ではないので、農家から直接買えばさらに安いんでしょうね。

 …と、いうような経験はとっても楽しいよね。相手が優しいから成り立つんだけど、自分が覚え始めた言葉でちゃんと(?)コミュニケーションとれて、なんとかかんとか目的を達成すると言うこと。

 11月にはいってようやく?少し涼しくなってきましたが、基本的にずーーーっとTシャツです。東京は寒いようだけど。
 一人上手だかなんだかわからないけど、ホント毎日毎晩一人でたのしいです。朝学校言って、どこかしらイベントなり買い物なりして帰宅しながらその日の献立考えて、帰りに近くのスーパーで足りないものを買って、家かえってちょっとだらっとしたり勉強した後に晩御飯作ってビール飲みながら食べる、みたいな。元々仕事が忙しくさえなければ外食が結構多い人ではあるので、たまに外食したいなーという気持ちがよぎる日もあるんですが、なんせ相手がねえ。この部分だけは一人はどうかなあと思うわけですが、そんな都合よくご飯のときだけ相手してくれる人なんかいませんわな。
 炊飯器もしっかり買って炊いてるんだけど、炊飯器の性能...というより恐らく米の性質の問題で、1日おいてしまうと結構ぼそぼそになります。しかも電子レンジは据え付けではなく(中国の場合家具はついてるので電子レンジもついてることが結構ある)、かといって買うのはもったいないしということでうちにはないので加熱も出来ず、どうしよっかなあという感じ。かといって毎回一回分だけ炊くのもどうなのかね。

 あ、そうそう食べる話で言えば中国って生きたままの鶏を「コケーッ!」ってイメージあるじゃないですか(自粛)。まあそれは今時市場いかないとないんですが(行けば見れるよ)、スーパーにもわりと丸のままの鶏とか、各肉類の部位ごとに置いてあったりとか、日本ではこの部分はないだろってな部分もそろってます。日本だってちゃんと肉屋に頼めば買えるんだろうけどさ。あと牛肉はやっぱりというか少ないね。基本豚か鶏。
 で、鶏買ったんですよためしに。これもThanks to Google先生なんだけどばらしかたまでぐぐって調べちゃうこの現代っ子ぷり遺憾なく発揮なおれ。しかもうまくいかなかった。まあでも内臓とかは抜いてある状態(あたまはついてました)なので、ようは全部食えるわけです。だからとりあえずはずせる肉は全部はずして、外れなかった部分と骨はくず野菜と一緒に煮込んでスープを取って、大きなモモ肉みたいな部位は焼いて食べて...というようなしゃれ乙なことをやってみたんだけど、美味しいね。別に潰したばっかりとかではないんだろうけど、なんか美味しく感じた。
 勿論丸鶏にもランクがあって僕が買ったのは一番安いもので一羽500円ちょいくらいのものなんだけど、たくさんスープ取れたし肉も2食分以上にはなったし、微グロ耐性さえあればお買い得じゃないかな。ぐぐると、日本でもこれも肉屋さんに注文しておけば(きっと場所によるんだろうけど)買えるようで。

 書き始めると長くなっちゃうのはよくないくせなんだけど、豚にしたって日本にはない部位がたくさんあるし量だって多いし、鶏もこうやって丸の選択肢がとても簡単にある。なのに中国人って(ってくくっちゃういかんのかも)あんまり自分で料理をするってイメージがないんだよね。食べてるものがすごくケミカルでそういう事を気にしないというような印象。ほんとの所、どうなんだろう。小さい頃からスーパーとか市場とかに親に連れられていって見ていたら色々感覚も変わりそうなのにな。まあその辺は僕の都会っ子ゆえの無知なのかもしれないけど。

あ、書いてて寝ようと思ってた時間をとっくに突破していて、しかもとてもねむいかんじです。同じこと重複して書いてないといいなあと思いつつチェックするのが面倒になっているので、これにて寝ます。あしたちゃんと読み直そう。
 ということをたまに思う。多分いままで書いたことがなかったと思うので、書いてみることにする。

 そう思ったのは、2つの場面。ひとつは言葉で、ひとつは食事。自分の世界が中途半端に(というのは言葉のアヤだけど)広いから、自分とまったく違う文化圏の要素をあまり取り入れない、というのが共通の原因な気がする。

 ひとつめの言葉の話し。中国語(標準語)にはあまり外来語由来のものが多くないと思う。勿論ブランドや製品にはある。有名なものだと可口可乐(コカコーラ)とか。ただ、これは言葉としては「浮いて」いて、なんていうか、日本語で言うといつまで経ってもカタカナという雰囲気。外来語を外来語として使っていて、まあこの音を表記するならこの漢字だよな...というだけといえばだけの。
 僕がここで書きたかったのは「そういえば外来語由来だよね」というようなもの。例えば魚の卵であるところの「イクラ」はロシア語由来なのはトリビア的なコネタが好きだったら結構知られている話。そんなような言葉...ってここまで微妙だと僕がまだ中国語レベル低いから外来語由来だって認識できてないだけって説明も成り立ってしまうけど...。

 とりあえずここで書きたかったのは外来語の受容では実はなくて、中国語が結構硬直してるのではないかな、ということの一例として出したかったのです。なんか語彙が更新されていなくて、新しい概念を消化できないかんじ。日本語だって別にすごいわけじゃなくて単に「とりあえずカタカナに」というので吸収してるような気がするんだけど、それすらできていないというか...。いや、逆に機能的ともいえるんだけど。

 例えば柜(gui)。これは「棚・箱」をあらわす言葉なんだけど、靴箱は鞋柜だし食器棚餐柜、キッチン用品入れるのは厨柜で服を入れるのは衣柜。みんな「性質+柜」でできてる。
 ほかにも料理用のボウルも大皿も同じく「盘」だったりして、区別がない。エスキモーが雪に何種類もの名前をつけていたのは生活上必要だから、という説に沿うならお前らそれで不便じゃないの?って話になるんだけど、どうなんでしょうね。元々中国にあったものに関しては勿論いろいろ細かく分かれてる気がするんだけど(例えば辛さに麻辣...しびれる辛さと単なる辣の区別があったりとか)、最近出来たものとか導入されたものに関して消化できてないような...という。

 ただ消化できてない、言葉を変えるとそのまんまやんけ、というのはひとつは僕が日本人であり、文字で意味を捉えてしまうから、ということも多分原因のひとつではあると思います。そりゃ「衣=服」と「柜=棚」だったらそりゃねえ、とかね。

 あでも日本語だって、冷静に考えれば例えば「本棚」って言いますよねえって話で...。どうなんでしょう(結論を見失う)。


 長くなり始めてしまったけど、二個目は料理。誰かが書いていたけど、中華って最近全然進化してないのよね。それと対比するために僕がたまに出す例がフレンチ。フレンチだって結構歴史と格式みたいなところがあると思うんだけど(ダシに使う割にはよくしらない)、若手のシェフが現れて伝統的なやり方を変える、といったことはたまに起こってる気がする。
 最近で一番わかりやすいのが化学の方法論を取り入れた分子料理…とこれは厳密に言えばフレンチだけの潮流ではないけど...まあとにかく中華でそういった新しさを見ることはほとんどない。料理としては周辺国のやり方を取り入れる、というのはよくやっているみたいだけど、なんていうか新しくないんだよね。
 中華は大きく8つに分かれるといわれていて、それぞれが全く違うアプローチで出来ていて、本当に懐が深い。だから別にわざわざヨーロッパやら日本やら東南アジアなのか、の技法をいまさら取り入れんでも、ということなのかもしれないけど、なんていうか中華で出会う新しさってあくまで「食べたことない地方の味」であって、その味や調理方法自体は1000年前からあります、みたいな話なんだよね。らーめんとかつくっちゃってるって意味では日本で進化してますけど。

 中国の色々な伝統文化は文化大革命の時にだいぶ殺されたと言われていて、料理なんかもそうなのかもしれない。音楽の面を考えても、ようやく(というほど直近ではないけど)伝統の上に新しい要素や考え方・技法を取り入れたものが出始めているわけで、もう何年かすれば色々でてくるかもしれないとは思いつつ。

 あ、言葉の話に戻ると、広東語、特に香港における広東語はおそろしく英語を受容しています。これは勿論元イギリス領であったということもあるし、恐らく広東語自体が口語ベースで文字は後付けなので表音であればなんでもよい、ということで元々柔軟であったということに由来するんだと思うんだけど(普通にアルファベット一文字とか使います...広東語さっぱりなので適切な例がだせないけどDとかよく見る)。あとアルファベットじゃないけどこないだ深圳で"New"を牛(niu)と表記してる店があって、あーたしかに~と思ったりもしましたよ。


PS
 不動産屋さんにちょっかいかける計画は当日朝になって「すみません突然彼氏がくることになりキャンセルさせてください」という考えうる中でわりと最悪に近い理由でドタキャンくらいました。彼氏の存在は別にいいとして、なぜそれを俺に言う...という。なんか無性にくやしくなるわけ。
 で、次会ったときに聞いてみたら彼は香港で働いてるんだそうな。近いって言っても2時間。しかも中国なのに外国扱いだから会いに行くにもこっちからだとビザが必要と...なんかしんみり(?)しちゃいました。

 なーんて。こちらであんまり日本人といちゃつく気はないので、面白そう(そしてかわいい)女子にはなんとかくらいついて行こうと思いますが、いかに・・・って顧客に色々言われるって結構あれだよなあ...つつしみ持たなきゃなあ...。


あっと思い出したから追記するけど、楽譜は乐谱(簡体字なだけで同じ)で、レシピは菜谱なんだよね。菜は料理という意味(例:四川料理=四川菜、さらに縮めて川菜と書くけど)。ほかにも譜あるんだろうなー。

 さて、ちょっと間が空いてしまいました。

 今日は日本から客人が深圳(高速鉄道で1時間くらい)まできたので、会いに行ったりしていました。ちなみに先週は広州まで別の人が来たよ。ここは観光地としては何もなさ過ぎることもあって友人が会いに来るなんてまあないだろうな、と絶望していたんだけど、こうやってたまに来てくれる人がいるのはうれしい…といっても、まだこの土地に慣れていないのであんまり案内できるとかそういうことはないんだけれども。ただ自分の家具やらなにやらそろえる過程で色々情報は集まってきているので、あと数週間もすれば面白いツアーが組めるでしょう(多分。ぜひ一度いらっしゃってください。

 到着してから3週間くらいになったけど、最初だから色々どたばたしていて書けませんでした。とはいえ、多分最初が一番色々あって書く内容も豊富なんだろうなあ、と頭では思ったりするんだけどね、でもなんかうん。

 あ、家は結局何件かな...15件とか見て、最後は新築の物件に入りました。日本でも一人暮らししたことないのに新築物件の家具(中国はテレビやら冷蔵庫などの基本的な家具は賃貸する時点で含まれている場合が多いのです)のビニールバリバリはがしたりしていました。前の投稿で書いたようなおもしろ物件には結局入れなかったけど、まあしかたないです。ちょうど広州交易会という中国最大のビジネスマッチングイベント(中国のローカルの生産者と海外のバイヤーの商談会)が始まってしまい、僕が泊まっていたところもふくめ、全てのホテルの価格が狂ったように上がってしまい、まあその辺も少しあせった原因でした。あせった...といっても決して家賃と内容がつりあわないわけではないのですが、とにかくつまらんなと。
 しかし新築な上にこの新居、ハブ駅の真横にあるため異常に色々便利。イオンとか無印とかユニクロとか全部5分以内、みたいな。フードコートも入ってます。風邪引いてもあそこまでならたどりつけそう…。とはいえお金が出て行くばっかりの留学生の身分、普段はできるだけ緊縮財政で行こうと思っていますが。


 学校はやあ、内容はよく読んでみると別に難しくないんだけど、担任みたいな先生の話す言葉が早口すぎてうえーって感じ。ゆっくり話してくれればわかる可能性もあるものの、基本的にあの人の喋ることは単語レベルでわからないものがあった時に立ち止まるとアウトです。一気に置いていかれる。
 あと思想的になんていうかすごく社会主義のご影響をお受けになってる方で、台湾のブランドのこと平気で「中国の」とか言うし、「思想」って中国語を説明するときにマルクスとかレーニンとか出てくるし...という話を今日深圳に来た客人(奥さん中国人のまあ一部界隈では中国通で有名な人)から「その先生って50代とか?」って聞かれたけど多分俺より年下なんだよなー大分エリート教育受けてる感じなんだけど。
 まあそこに触れなければいい人ではあるんだけど、とにかく言ってることがわからん。でもそれは「変な手加減してない」という意味でもあるわけで、学校の外の人なんてみんな手加減してくれないという事を考えれば慣れておくことは大切なことかもしれません。

 クラスメイトはやはり東南アジア(タイ・インドネシア)系華僑のご子息ご令嬢が半分くらい。あと黒人が二人、アルゼンチン人が一人、あと見たところウイグルっぽいから多分中央アジアのタジクとかカザフとかだろうなあ、というのが2人。多国籍ではあるものの、去年いた北京とは全然地域が違うなと言う感じ(今写真見直したけど、去年の北京のメンバーは半分白人。フランスとかスウェーデンとかいた。それに韓国が3人いて、中華系ブラジル人とかもいた)。学校全体見ても、結構白人少ないです。まあ日本人も少ないけどな!こないだ初めて学内で日本語聞いたよ...というかそれ以前に、学内どころか町で日本語を聞く機会があんまないです。日本人の絶対数が上海やらに比べて圧倒的に少ないということもあるし、観光客が少ないと日本人であっても日本語を話すことが少ない、ということもあるでしょうけれども。

 今日はそんな感じ。明日は不動産屋の営業の子(かわいい)を何の義理もないのに休日出勤させて個人的に通訳させるというわざを使ってみることにしました。あっちは仕事のつもりで来るのかなんなのか...一応バイト代は別に払うつもりですけど...まあちょっとうきうきしてます(たまにはこういうことないとはりあいがね)。

歯が痛い。

2014年10月9日 Guangzhou
 ということで、ようやく広州編。

 広州はなんというか、すごく香港な街、というのが今のところの印象。そりゃ近いから当然だ、といわれればそれまでなんだけど(といっても2時間くらいはかかるらしいけど)、気候だけじゃなく、サービスがね...ちょうど泊まってるホテルが香港系っぽい(なぜなら「4」階がない)からか、異様にみんな親切だったり腰が低かったりするし、レストランのサービスなんかもね。あ、もちろんそこら辺の食堂の接客レベルは変わりません(昨日も店入ったら携帯でテレビ見るのに超夢中だった…しかも私服だから誰が店員かよくわからんのよ)。あと銀行の接客がなあ、色々あって手続きが出来なかった部分があったんだけど、本当にごめんなさい!という感じで...って結局できなかったら一緒っちゃ一緒なんだけどさ。

 今日で…3日めくらいかな?実は既にクラスにいける状態なんだけど、今日は行きませんでした。昨日ちょっとうろうろしすぎて疲れたのと、夜歯が痛くて起きちゃった上に寝れなかったりしたのでやる気がね。しかも渡された教科書みたら割と...というかこれ大丈夫か?というレベルで難しくてひるんだ、というのも正直ある気がします。あ、でも一応理由として、銀行でお金換えて口座に入れるとかそういう手続きが終わらなかった...ってのは本当にあるのよね。さすがに現金で何十万も持って歩き回るのが嫌で。

 まあ、明日からは諦めて行きますよ授業...って中国の大学開始が早すぎですのよ。8時半ね。で、しかもホテル間違えて違うキャンパスの横にとっちゃったから、行くのに恐らく30分くらいかかるですよ...って北京の時もこの朝早い問題に悩まされた…まあまじめに勉強するつもりで来てるんだからそんなもんだろ、って気も一報ではするんですけどね、でもそれにしても日曜夜遅くまで遊ぶ気はまったくなくなりますね。

 昨日は結構面白い一日だったので書いておきましょ。あ、学校の手続き関連に関してはまた別のところで...。面白かったのは不動産屋とのツアー。実は新しい会社に業者を紹介してもらって、日本語を話せるエージェントが既に手配済でした。ただ予算が普通の駐在さんとかと比べてとても低いので普段扱ってる物件とは色々勝手が違うだろうなーとか勝手に相手の事情を慮りつつ。
 で、あっちも僕の学校が今僕が泊まってる横だと勘違いしていて、会った瞬間に用意してもらってた候補がいくつか消えた状態からスタート。普通の(?)新築物件とかを何件か見せてもらったんだけど...こういうのって決めるのむずいよね。てかそもそも東京ですら一人暮らししたことないからどう決めればいいのか...ってのもありますよねそもそも。
 で、「もう少し安いのが」とかなんとかもごもご言ってたらローカルっぽいエレベータのない9階の物件とか、まだ人が住んでるくそ汚い謎の物件とか色々案内してくれて、なんていうか普通に観光するより面白いよね、こういう普通の生活のぞけるの。てか立地とか設備がローカルなのは別に問題ないけど、ニーハオっぽいトイレは俺駄目だよ...とかなんとか。ちなみに築結構経っている物件は、基本家族向けの間取りしかないみたいです。安いのはいいけど部屋数多すぎですよね...ってのが多くて。で、さんざか歩き回って現時点で残ってるのは
1)部屋番号が偶然僕の誕生日という物件。普通にモダンで防犯設備はしっかりしてる、でも駅の裏手なので、そういう意味ではあまり安全な地域ではない気がする...
2)まだ見てないけどなぜか僕が通う学校の教員宿舎に入居できるという話なので、ネタとしてとても面白いので。てか教員用じゃなくてゲストハウスじゃないかなーと思うけど。まあ学生の分際で教員宿舎に住んでるというのは面白いといえば面白いでしょう。
3)これもまだ見てないけど、近くに石牌村という香港の九龍城を思わせるすごく迷路カオスな地域があって、その中...。僕はすごく町並みが変で気に入ったんだけど、不動産屋も「あそこは治安よくないですよ」って言ってたんだけど今日メールが来て「一軒見つけました」と。ホントに住めるのかね。いや面白いと思うんだけど、よっぽど工夫してないと結構やばいと思うんだよね、というのが昼間歩いてみた感想。入り口の近くとかならいいのかもしれないけど。

という感じ。不動産屋にも「変な物件もってこい。そしたら金は出す」と高らかに宣言しておきました。だって普通の家に住んでもつまらんじゃないですか、恐らくもう二度とこんな生活できないんだしさ。

 今日のところはそんな感じかな。あ、そうそう、不動産屋さんのアシスタントが結構かわいくてぐっと来ました。しかも晩御飯誘われちゃったよ...ふふふ(安い粥食った)。
北京でのこと。
北京でのこと。
北京でのこと。
 あーおいつかない!どこまで書いたか思い出せないけど、とりあえず北京のことを書かなきゃ。

 そう、こないだまで北京にいました。いまはもう広州にいるけど、広州のことを書けるのはいつの日だろう...できればこの土日で書きたいんだけど...記憶は薄れていくばかり。

 北京は3日間くらいの滞在でした。もはやどれくらい滞在したかもよく覚えてない...でも確か3日について、6日の午後までいた気がします。気のせいかもしれません。 何をしたかって、別に特別なことはなにも...という感じかな。北京の付き合いは一箇所を除いてあまり濃くないので。なぜ広州にいくのにまず北京から入ったかというと、要するに色々な手続きです。勿論友達に挨拶する、という目的もあるんだけど、僕の携帯や口座は北京で発行されたものなので、その辺の復活手続きでもめた場合、最悪「北京いかないとこの手続きできないんですよ」ってなることがあるんですね。これは例えば通信会社なんかが名前は一緒だけど日本で言うとNTT東日本と西日本みたいに別れていて(実際の会社組織としてどういう扱いかは知らないけど)、共通の部分(主にブランドや料金体系)とそうでない部分があるんです。実際1回それで去年事故って、ちょうどその時北京行く予定があったからいいものの、「あーこの手続き北京だったら1分で済むんですけどね」みたいになるわけです。ちなみにどうでもいいけど、僕も愛用している聯通(Unicom)はなぜか上海に日本語OKの営業所があります...これ以前書いたかも。首都北京にもないのに、というのは要するに日系の小さな会社が代理店登録をしていて、その関係のようなのです。だからオフィシャルではありません...といっても別にサービスとしてはきちんとしてるんですけどね。

 今回は結論から言うと、その辺りでは特に問題は起きませんでした。別のところで起きたんですけどね...。というのは、着いたのは国慶節という中国のGWみたいな期間中、そして到着は金曜日。当座の現金はあるし、ってんでぼけっとしてたらいきなり土日...はい、両替が出来ないんですね...テストにでるかは知りませんが、「祝日は外貨両替ができない」というのは覚えておいてもいいでしょう。以前北京留学時にはまった罠として「パスポートがないと両替ができない(そして観光ビザから留学ビザへの切り替えにはパスポートを一定期間、申請のために警察に預ける必要がある)」というのがあったんだけど今回のはまた一味違う罠でした。

 まあとりあえずそんなことには気づかないまま、一日目は...そう、元同僚の母親の誕生日、ということでうっかりディナーに招かれそうになっていました。いや待てよ、元同僚は女子だし、母親の誕生日に挨拶でもしようものなら「ああこの子は日本人と結婚するのね」ってなるじゃないですか!ということで丁重にお断りしたんだけど、「ママもうこっちきて1ヶ月くらいになったし、ずっと一緒にいるの窮屈なのよね」って事で、その誕生日ディナーが終わって母帰宅後に、娘とバーで飲むことに。
 集合したのが既に10時半すぎとかだったんだけど、なんか生演奏の入ってるおしゃれバーに連れて行ってもらいました。かなり良かったです。うむ。クラシック音楽の仕事してるくせにこの子は結構いろんなジャンルの音楽が好きで、今回もスカだったし、そういう面でも性格があうわけです...とかいうけど、仕事辞めるまであんまり実際会ったことなかったのよね、いつもメールやチャットはしてたけど、実際顔をあわせてなかった。でも最近は北京いくごとにご飯食べたり、酒飲んだり。今回も僕の前いた会社の最近の動きを教えてもらったり、なんかびみょーに恋愛の話をしたり、色々。

 次の日は何したっけなー。銀行行こうとして絶望したのは覚えてるけど。あ、そうそう全然話違うけど、今回泊まった宿は伝説級にぼろかった。しかも別に安くなくて、一泊6000円くらいかな?なのに壁紙とかはがれまくってるし、なによりなんと「マッサージイカガデスカー」の電話がかかってくるですよ...そう、思い起こせば最初に北京を訪れたのは高校生の頃、その頃はあったんですよ、外国人が泊まれる宿が非常に限られていた事もあって、なぜか部屋の電話に直接日本語でね。さすがに今の時代...という感じ。まあ、宿の名前も「二十一世紀飯店」というなんとも二十世紀感溢れるものだったし、仕方ないんでしょうか。
 ちなみにここ、なんか日中共同出資で建てられた建物らしく、敷地内に中日青年交流中心とやらがあったり、それ以前に目の前が日本大使館だったりして、どうせ秘密の地下通路でもあるんだろうなあ、とか反日デモの時はいい角度で写真を抑えられそうだ、とか色々な妄想が浮かんだり消えたりしました。ちなみに交通も別に便利でもなんでもないので、泊まる理由はほぼありません(あ、一応近くにラッキーストリートという飲食店街があるのと、歩いて10分くらいの所にモールがあるので暮らすには悪くないかも、ただし駅まで15分くらいは歩くし、いわゆる観光地からはそこからも結構離れているので普通の観光客が泊まる意味はあまりないでしょう)。この辺りに泊まった事がなかったので、友人(中国人)の勧めに従って泊まったんだけど...お前いつ泊まったんだよここ、と突っ込んでしまいたくなりました(さすがに思いとどまった)。

 どうでもよかった。しかしこれを書いている最中に何をやってたか思い出すかな、と思いながらわき道にそれてたんだけど、一向に思い出す気配がありません。困ったものです。その次の日の記憶は結構あるんだけどね。

 まあいいや。とりあえず夜は友人の店で友人たちと晩餐。北京で知り合った謎の友人夫妻(の妻)が自分のマンションの元門衛(元人民解放軍)のコックさん(勿論中国人・しかも農民)と一緒に始めたという店です、と言っただけで北京に関係ある人は結構知ってるんじゃないかな。駐在の嫁がまず店開いてる自体が謎だし、そもそもこの国、日本人がふらっと店やりたい!と言ったくらいではじめられるほど甘くないはずなんですよ...いや知らんけどね。 その元解放軍のコックさん、結構腕いいのね。美味いもの作るんですよ。その店も結構いい値段とるんだけど、納得させられてしまう。

 しかしその晩餐はまー、普通だったかな。今回のコアになってくれた人は上海時代から知ってる人で顔も広いんだけど、あんま得意じゃないなーというのが正直なところ。現地採用でどこかで働き始めて、わりと同じ会社なのかな、に勤め続けてる人なんだけど、駐在に対するコンプレックスが強いの丸出し...というか駐在だけじゃなくて、いろんな人に対して皮肉げな口をきくんだけど本人あんまりさえないなあ、という感じで。僕が北京にいるときはわりと精神的に余裕がある事が多いから多分バレてないと思うけど...ばれてないといいなあ。まあ、向こうは僕に好感を恐らく持ってくれてるような気もしなくもないし僕はいろんな人を紹介してもらって助かってはいるんで、あまり深くは考えないようにしてます。

 あ、そこから派生してちょっと悪い話を書くけど、まあ住んでるわけじゃないから決定的な事はいえないけどなんとなく、上海も日本以外で一番日本人が多い町と言われていてすらやっぱり人は少ないわけで、自分の求めるレベルの友人とだけ付き合うってのは多分結構しんどいんだろうなあ、というのは感じます。みんな特に僕が旅行者とか短期滞在者だから漏れないと思うんだろうけど、みんなでわいわいやったあとに「実はあいつが苦手で」とか言われることもあるし、なんかすごい薄いのに無理やり付き合ってる感じがするのね。そして、自分もそうせざるをえないのかなーという感じも。まあ率直に言ってしまえは退屈な...いや「率直に」書くなら馬鹿が多いなあ、という印象なわけです。

 晩餐の話に戻って。で、そこで前も世話になった建築関係の友人も来てくれて、次の日に予定されてる上海蟹パーティに誘われたりしました。この「次の日」の話はたいして面白くなかったから超サマるけど、結局上海蟹→羊鍋→また前の日行った友人経営の店という3つのディナーをはしごすることになったのが地味にしんどかった。どこも中途半端になってしまった...というのはまあいいとしても結構新しい人に会ったはずが、いい印象の人がほとんどいなかったのが残念。羊肉の会はおっさんおばちゃんたちの会で超瘴気漂う感じだったし、若いのは話がつまらんし(あとデブでビッチで金持ちの娘とか気が強いだけで頭が悪い中国人女とか、よくもまあ僕の苦手な人種大集合...)。しんどかったわー。友人経営の店に行った時が一番安心したわ。その友人はそもそも妻が僕の友人と友達だったんだけどだんなとも結構仲良くなった気がするし、偶然その日店に来てた人も面白かったし(夫妻で来てたんだけど奥さんきれいだった...というのはいいとして)。まあでも上海蟹なんてちゃんと食べたことなかったので新鮮だったし、この建築の友人には前も北京きた時飯食ってて金なくなった時に助けてもらったし、今回も念のためと思って厚意に甘えていくらか換えておいてもらったのが翌日死ぬほど役に立ったのでなんもいえません。いつもお世話になってます。

 そうそう、まだちゃんと走り出してないけど、留学関係のことに関してはまとめて違うブログを書こうかなーと思ってます。ビザの取り方にしてもそうだし、中国の生活スタートアップ的なこととか...まあこの辺は他にも書いてるブログがあるけど、僕の行く大学については日本語での情報がほとんどないので、まあいずれ古くなるであろう事を考えても後に続く(いるとして、ね)人のために情報を残しておいてもいいかなと。

 また書きます。

幸福な日

2014年9月23日 日常
 今日は恐らく、今年一番幸せな日でした。その意味では非日常だけど、まあ日常のほうのカテゴリに入れて書きます。

 とはいえ、考えてみるとわりと幸せを感じる瞬間というのはあります。今日のネタも結局偽名ちゃん関連なんですが、彼女と話していて本当に楽しいと思えた瞬間は、例えば思い出せる限りで言えば http://42583.diarynote.jp/?day=20120328 2年前か...。2011に正体を知って、その次の年。あの夜の新宿もよかった。去年かな、渋谷から新宿歩いて更に謎に歩いて渋谷に戻った日もよかったな(http://42583.diarynote.jp/201309300113589834/ )...


 なんかきもいなあと我ながら思いつつ、そうなんです偽名ちゃん話。あ、でも今日は偽名ちゃんだけでは...ってのもまあ追々。とにかく今日は早い段階から送別を名目に偽名ちゃんとご飯。彼女が夜予定があるとの事で、我々にしては短時間。いつも平気で飯食って飲んでで6時間とかいるからね...。
 やっぱり何を話したかはよくわからない(たいした話はいつもながらしていない...あ、今日は死とその準備については話したかな)くらいの他愛もない話をつらつらしていたんだけど、なんだろうねこれ。会うごとに思うけど、こいつよくわからん男と結婚させてよかったのかなと思いますよ。何か自分は取り返しのつかないことをしたのではないかとか、思ったりして。別に寝たいとかそういうのでもないし(そもそもあんまりかわいくないぞ!)、でもなんだろうなあ...

 とかいう事を書いてしまうと未練というか嫉妬的な事になってしまって嫌な雰囲気になっちゃいそうなんで、やめましょう。いや今のこの関係を変えたいと思うわけでもないんですけどね。とにかく、自分が結構ボロボロだった時に大分よっかからせてもらったから、その感謝は伝えたいなとも思っています。
 この先どういう関係になっていくのかな。なんか今日また振り返っていて「出会って5年くらいになったんだねえ」みたいな話になって実はすごい長い付き合いになってるってのにも驚いたわけです。あっちもあっちで結構いつ何を話したとか覚えてるしねえ...ちなみに今日は「道化さんって私が嫌がってる所を遠慮せずにズカズカ踏み込んできますよね」とかいう評価をされました。お互い様だと思うけどね。あ、あと「クソ野郎」って言われた。なかなか実際には言われないよね(昔飯食った時に言われたこと、ということで詳細の説明を受けたんだけどいやーたしかにクソ野郎でした。ひどいな俺)。

 ケーキ焼けるの待ちで偽名話ばっかり書いてるのも色々アレですよね。上にも書いたように、今日の幸福感は別に偽名だけではありません。
 彼女と別れ、ケーキの材料をどう調達しようかと考えながらとりあえず渋谷(バー)に社長が出てることを思い出してそこに向かって町をぷらぷらしてたらなんか結構久しぶりな幼馴染(超イケメン)と出くわしたんですわ。んで「飲みに行くんだけど一緒にどうよ」みたいな流れで社長のところに行き、色々語ったわけです。なんせ幼馴染だから勿論お互いの酸いも甘いも知ってるし、ものすごくいい酒を飲みながらいい雰囲気の店で話すのは...やっぱいいよね(高いけど)。社長とも色々話せたし。あー餞別にいいウイスキーくれるっぽい。えへへ。
 文章にしてみるとたいした内容にならないんだけど社長って(丁度偽名ちゃんにもその話してたところだったんだけど)僕が二十歳のときとかに出会って「すげーかっこいい大人」と思ってたうちの一人だから本当に尊敬してるし、色々話が出来るのは本当に楽しいのです。最初は偽名ちゃんと別れたらぱっと買い物して帰るつもりだったんだけどそれをひっぱったおかげで後に色々ついてきて、なんかほんとにいい夜だったなーという感じです。


 てかあれ、ここに全く書いてないのか?実は来週から中国に移住するんですよ僕...仕事辞めてね。最後の月ということで仕事はくそ忙しいってこともあってここに全然書けていないけど、今週末で最終出社、そのまま来週には北京を経由して広州です。やー。
 一応しばらく学生になるのでばたばたはしつつ多分日記を書く余裕(主に精神的な。。。)は相当できると思います。復活します。あーってかホント今月もしかしてこの1回しか日記書けてないのか、むしろアメリカ篇すらおわってないのか...うううう。
 
NY初日(UNITED Sucks)
 最近、旅行の最後の方の事を書かないままに日常生活に帰ってそのまま激務に突入→結局後から見ると最後の方に何をしたか思い出せないということが多いような気がする。
 そんな轍を思いっきり踏みかけていたので(ていうかもう踏んだ)、くそ忙しいけど頑張って書き足します、NY編。正直既に細部が霞んできているけど、まあいいのです。ちゃんと写真は撮ってるし。

 SFから一日かけて飛んで、NY(正確には隣のニューアークリバティ)に夕方着。

 あ、帰り道でさらに強くなったんだけど忘れないように書いておくね。

U N I T E D は ク ソ !

 何度でも書きますが、僕の悪い飛行機体験というのはそんなにない中で、Unitedは確実にその中の地位を占めています。まず機材がクソで長距離路線に個別モニターがないとか(ちなみに昔乗ったときはさらに前のスクリーンで白黒・中国語繁体字字幕の良く知らない映画を流していた...)ピッチが異様に狭いとかそういうことがひとつ。そして今回シカゴオヘヤで乗り換えだったんだけど、その間が1時間切ってる上に乗り継ぎ案内がない(次の登場口Noがこの時点で不明っていうね)。ちなみに搭乗前の一時間ってのは一時間丸まる使えるわけではなく、搭乗が終わるのが離陸の15分前とかだし云々考えると、有無を言わさずダッシュが必要な時間帯です...ということでダッシュしました。どこへダッシュすればいいのかよくわからないまま走るというのがねえ...まあ、偶然なのかなんなのか走っていった方向に搭乗口があったので助かりましたが。

 と思って今日のタイトル考えてたら、

https://www.facebook.com/pages/United-Airlines-Sucks/216811830719

FBにそのものずばりのページがあってウケました。嫌われてるなあ(他の会社の状況知らんけど)。

 まあそれはいいとして空港ついたらすでにバスなどがない…ということで疲れたし地理よくわからんし、ということでやむなくいきなりタクシー。いつも東海岸来ると白タクに運ばれる羽目になるんだけど、今回は普通のタクシーでした(でも高い)。西海岸ではUber全盛ですぜ?とか思ったけど、キャブの運ちゃんもカーナビはスマホでした。この通信費会社もちかな?流行のBYODかな?と思っていました。BYODとかホント言葉だけかっこいいけど要するに仕事に使う道具を自費で買えってことですもんねえ…いや、もちろん自分のものを持ち込みたい人もいるんでしょうけど。


 でもまあ高い金払ったおかげで管理人さんの家にはきっちり届けてくれました。やれやれ。管理人さんとは昔NYで泊まった宿の管理をしていた日本人で、元ピアノの先生。なぜかそこで仲良くなって、僕がNYに行けば会う(というかこの人に会うために行っている節あり)し、向こうが日本に来た時も必ず一回は会う、という関係。今回は、その管理人さんの新居に泊めてもらうことになっていまして。ちなみに、ニュージャージーのはしっこで、マンハッタンビュー。

 すぐ荷物を置いて、マンハッタンを一望できるなんか超絶夜景がよいレストランへ。管理人さんは貧乏人さん(しかも以前はオーバーステイだった気がする)なのであんまりゴージャスな所にいかない印象だったんだけど、なんか高くはないけどとても素敵な店でした。つうかここで結婚式とかできたら本当に素敵なんじゃね?っていうね。 

 一日目は食べるだけ食べて、おやすみなさい。実はNYは地味に満2日しか滞在がないのでやる事ぱんぱん!と思いきや、美術館行きたいわけでもエンパイアステートビルに上りたいわけでもなく、やりたいことがない…みたいな感じ。いやなくはないんだけど。

 もうすでに1日めと2日目が若干ごっちゃになってる…とりあえず最初の日はなんか結構お店めぐりの旅だった気がします。特にここ、という場所に行かず、定番のFish and Eddiesとか、なんか小物/雑貨とか本とか。昼に何を食べたか思い出せない…写真もないっす。前回はぐるっとパトカーに囲まれてたユニオンスクエア(911から10年の日だったからね)では、野菜市場が開かれていましたよ。

 お買い物は正直スカばっかり。楽しみにしてたFish and Eddiesがかろうじてちょっと面白かったけど、でも期待していたほどじゃなかった。他の店はホントさっぱり。でも街をぶらぶらするのが楽しいから、別にいいんだけどね。大体買い物にきたんじゃねーっつうの(じゃあなにしにきたんだ)。

 夜はそう、「宿代代わりにちゃんとしたもん食わせたる」という名目で、ステーキハウスでした。ピータールーガーは明らかに予約とれなさそうだったので、その周囲で評価が高い…ということで決めた店へ。結構ちゃんとした店で、飲んだワインもかなりヒットで、申し分のない味でした。ステーキうまい。前菜にクラブケーキ、付け合せにマッシュポテトとスピナッチと鉄板の攻め方をしたら「クラシックなオーダーですねえお客さん…」とフフフってされました。フフフ。ちなみに飲んだのはイタリアのAntinoriがアメリカで作っているワイン。イタリアワインとしては有名なブランド(というか作り手?)と思ってたけどアメリカ進出してたのね…

 本当はこの後ジャズを聴きに行こう...といってたんだけど、なんかどうでもよくなって、ふわっとした気持ちのまま帰りました。前回も同じことがあったじゃないかって…?そうなんですよ。もう既に二回目にして天丼のようだけど「計画して出るけどやっぱり聞かないで帰る」みたいな様式美になってる気がします。いや、前回のときは本当に眠くてそれどころじゃなかったんだけど。今回は何でだ?まあ恐らくステーキが美味しくてワインが美味しかったのでこのまま一日を終わりたかったんでしょうね。なんか帰ってしみじみしてから寝た気がします。

 翌朝はわりと早い便だったので、6時台に起きて出発。今回の旅は時差ボケが結構きつくてなんか寝れたんだか寝れないんだか…ってこれ前回もそうだったんで結構警戒してたんですけど、結局同じことになっちゃってますね。ううむ。しかしLAからサンフランは超ちかい。

 サンフランシスコは特になんもなしです。そもそも親戚に会おうというだけで組んだ目的地だったので…ということで、お昼頃ついて(空港から市街が近いのが良い)、そのままホテルに荷物を降ろして中華街でご飯。

 今回初めて知ったThe Mosserというホテルに泊まったんだけど、かなりいい感じ。なんせ空港から直通の地下鉄の駅で町のど真ん中であるパウエルから徒歩最短3分くらいにあって、そのくせ1万円切ってる。超せまくて(床でスーツケース開くのすら危うい)バストイレ共用だけど、清潔だしまあ泊まるだけなら問題ないでしょう。一応軽い朝ごはんも出るしね。とにかくアクセスがいいです。大通り沿いだし。

 SFで困ったことは、携帯。なんか知らんけどLAで生きてた携帯がここでは完全に死んでいて、しかも原因不明。At&Tのショップに行ったけど結局原因判らず「電話機のほうじゃねえの」とつれない答え。一応日本からの携帯のローミングがあったから死ななかったけどさ…。月末の請求が若干不安です。原因はわからないけど結局SFではだめ、後のNYCでもだめ、でもニュージャージーでは入ったり、マサチューセッツでも入ったり。なんか地理的な問題っぽいのがむかつきました。

 で、まずはチャイナタウン。聞こえてくる言葉が普通話じゃないなあ、と思いつつ(広東系と思ったら、その中でも台中人という民族?が多いんだってさ)ぶらぶらして、ランチ。安定の中国語対応でした。英語しゃべれば外人と思ってもらえるし、ある意味便利だよな俺…。高かったし対してうまくなかったけど、牛肉面。
 ぶらぶら散歩していると、こどもたちが獅子舞を練習してました(なかでどういうポーズとってるかがわかってなかなか面白かった)。正月はまだまだだし、何のための練習なんだろう?

 で、本当は行きたかったけどたどり着けなかったワイナリーのワインを売っている店を教えてもらって行ったらなかなか品ぞろえがよくて長逗留してしまったりしていました。K&L Wine Marchentって店ね。バスで結構さくっといけます。

 夜はその目的の親戚とゆっくりご飯をして、時差で寝たりしていました。帰りは噂のuberに乗ったりしたけど、偶然中国人で色々話をするのが面白かったですよ。

 この次の日もぱっと移動だったので結局SFはホント、なにしにきたの状態。ま、またきますよ。
 だらだらLA
 だらだらLA
 だらだらLA
 今機内でこれを打っているんだけど、隣の8歳くらいの女の子がiPadでなにかを見ていて、僕はノートPC。なんとなくこれが世代の差なのかと思う…ってこれTwitterとかで普段つぶやくような内容ですよね、wi-fiがいまないので…。あ嘘、実はあるけど有料なんですよ…。

 さて、この移動はちょっと長い国内、サンフランシスコからNYに向けたものです。暇つぶしの意味も込めて、まずはLAのことでも書いていこうかな。

 LA第一日は書いたとおり、なんかがっかりな感じで始まりました。おめえこの値段でこの宿はねえよ、って。ていうか僕とか恵まれていて出先にも友人知人家族がいるからいいけど、そうじゃない人はフルでこういうの払うわけでしょ?一人旅でアメリカとかって予算的にありえなくなってくる気もする…。とかいって宿に関してはNYだけだけどさ、それでも3泊?5万円分くらい浮いてるもんね。

 それはいいとして、起こったことを色々書き連ねる前にまずGoogle Map最強ってことを書こうかな。機能としてはあるかもしれないけど日本ではGoogleMapには求めないのが、乗り換え。バスの路線、料金とかもカバーされていて、しかも地図アプリだから今どこにいるかGPSで参照可能。だから降りる駅の場所がわからなくても大体のところで降りちゃえば最悪一個前とかでも自力で軌道修正できますよね。ということで超便利。前来たときはそういう機能ついてなかった気がするなーっていうね。
 ちなみに地図アプリにこういうの着いてるって自覚したのはおそらく去年の北京滞在時。Baiduの地図アプリにおなじ機能がついててすげーってなったのが多分はじめてです。まあどっちがパクったかは知らん(というかパクりっていうのかな、こういうの…まあもっとやれってやつですな)。

 そうそう、ちょっと前にSFから帰ってきたケタロウ社長が言ってたこととまったく同じ感想なんだけど、「普通のおばちゃんにもいろんなテック系アプリが浸透している」のがすごく印象的でした。ってサンプル家主1人だけだけどね、ぶっちゃけ。

 家主。そう、今回はAirBnBを利用して、浜辺の家に泊まりました。家主はおそらく60台の音楽好きのおばちゃんで、昔はライターだったよう。で、そのおばちゃんと話してるとSpotify, Pandraみたいな音楽サービスはもちろん、uber,Lyftみたいなタクシー系アプリも日常的に使ってるみたいだし、Youtubeがこないだ近所にスタジオを建ててね、とかそういうのが話題として出てくるわけです。そもそもAirBnBでホストやってるわけだしな。でもPCの使い方よくわかってないし、いわゆる広い意味でのITリテラシーはあんまり高いとは思えない。Yahooメール使ってるから「Gmailじゃないんだねー」とか言ったら「あれは複雑すぎて」とか言ってたし。


 ケタロウ氏はそのさまを見て「(広告による虚ではなく)テクノロジーという実によって普通の人の生活を楽しくしたい」といういわば棄教と改宗に至ったわけですが、僕は利便性や収入は幸福感と強く相関しない(前も書いたことがあるはずだけど、収入や利便性の獲得は衛生要因=ないと幸福感が下がるけど、たくさんあっても一定以上はあがらないorあがりにくい)と思っているので、あまりそれでは揺らぎませんでした。ただ昔香港行ったときにやたらブルートゥースのヘッドセットを携帯につないで会話しながら街を歩く人を見て「うわすげーサイバー都市!」とドキドキしたことを思い出して若干うらやましく?なったことを思い出したりはしました。

 
 はい、じゃあそろそろ何をしたかをだらだらと記録し始めましょうか。
 家主は話が死ぬほど好きでほっとくと僕をいつまでも放してくれないのを除けば超いい人で、まずは携帯ショップに連れて行ってくれました。自転車を借りて二人でちょうど周辺の案内をしてもらいつつ、彼女も実は部屋の鍵を前の入居者にもってかれちゃったようで、その複製の用事があるとかで。途中でおしゃれな店が並ぶ通り(Abot Keddny stかな?)をいちいち立ち止まってここがいいのよ!とか教えてもらいながら通り抜け、途中で寄ったのが服屋+カフェ+???という店。おしゃれなサーファーブランドっぽいラインナップで丁度セール中だったから「息子に何か買っていきたいの!」ということで。でも結構いい感じだった上に70%オフとかだったんで僕もつられてシャツやら買っちゃいました。写真の1枚目ね。

 この店の裏庭ではセールに合わせてなのか、絵を売ったりなんかいろんな出店とともに小規模なライブが繰り広げられていたりして、なんかとてもいい感じでした。謎にビンテージカーみたいなのが置いてあったり、全体として空気がね。客もなんかお洒落…ていうか率直に言って変な格好してる奴が多い。アーティストっぽい職業なのかな。
 あとおそらく何か裏に原因がありそうだけど、不自然に白人ばっかり。黒人もアジアもメキシカンもほとんどまったくいない。好みとかそういう問題なら別にいいんだけど、なんかなーという気はした。でも絵としては残念ながら美しいんだよねそっちのほうが…特にサーフィンなんて白人カルチャーっぽいイメージあるじゃないですか。


 で、店で買い物したあとは携帯屋でSIM買って、鍵買って帰宅。すでに夕方だったので…この後何したんだっけな。ああそうだ改めてお洒落通りを散歩した後、サンタモニカの街中を散歩したのでした。路上で侍っぽい格好したアジア人がパフォーマンスの準備してたからがまの油でも売るのかなあと思ったけど、なんとなく目をそらして通り過ぎてみました。ターミネーターにでてきたというショッピングセンターみたいなのを探検したりしたけど、まあ別に観光的に面白くはないですね。普通の店が普通にある、という感じ…って今の僕くらいいろんなところふらふらしたあとでも「面白い」って思えるのってそんな多くないんだよねきっと。食べ物とかもそうだけど結局うるさくなっていって幸せを感じられなくなっていくって言う…ううむ。
 
 話がそれた。夕食は海沿いのレストラン"Water Grill"で。目をつけていたわけじゃなかったけど、Trip Adviserかな?で後でチェックしたらサンタモニカの美味しい店ランキング的なやつで10位以内に入ってました。高かったけど、料理のクオリティ(と物価)考えればそんなものかなという感じ。ローカルの海老やらカニやらオイスターやらを提供する店で、オイスターはあんまり興味ないからちゃんと覚えてないけど10以上選べたようです。なんかテイスティングセットみたいなのもあったみたいだし。久しぶりにロブスター一匹食いしたけどやっぱこう、身がたくさんあるとこの手のものは幸せですよね、うん。んで帰宅して寝ました。


 そう、前の日記にも書いたけど、今回は時差ぼけがひどいです。夜寝れない、昼間眠い。前回のアメリカでは移動多すぎたせいもあってずっと時差ぼけがとれず後悔したんだけど今回も同じことをやっている…自分なりに分析する今回の原因は深夜発だった便が快適すぎて普通に夜寝れちゃったから、着いてまた夜で寝れず(普段なら疲れてるから寝れるのに)、そこからずれたのかなと。


 二日目は朝ちょっと周囲を散歩した後、昼ごろまでだらだらして、シャンパンを飲みながらパレードを見ていました。なんかハレ・クリシュナって邪教(笑)が何かを祝うのに大規模なパレードを毎年やるらしく、丁度滞在先の目の前を通るもんだから特等席で見れるのよね。かなり巨大な山車が3台くらい出て、たしかに盛り上がってました。サリー着た人が朝からうろうろしてるし、パレードでもみんな歌って踊って楽しそう。列の最後尾からキリスト教原理主義者のいかついおっさんたちが看板掲げてくっついていったのが若干笑えましたが(しかもリーダーのおっさんなぜか牛柄のかわいいシャツ着用)…。

 はい、何で俺はこんなだらだらした時間の使い方をしてるんだって話ですよね。実は4月だったかな、に会った中国人女子がすごくいい感じだった話はちょっと書いたんですが、その女子に会うのが今回のLAの目的だったはずなんですよ。しかも車持ってるからその車で色々移動する計画(ってほどのものじゃないけど)を建ててた。でもなんかそもそも行く前から連絡が非常に悪くあー冷めてるなーって感じではあったのが、宿どうするとかそういう具体的なやり取りをしていた時に僕が「1日目は夜着だし疲れてるからあえないよ、2日目も駄目かもねーははは」みたいなことを冗談で言ったのを切り取られて「LAには来るけど私には会わない」みたいなモードに完全になったらしく、僕が着いた日にはどこかにBBQに行ったとかで。「じゃ明日(=二日目)は帰ってくるの?会えるの?」みたいなメッセージは放置で。
 んで、2日目の昼前(パレードの前な)になっていい加減嫌になったんで「会いたくないならそれはそれでいいけど会うっていうからそれをベースに計画たててるんだから人の時間浪費してんじゃねえよガキか判断から逃げるなよフェアじゃねえよ」的な時に単語全部大文字(豆知識:英語でこれをやると「大文字にしないと理解できない」=相手の理解力を馬鹿にしているという表現になるので、喧嘩を売るときか超急ぎの頼みごとなど以外の使用は差し控えましょう★ 例文: I HATE you!)を織り交ぜながら我ながら味のあるメッセージを送ったら上記の「会えないと思った」「キャンプ場はシグナル悪くて」「でもきっと私が悪いのねごめんなさい、あなたの残りの旅が楽しいものであることを祈ってるわ」からのブロックというね。一応切られてなかったFBでフォロー返信はしときましたが、特に応答もなく。
 
 会えなかったのは残念だけど事前の温度でなんとなくそういう事もあるかも、くらいの覚悟はあったし、どっちかっていうと書いた通り昔住んでた家に行きたかったとか車でしかアクセスできない場所が全滅だった方が大問題だったわけだけど、まあ何にせよ気分は落ちますわな。(追記:んで帰国してから気付いたんですけどFBのステータス変わって恋人いることになってんのな、わはは)

 とにかくそんなわけで、暇だったわけです。で、パレード見て昼寝したあとはさすがに何かしなきゃなあ、ということで観光局やらのサイトを見たりして結局ビバリーヒルズへ。とはいえ別にスターの家に興味なんかないわけだけど、なんか面白そうな建築があったんでとりあえずそこを目標に、周りを散歩すればいいかなと。
 や、思ったより普通の街…というか地区ですね。ホントなんもねえ。家と店と以上終了。ガイドブック読み込んでると誰の家!とかあるのかもしれないけど。特別な感想もないです。目的の家は面白かったけど。これが写真の三枚目で、「スパデナハウス」という名前なんだけど、ぐぐっても何も出ないと言う…。かろうじて「スパデナ邸」で5件(!)。
まあ調べたところでみためがみょうちくりんな割にはそこまでのストーリーはないようなんですが。

 で、その後リトルトーキョーにあるレストランに向かおうとしたらなんかいわゆるリトルトーキョーとは違うところにあったらしく、でもまあなんかそういう日本人街だったので見物は楽しかったけど、レストランは予算と写真の椅子を見て感じたとおりかなりしょぼい感じだったので素通り(豆2:レストランや料理の写真は結構がんばればよく撮れますが、安い店は大体椅子が安くて細い感じですので着目を)。近くのスタバで水分補給しながら中華でも食おうかと店を探し、結局あんまりぴんとこないので前の日に行ったAbbot Kednyのピザ屋が美味いとおばちゃんがいってた事を思い出してそこに向かったら店がぱんぱんで、もう一軒勧められたLemonedeという若干健康志向、だけど手軽なレストランで食べたのでした。しかしこのLemonade、店の名前どおりのレモネードはそこそこ美味しかったけど料理は破壊的にまずかった。僕の人生の中でもそうない「まずくて食べきれないので残す」ということをしてしまいました…その割りにわりと頼みすぎたし。で、徒歩で帰宅。


 アメリカは場所によってはよく治安が、といわれます。今回西海岸2都市で感じたのはホームレスが多いこと。ひとつには最近僕が行っているアジアには少ないということもあるんでしょうけど、やたら印象的でした。よくバス停で寝てる。で、夜も別に声かけられたりとかはないけど(正確にはちょっとおかしい人に一度だけ、別に何もされなかったけど)、なんとなく「嫌だなあ」という通りがあるのは事実で、これはなんなんだろうなーと思いましたよ。
 前も書いたけど、中国って僕が行ったことがある都市部は治安はいいんですよ、イメージと相反して。そんな警官が巡回してるわけでもないし交番が林立してるわけでもないのに。ホームレスもいない(まあ中身がどうあれ「社会主義国」でホームレスがいたらまずいって話はあるでしょうけど)。あ、正確にはなんだろごみ拾いみたいな超汚い格好した人とかはいるんだけど、それも一応仕事じゃないですか。アメリカで見るみたいに単に寝てるだけとかそういうのはないんですよね。なんなんすかね。

 あー全然関係ないけどこんなに長く日記かいてるの久しぶりだろうなー見返してないけどなー。

 そう、あとたまに「欧米ではもっと多様で自由ないきかたがー」みたいな記述を見るけど、一見アーティストっぽい人たちって別に金とかないよね。生活保護みたいな感じだよね。別に社会的地位がしっかりあってさらに多様で自由なわけじゃなく、だから多分自由な反面、現実的な生活はきつかったりする。保険がないから医者にかかれないとかさ。
 それ自体は選択の問題だし選択肢があること自体がいい事といえばその通りかもしれないけど、自分も含めてなんとなくそういう事を言うときは「今の自分くらいの生活観の人間だって向こうに行けばもっと楽しく暮らせる」みたいな気持ちになってしまっていて、それは違うんじゃないかねえ、と思ったりするのでした。
 あと「欧米はアートが身近に」論については実はアーティストの供給過剰によって価値と値段が暴落してるだけで別に何もハッピーじゃねえや、ということはなんか前US来たときに書いた気がするからパス。
 ひやっはっはっは・・・!


 ということで、アメリカ西海岸にきています。今まさに時差ボケで寝れてません。行きが日頃の辛さへのご褒美かビジネスクラスだったんですよ。飛行機結構乗ってるけどビジネスは初めてで、でもあれ段違いに楽…というか「飛行機の辛さ」ってのが一切ないのね。感動した。フルフラットに近かったし、これでビジネスだったらファーストだったらなんやねん、肩でも揉んでくれるんですかね…!
 とかテンションあがったまま行きは深夜便だったもんでぐっすり普通に寝れてしまって着いたらまた夜で寝れないわけですよね…普段だとわりとフライトで疲れてるから寝れちゃったりするもんだったりすると思うのですが。ある種贅沢な悩みか。あ、どうでもいいけどビジネスの不満があるとしたら画面周り。収納されてるのはいいけど、よっこら出さないと時間とかすら見れないのがだるいね。まあ僕ずっと本読んでたし、別にいいんだけど。あとごはんは別においしくないです(でも普通の皿で出てきてそれだけで感動したっていうね)。なんていうか自分のタイミングで出してくれる制度みたいで、正直慣れてないので声を掛けるタイミングが…。着陸近くなって見かねたCAに食べさせられ(?)ました。

 初日は着が夕方以降だったこともあって空港近くのホテルへ。空いてないからちょっと高い値段を我慢して払ったんだけどもうめちゃくちゃ。事前にメールで相談した内容が空港着いたタイミングで返事っていうか追加質問が来てるし(空港でSIMカードどこで買える?って内容だからそのタイミングで質問されても…)、部屋の床はなぜか濡れてるし…。もういや。たけえのによ。そんな滑り出しでした(ちなみに今時差ぼけで寝れない午前4時半)。そろそろ無理やりでも寝ようか… 
 ひどかった頃より仕事は落ち着いているんですが、鬱々した気分は相変わらず。

 仕事での苦しみは、パワハラ的なものから仕事つまんない、できないとかそういう方向に移ってきています。俺なにやってるんだろ、的な。仕事のスタイルも進め方も目的もまったく自分に合致しているものがあるとは思えず当然自分の良さも出せず、態度や目つきが悪いとなじられ(うまれつきやねん)、だからといって、この方向で修行し続けたところで自分はよりよくなっていく確信がまったくもてない。
 これはひとつにはきっと(認めたくはないけど)自分が年をとってしまったということもあるんだろうなと思ったりします。ある程度の成功体験があったりして、それが自分の型になってしまっていて、いまさら全く違うものに対応できない、みたいな。ああこれって一般的にいう柔軟さをなくすってやつなのかな、ああおっさんか俺も、みたいなね。自分ができていないのは認めるとしても、なんか不得意分野で競争させられてる感じがすごいする(そしてその不得意分野しか使うチャンスがないから本物の薄ら馬鹿みたい)。これが王道でこのスキルがないと意味がないと言われるし思わされるけど実際はわからない。でもまあちゃんと基礎的な躾をしてもらえずにここまで野生のカンで生き延びてきた面も否めず、そのキャッチアップ…だとしたらそんなん押し付けられた上司もかわいそうやな、とも思う。

 前も書いたかな?きっと5年後くらいには今の会社に残ろうが残るまいが「2014年はつらい年だった」って振り返るだろうなと思ってます。でもそれを笑って言えるか、「あれが地獄の始まりだった」になるのかはぜんぜんわかりません。いまがいやだという以上に、この先なにをやろうか、ということにまったくビジョンが見えないのが苦痛です。いやビジョンだけは見えてる(前の転職の時と変わらない)んだけど、完全に勤労意欲が消えてるというのと、プライドずたずた(ってあんまりいい響きじゃないなあ)だからやれる気がしてないってのと、そういうのかな。


 んーそこまで暗い話ばっかり書くつもりじゃなかったんだけどな。


 三連休は不運でした(暗い話じゃないの書こうと思ったのに…)。合コンドタキャンされたり大雨降ったり見に行った映画(「大いなる沈黙へ」)がどう見てもそんな人がたくさん競うじゃねえと思って油断してたら満席御礼だったり…あれ書き出してみると結構踏んだりけったりやなもう。ほかなにあったっけな。うなぎ食ってたら転職のいいシナリオを考え付いたのに今日にはいきなりその前提条件が壊れたりとか。

 あー。

 ううむ。


80

2014年7月5日 日常
 月曜から金曜までの総労働時間を数えてみたら、こんな感じでした。先月は300時間突破しましたし、あーこれやばいやつやなーと思ってます。時間でいうと本気の激務者にはまったくかないませんね。耐えられる人には耐えられる水準なのはわかってますが、やっぱ自分にはしんどいな、という風にも思うんですわ。しかし集計して改めて心に黒いものがはしったのはひみつな。あと相変わらず上司はコミュニケーションが濃密だし(これがんばった婉曲表現な)。

あしたもしごとです。
 あ、タイトルとは全然関係ないんだけど、今日は11時くらいまで寝て、昼ごはんに餃子作って食べてまた寝て、15時くらいから動き出したんだけど、なんかようやく「ちゃんと寝たなあ」というかんじでした。

 平日の忙しさは変わりません。といってタクシーはなかったけど、なんかボロボロ。相変わらず罵倒されています(仕事できない人みたいになっちゃってる)。やりがいもないしなあ…と結構困っているんですが、解決の糸口がありません。
 
 昨日は最近たまに寄らせてもらっているワインバーの2周年でした。どの駅からも遠くて行くのが面倒なんだけど(しかも安くはない)、ぼーっとできるので重宝しています。オーナーさんも不思議だけどいい人。
 そうそうそれに関連して、最近思ったんだけど自分が引力を感じるのって「のんびりした職人タイプ」の人なんだなあ、と思いました。なんだろう、自分の得意分野に関してはするどいけど、それ以外のところでは気が回っていなさ過ぎて何も考えていない風、な感じの。ざっくりいうと天然系なのかなー、あざといくらいの天然キャラ。だけどとても得意でこだわってる分野があるのが普通の天然ちゃんとの違いかなあ…。って何の分析やねんって感じですが。
 総じてそういう人は人との距離感をあまり気にしない(というか自分の関心がある部分以外は何も気にしない)ので、一緒にいて過剰にかまってきたりしないから楽、ってことなのかな。よくわからんけど。

 そこから話を広げると、そういえば不思議系カメラウーマンという生物もいまして、なんかここ半年くらいひきこもってたようなんですが、僕の呼びかけに応じて出てきてくれて(あと同棲も解消)なんか悪くないなーという感じであります。でもこの件を進めたいかというとそうでもない自分もいて…いや非モテのくせに贅沢言うな、って話なんだとおもんですが…。なんでだろうね。むしろこの人には最近減ってしまった「6時間の人」枠になってほしいなあ、とこないだ飲んでいて思ったのでした。危ういけど。

 最近日曜にしか書いてないなー。別に週記にしようと意図してるわけじゃないのに。


 色々考えた挙句、夏はアメリカに行くことに。タングルウッドという夏の音楽祭メインで、西と東にちょいちょいと行く感じ。また移動多いなー。もうホント日々がつらいので、これだけが楽しみ…ってまたどうせ行く前とかは引継ぎで死にまくるんだろうな…
 あと今回普通よりさらに1日長めに休みをもらおうとしていて、正直LAにいる人をダシにしています。LAにいるの2日ちょいとかなんで。ちょっとした隙間にチームの人にはその話をしているから言いやすいんですよね「遠くにいる彼女に会いに行く」ってストーリーだと。


 って今日書きたかったこと、タイトルで全部書いちゃったよ。

 最近の発見なんですけどね、ノイローゼって使わなくなったと思いません?そして、鬱って昔は割と病気!って感じだったのが、シンガタだのなんだの出てきてハードルが下がって、割と気軽(というと語弊があるかな)に使われている気がして。
 んで、ちょっと考えてみるとこの鬱って、昔ノイローゼって言われてた概念というか状態をも最近は指してるのかなと。そんだけです。


 先週は楽しい人たちと会えた週でしたが、今週は地獄でした。18時間を2回(一回は宿泊、次の日は耐えられないのでタクシーで帰ってタクシーで出社)やって、かなり肉体的にも精神的にも辛かった。「まじめに仕事」ってなあ…

 金曜夕方はちょっと楽になったけど、まだまだ地獄めぐりは続きます。

 今日はこれから前職友人の2次会。はやくかえって早く寝た方がいいよなーと既に思っていますよ。

 あとそろそろ夏休みの事も考え始めなきゃなー

素直になること

2014年6月15日 日常
 「抵抗しなければ怪我もしない」ってなんか嫌なTipsですよね、どういうことを例にしても。まあ生き延びるためには大切なのかもしれないけど、それが大切なシチュエーションに追い込まれている時点で追い込まれているというか。

 まあ、なんとなく折り合いが見えてきた気がしなくもないというか…いや、辞めたいし実際に活動ばりばりしてますけどね。こないだ昔の会社の上司(以前ピラフという名前でちょっと登場・元某社の役員)が同業の業界10位くらいの会社の社長と飯食ったらしくて、ありがたいことに勝手に僕の名前を出したらしく、その社長から人事に連絡がいき、僕に話が来たりして。
 でも実際冷静になって考えてみると、同じ業種なら今の会社から離れる意味ってあんまりないんですよね。給料は現時点では悪いけどそもそもの水準は高いわけだし、仕事もかなり大きなことができる。会社名の通りも圧倒的によい。んできっと仕事量変わらない。。。ってそれなら移る意味ないよね。。。まあでも話は聞いてみようと思います。中身はなんにせよ、入り方としては社長のご指名ってのは最高なわけで。


 それ以外。詰まんなくない話の近況。

 僕の大好きなマッサージ師(エロ)がNZから一時帰国しました。ということで先週、超早く抜けてディナー。奥さんご懐妊おめでとう、って話から最近のローカルジャパニーズ同士の抗争から、卓球でNZのNo1を目指す話まで。時間たりないわー。次会えるのはいつかな?
できれば彼の新しい家にまたゆったり滞在したいな。

 あとは、最近夏にアメリカ行きたいなーという欲がふつふつふつと沸いてきていて、わりと実際に8月頭にいきそうです。NYにいる僕の大好きな管理人さん(最近日本語教師になったらしい)と連絡を取って、一緒にどこに行こう、とか色々話しててそれも楽しい。そういやその時期タングルウッドとかもあるんだよなーとか。しかしタングルウッドってボストンからまた車で云々とかで、旅行者には優しくない…と前回のアメリカ旅行で移動が多すぎてせっかくのレストランでほぼ死体になってたトラウマとかがね。

 今週のトピックス他にあるかな(既に日記じゃなくて週報気分)ー。ああ、金曜は女子会でした。女子会feat俺という...あ、前回記録してないや。11月だったんですが。前職後輩+取引先っていうね。前回のあらすじ…というか4人(僕含む)の内、2人は既婚と長い彼氏有りで、僕ともう一人が負け犬合戦で自分の痛いネタを披露しあうといういつもよくわからない会なんだけど、前回ついにもうひとりの負け犬が大学のときからの友達と付き合いはじめたとかいう、なんていうか安全パイっぽい勝利宣言ブチかましてきてああ…と思ったら今回会ってみたら既に別れていたというのがハイライト、だったのかな。
 まあそんな楽しい金曜日でした。解散早かったけどね。しかしその中の一人の転職がなかなか上手でうらやましか、でした。今後仕事一緒にできるかも(でもこういう仲間とは仕事しない方がいい気もするんだよねー)。

 来週はあんまり予定ないのでまじめに仕事します(いや、いつもしてます)…。

 なんすかね、このブンガク的なタイトルは。

 金曜は最近続いていたお引き合わせシリーズのいまんとこ最終回、「反社飲み」。超コアかつディープな趣味(?)をもつ人たちの情報交換の仲立ちをする黒い紳士役でした。いやあ、個室予約しといてよかった。

 まあ話の内容は割りと専門的だったしいいとして、そこで感じたのはこの業界も終わりつつある、ということ。
 えーとどこまでが書いていい範囲か迷うんだけど、総会屋って昔いたじゃないですか。最近聞かないと思いません?逮捕とかすらされていない。小池隆一やら小川薫辺りが最後だったんでしょう(知らんでしょうな)。聞いた話では昔の大手企業には必ずそういった「特殊株主」対応のセクションがあったりしたらしいのですが、いまとなっては総務と言ったら暇そうなおばちゃんがお茶汲んでるイメージになっちゃってる。

 僕だってそんな時代を直接知ってるわけではありませんが、そんな話があったわけです。今回会ったのはその対策班ではないんですが、それに近い部隊の人。しかし出てくる情報は微妙というか…わりと昔話に終始した感じ(少しだけ最新の手法も話題に出たけど)。昔のワルがいまどうしているか、とかそういった話。彼らが相手にしていたワルがいなくなれば、彼ら自身も役割を失うということなのかもしれませんね、とちょっとした感慨でした。僕が連れてった人は現役バリバリな人だったんですが、老人(ではないんだけどね)の昔話につきあわせちゃったかな、とちょっと申し訳なく思いました。老人は喜んでたように見えたけどね。

ちなみに元ネタは
朱鷺によせる哀歌/吉松隆
な。

 
 転向。昨日はげろまずな焼肉をケタロウさんと食べていました(この人と飯を食うとやたらまずくて安いところにいく羽目になる)。久しぶりに登場、ケタロウさんは実はアメリカに行っていました…ってそのことは書いたな(http://42583.diarynote.jp/201301150000519309/ )。そう、社長なのに語学留学していたのですが、なんか知らんけど帰ってきたのです。
 で、アメリカでも色々もまれた結果、彼はプロダクト寄りのことをやりたい気持ちがさらに強くなったようです。

 面白かったしうれしかったのは、最初に飲んだ時の事を彼がいまだに覚えていてくれたこと。彼はその当時は僕の考え方をとてもすばらしいと感じ、今はそれを乗り越えた、そんなことを話せたことです。

 僕がずっと(これは今でも)コミュニケーション業界を目指した理由は(すごくはしょって書くと)「現代に生まれるプロダクトに本質的な差はない以上、全てはイメージによる。だからイメージを作る仕事が一番良い。プロダクトはどんな意味にせよ幸福感を与えるべきである」というものでした。
 例えばビールの味の違いなんて、目隠ししたらおそらくほとんどの人がわからないでしょう。でも「俺はスーパードライが」とか言う人は、要するにそのブランドを買って、飲んでいるということ。「辛口が好きな俺」みたいなね。で、そういう人たちを喜ばせるためにそのブランドを大きく見せ、「このブランドを信じてフォローする俺」を正当化してあげることがこの仕事の要諦だと思っていました(というか思っています、というか)。


 僕は、資本主義が行き着く先はそうだと思ったし、「持つことで幸せを感じる」ブランド(広義の「ブランド」ね)を作ることは人の幸せを生むことだと信じている。それは悪く言えば「嘘」なんだけど、嘘はばれなきゃ嘘じゃないし、現実は不変で自分の視点のみなのであれば、自分が心地よい視点に固着することは別に否定されるべきじゃないと思うんですよ。自分が幸せと感じる世界に浸って何がわるいのか。

 でも、彼は言いました。「昔は確かにそうだった。技術を持たないわれわれは自らの手でプロダクトを良くする術を持たず、加えてそもそも設備投資を要する製造業的なアプローチでは、いいプロダクトを個人が生み出すことは現実的に難しかった。しかし今我々にはウェブがあり、プログラミングがある。それによって確実に『Something Good』のための何かを生むことが力がある」と。

 ある種のウェブ・テクノロジー万歳論であることは否定しようもないでしょう。楽観的過ぎると。しかし確かにそれは(実現しさえすれば)すばらしい事ではあります。僕は嘘で世界を作ることを否定すべきでない、と書いたけど、実際に「いいもの」が生まれる世の中であったほうがナンボもマシであることは当然。

 なんか誌的になっちゃった気もするな。

 とにかく、彼はそうした考えに則って広告業界と決別し、プロダクト側に行って世界を変えたい、ということのようでした。広告があんなに、僕の何百倍も好きだった彼は、テクノロジーから広告にアプローチすることからさらに一段上がってプロダクトを作る事、にシフトしたということです。


 なんかさらっと書いたけどさ、「世界を変える」っていいよね。ていうかそもそも俺そういうことしたかったんだよね。物質的に世界を変えることは叶わなくても、人々の主観的世界を変えたかったんだよ。最近アホみたいな仕事に追われていたけど、それがこの業界に入った根本だということを思い直したというか…だからといってそれに近づくために何をすればいいのかはよくわからないけどねえ。どうしたらいいのかな。
 そして、自分の周りの「仕事ができる人」はこういうことまったく考えてないだろうな、ということがなんか空しい…
 ってその辺はしょうがないというか、僕はちょっと視点が高すぎるんです。こんな視点僕くらいの年で持ってても意味がない…わけじゃないけど、僕がよくないのは低い視点を持っていないことなんですよね。皮肉じゃなくて、高い視点だけではなく両方を持って、複眼的に捉えられたらすごく強いんだと思う。でも僕は細かい、低い(決して「低い視点」を下に見てるわけじゃない、という部分は強調したい)視点をもてていない。だから低い視点しか持ってない人とは本当に噛み合わない。彼らには僕が持っている視点は伝わらないから、彼らにとっては僕は「本当に何も持っていない人」なのかもなあ、と思ったりもするのです。

 なんか話がまとまらんなー。別にまとまりを期待するものではないけどさ。今日も仕事でした。明日からも仕事です。エンドレス。

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