飛び回る

2018年4月17日 日常
 もう四月も中旬か…一個前の日記は2月ですよ。

 いや実は年初から先々週?くらいはずーーーっと旅をしていた気がします。ほとんど広州にいなかった。覚えている限りで書くと、まず年明けしょっぱなウイグル→北京→東京という旅でした。これは書いたな。
 んでその時撮ったものの編集のために台湾行って合間に那覇遊びに行って沖縄の新聞の洗脳力に感心して、帰ってきて台湾でまた仕事仕切って、広州かえってすぐに杭州だったのかな?でついでに上海行って。
 その後どこ行ったんだろう…ああそうだ2月は日本→NZ→小島行ったりしていて、戻ってきてすぐに3月は北京行って上海いった。違う場所にも行った気がするが…。
 まあ、とにかくそんな感じです。ほとんどいないは大げさだけど、実際日数で数えると半分くらいはいなかったんじゃないかな。

 その間なにがあったかといえば…北京では実はある種の超有名人がお琴の人の昔の家庭教師だったというので食事させてもらったりした…くらいかな?あとは最近某雑誌の人と仲良くなって内情暴露されたりとかして。この人はバイセクシャルで彼女と同棲中。ていうかほーーーーーんと多いよね。人口の5%のはずなんだけど、冗談抜きで会社関係を除けば60%とかは同性愛者な気がするんですよ…。ひとつは中国って面白いやつが少なくて、社会の中で相当変わってないと僕が面白いと思う水準に達しない=そうすると自然とセクシャルマイノリティが多くなる、というのはあるかもと思います、っていってもこの比率はちょっと異常だけどな。

 会社の話。今年は色々入れ替わりの年で、日本人も中国人もトップが変わったんだけどなかなかひどいことになっています。新しく来た日本人は目の覚めるようなぼんくらで、ああダメだ…という感じ。ひどすぎる。新しく来た中国人もダメなんだけど声は大きくて、職位が高いけど声が小さくて頭の悪い日本人vs職位はそれに比べれば低いけど声がでかくて頭の悪い中国人という謎の超低レベルな争いになっている現状。
 中国人は完全に国有企業体質というか、田舎者のダサくて頭の悪い、旧世代型中国人と言う感じ。いやらしい。だからこそそれをおさえつけて飼いならさなきゃいけないのに…ということで日本人の中でも「ちょっとあのトップはやばいんじゃないか」という雰囲気になり全員でつるし上げたりもしてみたけど、多分わかってないよねあの人、という感じ。

 愚痴を書いても仕方ないのですが。

 そして僕自身はといえば先日本社の役員とランチしてたら「もう少し長くいてもらいたい」みたいな話に。ううむ。別に楽しいからいいんだけど…みたいな。先日書いたようにもちろん最大の望みは上海に行くことなんだけどそれは目下難しく、かといって日本戻ったらほぼ確実に転職活動なのがだるいんだよね…別に年も年とかいう気はないけど、かといって日本に帰ってはまる職業や会社がちょっと今想像がつかない。そしてここで一人で暮らすのも楽しいことは間違いない。とか何とか云いながら人生なんてほんと先の想像つかないからねえ…というのもあるんだけど。とりあえず今はなんにせよバリューが出せてるわけだし。ただ給料低いよね…。

 自分のこの先のことについては、僕を親会社(1万人の内外国人が1人だけという噂)に送り込もうという策略があるらしく、まあそれも人生のひとつの経験としては面白いかなと思ってます。国有企業系で、とてもひとりでは入る気にはなれないけど会社の背景があり、客として保護された立場で行く分には面白い(かも)。

 僕のことを好きだった弊社のプランナーが北京にいきました。ステップアップならいいんだけど、その北京の会社は実は弊社の関連会社で、既婚者でもある日本人駐在員を追いかけて(もともと付き合ってたというか遊んでもらってたっぽい)いったっぽい…35とかになってそういうことやってるのイタいよね。もともと隣のやつが留学すると言ったら突然「私も!」とか本気で言い始めるような女だったのでそんな感じなんだけど、なんかこう…他の人より知識があっても頭の回転が速くても、本質的な部分がダメだとだめだな…という感じでした。社内では僕はわりと仲いいほうだったんだけどね。友達だったけど…もやもやとした感じでした。

 あとなんか咳が止まらない感じ。ようやくよくなってきたけど、3週間くらい、しかもなんか花粉症と併発して頭がおかしくなりそうでした…
おい、お前、今人生考えてたろ。何でこんなことしてんだろって思ってたろ、なぁ。なに人生考えてんだよ。てめぇ、人生考えてる暇あったら客みつけてこいよ
狭小邸宅 (新庄 耕)


 去年の春節はキューバ→アメリカだったけど、今年はそもそも去年計画していたニュージーランド(とおまけ)にきました。去年の春節のところにも書いたけど、ただでさえ休みが少ない中国だけど、こうして固まった休みが取れるのはいいよね…ほんと、いつまでこれを楽しめるかはわからないけど(しかしこの休み、毎回かなりカネが…)。

 で何かを書こうと思った時、自然に思いついたのは、これも去年と同じ(ただしそれより強い)でした。

今、駐在様なわけですよ。あの地獄(や、本当にあるんですよ地獄って)をよく生き延びたって思うしこれはある種のそのご褒美だとも思う。今だって労働時間は長いこともあるけど偉そうにふんぞり返ってられるし自由だし、いや天国ですよ。あの頃を思うと殊更にね。
 こうなったことを僕はすごくラッキーだと思っている。どこかで読んだように、ラッキーなことが起こるかどうかは自分ではコントロールできないけど、そういう事が起きた時にものにできるかどうかは努力なんだ、という話があって、僕もそれを心がけて、なんとかラッキーをものにしたと思ってる。でもやっぱりこれは運がよかった。そして今の会社に入れたことでいえば、推薦していただいた方に本当に感謝してる。

 だけどそれは裏を返せば、またいつかよくわからない理由で今の立場が簡単に消えうるということをも示している。そして、僕は今の状態はちょっと恵まれすぎなんじゃないかと思ってる。今までと連続性がなさ過ぎて、本当に想像ができない。

http://42583.diarynote.jp/201702121621412297/
頂点、転落の恐怖と備えについて


 この1年前から状況と認識はどう変わったのか。労働環境が変わるのはこれからでしょう。書いたように、自分の職種を会社都合で変えられたので、それでどう変わるかはいままったくわかりません。

 ただ、慣例に則れば来年で自分のこの夢の生活がおわるわけで、その切迫とはいわないまでも感覚が違うのはある種当然でしょう。

 また、ここ数日特に、この仕事-以前の代理店仕事より前は、キャリア的にはわりとずっと暗黒だったことを思います。暗黒はいいすぎか。にしても、いつも金に困ってたし(いっつも給料低かったのと遊びすぎ)、仕事でも一部頼りにされていた反面、どの会社、部署にいても結構つらかった。去年書いたこの前職との比較だけではなく、その意味でも本当に今は幸せなのでしょう。

 今の幸せを噛みしめるのは暇な時(今か)に勝手にやればいいんでしょうが、それを考えた時に毎回思いつく一番の問題は、どうすれば今後この幸せが維持できるかということがさっぱり思いつかないという事です。今は幸せは幸せだけど、自分のキャリアとかにとって最適かというとそうともいえない面もあります。今の幸せはトップギアで働かなくてよい、プレッシャーも以前に比べれば軽く、、適度に休みもあり、適度に身分も高いという…要するにバランスが取れていることにあるわけで。このバランスから抜け出した時に、次のもっと心地よいバランスがあるんでしょうかね。

 友人と雑談していて出た今のところ考えられる選択肢は5つ。海外に居続ける1-3と日本に戻る4,5。

1 引き続きいまいる場所に居続ける。比較的安定、望めばできそう、だけどちょっと退屈。また将来の発展性はあまりない。2に繋がる可能性はなくもない。

2 上海に行く。意向だけ考えれば、現時点で一番やりたいことだと思う。でも今の会社には残念ながら上海に支社がない(しかもたたんだばかり)ので、かなり特殊なことが起きない限り行先はなく、転職を前提に考える事になる。救いは日本人にとって上海は暮らしやすく、わりと仕事を探すにしても可能性があるということ。ただ駐在員が帰任せずに辞めるのは色々とめんどくさいようではある(帰任命令を受けてそれに反抗して辞めるというのは、中国前提で採用されている僕の場合は恐らくアリ)。

3 アジアの中国以外の海外支社を目指す。本社には中国人材と思われており英語がきちんとできる(つうて今衰えてるけどさ…)所を改めて見せつけないといけないが、それができれば弊社社員の雑魚さを考えれば希望が通る可能性はないでもないと思う。シンガポールはちょっと住んでみたい気持ちもあるが、しかしうちが担当できる仕事内容はあまり面白くないという話も聞くので、中国語ボーナスが少ない(SGの場合はなくはないが)以上そこを選ぶべきなのか…でもここを逃すと、勿論今見えている範囲内で、だけど一生英語圏で暮らす経験はできない。まあ今年こそ時間を見つけてSGに行くってのもやったほうがいいかも。

4 日本の今の会社に戻る。恐らく黙っていたらこれになる。前も書いたけど英語・中国語使いとしてそれなりに重宝はされたしできるやつが少なくプレッシャーも少ない環境だったので余生を過ごすにはいいが、いま余生モードに入る?うーん。あと見逃せない点として、地方に飛ばされる可能性が微妙にあります

5 日本に戻り、他の仕事を探す。これはもちろん一旦4を選んだあとにとることもできる。例えば中国系の大きめの会社のディレクターとか。これもまあ素直なやりかたではある。もちろん日系の駐在させてくれそうな所を再度探す、というのも手ではある(正直同じ業界ではほぼないだろうが)。
 

 正直お恥ずかしいというか愚かしい話、ここのところはお嬢ありきで人生考えていたような面もあったんですわ。でもその望みが絶たれたとなると、考え方をがらっと変えなきゃいけないわけです。今いる場所に居続ける必要がかなりの割合なくなったという意味も含めて。
 となると、せっかく初めて「この町で働きたい」って思ったんだし2上海を優先に考え、同時に5経由での上海というのも探り(まあこれは同じ意味だな結局)、3のシンガポール、そして1の現状維持というような順番になるのかな。3の行先は自分で決められないという意味で博打要素強いし、正直SGはビジネス自体つまらない以外にも縮小気味とも聞くし、あんまり積極的にとる選択肢ではないかなと思います。英語圏で働いてみたいけどなー。
 改めて比較しても、いま(いくら生活が楽しいとはいえ)東京に戻る意味はあんまりない。まあデートしやすいのはあるけど…。あ、あとフェアのために書いておくと、東京に戻っても海外部署のはずで、そうなると数か月英語圏行ってきて、とかは普通にありそう。ただこの部署、上の方がTHEぼんくらっぽい感じむき出しなんだよね…。

 こう考えるとやるべきことは結構明確で、やっぱり上海行の切符を手にするために履歴書書き直すことなんだろうなあ…。ここに書いてなかったけどこないだ杭州行った時にかなり気に行ったので(心情的にかなりつらいけど)、上海からの距離が近いというのもプラス。

 あとは恐らく今年の夏過ぎとかから帰任先をどうするか、みたいな話がちょいちょい出てくるはず。そこでどういうゲームをするかも重要なのかなと思います。でもゲームの仕方よりまず自分の方針を決めないとね。多分今のままだと中国希望だから中国に残る→今の所か北京(両方遠慮したい…)としか言えないので、それをうまく処理する。理想的には(本当に理想で現実難しいけど)やはりその時期までに別会社で内定をもらうか、今の会社になぜか上海拠点を再度作ろうという機運を作り、「元々中国にもっといたいと思ってたけど実は上海で挑戦したいとおもっていたらオファーもらったんで」って言えることなんでしょうね。むずかしいけどな…。

 ところでまた恥ずかしいお嬢話の続き、ちょいちょい妄想しちゃうんですよね。突然どこかから現れないかとか。これまで彼女の旅先も僕の旅先も基本的にすべてお互い把握していて、これが彼女が把握している最後の僕の旅先なんですよ。だからなんだって話なんだけどね。知ってるよ。
歯痛、或いは世界で二番目に人口が少ない島への旅
 中国で働く良いところのひとつは、長期休暇の存在にあると言っていい。日本では仕事をやめでもしないと1週間を越える休みは取れないことが多いが、中国では1or2月くらいにある春節と10月の国慶節、加えて8月の夏休みと3回も長期休暇がある。勿論なにごとにも代償というものというものはあり、平時の土日に謎の出勤日なるものがあったり(連休をさらに長くするためと説明されるがどの日のためにどの日が休みになっているかなんて説明されないので、本当に数があっているのか怪しいものだ)、そもそも年間祝日の数でいえば日本のほうが多かったりはする。まあこの辺は個人の好みだろう。

 例えば去年は春節にはキューバとアメリカ、国慶節…は休みが潰されて発狂していた。夏休みはよく覚えていないけど、日本に帰っていた気がする(確認するとそうそう、こっちも仕事で半分潰されて中途半端になったから温泉にいったのであった)。今年の春節はニュージーランドと、今から書く世界で二番目に人口が少ない国ニウエということにした。
 ちなみにこれからについては目下の予定では夏休みは欧州、国慶節は去年行けなかったウイグルのつもり。途中で可能なら友人がいるのに積み残しになっているハワイ、インドネシア、マレーシア、シンガポールを入れたいとは思っている…けどどうなることやら。
 
 さて本題、春節休み。今回はかなり長い休みにできた。元々上に書いたように平時に謎の出勤日が設定されているおかげで(?)他社に比べて弊社は休みが長いんだけどそれに加えて東京出張のようなものを入れて皆が水曜から休みの所、前の土曜日に帰ってきてしまったのでした。なので、合計2週間半くらい休んでいたことになるのかな?ないよなー普通ないよなー。

 旅の最初は東京へ。特になんで、という理由はないんだけど、前もちょっと書いたかもだけどここの所東京LOVEが進んでいて、結構頻繁に帰っている。別に中国が嫌いなわけじゃないけどやっぱり環境は全体的によくないから細かい所でストレスがあるってのもあるのかな。
 で、そこでですよ悲劇は…実は最近といっても数か月前に奥歯の詰め物が取れていたことを何かの拍子で思い出し、ちょっと沁みるし帰国のついでに歯医者にいこうと思ったんだけど実は思っていたより重症だったらしく。東京についてすぐ行って、詰め物を更新してもらった時には普通だったものがその夜死ぬほど痛み、人生初めて歯が痛くて寝れないというのを体験したのでした。
 翌日歯医者に電話して慌てて診てもらうことにしつつ友人ロボ+ファッションデザイナーのモモさんに会ったんだけどそれにも遅刻。だって早くとも朝6時まで寝れずその後寝落ちって感じだったので…目覚まし3個ぶっちぎったのでした。市販の痛み止めは飲んでたけどなんというか半分脱力状態で、久しぶりだから楽しかったんだけど遅刻をいじられまくりつつランチでした。ごめんなさい。

 その後歯医者に行き「後々痛みは出るかもしれないが、治療を進めないとこの痛みはとれない」という通告。しょうがないね、ということで麻酔処置。今後中国で歯の治療を受けることになるのでしょうか…。

 でそこから高校の後輩の演劇ちゃんとこれも結構数年以上ぶりのディナー。寒い日でした…。歯のことがあって場所とか考えている余裕もなく、近所のイタリアンに適当に(といってもよく覚えてたなーレベルだったんだけど)決めたら貸し切りか何かで入れず、その近くの蕎麦屋に。何を話してたかあんま正直おぼえてないけど、もういい加減付き合い長いし適当にのんべんだらりんで、こういう体調悪い時には(この日にこの相手なのは偶然だけど)ちょうどいいノリ。

 翌日は暴力的な若さと親父殺しテクを誇る認知科学女子(?)と。こっちの体力の問題などもあり、本当は六本木で展示を見る予定がランチだけで終わった気がする。フランス帰りで広告やるのもいいかな?みたいなことを言っていたけど結局進学を選んだこの子はまた就職を考える時期に差し掛かっていて色々相談されたりして、なんなんでしょうね。
 この子は賢くないとは思わないんだけど、惜しいんだよなー。アプローチはいいから応援したいんだけど話していると浅いな、と思う。それは年齢ということではなく、根源的に何か足らんような、なんといえばいいのか…。別に間違っているとかではなく、惜しい感じなんだよね。サポートしてあげたいとは思うんだけど。
 ちなみにこの日も行こうと思った店が連続で潰れていて、前回も六本木で3件くらい連続で潰れていて入れなかったことがあったので若干トラウマ気味です。別に景気が悪いわけでもあるまいに、ちょっと人がいないくらいで潰れるなよ…。これこそまさに街にいないからメンテナンス出来てないというのが露骨に実感できる出来事って感じ。悔しいけど。しかしここ数年の休日ランチのわりと鉄板であったローダーデールが閉店したのはつらいな。
 この日は結局そのまま家の近くに髪を切りに行きおとなしく家ごはん。

 月曜は恒例のピッコロ詣。僕を今の会社に紹介してくれた恩人です。感謝してもしきれません。一緒にランチして現状やこの先のことをご報告。その後都内で打ち合わせを一件こなし(そうそう時間調整で入ったマッサージ屋がかなりよくて驚き)、夜もご挨拶系。15年前から通っている都内のバーの経営者と、常連仲間の3人。僕は相変わらず痛み止め服用中のグロッキー(まではいかないけど)状態でちょっと無言が多かったかな。でも相変わらずこの経営者はイケてるというか、楽しそうでいいよなーと思う。事あるごとに出会ったときからこのおっさんかっこよかったし、あの時点でいまの僕なんかよりよっぽど若かったのにそれを越えられていないなと思ったりもする。勿論道は全く違うんだけど。この日はなんというか、先輩にお会いする日という感じだったのかも。

 火曜、フライトの日。夜フライトなのでゆっくりしつつ中国関係の先輩とカレーを食べながら色々雑談。去年はこの人とさらに仲良くなった年だった気がする。そして彼が有名になった年でもある。いくつかちょっとだけだけど仕事のお手伝いもさせていただいた。去年だけで中国で3回くらいは会ってるような?日本でも1,2回会ってるし。名店といわれる店のカレーはそこそこ美味しかったけど、そもそも味覚が死んでるからなあ…。

 次の目的地、というより最初は中継地だけど、はニュージーランドのオークランド。学生時代に親といって以来なので、15年ぶりとかかな?あんまり変わっている気がしなかったけど。今でこそ、そもそも海外に住んでいるし1年に何回もいろいろな国に行くけど、確かNZに行ったのがずーっと小さい頃のアメリカを除けば初めての海外だったんじゃなかったかな。ちなみにフライト中も痛くて寝れず…うう。

 昼前に到着し、ホテルで休憩した後お迎えのエロマッサージ氏…名前変えよう、たかしとか?本名じゃないけど。と落ち合って荷物を預かってもらいつつお茶しながらちょいちょい。実は彼も歯痛にやられていて歯の話で一番盛り上がった気がする。
 13年にも僕はNZの南島、クイーンズタウンに数週間滞在させてもらったんだけど、たかしはその時に泊めてくれた人でもあり、あー一応たしか東京で1回中間に会ってるから多分会うのは3年ぶりくらいかな?まあでも久しぶりと言っていいでしょう。子ども生まれてるしなあ。
 子どもの世話をしなければいけない彼と別れ、適当にインド料理を食べて、一日目は終了。

 2日め朝にでは空港へ…と思って着いてみたらフライトの予定に乗るべき便がなく”????”ってなり、日付を調べたら一日間違えていたことに気づきしにたくなりました。なんでこんなことが起こるかって言うと(いいわけめいてるけど)次の目的地であるニウエはNZから3時間半で着くにも関わらず23時間かな?の時差があって、NZから飛ぶと1日戻ることになるのです。で、到着の日だけを記憶していたのが原因。正解は17日NZ発、16日ニウエ着。戻ってオークランド市内から歩いていけて市内を一望できるエデンという丘というか元噴火口にのぼって中国人団体と出くわし(まあこれはどうでもいいが)、帰ってきて昼寝してどっかでご飯食べておわり。夜何を食べたんだ?思い出せない。

 翌日ニウエへ。実は日本人の家族が1組だけ住んでいて、たかしが紹介してくれたこともあり、滞在中大変お世話になりました。空港までお迎えに来ていただき、経営されている日本料理屋でそばまでごちそうになり。結局日曜には半日使って島のツアーまで。いやホントありがたい。

 ニウエは人口がバチカンについで少なく、外務省資料だと1600人。住人に言わせると1000人?ただ、島をまわっている限りそんなに人がいるようには思えません。NZに出稼ぎに行っている人が多いということなので、定住人口ではなくその人達を含めた人口なんだと思います(のわりに学校が少中高一緒になってるとは言え生徒が300人って言ってたけど…ほんと?)。
 
 僕が泊まったのは島内唯一のリゾートホテルで、まあ非常に良い環境でした。物価が高く感じるのはもうしょうがないね。孤島だしさ…。店がないとかその少ない店が日曜になると全滅するとか色々あるけど、それもしょうがないね。去年キューバで物価のことは色々感じたり考えたりしたけど、そこよりは遥かに仕方がないよね、と思えた気がします。
 それはともかく、滞在中は基本部屋にこもりきりで体力蓄積しつつ本読んで色々書く、という感じだった気がします。木曜に到着して2日自由、日曜だけちょっと案内してもらい火曜にNZに帰ったのかな?
 元々NZのたかし家が赤ちゃん生まれたばっかりで状況がよくわからなかったのであんまり長いしちゃまずいなということで別の息場所を探していて、それでシドニーとかに数日行こうかなと思っていたんだけど、まあせっかくだし変な所に、ということで選んだニウエ。わざわざ行くほど魅力はないけど、なかなか体験できないという意味では貴重な体験でした。話のネタにはなるしね。

 ちなみにその日本料理屋の出資者は日米ハーフで、クロアチアと北極とコソボ?で日本料理屋をやらせているという謎の人。検索したらすぐに見つかったけど、変な人もいるもんだ。中国でもむかしビジネスをしていたらしく、もし会えたら面白いなと思ったけど、年数回もこないらしいです。FB見たら友達の友達だったので、未来に縁があるかな?
 で、その店を任せられている家族というかおじさんは元々日本の大企業のサラリーマンが一念発起して専門学校に通い直し、海外発でこの国にきましたという…すごいよね。何がどうなるとこんな地の果てに家族で移住しようという気になるのか、度胸がまずすごいなと。しかも結構気に入っていて日本帰らなくていいかな?と思ってるみたい(どうやら奥様は必ずしも同じ考えではないように感じられたけど…)。まあ異世界は確実に異世界だし、この中で暮らすのはなかなかタフだろうに、本当に感服します。最終日、通常荷物預けてからかなり時間に余裕があるということだったのに何かルールが変わったか何かで空港を離れられなくなり、最後にご主人に挨拶できなかったのが残念でした。

 ニウエに関してはこれっくらいかな、基本「なにもしない」ということが目的だったので(かまってくれたご家族も多分びっくりしてたとおもうけど)、その通りになったという感じ。NZ初日にワイン買い込んで持っていったのが非常に当たりで、時には昼からだらだら飲みながら色々考え、書き、寝て食いましたとさ。だから特に書くようなこともない。
 あーそうだ、島に唯一の中国人がいるってんで会えるかな?と思ったら最終日前日に偶然あえて、ちょっと話をしました。黒竜江省出身でこの島に14年。なにやって暮らしてるかは不明。無口なおじさんという感じ。世捨人感がすげー出てましたよ。
 ちなみにこの国にはあとインド人とドイツ人が居るらしいですが、日本人一家は子供の数が4人と多いので、多分在住外国人人口では最大でしょう笑。中国人より日本人が多い国なんてここくらいじゃないの?知らんけど。あと在住中国人が1人というのは、世界で一番人口が小さいバチカンよりおそらく少ない、つまり世界で一番中国人人口が小さい国ということになると思います。時々観光客は来るらしいけどね。

 そうそう観光といえばウクレレの世界大会?が行われたり、Googleの創業者がプライベートジェットで来たり、なんかたまにいいこともあるようです。いいことっていうかは知らんけど。まあバチカンは別にみんな知ってるけど、その次ってなんなんだろうってちょっと気になるもんね。

死んだ

2018年2月4日 非日常
 台北にいて、あまりに作業時間が暇だったので那覇に遊びに行って…というわりとながーーーーい日記をまじほぼ95%書き終えてあとはリンクを…くらいのタイミングで突然PCの電源が落ちてもうなんていうかどうしたらいいかわかりません。あと台湾なんですがそこそこでかい地震なんかが発生したりしました。

 しかしこれは膝から崩れるな…

 というタイミングで本来書いてた名護市長選の結果もでたようで、自民党側勝利と。色々考えちゃいますわ。

 それにしても今回も台湾は弾丸で出入りしたんだけど、前回も弾丸だったんですよね(http://42583.diarynote.jp/201705030007222970/ )、これもお嬢がらみで、あーやれやれという気持ちです。俺ほんとどうすりゃいいのかな。

 とりあえず台北のWhinos Wine barはよかったですよということです。またいきたい。
 春節までおとなしく座って仕事をしているふりをしようとしていたんですが天はそれを許さず、謎に僕に出張をおしつけてきやがりました。でも実は別にやることなくてありがとう神様状態です。しかも台湾。

 実は今新しいCMを撮影していて、それを本来上海で編集するはずが謎の理由で台湾になってたんですよ。で、中国人は台湾いくの結構だるいし、とりあえずまいっか、という感じで誰もいくつもりなかったところ、新しく来たボス(おばちゃん)が空気を読まずに誰か行け!みたいに言い出し一斉に沈黙して(台湾いくの大変なのお前だってしってるやろ…)という空気になってしまったので、外国人たる僕がいきますよ誰か行かなきゃいけないなら、という風な発言をしたという経緯でございます。

 しかし来たところで大半はスタッフの作業時間なわけで、基本ごろごろですよね。出来たら見に行ってコメントはするが、それ以外はひまなのでとりあえず温泉…だめかな。まあそんな感じの役得出張ですねこれ。

 太公望、ちょっと違うかもだけど、こないだお嬢の関連もあり、元々彼女を紹介してくれた夫妻の妻の所に会いに行ったわけです(夫婦別に住んでいるので)。で、その妻の実家はいわゆる超々超絶お金持ちなわけなんですが、はじめてふたりでご飯してわかったのは完全に人生に飽きてるんですね。やりたいことはもうやった、他のことはやろうと思えばやれるから別に積極的にやろうとも思わない。
 勿論この人の人生は普通の人からしたらハイパー羨ましいんでしょうけど、あんまり友達多くないのも、「背景」があると結局寄ってくるのが糞だったり色々で面倒だからなんだろうな、と思ったりもします。自分のせいでもないのに面白くないだろうな…というのは本当に思うわけですよ。
 
 他人事のようにかわいそうだなと言った所で、自分も金持ちでもないし世に倦んでるわけでもないのに謎に世の中がどうでもよくなってるあたりの謎を本当に解明したいと思うんですよね。育ちのせいなのかな…といっても別に育ちが特別いいわけでもないし。
 そんなわけでも謎な合意に至ったんですが、なんなんでしょうね。特に結論のないはなしなんですが。

 で、広州もそうだし今いる台湾もそうだけど、なんというか本当に寒い。なんんなの?って逆ギレしたくなるくらい…勿論気温で言えば北京上海のほうが寒いはずなんだけど中国の若者の冗談で「北方の寒さは物理、南方の寒さは魔法なので防御力無視でくる」というのがある通り、なんか寒いんですよ…ほんとどうしよ。しかもエアコン動かないし…。

 眠いので寝ます。

彷徨

2018年1月22日 日常
 最近なんかめっちゃ星回り悪いっす。厄年とかじゃないはずだけど…。

 まず、お嬢と連絡が取れない。まあこれは前回書いた状況から変わっていないだけといえばだけ(大問題です!)。買い置いたクリスマスプレゼントが泣いてます…ていうか俺自身が結構泣いてるよね。いまお正月の次に会う予定だった杭州に来たのでまたしつこく違うチャンネルで連絡してみたけど応答なし、なんかあったかなと思ったけどこれがFacebookの嫌な所、彼女が香港で気に入っている和食の店の投稿に平和なコメント入れているのが見えてしまい…まあ、そういうことですね。終戦ですかね。
とはいえ諦めきれないので最後のチャンネルを使って連絡はとってみようと思いますが、はてさて…ってまあ連絡っていうか自分が死んでいることを改めて色々確認するというだけのつらい作業な気がしますな。まあ割とすごいところに手を出そうとしたわけで、傍目から見れば無傷で手を引けるなら儲けもん、という声が聞こえてくる気もするしまあそういう面も否めないけど、それでも惜しいものは惜しいわけです。これまでも告白して振られたとかはあったけどこういうフェードアウトはくらったことないからなあ…いや食らったこと無いからどうとかじゃないんだけど、まあなんにせよズタボロな気分です。今も出張だけど正直それどころじゃない。

 書いてないけど最近変な方面に変なモテ方はしているのですが、虚無感が加速する今日このごろです。


 まあ残念といえばお琴の人。東京にいて、親と暮らさなきゃと北京に行ってしまいすぐに結婚してしまった彼女と久しぶりに北京で会ってごはんをたべて、ああやはりこの人はいいなとしみじみ思ったのはなんかつらかったっす。俺アホ第二弾。いや上記の状況があったからということも多分影響してるんだろうけど…。ほんとどうしよう(どうもならない)。
 しかしひさしぶりに会った彼女は、いま仕えている主人のこともあって話すことがやたらでかくてすげーなって感じ。XXとXXとXX局長と飯食ったとかあれそれ…みたいな。あと日本語を習った時の最初の先生が今フォロワー数1500万超のインフルエンサーになってるとか、なんかいかにも中国らしい話ですよね、知り合いが龍になって…って。


 二番目に、仕事上。なんかしらんけど営業をやれとすごいプレッシャーがかかっていて、大変だるい(いまは非営業職)。もうお腹いっぱいでやりたくないのに、色々な事情が重なって。ホントやなんだけど…ということでレジュメを書き直したりとかしてるわけです。特に今のうちの会社の状況で営業やるっていっても主導的に何かをできるわけでもないし、僕が中国語わかるってんで押し付けられてる状況ですから、まあせいぜい彼らがやることを横で聞いてそれを周囲の日本人に密告するという程度しかできないわけで、別に面白くもなんともないわけですよ。まあ言葉ができない連中からしたら中国語できるんだからあとはお前のアイディア次第だろ、って感じなんでしょうけど、実際そこまでではないですしね…。でも明らかにこの場所では中国人より日本人のほうが頭がよく(あくまでこの場所では、ね)、だけど中国人のほうが権力を持っている。中国人が金を出すので意見をいいにくいが、言わないと勝手に壁に向かって走り込んでぶつかって「いってえええ!」とかなるわけですよ。いや壁あるの見えなかったの?見てなかったです…みたいな。


 どうすりゃいいんでしょうね。正直お嬢の件がなくなったらより一層広州にいる意味もなくなってきてるというようなこともあって、色々考えてしまいます。上司に「その配置転換、僕なにもいいことないですよね」って言ったら「そりゃないよ駐在なんだし」とか言われるし、従わないと評価落とすとか待遇落とすとか言われるし…別に評価はどうでもいい…というか純粋にそういうことやられると逆に反発するんだけど…みたいな。帰るつもりもない本社の評価なんか本当にどうでもいいですよね、大体その評価がよかったところで給料がたいしてかわるわけでもなし、インセンティブとして機能してない。好意的に考えれば今のうちの日本人トップは基本的に営業系がやっているのでそこらへんを見込んで(駐在を長期化させるなら昇格が必要で、もう僕は上がるとしたらそこらへんしかない)とかってことも有るかもしれないけど、そもそも僕自身が中国に長期滞在したいというのも誤解だし…いやホントどうしよう、考えれば考えるほど謎になってくる。


 三番目、実は年初はすごい旅で、出張でウイグル→北京→東京→上海→広州→杭州→上海(→杭州→上海?)という予定でした。後半はちょっと減ったりしたけど。でウイグルで撮影で零下20度で死ぬかと思ったみたいな話はひとつありつつ、北京ですよ…。
 単に物見遊山なら旅は楽しいけど、まあこれで本来の仕事もやりつつ旅先の仕事もやって、みたいになると単純に足りないっすよね体が。ちなみに今これを書いているのも杭州のイベント会場の裏で、打ち合わせが二本重なってるから優先順位つけて片方に参加しようと待ってたら開始時間になって「いまホテル出たわー」って…。そんなわけで暇つぶしにこれを書いてるわけです。

 まあようするに3つ!とか書いてるけどがっかりというか落ち込みは一番目が大きいですよね。杭州でお嬢と会ったのは1,2回だけど、まあでも色々話題には出ていた街だったので色々つらい。誕生日プレゼントのネタに使った故事成語とかプレゼンで客が話しているのを見るとつらい。そんな現状でございます。
 ということで2018年。振り返ってみると実は去年どころか一昨年もそんなにろくに計画を立てていないことに気づいて、なんだかなあという気分になる。それに気づいて、というより気づく前から色々考えてはいたんだけどいまいちまとまらないのも事実。でもまあ、つらつら書いていこうと思う。

 まず去年の継続。
1 中国語。まあこれはそこまでの意識的な努力は必要ないと思う。やるだけだ。もっと本を読む。もっと会話をする。それだけ…ってその2つをやるのがどんだけ大変かって話なんだけどね。
 ちなみに今偶然、日本語学校の先生になるという誘いを受けている。どの程度の学校かわからないけど、結構面白い話だとは思う。日本語を客観的に理解することは、自分の色々なことを客観的に理解することでもある…かもしれないし。

 そう、昨日書かなかったけど自分の上達の実感の中に、英語を喋ったり書くのが面倒になってきたりということがある。英語のほうが喋り慣れてるからまだ話している分には英語のほうが心地よいんだけど、でも多分局地的には中国語のほうが上回っているという現象が起きつつあるんだと思う。


2 お嬢
 そもそもこの人、下手したら今日広州居るはずだったんですよね…お陰で正月のスケジュールぐちゃぐちゃ…。やっぱり「終われると黙る」というのがこの人の極限悪い癖ですね。前も一回書いたけど、多分打たれることに慣れていない。別に責めているわけでもないのにスケジュールをやたら確定させたがらない、聞かれても「もしかして」とか体のいいコトいってブロックさせておいて決めないという…まあああいう階級だしなあ、という事以外ないです。別に怒ってないんだから来れないなら来れないって言えばいいだけなのにね。そういう意味では弱いというか、ごめんなさいが出来ない人なんだなと思ったりはします。
 まあともかく、今年もこれは追い続ける一つの目標になるのでしょう。昨日書いたように、もはやどうケリを付けていいかよくわからなくなってきてるけど…ていうか次にどうやって連絡とりゃいいんだろ。


3 書くこと
 これは確実に入ってくるでしょうね。今実は結構な大ネタを用意していて、これを出来れば春節前までに完成させたいと思っている。ネタを相談している人には「ちゃんと書いたら本一冊の内容だよね」って言われているけど…一応この構想は評価してもらっていて、ちゃんと書けたらしかるべき雑誌の偉い人に紹介してもらえることになってます。はてさて。

 それ以外でも、最低でも月1本くらいは書きたいなと思ってます。これは載せていただく分もそうだし、自分のブログも含めて。で、少なくとも専門家の間では自分のブランドをある程度見える形で確立する年にしたいなと思っています。それは勿論ある程度のブランドがある雑誌などへの発表でしょうし、アクセス数やはてブなどでもありましょう。何かしらのマイルストーンを突破したいと思っています。
 ひとまず、前回のはてブ(を基準にするってのが自分でも不思議だけどFBシェアとかで考えるのもなあ)数を越えるものを上下半期で2本とか産めたら最高じゃないでしょうか。

 あとは本名で有名になろうぜ計画ってのも有るんだけど…まあこれは詳細書きません。恥ずかしいし。

4 プログラミング
 これは迷ってます。本とか買ってちょいちょい読んでるんだけど、実用のイメージが抱けないということが大きく、なんか進まない。そもそもプログラミング「言語」っていうくらいで新しい言語だし、それを覚えるのは(昔に比べて簡単になってきているとはいえ)それなり以上に難しいわけで、それをやるべきなのか…迷うけど、だけどこれからの時代というかこれからも、実際に戦力になるかはともかくとしてプログラミングがわかっていることは必須条件な気がするのよね…そして言いたくはないけど年令を重ねるごとにこういうことを覚える能力は下がっていくんだろうし、あせりを感じなければいけないんだろうなと思います。

5 次の仕事
 うーん、これも迷い中。今年を通じて思った(そしてここにも書いた)のは、広州もう良いかな、という事とやっぱり俺上海好きだなあということ。でも僕はいま会社に送っていただいてここにいるし、それは普通の転職と比べて動くと色々影響があるから簡単には出来ないということでもある。言い訳するなよ、とか言われそうだけど、事実そういう面はあるわけです。
 それに、広州の弊社のレベルは低いのは確かだけど居心地は悪くないわけで、出張もできるわけ、であれば精一杯この機会というかリソースを使い倒して遊び倒す、というのもひとつの選択肢。いまやっていることはそれに近いかもしれないけど…。家だって、上海行ったらこれと同じ家には住めないだろうしなあ…。

 僕の駐在期限がまあ自分が希望しない限りはおそらくあと1年半弱のはずで、半分を過ぎている。であればフルに1年あるのが最後ということでもあるし、次を本当に明確に考えなきゃいけない。お嬢の話がちょっと連動してくるんだけど…このままの関係で上海に行ってしまうと、結構今後捕まえるのが面倒になり、続けるのが困難。ただ彼女は杭州に定期的に来る機会はあるので、逆に一端固定してしまえば、僕が上海ベースになってもなんとかやっていける気はする。結構それが影響している気がする。彼女の「庇護下」に入ることができるのなら、それは正直どんなキャリアプランとやらより一番確実な「上がり」ではある、という意味も含めて。書いてて自分でもゲッスいなあ、と思うけど実際そうやねん。これは僕が彼女をどう思うかとかとはちょっとまた違うレイヤーでね。

 まあでもそんな起こるかどうかわからない話で時間を空転させてもしょうがないよね。日本で働くのも良いなあ、と思ってはいるけど具体的にやれる仕事のイメージがわかないし(まあ1年位は今の会社に戻れば良いんだけどさ)なあ…生活のイメージは湧くんだけど。しばらく食うだけならいろんな中国関係の仕事はあるんだろうけど、べつに食うために仕事するんじゃなくて根本的には暇つぶしだしな…ってまた稼がなくても食っていけるかのような発言しちゃダメですな。

6 その他
 これもまあ、どうしようかなあという類でいうと、トレーニング。俺太ったよなあみたいなのはあって、体型管理的な意味でトレーニングしなきゃいけないのかも、とは思っています…思って入るものの、という感じ。家でできることをやればいいんだろうけど。

 あとは料理のレパートリー増やすかとかそんな程度はあるけど、何かがほしいとか何をしたいとか、あんまりないな…バンドかヴァイオリンかは久しぶりにやれたら良いなと思うけれども。


 ちなみに話は全然違うけど、今年はやたら沢山のおせちをつくりました。
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 元旦から、こないだ帰国した時に買った佐藤究によるAnkという小説。ジャンルはよくわからない。近年読んだ小説と呼ばれるものの中で最高だった(って別に年百冊読むような人間ではないですけど)。有栖川有栖の帯コメント「人類史の先まで射程が及ぶ奇想・思弁は、この作者ならでは」が本当にしっくりくる。こんな大袈裟に書いているにも関わらず。

 着想の壮大さに加え、それがちゃんと破綻なく解決されていることも素晴らしい。「筋はすごかったけど、なんか細部が雑」みたいな事はこういう話にはよくある、しかしこの作品にはそういったことが一切ない。おそらく登場人物を絞り、その絞られた人物たちの内面も(作品の厚さの割には)意図的に掘り下げなかったことで、話が散らずにうまくまとめられたのだろう。

 この本は書店をぶらついている時にみつけて買ったもので、作者のことも、乱歩賞を取ったという前作のことも知らない。しかしこういった異常な長さと深さの射程を持った作品が第二作であるということに本当に驚く。たまに小説でありながら自分の専門分野を駆使してものすごい深さの作品を書く人というのはいる。ただ、人間は人生を1回しか生きられない以上、そして同じネタで2作品は難しい以上、別に悪い意味ではないが一発屋で終わってしまうことが多いと思う。これはノンフィクションなどではもっとよくある話で、自分が人生を掛けて追いかけているものを文字に起こしている、といったものだ。

 前作のことは知らないしこの人がチンパンジーの研究に関わっていた経歴があるかも知らないが、この着想を全くの外から編み出したとしたら…もうため息しか出ない。

 さて、この本は色々なサイトでもきっと絶賛されているだろうし(見てないけど)これ以上褒めない。ただひとつだけ、ざっと検索した限りでは出ていなかった奇妙な符号について書き残しておこうと思う。

 この本のサブタイトル "a mirroring ape"は、作品の構想の中核でもある(先が読みたすぎてわりとわーっと読んじゃったのでもしかして理解が間違ってたり…とかいうのが怖いけど)。ネタバレというと厳密にはネタバレになるかもしれないのでざっくりとだけ書くと、要するに水面に映る己を見た猿がそれを己と認識できるかどうかによって進化する…という話。そしてこの作品の舞台は京都。
 
 このふたつの要素が揃う小説が他にもある。「カーニバル」。清涼院流水という自称「大説家」が書いた推理小説だ。といってもそこで起こるのはちょっと飛びすぎていて推理とも言えないし…まあ奇書と言って反対する人は多分誰もいないだろう。
索したってでてこないし自分の記憶自体(繰り返しになるけど)相当いい加減なので直接書くと、「カーニバル」の中で起こる事件の黒幕(だったか黒幕のひとり)はEVEという猿(がたしか転生した姿)で、そのEVEは群れから離れてひとりで生きていたある日水面を見て自分以外の他者を認識し、その認知から自我が生まれ、一気に進化した…という話だったように記憶している(というか忘れていたけど、この本を読んで思い出した)。

 そしてもうひとつ。清涼院流水(今amazonのレビューなどを読んでも非常に評価は低いし自分の周りでも誰かが褒めているのを聞いたこともないが僕は結構好きだ)は京都大学出身で、そこの推理研究同好会だったかミステリ研究会だったかなんだったか、綾辻行人などを排出した名門サークルの出身だったはず。だから彼のJDCシリーズは京都が舞台になっていたりする。

 さて、これは符合なのか暗合なのか…と書くと清涼院っぽい?よくわからんけど。意識されたものなのか偶然なのかはわからない(し、実はこの猿と鏡と自己認識の話は実は小説家の間でよく使われるネタなのかもしれない)。しかしちょっとニヤッとしてしまいました。ちなみにカーニバルとは話の中身がぜんぜん違うというかカーニバルはあれすぎるので別に両方読んでも何も面白さが減ったりとかは無いと思いますよ。
 あけましておめでとうございます。

  年末恒例の日記読み返しをやらなかったもので、このページを開いたあとに17年のものを全部読みました…とはいえ、近年本当に月1か2本くらいしか書いていないので、全部読んだってかかる時間は知れてるんですけど。

 そう、でふと今思ってこの日記を書き始めたのはいつかの1月2日だよな、ということで遡ってみると、一番最初の日記は2004年。まだ大学生ですよ。随分遠い、とは不思議と思わないんだけど、それでも年数で考えるとそりゃ遠いですよね。でもあの頃と、1年前に起こったことの間にあんまり距離を感じない。それが老いたってことなのかもしれないけど。
 04年の日記は別に読んでないけど、大体どんなことがあったかは覚えてる。特に04年を比較対象としてどうのこうのというわけではないけれど(これは17年に結構頻繁に感じたことかもしれない)、ほんと想像もできないところまできたよね、俺。ひたすらに、遠くまで来たという感覚。

 17年はどういう年だったのかという事を考えると、とても変な年だったと思う。前もちょっと書いたかもしれないけど17年は年初にちゃんとした目標を立てていないので、あまり効果的なPDCAができない。書いたのは2つだけ、

1)中国語
 確実に上達している。確かこれを書いたときはちょっとした手詰まり感があったんだけど、それでも多分毎日中国語できったはったさせられていれば、伸びるといえば伸びるだろう…とはいえ、やっぱり喋りはまだ全然ダメ。聞くのはよっぽどのことがなければ大丈夫にはなったが。
 でも喋りも(発音は非常に恥ずかしいが)、通訳いなければいないでどうにか社内会議なら参加できるようになってきた気がする。まあそのレベルかと言われればそうだし、通訳なしでも結局困って周囲の日本語喋れる子に通訳を頼むハメになることも結構あるんだけど、それでもね。正直まだ無理レベルだけど、無理レベルなら無理レベルでも歯を食いしばって自分を厳しい場に投げ込まないとね。だけど無理レベルと書いてるとはいえ、今までは本当に無理だったのが、「つらい‥」くらいになったということは進歩なのでしょう。

 ただし、自分でもこれが満足できるレベルに達しているとは全然思いません。満足ってなんや非現実的な目標立て過ぎちゃうか、と言われるとうむむという感じなんだけど、一応「喋りまでなんとかこなせる」が目標だったはず。上に書いた程度を「なんとか」というのはまだちょっとね…惜しいといえば惜しいんだけど。

2)お嬢
 はいこれ完全に未達成。年初には「まああと数回くらいで白黒つくでしょ」とか言ってるのに全然ついてねえのな、しかも今年は「広州いくわ」って数回言われてそれをドタキャンされたり、当日台北だったり(まあこれは僕の責任)突然連絡取れなくなったりまあ振り回された年ではあります。こういうことやってるから「もしやM?」とか言われるんかね俺。
 そろそろ決めたいなあ、というのはもうずっと考えていることで、彼女が広州に来たら…とか思ってるんだけどなんかねえ、タイミングがねえ…もうよくわからんわ。でもそれもどこかに書いた通り、他に行く気とかは一切ないのよね。なんなんすかね。

 ちょこっと周りには言い始めてるんだけど、なんかこの1年でそうね、もしかしたら人生的に結構変わったかなと思ったのは、結婚観かも。まだ結婚したいとかそういう話ではないしそこに続いていくかもわからないんだけど、今の環境は前までと違って既婚者がとにかく多い。中国人は結婚が早いし、日本人同僚も結構結婚してる。いままでとは真逆だから、なんとなくそういう人と日夜居ると「結婚するのが普通」って思えてくるね。不思議だね。結局は僕も他人に影響される人間ということです。当たり前だけどさ。自分としては「するのが普通」と「したい」は同じ方向ではないしわりと距離があるんだけど、さてどうでしょう。


 その他で17年のトピックってなんだろう。キューバ行ったよね。バラデロが天国だったことはすごく印象がある反面、ハバナはあんまりいい印象がない。悪くはないけど別にいかないよな、って感じ。

 自分の記憶でもブログの記録でも、17年はなんかすごく平坦だった気がする。着実に起こるべきこと、やるべきことはやったし起こったけど、別になにも意外なことはない。
 そもそも僕は今現実ではない、いわば夢の中で生きているから平坦というのはおかしいのかもしれない。踊り場というのか?でも踊り場は成長の間での表現だよな。成長しないとかしてないとかそういったことをここでは言いたいわけじゃない。

 誰かを面接している時に自分で言ったことだけど、目標が明確でない人間は当然をそれをプロセスにも分解できないし、行動にも指針がない。そして何より一段落した後自分の行動を振り返ってそれが良かったのか悪かったのか、満足すべきものだったのかどうなのかを判断する基準が持てない。
 やはりそれが問題だったのだと思う。どれだけ特別に見えたことをしても、それが自分の目標に合致していなければ何の意味もないのだ(何の、といいきってしまう事は危険なのかもしれないけれども)。

 そんなことを考えながら、引き続き17年に起こったことを考えていて、いえるとしたらということをひとつ見つけた。デビュー自体は16年の9月とかそれくらいだったけど、色々広がったのは17年だと思う。
 書いた記事の数は多くない。商業的な媒体に載せてもらったのも4か5本くらい?、それに自分のブログに書いた記事がおそらく同じくらい。

 ライターとしてはお粗末というか、もっと書けよボケという感じだろう。だけど数はこんなものかなと思ってはいる。中国について書くライターなんてもともと多くはないけど、それにしたって大きな部分は既に占められているし(普通のライターでいえば、そもそも占められていない分野なんてほぼなくてその上で戦うわけなんだけど)、僕が書く意味がある内容というのは少ない。色々試しながら、そんなことがわかってきた年だと思う。
 
 僕は本業が別にある。だから別にライター業から得られる収入は気にしない。コスパで仕事を見ない。書きたいことを書くだけだ。ていうか、書きたいことを書くなんて別にベテランでもないのに言って書かせてもらえる場所があるということはありがたいし、幸せだと思っている。素人がなんだよそれ偉そうにって話ですよ普通。

 そんなワガママを許してもらった上で、書いた記事については比較的いい評価をもらえた。まあ玄人筋にだけど…。自分は素人出身だし、「前提知識はないけどそれなりに知識欲はある素人」をターゲットに書いたつもり。だけどそういう人にはまだリーチできていない…ってまあ当たり前だけどね。質はちゃんと保った上でもっと数を書いていかないと。

 リーチということで書くと、17年の成功といえるのは1本記事がすごくバズったこと。詳しいことはおもいっきり特定されそうなので書かないけど翻訳で、例えば今年中国ネタとしてはわりと流行ったような深センすげえな!みたいなのとは全く違う、正直自分でもそんなものが読まれた理由がよくわからないといえばよくわからないもの。バズった原因は何人かの有名人が取り上げてくれたことだってのはわりと明確でそれは別に驚きではあっても不思議ではないんだけど、バズった後でもその理由はよくわからんのよね。理由がわからなけりゃ再現性もあんまりない…というのがちょっとした後悔というか残念ポイント。

 あとは友だちの本の校正なんかも2冊分やらせてもらった。これやりがい搾取ちゃうか、とかプロの校正はいらねえのかよ、というような思いはもちろんあるんだけど、結構文章にうるさい(と思う)僕は校正作業大好きだし、その過程で色々学びもある。尊敬する人のナマの原稿を読んで偉そうなことが言える機会ってのも多くはない笑。

 そんな意味では本業ではないこの「書く」という方面では、それなりに爪痕を残せたのかもしれない…とはいえ、やはり数が圧倒的に少ないので、インパクトには欠けるわな。

 では僕は今年、18年にどうあるべきかということは明日にでも書こうと思う。明日の予定は結局飛んで、夜もしかしたら外で飯を食うかも、という程度。じっくり考える時間はあるはずだ。本も読みたい。
 ということが最近明確になってきたように思う。まあそもそも何が中国なのかなんて全部をとらえることは結構難しい、というか実際無理な話なのかもしれないと思うほど中国には様々な顔がある。歴史・政治・経済。ITだって貿易だって製造業だって、料理も言葉もまったく違う。

 僕が典型的な「中国好き」ではないのは前から分かっていた。三国志やらなんやらの歴史に興味はないし。でも服にしろ、飯にしろ、結構ふとした時に中国が目の前に立ち現れる。

 今でも嫌いではない。単に「やっぱ好きってわけじゃないんだな」って確認されただけといえばだけではあるけど、住んでみて思うのは、やはり自分が本当に好きな場所ではないなということ。ただ「本当に好きな場所」なんてどこにあるの?っていうとなかなか答えに困る。日本だってかなり息苦しい。町並みには慣れ親しんでいるし色々やりやすいけれども、別に理想的な場所ではない。

 きっと飽きてきたという理由もあろう。はじめは新しくて面白いと感じていたものも、変化がないと飽きてくる。特に東京みたいに色々新しいことがあり続ける場所にいればなおさら。

 ここにあと3年、とかいう話が最近ちらほら聞こえ始めて、「あーそれしんどいな」って思ったりする、今日この頃なわけでした。


 全く別の話。金がわからない、という話題。もともとそういう気があったけど、それが如実になってきていると思う。本当に興味がわかないし、感覚が分からない。例えばこの駐在が終われば数百万は溜まっているだろうけど、それでまったくうれしくなったりもしないし、うれしくないなら「もっと貯めよう」みたいな動機にもならない。数億ならともかく、別に数百万でできる事なんて知れてるしね。でも数百万から積み上げないと、永遠に数億には達しないんだけど。
 生活以外で使う当てがないことも原因のひとつかもしれない。幸いなことに継続的にお金がでていくような家族も病気もないし。でもなんにせよ、お金を稼ぐことの感覚が自分に壊れていることが結構不安。いやなんかかっこよくいえばいえるような話なんだけど、現代でそれで本当にいいのか?っていうかそんな大金持ちでもないんだから、金が詰まれば死ぬわけですよね。でもそれでも気にならない、できないのがやばいと思うわけです。疑似的にお金持ち感覚ですよね、たいして金持ってないやつがいうから滑稽なのもわかってるんだが。

 とかいいつつ、僕は結構サラリーの決定とかではねばるほうです。金が欲しいんやんけ、って思うかもだけど、実際は数字獲得ゲームとしてやってるだけなんですよね。男の子として「年収」みたいな数字でいろんなことが決まることがある事も知ってるしね。でも用途なんか想定してないって意味でやっぱりどうでもいいんだよな…

 まあ、もやもやしてます。
 また短いが実りある日本滞在だった。いつもやっている忘年会もきっちりしきれて好評だったし。残念だったのは僕が招いた客がちょっと礼儀を知らなかったことだけど、まあ彼女はこれ、そして僕にそんな価値はないという誤った判断をした。。。と少なくとも思うことにする。彼女には後悔してもらわないといけない(とかいって別に攻撃とかはしないけどさ)。
 人脈を築くことは、回数を重ねることが必要条件であると言うのはおそらく議論を待たない。別に単純接触効果などと難しい言葉を引っ張り出すまでもない。そして今回少なくとも(元々知り合いだった)2人とは関係を一歩前に進められたと思う。おまけにちょっとしたビッグブラザーごっこも楽しめた。さてあの人は僕にずっと見られていたということにどう感じたか(きもいと思ったでしょうねーはいはい)。まあ面を晒さずに周囲からそれとなく、というのも考えたんだけどそのゲームは流石にちょっと粘着すぎるというか、演出し過ぎかなとも思いまして。
 あ、もちろん主役の人には感謝してもらえた。それも重要。これからも彼のために働きたいし、その見返りとして(というと露骨だが)色々学ばせてもらおうと思う。

 その会には元々は主催側の大物がもうひとり参加する予定だったのが、これなくなった。家庭の事情と聞いていたものの、当日は海外にいたようだ。なんで畑違いの国にとは思ったもののあまり気にしていなかったけれど、次の日よく考えてみてその人の意図というか目的がわかった気がして、周囲にアテた所そうだと。
 その人物は同年代で、僕も非常に尊敬している。これまでも結構あぶない橋を渡ってきてはいるものの、しかしこの一歩に対してはとても不安だ。今までこの人が渡ってきた危なさの相手は常にひとつだった。しかし今回は対立する二者がハレーションを起こしているグラウンドゼロと言ってもいい場所に入っていっている。そうした場所では個人の意思ではなく、もっと大きなものに従っていろんなものが動く。大きな機械同士が共存するということはそういうことで、それは必ずしもお互いへの適意だけではなくとも、その境界線にいる存在は自らを身を守るための攻撃を余儀なくされる(もしくは、「攻撃したい」と思ったものがそうした役割を振られて前線に配置される)。
 そうした場では誰しもが盤上のチェス駒で、ちっぽけな存在になってしまう。かけがえのないものなど無く、計算できてしまう存在になってしまうのだ。個人的にはそうした大きな力に押しつぶされないためには、チェスプレイヤーの視界に入らないことが重要だと思っている。万能であるわけもないが自分よりは長い手を持つ存在のきまぐれで人生までいじくられてはたまらない。しかし彼らはそういう人種である気がする(もちろん自分が体験しているわけではないが)。
 功名心というと悪く響くが、たしかにその対象はおそらく単独であれば誰でも取りたい相手だ。その機会を与えられたら、もし日本のメディアであれば相手としてその人物が選ばれるのも当然かも知れない。しかしそれを受ける、関わるということ自体がやばいと思う。願わくば考えすぎであればいいが。
 
 なんか我ながらポエムみたいだし意味がわからんけど、意味がわからないままでありますように。


 話は変わる。なんか今回は元バンドメンバーが妊娠してたり(父親と夫が違うあたり彼女らしい)、3,4年ぶりくらいにあった友人のところにも生まれたばかりだったり、まあなんかそんな事が明確に多いなという回だった。そういえば最近偽名ちゃんからもふと連絡があり、母になっていた。自分は今の所そういったことはかけらもないけど、ちょっとした感慨というやつである。結婚式もそんなラッシュとかなかったからね。

 なんとなく来年の目標が定まりつつ有る気がする。その裏には、まだ揺れているものの2つの大きな方向性が見えてきている気もする。
 ひとつは研究にもっと向き合うこと。これは別にどこかに属するということではなく、大げさにいえば自分のアイデンティティというかレゾンデートルというもの、価値観を定めるためのものだ。今年は幸運にも、おそらく数年ぶりにそのカケラを得ることができたような気がする。とはいえまだ幾つかの中くらいの関心事が頭の中をぐるぐるしており、予感はあれど、それのしっかりとした統合イメージはまだ描けていない。来年はおそらくこれをもっと突き詰めるんだと思う。

 もうひとつは(おそらくかなり歪んでいるのだと思うが)もっと人生を楽しむこと。刺激をさらに極大化するということでもあるかもしれないけど、色々なことの判断基準として「人生は死ぬまでの暇つぶし」であるということが一層明確になってきたし、自覚的であろうと思う。別に悲観的に言っているのではない。楽しまないことに意味はないし、つまらないことに割いている時間はない。ひたすらに自分の時間は楽しみのために使うべきだということ。他人に遠慮すべきではなく(一般的な意味では、いまでも充分遠慮も配慮も足りないのかもしれないが)。
 昔鬱でしぬかなーと思ったあとにこの傾向を意識的に強め、そして自分は今楽しい人生を送っているんだけど、なんで続編が今なのか、明確に思うようになったか、よくわからない。でもこうした事は意識的にどうというものではなく、思ったときがそうすべきときなんだろうとも思う。

また香港

2017年11月26日 日常
 ということで前回の日記に書いたように、香港にガイドしに行ってきました。来た相手が初香港ということで、べたな観光地が提示されて面白かったっちゃ面白い旅でした。今さら死ぬほど並んでピークに上るとかないですし…

 といっても相手がだらだらしたい人だった&病み上がり&自分が疲れていたこともあってかなり緩めの日程だったもんで、1.5日で回れた場所はそんなに多くはありませんでした。どっちかっていうと街歩き中心?

 初日に行ったのは男人街、バードガーデン、モスクの横のフラミンゴがいる公園を通ってネイザンロードから重慶マンション、それにハーバーシティと1881、あと水辺くらい。僕が出遅れたのとあっちが道に迷ったことが重なり会えたのが2時くらいだったので、まあそんなものかな。夜はもともと入ろうと思ってたところが何回通りかかっても何組も待っており、色々迷った挙句に翠華という超ベタな選択に(香港料理のファミレスみたいなもんですな、それはそれで嫌いじゃないけど)。で、ランカイフォンのバーに行って軽く飲んで帰って寝ました。

 次の日つまり昨日はまた昼前までだらだら、ご飯食べてピークに上って降りてきたらもうほぼ時間、ということで大好きな Timothy Oultonに行ってみたらシャンパンもらったりしつつもホテルに戻り、例のアメリカ系プロデューサーとご飯食べ、その仲間と軽く。うーん今まで以上にダメな会でした。まあ前回書いたようにやっぱつらいっすこの会。

 今日も本当はおかゆとか食べに行く予定が全部ぶっ飛ばし、フォーエバーごろごろして急いで香港駅まで見送り、その後お嬢(仙人になる修行明けでぐったり)となんとなくマーケットに行き、とりとめもない話をしながらバスに乗ってスーパーに行き、お買い物のお供をして解散。本当はクリスティーズがオークション出品物の展覧会をやってるらかったんだけど、ちょっと疲れてたのでスキップして帰路。帰りも時間に間に合わなかったりとか色々はあったけど、まあまあよかったといえると思います。


 こないだ杭州で友人夫妻の家に泊めてもらった時に友人が何の気なしに「今年なにやった?」みたいなことを聞いてきて、それが僕を苦しめています。正式に振り返るのは毎年12月になってからでいいんだけど、今年は生きてりゃ当然以外の事が少ない気がする。

 で、その延長と言うか仕事について最近色々考えています。ちょいちょい書いているように広州には飽きてきていてどうするか、というのがひとつ。これ自体もまだ色々考えている事ではある。
 でも最近新たにと言うかさらに根本の事を考えていて、俺仕事を始めたのって研究の実践のためのはずで、別にキャリアとかどうでもよかったよな、って思うんですよ。今は偶然キャリア戦略がうまくはまってそれなりに幸せっぽい生活してるけど、それは別に本来やりたかったことではない。
 ただ「本来やりたかったこと」にこだわる必要があるのかと言われると言葉に詰まるところはある。今の僕の立場は要するに恵まれているの一言だろうと思う。人生の目的に重いも軽いもなく楽しく過ごせればいいなら、今だってそれはそれのはず。だからこれはどこまで行ってもべき論ではなく、そっちのほうがいいかな?ということでしかない。でも今からそっちに行けるのか、また行くとしてどうすればいいのか、悩む。そしてこっちにケリがつかないと、上海とか北京とか考えても意味がない気がする。それは結局いまのキャリアをそのまま進む前提での話だし、昔の僕なら「楽しい時間つぶし」と呼んでいたはずのものだから。
 最近遅ればせながらメタルギアソリッド5をやっています。小島秀夫が辞める(辞めさせられる?)前の最後の作品。面白いです。これでおしまいというのは残念だけど、終わりまですべて本当に思った通りにやれることなんて少ないわけで、まあそんなもんなんでしょう。しかしPS4の表現力本当にすごいなと思いますわ。ウィッチャーやってた時も思ったけど。
 そしてゲームをこんなにやるなんていつぶりかなんだけど、今は豊富になったというかそんなに気にせずたまに帰国した時に2,3本買ってるだけなのに結構持つんですなー。いや自分の間口が広くなったのと、あとそりゃ昔よりは金持ってるからね。そんなことなんでしょう。

 実際にそうだし毎回思うし、実際何回かに一度書いていると思うけど、本当にこの日記は旅日記になりました…ってもともと常時旅してるようなもんだけどさ、それにしても地元(いまのね)にいる時に書くことが本当に少ない。書かないようにしよう!とか思っているわけではないんだけど、まあ実際行動範囲も広いわけではないし、面白い毎日を過ごしているかと言うと、今日でいえば会社の運動会行って何もせずに入場行進と応援?して帰ってマッサージ行ってライブ見てメタルギアやりながご飯作って、その前後で仕事をしました…ってこう書くとそれなりに楽しそうだな。
 

 最近の他には書けない事。僕が住んでいるここには日本人はかなり少ないのですが、音楽関係の人間はさらに少ないです。というか3人いて、それで驚いているレベル(その内2人は同じ会社で、そこにはまだ数人いるみたいだけど)。
 そんな中、すげーきまずいていうかなんていうか…なのが、某出会い系で会った子の彼氏が(まあさらっと身元バレそうだから詳細は書かない)の日本人で、それを言われた時は知らないなあ、でもあの人なら知ってるだろうな…と思った人と数週間後に飲んだ時に訊こうと思ったら聞く前にその名前が出てきて、「あー」と。

 ちなみにその子とはまだ何もないのですが、彼氏にかなり不満があるようでもう崩壊すんだろうなーと言う感じ。ていうか今日のライブ、その友人から誘われて彼氏のやつだったんだけどMC聞いてる限り本当に中国語下手で、彼女の方は中国語オンリー。やー、わからんやろな。ていうかどうやってコミュニケーションしてんねん、というレベル。いや言葉のうまい下手を言い募るのはちょっとあれな気もするけど…でもあなたもう8年いるんでしょ…みたいな。まあ住んでるわけではなく、往復生活で最近になって定住ということみたいだけど。ミュージシャンだししょうがない(?)という気持ちもありつつ、これでどうやって教室開くんだ問題…。
 
 どうだっていいっちゃいいんだけど、彼とも今度おそらく飲む気がして、彼女とはなんでしょう、僕はどうすればいいのでしょう。ちなみに彼の音楽自体は技巧はわかるがそれをやっちゃうと音楽性の幅でないやつだよなー、という。音楽としての自由度をかなり縛るやり方なので、あんま発展性なく一芸に秀でたひとという感じでした。いや俺できないからあんま偉そうなこというのもなんだけどね。

 
 そうそう、できるできない論から仕事の話にスライドすると(書いてないよな…)。最近特に自覚するようになったことのひとつに、人に仕事を頼む際の話がありまして。
 まず前提として、自分ひとりでは結局スケールしません。また自分がもっているスキルの幅にも限界があり、ひとりじゃやっぱり抜け漏れがあるでしょう。

 その前提の上で、頼む仕事には2種類あると思っています。1「自分でやろうと思えばやれるが時間が惜しい/相手の方が安くor速くできる」というものと2「自分ができないことを出来る」というものです。
 僕は基本的に頼み事は1であるべきだと思っています。自分ができない事ができる人に頼む場合、本来の地位はどうあれ、出発点はお願いになってしまう。なぜなら自分ができないことで、拒否されたら困るから。だけどそれが自分でも(効率は悪くても)できる事であれば、「別にお前になんて頼まなくていい」を常にカードとして持ちながら交渉が出来る。その違いは大きいなと思うわけです。

 特に「できない事」は自分で検収すらできない事が多いです。アラビア語の通訳をお願いしたところで、本当にちゃんと話されているかなんてチェックできないわけ。仕事を頼む際にはほかの同等な能力の人を引き合いに出すなどで交渉できたとしても、いざ仕事に入るとこちらもロックインされ、簡単に変えられなくなる。仕事を受ける側のパワーの方が上になってしまうわけです。
 もちろんそれを防ぐ保険のかけかたもあるにはあるし、基本的には次の仕事のことを考えればまっとうにやることになるんですが、仕事の中には色々なストレスがかかるような局面もあり、そこまでちゃんとした長期視点まで相手が持ち続けたゲームにならない可能性も大いにあるわけで。

 1に固執してしまうと選択肢が増えないというのは一見もっともにも聞こえつつ、求められるほとんどの部分に対して最低限の検収の機能さえ持たない人間が上になるのはやっぱり危ないんですよ。逆にその最低限の能力の幅で、どこまで仕事を任せられるかを見るくらいのほうが正しい気がします。

 自分のことが結構わかりやすくて、なぜ自分が中国で働くか、それのために中国語をこれだけ時間をかけてやったか、それは「わかってはいるが現場で通訳に話させる」のと「通訳が何を話しているかわからない」ことは全く完全に違うということを知っているからです。「俺たちは仕事をしに来てるんだから言葉なんて」「通訳は仕事のキーだから大事に」と言う人間の会社で雇う通訳はなぜか新卒ばかりだったりして「金がないからいい通訳が雇えない」と言ってる人間の神経はなかなかわからないものがありますね。言葉をギブアップするなら、せめて十分に金をかけて、プロ意識と技術のある人間を雇うべきだという結論になると思うんだけどねえ…。

 ま、愚痴はともかく、別に仕事じゃなくてもすべての交渉事は自分にカードを残しておくべきだ、とこう書くと当たり前だけどね。これが自分の中で言葉になってきたのはわりと最近だけど、思い返してみるとそうしたインセンティブというか交渉のパワーバランスへの気遣いみたいなものは昔からちょいちょいやっていたんだなーとも思ったりして。


 あとは何の話を書こう。来週はまた杭州。出張と遊びが入り混じったようなやつ。その次の週も上海の予定だったけどどうやらキャンセル、その次は香港で12月頭は東京という、ほぼ毎週どこかにやっぱり旅なんですね。。。


 香港は3件重なってるのかな。1件は謎に日本からの女子のアテンドで、初香港で目的観光という…。いやあ旅計画を話すと、なんかこうそういや香港最初の時ってこういうとこ行きたかったなとか、逆にこんなとこ行きたいんだ…とか、普段の自分の行動範囲と全然違って面白いです。ピークとか、上ったのいつだ…多分★さんとのはずで、12年とかかな?
 2件目は西洋系報道機関の人たちとのワイン&映画という謎イベント。中核の人が超僕の事を好きでいてくれるせいで誘ってくれるんだけど(いやなんでだかまじわからんのよ)、毎回英語ワールド、しかも異人種の群れなので結構な負担です。
 いやそれでも生き延びられるんだからすげえよな?って言ってはもらえるけど、実際にしんどい。でもこうやってあんまり気乗りしなくても兎に角お誘いをいただけるのは本当にありがたいし、もらえる限りは行くべきだと思ってます。ということで行きます。3件目はお嬢で、まあこりゃスケジュールあうのか本当に?ってこれもいつもの感じ。

 
 年末がそろそろ視野に入ってきて、年内にあと数本記事(ここじゃなくて商業的な)を書きたいと思ってはいます。 いま仕込んでるネタはなんていうか…灰色すぎて、本来やりたかったものは周囲にとめられました(法的なもの以外にも色々リスクが…別に悪用する気はないんだけど)。で、それをいかにインパクトを残したままリスクを減らすか、色々考えている最中だったりして。とりあえず謝礼は足がつかない匿名通貨、通称現金で行おうと考えています…。
 その重いネタ以外にも…と思うんだけど、意外に思いつかないんですよね。中国情報でいうと夏は無人コンビニとかそういうのがあったんだけど、それ以降あんまり明確なトレンドみたいなやつが出てきていない気がして。音声入力も日本で少し流行り始めてるみたいだけど用途がまだちゃんと開発されていないからあんまりぱっとしない(ほかのことでもできることをわざわざ音声でやってたりとか)気がしてねえ…。

 ちょうど色々手伝った友人からもしいい記事が書けたらいい媒体(これは結構いい媒体)紹介するよ、と言われたりもしていて、頑張りたいけどどう頑張っていいのやら、という感じ。まあでも楽しければいいのです。別にこれで生きる糧を…とかではないのでいくらでも時間は使えるし。

 そうそう生きる糧以外シリーズで言うと、最近謎に友達のジュエリーのファッションショー?の選曲を手伝いました。久しぶりに色々考えながらだーーーーーっとたくさんの曲を聞いて選んで…ってそれでギャラなしか…みたいな。
 でもつながっとくと色々教えてくれたり役に立つ友達ではあるので、頼まれごとは断りたくないんですな。中国(しかも広州)で特に高級な何かに詳しい人って少ないんですわ。レストランにしろ服にしろ。うちの会社の子たちは結局庶民(何人か違うのもいるけど)で、いやこれは収入と言うより消費性向とかなのね。ていうかぶっちゃけセンス。海外に行った数で測るとかもなんかださい気もするけど、実際そういうのがかなり影響ある気がするんだよね(いくら海外に行ってもいつまでもダサい人間も結構いるのが悲しいところではある)。
 そんな感じ(?)で、北京にいます。まあ仕事の話はつまらないからほっとくとして、なんか今回ひさしぶりの滞在にしてやたらゲストが豪華。

 まず今日は昼まで市内から遠く離れた会場でイベント仕事を終え、終わり次第タクシーでホテルに向かい仮眠。夜はまず若者向けでおそらく今一番有名なコンテンツ会社の人とご飯。中国でスペイン料理食べたのはおそらく初めてか2回目なんだけど、注文しすぎてかなり残しちゃったけど、とりあえず美味しかったです。すっごい逃げられ?かたをしたけど、まあ楽しかった。土曜の夜にいきなりインタビューはいるかよ…とはいえ、別れたあとも色々メッセージくれたのでおそらく悪意はまったくないものと思われます。

 で、明日はまず朝は某アメリカ局とパワーブレックファースト(笑)の後、北京で一旗上げてる先輩とランチしてそのまま某中国系の影響力ある媒体のリポーターとアポイント。そしてそのまま空港に向かうつもりなんだけど…はてさて。

 なんか書いてていきなり眠くなってきました…。
 最近中国ライフに飽きつつあるというのは否定しがたい事実です。今日もカメラを片手に何カ所かに行ってみたけど結局どこもよく行く場所で、俺何やってるんだろうなーという感じ。中国と言うよりこの街に飽きたんでしょうな。といったところで他に行くところもなし…というあたりで実はちょうど任期の半分が過ぎたわけです。もう半分かあ、という気持ちとまだ半分あるのかよという気持ちと…どうなんでしょうね。いずれ、明確に意思を持たないままやっていては空費するだけなのは確かなので、残りも有意義に暮らしたいと思います。

 なーんてことは書くんだけど、ここでの生活における有意義って何なんだろう。昔考えていた自分の人生の目標からは遠くなっているなあという気持ちと、多分その路線を追っていては味わえなかっただろうたくさんの楽しいことを経てきたという自覚とが入り混じっています。
 なんせ本来やりたかったことからしたら中国にいるってこと自体が何のプラスにもなってないもんなあ…。今はこうやって日々刺激(いや生活はつまらんのだけどさ)がちょいちょいあるからなんとかなるけど、帰国したら本当にどうしたらいいんでしょうね。絶対東京の生活の方が楽しいけど、かといって新しいことがどんどん増えていく年でもないだろうし…それでも刺激中毒的な性格は変わらんだろうしな。


 といったことを考えるのです。


 この土日は本当は出張の予定だったのが、明日(月曜)のプレゼン準備が不安だったのとまあ別にそこまで行くのが必要じゃない、そして何より翌週また出張が何個かあるのがわかっててきっと消耗するだろうということでキャンセルしたおかげで一日空白が出来ました。で、上に書いたようにカメラを抱えて外に出てみたりしたわけです。

 しかし駐在生活ってのはもっとのんべんだらしん、偉そうにわめいて5時くらいで帰る…という生活を夢見ていたのになんでこの社畜生活が続くんだろう、と考えた時に、自分の要因として中国語が話せることってのがあるんだろうなという事に思い至ってます。
 これは良いのか悪いのかが難しいんだけど、中国語まったくわからなければ手離れもいいんですよ、現場の仕事や細かい会議に出る必要がない(出てもわからん)。でも今僕のチームの人間は基本的に僕の事を中国語がわかるし、中国的な仕組みもわかってる人という風に(それ自体はありがたいことだけど)とらえてくれてるから、ある種戦力として数えられてる。あ、もちろん中国語わからない日本人だって別のところでの戦力ではあるんだけど…要するに僕は日本人的な業務と中国人的な業務の両方(+たまに通訳)を追うことになっちゃってるから業務量が他に比べて多いんですな。まあ一緒にやってる下の子がとんでもなくボケナスってこともあるんだろうけど…。

 まあ、本来はそうあるべきなんだと思います。ただそういうことができる人がこの会社にはほとんどいない(日本語しゃべれる中国人もいるけど、能力にかなりの差があるので両方の役目をやるってことはない)ので、そういう人にどのように仕事を振ればいいかがあまりみんなわかってないので、まあそれが原因ですね。
 本当は一応管理職としての責任もあるので、仕事をとったりトラブル対応はやって、その後実務は他の人に回してほしい。でも弊社の薄い人材だとそれが出来ないんです…なんというか本当に大人と子供のグループなので。だから取りこぼしが怖くて結局自分で回すことになり、作業量だけが増えていく。もちろんボスになったらある程度目をつぶってまかせるべきという理屈はわかります。でもそれは「まあいいけど俺がやったらもっといいものが出来る」場合。明らかに失敗するのであれば他人に仕事を回すことはできません。

 とかいってなー俺だって別に広告業界長いわけじゃないし、他のスタッフと何が違うわけでもないはずなんだよな…といったことは毎日のように思うわけですが。

 さて。

 無事に、国慶節(中国のGWと言われるけど正確には10月1日の建国記念日が連休になってる)の休みも夏休みに続いて消し飛びました。本当はウイグルに行きたかったけど、来年かな…と打ちひしがれております。ひとつの大きな提案が原因なんだけど、そもそもほかの仕事が忙しすぎてまったくそれに関われていないっていうね。

 で、悔し紛れにというのと彼女のお誕生日間近みたいなのもあって、嬢とアポとったんですが紆余曲折後に飛ばされました。やーつらい。お誕生日プレゼントも買ったのにな…次会えるのはいつなんでしょう。10月かな?前会ったのがいつどこでかぱっと思い出せないが…確か杭州だった気がするけど、そうすると7月ってことだからほんとだいぶ経ってるやんけ。まあそんな感じです…ほんとこのゲームいつまで続けるんだろうね。
 とかいいつつも、他にまったく興味がわかないのも事実です。ひとつには外国生活してるってこともあるんだろうけど…条件が合いすぎてるもん。なんかほかで遊ぶ気すらあんまり生まれないんだけど、いやそんなことやってるとここでしくじるとしぬんだよなあ…でもまあ、そんくらいのがけっぷち感ですべてに対応しないといけないと思うんですよ。とかいってもね。ここまでつるつるぬけられるとなんなのもう感があるのも確かなんですわ。ちなみにいまキャンセルされた明日の予定のもしかしたら変わる…にほのかな希望を抱いて待ってるところだったけどもう彼女寝てる時間だなこれ。しかし明日半休なにに使うんだよホント。無駄に香港行こうか迷うぜ。


 おとといかな?ふとした拍子で10年前の日記を読んでいて(ってのがすごいよな、10年以上書き続けてるんですよここに)、まだ一社目で外資だったとはいえ海外とか全然興味なかったころの僕が色々書いていて、たまにはいたいたしくて、でも今から読んでも結構はっとするようなこともあったりして。前提として「あの頃は」とか「老いた」とかいうのはだいきらいなんだけど、その上であの頃の…ってSMAPみたいになってきたな。それはない(だってやりたいと思ってたことと全然ちがうことやってるし)んだけど、それにしたって色々去来するものはあったりするわけです。

 うーん、なんか今日はやれやれ話が多いな。あ、こないだ日本に帰った時にPS4のスーパーロボット大戦を買ってきてこれも何年ぶりだろ…やったんだけど難易度の低さがちょうどストレス解消というか…まあいい感じであっという間にクリアしてしまいました。最後の方はちょっと流石に簡単すぎたけど。しかしロボット図鑑とか、昔の方が全然充実していた気がする(昔のはそれを読めば話がほとんどわかったけど、今回は僕も全然知らないお話については最後まで人間関係とか把握しないままにクリアしちゃった感じ)…。

あーまた9月11日が来るね。
 夏休みが蒸発し、出張になった話は書いた。まあ出張先は東京なのでそこは経費で…ということで、仕事が始まるまでの数日間はお休みを頂き(頂きていうかそもそも休みのはずだが)前倒しで帰国し、また激しく移動してきた。休みというと移動が入り、それがやたら頻繁というかなんというかなのは、もう自分の癖なのかなんなのか、よくわからないけどそういうものだと思う事にする。

 そもそも今回の出張は直前までもめ、さすがに味わったことないくらい予定が決まらない出張だった。そもそもは休暇の予定だったのが出張になり、その開始日も二転三転し、前日の夜になって突然デザイナーからサンプルを要求されてそれをピックアップする必要が発生したので朝の便を断念、もう夜香港から抜けるしかないかなと思ったら朝のピックアップと打ち合わせがうまくいきすぎて終わってから探したら午後便(広州ー東京は基本的に午前午後2便)に空きがあって間に合う事がわかり猛速で空港に向かって無事夜には日本についたんだけど、そもそももう翌朝行動開始だと思ってた(しかも旅に出るデザイナーを追いかけて即どこかに旅に出なければいけないと思っていた)から予定をゼロに戻していて…みたいな感じで。

 で、何をしようかと思った時に京都方面からお呼びがかかり、それだけじゃあなあと思ってぼんやりしていたらそういえば広州に住んでるし(?)甲州ワイン飲むのもいいかなと突然思いまして。しかも甲州(というか地名としては勝沼)にはお嬢の名前を冠した(わけではなく偶然の一致)有名ワイナリーもあるので、翌月に控えたお誕生日プレゼント狩にもいいかなということで、山梨に行ったのでした。
 しかし山梨って西日本へのアクセスが死ぬほど悪いんですね。一応東京から一泊ごとに西に行く、みたいなルートを想定していたんだけど、ちゃんと組み立ててみると結局山梨からは一回東京に帰ってきて新幹線で京都に行った方が結果的に近いという…なんか無駄な気がするんだけど。

 まあともかく早朝の高速バスでぶどうの里、勝沼についてまずはギフトを…と思い有名ワイナリーに行ったんだけど、まあひどいですね。ひどいというといいすぎなのかな…現場では10種類以上をテイスティングできるんだけど、その内10を片っ端から飲んで、かなり悲しい気分になりました。その中で一番ましだったやつ買ったけどさ…。仮にも国際的に評価されていると謳うブランドでこの程度か、という。まあただこれは育て方とかもあるのかもだけど、主に種の限界な気もします。知らんけど。まずくはないけど、薄い…。こんなもんちょっと強い料理とあてたら水以外のなにものでもないような…のわりにはかなり強気な値付けでした。国内産で税金かからないのにこれか、というのが悲しい気分です。ちょっと前なら日本は人件費高いだろうからなあ…とかよくわからないことで納得?したかもだけど、いまや日本賃金安い国な気もするし。

 そして次は駅に向かいつつ町営?のぶどうの丘という施設へ。ここは名前通り丘だか山の上にあり、横に温泉もあり、地下に1100円で地元産のワインを数百種類だかをテイスティングし放題ということなんです。ジャパニーズワイン、というかそもそもワインに詳しくない僕としても、それだけ一回に飲めばなんかしらの基準ができるのではないかと思ってトライしました。
 結果、あれは地獄ですね。味がしないのが一番まし、まずいものは口に含んだ瞬間吐き出したくなるレベル、いや誇張とかじゃなくて。なんなのきみたちこんなので金とるの?っていう。いや勉強になりました…。幸いテイスティングなので横にバケツがあり、本当に吐き出して事なきを得ましたが、水もほしかったわ…。。そんな感じで、こちらにおいてあるワインは先の有名ワイナリーに比べて価格は妥当(1500円前後〰)で、質もその程度に低いという。まあ海外のものでも1500円だせばもっとまともなものはいくらでもありますね。うーん勉強。

 そのあとは京都で謎にデートしたりトロッコ列車のったりやたら歩いたりしたけどその辺は割愛。とりあえずそんな小旅行でした。ていうかこれを書いている途中にキャンセルした甲府の宿のキャンセル料金振り込んでくることを忘れたのに気が付きました。やれやれ。そして週後半は誕生日をオフィスで迎えるような激務でしたとさ。


 なんか今回1週間くらい、おそらく今までで最長の日本滞在だったせいか、なんか一気に里心がついたような気がします。なんていうかやっぱ日本いいよね。中国のだるさが全くないよね。いいよね。っていう…食べ物にしても、街を歩くにしても…。ただ表向きは中国屋で売ってる?以上、そんなことは表ではあまり言うべきじゃないとおもんだけど。日本のイケてなさも同時に感じるんだけど、やっぱり母国だし友人も多いし楽だし空気もきれいだし、自分がなにやってるんだろう(そして正直広州に戻りたくない感)も沸いて来たりして。東京にいたときはいたときでそれなりの窒息感があったはずなのに、自由であるはずの海外にくるとそれはそれで色々考えてしまうわけです。
 そういう時に思い出すのは、とても子供っぽいけど「東京ディール協奏曲」という本。ハローワークかどこかでファンドの求人を見つけ参加した若者が業界の変わり者有名人に買われて…というある意味でのファンタジーなんだけど、その有名人は本当に気軽に明日は香港、明後日はドバイみたいな生活をしていて、それにあこがれるんですよね。いやなんか子供っぽいんだけどね、知ってるけどね。僕がお嬢をおいかけていろんなところに行くのも、一部そういうことをやってみたいなっていう欲というかなんというかがあるのも事実。「じゃ、明日台北の民権東路でランチしようか」って。
 
 なにが言いたいかって、僕はやっぱり東京ベースだけど根無し草、みたいな生活が自分にとっての理想なんだろうなと。まあそれにはそれに値するくらいの売上がないとありえないのも事実なんだけど、ならそこを目指せばいいかな、とも思うんですよね。いや普通のサラリーマンでそれは基本的にあり得ないし、かといって独立したらどうしても専門特化せざるを得ないので、本物の大家にでもならないかぎりやっぱりそんな日は永遠に来ないんだろうけれども。


 今回誕生日に、とても意外な人から複数連絡をもらいました。19くらいの時に付き合ってた当時の彼女の親友(僕とも仲良かったけど、その彼女と別れたことにより連絡取らなくなった)、そして前の会社の同僚…この人は前の前の会社の時の担当で、僕がそっちの会社に入った後も直接の仕事ではあまり関わらないながらに色々情報交換したりしてたけど、そこをやめて中国に行ってから連絡が切れてて。でも僕が自虐的誕生日投稿で自分の会社の名前を出したことで「あれ道化さんいまその会社?同僚がそこに転職したけど」みたいな話で連絡をくれて。その会社に行ったことは公にはしてなかったけど個人的には伝えていたつもりで、伝えてなくてごめんなさいな話が原因でしたね。
 それ以外にも高校時代の親友(歌手)が6歳下と結婚したとかいうニュースが来たり、誕生日の夜前の会社の人と飲んでたら、そのチームにいた別の後輩が偶然同じ店にいて乱入して来たり(しかもそいつ、もしかしたら10月から僕が今いる支社の支援部署にくるかもと)なんか数日で一気に昔の思い出が色々帰ってきたのでした。今回会えなくて「次回必ず!」っていってた人も含めて次回帰国時のディナーは相当楽しそうです。

 ところで日曜夜にまだ会議している俺…
 ※愚痴です


 別に何か文学的なことが起こったわけではなく、夏休みがなくなりました。まあ日本の会社だとそもそも1週間もねえよ夏休み、と言われるとなんとも言い返せないのですが。

 まあでもいいことというか…実は都合よかったりするんですよね。人生で何度もない1週間休みが消えたという意味では恨み骨髄なんだけど、この直前になるまで行先が決まらなかったり色々したので…。

 本当は(書いたっけ)シンガポールにお嬢と行く予定だったんですわ。あとSGに他に友達いたんで、その友達と会いつつ…と思ったんだけど友達は出張はいるわお嬢は連絡取れないわ…

 そう、お嬢はなんというかうたれ弱いんですな。流石に優雅なというか立場のあるお暮しをされていただけあって、自分が追い込まれることに慣れてない感じ。追い込まれると逃げるのは万国共通というか俺もそうなんだけど、それが顕著な気がします。だから忍耐強く…って何やってんのかな俺。まあでもいいの。

 で、半分諦めつつ悟りの境地で雲南省の山奥まで追いかけ続けたところやっぱり彼女のそもそものSG行の動機であった友達がいないらしく…まあ引っ込みがつかなくなって言えなかったんですな。そんなことでSG訪問を核に組み立てた僕の計画は吹っ飛び、さてあと2週間でどう計画しようアメリカは去年行ったしヨーロッパは今じゃないし、という…そんなところに転がり込んだ休み直後にコンペという。


 このコンペもむかつくんですよね、ある大きなプロジェクトの一部で、そもそも僕らが受注していたはずなのにルールの不備を突かれてコンペを再度やらなきゃいけなくなって、当初はクライアントもその流れ上「うちで」と言ってたところがふたを開けてみたら強力なライバルを出場させていて、お前あたまおかしいんちゃう?ていう。こちらの上層部からしたら本来コンペになるはずじゃなかった以上取れて当然だし、客は「まあ君たちいい提案を期待しているよ」だし。まさに前門の…あとこの内容、僕たちは流れの中でくりかえし説明してしまっていて、質の高さは保証できるけどクライアントにとって既視感がある内容ばかりになってしまう(そりゃすでに提案してるものなんだから当たり前なんだけど)。でもコンペだとやっぱり新しさ(というかサプライズ)を求められるわけで、でき試合だってわかってればあるべき論(=結果として以前のものと同様なんだけど)で提案できるけど、さてじゃあどう新しく見せるか…。
 まあそんなことを考えながら、でもひとついい(かも、な)手を思いついて、週明けに試そうかと…もう提案の内容で勝負してもしゃあないかなと…。どうなることやら。結構周囲のプレッシャーもきついしなあ…。

 とはいえ、夏休みの前半は東京も動いてないので、せめて会社の金で帰って、前半は温泉でも…と思うんだけど日本ももろにお盆だからきっとどこも空いてないんだよね。どうなんだろうなあ…。


 まあそんな毎日です。

楽しい日と地獄

2017年7月28日 日常
 前の日記からもう一か月経とうとしているのか…。

 今日ようやく少し時間と書くことができて、ここに再び。この一か月何をしていたかと言うとそれもあんまり定かじゃないのですが、まあ少なくともひとつは仕事で撮影をしていたのでした。なんか僕って別にクリエイティブという人ではないのですが、動画のアイディアを協力会社に出させてたら全然つまらないのでしかたなく自分で考えたら我ながら結構面白いアイディアだしちゃって、結局その案で実行することになったもので僕がいわゆるクリエイティブの人を兼ねるような形になり、そうなると色々深くコミットしなければいけなくなり…と。

 で、今週撮影だったのですが金の節約のこともあり、6日の予定で制作会社から出てきたのをぎっちぎちに詰めなおして5日に縮めたりしたおかげで、ひどい撮影スケジュールになったのですよ。でも日数で金が変わるって言われて、無駄のあるスケジュールが出てくるとねえ…具体的には

Day0 撮影とは関係ない別件で26時終了
Day1 7時撮影開始、26時過ぎ解散
Day2 7時半開始、26時半解散
Day3 4時出発、23時解散
Day4 6時半出発、18時解散

という感じ。Day4の後半(本当は24時過ぎまで予定)とDay5=明日は出張で東京にいくので他のスタッフに任せたのですが(明朝6時出発…)。いやあ並べると今日6時半出発がなんか遅いみたいだな。まあみんな移動中はガン寝だし、というか撮影しながら政策会社の社長(兼ディレクター)も寝落ちてるし、みんな大変な現場でした。俺らはそれでも交代できるからまだいいけど、制作メンバーは大変です。といっても広告の製作なんてまじ大変で寝ないのが普通とかだから…ってそれが普通なのもおかしいんだけどさ。

 ま、色々大変な撮影だったけど楽しかったは楽しかった。日本にいたら自分はクリエイティブやらないしなあ…。勉強にもなったし、今までの自分の断片的な知識を色々使ういい機会でもありました。この先もトラブルは多そうだけど…僕は広告屋の中でも特殊なことをやってるせいであんまり人に紹介できるような仕事が少ないんだけど、今回のは数少ないそういうものになると思います。


 あとDay0の前の日かな、ちょっと楽しかったのが最近またちょっと復活してきたご近所の美人さん。なんか突然家に呼ばれてだらだらワイン飲みながら彼女と、あとルームメイトのゲイ(すぐ引っ込んだけど)と飲んだんだけど、なんか久しぶりに楽しかった。下手したらここ半年で一番くらい。別に何かテーマがあったわけでもなく、最近あった話、彼女の転職、僕の仕事、クレヨンしんちゃん、なぜか韓国語音声のNARUTO、などなど…つまらなさを言葉にするのは案外簡単なんだけど、楽しさってむずかしいよね。
 そんな彼女、家が50mなので大変便利だったんだけど、近くの都市に引っ越してしまうことに。なんか残念。でも距離感に迷っていたからある意味でさっぱりするということではあるんだけど…まあこれは卑怯な考え方だな。


 明日から日本で、ちょっといつもより長く、ちょっとした任務。時間がタイトすぎてどうなるかわからないけど、それを夏休み前日のプレゼンまでにやりきって、そのまま流れで夏休みに突入する=夏休み準備の時間がなさそう。。大丈夫かな。
 たまには旅日記と重たいこと以外の事を書こう、と思って割とどうでもいいことを。


 今弊社の小僧とお客様のおばちゃんの間で抗争が起ころうとしています。明らかに仲悪い、でも基本、こちらは日本人が少なく、役職もある程度選択の余地なく決まってるので相性がいい悪いとかじゃなく、担当しなければいけない。まあそうなりゃなったで大人になれよ、というのがセオリーなんだけど、相性悪いものは悪いんだよね…どうしようもないよね…という感じで、お互い辛…いやまだ憎みあってるだけだな。

 で、昨日そのおばちゃんのほうにお招きをいただき、ご自宅でご飯をごちそうになっている最中、酔っぱらって「あいつとは一回飲まないとかいかんな!」って吠えてたわけですよ。で、うっかり「それって『説教しなきゃ』って意味ですよね?」って聞いちゃったら座った眼で「そうだよ」って…ああこわい。

 一方小僧のほうも「あのばばあ」と毎日殺気立っているので、ひょえええなわけです。そしてその二人がかみ合わないと僕にプレッシャーがかかるので本当にやめてほしい。


 そんなことを思いながら仕事をしています。なお、大プレゼンが来週くらいに控えていますがわりと楽勝な週末を迎えています。いや俺以外結構みんな死ぬ気で働いてるけどな…なんかなんていうか、いまのクライアントのプレゼンって規模がでかいせいなのかすごくシステマチックになってしまっていてつまんないんですわ。
 他人事っぽく言ってしまうけどなんていうか精緻に作ってあるのは痛いほどわかるんだけど、それだけに意外性がなく、ストーリーとしてぐだぐだ。精緻に作ったものをそのまま精緻に見せてるからなのか、「情報量に圧倒されるが、何言ってるのか結局わからん」というのがね…かといって、なんというかこうなってしまうのは業態上しょうがないのはわかるんです。言わなきゃいけない、おさえなきゃいけないポイントがほかの業態に比べて以上に多いから。
 でもなあ、それにしても飛躍がないなあと毎回思うわけなんですね、で、カバー範囲が広すぎて、言ってることが浅い。いや準備してる内容は浅くないんだけど、それは準備してるから知ってるんだけど、それでもプレゼンでしゃべれるのこれだけかよって、。俺こういうプレゼン3つ連続で聞きたくないな(そのうち1社は弊社ですけど)ー。

 プレゼン終わったらみんな休暇をとったりするので、僕も(別にプレゼンで大変とかじゃないけど)調子に乗って撮影と言い張って10日くらい広州からいなくなろうと思ってます。そして次の週は東京出張にかこつけて温泉にでも行こうかな…という…で、8月の休みはどうしようか、おそらくシンガポールは入るけど、それだけだと7日間はないのでのこりをどうするべえか。

 あ、あと久しぶりにヘヴィな食あたり?食中毒?になりました。ある日っていうか金曜の朝方5時前かな?謎に異常な寒気で起きて、あこりゃ生命的にやばいと思い瞬時に風呂を沸かし、冬用の布団をひっぱりだしてくるまってちょっと遅くまで寝たけどやばい感じで。で朝は僕がでないとやばい打ち合わせがあったので無理やり出て、そのまま家に帰って3時間くらいひっくり返って夜からまた会社に顔を出し、また死んで…という感じで週末だったのでした。なのにお呼ばれという…地獄か。ということで今日は代わりにひきこもってましたが。先週もそういえば引きこもってた気が…やれやれです。

肉寿司香港

2017年6月12日 日常
俺は何のために…

 ちょっと香港に行ってました。まあ「ちょっと香港に」行くこと自体は別に普通なんだけど、マジ意味なかった気がして。一応打ち合わせと言われてついて行ったんだけど多分上司がさびしいから一緒に来いって言われただけだなという感じ。

 ということで、肉食いました。ちょっと日本語を話す謎のおにいちゃんが経営する焼肉+和食屋、確かに食べ物のレベルは高い。しかし香港あるあるで、わりと立派な値段の割に机椅子が悲しいほど安く、席と席の間隔も狭い。なんでだ。いや土地が高いせいなんだけどさ、それにしたって食い物の値段も質に対して高すぎるんだから別にいいんじゃないちょっとゆったり作っても…と思わんでもない。
 でもそうやって収益がある程度確保できるから給料がある程度高いとかあるのかな、いや香港の飲食業の給与水準知らないけど(ただ町場の食堂とかを含むと含まないのではかなり変わってくるとは思うけど)。でも悲惨といわれる日本よりはいいんじゃないかな…いや僕も別に関係者じゃないから詳しくは知らないけど、一店舗経営でちゃんとある程度の成功を収めてる(潰してないって意味ではなく、稼いでいる)人ってどれだけいるんだろうな。
 
 で、次の日もなんか適当な打ち合わせ?を2時間もしないうちに「飯にしよう」ってんでバスにわざわざ乗って寿司屋へ。これも至極まっとうなっていえばいいの?まあおいしい寿司屋でした。寿司も肉もなんかもったいない気がして普段あんまりいかないからよくわからんのよ。理由?だって加工が少ないから店で加工賃のっけて出てくるのが解せないのよね。いや寿司は別に加工少なくはないんだろうけど…。個人の感想です。
 
 んで僕は別件が大燃えしてたんで早食いして電話会議しながら会社に帰り(なんかできる人みたい!)、それが長引いてる間に話は始まって終わったらしく、そして合流して後始末してたら台風で警報でててやべえ電車全部止まるぞ!ってんであんま忙しくもないために早々に諦めて明日帰るモードになった上司を置いてダッシュで帰ったのでした…いや動いててよかった。

 ということで何もしないままに帰って来たのでした。寿司なんて金払ってすらいないしな。


 さて、最近なんか帰りたみ(ちょっと今っぽい表現!)が増しています。なんだかわからないけど…日本に帰りたいというより、広州にいたくない、ってのが強いんでしょうけど。どうしようかな…バンドとかはいいんだけど、なんかこうつまんねえなあ、ってのが強くて。つまんないでもないかな、発展が見えない感じがつらいのかも。そのために僕はここに来たはずなのにって。ゆったり暮らすなら日本のほうがいいもんなあ…。でも日本に帰ったところで楽しい仕事があるわけでもなし、こんな色々飛び回れるわけでもないし、絶対こっちの方がいいんだけどさ。まーちょっと東京の友達が恋しいとかもある。正直。

 まあちょっとしたもやもや期。

 でも今ってこう思った時にどうでもいいことをFacebookチャットとかで話す相手はいるし、昔のこういう立場の人に比べれば通信手段もあれば娯楽もあって、だいぶ楽なんだよね。いやホント贅沢だと思うよ(かわりに仕事も格段に大変になっているんだけど)。


 最近時間の使い方について色々考えている。ちょっと話題になっている経産省の若手次官レポートにしてもそうだし(誰かが「経産省の輩は変な色気があるからどうもいかん」とか言っていたことを思い出す)、Twitterでよく読ませてもらっている誰それにしてもそうだけど、結局医療やらなにやらの向上で健康寿命が延びる一方国の保護はどんどん減り、両方の理由から実質的に定年はどんどん遅くなっていく。これはおそらく確実だろう。そうすると、今までの「20代基礎、30代から一線の戦力になり、40代以降はなんとなくそこで得たものを組み合わせて食っていく」ということではやっていけなくなる。まあこの辺のこともすでに語られていることではある。

 そういうことを自分に当てはめて考えた時に、今は(まったく意図していないけれども)悪くないスキルの積み上げかたをしていると思う。いる業界自体は必ずしも成長産業とはいえないけれども、それでも急に減る/なくなるということは考えづらい。また日本が世界の中である程度の地位を占めていること、そして文化的なコンテキストの影響が強いため、グローバルに統一されづらい性質であること(それは逆に日本企業が海外に進出しづらい、ということでもあるのだが、それはさておき)も追い風と言える。

 そうした業種切り口ではなく個人のスキルを考えてみても、語学でいえば英語はなぜか(本当に今でもよくわからん)できるし、中国語もそれなりのレベルではある。ただこれらは当然ネイティブに勝てないどころか、対ノンネイティブで圧倒できるというレベルにはまだない。英語は80或いは90%のノンネイティブよりはうまいと思う…というとそれでいいじゃないかとなりそうだけど、結局英語の映画を字幕なしで見るとたまに話の筋が全然わからない程度のレベルだ。だから周りと比べていいことに、あまり意味はないと自分でも思っている。中国語に至っては「生活にはまったく困らんけど…」レベルだ。1年働いてるのに困ったもんだ。

 ほかのスキルを自分で棚卸しようと思ってもなかなか名前の付いたスキルがないのがつらい、というのが一個の発見かもしれない。「〰できます」みたいな。車の運転くらいはできるけど…。パワポはある流派のかなり上位ではあると思うけど、所詮1個のアプリがうまく使えます、という話でしかない気もする(現代・特に広告業界において非常に重要であることは確かだけど)。


 話を戻す。時間というのは(よく書かれている/言われていることではあるけど)意図しないと本当に簡単に過ぎていく。あっという間に。だけどそれを学ぶことに使うと、意外に使い出があることも事実だ。体感時間が短い長いという話ではない。なんでだかはわからないけど、そういうものなんだと思う。
 だから何をするか具体的に決まっていなかったとしても、「何かをしなくてはならない」と心に常に留め置くことは本当に重要だと思う。だらだらした2時間と、勉強に集中した2時間で得られるものはやっぱり違う。2時間というとなんか長い時間のようだけど、じゃあ君は昨日会社から帰ってきて暇な時間は2時間なかった?ということだ。あったはずで、その時間僕はPS4をやっていたわけだ。いやPS4が悪いのではなく、それを意識したうえで選択するならば別にPS4だっていいのだ。意識せず、だらだらと時間を浪費していることこそが問題の核心なんだと思う。そして繰り返しになるけど、浪費していることに、その最中にはなかなか気づけない。

 
 海外で暮らしているということに、いまだに違和感がある。それは仕事場がそれなりに日本語環境であるせいもあるだろうし、別に言語が違う環境であろうとあまり違和感を感じない自分の鈍さもあるのかもしれないけど、数日に一回(なり数週間に一回)なり、ふと「そういや外国にいるんだな」と気づき、変な気分に襲われるということを飽きもせずに繰り返しているというのが偽りなき現状だ。
 その違和感は昔震災のころ、がれきだらけの西宮の街を歩きながら「あーなんか映画のセットの中を歩いてるみたいだな」と感じていたのと近い気がする。カクテルパーティ効果じゃないけど、人間はきっと違和感を常に感じながら生きてはいけない。そんな敏感で居続けたら疲れてしまうから。だけどやっぱりずっと鈍感でいることもまた不可能で、どこかでそういう揺り戻しがあるんだと思う。
 普通の、というか中国語が分からない人・環境に慣れられないにとってはそれは毎日直面する違和感なんだろうけど、まあ僕のように生活上困るわけでもなし、だけど複雑なことはちょっとね、という中途半端なレベルだとそういう事なのかもしれない。

 またわき道にそれた気もするが、要するに書きたかったのは、おそらく数年経って日本に帰って、僕は「あの頃は夢の中にいるようだった」ときっと感じるんだろうということ。そういうわけなのでちょっとメタ的だけど今は「夢の中にいることを自覚しながら暮らしている」人なわけ。これはある意味でとても気持ち悪いというか座りが悪いというか。で、夢だったら別に時間なんか関係ないはずだけど、これは現実だからそうもいかない。夢の中でも休まず修行しないと、あとで困ったことになるわけだ。
 だったら何をすればいいんだろう。中国語能力を磨くべきというのが素直に出てくる当面の答えなんだけど、本当にそうなんだろうか。いやそれは必要不可欠として、それ以上を考えなくていいんだろうか。そしてゴールがないとプロセスに分解もできないわけで、「動かなきゃいけないはずなのに動けない」というもぞもぞもさが僕をさらにいらだたせるわけです。


 あ、9時半インプットは無事第一回を終えました。続いていくことを望むばかりです。いや自分事だけど。

 あとは最近ちょっと睡眠の事をちゃんと考えた方がいいなと思ってます。勉強のようなある程度のエネルギーが必要なことをできる力て、なんか睡眠が+α必要な気がするんですね。「眠い」の一歩手前に集中力を阻む何かがあります。そういうことも含めて生活ルーチンを再度見直すこともちょっと必要かなと思いつつ、それもどこから手を付けていいやら。一個前の記事に書いた暇っていうのは要するにこの中間の段階というか意味のある、まじめなことをするのにはきついが、さりとて寝るには早い、みたいな状態なのよね。これ超無駄な気がするわけ。


 最近日記を書く頻度がめっきり減ったわりに書き始めると長いよね、知ってる。まあ自分では「いつ書かなくなるんだろう」と疑いながらももうこんなに長い間書き続けているって面白いなって思います。いやわがことながらね。
 それはともかく、人間関係の話。こないだ時々参加する交流会的なやつに参加してみたんだけど(前も書いたかも、日本語を学ぶ大学生が多いのでボランティア気分)、そこでなんかやたら日本語が達者な中国人の若い男の子(京大にいたらしいけど、普通の留学生レベルじゃなくうまいし語彙も多い)と同じテーブルになりました。で、その時は何もなく、こないだ全然関係なく某マッチング的アプリでマッチした人に「あなたはもしや。。。xxさん?」ともろに本名を当てられ、若干どころか大幅にヒキながら聞いたらその交流会にいた女の子らしく、でも会場では話してないからあんまり印象がなくて…でまあ日本人少ない会だったから覚えてたのかな?と思ったら、要するにその元京大留学生の彼女だったらしいんですな微信の日記を見るに。やーこわい。というかお前彼氏いんのにこんな遊びアプリ使ってんのかいっていう…どうすんねん(多分どうもしない)。

 前も書いたような似たようなことを書くと、僕は中国語とマッチングアプリ様のおかげで(うそ、それだけじゃないよ)わりと周りに友達が多いです。いや普通の人に比べたら少ないでしょうけど、外国人駐在員としてはおそらく多い方なんだろうなと思うわけ。特に気にせず適当に飯を食ったりする相手とかもね。でもそれでもつまんねーなと思うし、やっぱ日本に帰らなきゃなーとも思うわけです。というか危惧した通り、おそらく日本での自分のネットワークはわりとズタズタのはずで(それなりに帰ってるのにね)、そこらへんどうしたらいいんだろうなーまじ。もっと帰らなきゃかなー。

 あ、あと7月にすげー大きなヤマがあるんですが、うちのボスの一人がそれに勝ったら上海に支社をつくるとか言い出してる模様。勝てる見込みが怪しいプレゼンではあるけど、そうなるといいなー。いや、僕だって努力はしますけどね。いずれにしろ、上海行に関しては具体的な絵図を書かにゃいけない段階には入っていることが確実で、とはいえ材料がねえんだよな。ちょっと文字にしてみようかなとは考えています。

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