そしてこの日がこの旅の目的、その日でした。といって別にあれで誰かを失ったわけではない僕がここまでこだわるのは結構奇妙だな、と自分でも思います。でもまあ、何が理由か自分ですらわからないのだとしても、そういう衝動に駆られたのです。それだけ。
グラウンドゼロで行われる式典には当然といえば当然、資格がないと入れないというのは前から知っていました。場所の関係で遺族すら全員は入れない?みたいな事も読んだ気がしていて、まあでも近づけるところまで行ってみるかという程度でしかなかったんだけど、やっぱり同じ事を考える人はいるもんだというのが結局のところ。ちなみにメモリアルの資料館のようなものも出来たのですが、こちらは一般公開が一瞬差の14日から、しかもウェブで時間枠を指定して事前申し込みをしないといけないということで、あきらめです(http://www.911memorial.org/)。ちなみにこのサイトでは、あの日に起こったことが時系列で見れるようになっています。クルーとの交信記録や当時の映像など。
旧WTCの一個前の駅で降りて地上に出るともう結構人がいて、まだ結構離れているのに、すぐに道路が封鎖されていました。そこにもう報道がうろうろしてたのでそれ以上前にいけないのかと思ったんだけどまあまだ時間もあるし、ということで回り込んでみると、北からのアプローチに比べて東側は割合近くまでいけそうだったのでそちらへ。西と南はほぼ海ね。
で自然とグラウンドゼロに近づきたい人はみんなその一本の広い道路沿いに黙々と歩く、って感じになって、その流れとともに南へ。すべての通りには警官が張付いていて、相当な動員だったんでしょう。僕はそれを眺めて「この人たちにドーナツ全部ただで配ったらダンキンドーナツ破産するな」とかアホなことを考えていました。
この時点でその通りには結構人がいるんだけど、なんかその通行量の割りにやたら静かで、それが異様さをかもし出していたように思います。別にみんな沈黙してるようでもないのに、やたらと空気が重くて。こういうのこそ文章にできるものじゃないよ。なんていうのかな…それこそ借りてた部屋みたいに吸音材がどこかにあるみたい、っていうのがたとえとして近いのかな。
ちょうどトリニティじゃないほうの教会(St.Paulかな)を越えた辺りで8時46分を迎えました。近くにあるトリニティ教会が鐘を鳴らしていましたが、特にその瞬間にみんなが黙祷するとかそういったことはなく(多分中ではやってたんでしょうけれども)、割合あっけない「その時」だった気もします。僕は空を見て、ああ10年前NHKで見た時も空は同じように晴れていたなというのを思い出していました。
その後いけるところまで南下し、WTCを通り過ぎて何もなくなった辺りで引き返して、この関連は終わり。何が起こったかといえば特に何も起こらない、でもそれでもそこにいることで何かがあったとは思います。そうそう、やっぱりというかなんというか、宗教(多分キリスト教)関連が目を引きました。小冊子配ったりして。アラブ系ぶっ殺せとか言ってるやつがいるかと思ったけどそれはなくて、でも「あれはブッシュの陰謀」とか大声で演説してる人とかはいました。野次馬にはどうみても田舎から来ました!って感じのバイカーの集団がいたり、やっぱりアメリカ人にとっても大事件だったよね、というのを再認識して。
ああ、アラブ系ぶっ殺せで思い出したけどDCで夜ホテルに歩いて帰るときに通りすがりのガイド?かなんかのお兄ちゃんに「日本人?」って声かけられてちょっとだけ話したんだけど、「俺が日本を好きな理由はイスラム教徒がいないからだよ!それが日本がすごい秘訣だ!」とか言われてどう答えろつうのよーという感じになっていました(最初は空手習ってるとか俺の車はホンダだ!とか言ってたから日本を好きってのはある程度本当みたいだけどね)。「んじゃキミは中国も好きに違いないね」って軽く返したら「いやいや中国には新疆ウイグル自治区があるだろ」って意外にちゃんと知ってる答えが返ってきて逆にびっくりしたりね。よっぽど近くに住んでる日本人だってそこらへんがムスリムって知らない人のほうが多数派だろうに…あなどれん。
そんなこんなで、朝以降の別の話題はまたアップします。
グラウンドゼロで行われる式典には当然といえば当然、資格がないと入れないというのは前から知っていました。場所の関係で遺族すら全員は入れない?みたいな事も読んだ気がしていて、まあでも近づけるところまで行ってみるかという程度でしかなかったんだけど、やっぱり同じ事を考える人はいるもんだというのが結局のところ。ちなみにメモリアルの資料館のようなものも出来たのですが、こちらは一般公開が一瞬差の14日から、しかもウェブで時間枠を指定して事前申し込みをしないといけないということで、あきらめです(http://www.911memorial.org/)。ちなみにこのサイトでは、あの日に起こったことが時系列で見れるようになっています。クルーとの交信記録や当時の映像など。
旧WTCの一個前の駅で降りて地上に出るともう結構人がいて、まだ結構離れているのに、すぐに道路が封鎖されていました。そこにもう報道がうろうろしてたのでそれ以上前にいけないのかと思ったんだけどまあまだ時間もあるし、ということで回り込んでみると、北からのアプローチに比べて東側は割合近くまでいけそうだったのでそちらへ。西と南はほぼ海ね。
で自然とグラウンドゼロに近づきたい人はみんなその一本の広い道路沿いに黙々と歩く、って感じになって、その流れとともに南へ。すべての通りには警官が張付いていて、相当な動員だったんでしょう。僕はそれを眺めて「この人たちにドーナツ全部ただで配ったらダンキンドーナツ破産するな」とかアホなことを考えていました。
この時点でその通りには結構人がいるんだけど、なんかその通行量の割りにやたら静かで、それが異様さをかもし出していたように思います。別にみんな沈黙してるようでもないのに、やたらと空気が重くて。こういうのこそ文章にできるものじゃないよ。なんていうのかな…それこそ借りてた部屋みたいに吸音材がどこかにあるみたい、っていうのがたとえとして近いのかな。
ちょうどトリニティじゃないほうの教会(St.Paulかな)を越えた辺りで8時46分を迎えました。近くにあるトリニティ教会が鐘を鳴らしていましたが、特にその瞬間にみんなが黙祷するとかそういったことはなく(多分中ではやってたんでしょうけれども)、割合あっけない「その時」だった気もします。僕は空を見て、ああ10年前NHKで見た時も空は同じように晴れていたなというのを思い出していました。
その後いけるところまで南下し、WTCを通り過ぎて何もなくなった辺りで引き返して、この関連は終わり。何が起こったかといえば特に何も起こらない、でもそれでもそこにいることで何かがあったとは思います。そうそう、やっぱりというかなんというか、宗教(多分キリスト教)関連が目を引きました。小冊子配ったりして。アラブ系ぶっ殺せとか言ってるやつがいるかと思ったけどそれはなくて、でも「あれはブッシュの陰謀」とか大声で演説してる人とかはいました。野次馬にはどうみても田舎から来ました!って感じのバイカーの集団がいたり、やっぱりアメリカ人にとっても大事件だったよね、というのを再認識して。
ああ、アラブ系ぶっ殺せで思い出したけどDCで夜ホテルに歩いて帰るときに通りすがりのガイド?かなんかのお兄ちゃんに「日本人?」って声かけられてちょっとだけ話したんだけど、「俺が日本を好きな理由はイスラム教徒がいないからだよ!それが日本がすごい秘訣だ!」とか言われてどう答えろつうのよーという感じになっていました(最初は空手習ってるとか俺の車はホンダだ!とか言ってたから日本を好きってのはある程度本当みたいだけどね)。「んじゃキミは中国も好きに違いないね」って軽く返したら「いやいや中国には新疆ウイグル自治区があるだろ」って意外にちゃんと知ってる答えが返ってきて逆にびっくりしたりね。よっぽど近くに住んでる日本人だってそこらへんがムスリムって知らない人のほうが多数派だろうに…あなどれん。
そんなこんなで、朝以降の別の話題はまたアップします。
DCの朝は目覚まし自分の携帯でかけるから大丈夫といわれて任せたらうるさいから止めるというとても日常的なことをされ、ちょいと寝坊。それでも僕の眠りがやたら浅いせいでまあまあな時間には起きれて、ちょっとスタバでマフィンとか買ってきて朝ごはん食べつつ行程を確認し、出発。
今日はスミソニアンの日、ということで、FBIの本部やらリンカーンの暗殺現場であるフォード劇場(という看板はあるけど改築されちゃって情緒のかけらもなし)を通り過ぎてスミソニアンへ。スミソニアン、というのは(当たり前なのかもしれないけど)ひとつの博物館ではなく、いくつかの博物館群のことだそうで(要するにスイス銀行みたいなもんか)、その中でまず目指したのはなんといっても月の石。だってほら、男の子ですし。
だけど、月の石は恐ろしく世界三大がっかりです。マーライオンなんてメじゃない、というかいまだにあれがあれだとは信じたくない…なんていうか最初ホントにわからなくて通り過ぎたくらいあっさりとした展示なんですよ。いや展示の仕方が悪いんじゃなくて、ものがちっちゃいからってのもあるんだけどね。
それよりはこの施設は戦闘機の歴史、って感じで見ていったほうが面白いかも。航空宇宙博物館なわけだしね。でもその見方だとなんでライト兄弟から始まるのかわからないし(飛行機の歴史というのなら当然あるべきジャンボジェットとかそういう血なまぐさくないものがない)、戦闘機の歴史って言ったところでなぜかF104があるのにF14とかF16のシリーズがなかったり、メッサーシュミットとゼロ戦があるのにP38ライトニングがなかったり、肝心の米国の戦闘機が足りなくね?というような疑問が。あとA10とかC130とか後衛(?)機は当然ない。そのくせラプター…じゃねえや、プレデター(アフガンやらで活躍?している無人戦闘機)とかSR71とか特異な機体がわりと幅を利かせていたり、何を言っているのかわからないと思うがまぁそういうことです。ちなみにお土産屋さんはさらにカオスで展示してもいない機体のプラモがおいてあった気がします。ちゃんとみてないけど。あと土産屋地下はなぜかスターウォーズ大プッシュ。何の関係があるんだ。なんか皮肉っぽい書き方になったけど、昔からよく写真やらその他色々でみていた天井から実物大戦闘機を糸でつるして、てのを実際に見れたのは大満足。男の子だからねー。
そして次は隣の国立アメリカ・インディアン博物館。これは管理人さんの希望だったんだけど…展示はなんかこう、しっくりこないものでした。順路がはっきりしない場所が多いのをはじめ、なんでここでその展示をしているのか順路らしきものをたどっていっても物語がまったく見えず、散漫。航空宇宙と違って僕に知識がないので展示の中身自体にはなんともいいようがないのでいいとしても、なんかもっと「見せる」意識が欲しいなあと思ったのでした。題材が派手とはいえないものなんだから一層そういうことが必要な気がするんだよね。
ただこの建物はとても素敵で、落ち着くデザインです。外見も素敵。wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8)見ると色々書いてあるね。あとエントランスでちょっとしたコンサートをやっていて、その出演者のレベルがやたら高かったのに驚いていました。普通の地元民とか売れないネイティブアメリカンのミュージシャンかと思いきやギターのコーラスのかけ方やらベースのフレージング(しかも六弦でフォデラ…100万円くらいはする楽器…っぽかったし)やらがなんていうか…ねえ?思わずCD買いそうになったのに買わなかった理由は自分でもよくわかりません。タイミングの問題かな。
その後広場の露店でケイジャンっぽいものを食し、軽くアジア美術を見て、再びバスに乗ってNYに戻ったのでした。なんかこの辺は管理人さんぐったりしていてあまりコミュニケートできず(前日1時間ちょいとかしか寝なくて、そこで体調を崩した模様)。僕も時差ぼけでずっと眠かった。管理人さん体調不良のため到着とともに解散、夜は結局ホールフーズの量り売りカレーその他を食べたのでした。コロンバスサークル駅上にあるホールフーズは前回も使ったちょっと高級スーパー。ウォルマートとかに比べれば鼻くそだけど1フロア丸々スーパーなのでそれなりの広さはあり、なんでもそろいます。あーでもアルコールは少ないかな。で、そのレジ近くにはサラダバーやらカレーバーやら惣菜バーがあって、割といい感じなのです。高いけどね。
一枚目: スミソニアン航空宇宙博物館
二枚目: 国立アメリカ・インディアン博物館のかわいい…トナカイ?
三枚目: この日じゃないけど次の日食べた昼のハンバーガーの店のレシート。しつこい笑
今日はスミソニアンの日、ということで、FBIの本部やらリンカーンの暗殺現場であるフォード劇場(という看板はあるけど改築されちゃって情緒のかけらもなし)を通り過ぎてスミソニアンへ。スミソニアン、というのは(当たり前なのかもしれないけど)ひとつの博物館ではなく、いくつかの博物館群のことだそうで(要するにスイス銀行みたいなもんか)、その中でまず目指したのはなんといっても月の石。だってほら、男の子ですし。
だけど、月の石は恐ろしく世界三大がっかりです。マーライオンなんてメじゃない、というかいまだにあれがあれだとは信じたくない…なんていうか最初ホントにわからなくて通り過ぎたくらいあっさりとした展示なんですよ。いや展示の仕方が悪いんじゃなくて、ものがちっちゃいからってのもあるんだけどね。
それよりはこの施設は戦闘機の歴史、って感じで見ていったほうが面白いかも。航空宇宙博物館なわけだしね。でもその見方だとなんでライト兄弟から始まるのかわからないし(飛行機の歴史というのなら当然あるべきジャンボジェットとかそういう血なまぐさくないものがない)、戦闘機の歴史って言ったところでなぜかF104があるのにF14とかF16のシリーズがなかったり、メッサーシュミットとゼロ戦があるのにP38ライトニングがなかったり、肝心の米国の戦闘機が足りなくね?というような疑問が。あとA10とかC130とか後衛(?)機は当然ない。そのくせラプター…じゃねえや、プレデター(アフガンやらで活躍?している無人戦闘機)とかSR71とか特異な機体がわりと幅を利かせていたり、何を言っているのかわからないと思うがまぁそういうことです。ちなみにお土産屋さんはさらにカオスで展示してもいない機体のプラモがおいてあった気がします。ちゃんとみてないけど。あと土産屋地下はなぜかスターウォーズ大プッシュ。何の関係があるんだ。なんか皮肉っぽい書き方になったけど、昔からよく写真やらその他色々でみていた天井から実物大戦闘機を糸でつるして、てのを実際に見れたのは大満足。男の子だからねー。
そして次は隣の国立アメリカ・インディアン博物館。これは管理人さんの希望だったんだけど…展示はなんかこう、しっくりこないものでした。順路がはっきりしない場所が多いのをはじめ、なんでここでその展示をしているのか順路らしきものをたどっていっても物語がまったく見えず、散漫。航空宇宙と違って僕に知識がないので展示の中身自体にはなんともいいようがないのでいいとしても、なんかもっと「見せる」意識が欲しいなあと思ったのでした。題材が派手とはいえないものなんだから一層そういうことが必要な気がするんだよね。
ただこの建物はとても素敵で、落ち着くデザインです。外見も素敵。wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8)見ると色々書いてあるね。あとエントランスでちょっとしたコンサートをやっていて、その出演者のレベルがやたら高かったのに驚いていました。普通の地元民とか売れないネイティブアメリカンのミュージシャンかと思いきやギターのコーラスのかけ方やらベースのフレージング(しかも六弦でフォデラ…100万円くらいはする楽器…っぽかったし)やらがなんていうか…ねえ?思わずCD買いそうになったのに買わなかった理由は自分でもよくわかりません。タイミングの問題かな。
その後広場の露店でケイジャンっぽいものを食し、軽くアジア美術を見て、再びバスに乗ってNYに戻ったのでした。なんかこの辺は管理人さんぐったりしていてあまりコミュニケートできず(前日1時間ちょいとかしか寝なくて、そこで体調を崩した模様)。僕も時差ぼけでずっと眠かった。管理人さん体調不良のため到着とともに解散、夜は結局ホールフーズの量り売りカレーその他を食べたのでした。コロンバスサークル駅上にあるホールフーズは前回も使ったちょっと高級スーパー。ウォルマートとかに比べれば鼻くそだけど1フロア丸々スーパーなのでそれなりの広さはあり、なんでもそろいます。あーでもアルコールは少ないかな。で、そのレジ近くにはサラダバーやらカレーバーやら惣菜バーがあって、割といい感じなのです。高いけどね。
一枚目: スミソニアン航空宇宙博物館
二枚目: 国立アメリカ・インディアン博物館のかわいい…トナカイ?
三枚目: この日じゃないけど次の日食べた昼のハンバーガーの店のレシート。しつこい笑
着いたと思ったらまた旅。
2011年9月9日 非日常
そんなわけで夜更かししたあと、この日も朝から移動。バスでワシントンDCです。マディソンスクエアの裏手乗り場付近で管理人さんと待ち合わせ、バスへ。典型的な長距離バス、ただしFree Wifi付という(ただしなぜか結構頻繁に途切れる)。またぞろよくわからない真面目な話とか彼女の恋の話とかそんなことをだらだら話しているだけで結構な時間にはなるのですね。4時間の道のりが結構短く感じた。でも移動ばっかでひざの調子がよろしくない。
早く出たおかげで、1時過ぎには到着。ちょっと町のはずれに下ろされるのでホテルまで少し迷ったりもしたけど、基本この町も通りの名前は縦が数字で横がアルファベット(逆?)なので、わりとどうにかなる感じ。やっぱ街の雰囲気がまたずいぶん違って、米国5年のくせにあまりアメリカ内を移動していない管理人さんは驚いていました。シカゴとNYも違うし、色々なんだよね。
お昼はホテルの近くがチャイナタウンってこともあって中華。Hunan Chickenとかいうメニューがあるからおお湖南!と思って注文したらあんかけの野菜と鶏をいため合わせたものをチャーハンに乗っけた謎の物体がでてきました。いや、それはそれで美味かったけどなんていうかアメリカンチャイニーズ!って感じ。でも案外辛かったんで一般人にはむかなくね、とも思ったけど。一緒に頼んだ水餃子は見た瞬間アウトだなと思ったらアウトでした。見た感じよく中国で冷凍で売ってる水餃子と同じ質感だったからね。
でチェックインしてちょっとごろごろしてたらもう4時とかで、あわてて本日の目的地ホロコーストミュージアムへ。ここは結局時間がなくて企画展しか見れませんでした。管理人さんがいきたい!というので組み込まれたものの僕はホロコースト自体はそんなに興味がなかったんだけど、特別展は「ナチのプロパガンダってすごかったんだぜ!展」ということで相当楽しく見れました。一応プロパガンダ研究は趣味のひとつで、ナチは戦争プロパガンダの例として本当によくでてきますから。企画自体はあんまりガチじゃないというかあまりそういうバックグラウンドの知識がない人向けという風には感じたけど、いいんですそこらへんは。
見ていていくつか気になったというか後で調べようと思ったポイントがあって、ひとつはこの洗練されたプロパガンダは何を参考にされて立案されたか、という点。プロパガンダ好きとか言いながらも恥ずかしながらそんな基本的なことなんだけど、例えば宣伝省のゲッペルスは非常にプロパガンダを重視していて先進的なアイディアを持っていたといわれるけれど、じゃあ彼は何を(どこから)学んでそういう結論を出したのか、ということを知らなくて。
さらにいえば、洗練されたプロパガンダは別にナチがはじめたものではないにも関わらずなぜそこで急に表舞台に現れたのか、ということも知らないなあと(一応展示の前段では第一次世界大戦の戦勝国が刷ったポスターの例なんかが載っていて、ここらへんからアイディアを得てますよ、みたいなことを書いていたけど)。まぁプロパガンダというのはようするにメディアを媒介としたコミュニケーションなので、ラジオやらテレビやらマスメディアが普及することではじめて圧倒的な影響力を持ちえた、ということは絶対に要素としてあると思うんだけど、それにしてもそれだけではない気がして。
ナチの話がすごく有名ではあるけど、太平洋戦争では日米両軍ともそういったプロパガンダ用の謀略機関を持って色々やりあっていたりもしていたようです。ここら辺に関してはなんか東大のアーカイブかなんかにそんなのがあった気がする。なんだっけな、OSS(CIAの前身)で働いた日系人の話とか。広い意味では満映なんかもそういう宣伝機関といえばそうで、甘粕やら李香蘭なんかもそういうところでは登場人物といえるんでしょう。
プロパガンダというのはどうしても悪いイメージがあるせいなのか、史実として研究する人はいても、それが学問(というか手法)として体系化されていないような気がして残念です。防衛レベルではもしかしたらそういう研究も行われているのかもしれないんだけど…知らないだけかな。例えば演説とかって色々テクニックというか小技があってそれを身体に叩き込めば相当違うと思うんだけど、「すごい演説動画」とかいって紹介されることはたくさんあっても、マーティンルーサーキングとヒトラーとスティーブジョブスの演説の共通点なんてプレゼンみたことない(って適当に並べたけどすごい面子だよなあこの3人)。自分の趣味研究でやってみようかなあ。誰か政治家かなんかが金だしてくれないものか。
ヒトラーなんかは僕みたいにドイツ語わからなくてもとても魅力的に感じて、内容わからなくてもひきつけるって究極だなと思います。言葉がわからないから逆に純粋に身振りとか語調とかをとらえる、というかそれ以外わからないから。でもヒトラーについては言葉がわかってないこともあって意外といつの演説がすごいってのを知らないんだな。ジョブスはi製品群の発表だとか大学での後進へのスピーチだとか、キング牧師については"I have a dream"もそうだし、死の前夜の"Ive been to the mountain top(だっけ)"もすごく感動的だと思うんだけど、ヒトラーのっていつのがすごいんだろう…ていうか誰がスピーチライティングしてたんだろう…。
話が大分それたけど、戦争プロパガンダには別に演説だけに限らず効果的なポスター作りとか、とにかくメディアの誘導の色々なエッセンスがつまっているのでああそうですよそういう意味ではPR会社が金だして研究させてくれ、つう話やね。演説スキルだって社員とのインターナルコミュニケーションというかモチベーションアップとしてはもってたほうが絶対いいし。
そう展示の中のポスターでも「ナチによる政策の成功を訴える」みたいなのがあって、インフォグラフ(絵を使った統計の説明)が使われていたんだけど教科書に載ってそうなくらい典型的な騙しを使っていて、ほのぼのしたりもしました。何かというとまぁよくある手だけどビルの高さか何かでナチ前後での経済成長か何かを表している図で、実際の伸びである1.5倍ってのはそのBeforeとAfterの二つのビルの絵の底面積か何かで表現されていて(立体で書かれたビルの底面積なんて勿論だれも気にしないけど、突っ込まれた時には「ちゃんと表した」と反論できる…ちょっとあまりにも強引な反論になるけど)、通常一番目を引くビルの高さそのものは2倍以上の差がつけられているという。思わず手元のパンフレットで高さ確かめてにやにやしましたよ、と。って指差せば簡単だけど言葉だけだとなんか複雑なことみたいだな…。
まぁ今だって(前書いたっけ)地下鉄でよく見る某社のなんたら茶は減肥がらみでインフォグラフを使うのが大好きで、それ以上にその統計を「効果的にプレゼンする」のが大好きらしくお前この21世紀になにやっとんじゃいボケという気がしてしょうがないので、要するに進歩がないのですが(時間経過による体脂肪率の変動か何かのグラフの縦軸メモリがあやしかったり、折れ線の背景に変化の傾向は似てるけど度合いが全然違う写真を入れて見た目の印象いじったり)。ていうかあれホント通報しようかと思ったわ。
さて。話を戻します。結局追い立てられて閉館時間に出て、リンカーンなんとかへ。あのいすに座ったリンカーンおじさんの巨大像です。そしてキング牧師がワシントン大行進の最後にI have a dream演説をしたのはここでしたね…っていって行ってみると真ん中の細長い池が全部掘り返されて非常に情緒がない感じに。工事中のようです(悲しい写真を載せましたよ)。そこでレンジャーのおじさんにリンカーンと奴隷制廃止の意義についてお話を聴き、その後マーティン・ルーサー・キングの像と言葉を記した広場へ。ここは数週間前にオープンしたばかりとのことですが、なんというかなんということもない場所でしかもちょっとわかりにくいのでわざわざ行く意味はないと思います。近くにキング牧師グッズ(というか本)屋もあるけど、彼の関係は半分くらいであとは普通のDC土産だし。キング牧師グッズも別に他で手に入りそうなものばかりだしね。
そこからホワイトハウスを外から見つつ歩いてホテルまで帰ったらもう8時!ということで近所のスペイン料理屋でビール飲みながらタパス食ってたら割と強い眠気が襲ってきて、もうだめっぽかったので帰ってすぐねました。宿はGrand Hyattだったんだけどやたら安くて(ダブルで7000円ちょい…あ、クーポン使ったから普通なら9000円弱かな)どんな嘘ハイアットかと思ったら割合立地もよく、設備もきれいで部屋は広く、素敵な感じ。一階にスタバもあるし、部屋のテレビはでかい。
一枚目:豪華ホテルエントランス
二枚目:工事中… http://pds.exblog.jp/pds/1/200811/19/48/f0145348_1761520.jpg 本来はこんな感じね
三枚目:ポトマック川を見やるキング牧師像。ちなみに彫ったのは日本人か中国人かその辺りらしく、漢字っぽい署名がはいってました。読めなかったけど。
早く出たおかげで、1時過ぎには到着。ちょっと町のはずれに下ろされるのでホテルまで少し迷ったりもしたけど、基本この町も通りの名前は縦が数字で横がアルファベット(逆?)なので、わりとどうにかなる感じ。やっぱ街の雰囲気がまたずいぶん違って、米国5年のくせにあまりアメリカ内を移動していない管理人さんは驚いていました。シカゴとNYも違うし、色々なんだよね。
お昼はホテルの近くがチャイナタウンってこともあって中華。Hunan Chickenとかいうメニューがあるからおお湖南!と思って注文したらあんかけの野菜と鶏をいため合わせたものをチャーハンに乗っけた謎の物体がでてきました。いや、それはそれで美味かったけどなんていうかアメリカンチャイニーズ!って感じ。でも案外辛かったんで一般人にはむかなくね、とも思ったけど。一緒に頼んだ水餃子は見た瞬間アウトだなと思ったらアウトでした。見た感じよく中国で冷凍で売ってる水餃子と同じ質感だったからね。
でチェックインしてちょっとごろごろしてたらもう4時とかで、あわてて本日の目的地ホロコーストミュージアムへ。ここは結局時間がなくて企画展しか見れませんでした。管理人さんがいきたい!というので組み込まれたものの僕はホロコースト自体はそんなに興味がなかったんだけど、特別展は「ナチのプロパガンダってすごかったんだぜ!展」ということで相当楽しく見れました。一応プロパガンダ研究は趣味のひとつで、ナチは戦争プロパガンダの例として本当によくでてきますから。企画自体はあんまりガチじゃないというかあまりそういうバックグラウンドの知識がない人向けという風には感じたけど、いいんですそこらへんは。
見ていていくつか気になったというか後で調べようと思ったポイントがあって、ひとつはこの洗練されたプロパガンダは何を参考にされて立案されたか、という点。プロパガンダ好きとか言いながらも恥ずかしながらそんな基本的なことなんだけど、例えば宣伝省のゲッペルスは非常にプロパガンダを重視していて先進的なアイディアを持っていたといわれるけれど、じゃあ彼は何を(どこから)学んでそういう結論を出したのか、ということを知らなくて。
さらにいえば、洗練されたプロパガンダは別にナチがはじめたものではないにも関わらずなぜそこで急に表舞台に現れたのか、ということも知らないなあと(一応展示の前段では第一次世界大戦の戦勝国が刷ったポスターの例なんかが載っていて、ここらへんからアイディアを得てますよ、みたいなことを書いていたけど)。まぁプロパガンダというのはようするにメディアを媒介としたコミュニケーションなので、ラジオやらテレビやらマスメディアが普及することではじめて圧倒的な影響力を持ちえた、ということは絶対に要素としてあると思うんだけど、それにしてもそれだけではない気がして。
ナチの話がすごく有名ではあるけど、太平洋戦争では日米両軍ともそういったプロパガンダ用の謀略機関を持って色々やりあっていたりもしていたようです。ここら辺に関してはなんか東大のアーカイブかなんかにそんなのがあった気がする。なんだっけな、OSS(CIAの前身)で働いた日系人の話とか。広い意味では満映なんかもそういう宣伝機関といえばそうで、甘粕やら李香蘭なんかもそういうところでは登場人物といえるんでしょう。
プロパガンダというのはどうしても悪いイメージがあるせいなのか、史実として研究する人はいても、それが学問(というか手法)として体系化されていないような気がして残念です。防衛レベルではもしかしたらそういう研究も行われているのかもしれないんだけど…知らないだけかな。例えば演説とかって色々テクニックというか小技があってそれを身体に叩き込めば相当違うと思うんだけど、「すごい演説動画」とかいって紹介されることはたくさんあっても、マーティンルーサーキングとヒトラーとスティーブジョブスの演説の共通点なんてプレゼンみたことない(って適当に並べたけどすごい面子だよなあこの3人)。自分の趣味研究でやってみようかなあ。誰か政治家かなんかが金だしてくれないものか。
ヒトラーなんかは僕みたいにドイツ語わからなくてもとても魅力的に感じて、内容わからなくてもひきつけるって究極だなと思います。言葉がわからないから逆に純粋に身振りとか語調とかをとらえる、というかそれ以外わからないから。でもヒトラーについては言葉がわかってないこともあって意外といつの演説がすごいってのを知らないんだな。ジョブスはi製品群の発表だとか大学での後進へのスピーチだとか、キング牧師については"I have a dream"もそうだし、死の前夜の"Ive been to the mountain top(だっけ)"もすごく感動的だと思うんだけど、ヒトラーのっていつのがすごいんだろう…ていうか誰がスピーチライティングしてたんだろう…。
話が大分それたけど、戦争プロパガンダには別に演説だけに限らず効果的なポスター作りとか、とにかくメディアの誘導の色々なエッセンスがつまっているのでああそうですよそういう意味ではPR会社が金だして研究させてくれ、つう話やね。演説スキルだって社員とのインターナルコミュニケーションというかモチベーションアップとしてはもってたほうが絶対いいし。
そう展示の中のポスターでも「ナチによる政策の成功を訴える」みたいなのがあって、インフォグラフ(絵を使った統計の説明)が使われていたんだけど教科書に載ってそうなくらい典型的な騙しを使っていて、ほのぼのしたりもしました。何かというとまぁよくある手だけどビルの高さか何かでナチ前後での経済成長か何かを表している図で、実際の伸びである1.5倍ってのはそのBeforeとAfterの二つのビルの絵の底面積か何かで表現されていて(立体で書かれたビルの底面積なんて勿論だれも気にしないけど、突っ込まれた時には「ちゃんと表した」と反論できる…ちょっとあまりにも強引な反論になるけど)、通常一番目を引くビルの高さそのものは2倍以上の差がつけられているという。思わず手元のパンフレットで高さ確かめてにやにやしましたよ、と。って指差せば簡単だけど言葉だけだとなんか複雑なことみたいだな…。
まぁ今だって(前書いたっけ)地下鉄でよく見る某社のなんたら茶は減肥がらみでインフォグラフを使うのが大好きで、それ以上にその統計を「効果的にプレゼンする」のが大好きらしくお前この21世紀になにやっとんじゃいボケという気がしてしょうがないので、要するに進歩がないのですが(時間経過による体脂肪率の変動か何かのグラフの縦軸メモリがあやしかったり、折れ線の背景に変化の傾向は似てるけど度合いが全然違う写真を入れて見た目の印象いじったり)。ていうかあれホント通報しようかと思ったわ。
さて。話を戻します。結局追い立てられて閉館時間に出て、リンカーンなんとかへ。あのいすに座ったリンカーンおじさんの巨大像です。そしてキング牧師がワシントン大行進の最後にI have a dream演説をしたのはここでしたね…っていって行ってみると真ん中の細長い池が全部掘り返されて非常に情緒がない感じに。工事中のようです(悲しい写真を載せましたよ)。そこでレンジャーのおじさんにリンカーンと奴隷制廃止の意義についてお話を聴き、その後マーティン・ルーサー・キングの像と言葉を記した広場へ。ここは数週間前にオープンしたばかりとのことですが、なんというかなんということもない場所でしかもちょっとわかりにくいのでわざわざ行く意味はないと思います。近くにキング牧師グッズ(というか本)屋もあるけど、彼の関係は半分くらいであとは普通のDC土産だし。キング牧師グッズも別に他で手に入りそうなものばかりだしね。
そこからホワイトハウスを外から見つつ歩いてホテルまで帰ったらもう8時!ということで近所のスペイン料理屋でビール飲みながらタパス食ってたら割と強い眠気が襲ってきて、もうだめっぽかったので帰ってすぐねました。宿はGrand Hyattだったんだけどやたら安くて(ダブルで7000円ちょい…あ、クーポン使ったから普通なら9000円弱かな)どんな嘘ハイアットかと思ったら割合立地もよく、設備もきれいで部屋は広く、素敵な感じ。一階にスタバもあるし、部屋のテレビはでかい。
一枚目:豪華ホテルエントランス
二枚目:工事中… http://pds.exblog.jp/pds/1/200811/19/48/f0145348_1761520.jpg 本来はこんな感じね
三枚目:ポトマック川を見やるキング牧師像。ちなみに彫ったのは日本人か中国人かその辺りらしく、漢字っぽい署名がはいってました。読めなかったけど。
ユニクロのフラグシップ店が来月OPENとのことで、相当気合を入れていろんなところをジャックしています。部屋にテレビがないのでそちらはわからないけど、とりあえずタクシー&地下鉄駅と社内などの交通広告は死ぬほど打ってて、道でもみかけます。なんか店舗のディスプレイとか見てもちょっとクールな感じでちょっと印象違うけど、まあそんなものかな。
さて、NY。とりあえず白タクにひっかかりました。前回同様…なぜNYはこんなに。なんつーか印象超悪いっす。ていうか言葉わかるのにひっかかる自分もどうなの、って話なんだけど、やっぱ疲れてるのね。明確に拒否することができなかった。乗ったあと色々抵抗したけど無駄でした。あーあー。
そんなわけで軽くアメリカの洗礼をうけて現金が減ったところから。別にこのせいじゃないけど、アメリカって町歩くときも電車乗る時も割合警戒気味になるし、怖い感じがやっぱヨーロッパとは感覚違うよね。ちなみに僕だけなのかもしれませんが、ほとんど言葉がわからない上海の方がよほど緊張しません。
今回の宿は書いてなかったみたいだけど、サブレット。要するに又貸し。日本人が住んでる家をその家主が不在の時に借りちゃうという…多分正確にはなんかしらの法律にひっかかるんだろうなあと思いながらも、安いからということで掲示板で探してちょうどいい期間に一時帰国のため…という人がいたもので。決めたのは場所がよさそうということと、料金が安いこと(一泊$45…今のレートだと3千円台、ちなみにNYの宿は普通に取ると1.5万~)もそうなんだけど、ピアノを置いているって書いてたからなにそれ?と思って公開情報から色々たどってみたら僕が大好きな某歌手とNYで共演してたり日本に帰るとライブやってたりもする人だったようなので、つながっとくのもいいかな、という判断。途中で値段でちょっとトラブったり、ちょっと考えもしたのだけれど総合的なメリットを考えるとね。
そんなわけで留守宅を占拠するという不思議なシチュエーションは当然ぼくにとっても初めてで、なんか面白いです。いやピアノがかわいいとか壁中に吸音材張ってあって超デッドとか色々あるにもあるんだけど、なんかこう引き払ってあるとはいえ中途半端に生活感があるのがね。ていうか家の中丸見えなわけで、セキュリティ的には結構やばい気がするんだけど…って借りてる身でいうことでもないけどさ。
今は二日目の朝。時差の関係で相当早く起きてしまったので、時間つぶしがてらこれを書いています。一日目はなんだろう、一番詰まっていたはずがちょっとあららな感じ。
Fashion’s Night Out。これは時間が悪かった。その後のコンサートに間に合うためにうろうろできたのは6時過ぎまでで、予想通りというかなんというかいくら金曜夜とはいえ、まだ早い時間でした。ただぶらぶらしたMacy’s(デパート)なんかは普通はしないだろうおしゃれしてる人が結構いて、「まだ何も起こっていないのに明らかにいつもと違う雰囲気」がみちみちしていてその異界感?はおもしろく。
まーその辺しか見てないので何を語れるわけでもないけど、感じたことをさくっと書いとくと、「やっぱVogueの仕掛けだよな」つう感じ。このイベントは自由参加で特に参加に条件もないようだから勝手に名乗ればいいだけ、となると各ブランドごとの施策は相当ばらつきがあって、力を入れまくってる所から単に営業時間を延ばしてみただけだろ、って所まであるわけです。
それ自体はその努力の差によって集客も変わるだろうから全く問題ないんだけど、その力を入れてる中心が(もしかしたら僕の目に留まったのがそういうところばっかりだったからかもしれないけど)結構スノビッシュな…というか要するに日本語で言うところの「ブランド」だなーというのがわかりやすかったなと。小さい店が工夫して面白いことやってるってのは見なくて、誰でも知ってるブランドが金かけてるな(有名人呼んだりシャンパンくばったり)っていうことね。まあそういう所がコアになって周辺にある小さい店がコバンザメできればそれはそれでいいのかもしれないし、いい時間帯には盛り上がったのかもしれないけどね。
FNO(と略すらしい)は東京でもやるようなので、そっちも見てみたいと思います。なんとなく想像がつく気もするけど…。
途中シャンハイタンに寄ったり五番街をうろうろしながら、7時半からのコンサートのためにエイヴリー・フィッシャーホールへ。シャンハイタンはまったく客がおらず、寒い感じ。歩いていたらちょうど前回来た時に歩き回った地帯だという事に気づいてスーパーの場所も思い出して、寄り道買い物、の後ホール。このホールはリンカーンセンターという総合文化施設?のひとつで、他にはMET(メトロポリタンオペラ)の本部とかなんか色々あるらしいです。ちなみにNew York Fashion Weekの本部もここの様子。
今回聞いたのはWest Side Story。NYPの常任を何年もやったバーンスタインがこの映画のための曲を書いていて、その初演から50年を祝して映画を流しながらBGMを全編生で弾く、という豪華企画なのでした。しかし…。体調が万全から遠くほとんど起きてられなかったことがマイナスではありながら、逆にもし万全だったら多分前半で帰ってたかな…という気もしたような、そんな感じ。
まず長い。150分くらいあって、間に休憩が挟まって立派に3時間弱。意識がある限りでは削れるシーンがたくさんあるように感じた。あと元々はミュージカルだったものを映画にしてるから当然といえば当然だけどミュージカル的な過剰演出(踊りだしたり歌いだしたり)がわざとらしく牧歌的(?)過ぎてなんか気持ち悪く感じられたり。そして演奏もあまり上手とは…。甘めメロディを弦が奏でる部分なんかでおお!とはそこここでおもったんだけど、ブラスを中心にしたリズミカルな部分なんかで全然ノリが出てない。モロに「クラシカルじゃないフレーズが苦手です」って感じがしてしまって…。その感想はあまりに典型的で実際聞かなくなくても言えるじゃん、って思えてなんか書きづらいんだけど。初演時のNYPはどうだったんだろうなー、と思いました。昔は案外こういう仕事が多くて得意だった、とかもあるかもしれないし。ま、でも値段安いしそんなものかねーって感じではあったけど、日本でやったら確実に2万円コースだろうし、それだけ払ってたら俺発狂間違いなし。とりあえずFNOのほうが気になってたんですねー。あ、この日は特別ゲストとして確か映画の監督と主演?の役者さんが来ていたらしく、大盛り上がり(角度的に誰だったのか見えず。だけど演奏前に紹介されて客席いきなりたくさんの拍手)。あと途中の歌で一緒に歌いだす人がいたり、この映画ってなんかすごい親しまれてるんだなーと思ったことは忘れずに書いておきます。
演奏後「家」までは通りを一回曲がるだけでつくというので途中のマックで晩飯を仕入れながらぶらぶら歩いて帰り、本日終了…と思って〆に明日の合流などの打ち合わせのために管理人さんに電話したら急遽合流することになり、深夜に我が家へ。それなりにひさしぶりじゃあないかしら。なんか相変わらずというか僕たちはなしこむと長くなるなあということでシードルなめながら核軍縮とかパレスチナ問題についてお話しながら、次の日以降の打ち合わせ。結局解散は3時近かった気がします(管理人さんはそこから帰っていったので、寝たのは4時半とか…うえ)。
以前のとっても適当NY紀行
http://42583.diarynote.jp/200907142047195504/
http://42583.diarynote.jp/200907170744479990/
さて、NY。とりあえず白タクにひっかかりました。前回同様…なぜNYはこんなに。なんつーか印象超悪いっす。ていうか言葉わかるのにひっかかる自分もどうなの、って話なんだけど、やっぱ疲れてるのね。明確に拒否することができなかった。乗ったあと色々抵抗したけど無駄でした。あーあー。
そんなわけで軽くアメリカの洗礼をうけて現金が減ったところから。別にこのせいじゃないけど、アメリカって町歩くときも電車乗る時も割合警戒気味になるし、怖い感じがやっぱヨーロッパとは感覚違うよね。ちなみに僕だけなのかもしれませんが、ほとんど言葉がわからない上海の方がよほど緊張しません。
今回の宿は書いてなかったみたいだけど、サブレット。要するに又貸し。日本人が住んでる家をその家主が不在の時に借りちゃうという…多分正確にはなんかしらの法律にひっかかるんだろうなあと思いながらも、安いからということで掲示板で探してちょうどいい期間に一時帰国のため…という人がいたもので。決めたのは場所がよさそうということと、料金が安いこと(一泊$45…今のレートだと3千円台、ちなみにNYの宿は普通に取ると1.5万~)もそうなんだけど、ピアノを置いているって書いてたからなにそれ?と思って公開情報から色々たどってみたら僕が大好きな某歌手とNYで共演してたり日本に帰るとライブやってたりもする人だったようなので、つながっとくのもいいかな、という判断。途中で値段でちょっとトラブったり、ちょっと考えもしたのだけれど総合的なメリットを考えるとね。
そんなわけで留守宅を占拠するという不思議なシチュエーションは当然ぼくにとっても初めてで、なんか面白いです。いやピアノがかわいいとか壁中に吸音材張ってあって超デッドとか色々あるにもあるんだけど、なんかこう引き払ってあるとはいえ中途半端に生活感があるのがね。ていうか家の中丸見えなわけで、セキュリティ的には結構やばい気がするんだけど…って借りてる身でいうことでもないけどさ。
今は二日目の朝。時差の関係で相当早く起きてしまったので、時間つぶしがてらこれを書いています。一日目はなんだろう、一番詰まっていたはずがちょっとあららな感じ。
Fashion’s Night Out。これは時間が悪かった。その後のコンサートに間に合うためにうろうろできたのは6時過ぎまでで、予想通りというかなんというかいくら金曜夜とはいえ、まだ早い時間でした。ただぶらぶらしたMacy’s(デパート)なんかは普通はしないだろうおしゃれしてる人が結構いて、「まだ何も起こっていないのに明らかにいつもと違う雰囲気」がみちみちしていてその異界感?はおもしろく。
まーその辺しか見てないので何を語れるわけでもないけど、感じたことをさくっと書いとくと、「やっぱVogueの仕掛けだよな」つう感じ。このイベントは自由参加で特に参加に条件もないようだから勝手に名乗ればいいだけ、となると各ブランドごとの施策は相当ばらつきがあって、力を入れまくってる所から単に営業時間を延ばしてみただけだろ、って所まであるわけです。
それ自体はその努力の差によって集客も変わるだろうから全く問題ないんだけど、その力を入れてる中心が(もしかしたら僕の目に留まったのがそういうところばっかりだったからかもしれないけど)結構スノビッシュな…というか要するに日本語で言うところの「ブランド」だなーというのがわかりやすかったなと。小さい店が工夫して面白いことやってるってのは見なくて、誰でも知ってるブランドが金かけてるな(有名人呼んだりシャンパンくばったり)っていうことね。まあそういう所がコアになって周辺にある小さい店がコバンザメできればそれはそれでいいのかもしれないし、いい時間帯には盛り上がったのかもしれないけどね。
FNO(と略すらしい)は東京でもやるようなので、そっちも見てみたいと思います。なんとなく想像がつく気もするけど…。
途中シャンハイタンに寄ったり五番街をうろうろしながら、7時半からのコンサートのためにエイヴリー・フィッシャーホールへ。シャンハイタンはまったく客がおらず、寒い感じ。歩いていたらちょうど前回来た時に歩き回った地帯だという事に気づいてスーパーの場所も思い出して、寄り道買い物、の後ホール。このホールはリンカーンセンターという総合文化施設?のひとつで、他にはMET(メトロポリタンオペラ)の本部とかなんか色々あるらしいです。ちなみにNew York Fashion Weekの本部もここの様子。
今回聞いたのはWest Side Story。NYPの常任を何年もやったバーンスタインがこの映画のための曲を書いていて、その初演から50年を祝して映画を流しながらBGMを全編生で弾く、という豪華企画なのでした。しかし…。体調が万全から遠くほとんど起きてられなかったことがマイナスではありながら、逆にもし万全だったら多分前半で帰ってたかな…という気もしたような、そんな感じ。
まず長い。150分くらいあって、間に休憩が挟まって立派に3時間弱。意識がある限りでは削れるシーンがたくさんあるように感じた。あと元々はミュージカルだったものを映画にしてるから当然といえば当然だけどミュージカル的な過剰演出(踊りだしたり歌いだしたり)がわざとらしく牧歌的(?)過ぎてなんか気持ち悪く感じられたり。そして演奏もあまり上手とは…。甘めメロディを弦が奏でる部分なんかでおお!とはそこここでおもったんだけど、ブラスを中心にしたリズミカルな部分なんかで全然ノリが出てない。モロに「クラシカルじゃないフレーズが苦手です」って感じがしてしまって…。その感想はあまりに典型的で実際聞かなくなくても言えるじゃん、って思えてなんか書きづらいんだけど。初演時のNYPはどうだったんだろうなー、と思いました。昔は案外こういう仕事が多くて得意だった、とかもあるかもしれないし。ま、でも値段安いしそんなものかねーって感じではあったけど、日本でやったら確実に2万円コースだろうし、それだけ払ってたら俺発狂間違いなし。とりあえずFNOのほうが気になってたんですねー。あ、この日は特別ゲストとして確か映画の監督と主演?の役者さんが来ていたらしく、大盛り上がり(角度的に誰だったのか見えず。だけど演奏前に紹介されて客席いきなりたくさんの拍手)。あと途中の歌で一緒に歌いだす人がいたり、この映画ってなんかすごい親しまれてるんだなーと思ったことは忘れずに書いておきます。
演奏後「家」までは通りを一回曲がるだけでつくというので途中のマックで晩飯を仕入れながらぶらぶら歩いて帰り、本日終了…と思って〆に明日の合流などの打ち合わせのために管理人さんに電話したら急遽合流することになり、深夜に我が家へ。それなりにひさしぶりじゃあないかしら。なんか相変わらずというか僕たちはなしこむと長くなるなあということでシードルなめながら核軍縮とかパレスチナ問題についてお話しながら、次の日以降の打ち合わせ。結局解散は3時近かった気がします(管理人さんはそこから帰っていったので、寝たのは4時半とか…うえ)。
以前のとっても適当NY紀行
http://42583.diarynote.jp/200907142047195504/
http://42583.diarynote.jp/200907170744479990/
なんか二回連続で"「」"使ってるなあと今気づきました。まぁ息をするようにあまり考えないように書いているんだから、そういうこともあるでしょう。うん。って単なる呼吸の割には時間かかりすぎやね。しかしなんか昼間だってのにねむい。
「物語」。これって多分打海文三さんの作品のどこか忘れたけどでも割と頻繁に出てきていた言葉で、記憶によると(要するに正確でない可能性がとてもたかいのだけれど)毎回批判的に、時には陳腐である、といった評も添えられて、「自分の立場や行いを過去何回も繰り返されたような流れに当てはめて思考を放棄する(または自己陶酔や憐憫)こと」を指して使われていた気がする。いやこの説明は言い換えになってないから指してという表現はおかしい気もするけど、まぁとにかくそういう細かいことはいいとしてくださいよ。
ここではある種のテンプレートに自らをはめ込むことで思考・判断を放棄して、この先に生まれ得るものを否定することを批判しているのだけれど、あれこれって何かに似てない?という話。
ひとつはポストモダンの「大きな物語」とかっていうアレ。僕はまったく詳しくないけどどうやらそれは例えば神話とか言い伝えとかの形をとった規範とかのことを指しているようで、「判断基準や責任をテンプレートにいわば『委託』して『思考という重労働』を避ける」という意味では共通点あるなあ、という。「思考という重労働」ってのはエジソンおじさんの言らしいですが。ただ打海さんの「物語」というのは別にかみさまとかみたいに大きい存在に、というだけではなさそうなので「大きな」物語と書いてしまうとぴったりではないかもしれないのだけれども。
もうひとつ近似。過去に何度か書いている「カチッ、サー」の話。要するにチャルディーニの「影響力の武器」の話。…ってか今日カッコ多すぎじゃないか文章に。
http://42583.diarynote.jp/200805042313470000/
幸せの形について
三年前くらいに書いていた上記なんかがまさにそうなんだけど、これはどっちかっていうとテンプレート肯定っぽいな。仮に人生が判断の結果の累積によって形作られるものでありさらにここで書いているように信じることが幸せを生むのならば、裏返せば現状に不満を持ったその時に過去の判断に疑問を持つことがそのまま自分の幸福感への不信になってしまうということになる。ならば判断を疑わないことがその分かれ目になるのだろう(ここで間違ってはいけないのはそれは「判断を誤らない」ことではないということ)。
んーなんか考えが流れなくなってきた。要するに、「物事の正確性や真実の追究」と幸福というのはとても高い確率で相容れないのではないかということを書きたかったのかな。
上の文章でもひいていたように、身の回りで起こるすべての個別のことに関してすべて思考して判断するというのはものすごい(時間にしても気力にしても)コストで、それは現実的ではない。だからといってそういったことをテンプレートに委託してしまうと大雑把には正しくても、その事案の個別性は無視されてしまう。その相克の話?
ああそう、繰り返し「コストがかかる」って書いてて気づいたけど、じゃあもしかしたら幸福ってのはコストがかからない状態である、という言いかえができるのかもしれない。でも決して「幸せとはストレスから開放された楽な状態である」とはいいたくないんだよなあ。いやいいたくないというか違う気がする。なんか明確には反論できないけど。
このトピックは数週間に書いたサピア=ウォーフ仮説の話とかとも関連していて、考え出すと結構大きなテーマな気はするんだけど飲んでるか眠いかの時しか向かっていないこの場では永遠に収束しない気がします。思考が。
別の話。一昨日夜突然バイトちゃんから連絡があり「明日お時間ありますか」と。あー、あれですかキタコレですか別れ話ですか、と明言されんでも思いっきり予想ができたのですが会ってみたらやっぱりそうでした。ついていけん、と。まぁかなりやばいな、というのは感じていたのは確か(日本語のできなさ具合とか)で、それを考えればこっちから宣告する前に自分から言い出してくれたのはこっちの精神的負担からすればもしかしたらありがとうなのかもしれないけど、でもそれにしたってなんていうか後味よくないものは残りますわね。人事ってつらい商売やなーって思った瞬間でした。
あとこれは完全に自分の事情だけどそもそも上下がはっきりしない会社において新入りの若い僕がアシスタントを持つだけで色々面倒っぽかったのにそれが1ヶ月で辞めちゃうと色々思われるよねまた。「やっぱガイシから来た人は人の切り方もダイナミック!」みたいな。あーめんどい。
あーめんどい。
先週は大恩ある前職の先輩が最終日ってんで前職職場に潜り込んでいろんなことを言われたり泥酔者を搬出したりお片付け手伝ったり色々でした。毎日飲んでいた気がする。
その時ふと思ったけど、大げさな話じゃなく、いいチームだったかって何年越しの再会であったとしても役割分担をすることなしにすぐに有機的に動けることなんだよねきっと。その時やったのは単なるパーティの後片付けなんだけど、誰が何をするなんて誰も言わないけどその場所の状況を見て個々が判断してバッティングもせず人手も余らず。ああこういう感覚だよな、って思ったのでした。勿論会わない間にいろんな変化はあったりするわけでメンバーの今の能力の100%有効活用ではないかもしれないけど、少なくともお互いの過去のある時点での能力は把握していて、その時の動き方ではきっちり仕事ができる。
今日はNYいきの準備などして過ごそうと思ったりしています。ねむい。
「物語」。これって多分打海文三さんの作品のどこか忘れたけどでも割と頻繁に出てきていた言葉で、記憶によると(要するに正確でない可能性がとてもたかいのだけれど)毎回批判的に、時には陳腐である、といった評も添えられて、「自分の立場や行いを過去何回も繰り返されたような流れに当てはめて思考を放棄する(または自己陶酔や憐憫)こと」を指して使われていた気がする。いやこの説明は言い換えになってないから指してという表現はおかしい気もするけど、まぁとにかくそういう細かいことはいいとしてくださいよ。
ここではある種のテンプレートに自らをはめ込むことで思考・判断を放棄して、この先に生まれ得るものを否定することを批判しているのだけれど、あれこれって何かに似てない?という話。
ひとつはポストモダンの「大きな物語」とかっていうアレ。僕はまったく詳しくないけどどうやらそれは例えば神話とか言い伝えとかの形をとった規範とかのことを指しているようで、「判断基準や責任をテンプレートにいわば『委託』して『思考という重労働』を避ける」という意味では共通点あるなあ、という。「思考という重労働」ってのはエジソンおじさんの言らしいですが。ただ打海さんの「物語」というのは別にかみさまとかみたいに大きい存在に、というだけではなさそうなので「大きな」物語と書いてしまうとぴったりではないかもしれないのだけれども。
もうひとつ近似。過去に何度か書いている「カチッ、サー」の話。要するにチャルディーニの「影響力の武器」の話。…ってか今日カッコ多すぎじゃないか文章に。
http://42583.diarynote.jp/200805042313470000/
幸せの形について
三年前くらいに書いていた上記なんかがまさにそうなんだけど、これはどっちかっていうとテンプレート肯定っぽいな。仮に人生が判断の結果の累積によって形作られるものでありさらにここで書いているように信じることが幸せを生むのならば、裏返せば現状に不満を持ったその時に過去の判断に疑問を持つことがそのまま自分の幸福感への不信になってしまうということになる。ならば判断を疑わないことがその分かれ目になるのだろう(ここで間違ってはいけないのはそれは「判断を誤らない」ことではないということ)。
んーなんか考えが流れなくなってきた。要するに、「物事の正確性や真実の追究」と幸福というのはとても高い確率で相容れないのではないかということを書きたかったのかな。
上の文章でもひいていたように、身の回りで起こるすべての個別のことに関してすべて思考して判断するというのはものすごい(時間にしても気力にしても)コストで、それは現実的ではない。だからといってそういったことをテンプレートに委託してしまうと大雑把には正しくても、その事案の個別性は無視されてしまう。その相克の話?
ああそう、繰り返し「コストがかかる」って書いてて気づいたけど、じゃあもしかしたら幸福ってのはコストがかからない状態である、という言いかえができるのかもしれない。でも決して「幸せとはストレスから開放された楽な状態である」とはいいたくないんだよなあ。いやいいたくないというか違う気がする。なんか明確には反論できないけど。
このトピックは数週間に書いたサピア=ウォーフ仮説の話とかとも関連していて、考え出すと結構大きなテーマな気はするんだけど飲んでるか眠いかの時しか向かっていないこの場では永遠に収束しない気がします。思考が。
別の話。一昨日夜突然バイトちゃんから連絡があり「明日お時間ありますか」と。あー、あれですかキタコレですか別れ話ですか、と明言されんでも思いっきり予想ができたのですが会ってみたらやっぱりそうでした。ついていけん、と。まぁかなりやばいな、というのは感じていたのは確か(日本語のできなさ具合とか)で、それを考えればこっちから宣告する前に自分から言い出してくれたのはこっちの精神的負担からすればもしかしたらありがとうなのかもしれないけど、でもそれにしたってなんていうか後味よくないものは残りますわね。人事ってつらい商売やなーって思った瞬間でした。
あとこれは完全に自分の事情だけどそもそも上下がはっきりしない会社において新入りの若い僕がアシスタントを持つだけで色々面倒っぽかったのにそれが1ヶ月で辞めちゃうと色々思われるよねまた。「やっぱガイシから来た人は人の切り方もダイナミック!」みたいな。あーめんどい。
あーめんどい。
先週は大恩ある前職の先輩が最終日ってんで前職職場に潜り込んでいろんなことを言われたり泥酔者を搬出したりお片付け手伝ったり色々でした。毎日飲んでいた気がする。
その時ふと思ったけど、大げさな話じゃなく、いいチームだったかって何年越しの再会であったとしても役割分担をすることなしにすぐに有機的に動けることなんだよねきっと。その時やったのは単なるパーティの後片付けなんだけど、誰が何をするなんて誰も言わないけどその場所の状況を見て個々が判断してバッティングもせず人手も余らず。ああこういう感覚だよな、って思ったのでした。勿論会わない間にいろんな変化はあったりするわけでメンバーの今の能力の100%有効活用ではないかもしれないけど、少なくともお互いの過去のある時点での能力は把握していて、その時の動き方ではきっちり仕事ができる。
今日はNYいきの準備などして過ごそうと思ったりしています。ねむい。
(シードルだけ)
また間が空いてしまった…最近Skypeチャットの頻度が高く、しかも意味もなくというか日本・ドイツ・中国・アメリカに相手が散らばっていて従ってタイムゾーンもばらばらでこっちが終わるとあっちがいい具合の時間…とかそんな具合でまとまった時間がとれず。って別にこんな程度の日記書くのにまとまった時間とる必要もない気はするんだけど、なんかいつもいろんなことと平行しながら書くってやりかただから、チャットしながらはさすがに無理だし(相手もタイプが速い人が多い)、結果的に長いPC接触時間が必要なのですよ。
さて、最近は仕事が鬼のように暇です。この暇具合は何?ってくらい暇。去年もなんか鬼暇な時期があって自分の首の心配をした気がするんだけど、もしかしたら同じ時期なのかな…定かじゃあないけれど。まぁ10月になればコンサートシーズンということでそれなりに忙しくなってくるんでしょうけれども、とにかく今は始業からどうやって時間をつぶそうかが一番悩ましいという見方によってはうらやましいかもしれないけど実際は拷問な毎日です。でもこういう普段の仕事に追われない時というのがその実新しいことを考えるための大切な時間だというのは忙しい時にはいつも考えているのに暇になると忘れがちなので、刻み込んでおこうと思います。ええ、思うんですけれども、なんでそんな暇なのに休み消化しちゃいけないんだろう…。
ま、いいけど。
そう、その秋休みの件。さんざか揉めて、「いったん断ったじゃん笑」みたいな事まで言われたんだけど結局は勝ち取れました。申請書出して駄目押しに「お願いしますね?」って言ったら普通皮肉のひとつくらいで通ると思うじゃないですか、代休なんだし。別に1ヶ月いませんって話でもないんだし。という感じだったもんで上司と相当冷えた感じが不安…。そして、1日削られました。だから結局現地滞在4日になるのかな。アメリカって、遠いよ。…って言ったら船で行ってた人にバーカって言われそうだけどさ。でも久しぶりのアメリカで、それがとても楽しみ。
アメリカが好きな理由っていうのはヨーロッパと違ってとても言葉にしづらい。ヨーロッパだと「あの雰囲気が」とか特定の場所とかそういうことをいえるんだけど、そういうわけではない。そして安心できるかというと、別にそこまででもない。実際のところ治安やらという意味では安心ではない部分も(特にNYは)あるわけだし、なんでなんだろうなあ…。って西海岸はともかくNYは一回しか行ってないわけでそんだけで「アメリカ好き」とかくくっちゃうのもどうなの、って話もあるんだろうけどね…でもそういうこと言い出すときりがないという話もある。
話はそれるようだけれど、最近よく「上海だけみて『中国は!』とかわかった風な口をきくな」といった言葉をネット上で見ることがあって、そんなこと言っちゃったら特に国土が広くてしかも文化が多様(日本が一様というわけでもないけどさ)な国については国という単位で語ることは現実的に不可能ってことになるよねーとか思ったりもするわけです。便利だからそうくくってるだけでそれを受け手も了解した上で読む分には悪くはないんじゃないかなあと思うんだけど…まあでもそういう批判を受ける記事やらはそもそも上海事情としてすら正確じゃない内容だったりすることもあるようだから、もうそりゃそこがだめだったらしょうがないんだけどさ。
そうだ、アップデートメモ。
8日
可能だったらMoMA→Fashion’s Night Out(Shanhai Tang) →NYP(1930-2200?)→Fashion’s Night Out(五番街ぶらぶら?)
※NY Fashion weekの期間中だしどっかで招待状ゲットできひんやろか。
※滞在期間中の食料調達
※どっかで地図を手に入れて工程表つくんなきゃ。
9日
朝からDCへ移動。昼すぎ着。同行者の希望によりホロコースト博物館と…なんだっけ。
10日
一泊して朝散歩がてらホワイトハウスやらモニュメントやらリンカーンセンター(だっけ)。そして午前のうちに航空宇宙博物館。夕方NYCへ帰着。夜はステーキ食べる。
11日
朝グランドゼロへ。昼はBlueNote?あとグッゲンハイムかなあ。一応これが唯一ほぼフルに自由に使える日なので、大事に(=だらだら?)したいなと思っていつつ。
12日
朝ちょろっとちょろちょろする時間はあるけど、フライト1時半とかだから10時半とかにはでないと。
…ここまで書くので力尽きた上にFacebookでチャットはじめちゃって文字打つ気力がさらに飛ばされていったりしました。とりあえず何が書きたかったかって自分はある種の事柄に対して結構(ある種理屈じゃないという意味で宗教的な)確信を持っていて、しかもそれが理屈にかなってないし他人に説明できないと思っている面があって。それがよくないな、と思ったんですな。「特定の立場や事柄に固執しないこと」それ自体は文字にしてしまえば当たり前なんだけど(ところでこの「文字にしたら当たり前」「その時固有の条件をはずしてあくまで一般論としていえば」という時の感覚にかっこよい名前がほしい)…っていうか「固執」って言葉自体が既にネガティブなニュアンスを含んでるってこともあるし。
ああそれた。
ま、そういうことですよ。常に決定は責任ある思考の結果であってほしいな、という事なんです。自らのことで「ほしいな」もなにもないもんだけど。
あーレコード会社の人たちと朝まで飲んだ話とか書きたかったけどもうだめ、限界。
また間が空いてしまった…最近Skypeチャットの頻度が高く、しかも意味もなくというか日本・ドイツ・中国・アメリカに相手が散らばっていて従ってタイムゾーンもばらばらでこっちが終わるとあっちがいい具合の時間…とかそんな具合でまとまった時間がとれず。って別にこんな程度の日記書くのにまとまった時間とる必要もない気はするんだけど、なんかいつもいろんなことと平行しながら書くってやりかただから、チャットしながらはさすがに無理だし(相手もタイプが速い人が多い)、結果的に長いPC接触時間が必要なのですよ。
さて、最近は仕事が鬼のように暇です。この暇具合は何?ってくらい暇。去年もなんか鬼暇な時期があって自分の首の心配をした気がするんだけど、もしかしたら同じ時期なのかな…定かじゃあないけれど。まぁ10月になればコンサートシーズンということでそれなりに忙しくなってくるんでしょうけれども、とにかく今は始業からどうやって時間をつぶそうかが一番悩ましいという見方によってはうらやましいかもしれないけど実際は拷問な毎日です。でもこういう普段の仕事に追われない時というのがその実新しいことを考えるための大切な時間だというのは忙しい時にはいつも考えているのに暇になると忘れがちなので、刻み込んでおこうと思います。ええ、思うんですけれども、なんでそんな暇なのに休み消化しちゃいけないんだろう…。
ま、いいけど。
そう、その秋休みの件。さんざか揉めて、「いったん断ったじゃん笑」みたいな事まで言われたんだけど結局は勝ち取れました。申請書出して駄目押しに「お願いしますね?」って言ったら普通皮肉のひとつくらいで通ると思うじゃないですか、代休なんだし。別に1ヶ月いませんって話でもないんだし。という感じだったもんで上司と相当冷えた感じが不安…。そして、1日削られました。だから結局現地滞在4日になるのかな。アメリカって、遠いよ。…って言ったら船で行ってた人にバーカって言われそうだけどさ。でも久しぶりのアメリカで、それがとても楽しみ。
アメリカが好きな理由っていうのはヨーロッパと違ってとても言葉にしづらい。ヨーロッパだと「あの雰囲気が」とか特定の場所とかそういうことをいえるんだけど、そういうわけではない。そして安心できるかというと、別にそこまででもない。実際のところ治安やらという意味では安心ではない部分も(特にNYは)あるわけだし、なんでなんだろうなあ…。って西海岸はともかくNYは一回しか行ってないわけでそんだけで「アメリカ好き」とかくくっちゃうのもどうなの、って話もあるんだろうけどね…でもそういうこと言い出すときりがないという話もある。
話はそれるようだけれど、最近よく「上海だけみて『中国は!』とかわかった風な口をきくな」といった言葉をネット上で見ることがあって、そんなこと言っちゃったら特に国土が広くてしかも文化が多様(日本が一様というわけでもないけどさ)な国については国という単位で語ることは現実的に不可能ってことになるよねーとか思ったりもするわけです。便利だからそうくくってるだけでそれを受け手も了解した上で読む分には悪くはないんじゃないかなあと思うんだけど…まあでもそういう批判を受ける記事やらはそもそも上海事情としてすら正確じゃない内容だったりすることもあるようだから、もうそりゃそこがだめだったらしょうがないんだけどさ。
そうだ、アップデートメモ。
8日
可能だったらMoMA→Fashion’s Night Out(Shanhai Tang) →NYP(1930-2200?)→Fashion’s Night Out(五番街ぶらぶら?)
※NY Fashion weekの期間中だしどっかで招待状ゲットできひんやろか。
※滞在期間中の食料調達
※どっかで地図を手に入れて工程表つくんなきゃ。
9日
朝からDCへ移動。昼すぎ着。同行者の希望によりホロコースト博物館と…なんだっけ。
10日
一泊して朝散歩がてらホワイトハウスやらモニュメントやらリンカーンセンター(だっけ)。そして午前のうちに航空宇宙博物館。夕方NYCへ帰着。夜はステーキ食べる。
11日
朝グランドゼロへ。昼はBlueNote?あとグッゲンハイムかなあ。一応これが唯一ほぼフルに自由に使える日なので、大事に(=だらだら?)したいなと思っていつつ。
12日
朝ちょろっとちょろちょろする時間はあるけど、フライト1時半とかだから10時半とかにはでないと。
…ここまで書くので力尽きた上にFacebookでチャットはじめちゃって文字打つ気力がさらに飛ばされていったりしました。とりあえず何が書きたかったかって自分はある種の事柄に対して結構(ある種理屈じゃないという意味で宗教的な)確信を持っていて、しかもそれが理屈にかなってないし他人に説明できないと思っている面があって。それがよくないな、と思ったんですな。「特定の立場や事柄に固執しないこと」それ自体は文字にしてしまえば当たり前なんだけど(ところでこの「文字にしたら当たり前」「その時固有の条件をはずしてあくまで一般論としていえば」という時の感覚にかっこよい名前がほしい)…っていうか「固執」って言葉自体が既にネガティブなニュアンスを含んでるってこともあるし。
ああそれた。
ま、そういうことですよ。常に決定は責任ある思考の結果であってほしいな、という事なんです。自らのことで「ほしいな」もなにもないもんだけど。
あーレコード会社の人たちと朝まで飲んだ話とか書きたかったけどもうだめ、限界。
NYに思いをはせよう
2011年8月20日 非日常 NY,ほんとにいけるんでしょうか。上司にメールしたけど返事なしです。見事にシカトくらってますね。でも最終的には承認が降りるという希望的観測の元、計画を立てようと思います。意外ともう日もないのです。
でもなんか前回行ったとき買った気がするガイドブックが見当たらないのとなんとなくぼんやり考えてるとうっかりしそうなので、ちょっとメモ書き。
でも書き始めた横でチャットしてたらあっという間に4時間くらい過ぎて気力がすべて消費されたのであとで追記。ていうか宿が異常に高い…。
今回いきたいころは。
1)NYフィル(Sep7or8)
http://nyphil.org/attend/season/index.cfm?page=eventDetail&eventNum=2330&seasonNum=11
West side Storyの初演から50年らしく、それを記念して映画流しながらNYPが生演奏というコンサートがあるようで。本当は10日夜にアラン/NYPでマーラーの復活をやるらしいんだけど、後述のようにDCにいる気がするので多分無理。パブリックビューイングもやるようなんだけど。
2)Fashion’s Nightout(Sep8)
http://fashionsnightout.com/fno
最近始まったらしいファッション系イベント。そもそもこの時期NYはFashionWeekなんだけど、それにかぶせて店を遅くまで開けて、いろんなイベントやって楽しもうぜ!みたいな。去年表参道でやった、という話は知ってたんだけど元々がNYだとは知りませんでした。なんかすげー楽しそう。
3)DC(多分9から10、もしくは10から11?)
ホワイトハウス、スミソニアン、ナショナルギャラリー、アーリントン、FBI本部あたりかな。管理人さんと多分一緒。
4)911関連
一応今回の旅の目的は10年になる911のその日、を体感すること。
http://manhattan.about.com/od/september11th2001/a/911memorial.htm
突入が始まった8時46分にはWTC跡地で黙祷などがささげられるようです。あと夜にはなんかライトでパフォーマンスをやるとか。
4)グッゲンハイムとMoMA、メトロポリタン美術館
こないだ結局いけなかったからね。
6)ブルーノート
http://www.bluenote.net/newyork/schedule/
行きたいんだけど、出るのがJon Regen(知らない)とRegina Carterってのがなあ…
でもなんか前回行ったとき買った気がするガイドブックが見当たらないのとなんとなくぼんやり考えてるとうっかりしそうなので、ちょっとメモ書き。
でも書き始めた横でチャットしてたらあっという間に4時間くらい過ぎて気力がすべて消費されたのであとで追記。ていうか宿が異常に高い…。
今回いきたいころは。
1)NYフィル(Sep7or8)
http://nyphil.org/attend/season/index.cfm?page=eventDetail&eventNum=2330&seasonNum=11
West side Storyの初演から50年らしく、それを記念して映画流しながらNYPが生演奏というコンサートがあるようで。本当は10日夜にアラン/NYPでマーラーの復活をやるらしいんだけど、後述のようにDCにいる気がするので多分無理。パブリックビューイングもやるようなんだけど。
2)Fashion’s Nightout(Sep8)
http://fashionsnightout.com/fno
最近始まったらしいファッション系イベント。そもそもこの時期NYはFashionWeekなんだけど、それにかぶせて店を遅くまで開けて、いろんなイベントやって楽しもうぜ!みたいな。去年表参道でやった、という話は知ってたんだけど元々がNYだとは知りませんでした。なんかすげー楽しそう。
3)DC(多分9から10、もしくは10から11?)
ホワイトハウス、スミソニアン、ナショナルギャラリー、アーリントン、FBI本部あたりかな。管理人さんと多分一緒。
4)911関連
一応今回の旅の目的は10年になる911のその日、を体感すること。
http://manhattan.about.com/od/september11th2001/a/911memorial.htm
突入が始まった8時46分にはWTC跡地で黙祷などがささげられるようです。あと夜にはなんかライトでパフォーマンスをやるとか。
4)グッゲンハイムとMoMA、メトロポリタン美術館
こないだ結局いけなかったからね。
6)ブルーノート
http://www.bluenote.net/newyork/schedule/
行きたいんだけど、出るのがJon Regen(知らない)とRegina Carterってのがなあ…
最近わたし、まじめ。
2011年8月15日 考え事
感想:特に最後の映画は見たくなりました。楽しんで読めたけどこれをきっかけに深く考えたりするような事は残念ながら見つけられず、そういった意味ではふつーに読めてしまった。
僕は基本的に、仕事と関係ない部分で難しい本を読むことも、難しいことを考えることもあまり、ありません。ビジネス書やら新聞(たまに)やら、そういうものは読むこともあるけれど、テツガクとかシャカイガクとかブンガクとか学問的なものはまず読みません。まじめにすればいいのは仕事だけで、なんでそれが終わったり休みな日にまでそんな頭つかわなにゃならんねん、と思っています。
かといって本来まじめな本が嫌いなわけではなく、特に自分の長年考えていることに近いものに関しては興味はあるので食いついて行きたいと思ってはいるけれど、結局疲れた、とか面倒、とかありふれたそんなことなんでしょう。
そんな僕ですが、最近なぜかガクモン的な人がまわりにちらほら現れたり変な球を投げてきたりするもので、ちょいちょい読んだり、思考したりしています。
きっかけのひとつはまたChatpad。ドイツの聞いたこともない(歩き方には載ってた)住んでいるという日本人と会ったのだけれど、なんでそんな話になったのかよくわからないけど言語や文法とナショナリズムの関連とかフーコーとかそんな話を長々と朝まで語り合って、結局Skypeに移行して昨日も同じようなディープな話を。時差があって相当眠い中でこんな自分にしては極限まじめな話をするのはつらいんだけどね。
その中で語られたいくつかのトピックのうち、僕を特に刺激したのが言語的相対論(相対性理論じゃないよ、時々間違えるけど)の話。サピア=ウォーフ仮説というのが有名らしいのだけれど、一言でいえば「思考は言語によって規定される」というものらしい。伊藤計劃「虐殺器官」のWikipediaの項目に関連として挙げられていたから知った、という恥ずかしい知り方(いや、一応名前は聞いたことはあったんだけど…って言い訳してもねえ)だったんだけど、確かに読んでみると作中に出てくる概念はまさに言語的相対論をSF的に飛躍させたものでやっぱりこの本、名作やなあ…というのはまあ置いといて。
まだちゃんと文献をあたっていないのでもしかしたらまったく的外れなのかもしれないけれど、「無意識は存在するのか」みたいな方向になってしまうとこの話題はつまらないと思う。無意識が少しでもある、となればそれに基づいた行動は当然言語にも基づかないことになっちゃうからね。それより、
http://it1127.cocolog-nifty.com/it1127/2005/11/post_340b.html
で例として挙げられているようなイヌイットの雪の種類の話なんかは本来言語学の範囲なんだろうけど、サピア=ウォーフ仮説はどこの学部で研究してるんだろう?もちろん言語学はひとつの候補だけど哲学とか認知心理とかとも関係ある気がするし…まぁそれもおいとくか。
ただイヌイットの話や虹の色の話は基本的に受けた刺激をどう認識するか、という話で、それを観察者に知らせるためには当然、言語を媒介としなければいけない。だから「言語によって影響を受けたか」なんて観測することは不可能。対照実験ができないし。
そうではなく、未だ起こっていないことなどを思考する場合を想定して「媒介するものによって(たとえ発信者が一緒でも)伝わるメッセージが変わる」という考え方に立ち(ただしこれも受信者が誰かによって変わるという話も当然あって、でもそれはいまは無視)一段上に抽象化して「言語もそのメッセージを伝えるビークルである」と考えると、なんかそれってメディオロジーみたいな話とも似た構造なのかもしれないと思ったり、それって観念論なのかそれとももっと踏み込んだ唯心論なのか、そこら辺と結びつくと主観って最強じゃね?俺がないと思ったものはないよ?みたいな話になってくるのかなーと思ったりして面白いんじゃないかなと思うわけ。ただ、この種の話は結局立証不能なので思考のおもちゃ以上のものではない、ということも同時に思うんだけどね。でもそれでもちょっと違うジャンルだと思ってた人が一枚はぐと同じこといってるじゃん!とかって発見するのは楽しいですよね。うん。
…あれ?なに書こうとしたんだっけ。なんか言語が思考を縛ることができるなら言語によって行動を縛ることもできるかもねー、みたいな話もしてたので、その辺にいきつきたかったのかもね。
ま、いっか。
追記:「型にはめることで効率を上げたり理解しやすくする」というのは悪なのか?というようなことを書きたかった気がするけど眠いんで寝ます
僕は基本的に、仕事と関係ない部分で難しい本を読むことも、難しいことを考えることもあまり、ありません。ビジネス書やら新聞(たまに)やら、そういうものは読むこともあるけれど、テツガクとかシャカイガクとかブンガクとか学問的なものはまず読みません。まじめにすればいいのは仕事だけで、なんでそれが終わったり休みな日にまでそんな頭つかわなにゃならんねん、と思っています。
かといって本来まじめな本が嫌いなわけではなく、特に自分の長年考えていることに近いものに関しては興味はあるので食いついて行きたいと思ってはいるけれど、結局疲れた、とか面倒、とかありふれたそんなことなんでしょう。
そんな僕ですが、最近なぜかガクモン的な人がまわりにちらほら現れたり変な球を投げてきたりするもので、ちょいちょい読んだり、思考したりしています。
きっかけのひとつはまたChatpad。ドイツの聞いたこともない(歩き方には載ってた)住んでいるという日本人と会ったのだけれど、なんでそんな話になったのかよくわからないけど言語や文法とナショナリズムの関連とかフーコーとかそんな話を長々と朝まで語り合って、結局Skypeに移行して昨日も同じようなディープな話を。時差があって相当眠い中でこんな自分にしては極限まじめな話をするのはつらいんだけどね。
その中で語られたいくつかのトピックのうち、僕を特に刺激したのが言語的相対論(相対性理論じゃないよ、時々間違えるけど)の話。サピア=ウォーフ仮説というのが有名らしいのだけれど、一言でいえば「思考は言語によって規定される」というものらしい。伊藤計劃「虐殺器官」のWikipediaの項目に関連として挙げられていたから知った、という恥ずかしい知り方(いや、一応名前は聞いたことはあったんだけど…って言い訳してもねえ)だったんだけど、確かに読んでみると作中に出てくる概念はまさに言語的相対論をSF的に飛躍させたものでやっぱりこの本、名作やなあ…というのはまあ置いといて。
まだちゃんと文献をあたっていないのでもしかしたらまったく的外れなのかもしれないけれど、「無意識は存在するのか」みたいな方向になってしまうとこの話題はつまらないと思う。無意識が少しでもある、となればそれに基づいた行動は当然言語にも基づかないことになっちゃうからね。それより、
http://it1127.cocolog-nifty.com/it1127/2005/11/post_340b.html
で例として挙げられているようなイヌイットの雪の種類の話なんかは本来言語学の範囲なんだろうけど、サピア=ウォーフ仮説はどこの学部で研究してるんだろう?もちろん言語学はひとつの候補だけど哲学とか認知心理とかとも関係ある気がするし…まぁそれもおいとくか。
ただイヌイットの話や虹の色の話は基本的に受けた刺激をどう認識するか、という話で、それを観察者に知らせるためには当然、言語を媒介としなければいけない。だから「言語によって影響を受けたか」なんて観測することは不可能。対照実験ができないし。
そうではなく、未だ起こっていないことなどを思考する場合を想定して「媒介するものによって(たとえ発信者が一緒でも)伝わるメッセージが変わる」という考え方に立ち(ただしこれも受信者が誰かによって変わるという話も当然あって、でもそれはいまは無視)一段上に抽象化して「言語もそのメッセージを伝えるビークルである」と考えると、なんかそれってメディオロジーみたいな話とも似た構造なのかもしれないと思ったり、それって観念論なのかそれとももっと踏み込んだ唯心論なのか、そこら辺と結びつくと主観って最強じゃね?俺がないと思ったものはないよ?みたいな話になってくるのかなーと思ったりして面白いんじゃないかなと思うわけ。ただ、この種の話は結局立証不能なので思考のおもちゃ以上のものではない、ということも同時に思うんだけどね。でもそれでもちょっと違うジャンルだと思ってた人が一枚はぐと同じこといってるじゃん!とかって発見するのは楽しいですよね。うん。
…あれ?なに書こうとしたんだっけ。なんか言語が思考を縛ることができるなら言語によって行動を縛ることもできるかもねー、みたいな話もしてたので、その辺にいきつきたかったのかもね。
ま、いっか。
追記:「型にはめることで効率を上げたり理解しやすくする」というのは悪なのか?というようなことを書きたかった気がするけど眠いんで寝ます
言葉が出来ないのは仕事ができない以前です(愚痴)
2011年8月13日 日常 という話は外資にいるとどこにでも英語が出来るだけで上に行くバルーンヘッドな人を罵る時に誰しも使う言葉なわけですが(ええ一社しか知らないのに一般化してますよ今)、まさかうちの会社にそんな子がいようとは。「子」という所でまぁ薄々、なんでしょうけれども、その正体はバイトちゃんでした。
僕自身ちゃんと部下を持つのは初めて、社会人として教育するのもはじめて、ということで実際はそういうことも結構あるという話なのかもしれないのに俺だけ不幸って気分なのかもしれないと自分を慰めるのですが、いやいやそれにしてもトゥマッチでしょう。いやこれが社会人スタートラインの標準であってはほしくない。
しかしこれも学ばされるというか、偽名ちゃんに「世の中には意外に証拠もなく信じていることがある」というような事を自覚させられたのと同様、勉強になることでもあります。だって一応日本語のように見える文字列が文法的にどうか、なんて普段考えないでしょう。変だったり程度の低い文章を見たらなんとなく違和感があるから読むのをやめる、というだけのはず。それを一文節一文節解体していくと「あー普段俺ってこう考えてるんだ」とかふむふむなわけです。いやもうなんていうかあきれるを通り越してそういう楽しみ見つけないとやっていられないわけなんですけどね。皮肉っちゃ皮肉。でも思うところあるのも事実。
確かにバイトちゃんが今在籍してる大学は英語教育で鳴らしてるところだし、留学経験あり。で本人も留学から帰ってきたばかりだから…とか言ってるんだけど残念ながら多分そんな浅いことが原因じゃない。というか1年やそこら使わなかった程度で言葉は崩れませんて。例…と言ってもあんまり思い出せないんだけど「~であるからである」みたいな重複とか「雑誌に乗る」みたいな誤変換(まぁこれはよくあるから許さないでもない)、絶対にペアでしか出てこない表現の片方の欠落、存在しない表現。
この子日本語の喋りも聞き取りもだめ。「電話はあんまりしないので緊張しちゃって…」とか今時の子っぽい事言ってるけどとにかく相手の名前が聞き取れない。母音もあってない名前を言う事が多い…何を聞いてるんだ?と思うんだけど。そういう所を見るとそもそも文章力とかの問題じゃなく申し訳ないけど頭が悪いというか日本語を理解する能力が低いのかな、と思ったりもする。耳から入った音を言葉にすら出来なかったら考えて言葉を書くなんて無理だもんね…。単に電話機の設定とか耳が悪いとか、そういうことであってほしいんだけど。昨日勤務開始一ヶ月ということでレビューと称してちょっといろいろ話あったんだけど、その時ついでに「翻訳は日→英の方が得意です」なんてことも言われた。10年以上暮らしてた人に言われるならなんとなく納得できるけど、理由が「英語の方が言い回しがシンプルで」とかになってくると日本語というより言葉のセンスがひょっとしたら皆無なんじゃないかと思ったりするのです。棒みたいな翻訳なら機械翻訳かませば誰にでも出来るわけで。英語の能力がどの程度あるのかまだよくわからないけど、それにしたってそりゃあ相当自信ないといえない台詞だよね…と思ってしまうわけ。
そんな鬱々とした最近でした。かわいい子なんで面と向かって悪いこというの辛いんだけど(ええ、残念ながらというか世の中にはそういう仕事上の指摘をしているだけでこっちが悪者な気分になってくるような人がいるんですね…差別というなら言え)、どうしよーという感じ。
僕自身大学のときから現場に叩き込まれてあっぷあっぷしながらいろいろ覚えたという事もあり、きっとあの頃は迷惑掛けまくってただろうし、そりゃあ思い出すだけで赤面みたいな話もあるので勝手に期待して勝手に失望してはいけないと戒めつつ、いやーいやーいやーとも思うわけです。どうしよ。とりあえずそんな中でサバイヴした自分の教訓は「一個だけでもほかの誰も出来ない特技を主張できれば他がどんなに未熟でも存在を許してもらえる」ということだったので、そんな事を伝えたりしていました。伝わったかわからないけど、次の数ヶ月でそれが見えなければ一緒に働くことはできない、ということでもあります。さて…。あ、そもそも期待値が高すぎたんじゃん?ってのはその通りかもしれませんがね。
まぁ愚痴ばっかりもよくないのでその他のこと。来週はお盆休み、特に出勤する必要もなさそう。とはいえ別になんの予定もないのでたまってる「いつやってもいい仕事」を片付けるためにちょっと出ようとは思っていて、しかしそれ以外はなにするかねえ、ハイシーズンだから何をするにも高いでしょうし。ちょっと山篭りも考えているけど、そんながっつりな所じゃなく人がいなくてぼおっとできるところというのを探すのはなんか難しいと本屋で思いました。そりゃ本に載っちゃった山が静かでいられるわけないもんなぁ…。かといってgoogle先生に「静か 山 登る」とか入れてもねえ。どうなの。
前は海外というと一人で行ってばっかりだったからいろいろ考えるきっかけになったりもしたんだけど最近は行き先に人がいたり一緒に行く人がいたりあまり孤独な感じがせず、そういうことも少なくなっていて。だからこその山なんだけどね。
僕自身ちゃんと部下を持つのは初めて、社会人として教育するのもはじめて、ということで実際はそういうことも結構あるという話なのかもしれないのに俺だけ不幸って気分なのかもしれないと自分を慰めるのですが、いやいやそれにしてもトゥマッチでしょう。いやこれが社会人スタートラインの標準であってはほしくない。
しかしこれも学ばされるというか、偽名ちゃんに「世の中には意外に証拠もなく信じていることがある」というような事を自覚させられたのと同様、勉強になることでもあります。だって一応日本語のように見える文字列が文法的にどうか、なんて普段考えないでしょう。変だったり程度の低い文章を見たらなんとなく違和感があるから読むのをやめる、というだけのはず。それを一文節一文節解体していくと「あー普段俺ってこう考えてるんだ」とかふむふむなわけです。いやもうなんていうかあきれるを通り越してそういう楽しみ見つけないとやっていられないわけなんですけどね。皮肉っちゃ皮肉。でも思うところあるのも事実。
確かにバイトちゃんが今在籍してる大学は英語教育で鳴らしてるところだし、留学経験あり。で本人も留学から帰ってきたばかりだから…とか言ってるんだけど残念ながら多分そんな浅いことが原因じゃない。というか1年やそこら使わなかった程度で言葉は崩れませんて。例…と言ってもあんまり思い出せないんだけど「~であるからである」みたいな重複とか「雑誌に乗る」みたいな誤変換(まぁこれはよくあるから許さないでもない)、絶対にペアでしか出てこない表現の片方の欠落、存在しない表現。
この子日本語の喋りも聞き取りもだめ。「電話はあんまりしないので緊張しちゃって…」とか今時の子っぽい事言ってるけどとにかく相手の名前が聞き取れない。母音もあってない名前を言う事が多い…何を聞いてるんだ?と思うんだけど。そういう所を見るとそもそも文章力とかの問題じゃなく申し訳ないけど頭が悪いというか日本語を理解する能力が低いのかな、と思ったりもする。耳から入った音を言葉にすら出来なかったら考えて言葉を書くなんて無理だもんね…。単に電話機の設定とか耳が悪いとか、そういうことであってほしいんだけど。昨日勤務開始一ヶ月ということでレビューと称してちょっといろいろ話あったんだけど、その時ついでに「翻訳は日→英の方が得意です」なんてことも言われた。10年以上暮らしてた人に言われるならなんとなく納得できるけど、理由が「英語の方が言い回しがシンプルで」とかになってくると日本語というより言葉のセンスがひょっとしたら皆無なんじゃないかと思ったりするのです。棒みたいな翻訳なら機械翻訳かませば誰にでも出来るわけで。英語の能力がどの程度あるのかまだよくわからないけど、それにしたってそりゃあ相当自信ないといえない台詞だよね…と思ってしまうわけ。
そんな鬱々とした最近でした。かわいい子なんで面と向かって悪いこというの辛いんだけど(ええ、残念ながらというか世の中にはそういう仕事上の指摘をしているだけでこっちが悪者な気分になってくるような人がいるんですね…差別というなら言え)、どうしよーという感じ。
僕自身大学のときから現場に叩き込まれてあっぷあっぷしながらいろいろ覚えたという事もあり、きっとあの頃は迷惑掛けまくってただろうし、そりゃあ思い出すだけで赤面みたいな話もあるので勝手に期待して勝手に失望してはいけないと戒めつつ、いやーいやーいやーとも思うわけです。どうしよ。とりあえずそんな中でサバイヴした自分の教訓は「一個だけでもほかの誰も出来ない特技を主張できれば他がどんなに未熟でも存在を許してもらえる」ということだったので、そんな事を伝えたりしていました。伝わったかわからないけど、次の数ヶ月でそれが見えなければ一緒に働くことはできない、ということでもあります。さて…。あ、そもそも期待値が高すぎたんじゃん?ってのはその通りかもしれませんがね。
まぁ愚痴ばっかりもよくないのでその他のこと。来週はお盆休み、特に出勤する必要もなさそう。とはいえ別になんの予定もないのでたまってる「いつやってもいい仕事」を片付けるためにちょっと出ようとは思っていて、しかしそれ以外はなにするかねえ、ハイシーズンだから何をするにも高いでしょうし。ちょっと山篭りも考えているけど、そんながっつりな所じゃなく人がいなくてぼおっとできるところというのを探すのはなんか難しいと本屋で思いました。そりゃ本に載っちゃった山が静かでいられるわけないもんなぁ…。かといってgoogle先生に「静か 山 登る」とか入れてもねえ。どうなの。
前は海外というと一人で行ってばっかりだったからいろいろ考えるきっかけになったりもしたんだけど最近は行き先に人がいたり一緒に行く人がいたりあまり孤独な感じがせず、そういうことも少なくなっていて。だからこその山なんだけどね。
わけもなく連休自分用Todoメモさらす
2011年8月12日 日常- NYの計画をつめる(宿、移動、チケット取る)
- ペンキ塗る
- ごみを捨てよう
- 足元をかたす
- 事業計画をもう少し煮詰める
- ヴァイオリン弾く
- 大阪行くのか問い合わせる
- DVDデッキ直すor修理に出す
- 靴を磨く
- 爪を切りそろえる
- 本をまた捨てる
思いついたら追記
- ペンキ塗る
- ごみを捨てよう
- 足元をかたす
- 事業計画をもう少し煮詰める
- ヴァイオリン弾く
- 大阪行くのか問い合わせる
- DVDデッキ直すor修理に出す
- 靴を磨く
- 爪を切りそろえる
- 本をまた捨てる
思いついたら追記
音楽のための音楽のための音楽のための音楽のための音楽
2011年8月7日 音楽 最近Chatpadで上海人に会って、MSNメッセンジャーに移行して交流が続いている。べらぼうに日本語がうまく、打鍵が早い。学部時代日本留学しただけらしいんだけど…。あ、でも僕の数少ない中国人知り合いの中でぬきんでて日本語がうまいアンさんとチャット上で共通の違和感(よく「ほおおおおおお」とか使う)があるのは面白いなと思う。発音(例えば韓国人は破裂音だっけ、がうまく発音できないとか)ってのは母国語にひきづられているという意味でとても自然だと思うんだけど、そういう言い回し?に特徴が出るってのもそういう所が元なのかな?・・・ってサンプル数2じゃ説得力ないですね。ちなみにハルビンの近く出身らしいですが。
さて、その上海人と音楽の話をしていて、クラシックは全然しらないから一曲紹介しろといわれてチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を紹介したのです。んでしばらく聞かせたあとに「で、これのストーリーは何?」という質問をされた、というのが今日の話。
音楽にストーリーって何意味ワカンネって聞いたら「例えば『梁山伯と祝英台』とかは言い伝えを元にしているから起承転結あるでしょ」って言われて(梁山伯と祝英台、通称梁祝は中国で一番有名な中国人作曲家の手によるヴァイオリン協奏曲)。梁祝なんてなんで知ってるねんというのはおいとくとして、あーなるほどーと思ったですよ。
普段クラシックを聞かずポップスを主に聴いている人にとっては歌詞があるのが自然で、それがないというだけで結構聞きづらいと言ったりするのは認識してた(わざわざ「インスト」って呼ぶなよみたいな)。でもそれを一段掘り下げると歌詞がある歌ってのは要するにテーマというかいいたい事…振られて悲しいとか…があるってことなんだよ。だからそれに対する共感とか反感とか、何かしら軸に対しての態度のとり方ってのが比較的簡単に選べるのかも。
翻っていわゆるクラシックっていうのは標題があるものだとしても、長ったらしいストーリーはないものが多い。「運命」って言ったところでじゃあ最初のノック(だだだだーん)以外のどこが運命なのよ?なんかある人が自分の宿命に立ち向かって病気とでも闘って弱ってでも跳ね返して最終的に勝利するって話なのかという話で(ちなみに一応wikipediaでは確認したけど「運命」についてはベートーヴェンがつけた名前ではないのでこれは「標題」とは言わない。誰かが勝手につけた「表題」だね)。あるとしたら交響詩はそういうものなのかな?あまり聞かないからよく知らないけど。例えばショパンの子犬のワルツだって別に物語があるわけじゃなくて、あのちょろちょろした…ってこれも多分「表題」だな…。
そんなわけで、話を戻してヴァイオリン協奏曲は「音楽のための音楽」っていうことになるのか?と思うとそれって結構普通に考えてとっつきにくいよな…と思うわけです。何か芸術に接する時についついコンテクストから考えてしまうというのは慣れた人でもおちいりがち…というか特に「現代~」と呼ばれるある種の作品には批判の対象であったり何かしら外部の芸術や事象に依存していてコンテクストなしでは成り立たなかったり意味を成さなかったりする(例えばデュシャンの泉とか)場合すらもあるのは理解していつつも僕はそれがとても嫌いなんだけどまぁそれはおいとくとして、曲を聴く前、または聴きながらでも良いんだけど(さっき書いたことにも重複してるけど)何かを軸にそこから意味づけしていくというのは自分にとって意味づけがしやすいんだよねきっと。音楽を音楽として聴く、というのはある種のスキルなのかもしれないと思うわけ。
とか言ってじゃあ自分がそのスキルを持ち合わせているかというと怪しくて、というか多分足りない。それが現われているのが比較的最近の交響曲が苦手、というところ。クラシックの交響曲というのは一般的に時代を下るにつれて縦にも(大編成)横にも(演奏時間)長くなってきている(理由はめんどいのではしょる)。
縦に長いというのはヴァイオリンで出てきた主題がピッコロで出てきて、それを展開したものがオーボエで出てきた後にチェロに戻ってくる、みたいな事を意味するし、横に長いというのはその主題が随分後になって、時には楽章をまたいで帰ってくることを意味する。曲というのが基本的にはいくつかの主題とその展開をベースに作られていることが多いとするならば、その主題をちゃんと感じられるかどうかというのが「ひとつの曲を聞いているという感覚」を得るための重要な鍵であるわけ。メロディはでてこなくても同じコード進行だなーとか、コードまでわからなくても伴奏一緒だ、とか。それを統一された「曲」として感じるというのは、ひとつの聞くほうのスキルなんです多分。
でもそうやって長大になった曲では、いくつもある主題なりモチーフがいやらしい形で忘れた頃に帰ってくることが多い。作るほうも単純に再現するだけでは芸がないと思うのか何度かずらしたり位なら良いけど例えばどっかの曲では主題をそのまま逆から(右から左へ、ってことねドレミーって主題ならミレドーって)弾く、みたいなことをやっていたりして甚だわかりづらい。しかも時代が下るとそのマニアック度合いがどんどんインフレしていってる(気がする)。だから僕はそういう曲を聞いても同じ楽章内であってもそれがひとつの曲だという確信がもてないことが多くて、「曲を聞いてる」のではなくてもっと短いフレーズ単位でしか耳に入ってこない。まったく全体が見えない、想像がつかない中で曲を聞くというのが非常な苦行なのです。
ちょっとそれてる気もするけど、僕にとってはそういう音楽的な「お約束」に従った展開がある曲であれば最初を聞けばおおまかな展開がある程度想像できて(例えば知らない曲を早送りで2,3分ごとくらいにとめながら聴いても一番盛り上がってる部分は割合確信をもって拾える場合が多い。楽器の使い方とかでもわかる)、だから安心して曲を聞き続けられるし、逆にそれが想像できないほど複雑な曲は生理的に駄目って話。そして要するにそれってコンテクストだとか、ストーリーだとかと根は同じなのかもと思いましたということです。その場その場で流れて去っていく音楽を集中して聴いてその積み上げで全体像を把握するというのはもしかしたらとても難しくて、誰しも何かを手がかりに「自分は今全体のどこ(別に何楽章の何小節という意味じゃなく)を聞いている」というのを考えなきゃ不安なものなのかな、と。
さて、その上海人と音楽の話をしていて、クラシックは全然しらないから一曲紹介しろといわれてチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を紹介したのです。んでしばらく聞かせたあとに「で、これのストーリーは何?」という質問をされた、というのが今日の話。
音楽にストーリーって何意味ワカンネって聞いたら「例えば『梁山伯と祝英台』とかは言い伝えを元にしているから起承転結あるでしょ」って言われて(梁山伯と祝英台、通称梁祝は中国で一番有名な中国人作曲家の手によるヴァイオリン協奏曲)。梁祝なんてなんで知ってるねんというのはおいとくとして、あーなるほどーと思ったですよ。
普段クラシックを聞かずポップスを主に聴いている人にとっては歌詞があるのが自然で、それがないというだけで結構聞きづらいと言ったりするのは認識してた(わざわざ「インスト」って呼ぶなよみたいな)。でもそれを一段掘り下げると歌詞がある歌ってのは要するにテーマというかいいたい事…振られて悲しいとか…があるってことなんだよ。だからそれに対する共感とか反感とか、何かしら軸に対しての態度のとり方ってのが比較的簡単に選べるのかも。
翻っていわゆるクラシックっていうのは標題があるものだとしても、長ったらしいストーリーはないものが多い。「運命」って言ったところでじゃあ最初のノック(だだだだーん)以外のどこが運命なのよ?なんかある人が自分の宿命に立ち向かって病気とでも闘って弱ってでも跳ね返して最終的に勝利するって話なのかという話で(ちなみに一応wikipediaでは確認したけど「運命」についてはベートーヴェンがつけた名前ではないのでこれは「標題」とは言わない。誰かが勝手につけた「表題」だね)。あるとしたら交響詩はそういうものなのかな?あまり聞かないからよく知らないけど。例えばショパンの子犬のワルツだって別に物語があるわけじゃなくて、あのちょろちょろした…ってこれも多分「表題」だな…。
そんなわけで、話を戻してヴァイオリン協奏曲は「音楽のための音楽」っていうことになるのか?と思うとそれって結構普通に考えてとっつきにくいよな…と思うわけです。何か芸術に接する時についついコンテクストから考えてしまうというのは慣れた人でもおちいりがち…というか特に「現代~」と呼ばれるある種の作品には批判の対象であったり何かしら外部の芸術や事象に依存していてコンテクストなしでは成り立たなかったり意味を成さなかったりする(例えばデュシャンの泉とか)場合すらもあるのは理解していつつも僕はそれがとても嫌いなんだけどまぁそれはおいとくとして、曲を聴く前、または聴きながらでも良いんだけど(さっき書いたことにも重複してるけど)何かを軸にそこから意味づけしていくというのは自分にとって意味づけがしやすいんだよねきっと。音楽を音楽として聴く、というのはある種のスキルなのかもしれないと思うわけ。
とか言ってじゃあ自分がそのスキルを持ち合わせているかというと怪しくて、というか多分足りない。それが現われているのが比較的最近の交響曲が苦手、というところ。クラシックの交響曲というのは一般的に時代を下るにつれて縦にも(大編成)横にも(演奏時間)長くなってきている(理由はめんどいのではしょる)。
縦に長いというのはヴァイオリンで出てきた主題がピッコロで出てきて、それを展開したものがオーボエで出てきた後にチェロに戻ってくる、みたいな事を意味するし、横に長いというのはその主題が随分後になって、時には楽章をまたいで帰ってくることを意味する。曲というのが基本的にはいくつかの主題とその展開をベースに作られていることが多いとするならば、その主題をちゃんと感じられるかどうかというのが「ひとつの曲を聞いているという感覚」を得るための重要な鍵であるわけ。メロディはでてこなくても同じコード進行だなーとか、コードまでわからなくても伴奏一緒だ、とか。それを統一された「曲」として感じるというのは、ひとつの聞くほうのスキルなんです多分。
でもそうやって長大になった曲では、いくつもある主題なりモチーフがいやらしい形で忘れた頃に帰ってくることが多い。作るほうも単純に再現するだけでは芸がないと思うのか何度かずらしたり位なら良いけど例えばどっかの曲では主題をそのまま逆から(右から左へ、ってことねドレミーって主題ならミレドーって)弾く、みたいなことをやっていたりして甚だわかりづらい。しかも時代が下るとそのマニアック度合いがどんどんインフレしていってる(気がする)。だから僕はそういう曲を聞いても同じ楽章内であってもそれがひとつの曲だという確信がもてないことが多くて、「曲を聞いてる」のではなくてもっと短いフレーズ単位でしか耳に入ってこない。まったく全体が見えない、想像がつかない中で曲を聞くというのが非常な苦行なのです。
ちょっとそれてる気もするけど、僕にとってはそういう音楽的な「お約束」に従った展開がある曲であれば最初を聞けばおおまかな展開がある程度想像できて(例えば知らない曲を早送りで2,3分ごとくらいにとめながら聴いても一番盛り上がってる部分は割合確信をもって拾える場合が多い。楽器の使い方とかでもわかる)、だから安心して曲を聞き続けられるし、逆にそれが想像できないほど複雑な曲は生理的に駄目って話。そして要するにそれってコンテクストだとか、ストーリーだとかと根は同じなのかもと思いましたということです。その場その場で流れて去っていく音楽を集中して聴いてその積み上げで全体像を把握するというのはもしかしたらとても難しくて、誰しも何かを手がかりに「自分は今全体のどこ(別に何楽章の何小節という意味じゃなく)を聞いている」というのを考えなきゃ不安なものなのかな、と。
ぼくはしぬのか(走馬灯編)
2011年8月4日 日常【ちょうぬむい】
最近異様に偶然知人とばったり会います。ぼくはしぬのでしょうか。
今日、会社の電話を取ったら懐かしい声だったのです。名乗る苗字も心当たりがあり、しかしまさか…と思って電話を取り次いだ相手に後から確認したらやっぱり知り合い。というか大学時代のサークルの後輩。僕が編曲した曲を何回か弾くように強要したり色々しましたよあの子には…ということで早速メールしてみたりしたのでした。元気みたいで。ちなみにこの子とは卒業以来多分会ってな…いかと思いきやそういやKくんとシンガポール行くための会議してた帰りに実はすれちがったけど面倒というかモチベーションが足りずに気づかない振りしてやりすごしたのでした。
こないだ偽名さんと会った日は待ち合わせ前にぶらぶらしていたら元族かつ高校の同級生であるハゲ+友人に会って、偽名さんと電車に乗って彼女が降りていったと思ったら同じ扉から取引先のおっさん登場とか。同じ日に二人。
あとなんだっけな、その前の日も、そのさらに3日位前も知り合いに会ったんだよね・・・ああこれが思い出せないとこの記事の意味がない…。とりあえず最近町を歩くと知り合いに会う、って雰囲気になっているわけです。いや毎日じゃなくても一ヶ月に知り合いに偶然5人もあえば十分じゃないですか?いや、今日の子は会ってはいないけど(しかし来週の現場で一緒になるらしい)。ああそうだ、一人は前の会社の先輩だ。
最近異様に偶然知人とばったり会います。ぼくはしぬのでしょうか。
今日、会社の電話を取ったら懐かしい声だったのです。名乗る苗字も心当たりがあり、しかしまさか…と思って電話を取り次いだ相手に後から確認したらやっぱり知り合い。というか大学時代のサークルの後輩。僕が編曲した曲を何回か弾くように強要したり色々しましたよあの子には…ということで早速メールしてみたりしたのでした。元気みたいで。ちなみにこの子とは卒業以来多分会ってな…いかと思いきやそういやKくんとシンガポール行くための会議してた帰りに実はすれちがったけど面倒というかモチベーションが足りずに気づかない振りしてやりすごしたのでした。
こないだ偽名さんと会った日は待ち合わせ前にぶらぶらしていたら元族かつ高校の同級生であるハゲ+友人に会って、偽名さんと電車に乗って彼女が降りていったと思ったら同じ扉から取引先のおっさん登場とか。同じ日に二人。
あとなんだっけな、その前の日も、そのさらに3日位前も知り合いに会ったんだよね・・・ああこれが思い出せないとこの記事の意味がない…。とりあえず最近町を歩くと知り合いに会う、って雰囲気になっているわけです。いや毎日じゃなくても一ヶ月に知り合いに偶然5人もあえば十分じゃないですか?いや、今日の子は会ってはいないけど(しかし来週の現場で一緒になるらしい)。ああそうだ、一人は前の会社の先輩だ。
中華人民シュレディンガー
2011年7月30日 日常【ビール一本】
江沢民さんが死んだの死んでないの、というのを聞いてシュレディンガーの猫の話を思い出しました。ってこのネタ数週間前やけどさっき思い出しなおしたので。 対象が死んでいるか生きているのかを観察できるのが全知全能の党中央だけに限られているという話なので、「事実は関係ない」というのとも違うのよね、きっと。事実であるか判断できるのが党だけ、ということ。ま、実際死んだのは本当じゃなかったんじゃないかという事らしいので、そういう誤報だったのでしょう(脳死状態に陥った、ということにようです・・・って結局公式発表または言い逃れできない写真なりがでないと誰にも真相はわからないのでしょうが)。
僕は単にあそこはそういう国なんだろ、というだけの話と思うのですがこういうことがあると怒る人がいるのがちょっと不思議だったのでした。政治制度も違うし言葉も違うしまぁ一応同じ人間でちょっと近いところにあるってだけの国を自分の常識ではかってもなあ、という気がするのです、けどそんな考えもなんていうか逆に諦めすぎてるのかもしれません。
そう、そんな事を書いていたら期待値の話を思い出した。あまり親しくない人から「君は人に対して寛容だね」と言われる事が結構ある(「あまり人に対して怒ったりしないでしょ」とかも)。そんな時僕は多分人に対する期待値が恐ろしく低いからなんだよ、とさらっと(たいして親しくもない人に)口に出して言ってしまう自分は結構ひどいというかもう少し考えろと後になって思ったりもするのだけれど、まぁそれはほっといてください僕だって少しは賢くありたいのですけれどいかんともしがたい事も。
人に対して怒ることはとても疲れるし、実際自分が本気で怒ったってのは何年前か思い出せもしない。ぱっと思い出せるのは高校時代になってしまう。もう10年とか経ってる。「怒るとお腹が空く」と言っていたのは多分放浪の画家じゃないかと思うんだけど(僕は究極超人Rでそのパロディを読んだのがはじめだと思う)まぁそれもどうでもいい話で、要するにもう少し俺期待値あげたほうが良いんじゃないかなと思うってだけ。
今日の昼は最悪だった。たまねぎを使わないカレーを作ろうとして塩を入れすぎて失敗、そして立体感つけるために入れるインドカレーの素的なものも手が滑って入りすぎ、もう僕はどうすればいいんでしょう状態。とりあえず具を中心に救い出して無理やり食ったがなんというか食べ物粗末にしてごめんなさいごめんなさい。食べなかったスープ部分は流しましたごめんなさい。
これ自体が以前既に書いたことかもしれないけれど、僕はとてもネタをぴーちくぱーちく広めるのが好きな割に記憶力が悪く、誰に何を話したか覚えてないことが多い。だから仕入れたネタを披露する時には「これ前言ったかもしれないけど」とほぼ必ず口にする。それでいいのかな…というかホント記憶力の問題はどうにかしたい。ネタ帳作って誰に披露したかも管理するようにしようかな…とお得意のリスト管理でどうにかしようという方向に流れてしまうのがなんというか、かんというか。
ちなみにきもいのと紙一重な自覚はあるけど、それなりの頻度で会うそれなりの関係の人についてはExcelで簡単にざっとした個人情報やら話したトピックやら現況みたいなものをまとめていたりします(最近更新怠ってるけど)。どうやら他の人の話を聞くと結構そういうのって別にそこまでしなくても記憶できてるみたいなんだけど、僕無理ですよそんな愛してるわけでもない半年に一度くらいしか会わない友人の住んでる場所やら兄弟の仕事やら実家がどこか、なんて覚えてるの。でも覚えてないと気まずかったり。
ああそう覚えるの無理といえば結婚した友達の姓とか子供の名前とかもね。本人にとって重要だろう事はわかるし、それでも自分が覚えていられないだろう事もわかってるので最近はできるだけ携帯とかに保存するようにしているのですが、それにしたって一度チャンスを逃すとあとから聞くわけにもいかないしなんというかもごもごしちゃいますよね。
夏休みどうしようかなぁ…1週間ぶっ続けで休むのはないにしろ、3日くらいは全く問題なく休める、といってもNY行きに金がかかるからあまり使いたくないし、一緒に旅にでる友人もいないし、かといって家にいたらだらだらし続けるだけでとても無意味だろうしなぁ…。って別に休みに意味なんていらんのだろうけどね。
というか夏休み以前に明日何をやるかすら全く予定が立っていない。暇だ。
江沢民さんが死んだの死んでないの、というのを聞いてシュレディンガーの猫の話を思い出しました。ってこのネタ数週間前やけどさっき思い出しなおしたので。 対象が死んでいるか生きているのかを観察できるのが全知全能の党中央だけに限られているという話なので、「事実は関係ない」というのとも違うのよね、きっと。事実であるか判断できるのが党だけ、ということ。ま、実際死んだのは本当じゃなかったんじゃないかという事らしいので、そういう誤報だったのでしょう(脳死状態に陥った、ということにようです・・・って結局公式発表または言い逃れできない写真なりがでないと誰にも真相はわからないのでしょうが)。
僕は単にあそこはそういう国なんだろ、というだけの話と思うのですがこういうことがあると怒る人がいるのがちょっと不思議だったのでした。政治制度も違うし言葉も違うしまぁ一応同じ人間でちょっと近いところにあるってだけの国を自分の常識ではかってもなあ、という気がするのです、けどそんな考えもなんていうか逆に諦めすぎてるのかもしれません。
そう、そんな事を書いていたら期待値の話を思い出した。あまり親しくない人から「君は人に対して寛容だね」と言われる事が結構ある(「あまり人に対して怒ったりしないでしょ」とかも)。そんな時僕は多分人に対する期待値が恐ろしく低いからなんだよ、とさらっと(たいして親しくもない人に)口に出して言ってしまう自分は結構ひどいというかもう少し考えろと後になって思ったりもするのだけれど、まぁそれはほっといてください僕だって少しは賢くありたいのですけれどいかんともしがたい事も。
人に対して怒ることはとても疲れるし、実際自分が本気で怒ったってのは何年前か思い出せもしない。ぱっと思い出せるのは高校時代になってしまう。もう10年とか経ってる。「怒るとお腹が空く」と言っていたのは多分放浪の画家じゃないかと思うんだけど(僕は究極超人Rでそのパロディを読んだのがはじめだと思う)まぁそれもどうでもいい話で、要するにもう少し俺期待値あげたほうが良いんじゃないかなと思うってだけ。
今日の昼は最悪だった。たまねぎを使わないカレーを作ろうとして塩を入れすぎて失敗、そして立体感つけるために入れるインドカレーの素的なものも手が滑って入りすぎ、もう僕はどうすればいいんでしょう状態。とりあえず具を中心に救い出して無理やり食ったがなんというか食べ物粗末にしてごめんなさいごめんなさい。食べなかったスープ部分は流しましたごめんなさい。
これ自体が以前既に書いたことかもしれないけれど、僕はとてもネタをぴーちくぱーちく広めるのが好きな割に記憶力が悪く、誰に何を話したか覚えてないことが多い。だから仕入れたネタを披露する時には「これ前言ったかもしれないけど」とほぼ必ず口にする。それでいいのかな…というかホント記憶力の問題はどうにかしたい。ネタ帳作って誰に披露したかも管理するようにしようかな…とお得意のリスト管理でどうにかしようという方向に流れてしまうのがなんというか、かんというか。
ちなみにきもいのと紙一重な自覚はあるけど、それなりの頻度で会うそれなりの関係の人についてはExcelで簡単にざっとした個人情報やら話したトピックやら現況みたいなものをまとめていたりします(最近更新怠ってるけど)。どうやら他の人の話を聞くと結構そういうのって別にそこまでしなくても記憶できてるみたいなんだけど、僕無理ですよそんな愛してるわけでもない半年に一度くらいしか会わない友人の住んでる場所やら兄弟の仕事やら実家がどこか、なんて覚えてるの。でも覚えてないと気まずかったり。
ああそう覚えるの無理といえば結婚した友達の姓とか子供の名前とかもね。本人にとって重要だろう事はわかるし、それでも自分が覚えていられないだろう事もわかってるので最近はできるだけ携帯とかに保存するようにしているのですが、それにしたって一度チャンスを逃すとあとから聞くわけにもいかないしなんというかもごもごしちゃいますよね。
夏休みどうしようかなぁ…1週間ぶっ続けで休むのはないにしろ、3日くらいは全く問題なく休める、といってもNY行きに金がかかるからあまり使いたくないし、一緒に旅にでる友人もいないし、かといって家にいたらだらだらし続けるだけでとても無意味だろうしなぁ…。って別に休みに意味なんていらんのだろうけどね。
というか夏休み以前に明日何をやるかすら全く予定が立っていない。暇だ。
【白酒×3+ビール数杯=大体累計180度くらいかしら】
ということで、ご招待を頂き中国語で言うところの「網友」と会ったりしていました。自分の過去の日記を見ると2007年から…つまりここ4年くらい醜態晒しっぱなしという具合なんだと思うのですが、まぁ考えても仕方がない事を考えても仕方がありませんよね。
今日は、某飲料系ホールにとても久しぶりに正面から入ってお客さんをしてしまいました。なんというか、お客さんするには良い箱ですね(決して裏が悪いというわけではなく)。満員で雰囲気もよく暖かく。しかし宗教曲っていってもそれにしてもすごくなんというか渋い選曲でそこでオケゲムが来るか。。。という感じで。実演聞いたのはじめてだよ。
振り返ると僕はここで7年とかブログをやっているようで、もし通読した奇特な人がいたら、その人にはもしかしたら最も近しい友人よりさらに自分の事を知られているのかもしれないというような気もしてきて、なんというか。とりあえずこっぱずかしいので読み直して黒っぽい歴史は元いた国に帰そうと思います。
とか書いている内に酔っ払った上海の由子さんからお電話。ホント国際電話って安くなりましたよね。なんか知り合った男の子が僕と絶対友達になれるに違いない!というよくわからない確信を持って色々と話されましたがとりあえず単なる酔っ払いのようだったので適当にお相手を致しました。最近ちょっと楽器を弾けていないのだけれども彼女が日本に帰ってくるならばあわせにゃなりませんね。というかあわせるためにはまた大阪行くのか…まぁどうにか出来るなら、しましょう。
昨日は昨日でオーストリアで指揮者業をしている元先生のコンサートに行ってみたら悲しいほど人が入っていなかったりして、ちょっとやるせない一日でした。ちゃんと聞くと結構曲の解釈とか面白いし、演奏はとても素敵だったのに…やっぱ宣伝の力の違いというものなんでしょうかね。出席したコンサートは別にそういうことはなかったけど、ニアミスで知り合いがすごい沢山出ている企画も同時にあって、それを見に行かなくてよかった(つうとあれだな、でも挨拶面倒だし)なぁなどと思う今日この頃です。
んー眠い。
ということで、ご招待を頂き中国語で言うところの「網友」と会ったりしていました。自分の過去の日記を見ると2007年から…つまりここ4年くらい醜態晒しっぱなしという具合なんだと思うのですが、まぁ考えても仕方がない事を考えても仕方がありませんよね。
今日は、某飲料系ホールにとても久しぶりに正面から入ってお客さんをしてしまいました。なんというか、お客さんするには良い箱ですね(決して裏が悪いというわけではなく)。満員で雰囲気もよく暖かく。しかし宗教曲っていってもそれにしてもすごくなんというか渋い選曲でそこでオケゲムが来るか。。。という感じで。実演聞いたのはじめてだよ。
振り返ると僕はここで7年とかブログをやっているようで、もし通読した奇特な人がいたら、その人にはもしかしたら最も近しい友人よりさらに自分の事を知られているのかもしれないというような気もしてきて、なんというか。とりあえずこっぱずかしいので読み直して黒っぽい歴史は元いた国に帰そうと思います。
とか書いている内に酔っ払った上海の由子さんからお電話。ホント国際電話って安くなりましたよね。なんか知り合った男の子が僕と絶対友達になれるに違いない!というよくわからない確信を持って色々と話されましたがとりあえず単なる酔っ払いのようだったので適当にお相手を致しました。最近ちょっと楽器を弾けていないのだけれども彼女が日本に帰ってくるならばあわせにゃなりませんね。というかあわせるためにはまた大阪行くのか…まぁどうにか出来るなら、しましょう。
昨日は昨日でオーストリアで指揮者業をしている元先生のコンサートに行ってみたら悲しいほど人が入っていなかったりして、ちょっとやるせない一日でした。ちゃんと聞くと結構曲の解釈とか面白いし、演奏はとても素敵だったのに…やっぱ宣伝の力の違いというものなんでしょうかね。出席したコンサートは別にそういうことはなかったけど、ニアミスで知り合いがすごい沢山出ている企画も同時にあって、それを見に行かなくてよかった(つうとあれだな、でも挨拶面倒だし)なぁなどと思う今日この頃です。
んー眠い。
偽名の人とは普通に会って、普通にご飯を食べ、普通に一杯だけ飲んで別れました。なんか彼女は「収まっちゃった」感じで、今はクラシックのピアノの先生業が主だそう。「前と比べると随分暇になって、随分お金もなくなっちゃったんですよね」って笑ってた。ミュージシャンとしての活動はもうしてないようで、なんか僕はそれが惜しいなと。
地震で何があったのか、それがどうやら彼女のその生活の変化の原因のようなんだけど、多分人が死んでる話だけに迂闊に掘り下げる事もできません。そもそも色々嘘があるプロフィールが解明されない状態で地震でそんなんなっちゃって突っ込みづらさも更に増したというか…「今日あんまり喋らないね」なんて言われたけど、やりにくかったのは事実。なんとなく色々絞ったりしたのは結婚したのかなと思ってきいてみたらあっさり「地震の前はそういう話もあったんですけどね」だって。それも地震で流れたみたい。
そんなこんなで、なんか別に誘導したかったわけじゃないのにそんな変な流れになっちゃって、それもあって早め解散だったのでした。僕自身ちょっと体調が悪かったのかビール飲みながら頭痛くて脂汗だったのでまったく抵抗もせず。
解散を切り出したのは彼女からで、それは彼女特有の「身の危険を感じて逃げようとしている」という態度に見えたのがちょっとこわかった。ああまた恐れられたのか、って。3月以降距離を置かれたのも結局踏み込みすぎたからだったし、また逃げられるとしたら残念だなと思ったりしています。というかそうだよ、やっぱ昨日頭働いてなかったなと思ったのは不用意に近づきすぎた事をわびようと思っていたのに、忘れてた。その為に会うとかって話じゃあ、なかったんだけど、それでも。
人間関係って難しいですねー。いやホント。ということでこういう重ったるい事は重ったるい事として、箸休めもしたいところです。
地震で何があったのか、それがどうやら彼女のその生活の変化の原因のようなんだけど、多分人が死んでる話だけに迂闊に掘り下げる事もできません。そもそも色々嘘があるプロフィールが解明されない状態で地震でそんなんなっちゃって突っ込みづらさも更に増したというか…「今日あんまり喋らないね」なんて言われたけど、やりにくかったのは事実。なんとなく色々絞ったりしたのは結婚したのかなと思ってきいてみたらあっさり「地震の前はそういう話もあったんですけどね」だって。それも地震で流れたみたい。
そんなこんなで、なんか別に誘導したかったわけじゃないのにそんな変な流れになっちゃって、それもあって早め解散だったのでした。僕自身ちょっと体調が悪かったのかビール飲みながら頭痛くて脂汗だったのでまったく抵抗もせず。
解散を切り出したのは彼女からで、それは彼女特有の「身の危険を感じて逃げようとしている」という態度に見えたのがちょっとこわかった。ああまた恐れられたのか、って。3月以降距離を置かれたのも結局踏み込みすぎたからだったし、また逃げられるとしたら残念だなと思ったりしています。というかそうだよ、やっぱ昨日頭働いてなかったなと思ったのは不用意に近づきすぎた事をわびようと思っていたのに、忘れてた。その為に会うとかって話じゃあ、なかったんだけど、それでも。
人間関係って難しいですねー。いやホント。ということでこういう重ったるい事は重ったるい事として、箸休めもしたいところです。
多分短い。
偽名の人のことを考えていたわけではなく、まったく別にうちのバイトちゃんに「道化さん学生時代どんな研究してたんですか」とか訊かれて、色々話していたわけです。定番の仏舎利の話とか。んで、自分でその言を総括しようとして「結局ものそのものの価値じゃなくてラベリングによって人からの評価が変わるってことの面白さについて調べたかった」とかって発現したのです。
で、あーこれ偽名の人がたくさん偽名を生み出してるロジックともしかしたら一緒かなとさっきシャワー浴びながらふと思ったのでメモ。氏名ってまさに典型的なラベルなわけで、それをいじることによって中身(自分自身)を変えずにいろんな自分になれる。望むなら矛盾するさまざまなものを内包した複雑だけど統合された自分ではなく、ピュアなひとつだけの性質傾向を持っているたくさんの自分というものを生み出すことが出来るって。自分の中に存在するひとつの傾向だけを出すというのは当然自分の一部を切り出す=絶対量(経験とかの)が落ちる事にもなるんだけど、でも大概の人とは自分のすべてなんかさらけだしあわないわけで、それがばれることもない。
FBをはじめソーシャルメディアで現実にはめったに接触することがないグループ同士(同僚・同級生・飲み友達・恋人etc)が同じ「自分」のページを見るような環境が生まれたことでアイデンティティを統合しなきゃいけなくなってめんどくさいとかそんな話を聞くけど、そのめんどくささの対極にこの人のいきかたはあるよなあ、とか思ったりして(でもその並立するアイデンティティ同士が接触した時のダメージは大きいだろうけどね!)。
そんなことを思う土曜昼でした。ねむい。
偽名の人のことを考えていたわけではなく、まったく別にうちのバイトちゃんに「道化さん学生時代どんな研究してたんですか」とか訊かれて、色々話していたわけです。定番の仏舎利の話とか。んで、自分でその言を総括しようとして「結局ものそのものの価値じゃなくてラベリングによって人からの評価が変わるってことの面白さについて調べたかった」とかって発現したのです。
で、あーこれ偽名の人がたくさん偽名を生み出してるロジックともしかしたら一緒かなとさっきシャワー浴びながらふと思ったのでメモ。氏名ってまさに典型的なラベルなわけで、それをいじることによって中身(自分自身)を変えずにいろんな自分になれる。望むなら矛盾するさまざまなものを内包した複雑だけど統合された自分ではなく、ピュアなひとつだけの性質傾向を持っているたくさんの自分というものを生み出すことが出来るって。自分の中に存在するひとつの傾向だけを出すというのは当然自分の一部を切り出す=絶対量(経験とかの)が落ちる事にもなるんだけど、でも大概の人とは自分のすべてなんかさらけだしあわないわけで、それがばれることもない。
FBをはじめソーシャルメディアで現実にはめったに接触することがないグループ同士(同僚・同級生・飲み友達・恋人etc)が同じ「自分」のページを見るような環境が生まれたことでアイデンティティを統合しなきゃいけなくなってめんどくさいとかそんな話を聞くけど、そのめんどくささの対極にこの人のいきかたはあるよなあ、とか思ったりして(でもその並立するアイデンティティ同士が接触した時のダメージは大きいだろうけどね!)。
そんなことを思う土曜昼でした。ねむい。
「降りる」ということ
2011年7月18日 考え事(ちょっと飲んでいます)
職を変えて1年と3ヶ月ちょいだけど、最近「なんで転職したの?」ってきかれる機会が多い気がする。そして今の仕事におおむね満足しているのに、その質問に対していまだにあまり明確な答えを持てていない。
前から思っていたように、少なくとも前の仕事まで何をやるか、やりたいかという方向性が自分で見えていたという点でとても恵まれていたんだと思う。興味を持った研究であるとか学問であるとかを敷衍したところに職業があって、だからこそ迷わなかった。
でも今はまったく違って、「なんでその仕事をしているの?」という一見簡単なはずの質問に答えられない。楽しんでいるにも関わらず。楽しんでるってのは現在の状態で、つまりは結果論でしかないわけだしね。で、代わりにというかその質問が出た時にではないけど「降りたんだな」と思ったり言ったりする事がある。
感覚的なものだけど、簡単に言ってしまえばもう多分まともなサラリーマンに戻ることはないだろうな、というある種の諦観みたいなもの。戻りたい場所があるわけじゃないから後悔ってほどのものじゃないけど、淡々とあちらにはもう戻れないんだな、と。もしこの先自分の道に沿った何かをその中に見つけたとしても、ね。「降りる」というのはなんていうか典型的なキャリアパスというか幸せのテンプレートなのか出世競争なのか、そういったものから降りたということ。上昇の可能性を失い、でもそのために何かを失うことからは逃れたつうことなのか、そう信じているだけか。
そう、繰り返しになるけど今の仕事は楽しんでる。でもこれをこの先10年続けられるとも思えない。いつかはお遊びの時間を終えて、「仕事」に戻らなきゃいけないんだろう。手遅れにならないうちに。
あ、そうそう偽名女子とまた会うことになりそう・・・ってのは書いてないよな。形上こちらから誘ったことになってるけど結構あちらのお望みな感じが強くて、さてあなたは僕に何をいうつもりなんだろう、と思ったりしてそれが今週の多分山場。
職を変えて1年と3ヶ月ちょいだけど、最近「なんで転職したの?」ってきかれる機会が多い気がする。そして今の仕事におおむね満足しているのに、その質問に対していまだにあまり明確な答えを持てていない。
前から思っていたように、少なくとも前の仕事まで何をやるか、やりたいかという方向性が自分で見えていたという点でとても恵まれていたんだと思う。興味を持った研究であるとか学問であるとかを敷衍したところに職業があって、だからこそ迷わなかった。
でも今はまったく違って、「なんでその仕事をしているの?」という一見簡単なはずの質問に答えられない。楽しんでいるにも関わらず。楽しんでるってのは現在の状態で、つまりは結果論でしかないわけだしね。で、代わりにというかその質問が出た時にではないけど「降りたんだな」と思ったり言ったりする事がある。
感覚的なものだけど、簡単に言ってしまえばもう多分まともなサラリーマンに戻ることはないだろうな、というある種の諦観みたいなもの。戻りたい場所があるわけじゃないから後悔ってほどのものじゃないけど、淡々とあちらにはもう戻れないんだな、と。もしこの先自分の道に沿った何かをその中に見つけたとしても、ね。「降りる」というのはなんていうか典型的なキャリアパスというか幸せのテンプレートなのか出世競争なのか、そういったものから降りたということ。上昇の可能性を失い、でもそのために何かを失うことからは逃れたつうことなのか、そう信じているだけか。
そう、繰り返しになるけど今の仕事は楽しんでる。でもこれをこの先10年続けられるとも思えない。いつかはお遊びの時間を終えて、「仕事」に戻らなきゃいけないんだろう。手遅れにならないうちに。
あ、そうそう偽名女子とまた会うことになりそう・・・ってのは書いてないよな。形上こちらから誘ったことになってるけど結構あちらのお望みな感じが強くて、さてあなたは僕に何をいうつもりなんだろう、と思ったりしてそれが今週の多分山場。
Rare in Hardware, Poor in Software
2011年7月11日 非日常
と、いうわけでシンガポール解決篇。結局土日しかいなかった…ということは移動時間を除けば普通の週末と使える時間は変わらない48時間なわけで…その割にはすごく充実していたと思います。色々詰め込んだ、ってほどではなく、ほどよくだらけたりもして。
シンガポールの宿というと有名なのはまずラッフルズ。全室スイート5万円だか6万円からという価格設定で、おそらく単立のホテルとしては世界一有名なんじゃないかな。あでも行ってみると周りはなんか情緒のかけらもないビルばっかりのビジネス街だし向かいはメイドカフェだし周辺環境はそんなによくなくてある意味浮いてるんだけど…、まぁそれはいいとして。今回僕たちが泊まったのはフラトンというその次のランクのホテル。シンガポールの単立ホテルは他にグッドウッドパークというホテルがもう一個あって、その3つが有名。もちろん場所柄国際的なホテルチェーンも張り切って出店してるから、その中には当然値段でいえばラッフルズと張り合うようなものもあるんだろうけど…正直よく知りません。その系列でシンガポールでよく聞くのはスイスオテルスタンフォードとかハイアットとかかな?あとは最近SMAPが出てるCMで舞台として使われたとか言うここ数年でできたMarina Bay Sands。これは屋上に船が乗っかってるというもうわけのわからない外見をしています。しかもマーライオンの目の前。品というものを感じないのがいかにもアジアだけど、その現れ方が(中華系が非常に多いにもかかわらず)中国とはまたぜんぜん違う、という辺りは面白いものです。
でそんなわけでフラトンについては名前はよく知ってたし前を通ったこともあって立派な外見も知ってて、きっとラッフルズ並の値段だと思ってたしそういう意味でもある種「憧れのホテル」だったんだけど、今回宿をどうするってんで色々調べてみたら意外に超安いことが発覚しまして。で、泊まっちゃったのです。ていうかあのプランなんだったんだ…て言うくらいの値段で。
部屋は広大だし、清潔。備え付けの茶はSG発の高級な紅茶ブランド"TWG"のもので香りがすばらしいし、ネットもタダ(SGでの教訓として、公衆無線LANが町中いたるところをカバーしてるくせにホテルはチャージする所が多く、そしてめちゃ高い。平気で一日2000円とか取られたりする)。
もう言う事は何もないはずのフラトンで、悲劇は起きたのですよ。僕らはチェックインの一時間くらい前に着いて、まず「入れてよ」って言ってみたんです最初。そしたら部屋の準備がまだだお前らが本来ダブルのベッドをツインにしろとリクエストしてきてまだそれができてないと言われて、まぁしょうがない散歩してきますね、とここまでは普通(内心このレベルの宿なら1時間前くらいのアーリーは対応するだろ、という気持ちはあったけど)。
んでチェックインの時間をちょっとすぎて戻ってみたら「まだツインにするのが終わってない」と。は?って感じだったけどまぁとりあえず出来たら呼ぶ、ということだったのでしょうがないからソファーに座って待てど暮らせずお呼びが掛からず、切れるわけです(最近海外行って切れてるコトが多いような…)。そしたら「まぁ落ち着け茶持ってくるから飲め」と。いや茶はいいからあと何時間待たなきゃいけないんだと聞いても茶でも飲めと。埒が明かないので茶をすすって待って一時間半くらい経った所でようやくご案内されたんだけど…そこでそのゲストリレーション係のにーちゃんに「あなたはずっとベッドを分けてるとか言ってたけどそんなことでこんな時間がかかるわけないし、全く納得できないからマネージャーにお手紙するね?文句ないよね?」と軽く脅し(じゃないよな)たら部屋に着いてすぐに日本人マネージャーから謝罪のお電話。まぁがたがた言っても落としどころがないので、結局その後合流した僕らの元同僚と同行者Kの友人を含め4名分のハイティータダ券で手を打ったんですが。
その後も入り口で預けた荷物が届かなかったりDon’t Disturb出してるのに朝っぱらから部屋をメイクアップさせろみたいな札を入れてきたり(しかも一日二回)、ソフト面の弱さは目を覆わんばかりですよ。ハードがとてもよく何にも文句がないだけにソフトのひどさが更に悪目立ち、という…。他にも細かい点で「ここ中国の三ツ星じゃないんだから」というような…その謝罪に現われた日本人マネージャーの名刺のタイトルの日本語表記間違ってるし…。まぁ思ったより安い、というのはやっぱり理由があったんでしょうな。いやそれでも昔来た時はあこがれた宿だし、今回だって散歩に出て宿に帰るときに外から見て「あーおれここ泊まってるんだ!」って思ったんだけどね。そう思える宿なんてそうそうないんだけどね。ホントもったいないわ。
はい宿の話おわり。今回やったこと。1日目。早朝そういえばいまだかつてチャンギに昼間に着いた事ないなぁとか思いながら着いて、Kが泊まっているシンガポール独立系三巨頭のもうひとつ、GoodwoodPark Hotelに入り込んで(結構狭かった。アクセスいいけどね)、彼をつれてMaxwell Food Cortの真真で超並んだ末に粥食って、ホテルで揉めて、せしめた無料券でハイティーして、狗with元彼とお茶して、ごろごろして、フィッシュヘッドカレー食って、隣のRed Dotで緑のビール飲んで。
そう、狗とは結局無理やり会えたけどお茶しただけ、そして噂のシンガポリアン元彼がついてくるという…お前なんなんだ…ていうか復縁したのでしょうか。僕それしらない。まぁそこは勿論オトナなので適当に笑いを取りながらお話して時間をつぶしたわけですがああ俺飛行機であんま寝れなかった(しかもSQ飯は美味くない)のになんでここで英語で初対面の人とお話してるんだろう…みたいな。みたいな。まぁでも彼は親切で美味しいところなど色々教えてくれました。しかし噂にたがわず強烈シングイッシュアクセントで聞き取りづらいよ…。そして思ったより声が低かった。まぁ個人的な感情を切り離せば、昔から色々話を聞いてたカレではあったので会えたのは面白かったんだけどね。。。というわけでこの件は延長。
フィッシュヘッドカレーはデンプシーヒルというちょっと離れた所にレストランがいくつか固まってある所にあるSammy’sという店で、こりゃうまかったです。インドカレーマニア垂涎。フィッシュヘッド実は初めてできっとくさいんだろうなぁと思ったけどそんなこともなく(でも何の魚なんだろうこれ)、それ以外のマトンとかチキンとかのカレーもそれぞれ素敵な味で。腹がちぎれそうなくらい食って30ドル(2000円ちょいかな)という感じのお求め安さでしたよ。また行きたいです…。
緑のビールは、そのカレー屋の隣のRed Dotという良い感じのオープンエアーのカフェバーが自分のところで醸造しているビールのひとつで、多分タイガーみたいな薄いラガーになんか緑のエキスをいれてさら薄めてるだけ、って感じ。元ビール、というかビールのカクテル?みたいな感じだけどヴィジュアルインパクトがすごい。ここは狗の元カレ(?)お勧めだったんだけど、実際とてもいい雰囲気で緑ビールが不思議な味だった以外はとても良い店でしたよ。生演奏とかはいってたり(あんまりうまくなかったけどね)。
次の日のこと。さらにはしょって書くけど(あとで暇だったら書き足す)、この日は朝からSAM(Singapore Art Museum)でビデオアートの歴史みたいなの見て(理解不能)、オーチャード付近で買い物してShanghai Tangの今シーズンはあんまり魅力ないなあっていうか最近海外行きまくってるから日本に店があった時より行ってる気がするとか思いながらうろうろして、高島屋の地下のCold Strageで軽く買い物してMarks & Spencersでうちの定番グッズである安い紅茶(でもそれなりにうまい)買って、TWGでKが買い物するのに付き合って僕も一瓶だけ買って、あとなんだっけ。ああフードコートでホッケンミー食べて(特段おいしくなかった)ゲンダイオンガクのコンサート聴いてチキンライス食べて終わり!という感じ。コンサートに曲目の割りに思ったより人が入ってたのがなんていうか感動というか動員力なのかなんなのか…。そんな感じでした。チキンライスうまかったなあ…でも店の名前をメモれませんでした。セラングーンロード。ここもまた行こう。あ、マカンスートラもついに買ったよ!ローカル屋台料理のミシュランみたいなやつ。一度読んでみたかった!…って知識を得たところでじゃあ次いつ行くんだよという話も大いにあり…。
*****
http://www.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2011/07/post-347.php
中国で一番有名な日本人、加藤嘉一君への手紙
全然関係ないけど、上の記事がそこここで話題になっているようで。加藤さんには確かに僕も興味あるし彼のいろんな連載を読んでるけど、日経ビジネスはじめ彼の記事はなんていうか若いせいなのか(って同世代だけど)「明確にされないけどすごい情報源に会えてるすごい俺」みたいなのが鼻につくのは事実で、もし本当にそういう高いレベルの情報源を持てているのならばそれは誰かなりどこかのスポークスパーソンとして喋っているからなんだろうなぁと思うんで、そう思って読むならそれでいいんじゃないかなあと思ったりします。そういう意味で上の記事は「そりゃそういう事もやってるだろうね」というだけの話。
この記事を知ったのは他の中国系ライターの人が取り上げてたからなんだけど、その辺りの人ってみんな(個人的にはどうあれ)仲良くやってるんだろうと思ってから色々言ってるのを見て面白いなと思ったりもしていましたよ。しかしその中の一人はどう表現すればいいかわからないけどその加藤さんより何倍も人に対する当たり方が変というか導火線短い感じがしてどうなのかなーと思ったりして。素人と思われるアカウント晒し上げてるんだけど口調がきついだけで別に晒されても面白くないというか…切込隊長やなんかの晒しは芸になってるのに不快感しかないのよね、その人のは(でも記事はためになるので読む)。まぁ「中国関係にどっぷりな人って個性的な人が多いよね★」ってまとめられちゃうのかな…。
シンガポールの宿というと有名なのはまずラッフルズ。全室スイート5万円だか6万円からという価格設定で、おそらく単立のホテルとしては世界一有名なんじゃないかな。あでも行ってみると周りはなんか情緒のかけらもないビルばっかりのビジネス街だし向かいはメイドカフェだし周辺環境はそんなによくなくてある意味浮いてるんだけど…、まぁそれはいいとして。今回僕たちが泊まったのはフラトンというその次のランクのホテル。シンガポールの単立ホテルは他にグッドウッドパークというホテルがもう一個あって、その3つが有名。もちろん場所柄国際的なホテルチェーンも張り切って出店してるから、その中には当然値段でいえばラッフルズと張り合うようなものもあるんだろうけど…正直よく知りません。その系列でシンガポールでよく聞くのはスイスオテルスタンフォードとかハイアットとかかな?あとは最近SMAPが出てるCMで舞台として使われたとか言うここ数年でできたMarina Bay Sands。これは屋上に船が乗っかってるというもうわけのわからない外見をしています。しかもマーライオンの目の前。品というものを感じないのがいかにもアジアだけど、その現れ方が(中華系が非常に多いにもかかわらず)中国とはまたぜんぜん違う、という辺りは面白いものです。
でそんなわけでフラトンについては名前はよく知ってたし前を通ったこともあって立派な外見も知ってて、きっとラッフルズ並の値段だと思ってたしそういう意味でもある種「憧れのホテル」だったんだけど、今回宿をどうするってんで色々調べてみたら意外に超安いことが発覚しまして。で、泊まっちゃったのです。ていうかあのプランなんだったんだ…て言うくらいの値段で。
部屋は広大だし、清潔。備え付けの茶はSG発の高級な紅茶ブランド"TWG"のもので香りがすばらしいし、ネットもタダ(SGでの教訓として、公衆無線LANが町中いたるところをカバーしてるくせにホテルはチャージする所が多く、そしてめちゃ高い。平気で一日2000円とか取られたりする)。
もう言う事は何もないはずのフラトンで、悲劇は起きたのですよ。僕らはチェックインの一時間くらい前に着いて、まず「入れてよ」って言ってみたんです最初。そしたら部屋の準備がまだだお前らが本来ダブルのベッドをツインにしろとリクエストしてきてまだそれができてないと言われて、まぁしょうがない散歩してきますね、とここまでは普通(内心このレベルの宿なら1時間前くらいのアーリーは対応するだろ、という気持ちはあったけど)。
んでチェックインの時間をちょっとすぎて戻ってみたら「まだツインにするのが終わってない」と。は?って感じだったけどまぁとりあえず出来たら呼ぶ、ということだったのでしょうがないからソファーに座って待てど暮らせずお呼びが掛からず、切れるわけです(最近海外行って切れてるコトが多いような…)。そしたら「まぁ落ち着け茶持ってくるから飲め」と。いや茶はいいからあと何時間待たなきゃいけないんだと聞いても茶でも飲めと。埒が明かないので茶をすすって待って一時間半くらい経った所でようやくご案内されたんだけど…そこでそのゲストリレーション係のにーちゃんに「あなたはずっとベッドを分けてるとか言ってたけどそんなことでこんな時間がかかるわけないし、全く納得できないからマネージャーにお手紙するね?文句ないよね?」と軽く脅し(じゃないよな)たら部屋に着いてすぐに日本人マネージャーから謝罪のお電話。まぁがたがた言っても落としどころがないので、結局その後合流した僕らの元同僚と同行者Kの友人を含め4名分のハイティータダ券で手を打ったんですが。
その後も入り口で預けた荷物が届かなかったりDon’t Disturb出してるのに朝っぱらから部屋をメイクアップさせろみたいな札を入れてきたり(しかも一日二回)、ソフト面の弱さは目を覆わんばかりですよ。ハードがとてもよく何にも文句がないだけにソフトのひどさが更に悪目立ち、という…。他にも細かい点で「ここ中国の三ツ星じゃないんだから」というような…その謝罪に現われた日本人マネージャーの名刺のタイトルの日本語表記間違ってるし…。まぁ思ったより安い、というのはやっぱり理由があったんでしょうな。いやそれでも昔来た時はあこがれた宿だし、今回だって散歩に出て宿に帰るときに外から見て「あーおれここ泊まってるんだ!」って思ったんだけどね。そう思える宿なんてそうそうないんだけどね。ホントもったいないわ。
はい宿の話おわり。今回やったこと。1日目。早朝そういえばいまだかつてチャンギに昼間に着いた事ないなぁとか思いながら着いて、Kが泊まっているシンガポール独立系三巨頭のもうひとつ、GoodwoodPark Hotelに入り込んで(結構狭かった。アクセスいいけどね)、彼をつれてMaxwell Food Cortの真真で超並んだ末に粥食って、ホテルで揉めて、せしめた無料券でハイティーして、狗with元彼とお茶して、ごろごろして、フィッシュヘッドカレー食って、隣のRed Dotで緑のビール飲んで。
そう、狗とは結局無理やり会えたけどお茶しただけ、そして噂のシンガポリアン元彼がついてくるという…お前なんなんだ…ていうか復縁したのでしょうか。僕それしらない。まぁそこは勿論オトナなので適当に笑いを取りながらお話して時間をつぶしたわけですがああ俺飛行機であんま寝れなかった(しかもSQ飯は美味くない)のになんでここで英語で初対面の人とお話してるんだろう…みたいな。みたいな。まぁでも彼は親切で美味しいところなど色々教えてくれました。しかし噂にたがわず強烈シングイッシュアクセントで聞き取りづらいよ…。そして思ったより声が低かった。まぁ個人的な感情を切り離せば、昔から色々話を聞いてたカレではあったので会えたのは面白かったんだけどね。。。というわけでこの件は延長。
フィッシュヘッドカレーはデンプシーヒルというちょっと離れた所にレストランがいくつか固まってある所にあるSammy’sという店で、こりゃうまかったです。インドカレーマニア垂涎。フィッシュヘッド実は初めてできっとくさいんだろうなぁと思ったけどそんなこともなく(でも何の魚なんだろうこれ)、それ以外のマトンとかチキンとかのカレーもそれぞれ素敵な味で。腹がちぎれそうなくらい食って30ドル(2000円ちょいかな)という感じのお求め安さでしたよ。また行きたいです…。
緑のビールは、そのカレー屋の隣のRed Dotという良い感じのオープンエアーのカフェバーが自分のところで醸造しているビールのひとつで、多分タイガーみたいな薄いラガーになんか緑のエキスをいれてさら薄めてるだけ、って感じ。元ビール、というかビールのカクテル?みたいな感じだけどヴィジュアルインパクトがすごい。ここは狗の元カレ(?)お勧めだったんだけど、実際とてもいい雰囲気で緑ビールが不思議な味だった以外はとても良い店でしたよ。生演奏とかはいってたり(あんまりうまくなかったけどね)。
次の日のこと。さらにはしょって書くけど(あとで暇だったら書き足す)、この日は朝からSAM(Singapore Art Museum)でビデオアートの歴史みたいなの見て(理解不能)、オーチャード付近で買い物してShanghai Tangの今シーズンはあんまり魅力ないなあっていうか最近海外行きまくってるから日本に店があった時より行ってる気がするとか思いながらうろうろして、高島屋の地下のCold Strageで軽く買い物してMarks & Spencersでうちの定番グッズである安い紅茶(でもそれなりにうまい)買って、TWGでKが買い物するのに付き合って僕も一瓶だけ買って、あとなんだっけ。ああフードコートでホッケンミー食べて(特段おいしくなかった)ゲンダイオンガクのコンサート聴いてチキンライス食べて終わり!という感じ。コンサートに曲目の割りに思ったより人が入ってたのがなんていうか感動というか動員力なのかなんなのか…。そんな感じでした。チキンライスうまかったなあ…でも店の名前をメモれませんでした。セラングーンロード。ここもまた行こう。あ、マカンスートラもついに買ったよ!ローカル屋台料理のミシュランみたいなやつ。一度読んでみたかった!…って知識を得たところでじゃあ次いつ行くんだよという話も大いにあり…。
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http://www.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2011/07/post-347.php
中国で一番有名な日本人、加藤嘉一君への手紙
全然関係ないけど、上の記事がそこここで話題になっているようで。加藤さんには確かに僕も興味あるし彼のいろんな連載を読んでるけど、日経ビジネスはじめ彼の記事はなんていうか若いせいなのか(って同世代だけど)「明確にされないけどすごい情報源に会えてるすごい俺」みたいなのが鼻につくのは事実で、もし本当にそういう高いレベルの情報源を持てているのならばそれは誰かなりどこかのスポークスパーソンとして喋っているからなんだろうなぁと思うんで、そう思って読むならそれでいいんじゃないかなあと思ったりします。そういう意味で上の記事は「そりゃそういう事もやってるだろうね」というだけの話。
この記事を知ったのは他の中国系ライターの人が取り上げてたからなんだけど、その辺りの人ってみんな(個人的にはどうあれ)仲良くやってるんだろうと思ってから色々言ってるのを見て面白いなと思ったりもしていましたよ。しかしその中の一人はどう表現すればいいかわからないけどその加藤さんより何倍も人に対する当たり方が変というか導火線短い感じがしてどうなのかなーと思ったりして。素人と思われるアカウント晒し上げてるんだけど口調がきついだけで別に晒されても面白くないというか…切込隊長やなんかの晒しは芸になってるのに不快感しかないのよね、その人のは(でも記事はためになるので読む)。まぁ「中国関係にどっぷりな人って個性的な人が多いよね★」ってまとめられちゃうのかな…。
(飲んでます)
ええお気づきの方はお気づきでしょうけれども、元ネタは突然ダンボールです(知らねえな)。
…とわざわざ解説を入れたところで。実は今日から部下ちゃんができまして。といってもバイトなんですが、なんかそれでも感慨深いのう、という感じであまりの感慨深さに昨日4時まで寝れずに今日起きたら10時半でした。当然大遅刻で恥ずかしすぎ。それはともかく部下ちゃんうまく働いてくれるといいんですが…心配でもあり、楽しみでもあります。
僕は基本的に教育大好きっ子なので、別にうちに社員として残ってくれるかどうかより、僕のいろんな面を吸収してステップアップしてもらえたらいいなーとか甘ったるいこと考えたりして。どうなるんでしょー。今日一日でわかったのは英語圏在住歴あるにしては和訳がへたっぴ(まぁこれは言葉わかるってだけじゃなくて慣れもあるからねえ)ってのと耳があまりよくない?というかこれは僕の声が低すぎるせいかも…まぁでも良い面もありますよ。
さて、突然ですが週末にシンガポールに旅立つ事にしました。一昨日うつ病上がりのKさんに持ちかけられてほぼ即決。金曜夜に発って月曜夕方に帰ってくる感じです。Kさんとは日曜、誘われた電話の後に1年半ぶりくらいに会ったんだけどまー結構変わってた。やっぱ病人だったんだなぁと…。しかも手帳持ちにまでなってたみたいなんで本気で結構壊れてたんでしょうね…まぁ以前と同じではないとはいえ、生還できてよかった。本当に。
Kさんは元同僚で、ロンドン在住が長かったのかな。とてもきれいで癖のない英語を喋る男子で、すごく良い人。あからさまに育ちがめっちゃよさそうな感じでもあり、しかも超ロジカルで頭がよいのでなんていうか隙がない!という感じだったんだけどやっぱまじめすぎなのが災いしたんでしょうね、元の会社を辞めたあと移った外資のバリバリコンサルで潰れちゃって結局ドロップアウト。今もまだ基本的には自宅療養って感じでそれでお前海外行って良いのか…って思わなくもないけどそもそも英語が日本語と大してかわらないくらいの人だから、別に追加のストレスはないんでしょう。よくわからんけど。
嫌な事だけどでも記録のためにもちょっとだけ書いておくと、正直彼の能力は落ちたなと思います。人との旅行計画立てるのって結構総合力使うもので、以前の彼ならやらなかっただろうなという勝手に予定組んで送りつけとかそんな技を使ってきますもん。っつうても一年とか家から出れない生活させられて今でも手帳持ってるような人だし単に回復しきってないだけだと思ってるけどね勿論。ていうかホント彼が壊れるってのが今でも信じられないというかなんというか。
しかもというかなんというか、実はその滞在中お狗様もSG滞在中、ということであっちでまた会うのかなー。あっちで会うの何年ぶり!ということでそこでコクハクとやらですかねー、なんて考えてます。調子に乗って。まぁでもそもそもSG人の元彼とちゃんと切れたのかって話もありますしー色々ハードルは高いんですけどね。
ええお気づきの方はお気づきでしょうけれども、元ネタは突然ダンボールです(知らねえな)。
…とわざわざ解説を入れたところで。実は今日から部下ちゃんができまして。といってもバイトなんですが、なんかそれでも感慨深いのう、という感じであまりの感慨深さに昨日4時まで寝れずに今日起きたら10時半でした。当然大遅刻で恥ずかしすぎ。それはともかく部下ちゃんうまく働いてくれるといいんですが…心配でもあり、楽しみでもあります。
僕は基本的に教育大好きっ子なので、別にうちに社員として残ってくれるかどうかより、僕のいろんな面を吸収してステップアップしてもらえたらいいなーとか甘ったるいこと考えたりして。どうなるんでしょー。今日一日でわかったのは英語圏在住歴あるにしては和訳がへたっぴ(まぁこれは言葉わかるってだけじゃなくて慣れもあるからねえ)ってのと耳があまりよくない?というかこれは僕の声が低すぎるせいかも…まぁでも良い面もありますよ。
さて、突然ですが週末にシンガポールに旅立つ事にしました。一昨日うつ病上がりのKさんに持ちかけられてほぼ即決。金曜夜に発って月曜夕方に帰ってくる感じです。Kさんとは日曜、誘われた電話の後に1年半ぶりくらいに会ったんだけどまー結構変わってた。やっぱ病人だったんだなぁと…。しかも手帳持ちにまでなってたみたいなんで本気で結構壊れてたんでしょうね…まぁ以前と同じではないとはいえ、生還できてよかった。本当に。
Kさんは元同僚で、ロンドン在住が長かったのかな。とてもきれいで癖のない英語を喋る男子で、すごく良い人。あからさまに育ちがめっちゃよさそうな感じでもあり、しかも超ロジカルで頭がよいのでなんていうか隙がない!という感じだったんだけどやっぱまじめすぎなのが災いしたんでしょうね、元の会社を辞めたあと移った外資のバリバリコンサルで潰れちゃって結局ドロップアウト。今もまだ基本的には自宅療養って感じでそれでお前海外行って良いのか…って思わなくもないけどそもそも英語が日本語と大してかわらないくらいの人だから、別に追加のストレスはないんでしょう。よくわからんけど。
嫌な事だけどでも記録のためにもちょっとだけ書いておくと、正直彼の能力は落ちたなと思います。人との旅行計画立てるのって結構総合力使うもので、以前の彼ならやらなかっただろうなという勝手に予定組んで送りつけとかそんな技を使ってきますもん。っつうても一年とか家から出れない生活させられて今でも手帳持ってるような人だし単に回復しきってないだけだと思ってるけどね勿論。ていうかホント彼が壊れるってのが今でも信じられないというかなんというか。
しかもというかなんというか、実はその滞在中お狗様もSG滞在中、ということであっちでまた会うのかなー。あっちで会うの何年ぶり!ということでそこでコクハクとやらですかねー、なんて考えてます。調子に乗って。まぁでもそもそもSG人の元彼とちゃんと切れたのかって話もありますしー色々ハードルは高いんですけどね。
大掃除/10周年おめでとうございます
2011年6月26日 日常
昨日相当ぐったり死人の体でエミュやって一日が始まって終わったので、というわけでもないけど今日は自主労働デーでした。懸案だった部屋の掃除…とかいってここ数週間割と主な堆積物である本を整理することは進めていたんだけど、大物として棚が一個魔窟と化していまして。普段工具とかきれいで二次利用できる紙袋とか説明書とかが詰め込んで10年くらいわりとそのままになっていて…遂に今日メスをいれてみたら。
そう、たまったものを全部出してみたら床がなんか水(?)浸し+当然カビ。なんぞ、と思ったらどうやらなんかあまりの湿気で実際に水気がでちゃったみたいで。ということで荷物の整理だけのつもりがだめになった棚の床板(っていうの?)をはがして漂白剤につけた雑巾で練りこみ、扇風機で乾燥させ。えらいこっちゃです。
んで一仕事終えて周りを見回すと今までは堆積物の大半が本だったのにCDが増えていてにっちもさっちも…という感じだったのでまた棚を増設せねばならないことに気づき(ちなみに僕の部屋はベッド=部屋の端まで大また一歩の広大さ、多分4mx4mとかなのかな、なのに収納が6だか7だか乱立してます。)、もう床面積はいっぱいいっぱいなのでまた高さの有効活用を考える羽目に。要するに棚の上にどんな棚を積むか、ちう話になるわけです。そしたら既製品じゃだめなので結局ハンズ行って材料集めてトンテンカンテンやることになるんですな。あーめんど。
さて、今日はCooさんの10周年(!)ライブでした。オリジナルのバンド編成…ということで、あー書ける事あんまねえわ。とりあえず5回くらい泣いた。やーさすがに10年も聞いてると色々思うわけですよー。ずっと活動してたわけでもなくむしろなんかメジャーから消えてから活動してるの見つけるまでに相当な年月を要した気もするけれど、それでも観客10人くらい(つうか以下か)のライブに何回通った事か。今日はそう広くないハコだけど、でもワンマンで満員でした。なんか書けるようになったら書こう。とりあえず、彼女の歌は今でも最高のもののひとつだと思ってます。
あ、あと観客席には三上さんがきてました。三上さんも同じくらいにメジャーいって、いまや二児の親ですもんねえ。この人もライブなんか振り回したりしてるけど。歌の系統全然違うように思えるのに友達で、その両方を自分が好きになれたこともちょっと幸せだなと思っています。いつか同じ舞台で、って昔Cooさんが言ってたの実現してよー、と願ってるんだけどね。
そう、たまったものを全部出してみたら床がなんか水(?)浸し+当然カビ。なんぞ、と思ったらどうやらなんかあまりの湿気で実際に水気がでちゃったみたいで。ということで荷物の整理だけのつもりがだめになった棚の床板(っていうの?)をはがして漂白剤につけた雑巾で練りこみ、扇風機で乾燥させ。えらいこっちゃです。
んで一仕事終えて周りを見回すと今までは堆積物の大半が本だったのにCDが増えていてにっちもさっちも…という感じだったのでまた棚を増設せねばならないことに気づき(ちなみに僕の部屋はベッド=部屋の端まで大また一歩の広大さ、多分4mx4mとかなのかな、なのに収納が6だか7だか乱立してます。)、もう床面積はいっぱいいっぱいなのでまた高さの有効活用を考える羽目に。要するに棚の上にどんな棚を積むか、ちう話になるわけです。そしたら既製品じゃだめなので結局ハンズ行って材料集めてトンテンカンテンやることになるんですな。あーめんど。
さて、今日はCooさんの10周年(!)ライブでした。オリジナルのバンド編成…ということで、あー書ける事あんまねえわ。とりあえず5回くらい泣いた。やーさすがに10年も聞いてると色々思うわけですよー。ずっと活動してたわけでもなくむしろなんかメジャーから消えてから活動してるの見つけるまでに相当な年月を要した気もするけれど、それでも観客10人くらい(つうか以下か)のライブに何回通った事か。今日はそう広くないハコだけど、でもワンマンで満員でした。なんか書けるようになったら書こう。とりあえず、彼女の歌は今でも最高のもののひとつだと思ってます。
あ、あと観客席には三上さんがきてました。三上さんも同じくらいにメジャーいって、いまや二児の親ですもんねえ。この人もライブなんか振り回したりしてるけど。歌の系統全然違うように思えるのに友達で、その両方を自分が好きになれたこともちょっと幸せだなと思っています。いつか同じ舞台で、って昔Cooさんが言ってたの実現してよー、と願ってるんだけどね。