毎年、「今年は日記を書いていないなあ」と書いているような気がする12月。今年は(も)本当に少なかったですね。

 今年何があったかというのは別途振り返るとして。まずは仕事の話。今実は日本の会社を受けており、結構いいところまでするっといった後だいぶお待たせを食らっています。なんなんやろなあ…とおもってせかしたら「部門で来年何人とれるかまだ不確定、4-5人取れるなら確実に取るが、1-2人だともう少し色々細かく見ていく必要がある」とのお知らせが今朝。微妙やなあ…圧倒的な中に残れなかったのは残念だけど(こいつほしい!と思われれば1人でも採用あれば残れるわけでね…)、まあしゃあないでしょう。

 この会社、大きいし待遇もおそらくすごくいい。でも仕事についてはなんというかどうでもいいというか…何だろう今の経験と能力からするとやれちゃうポジションで、それをやる意味あんのかなあみたいな事は感じる。反面、仕事以外の事を色々やりたいしそれが人生の意味だろうという事から考えると、好待遇で羅う程度楽、だけど時々高負荷くらいの仕事がちょうどいいんだろうとは思う。


 最近はいくつか記事を書き、また本を書く話が進んでいます。両方とも結構大きなテーマで、執筆というよりきっちり企画を建てられるのかとか合わなきゃいけない人に会えるのかとか…その辺が問題。材料集まれば書くの自体は楽勝…でもないか?よくわからん。

 ちょっとした怖い話。

 実は今週末は三連休で、日本もちょっとずれた三連休ということで友人がわざわざ日本から来ていた。多分ここに書き始めた当初からちょくちょく出てきている★さん。大学の同級生でもあり、当時はほぼカップルだと思われていた(今でも思っている人は多分多いだろう)。ちょくちょく旅行に行ったりもしていた。

 ただ、最近はちょっとご無沙汰だった…とまあ、それは自分が海外に住んでいるからというのはあり、別に特別疎遠というわけでもなく、ふたりで会うのは1~1.5年に一回、他にグループで1,2回会ってると思えば多い方なのかもしれない。
 今回は3日ずっと一緒にいて、さすがにそこまで一緒なのは相当久しぶり。前一緒に旅行したのはいつだ?まあ、10年くらいは経っているのかもしれない。


 で、予想できるといえば予想できる結末かもしれないが、全然駄目であった。そしてそれに正直ちょっと怖くなった。あんなに仲が良かった相手ですら、10年程度でここまでになってしまうなんて。
 例えばありがちな話として、結婚して子供が生まれたりすると、話題がとにかくあわなくなったりする。それはそれはある種しょうがない面もあると思う。しかし彼女の場合は違う。結婚もしてないし、仕事はむしろうまく行っている方だろう。最初に入ったドメの会社から外資のそれなりに有名な会社に転職し、給料も上がった。色々めんどいことはあるようだが、まあ普通の仕事の範囲内の話。


 それなのに…なんていえばいいんだ、とても失礼だけど率直な感想として、もうお腹押すと空気混じりの音が出る人形に話しかけている気分だった。ずっと。

 話すことすべてが空疎。日本語を話しているように聞こえるが、まったく会話が成立していない。というか多分脳が動いていない。目から入った刺激を言葉にしているだけなんだけど、その言葉がアバウトすぎてせいぜいが不気味の谷に入りかけたAI画像認識、という感じ。
 実例を出すと、例えば国道的な幹線道路を見て「メインストリート」と言ったりする。だいたいあっているけど、でも全然実際は違うでしょ?多分「広い道路」をメインストリートと呼んでいるんだと思うけど、例えば人がほとんど歩いていない場合、それはメインストリートとは呼ばない。口から洩れる言葉の大部分がこういう感じで、ひとつひとつは細かいけど、よく考えると何を言っているのかよくわからない。

 細かい事のように思えるだろうけど、一事が万事そんな感じ。あとこちらのいう事のおうむ返しのようなリアクション。僕「これ、大きいよね」★「大きいねーー!」みたいな。別にそういうリアクションが悪いわけじゃないけど、それしかないと、やっぱり人間と話している感じは一切しない。自分から長文は一切発しないし。


 正直、コミュニケーションがまったく成り立たなくて不気味さすら感じる。僕には僕の10年があり、彼女には彼女の10年があるわけだけど、それが違うとここまで離れるんだな、ってのが恐ろしい。いわゆる親友と言って差し支えなかっただろう存在との会話が、どうでもいい友人と話しているよりもさらに眠気と心のささくれを誘う。

 同時に、多分変わったのは自分だと思う。違うな…変わった気はしていない。根本の方向性は変わっていないけど、僕は随分遠くにきた自覚はある。
 例えば10年前には中国(というか外国)で生活するなんて考えてもいなかったわけだし、どっちかっていうと将来が心配なダメサラリーマンだった。金もなかったし。

 そう、だから数年以内に知り合った友人が僕をエリートサラリーマンのように認識するのが可笑しかった。いや、今の仕事だけを見ればそれっぽい事はたしかだけど(でも彼らが想像するほど給料高いわけではないけど笑)、それはあまりになんというか、自己認識と違いすぎる。別にダメリーマンですよと声高に言う気はないにせよ、単に運がよく、賭けに勝ったというのが正しい所だろう。周囲に恵まれていたというのも運のひとつだろうと思うし。
 成功した後に理由を色々考える事はそう難しい事ではないが、では同じ条件で戦っていた人間の成功率ってなんじゃらほい…と考えると、まあ本当にラッキーだ。好きな言葉ではないが、感謝しかない。

 なんにせよ、それなりに安定した基盤を得て、長い間別に人脈のためとも思わず人と会い続けてきたことが本当に人脈になったというか、仕事を間接的に助けたり友人関係を更に豊富にしてくれたりすることが増えてきた。そしてそれが効率的な学びであったり得難い経験に繋がり、(これもあまり好きな言葉ではないが)ずいぶん成長させてもらったと思う。少なくとも仕事であれプライベートであれ、自分は何かしら他に負けない得意分野を持っており、それなりに楽しくやれていると思う。今日のトピックとはまったくずれるが、以前の空虚な感じと現在のうまくやれている感に乖離がありすぎていつ戻ってしまうのか不安、という別に問題はあるが…。


 批判したいわけではなく、でも多分彼女にはそうしたものがなかったんだろう。我々は元々ヲタということでも共通点が大きかったんだけど、今回の彼女のふるまいはそういえばコミュ障ヲタの典型だったようにも思う。何が彼女を先祖返りさせたのかはわからない。前はここまでではなかったと思うけど、ひょっとしたら前もこうで、僕の方がそうでなくなったから特に感じただけかもしれない。わからない。

 とにかく、話していてひどく疲れを感じた。一緒にいるとひたすら悲しいだけだ。女性として好きであったことはないが、ひょっとしてこの人と結婚するのかも、と思っていたくらいの相手ではあったのだ。とてもウマが合うから。それがひどい出来のAIになったら、あなたはどう思う?

 同時に、彼女とですらここまで変わってしまうとすると、どういう相手とでもこうなってしまう可能性はあるんだろうと思えてしまうし、ああ例えば何かが間違って自分が結婚などして、パートナーに対してある日こういう絶望を持ってしまったら続かないだろうなという恐怖も感じたわけです。いや結婚予定なんてないけどさ。つらいな。


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 キャリアの次についてはなんとなく方向性が見えてきたような…どうなんだろうな。それがいいかはわからないし、環境がかわるとまた人生が暗転するようなトラウマもあるんだけど、まあ他に道がないならやりきるしかないんだろうね。もう少しつまってきたらここにも書くと思います。

しかしもう9月もなかばかあ…

夏の雑感

2019年7月21日 日常
そろそろ次のキャリアをまじめに考える時期に入ってきたようです。やれやれ…。そう、前々回書いたように、次の事を考えなければいけないのです。残り時間が少なくなってきたのです…ってそこまでじゃないけどさまだ。


 あのあとも色々考えました。与えられた材料は変わっていないので、相変わらず①シンガポール、②東京、③上海の基本三択でしょう。考えを整理する上でもアップデートをここに記録します。

①シンガポール
 誰かに相談するとだいたい勧められる選択肢。まあそれはわかる。なんというか一般的なキャリアの上がり方だよね。特に外資勤務の人からは何それ裏山的なことを言われる(外資日本人にとってシンガポールは「アジア本部がある場所」なのでうらやましいんですよ本能的に。わかる…)。
 実際、シンガポールで何年か働けば日本に帰ったあとの選択肢は中華系に絞られず外資全般にも行けるので広い(日系ももちろんだけど、実際問題ポストの数は少なそう)。

 でもやっぱり煮詰めていくと同じ問題というか課題というか、「で、そこいきたかったんだっけ」みたいな話になる。というか俺仕事したかったんだっけ…みたいな。仕事マンだったら間違いなくこの選択肢なんですけどね。

 とか言いつつも同時に、どんどん年を取るにつれて選択肢が狭まっていくんだろうなとは思う(まだ実感はほぼないけど)。そういう意味で今から先の選択肢をできるだけ広くしておくというのは間違いじゃない。ただ、やっぱまわりまわって「選択肢が多ければ死ぬ可能性は低い」が「選択肢の多さは『自分のやりたい事の選択肢の多さ』とは必ずしも一致しない」という事がね…いや青臭いって話なんだろうけど。


②東京
あまり具体的に考えたことはないけど、東京でほかの仕事を探すってのもありっちゃありですよね。勿論今の会社に所属したまま帰って、その後しばらくリハビリしてからなんだろうけど…うーんでもこれってまったく積極的じゃないというか、まあそれでも悪くないよね程度の話。てかこの選択肢を「悪くないよね」とかかっこつけてられるのが、自分の余裕ってか恵まれっぷりを表してるよね本当に。


③上海
 具体的な話が一個進んでる。ただ先方の社内協議によって東京勤務になるかも。同じ業界で、恐らく待遇はかなり上がる。だけど仕事が面白いかは相当謎(期待薄とは言わないけど)。ただ、上位同業に転職ってネタ的につまんねえなあという気配は否めず…「そこかよ」ってつっこみ入りそうだけど結構退屈しのぎに人生やってる感がある自分としてはわりとそこ重要…。まあこれは相手の進捗を待つ、ということでしょう。というか東京で面接とかマジだるいけど…。最大のネックは、契約から始まりそうということと、結局上海じゃなくなる可能性が結構あること。

 あとこの間書かなかった選択肢の一つとして、半分フリーみたいなのもありかなと思ったりしています。別に独立したいとか稼ぎたいとか微塵も思ってないんですが、単純にどうせ滞在が1,2年の話だとすると別に会社という形にしなくてもいいのかなと。
 その発想の原点は、今の会社が「日本人は欲しいが、経費の問題からヘッドカウントは減らしたい」というジレンマで困っているということ。だから今の会社所属という事にしてもらい、例えば家とビザと保険と多少のお小遣いレベルだけの給料をもらい、その代わり1週間オンサイトで働く、という形にするという事を考えているわけ。そうしたら会社としたら経費は多分結構浮くことになります。僕も他で稼げなくても最低限の生活保障はある、というのは結構気楽。最大の問題であるビザが解決し、あとは上海で日々ぼーっとしててもカネは入ってくる…のであれば結構こちらのニーズも…っていやべつにぼーっとしたいってわけではなく。
 まあ上海でぼーっとしていた所で新しい仕事が見つかるかは謎なんですが、ただそうすればしばらくは物を書く事に集中できるだろうというのがひとつ、そしてもうひとつは一端博打というか何がくるかよくわからない環境に身を置いてみるのも面白いのかなと。このキャリアでプー太郎とかなかなかいないだろうから…


 仕事の話はここまで。なんか最近疲れてます。上司がくそというか無能なくせに圧だけが強いというのが結構ストレス要因…ってそこまで束縛がきついわけじゃないんだけど、やっぱり本当にわがままというか自由じゃないと嫌だ!!!という感じなんでしょうね。というか30も半ばを超えて何を言ってるんでしょうね自分。
 でも反面、自由ばかりだと伸びない…というか伸びる能力に偏りがあるのも自由で、そこは課題というか反省点でもある。

 まあともかく、疲れたので夏休みは旅行せずに日本に帰る事にしました。こんな長く日本にいるの、出国以来初めてじゃないかという。あと1か月ないくらいだけど楽しみ。ていうかこれだけ中国で好き放題してて帰国が楽しみってのもおかしいよねえ…
 まあ、前も書いた話です。

 今日も今日とて北京に出張して、夜は無理やり開けてお琴の人とディナー。
 この人は北京人で、日本で知り合ってそして北京に帰って早々に結婚してしまった人。最初の時からすごくテンポが合うな、という感じで短い時間で東京で何回か会って、でも「私は北京に戻らなければ」という強い意志を聞き、であればと北京で彼女が望んだ職種の会社を紹介してあげたりした。

 今でも思うんですよ、僕はその時手を挙げて「北京についていかせてほしい」というべきだったのかって。いや「べき」とかifとかないんだけどさ。であってすぐの付き合ってもいない段階で海外移住は(いくら中国に興味を持っていた時期だったとはいえ)やっぱりできる決断じゃないですよというのは別に変じゃないと思う。でも変でも変じゃなくてもそれで踏み切れなかったおかげでこの人を失ったんだ、ともいつも思う。
 いまでは後悔とも違うんだけれども、でもどうするのが正解だったんだろうと思うというか…なんだろう、さらにいえば「近づくことはできてもどのみち最後まで詰められない性質のものだった」という事なのかもしれない。もやもややな。その後色々あって自分が本当に中国に移住しているということも、またモヤモヤさを加速させるわけです。彼女ともっと早く知り合っていたら。僕がその時に東京に住んでいたら。彼女が去った後僕が北京にいたら。いろんなありもしない可能性を考えてしまう。


 彼女は今散々不妊治療したあげく人工授精での妊娠中で、こないだ北京に来た時誘ったら「気持ち悪くて無理や…」といっていて。で今日は大丈夫そう!というから会ってみたら、旦那(あんまイケメンではないけどいいやつっぽい、前一緒に食事したり会話してる限りでは)に文字通り支えられてヨロヨロと登場。大丈夫じゃないじゃないかよ!!!15kg痩せたとかでいや実際なんというかもう…かわいそうとしか言えない感じ。つらそう。つわりってひどい人はひどいというけど、それにしてもこんなかよ。何かが、というかほぼ何も食べられない、水も飲めない、歩けないと(もちろん栄養付けなきゃいけないし…って)。
 「家族以外と会うのはあなただけだ」などと彼女はまた僕を惑わすような事をいうわけで、まあ僕はもうなんというかアレなわけです。でも久しぶりに話すとやっぱり楽しいわけです。やはり賢いし、面白い(でもたまに虚ろ)。テンポがいいんだよなーーーー。

 まあ、最後にハグしてよって言われてして別れたわけですけど、なんかこう、やっぱなあああああ…ってはい、いつもこの人と会うとこうです。しかも今日はすごくつらそうで、それがもうまた輪をかけてね。無事につわり期抜けて、楽しく子育てしてほしい。ほんと。

 今生でそういった縁はなかったけど、この人のためならなんでもするよね、という人がいるのは、それだけでも結構幸せな事なんじゃないかな、とも思いますよ。

 なあんて。
 南の島でGW(中国も理由不明ながら突然祝日が増殖して連休になったですよ、10連休はないけど)を過ごしております。すごく寝てる。


 さて、キャリアの分岐点に立たされております。てか俺この日記書く頻度落ちたよね。まあ続いているだけいいというかすごいというかよくやっとんな、なんだけどさ。別に他でどうのこうのって話ではないんだけど。
 ていうかああそうだ、平成最後の日記じゃん。天皇陛下、本当にお疲れ様でした。あのお年まで執務をされて、自分で半ば無理やり言い出さなければ(周りもサポートしたんだと思うけど)「前例がない」とかいうクソな理由で辞められなかっただろうことを考えると、うーん。でも辞められてよかった…というと変だけど、普通ならとっくに引退してのんびりしているお年だし、なんならtwitterで言われていたようにハゼの研究とかしてひょっこり学会を荒らしたりしてほしい。質問されたくない。

 そう、キャリアの分岐点です。実は書けなかったけど前回の日記の後また日本に帰っていまして、そこでなんというか「人生に残る仕事」のはずが詳細は書かないけど木端微塵に砕かれまして。やれやれ。
 で、それがないとなると、次のことを考えなきゃいけないわけです。いや実はこないだ本社でうちの地区を統括している役員がふらっと来て面接というものがありまして、「再延長はない」と断言されました。まあ薄々そうだろうなとは思っていたんだけど実際に言われてみると、さあじゃあ考えなきゃな、ということになるのです。

 その分岐も、相当に大きいです。どうやら会社に残ると、僕は1年日本のあと、シンガポールか中東というコースのようです。ただ中東は明確に拒否する予定なので、実質シンガポール。中国の経験をもって中国を話せるというアドバンテージをもってSGに行くのは、ある種管理者への正統な上がり方といえます。
 SGはまず英語と中国語半々の国だし、中国語の重要性は上がり続けています。中国人的なメンタリティは華僑がいくら否定しようとあるわけで、言葉の問題とあわせて結構使えると思います。
  
 そして英語でのビジネス。欧米にいくよりは楽な環境で英語ビジネスに慣れるというのもひとつの良さではあります。僕はいまは英語をまったく使っていなくて、正直キャリアの最初の頃が米系とはいえ相当な不安があるのです。一般的な日本人よりは話せるし聞いて理解できるけどネイティブの会話にはまったくついていけない、そんな深い谷にはまった一人です。
 英語って話せない人からは「話せる人」として隔離される傾向にあるんだけど、実際はその中で大分違いがあるんですよね…。話せる人はそれなり以上にたくさんいて、その中での競争はせっかく英語というアドバンテージがあるにもかかわらずそれを問わない競争と大して変わらない激しさです。つまり「話せることは話せない人がアクセスできないチャレンジへのアクセス権がある」事は意味しても、「競争を勝ち抜く事に有利になる」わけではないんですよ。競争になる相手は基本話せますから…。

 そんな自分が、SGに行けばある程度仕事で話さざるを得ず、リハビリというか再成長?の機会があるのでは?という目論見があります。

 そしてもうひとついい点をあげるなら、SGの情報は得やすいというのがあるでしょう。現任は古い知り合いだし、他にも偶然何人か駐在で仲がいい人がいます。僕が移住するころ彼らがまだいるかはわからないけど、人や店を紹介してもらう事はできるでしょうから、最初の一歩が格段に楽なのは確実です。


 逆に、心配な点もいくつかあります。まずSGにいくと僕は東南アジア全体を俯瞰する立場になります。ということは個々への関与は確実に弱くなる。その割に東南アジアというのはそれぞれかなり個別性が強い市場だし言語も違うので、それらを見ろといわれると、もうどう考えても表面を舐めるしかなくなる。ある種どうしようもないことですが、わりといま腹を据えてひとつの国をしっかりやってる身からすると、かなり仕事のやり方を変えなければいけない事になるでしょう。

 また同時に、「その後」のキャリアパスがわかりません。まあ本社に戻るというのはなくもないけど、延々東南アジアをぐるぐるする生活になりそうな気がして仕方がない。僕はあまり欧米系に行く気はない…とすると日系でアジア統括部門って求人がそんなにある気がしない。結局英語カルチャーだし、そこで自分はあんまり競争力ないしね。

 同時に物価というか給料も心配。駐在員の手当てっておおまかに危険(不便)度連動と物価連動の2つの考え方があって、これらは基本的に矛盾します。どういうことかというと、前者の場合「不便だから、それを金の力で解決しましょう」という事で手当てが多めになる。後者の場合は「日本より物価が高いから物価調整の手当てを出しましょう」ということになる。もちろんこの2択ではなくお互いに補う制度が別にあったりもするんだけど、制度の根本思想としてはこのふたつに分けられると思います。
 弊社は前者。つまり不便なところにいると手当てはわりと多く出る(現在がまさにそれ)けど、物価が日本より高い上海北京とかシンガポールとかは「安全だから大丈夫っすよね」ということで、色々削減されてしまいます。元々ベースがいわゆる駐在員様からは程遠い弊社、この程度の金でSG行かされたらやべえ、と思います正直。外食できねえよ。

 あと最後に日本との距離。7時間といまの倍くらいかかるので、基本的にレッドアイ(深夜発朝着)でのフライトみたいになるでしょうね。あーつら。朝発でディナー間に合いたいよね。もちろん今の生活よりは便利になると思うけどそれもカネがある前提。友達は金で買えないし、どうするー!ってことです。


 うーん、書き出してみると不安ばかりだ。


 もうひとつの選択肢は中国に残る事。これの利点はわかりやすい。まずこれまでやってきたことが全部使えます。人脈も使える。中国語話せます。おそらく程度の差はあれど、ある程度のフリーハンドも与えられるでしょう。しかも市場は大きく、需要がなくなる事も(いまのところは)考えられない。「一つの国に絞る事」は一般的にはカントリーリスクですが、景気や日中関係の上下はあれど、おそらく僕らのような仕事はなくなる事はないでしょう。仕事が減る事はおそらくある、とはいえ、最早多少減ったところで切られる前のほうに自分が並んでいるとは思いません。僕の仕事がなくなるのは戦争したりとかそういうレベルにならないと起こらない…まあわかりませんが、自分ではそう思っています。


 もちろんこちらにもリスクはある。まずは今の仕事のままでは残れない。転職が必須です。色々なコネはあるにせよ、転職というのはある種のジャンプであり、跳んだ先に陸地があるかは運…とは言わないまでも、結構危うい面があります。もちろん上にあげたような待遇だって会社によって違うでしょう。ただ、確実に良くない弊社に比べたら、(勿論うまく交渉できればという前提とはいえ)一般的にもどの会社もいいだろうなという感触はあります。とはいえ、危ういジャンプであることは否定できない。そして、会社は見つかっても仕事内容が自分の望むようになるかは、まあわからない。バリューはだせるんでしょうけど。

 こっちのほうが順当なんですよね。日本にも近いし、近い視野での継続性は確実にある。しかし逆に中長期的…例えば10年とかの自分のキャリアデザインを考えた場合、中国一手というのがどうなのかというのはある。まあこれは誰にも未来を読みようがない以上、心配してもあまり意味がない事ではあるんだけど…。でもそれでも個人の努力や意向といったものは「大きな事情」であっさり消し飛ばされるのも確かで、中国というのはそういう危ない存在であるのも確かで…ううむ…。

 まあ、そんな感じで悩んでいます。今年前半は同じようなキャリアパスをたどった人とかに重点的に話を聞く、ということになるでしょう。うーむ、難しいなほんと。

 以上、平成最後の書き込みでした。

 

濃密東京

2019年2月24日 日常
 普段、あまり出張や何かが成果があったかなどは言わないのだが、今回は短期間にもかかわらず、多くの方面で色々な進捗があったので、特に書いておこうと思う。しかし逆に疲れた。

 初日、午後に東京に着き、家に荷物を落として最初に会ったのは今回一番の謎の人物。以前隣に住んでいて(今も近所らしいが)、母が偶然駅前だかで久しぶりに会って近況をお互いに報告していたら「会いたい」となったらしく連絡がきた。詳しくは書けないがその人物はさる人物の係累で、ご本人もご家族もご学友もなんとも華々しい。最近の趣味は若い人を応援する事…ということだからなのか、会って色々な話を…って聞かれたというよりはされた気がするが。
 ただこの人、話す事全てが悪く言えば他人事に聞こえ、自分がやりたい!みたいな気持ちは伝わってこない。ただ他の知り合いの富二代も(随分年齢は違うが)おなじような感じで、あれはおそらく自分が何かをやりたいとか欲しいとかいうと周囲が気を使ってしまうからそういう意思を出すな、持つなと教育されてきたからな気がする。真相は知らないが、そうだとしたらちょっとかわいそうだとも思う。

 短いお話の後、今度は元クライアントと。高田馬場の謎の掘立小屋で、料理はうまいし安い。店主が話すことも面白い。コスパが変なのにもう13年?やっているという。ジャンルもよくわからない料理だったが、とりあえずサバヒーのスープを飲みながら、自分の料理に生姜はもっと存在感がわかる形で加えたほうがいいなあと思いました。
 こちらでもいつもの通り出てくるのが某女優、某監督、某有名経営者…まあこちらのほうは上記の方と違って別に普通のおばちゃんなので「面白い人と会った」というノリで色々話してくれるんだけど、まあすごいなあというか。それに物おじしないからその人は結構評価されるんだけどね。

 という感じで、この日は上流階級デー。


 2日目は本当のというか名目上のというか目的の人間ドック。まあぱっと済ませました。去年がんのうたがいでてたから、今年はそういうのないといいんだけど…。
 元職場の近くの病院をわざわざ予約して(設備はきれいで仕事は非常に素早かった)ついでを装って昔の上司のアポを取ろうとしたらシカトされました。あーあ、もう連絡しねえよてめえ。最近ちょいちょいあるなー。忙しいなら別にいいんだけど既読つけて返事してないのはバレるよ?って。
 夜は今回のある意味のメインディッシュ(というか今回は毎食メインディッシュ級よ)、会社の人。同僚なんか普段は限られた帰国の日に絶対飲みたくないんだけど、今回は別。某プロジェクトに押し入るためにこの人の協力が必要…ということで前飲んだ時と同様徹底的に飲ませてつぶしました…ってつぶしたことはどうでもいいんだけど、こちらも非常に前向きに考えてもらっているようで、4月に改めて彼の上長とセッティングし、そこでおそらく決まりでしょう。地獄のようにつらく、でも楽しいプロジェクトの始まりです。人生に残る仕事になる…といいな。

 11時半とかに解散後しかしこの日はそれで終わらず、三軒茶屋で元北京のバー常連仲間と。まあ中国をまじめにやっている数少ない友人の一人で、いまは子供生まれたことなどで日本比重高め。これも10年ぶりとかのバーにいき、美味いフルーツカクテルなど頂きながら情報交換やら近況報告やら…で話してたら3時。

 そう、今回はわりと夜型な行動で、次の日昼は元同期中国人。同期と言っても5歳くらい?年上。でも普通に同い年かと最初は思ってたロリ顔既婚子持ちです(余計やな)。うちの会社に引っ張ろうとしたら旦那に反対されたりとかまあいろんなこともあり、最近どうなのーって言ったら「ん、会社やめた」と。そして最近話題のあの中華系アプリの会社にいくようですよ…僕あのアプリ大嫌いだからなんともかんとも複雑な気持ちだけど、それにしてもあそこに行くやつ多いんだよな…。意外に引っ張られ必要な買い物ができなかった。。。うう。

 そう、引っ張られて服とか買えなかったんだけどまあそれはいいとして、ほぼそのままディナーに直行。これもこれだけの為に帰るくらいのメインディッシュ級なんだけど、某誌副編集長と久しぶりに飯でした。6時集合だから早く帰りたいのかな?と思ったら2時までですよこれもまた…。年上だけどすごく波長の合う人で毎回楽しいです。以前上海に居た時はよく朝まで飲んでたんだけどね。
 僕の連載の話をどうまとめるか、という事も含めて相当いろんなことを話しましたよってそりゃ8時間一緒ならなあ…。これも少なくとも会ってる間はうまく流れそうな会話になってたので、あとは具体的に企画をどう詰めるかなんでしょうけど。

 という事で最初は上流階級デー、次は会社仕事の日、最後は個人の名声どうするのデーみたいな感じ?毎日テーマがある(ってほどいろいろやってるわけじゃなくようするに夜誰と飯食ってるかってだけだけど)わけですよ。今回決まった事は多くはないけど、次のアクションがすぐに起きそう、またそのアクションがかなり僕にとってよさそうという所が期待できるのは今回帰った非常に良い成果といえるでしょう。
 やあこまった。多分15年目?くらいにして初めて(でもないのか)、目標というものが浮かばない。元旦の訪問者に聞かれた時も困った。でもこれは18年の元旦に感じていたものと同じなんだろうなとも思う。だってその時の日記のタイトルが「薄い年、14年め。」だもんね。

 1)仕事
 わりと決まっています。3月末の大きなプレゼンに向けて全力を尽くす事。そしてそのあとは本社がとった大プロジェクトに噛むこと。これがすべて。19年は広州ーXX、20年はXX-東京の半分ずつでいくつもりです。

 3月のプレゼンで負けた場合、僕は帰国になる可能性があります。もしかしたらその場合のほうが次のXXに行かせてもらいやすいのでは…という気もするんですが、まあそれは言わないでおきましょうね。
 とにかく、そのプロジェクトがとれた場合、20年の年末まで僕の仕事は完全に決まる事になります。ただそのあとの事は…ま、その時また考えましょっか。


 2)婚活
 年末に福島の温泉に浸かりながら、ああ結婚してもいいかなとふと思いました。なぜ思ったかは謎…ま、でもこの今の労働環境、周りが日本人も含めて結構みんな既婚者だからいつの間にか結婚することが随分身近になっていたのは事実で、それに関係あるのかもと思います。
 あともうひとつ、お嬢のことがあるでしょう。なんかこう行くところまで行ったなというか、もうこれ以上遊ぶ(そういう意味の遊びだったわけじゃもちろんないにせよ)ことはできないというかもっと直接言うとあれ以上スペック高い人に会う事も人生客観的に見たらないだろうなーと思うと、少なくともこの側面についてはそういう「物語消費ゲーム」を止める頃なのかな、と思ったとかなんとか。

 あと仕事の事も関係あります。20年末まではつっぱしるつもりだけど、その後今のところなにも楽しげなことが見当たらない。また海外で傭兵やるのも楽しいのかもしれないし、日本で適当にいきていくことになるのかもしれない。
 でも年齢の事もあるし、多分どんどん楽しくなくなっていくと思うのですよ仕事。わかんないけどね。そうした時に家庭があるとまた違ったものがみえるのかなと思ったりもして。ただ、本当にわからんけどね。

 ただ、基準を下げるつもりはありません(といったら友達に「難易度ルナティックやな」って言われた)。別に妥協して何かをするという事ではなく、人にまた頭を下げて会う回数を増やすということかなと。自分の好み…というか結局自分にはまる人って自分ではだいたいわかる(しかし言語化しづらい)けど、結構難しいのよね。人と比べても格段に難しい…それがどうなることやら。まあ、やってみましょう。だめならダメで。


 3)書くこと
 去年は達成率半分ってとこでしょうか。いや素人がやってるにしては成果出てる方だと思うけど。。でもTwitterを見ていてすごく思うけど、まじめにやるのって人気取れないよね。クソみたいな吹き方してるやつにフォロワーがちょろちょろ集まってイイネもらいまくりなのがなんというか古傷をえぐるわ。…古傷?

 今年はすこし個人の名前を売るための原稿を増やそうかな、というのがまず最初。あとはいくつか決まってるテーマについて目鼻をつけて書く…というまあ言葉にするとくそつまんない目標ですね。いまは完全にプロ向けなところを視点をもう少し下げて、もうすこし集客したいなというのが…いや違うな、下げないでも客が集まるポイントってのが多分あると思うんですよ。とはいえ別に本当にすごい広いマスを狙っているわけではなく、界隈に興味を持つ人にもっと注目されたい…ま、そんなもんです。


 4)その他
 もっと考えよう…本当に目標がない。1月のコンペを処理し、2月は春節で遊び、3月はまたコンペで苦しみ、4月からは新しい生活…もう少し東京に戻る時間を増やそうかなと思ってますが、それくらいかなあ…。考えます、考えます。
 寝る前に途中まででも書いちゃおう。

 あけましておめでとうございます。

 ぎりぎりのところで年越しそばも作り、0時とともに、自分の誕生日に詰められたウイスキーで乾杯しつつ迎えました。さて、19年どうしましょうかね。

 の前に、年末帰った時に超~久しぶりに偽名さんと会いました。5年ぶりくらいか?一児の母だけど、やっぱり相変わらずなんだよねえ…。お茶しただけだけど、ああ、と思いました。ずっと前も書いた通り、この人は嫌な言い方をすると賢い人ではない。でも言う事が刺さるんだよね、乱暴に言えば本質的、ということになるんだろうけど。本当に本質的なのか僕にささるだけなのかは謎だけど、「あなたはこういう人」という指摘が、他の誰よりも当たってるのよね、そんな付き合いが長いわけでもないのにさ。言語化がうまいってことなのかな。


 そして今日は今日で、ハーフっぽい中国人女子と。あこの人今まで日記に登場したことないのか?わからんけど、もう2年くらいの付き合いの謎の女子です。広東省の田舎出身なのにハーフ顔、なんかやたらセンスがいい上に男気100%で自分に金がなくても友達が困ってると大金貸しちゃって困る事になるという…。まあそんなやつです。前はうちから100mくらいのところに住んでいたのでちょこちょこ上がり込まれていたのですが最近は遠くに引っ越してしまい、たまに帰ってくると上がり込まれるという…まあいいんですけど。たまに泥酔してかついで帰るはめになるという感じです。
 一昨日も泊めろ!と言われたんだけど家があれてるのと人と会いたく無い気分だったので仕事や!といって断り、飲茶しつつ、トトロをみました。でも飲茶並びすぎてトトロはクライマックスだけ…でもやっぱりいい映画やね。
 で、この人もなんというか…ううむ。頭いいのよね、野生系なのに。偽名ちゃんともちょっと違うんだけど、なんなんだろう…結局知識じゃなくて好奇心なんだな、と思うのですよ。好奇心を持てることも、ひとつの頭の良さなんだろうけど。中国語でやりとりをしていて別に障害も感じないんだけど、多分僕がちゃんとした中国語、もしくはもっと言えば広東語を話せたなら多分もっと深い話ができるんだろうなあ、とは思う事もあります。ちょっと残念かな。

 振り返りだけでも書くかね。しかし17年とあんまり変わらないというか、17もフラットな年だったんだなあ…。

1)中国語
 後半ちょっと先生について発音の矯正などを進めました。1月終わったら再開できるかな?踊り場なんだよなあ…。文字であらわすと、多分状態はあまり去年と変わってない。あとは言えるのは自分ひとり、バックアップなしの周り全員中国人で会議とかが今年は増えて…といってそこでバシバシやれるほどはうまくなってないんだよなあやっぱり。という感じ。度胸はついたが、やけくそな気もする。
 今年は発音矯正はそのまま進め、中国人との中国語の会議をもう少し進められるように…ってなんか飛躍がないよねえ、ってまあしょうがないね。一歩一歩。

2)お嬢
 既報の通り、しにました。

3)キャリア
 前半は人の損失穴埋め地獄、後半はわりと出歩いて遊んでほとんど仕事していない気がします。そりゃまあ一応色々やったはやったけど、何も記憶にも記録(履歴書)にものこらん程度のうっすい仕事。かといってこの環境で「仕事頑張ろう」とか絶対ないもんなあ。履歴書の最大化っていか最すごい化に励むのかなあ…ってこれ目標に踏み込んでるな。18年?いやでも本当に何もしてない気がする。

4)書く方
 すげーバズった記事は書けず、でも何本か雑誌に載せていただき、自分でもそれなりに満足のいく内容の物を複数書けたという点では、理想的ではないにせよ及第点、かな。反響はもちょっと行けたかも、という気持ちと、本数と内容から考えればこれくらいいければ悪くないのではという気持ちと。

 とりあえず一回寝て、また考えよ。
 今年の日記は、なんと1ページに収まる本数。ほかにも書いてるから仕方がない面もありつつ、いやでも書き続けてるだけえらいといえばえらいのか(ていうか偉いってなんだ)。
 でもそれでも、例年のアレに則り、12月になったらその年の投稿全部読み直して、1月初投稿で年の目標を、ってのくらいはきちんとやろうと思います。この習慣ももう何年続けているやらね…。


 ただ、正直なにかきれいなものが見えている状態ではありません。というか18年は何もない年でした。日記だけでなく今写真1年分全部見返したけどやっぱり何もない。悪い年だったかというとそこまでではないんだけど、とにかく無風の年だったというか…。
 何か風に今年を1文字で表すなら確実に「旅」。記録を見るとメインにしているエアラインだけで41回飛行機に乗っていて、感覚的には週末の1/3以上は外で過ごしているという感じ。海外は春節のNZ、夏休みのベトナムとちょこっとシンガポールくらいだけど、とにかく国内飛びまくり。いつも通り上海が多いけど、それ以外にも北京大連ウルムチ南京…あとどこ行ったかな…まあたくさん行った気がします。日本にも特に後半頻繁に帰りました。逆にというか、高速鉄道通ったにも関わらず香港に行く回数は減ったな、、、まあこれはお嬢事情もあり。

 そう、で最大のニュースはお嬢で決まりなんですよ。マイナスのニュースだけどな。それに並ぶインパクトのものって…まあないか…あるわけないよな。

 まああと2日あるし、もうすこし考えます。今日は閉幕。
 まず、ドロヘドロ最後の一冊を購入。なんか最近数冊がいやに分厚いなあ…と思ったら、結構スランプだったようで。連載18年…これも確か1巻からリアルタイムで追いかけている気がして、なんかこう、月日を感じてしまいました。お疲れ様でした。最後までとてもドロヘドロ。

 そして昨晩本屋をフラフラとしていて購入した「魔女と野獣」。なんとなく帯だけで既刊3冊全部つかんで買ったら大当たりでした。しかし3冊だけなのにここまで話広げて、何年やる気やこの作者…と思ったり。主人公二組目でてきちゃう辺りとかね。その癖それなりにというか、魅力的な造形だし。
 正直帯で「圧倒的筆致」って煽るほどに絵がうまいわけではないけど、ただ話の進め方や世界観(まあこの辺は大いに個人的)、それに絵の構図の作り方は好きだな。ちょっと癖のある絵、誰かの系統な気がするけどまったく思い出せない…昔はだいたいの作家さん、誰の影響を受けた(or弟子だった)とかあてられたんだけど、今は読んでる数も少ない上に特にネットで作品発表している人の情報がまったく入らないからさっぱりですね。老いましたねわたしも。久しぶりに読み終えてすぐ再読したい&新刊が楽しみ&紙で買いたい(最近消費系は基本Kindle)作品に出会えて幸せ。

 次の春節はフランスかな、という感じ。休みは結構長くとれるが、別にそんなに多く友達がいるわけでもなくさてどうするか…というかんじ。ていうか4月以降どこで暮らすのかマジわからん。わからんというか…ううむ。

 なんか機内で、次に付き合うのはすげー持ち場で頑張ってる人がいいなと思った。突然。なんか明瞭なイメージがふってきたんだけど、あれ何の電波受信したんだろうね。しかもそれに当てはまるやつ、いま候補にいないよ。

 あとそろそろ18年もおわり…おわりなんだよねえ。今年を振り返るのは12月に入ったら正式に始めるけど、なんともいえない年だったってなるんじゃないかな…ま、待ちましょう。12月にちゃんと書きます。変化があったようでなかったようで、よかったようで悪かったような。

 

また空いたな

2018年11月11日 日常
 別にショックで動けなくなってたとかじゃないんですけどね。なんかこうそれとは(おそらく)関係なく、バイオリズムの低い2か月間でした。そもそも9月10月は働かない月と決めていたし宣言していたんだけど、11月も働かない月だなっていう…。

 何をしていたのか思い出せない…9月は半分以上?旅をしていた気がする。とりあえず杭州には1週間以上いた気がするし、間に上海にいったりもした。で社員旅行で西日本に行ったり、そこから帰らずに東京行ったりもしたような。そしてそのまま国慶節休暇へ…。仕事してねえなあほんと(いや、出張だったんで本当はしてますよ…机に座ってないだけで)。

 10月も前半は国慶節で辺境を旅してたわけです。…とここまで考えて、残りの三週間何をしていたかいまいちわからんな…とおもって秘書にきいたら仕事の話ばっかり返ってきて、まあそうだなあと。多分仕事をわりと普通にしていました。てか仕事で結構ひどい事故がおきたりもしたな。

 うーん、実りのない…ああ一応新しく上海の朝鮮族の女の子と仲良くなったりはしましたね、あと謎の代理購入業者。へんなやつとは仲良くなっているな相変わらず。

 あー、考えてみるとダイエット始めたのはそのあとだな。「ぼくのかんがえる最高にめんどくさくない化学的ダイエット(「科学的」ではありません)」ということで、ドラッグと軽い運動、それに食事制限に頼ったケミカルダイエットをやってみたんですわ。

 ドラッグってのはアニマルカットという…やばいんですよこれ…。実際にやばいという書き込みなんかは見てたんだけど、一応今健康で特にほかに問題もないし大丈夫だろ一回くらい、と思って買って試したんですが、いや実際やばい。
 そもそもの色とにおいがやばいってのもそうなんですが、1日2回服用で9錠、3週間飲んだら1セットおわりだけど絶対1週間間隔あけてねという謎の注意書きなんですが、ほんとにばっちり体調が狂います。微熱っぽくなるのは脂肪燃焼的ななにかとして、軽い吐き気っていうかなんだろう、えづきみたいなのが続くのとかなりそれこそバイオリズムが下がる、そのくせ別に肝心の体重は落ちない。謎や。でも一応終わるまで続けようかな高かったしな、っていう感じ。あともう少し。

 あと面白いのが(上の薬の影響も否定はできないけど)食事が人生に(おおげさか)占める比率が大きいんだなあと再度実感したこと。夕食を炭水化物抜き、ブロッコリーと鶏むね肉みたいにしてみたんだけど、つまんねえのな。それだけでテンションが下がる。いやこれ化学的ななにかなのかそれとも単につまんなくて気分がさがってるのか区別はわからんのだけど、とにかくつまらんのですよ。あと準備にかける時間がまるまる浮いて、何をしていいかわからなくなる。つまんねえなあ…という。
 体調がちょっとローになっていたこともあり厳密にやり込んでないけど、料理のメニューは変えずに米だけ減らすとかにすればいいのかな?

 運動はまあ、軽いダンベルとかそういうやつね。軽いっていってもやる時はそれなりに追い込んでるけど、それでも頻度も大したことないし、強度もたいしたことない。

 今5,6週間めくらいだけど、現時点では2kgくらいかな?落ちたの。結局あんまり食事制限してないからだろうと思います。ただまあ別に直近に目標があるわけでもないので、薬はなくなったところでやめるとして、食事と運動はできる限り習慣…まああんまり無理のない範囲で続けていければなとは思ってます。少しの運動でも気晴らしになるのは確かだしね(あと上半身のストレッチも気持ちよい)。

 年末までばたばたする予定が、なんか予定されてたコンペが後にずれていくおかげでわりと余裕のあるスケジュールになっています。年末年始はつらそうだけど…。てかまたおせちづくりのシーズンかあ…といって今年はまじ目標がないので去年ほどがんばるかっていうなあ…。

 あああとはPS4ですかね。スパイダーマンをやっていました。画面はきれいでもゲームとしては単純で作業ゲーとしかいえないんだけど、なんていうかマンハッタンがとても美しく再現されていて、そこをたらたら移動するだけであがりますね。ツインタワー跡地とか微妙な事情があるのか地区ごと変えられている部分もあるけど(ツインタワーについてはビル自体はないのに向かいにあるビルに移り込んでる)、画面がきれいなのとそういう特有事情で楽しめましたよ、と。

 あとあまりに気分が下がっていた日に会社を半日さぼって三国無双をはじめてかってしまいました。せっかく中国にいるんだし、という謎の理屈で…。いや爽快感的なものはなくはないけど雑なゲーム…バグおおすぎ、普通にキャラクタ消えたりするし…。雑でおおざっぱです。コツを1個のみ込むとヌルゲーで死にようがないしなあ…。スパイダーマン以上の作業ゲー、そして同じ本体とは思えないグラフィック差。発売時期の違いというかもしれないけど、そのさらに1年とか前に出てるウィッチャー3のほうがもちろんきれいです…って比べたらあかんのかもしれんがね。
 吹き替えで中国語しゃべらせられるのはまあまあ面白いんだけど、日本語にしろ中国語にしろ、事故レベルでひどいクオリティ。プロじゃないだろ…って感じ。なんなんだろうなあ…まあそんな低評価っぽい書き方しているわりには、なんかここ数か月で一番沈んでいた数日間、助けてもらったことはたしか。ありがとうございます。
 前回のれんに腕押しと書きましたが、その暖簾がついに。

 …ということで、お嬢様が本日朝方ご結婚を発表されました。相手は知らん人、僕らをつないでくれた人も知らないようなので、別のコミュニティなんでしょう。
 
 正直今年のお正月来なかった事件が起きて、もう駄目だなとは思っていました。もともとそんなに大事に扱われている感覚もなかったけれども(ただまあ、べたべたしない人であるのも確かなのでそこまで気にはしていなかったけど)やっぱレスとかなくなったりするとね。実は先週も近くまで行っていたので連絡してみたけど返事なかったし。

 そんな今更書くこともないんだけど、失敗の原因はほぼ明らかでしょう。僕のわりとあるある負けパターンで、最初に結構仲良くなっちゃってそれ以降が踏み込めずにいるうちに相手にほかの相手が見つかるっていうね。
 言い訳はあります。言葉の壁もあった。今回は特に、僕がびびったことをチキンだと言える人は少ないでしょう。それでもやるべきだったし、相手の背景みたいなクソみたいな装飾を気にしているからこうなる、と言われればまったくその通りで、その後悔はあるですが、じゃああなたこの背景の人とそれを気にせずに付き合える?と聞かれて本当に何も気にしない人は少ないと思いますよ…結局最後まで心は読めないままだったし、でもそれがよかったんだよねきっと。

 色々思いだされます。初めて紹介されて会った日、お父さまの親友やお母さまとご飯を食べた日、メイド部屋に寝かされた日、香港でも東京でも会ったし、台湾に日帰りで会いにも行った。クリスマスパーティーにも連れてったな。いろんな話もした。彼女は理想としていたような結婚式ができたのだろうか。家を買ったと言っていたのはこの人と住むつもりだったからなのか(当り前じゃねえかと思うかもしれないけど、お父さんが大地主だし物件たくさん持ってるので…)とか。今のこの家の家具、そして使っているもののいくつかは彼女にもらったり、紹介してもらって買ったものだったりもする。深く付き合ったのかといわれるとそうでもない気もするけど、でもこの3年くらい、わりといろいろやった。結局うまくはいかなかった、いやうまくいかせることができなかったけど。
 
 昔、出会ったばかりのころに杭州人の彼女に贈った詩に水调歌头の一節、「但愿人长久,千里共婵娟」というものがある。僕がまだ東京、彼女が香港に居た時の話だ。意味は(古語であり、解釈も色々あるようだけれど)あなたは健やかにいて欲しい、千里離れていても同じ月を見られるように、という感じだ。実際は男性が弟に贈った詩なんだけどそこはつっこまないでほしくて、まあその詩人はもともと杭州にいた、というところも含みつつそんな詩を部屋に書き残した。ちょうど彼女は9月の中秋節前後の生まれだし。
 忘れていたとは言わないけど、今日その知らせを見て簡単に彼女にメッセージを送る中で、ああそういえばいまは秋だな、彼女は杭州に帰り、僕は違う場所にいる。ある意味でこれは本来の詩の意味なのかもしれないと思い、またこの詩を引いた。きもっとか言うなよ…。はじまりとおわり、結局同じなんだなと。
 
 彼女に対する危機感もあって、ちょうど入ってきた大仕事を捻じ曲げて(別に誰にも損はさせてないが)杭州にいく機会を作り、あわよくば移住するところまでちょっと強引に持っていこうとしていたんだけどね。ちょっと全力を尽くすのが遅かったのかもしれない。というか今から思うと彼女の杭州シフト自体がこの結婚の準備だったのかもしれないね。
 まあ、今更何かを言ったところですべては遅い。悔やまれるのは失敗それ自体というより(いやもちろん今は失敗自体も悔しいけどね)、その失敗の仕方が前回と同じような種類だということだろう。決めるべきところで決められず、目の前の皿をとり逃した。そのふがいなさがひたすらに悔しい。
 本日は今回の夏休みはわりと山盛り最高でしたという話になります。
 まず、元々はフランスでワインでも飲みながらラロックダンテロン(南仏の田舎町で行われる音楽祭)聞きながらごろごろするか、というそれはそれで聞くだに最高っぽい計画だったんです。

しかしラロック、ラインナップを見てみるとあんまイケてない。いやたまにかなり面白そうなプログラムは混ざっているけど、肝心の行ける日程の幅の中のコンサートが…なんというか、まあ農村滞在にこのコンサートついてたらうれしいけど、別にそのために金だすって話でもないな…というくらい。しかも小さな農村なのでアクセスが悪く、パリに着いてからも結構な一苦労なわけで。
そしてそれに追い打ちをかけるように、パリで会うつもりだった友人が「仕事が忙しいから会えないかも、わからんかも」みたいな日和っぷりを発揮し始めたのでさらに腰が引けたという要素もあって。そしてもちろんバケーション真っ最中のパリ、別に他に面白いものがあるわけでもない。コンサートとかももちろんない(中央で仕事がないからこそ楽団員は田舎で音楽フェスなんかやれるわけで)。アムステルダムにいるもうひとりには申し訳ないことをしちゃったけど、費用対効果を考えてやめにしました。

 で、代わりにこの1週間をどうしようかと考えて結局ベトナム→四国→東京というような旅になったわけです。長い、旅でした。


0)上海編
 実は休みの直前、撮影で上海でした。チームの信頼度はそこまでではないものの、だれがやっても失敗しなさそうな撮影でもあり、また前回結構激詰した時とちがってクリエイティブの担当者も来ていたのでそこにほぼお任せという、結構楽勝系。そしてしかも、順調に進んで天気も崩れなかったので予備日が丸々空いてうっひょーという。

 でそのうっひょー、何に使おうかなとと思ってたら運よく上海交響楽団がヴァイオリンのコンクールを行っていたので、内部関係者に連絡して聞かせてもらうことができました。
 2人しか聞けなかったんだけど、明らかに優劣がある感じで面白かった、って感じですかね書ける感想は…。ちなみに聞いてていいな、と思ったほうはきっちりその後決勝まで進みました。順当だなという思いと、逆にこれが途中で落ちるようならすごいレベルのコンクールだなとも思っていたのでほっとしたというかなんというか。
 元同僚は以前はこの仕事辞めようか悩んでいたんだけど、腹が座ったみたい。上海のわりと裕福な家庭出身で、ピアノの先生にでも…とか言っていたのが色々な経験をして「こうしよう」って決まったのはいいことだと思いますよ。このまま行ってくれれば中国クラシック興行界のわりと大物になれる気がするので、その辺にも期待。
 話は違うけど、こないだ見たどっかのチラシで目玉がフェンニンって、中国のヴァイオリニストも全然ここ10年くらいで新しくなってないよなー。ピアノもそうだけどまだマシで、ヴァイオリンそしてそのほかの楽器全般的に、ビジネスとしてそれなりに広がっている割にはプレイヤーの層がいつまで経っても厚くならない。なんででしょうね。まだ時間がかかるということなのか、そういう日はこないのか。

 夜は打って変わってカラオケおじさんに金を貸してまでカラオケにいってわあわあ。でも疲れていたので正直追い込めず…でした。次の日もフライトが浦東な上に超早朝だったのでってのもあり。しかしこの金が本当に返ってくるか見ものだ(返ってきた)。


1)ベトナム フーコック編
 わりと人気ビーチリゾートらしいフーコック(よくプーケットと間違えるけど中国語で富国島と表記すると書くと忘れない)島、ホーチミンから飛行機1時間くらい。日本人あんまりこないよ!とか書いてあったのにすげー日本人まみれでした。いや島には出てないからどうかしらんけど、僕がいた宿は完全に日本人御一行様向けお宿やん、まあいいけど…ていうかお盆だから仕方のない面もあるんだろうけどね。そんな中、口を開かないので日本人とバレてない(かも)な俺様ひとり。

 行ったのはアジアに何か所かあるらしいちょっといいホテルチェーン。正価1泊4万くらいなのが謎に(お盆なのに…)値崩れして2万くらい、140平米プライベートプールと最低二回のマッサージ込みというところに3泊。普通ひとりでこない、しかもおとこはこない、というところに3泊して女子力を爆上げしてきました。朝晩スパを受けて直撃すると人が死ぬレベルの女子力を手に入れた気がします。

 しかしなぜ自分が結構ベトナムにいるのかわからんなーと思います。近いとは言え、去年のクリスマスもホーチミンいたし、なんなら意外と年1回くらいは行ってる気がする。
 現地でしか食べれないスタイルのフォー好きは好きだけど、なんでタイいかないの?って言われるとマジ返事に困る。だよねえ。自分でもよくわからんなって思います。友人に言わせると「まあ社会主義国だし、あんた中国好きでしょ」ちげーよ。

それはともかく。

 ちょっとビーチにいるにしてはあいにくの天気だったものの、まあ4万と考えるとそんなもんは気はしてしまうけど、2万なら(しかも1室の値段だろたしか)また来てしまうなーと思うくらいには満喫できました。でもひとりで来るとむなしいなあ、人の目線は若干気になるし。
 ワインも持ち込み、三泊腐って煮え煮えして色々考えて、究極までだらんこだらんこした甲斐があって最終日にちょっとしたアイディアは降ってきたけど、でもまだまだ…という感じです。詰めないと詰めないと。ワインおいしかったけどね。
 一応名目は下半期どうするか、何を書くかとかの方向性の設定だったんだけど、なんか結構苦戦。ちょっと大きめで面白そうなテーマは見つけたけど、それをどう自分の大きな流れというか背骨の中に取り込んでいけばいいのかな、というところがまだ結局答えが見つかりません。


2)四国徳島・松山編
両方上海つながりの友人を訪れるために次は広州と関空経由で四国へ。長い休みでもないとこれないからね…。
 まずは徳島で上海時代によく合奏につきあってもらってたピアノの先生に。最近謎の結婚を果たし、東京に移住したもののちょうど里帰りしていたところを捕まえました。旦那さんの会社、調べてみたら超怪しくて(いや反社とかじゃなくむしろ真逆なんだけど)ついついその晩新聞記者ともりあがっちゃったのは秘密という方向でね。もしかしたら記事になるか?いやーでもこれはやるとしたら来年の終戦記念日あたりにひっかけないとなー。

 どこいったんだっけな。ひたすらいろんな話をしながら食べてた気がする。あとお茶のお稽古に付き合わされた気もする。なるちゅるうどん食べたり、きび団子食べたり魚食べたり、名産品を説明してもらいつつ買ったり。お互いのキャリアの話をしたりね。相変わらず謎というか…不思議な人です。しかしなんかすげーうどんかっちゃった気がする。うどん県じゃないのにな。
 なんか基本ほんわか系なんだけど、ときたま異常にシビアな商売人になるんだよね。面白いっていうか違和感ばりばりっていうか。

 そして次の日はバスにまた3時間乗って、松山。
 四国って全然縁がないし友達住んでるの高松だって思ってたくらいだし…ぐらいの適当さなんだけど、いやずいぶん違うもんなんですね同じ四国でも。松山というか愛媛県って実は四国のかなりGDP大部分みたいなノリらしく。たしかに徳島中心部でもわりと過疎ってる感がありあり、少ないサンプルだけど佐賀よりはマシだがやばいなという気はしていたところ、松山は平日でも結構人出あるしね。 
 面白いのが、徳島って大塚製薬とかジャストシステムとか阿波踊りとかあるじゃないですか、でも松山って別にそういうのなさそうなのよね。みかんくらい…なのに産業規模で比べると勝ってしまう、ってのが面白いよね。知名度なんてそんなもんなんだろうけど。

 到着して午前中で仕事が終わったという友人が出迎えてくれ、道後温泉、松山城、鯛めしといった鉄板観光スポットを観光してもらいながら歩く。この友人も上海で出会い、僕が留学の行き先で悩んでいた時に広州を勧めてくれた人。色々あった、あるにせよ自分がいまこうしてそれなりにハッピーにやっているのは彼のおかげ、という部分もあって、前々からお礼にいきたいと思ってたんです。別に何かを渡すとかそういうお礼じゃなくて、おかげさまでハッピーですよ、ってね。
 さらに散歩しながら雑談。上海でパラリーガルみたいなことをやっていた彼は結婚して、今は行政書士やら通訳やら、なんでもやりますという感じ。のわりにはやたらいいマンションに住んでいるのが謎だけど、まああまり深く考えてはいかんのだろうなと思う。
 奥さんとも久しぶりに再会して、食事を作っていただいて一緒にいただく。なんかこう、奥さん超できた人である。元某社のトップ営業だったんだけど、元々あんまトップ営業っぽくなかったけど本当に今では家庭主婦。いやすげー板についてる。しかし完全に旦那はごろごろ系で、奥さん家庭のこと全部やります系。いいのか奥様。
 泊めてもらい、次の日も甲子園など見ながら、僕は途中で買い物に行ったりいろんな雑談をして、短い滞在は終わり。久しぶりに会えてよかった。

 次は東京。この日は実は誕生日で(まったく意図せず誕生日は松山で迎えることになった)、それを理由に昔の会社の先輩たちとフレンチ。おごってもらっちゃおー☆とか思ってたのに、集まったメンツを見てみたら4人中3人が8月生まれということで、そりゃ普通に自分の分払いますね…ひさしぶりにがっつりとしたフレンチを食べた気がします。
 4人のうち2人は2児の母なんだけど、途中でもでていたように二人ともきれいだしバリバリだし、すごいよなー。悪い意味でのママ感ゼロ。でも外見を見ると、それぞれに年は取ってる感じはする。僕自身もまあ、そうなんだろうけどね。

 この先輩たちと話すといつも昔の僕がかわいかった頃の至らなさをいじられるんだけど、こういうのも大事だよね、と思う。
 とくに今なんかちょっとポジションもらっちゃってえらそうにアレがいかんこれがいかんとか、誤字脱字は死ねとか言ってるの、彼女たちからしたらお前がいうなよなわけですよ。
 そりゃすべての先輩後輩がたぶんそんなもんだし、僕だって成長している。でもきっと地位によって覆い隠されているだけで本当は今だってできていない部分、ほかの人から見たら「あほか」と思うけどどうもなあ…という部分はあるはずで、だけどそんなこと年をとればとるほど、えらくなればなるほど(別にえらいってほどじゃないが)誰も指摘なんかしてくれなくなる。昔の過ちでいじられるのも恥ずかしいけど、同時にそれは戒めでもある。あんまがちがち当たっちゃダメなんだよなあ…わかってるけど…わかってるけど誤字はいらつく!

 明けて次の日は、いろいろあわただしい日。実は前日に友達が今話題のとあるイベントの取材をしたいといっていたんだけど、それの主催者が実はぼくの大学時代の知り合いだということがわかったんです。
 元々この日の夜は客でサマソニエンジョイするために訪日中の中国人えらい人と飯を食う予定だったんだけどちょっとぐだぐだしていたこともあって予定を切り替えてもらい(臨機応変は中国人流よ…)、それは昼に。英語中国語混じりの謎の会で、前会った時とはだいぶ立場も違ったけどそれなりに話せたとは思う。ただこれが結果に結びつくかは、まあ今後かね。
 この人客は客なんだけど、なんというか僕の次の運命を決める、ようは上海とかに行ける可能性のカギを握る人物。流れとしてはいいと思うんだけど、どうだろう。この客は僕がいままで培ってきたいろんな分野の力を総合的に使えそう、という意味でも非常に担当したい客ではある、クライアントとして予算もある、僕のキャリアにもおそらくなる…しかしどうなることやら。

 ということで、夜はその友人が仕切っているイベントへ。その友人と会うのも8年ぶりとか?前日いきなりメールしちゃったけど忙しい中ちょっとは話せてよかった。僕はそのグループの背景をあまり知らなかったんだけど、同行したジャーナリスト友人いわく結構あの人有名人だよ、とのこと。
 この先の日本のたくさんある課題のひとつをどう解決するか、といったところにも直結する話だと思うので頑張ってもらいたいなと思いつつ、なんか人の縁の奇妙さにほへーと思うのでした。びっくりだよね、ということと同時に、やっぱ人間を三十年もやってると、こうやって思わぬところで線が交わるんだなというのが偽らざる感想。
しかし十数人の英語関係のグループだったのに、その中で4人も中国にかかわることになるとはなあ…かかわり方もばらばらだし。


 次の日、東京三日目の月曜はわりとのんびりな日。昼にいつも会いに行くピラフ(元上司、いまの会社に誘ってくれた人)に会いに行き、指定された若者に受けそうなおしゃれな店でランチしながら75歳の老人といろいろ話す。でもタメになるし、なんちゅうか若いよなあ…。老人とはまったく思わないもん。この方と話すと、僕はいつかこの人の葬式に出るのかな、とかぼんやりと思ったりする。いや縁起でもないのはわかってるけど、でも40歳違うねんで。と考えるとうちの父親よりも年上なわけで。

 午後は作業しながら都内に戻り、買い物などしつつ高校の同級生と寿司。これもめっちゃ久しぶりで、実は去年くらいに浜松町ですれ違い、「あ…」ってなったけどそのままになってたのを、2か月くらい前になんとなく思いついてメールしてみたら返事がきたので会うことになったという。あんまノリは変わらんけど、主に仕事の話かな。なんかいつのまにか結婚してた。飯を食うのなんてわりといつぶりだろうねえ。会えてよかったけど。

 そしてこの日は確かそのまま新宿まで移動し、その朝男と別れたばかりの女の愚痴大会に付き合う。なんつーか、しょーもねえなあ…という感じだけど、まあいいよしょうもなくて。別れた日くらいそんなもんだよね、という聞き役、でも多分聞いてほしいだけじゃなく、突っ込んでほしそうだったのでつっこむつっこむ、でも普通に夜は帰す。

 最後のフリーデーはヴァイオリンの日。すげー田舎まで職人を頼って預けに行き、夕方また取りに行く、というのが非常にだるかった。その合間にSNSの投稿から古い同僚が東京に来ていることがわかり、夜会う算段をしたりとか、ランチしようとしていた相手がこれなくなったので勧められた南インド料理屋でひとりで食ったり(自分でインド料理とか言い出しつつ、僕ミールスっていうのかな?あのセットっぽいやつだめなんだよねえ)、本屋で結局なんか5冊で2万円くらい払っちゃったり。
 でヴァイオリンは無事入院となり、夜は集中治療室組と中華(中華)。相変わらずな感じでだらんこだらんこ食べたんだけど、なんちゅうかこの店有名だけど別においしいと思ったこと一回もないんだよねー。東北料理はもともとたいして好きじゃないってのもある、というかそれが主要な原因かもしれないけど。
 そのグループの中にいたなにやってるかさっぱりわからない通称「王子」と話してて謎が深まったんだけど、この人何か国語話せるんだろう…ウズベク行ったときにウズベク語とドイツ語で交流した話とか、そもそも君イギリス留学してたことは知ってるけどなんでドイツ語?ていうかウイグル語とタジク語はそもそももとになってる語系が違うとか、何?みたいな。にこにこしてるけどある種、このグループで一番化け物なのかもといつも思う。

 さんざか騒いで、僕は移動してその昼に東京にいることが発覚した元同僚と上司に会いに。これも実はなんというか仕事で、やー疲れた。
 実はこの人、旅の前半に僕に連絡してきて「一緒にやらない?」って言ってたのよね。投資を受けて新しい会社を始めたということで、日本と仕事したいからその部分を担当してくれないかと。僕は今面白い仕事があるからといって断ったんだけど、実はその仕事のきっかけのひとつみたいなのを僕は彼女に提供していて、だからお礼もしたいしね、ということで一杯飲むことにしました。なんせ突然だからお互いスケジュールもあわず。

 彼女とその上司にあたる人と色々話して、勉強にはなるんだけどなんつーか当然全編中国語なわけですよ。しんどひ。でもおかげさまでというか意図せず僕の今の仕事にももしかしたらネタとして使えるかもな?というアイディアを得たので、そこはちょっと深めていきたいなと。あとは引き続き勧誘はされていて、まあ僕が会社員であるということは止められないことは理解してもらってるけどできる範囲での協力はしてあげられたらいいかもな、と。
 ただその話をしていて思ったんだけど、僕と仕事するって難しいよね。なぜなら僕あんまりお金もらうことにやっぱり価値を感じてないから、全部あぶく銭でしかない。別にいくらもらおうが極論どうでもいいし、それより自分が楽しくやっていきたいだけ。金がモチベーションにならないし、しばることもできないからやっかいだろうなあと思う。
 彼女たち(ほかの元同僚も合流する可能性があるみたい)の仕事は成功するかもだけど、僕にとっては正直その成功に価値がない。ひとつは僕の根源的な解決したい課題にその仕事は結びつかないし、あともうひとつはもっと単純で、儲かるかもしれないけど面白いって感じがしないんだよなあ…。いやつまんなくはないんだけどさ、しょせんエンタメだしなあ感が否めない。
 そんなこんなで僕の友達を逆に紹介などしつつ、裏で関係者にサウンディングなどもし…まあ仕事ですねこれは。


 …と、単純になにしたかを書くだけで結構な分量になった夏休み。結構充実していたと思う。ひとつはたぶん、結構たくさん久しぶりの人に会ったこと。
広州を勧めてくれた友人、先輩たち、高校の同級生、イベント代表に元同僚。ひさしぶりばっかりやな。みんな1年会ってないどころじゃない久しぶりでしかも普段は連絡すら取らないくらいだけど、なんだかんだ会うことができて、それぞれに発展していてその様子がとてもいい感じ。もちろん深く関われば悩みもなにもあるんだろうけど、それでもね。
 逆に会えなかった、特にモスクワ赴任になってしまった友人は赴任前に必ず、といっていたのが果たせず非常に申し訳ないなと思っています。来年いくリストに入れなきゃかなあ。 
 ほかにも会えなかった人はいて、次以降ちょいちょいとね。今年は忙しすぎて全然帰れなかったし(過去形じゃないけど…)そうしたツケもあるですね。

 今年の後半はどうなるんでしょう。国慶節明けまでは働かない宣言してるんだけど、なんか9月の杭州出張が伸びる気がしていて、次の東京出張が前倒しになる気がしていて、そこからウイグルに直接行くことになるような…どうすんねんまじ。1か月不在とかかもしれません。
 でも10月が終わると結構ずっと地獄なんだろうな。12月のコンペ、1月の二週目くらいの大型イベントまでは気が抜けず、春節休みまではつらい時間になりそう。てかコンペの時期によっては帰ってる場合じゃなくなる…となると恒例の忘年会もやってる場合じゃなくなるか?はやく決まってほしいなコンペの日取り。

 この先どうなるのかなー。理想的なこうなってほしい話で書くと、12月のコンペまでは総力でやり、そのあたりで同時に僕がもってるほかのプロジェクトにケリがようやくつき、そして年が明けて(もしくは春節があけて)半分軸足を上海なり杭州なりに移し、2020年までそのクライアントをきっちりやりながら上海ライフを充実させてキャリアを伸ばし、(できればかわいい子と付き合い)、そしてオリンピック終了後残務処理をして日本に戻り…そのあたりでまあ都合よく人生の転機がまた訪れるといいんですけどね。どうなるんだろうなあ。

 なんか最近厳しい仕事をしていないというか、結局バカのしりぬぐいばかりという中国あるあるなんか仕事自体はしてるのにマイナスをゼロにするものばっかりというところにはまりつつある気がして、下半期はちょっとレジュメ意識した仕事の仕方をしないとやばいなと思ってます。後輩きたし、くだらない仕事は押し付けて…。
 もちろんそういうキモイというか仕事にならないような仕事を処理するところに僕の価値があることも事実で、そうやってバリューを見せているから今回みたいに謎の長い夏休みをとっても別に何も言われないという部分があるのは事実。
ただしこれは今は楽しいけど、確実にこの先にはつながらないんだよね。どうしようかな…これについては明確な答えがだせないままです。本当はベトナムでここら辺も考えたかったんだけど。

 そしてこの辺まで書いたところで上司から突然の電話「今週末XXに出張行ける?」はいはい今年20回目くらいの出張ですかね。
 急に「お前任期が来年頭で終わりやぞどうすんねん」みたいな話が持ち上がりもちょもちょしておりました。だるいなあ…。まあ結論、1年とりあえず延びたらしいです。僕の部署の担当役員は本社に戻したかったけど、社長の一声で延長になったとか。しかも本社に戻して中東やらせた挙げ句にドバイ飛ばされるリストに入ってたとか…、まあ本当かはわからんけど…。

 という感じで、人事ってめんどいなあと。もちろん個人で遊んでいるわけではないので組織の都合というものが色々出てくるのは頭で理解しつつも、なかなかついていけない。転職とか、あと会社都合でクビみたいなことを経験してると、そういう配置転換には敏感になるし「あなたにとってメリットはこうなので」っていうのが嘘でも言えなかったら従えないですよ…という気持ちなのが正直な所。だって言うこと聞いてれば身分保証されるわけじゃないしな。リスク・リターンあってないのよ。

 というような事があり、本当はこの拠点に残りたい気持ちは薄かったんだけど中東よりはマシかな…ということで受け入れました。いろんな裏アプローチはまだしてるけど。まあ中東話もどこまで本当だったのかわからんけど…やれやれ。とりあえず今の年から中東は、よっぽど腹決めんとやれんですよ。

 さっき東京から帰ってきたところだけど、相変わらずなんか旅が多い。1月の地獄のウルムチ行脚を思い出す。5月とか本当に1日も休みなかった気がするしなあ…いや旅は楽しいんだけど、やっぱり普通の仕事の処理効率が落ちるですよね、ほんま。

とりあえず今後決まっている旅をあげてみると
7/23-25東京
28-29上海
29-31北京
31-2上海
8/4-5深セン
9-11上海
11-20ヨーロッパ(これは休暇だ)
20-22東京
(ここからしばらく広州、なぜならプレゼンあるから…)
9/9-11新疆
13-16杭州
21-25大阪
10/1-10新疆・パキスタン

となる。十分異常である…というか9月とかすでにこんなに入ってるのが死ねる。しかも新しい仕事取れたからこの合間に杭州が入る可能性がある(これは望むところだが)。

別に旅自体は楽しいんだけど、週末ゆっくりしないととにかく疲れが取れない。料理もしないとねえ…という感じ。若くもないんだからたまには休憩せんとねえと思ったりするんだけど、じゃあどこで休憩すればいいのかわからんな。

なんか週末っぽい気分でいるけど今日水曜日、明日も明後日も会社よ。どうすんのかなー
 おやすみでした。おやすみのつもりでした。

 先週末に母が初めて中国に来て、ずっとアテンド。それはまあいいことです。で偶然杭州で終わってそこから数日適当な謎休みをおいて週末に上海でやってるイベントに出張という名義で実質1週間休んだなあ、という感じでゆるくスケジュールを組んでいたら、結局木曜から日曜は移動も含めてずっと仕事、っていうかいつもより辛かった…せっかく辛い時間が終わったと思ったのに…。

 どこいったんだっけなあ、とりあえず2日でもう行く所なくなったのは覚えてます。ひととおり観光地(施設は除く)に行って、きれいなところからだめなところまで色々見せて大体の所はわかってもらえたかな?昔留学していた大学に連れて行ったりもしましたよ。

 そして杭州へ。最近観光客向けコースを案内してもらったばかりということもあり、またそもそも何回も来ていて北京上海を除けば土地勘あるほうなので、わりと安定したご案内ができたかと思います。最後ちょっと雨に降られたけど、でも普通の人では案内できないようなところも含めて、それなりに楽しんで頂けたんじゃないかと思います。

 杭州最後のおまけはずいぶん久しぶりのお嬢様。朝から何時間話したんだろう…しかしおかげで早起きさせられて大変でした。朝型なんだよねこの人…夜わりと早いし。んでひさしぶりにまたお母様とも会っちゃったりもしてちょっとご挨拶したりね。どうなんだろうなーまじでのれんに腕押し感はんぱないわ。

 で、企画書を直しながら高鉄にのっていたら知らぬ間に上海につき、なんか慌ただしい感じ。一晩目はカラオケおじさん(という名前にしよう)でした。日本の代理店のときから付き合いがあったおじさんで、僕と同じ時期に偶然上海行きになったのが、上海でKTVにハマりまくり身を半分持ち崩している感じ。仕事人としてはわりとできる人だったんだけどね…。

 そのおじさん、なんか痩せちゃってて変な病気かな?と思ったら女の子にもてるために痩せました!って…。前のときの彼女(カラオケ嬢)と別れ、いまは特定の彼女居ないんですよーって言うからどうなのかと思ったら要するにいろんな店に行きまくってるだけ、それで給料だいぶ自転車創業です会社の経費枠もいっぱいです、って…やばいやね。前はちょっとはまってるだけだったのが、ここ半年くらいでさらに悪化した気がします。
そして家庭は半崩壊の模様。あと1年位で仕上がってしまいそうで、そろそろ距離とったほうがいいのか?何がまずいって、遊ぶ店のランク下がってきてるんですよねー。つまり本当に金ないんじゃないだろうかと。いや、風俗にハマる人の崩れ方とかしらんからあれだけどさ…まあ貢いでるわけではないようなのがまだ救い(なのかなんなのか知らんけど)。
 この時は日本語話せない子がついて、まあまあたのしかった。元軽くネットアイドルで、稼げてきた所で事務所に裏切られてなんとかかんとかと。このクソ寝てないのに(この日6時半起きでこの瞬間酒飲んでる上に1時すぎとかですよ)謎のサイコロ遊びをやらされ意味がわからずまた飲まされて…いやさすがにさっぱりだってわかってもらって数回ですんだけど。おじさん、元気で居るといいけどなあ…。

 2時位に酔っぱらいで寝て、次の日も朝から仕事。ちょっと昼寝などははさみつつ次の日は…ああそう、某雑誌の偉い人と飯。と思ったらよくわからないパパ友おじさんがついてきて、あまり深い話はできず。しょうがないけどね。別に気にしてなさそうだったけどあまりにも話題に入れないのもかわいそうだし、いちいち説明しなきゃいけないし…で偉い人は飯食いながら寝ちゃって、残された人と色々話したりとかして時間をすごし。僕も最初は前日同様寝てないからグロッキー状態だったんだけどなんか途中で5分とか落ちてから急復活を遂げ、なんかぴんぴんしていました。
 そして二軒目いくか!ということになり、なぜか前日と同じ店に行くことに。で偉い人は彼女(?結構いけてる人なのに彼女がたんなるおばちゃんで謎なんだよね…上沼恵美子似)を呼び、僕がつけた子が結構当たりでなかなかでした。ぼくもカラオケおじさんになる日が来るのか…。かわいいとか顔が好みとかもそうだけど、後輩に物を教えたりいろいろ気を使ったりとか基礎ができている…ってプロなだけか!もしかしてプロなだけか!ってプロで人気あれば12時に行って売れ残ってるはずもないんだけど…。中国のこういう店でプロっぽい人ってほんと初めて見たですよ、などと語る資格もないけどね。
 僕こういうところで遊ばないから知らんけど日本のキャバクラのイメージ(といってこちらもほとんどいったこともないが)だとプライベートで普通に仲良くなるとかインポッシブルっぽさ極まりないよな、などと少し元気になったのでした。まあ難易度そこまでではないみたい、とはいえ僕住んでないのでね。

 そんな中で面白かったのが、行った店は結構老舗だったんだけど、結構最近客に中国人が増えているという話。というより日によっては半分以上中国人なんだと。だから女の子の中にも日本語を話せない子がぼちぼちいる。今までこの店とかそんなことはあり得なかったんだけど、やっぱ日本人の減少というのが影響しているんでしょうね。でもそのふたり両方に聞いたけど「日本人のほうがムリに連れ帰ろうとしたり酒を飲ませないから楽」と。まあ日本人度胸ないからな…ていうのを遠まわしに言われているような何なんだろうねこの気分。
 話はそれるけど、前からちょいちょい言ってるように、水商売長い人何人かに話を聞いて上海の中での日本人の位置付けみたいなのを丹念に追うと結構面白いものが書けるんじゃないかと思うんですよね。こういう店の経営者、女の子、よく遊んでいる駐在員、昔遊んでいた人とか。ある意味での日本の進出と縮小をきれいに表していると思うのです。

 母親をどこに連れ回したって話をかいてもなあ、だし仕事の話も書けないと結局おねーちゃんの話くらいしか書けない内容になっててあれれだけど一応真面目に仕事してるんですよ…という感じです。7月はSGと日本に遊びに行こうと思ってます。
 やれやれ、ということでようやくコンペの波が過ぎ去りました。今回は辛かった。ひとつは人手不足により逃げれなくて(いつもと違って)まともにやらざるを得ずつらかったという身も蓋もない理由、そしてもうひとつは…ううむ。
 構造的な問題でもう結構ロックインに近い気がするんだけど、「営業が仕切らないプレゼンはこうなる」の典型が目の前で行われている感じでした。次々といろいろなことが理不尽に変わり、努力が無駄になり、地道なロジ(席順とか車の手配とか機材の運搬とかね)を考える人間が誰も居ないので結局僕ともうひとりで徹夜して全部組むという…。辛かった。そしてそれが改善される可能性が極めて低いのがつらい。営業はふたりで組んでやっていて、申し訳ないけどもう完全に一般人以下の水準しかないことが露呈しているトップと、頑張ってるけど肝心なことが何もできていない若手。若手のほうは頑張ってるから批判するのは可哀想なんだけど、結果から見てできてないんだよねなんにも。
 まだプレゼン自体の結果はでていないけど、次回の絶対に負けられない(負けたら社員半分クビ、みたいな)プレゼンに向けてどうすればいいのか、かなり先行きが怖い戦でした。

 タイトルの件はまたお金の話。いまこれを開いたら前回もお金の話書いててあちゃーってかんじだし、別にそこまで身に迫って困ってるとかではないから書かなくてもいいかなともおもったけど、でも書いちゃう。

 要は、何が問題かって別に贅沢して暮らしたいわけでもないのに、自分がやりたいなって思うことを叶えるためにはすっごいお金が必要なんですよねどうやら。かといって別に自分ののぞみがすげー高いとも思えず、だから人の数倍頑張ろう!とかいう風にも当然思えない(大体頑張った量に応じて給料があがったりはしない…)。手元の金額だけ見れば、別にたくさんもらってるわけではないとはいえ、まあ足りなくて困るってほどでもないし、別にいいんだよね。ただこれじゃリタイアしたら辛いよなあ…とか、まあそういうことを考え出すとキリがないだけで。いやだけってかそれが大きいよね。
 だからその「今の給料に不満なわけじゃないけど、先のことを考えると無理しなきゃいけなそう」っていうことと、業界的にそこまで給料ががばーーーーってあがる見込みもあまりない(そもそも業種で大体給与水準って決まってくるものでしょう)わけで、じゃあどうするよってその中で最善まできりきりやるのかどうか。でも結局ほかのいろんな事と同様、ある程度以上の達成度まで行くと、透過コストとかリスクに対するリターンがどんどん減っていくわけです。そこを突き詰めることが一体正しいのかすごく疑わしい。かといって今のままではやっぱり将来死ぬしかない気がする。

 なあんてことを考える反面、「将来」とか考えるようになった自分のヌルさにもなんとなく複雑な気分。前はやるだけやったら死ねばいいじゃんってわりと本気で思っていたはずなのに、いつの間にか生きることが前提になっている。死ぬ度胸もなくなった、みたいなことを言いたいわけではないんだけど…なんなんでしょうね。これが年をとったということなのか。

 考えてもしゃあない気もするね。

 6月も、2回プレゼンがあって結構しんどそうです。でも一応7月には光が…あるといいんだけどね。まあこればっかりは流れ。とはいえ友達に「このままいくとしぬで」とか言われたりして、まあ俺もスローダウンしたいのは確かなのよね。

安かった

2018年4月23日 日常
 僕はお金の計算ができない人間で、したがって家計も管理できていません。そんな話もあまりする機会がないので他の人がどうしているかしらないけれど、とりあえずわかっていません。支出はなんとなく銀行アプリで見ている、けど管理しているとはいえないでしょう。中国にいるとほぼすべての支払いが銀行からすぐに落ちるのでわりと便利ではあります。だけどアプリ内でしかみれないの、これExcelにしたいんだよね…したところで何がどうなるかは謎だけど。

 それはまあいいとして、「4月からのお給料です」ということで本社から通知が来たのを何の気なく開いて思い出しました。弊社給料低い…。いや正確に言うと、おそらく平均よりはかなりいいです。だけど平均って申し訳ないけど所詮平均で、それをどれだけ超えていようが生活に余裕があるわけでも何でもない。みんなダメならみんな一緒に死んでしまうのです。
 広告業界は、まあそれなりに平均給与の高い業界です。僕はそこで海外にいるわけで、そうなれば勿論起業して成功とか外資金融です、みたいなのを除けばそれなりにいい位置にいるはずなわけ、だけど正直もらっているのは普通+αくらい…ってαもされてなくない?という感じ。というかこれ搾取されてんじゃねえの、って。

 前の投稿にもあるように、とりあえずはこの会社に残って…と思ってはいたんだけど、これどうしよう。僕ここにいてもいいのかね。このままじゃ家とか買えないよね。貯金もそんなにないしね(あ、これは海外にいるほうが有利…)。

 とりあえず、支出には厳しくなろうと思います。今まで現地通貨だから、という理由でめんどくさいし経費精算とかもしてなかったりしたけど、これしかもらってないんじゃ無駄な支出は省かないといけない。別に節約まではするつもりはないけど、もう少し貯金に振り分けた方がよさそう。あとお金になるバイトしないとな…といっても時間あたりのことを考えるとバイトじゃどうにもならんのよね…ちょっとした種銭もあるようだし、本格的に株でもやるかな…。なんであれ博打(的なもの)で銭を稼ぐにはあまり好きじゃないんだけど、それなりに「あったほうがいいよなあ」と思う収入と現収入の差がありすぎますね。

 とかなんとか思う一方金にはあまり執着がないことは変わりがないわけで、奇妙っちゃ奇妙ですよね。ただこの嘆きって「もっとお金があったらいいなあ」ではなく「これじゃ将来やばいなあ」なわけで、なんかこう自分でも健康的じゃないというか…せめて金を稼ぐ為に動くなら前者、「お金があったらいいなあ(あんなことやこんなことがしたいなあ)」でありたいなと思うんですけど。

 大体僕がやれる限りのことは今やった上でここにいるわけだし、今もらってる金にも実際は感覚的な不満はないんですよ。それが評価なんだろうし。別にみじめな生活してるわけではないしね。
 ただ、これじゃ未来がない。それって大問題ですからね。自分の評価もフェアもクソもなく、金がないと将来働けなくなった時とかに困るでしょう。特にというか自分の場合、いつ精神的に参らないとも限らない。ここのところ安定はしているから大丈夫な気もするけど、これは過去大丈夫だったから未来も大丈夫という話でもないわけで。だからなんかしてでも貯めておかないと死ぬんだろうなあと思うわけです。めんどくせえ。

 もう4月も終わろうとしているということにちょっと驚いてます。前回ちょっと書いたように旅が多かったからというのもあるんだろうけど、ここ数か月は特にはやかった気がして。
 で今週末は北京、そのあと労働節の休みだからどこかに一瞬消えて、5月は中旬におそらく日本出張、月末の大プレゼンまで張り付けで6月頭に香港行って、中頃家族がこっち来て…その後ちょっと一息かな。できればこの辺までにシンガポール行きたいな…というかシンガポール行きたいってここ数年ずっと言ってるのに全然いけてないよ。
 要するに、まあ旅は続くという事です。

 ライター業…業なのか謎だけど、はどうしようかなという感じ。確信犯的なくだらないネタで500RTくらい稼いだ以外は特に目立ったことができていない。いや、割と翻訳とかきわい所を色々書いて、自分なりには面白いことはできているんだけど、テーマが定まらないというか。結局今みたいな時代、タイトルで引け(釣れ)ないとだめで、ちゃんと中身を残しながら魅力的なタイトルをつけるためにはテーマがちゃんと1本あるべきなんだと思うんだよね。

 そうそう、ちょっと前から日本語の先生を始めたりもしています。これこそ時給的にはなんの意味もないくらいの金額なんだけど…まあ純然たる趣味としかいえませんな。
 自分への刺激と言う意味では、英語と中国語の勉強をなんらか定型化というか、自分に教え込めないものかなと思っています。中国語はなんか踊り場にいる気がしていて、別に聞くのはほぼ問題ないんだけど、しゃべれない。本当にしゃべれない。もっと中国語でアウトプットしないとやばい。作文書けばいいのかな…またLang-8復活するか?

 今週末はなんか落ち着いた、特に出勤もしなくていい出張もない久しぶりの週末だった気がします。いや先週も何もなかった気はするんだけど、風邪ひいて死んでたので…。今日はちょっと豪華に夜ご飯も作って、なんか満足は満足。こういう日がもっとあればいいのにな、というようなことを思ったり、でも何もないと色々余計なことを考えてしまうな、とも。どうしたらいいんでしょうね。

飛び回る

2018年4月17日 日常
 もう四月も中旬か…一個前の日記は2月ですよ。

 いや実は年初から先々週?くらいはずーーーっと旅をしていた気がします。ほとんど広州にいなかった。覚えている限りで書くと、まず年明けしょっぱなウイグル→北京→東京という旅でした。これは書いたな。
 んでその時撮ったものの編集のために台湾行って合間に那覇遊びに行って沖縄の新聞の洗脳力に感心して、帰ってきて台湾でまた仕事仕切って、広州かえってすぐに杭州だったのかな?でついでに上海行って。
 その後どこ行ったんだろう…ああそうだ2月は日本→NZ→小島行ったりしていて、戻ってきてすぐに3月は北京行って上海いった。違う場所にも行った気がするが…。
 まあ、とにかくそんな感じです。ほとんどいないは大げさだけど、実際日数で数えると半分くらいはいなかったんじゃないかな。

 その間なにがあったかといえば…北京では実はある種の超有名人がお琴の人の昔の家庭教師だったというので食事させてもらったりした…くらいかな?あとは最近某雑誌の人と仲良くなって内情暴露されたりとかして。この人はバイセクシャルで彼女と同棲中。ていうかほーーーーーんと多いよね。人口の5%のはずなんだけど、冗談抜きで会社関係を除けば60%とかは同性愛者な気がするんですよ…。ひとつは中国って面白いやつが少なくて、社会の中で相当変わってないと僕が面白いと思う水準に達しない=そうすると自然とセクシャルマイノリティが多くなる、というのはあるかもと思います、っていってもこの比率はちょっと異常だけどな。

 会社の話。今年は色々入れ替わりの年で、日本人も中国人もトップが変わったんだけどなかなかひどいことになっています。新しく来た日本人は目の覚めるようなぼんくらで、ああダメだ…という感じ。ひどすぎる。新しく来た中国人もダメなんだけど声は大きくて、職位が高いけど声が小さくて頭の悪い日本人vs職位はそれに比べれば低いけど声がでかくて頭の悪い中国人という謎の超低レベルな争いになっている現状。
 中国人は完全に国有企業体質というか、田舎者のダサくて頭の悪い、旧世代型中国人と言う感じ。いやらしい。だからこそそれをおさえつけて飼いならさなきゃいけないのに…ということで日本人の中でも「ちょっとあのトップはやばいんじゃないか」という雰囲気になり全員でつるし上げたりもしてみたけど、多分わかってないよねあの人、という感じ。

 愚痴を書いても仕方ないのですが。

 そして僕自身はといえば先日本社の役員とランチしてたら「もう少し長くいてもらいたい」みたいな話に。ううむ。別に楽しいからいいんだけど…みたいな。先日書いたようにもちろん最大の望みは上海に行くことなんだけどそれは目下難しく、かといって日本戻ったらほぼ確実に転職活動なのがだるいんだよね…別に年も年とかいう気はないけど、かといって日本に帰ってはまる職業や会社がちょっと今想像がつかない。そしてここで一人で暮らすのも楽しいことは間違いない。とか何とか云いながら人生なんてほんと先の想像つかないからねえ…というのもあるんだけど。とりあえず今はなんにせよバリューが出せてるわけだし。ただ給料低いよね…。

 自分のこの先のことについては、僕を親会社(1万人の内外国人が1人だけという噂)に送り込もうという策略があるらしく、まあそれも人生のひとつの経験としては面白いかなと思ってます。国有企業系で、とてもひとりでは入る気にはなれないけど会社の背景があり、客として保護された立場で行く分には面白い(かも)。

 僕のことを好きだった弊社のプランナーが北京にいきました。ステップアップならいいんだけど、その北京の会社は実は弊社の関連会社で、既婚者でもある日本人駐在員を追いかけて(もともと付き合ってたというか遊んでもらってたっぽい)いったっぽい…35とかになってそういうことやってるのイタいよね。もともと隣のやつが留学すると言ったら突然「私も!」とか本気で言い始めるような女だったのでそんな感じなんだけど、なんかこう…他の人より知識があっても頭の回転が速くても、本質的な部分がダメだとだめだな…という感じでした。社内では僕はわりと仲いいほうだったんだけどね。友達だったけど…もやもやとした感じでした。

 あとなんか咳が止まらない感じ。ようやくよくなってきたけど、3週間くらい、しかもなんか花粉症と併発して頭がおかしくなりそうでした…
おい、お前、今人生考えてたろ。何でこんなことしてんだろって思ってたろ、なぁ。なに人生考えてんだよ。てめぇ、人生考えてる暇あったら客みつけてこいよ
狭小邸宅 (新庄 耕)


 去年の春節はキューバ→アメリカだったけど、今年はそもそも去年計画していたニュージーランド(とおまけ)にきました。去年の春節のところにも書いたけど、ただでさえ休みが少ない中国だけど、こうして固まった休みが取れるのはいいよね…ほんと、いつまでこれを楽しめるかはわからないけど(しかしこの休み、毎回かなりカネが…)。

 で何かを書こうと思った時、自然に思いついたのは、これも去年と同じ(ただしそれより強い)でした。

今、駐在様なわけですよ。あの地獄(や、本当にあるんですよ地獄って)をよく生き延びたって思うしこれはある種のそのご褒美だとも思う。今だって労働時間は長いこともあるけど偉そうにふんぞり返ってられるし自由だし、いや天国ですよ。あの頃を思うと殊更にね。
 こうなったことを僕はすごくラッキーだと思っている。どこかで読んだように、ラッキーなことが起こるかどうかは自分ではコントロールできないけど、そういう事が起きた時にものにできるかどうかは努力なんだ、という話があって、僕もそれを心がけて、なんとかラッキーをものにしたと思ってる。でもやっぱりこれは運がよかった。そして今の会社に入れたことでいえば、推薦していただいた方に本当に感謝してる。

 だけどそれは裏を返せば、またいつかよくわからない理由で今の立場が簡単に消えうるということをも示している。そして、僕は今の状態はちょっと恵まれすぎなんじゃないかと思ってる。今までと連続性がなさ過ぎて、本当に想像ができない。

http://42583.diarynote.jp/201702121621412297/
頂点、転落の恐怖と備えについて


 この1年前から状況と認識はどう変わったのか。労働環境が変わるのはこれからでしょう。書いたように、自分の職種を会社都合で変えられたので、それでどう変わるかはいままったくわかりません。

 ただ、慣例に則れば来年で自分のこの夢の生活がおわるわけで、その切迫とはいわないまでも感覚が違うのはある種当然でしょう。

 また、ここ数日特に、この仕事-以前の代理店仕事より前は、キャリア的にはわりとずっと暗黒だったことを思います。暗黒はいいすぎか。にしても、いつも金に困ってたし(いっつも給料低かったのと遊びすぎ)、仕事でも一部頼りにされていた反面、どの会社、部署にいても結構つらかった。去年書いたこの前職との比較だけではなく、その意味でも本当に今は幸せなのでしょう。

 今の幸せを噛みしめるのは暇な時(今か)に勝手にやればいいんでしょうが、それを考えた時に毎回思いつく一番の問題は、どうすれば今後この幸せが維持できるかということがさっぱり思いつかないという事です。今は幸せは幸せだけど、自分のキャリアとかにとって最適かというとそうともいえない面もあります。今の幸せはトップギアで働かなくてよい、プレッシャーも以前に比べれば軽く、、適度に休みもあり、適度に身分も高いという…要するにバランスが取れていることにあるわけで。このバランスから抜け出した時に、次のもっと心地よいバランスがあるんでしょうかね。

 友人と雑談していて出た今のところ考えられる選択肢は5つ。海外に居続ける1-3と日本に戻る4,5。

1 引き続きいまいる場所に居続ける。比較的安定、望めばできそう、だけどちょっと退屈。また将来の発展性はあまりない。2に繋がる可能性はなくもない。

2 上海に行く。意向だけ考えれば、現時点で一番やりたいことだと思う。でも今の会社には残念ながら上海に支社がない(しかもたたんだばかり)ので、かなり特殊なことが起きない限り行先はなく、転職を前提に考える事になる。救いは日本人にとって上海は暮らしやすく、わりと仕事を探すにしても可能性があるということ。ただ駐在員が帰任せずに辞めるのは色々とめんどくさいようではある(帰任命令を受けてそれに反抗して辞めるというのは、中国前提で採用されている僕の場合は恐らくアリ)。

3 アジアの中国以外の海外支社を目指す。本社には中国人材と思われており英語がきちんとできる(つうて今衰えてるけどさ…)所を改めて見せつけないといけないが、それができれば弊社社員の雑魚さを考えれば希望が通る可能性はないでもないと思う。シンガポールはちょっと住んでみたい気持ちもあるが、しかしうちが担当できる仕事内容はあまり面白くないという話も聞くので、中国語ボーナスが少ない(SGの場合はなくはないが)以上そこを選ぶべきなのか…でもここを逃すと、勿論今見えている範囲内で、だけど一生英語圏で暮らす経験はできない。まあ今年こそ時間を見つけてSGに行くってのもやったほうがいいかも。

4 日本の今の会社に戻る。恐らく黙っていたらこれになる。前も書いたけど英語・中国語使いとしてそれなりに重宝はされたしできるやつが少なくプレッシャーも少ない環境だったので余生を過ごすにはいいが、いま余生モードに入る?うーん。あと見逃せない点として、地方に飛ばされる可能性が微妙にあります

5 日本に戻り、他の仕事を探す。これはもちろん一旦4を選んだあとにとることもできる。例えば中国系の大きめの会社のディレクターとか。これもまあ素直なやりかたではある。もちろん日系の駐在させてくれそうな所を再度探す、というのも手ではある(正直同じ業界ではほぼないだろうが)。
 

 正直お恥ずかしいというか愚かしい話、ここのところはお嬢ありきで人生考えていたような面もあったんですわ。でもその望みが絶たれたとなると、考え方をがらっと変えなきゃいけないわけです。今いる場所に居続ける必要がかなりの割合なくなったという意味も含めて。
 となると、せっかく初めて「この町で働きたい」って思ったんだし2上海を優先に考え、同時に5経由での上海というのも探り(まあこれは同じ意味だな結局)、3のシンガポール、そして1の現状維持というような順番になるのかな。3の行先は自分で決められないという意味で博打要素強いし、正直SGはビジネス自体つまらない以外にも縮小気味とも聞くし、あんまり積極的にとる選択肢ではないかなと思います。英語圏で働いてみたいけどなー。
 改めて比較しても、いま(いくら生活が楽しいとはいえ)東京に戻る意味はあんまりない。まあデートしやすいのはあるけど…。あ、あとフェアのために書いておくと、東京に戻っても海外部署のはずで、そうなると数か月英語圏行ってきて、とかは普通にありそう。ただこの部署、上の方がTHEぼんくらっぽい感じむき出しなんだよね…。

 こう考えるとやるべきことは結構明確で、やっぱり上海行の切符を手にするために履歴書書き直すことなんだろうなあ…。ここに書いてなかったけどこないだ杭州行った時にかなり気に行ったので(心情的にかなりつらいけど)、上海からの距離が近いというのもプラス。

 あとは恐らく今年の夏過ぎとかから帰任先をどうするか、みたいな話がちょいちょい出てくるはず。そこでどういうゲームをするかも重要なのかなと思います。でもゲームの仕方よりまず自分の方針を決めないとね。多分今のままだと中国希望だから中国に残る→今の所か北京(両方遠慮したい…)としか言えないので、それをうまく処理する。理想的には(本当に理想で現実難しいけど)やはりその時期までに別会社で内定をもらうか、今の会社になぜか上海拠点を再度作ろうという機運を作り、「元々中国にもっといたいと思ってたけど実は上海で挑戦したいとおもっていたらオファーもらったんで」って言えることなんでしょうね。むずかしいけどな…。

 ところでまた恥ずかしいお嬢話の続き、ちょいちょい妄想しちゃうんですよね。突然どこかから現れないかとか。これまで彼女の旅先も僕の旅先も基本的にすべてお互い把握していて、これが彼女が把握している最後の僕の旅先なんですよ。だからなんだって話なんだけどね。知ってるよ。
 春節までおとなしく座って仕事をしているふりをしようとしていたんですが天はそれを許さず、謎に僕に出張をおしつけてきやがりました。でも実は別にやることなくてありがとう神様状態です。しかも台湾。

 実は今新しいCMを撮影していて、それを本来上海で編集するはずが謎の理由で台湾になってたんですよ。で、中国人は台湾いくの結構だるいし、とりあえずまいっか、という感じで誰もいくつもりなかったところ、新しく来たボス(おばちゃん)が空気を読まずに誰か行け!みたいに言い出し一斉に沈黙して(台湾いくの大変なのお前だってしってるやろ…)という空気になってしまったので、外国人たる僕がいきますよ誰か行かなきゃいけないなら、という風な発言をしたという経緯でございます。

 しかし来たところで大半はスタッフの作業時間なわけで、基本ごろごろですよね。出来たら見に行ってコメントはするが、それ以外はひまなのでとりあえず温泉…だめかな。まあそんな感じの役得出張ですねこれ。

 太公望、ちょっと違うかもだけど、こないだお嬢の関連もあり、元々彼女を紹介してくれた夫妻の妻の所に会いに行ったわけです(夫婦別に住んでいるので)。で、その妻の実家はいわゆる超々超絶お金持ちなわけなんですが、はじめてふたりでご飯してわかったのは完全に人生に飽きてるんですね。やりたいことはもうやった、他のことはやろうと思えばやれるから別に積極的にやろうとも思わない。
 勿論この人の人生は普通の人からしたらハイパー羨ましいんでしょうけど、あんまり友達多くないのも、「背景」があると結局寄ってくるのが糞だったり色々で面倒だからなんだろうな、と思ったりもします。自分のせいでもないのに面白くないだろうな…というのは本当に思うわけですよ。
 
 他人事のようにかわいそうだなと言った所で、自分も金持ちでもないし世に倦んでるわけでもないのに謎に世の中がどうでもよくなってるあたりの謎を本当に解明したいと思うんですよね。育ちのせいなのかな…といっても別に育ちが特別いいわけでもないし。
 そんなわけでも謎な合意に至ったんですが、なんなんでしょうね。特に結論のないはなしなんですが。

 で、広州もそうだし今いる台湾もそうだけど、なんというか本当に寒い。なんんなの?って逆ギレしたくなるくらい…勿論気温で言えば北京上海のほうが寒いはずなんだけど中国の若者の冗談で「北方の寒さは物理、南方の寒さは魔法なので防御力無視でくる」というのがある通り、なんか寒いんですよ…ほんとどうしよ。しかもエアコン動かないし…。

 眠いので寝ます。

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