見た目。

2006年1月13日 感想文。
 全然建設的でもなんでもないけど感想文として残しておく(普通の日記として書いてたけど字数が溢れたので独立)。 

 …。ちなみに僕は「見た目依存」は全体としては全く評価していません。仕事絡みで読んでて上記の事を思い出しただけで。この人たち(往復書簡型なので)、特にユニークフェイス(顔にあざや傷がある人)のNPO代表の石井さんは例えば井上三太の隣人13号という漫画を取り上げて「顔に傷が有る人間はいつも物語の中で異人、アウトサイダーとして扱われている」といったことを書いていますがそれは作者的には主人公にとって顔を傷つけられた事、というのが「大事なものを壊された」という一番復讐の動機として共感を得やすいとかそういう計算があったものだと考える方が素直じゃないかなぁと思ってしまう。深読みして「その大事なものにあざや傷を持って生きていかなければいけない人にもっと注意を払うべきだ」と主張しているって事ならわかるんですが。
 まぁもっと言ってしまえば顔に傷がある、というのは何かの理屈や文化の問題ではなく、生理的にそういうイメージに直結してしまうんでしょうよ。これこそ彼らには言えないことですし道徳的にはまずい発言なのでしょうけれど。でも例えば初対面の人が目をそむけるとか逆に注視されるとかそういう事はその人が悪いわけではなく「自然な反応」だと思うんですよ。でも顔が違うというのは他の部位がどうのこうのよりも自然に目が行くことではあります。多分まぁ話すときに顔を見るということと関係有るんだとは思いますが。それが彼らにとっては多分とても負担でショックな事なのだろうとは理屈ではわかるのですが…それをなくすのは無理かなと思ってしまったり。だからそれの裏返しで例えば受付嬢に美人を使うとかそういったことは逆に自然で変な差別がない事だと思うのです、僕は。「屈託がない」と文中で(皮肉ですがな)表現されていますが…。要するに社会的な教育とかそういったものでそういう自然な反応を抑制しろってな話なんでしょうけれど…それは良い事なんでしょうかね、彼らにとって生きやすい事は確かでしょうけれど。

 あと僕は性格は顔に出るものと信じているので(オタクは顔…あと万全を期すなら動きを少し見れば絶対判別できます)事故とか先天性で顔に傷が、という人と全く違うと思うんですよね。頑張ってる人は良い顔してるじゃないですか。好感が持てる人でブスってのは見たこと無いです。丸っちいとかはいるけど笑。でもあんまり気にならない。

 他にも化粧をする事が自覚されていない社会的圧力だとかいったこともオウム真理教の信者がみんな同じ格好をしているのも別に彼らは好きで教団に所属しているのだから別に強制されているとは感じていないはず、といった事を引き合いに出して書いて(石田さんの方ですね)あるんですがどうなんでしょうか…同調圧力ですか?女性にとってはもしかしたらそうなのかな。男がスーツ着なければいけないのと同じ話だと思うんですが。やめれるもんならやめたい、と思ったりはそりゃするんでしょうがそれが圧力になっているかは…かなり疑問です。そういう風にTame(うーんいい日本語が無い…直訳すると「飼いならす」ですけれど)されているのが(少なくとも日本における日本の)社会人ってもんでしょうが。美しくなければならない、という圧力の元に女性は化粧をしてるんでしょうか?それは男性が一般にヒゲは毎日そらなきゃいけない、というのと同じ類の「身だしなみ」ってだけじゃないかなぁ…。

 あ、ただ全く別の問題としてそういったユニークフェイスの人が息苦しくない生活をするために色々変えていこう、という事はやるべきだと思いますよ。見られてる本人が相当不快な事はカンタンに想像できますし。しかしそれは一種彼らが「障害者」である事を認めてからの「保護」という事になってしまうでしょうしそれはそれで嫌なのかも、と思ってしまいます。
 彼のカモフラージュメイクに対するスタンスも解せません。特に「男なのに女のような顔をしている人間という、自己イメージに耐えられなかった(P192)」などという部分は非常にひっかかります。この部分は若い頃の回想がまざってる文脈なのでこれが今でも思っていることなのかその当時思っていただけなのかよくわかりませんが…どちらにしろ本に書くことではないでしょう。申し込んできたカモフラージュメイクを学ぼうとするメイクアップの人をこき下ろしたりもしてるし。無知を哂う人って嫌いだなぁ…。

 っていうかこの本自体が「人は見た目じゃない」という奇麗事を言いたい外見的にプアーな人(筆者的にいえば「美の競争から降りた」人。ニヒル気取って努力を放棄する事はさぞ簡単でしょうね)が自分を慰めるためのものとしか思えないんですよね、結局。
 統率力、という本を読んでいた。まぁそこまで面白い本ではなかったけれど勉強になった事が一つ(ま、図書館で借りてるんだからせいぜいリスクは読むのにかかった一時間半、一個拾いものがあればラッキーでしょう)。もう返却しちゃったので正確ではないけれど「社長も平社員もその資質や能力において本質的に違いが有るわけではなく、発生するヒエラルキーは会社を組織として動かすために便宜的に必要なだけである」といった内容。

 そして今日読んでいたのは『「見た目」依存の時代』。この本にちょろっと監獄実験のことがでていて…つまりこの実験は被験者として普通の大学生を使ったのだけれど役割を割り振ってみたらお互いが演じる事に夢中になって看守が手荒く囚人を扱ったりし始めて囚人役の精神が崩壊しかけたから予定の期間の半分とかで実験中止になったという話…ほらほら"es"って映画にもなった(前見に行った"ヒトラー最期の12日間"の監督の)。これは両方自己認識(ラベリング)が振る舞いを変えてしまうという事なんだな、と思ったわけです。

 「統率力」の中には例えば「社長が飛びぬけた人物であるかのようなエピソードは実はエピソード自体はたいした話じゃないけれど社長がやったから凄い、という話だ」といった話が載っていてこれはまさに周囲からのラベリングだし、もし事実たいした話だったとしてもそれは結構社長だったから出会えたシチュエーションでのふるまいだったりしてそれは属人的なもの、というよりも属地位的なものであるのかもしれない、と思ったりしたのだ。

 最近こういう考え事をしていて全く違う分野の研究の共通点を自分で思い至ったりして、それが面白い。ロボットの視野や物体の認識には認知(だったと思う。)心理学が使われているってってな話みたいな。

 ラベリング。僕は一時期「自己洗脳」などと呼んで結構自分でやっていました。ってこれ書き出してみたらラベリングじゃないような…まぁいいや。鏡を真っ直ぐ見て自分の角膜の辺りを見つめながらなりたい事とかやりたい事とかを声に出して言うんですよ。それを繰り返すと結構自分の人格って簡単に改造できます。あとは成瀬悟策式の場面のイメージとか…。でもこの人エリクソンのフォロワーでもない(多分)のに催眠とか言っちゃったりして微妙な部分も結構あるんですが。
 ラベリング。僕が奇矯な格好(シャツ)をしているのは罠です。人間予想を裏切られるのは誰でも楽しいものです。「常に敵の思わざるところに身を置け」というのは誰の台詞でしたか。
 

 そう、一個前の記事、「見た目依存」を読んでいて強く感じてあーそういや結構思うことが多いなぁと思うこと。それは平等を勘違いしているという事。なんかこの社会が基本的に平等だと思っていてそのルールから外された事に対して憤りを感じているような気がするのだけれど「アフリカの飢餓難民」なんていう何十年使われてるかわからないような台詞を吐かずとも身の回りに差別だか区別だか知らないものは沢山転がっている。「時が経つにつれ社会が良くなってきている」みたいな幻想。ただババ引く人が変わっただけなのに。スタートラインの差別はなるべく補われてしかるべきだとはおもうけれど…うーん書いててよくわからなくなってしまった。書きたいことがあったんだけど。

■オシゴト中に学んだ言葉:「否定財」
消費しなければそれに越した事はない製品のこと。薬とか。病院が「またどうぞ」って言えないって話ですね。

ところでwikipediaのイングヴェイの項を見ていたら一番最後に「歴代メンバーの遍歴」として各パート毎に歴史がまとめてあった(まぁ彼はよく自分のバンドの人間をクビにする)のだけれど一番最後、キーボードの下に「彼女・妻」って欄があったのに大笑い。しかもしっかり変遷してる笑。

BGM(ってゆか別に全部書いてるわけじゃ…「今日のお気に入り」ってのが正確ですか。)

Night Games / ALCATRAZZ
西城秀樹にもカバーされたらしい…笑。グラハムボネットのボーカルがやっぱりいいですね。確かに彼の格好同様歌い方もメタル臭くないけど(あ、っていうかこのバンド自体かなりポップ)単純に上手いです。Since You Ben Goneとかもいいしなぁ…イングヴェイもこの頃は惰性で弾いてなかった気がします。凄くコピーしにくい。ヘヴィメタ聞き始めた頃に聞いた曲。不思議と凄く思い出深い。あ、ソロのやつじゃなくインギーがやたらオブリ入れるほうです。

17th Century Chicken Picking / impelliteri
これがUS系のハードロックの格好よさ!などといいたくなる。あ、これヘビメタ?いやでもロックでしょ

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