さて、今帰宅しました(ただいま06:23)。一応昨日一日の流れなど。

 ま、何やってたって言っても夕方まで寝て過ごし、恒例の先生宅へ伺い、初詣をして飲んでたって話なんですけどね。先生宅では去年見た人が結構居て4年間毎年この日だけに会っている人もいて。あそうそう、専門でやってる人に聞いたけど絶対音感ある人は脳の構造が違うらしいですね。冗談で言ったらあっさり肯定されてしまった。なんか3歳までに決まるとか言われるのはやっぱ脳の発達と関係があるんですね。まぁ音楽やるにはナンも関係ないよね、って話でもありましたが(厳密にはなんにも、ではないだろうけど…ただ一長一短だろうなとは思いますわ)。

 結局珍しく結構な人数が残ったので大人数で初詣。おみくじは末吉。ちょっと悲しい。んでそのままオールに流れるか!と思ったら普通にみんな「帰る」とか言い出しちゃってもう憎くて仕方ない。うん。ってわけで午前1時を回っていたにも関わらずS水を召喚したらあっさり応じたもんだから後輩達と別れた後は彼を待っていました。渋谷のスタバで持ってきていた三島由紀夫「宴のあと」を読みながら。ちなみにあまり(いい意味で)文学的ではないせいか面白い小説ですね。「音楽」とか意味不明だったし…。仮面の告白もあんまりだったような…。

 S水はなんか電車アクシデントとかで結局2時半過ぎ到着。多分僕史上一番遅い飲み開始でした(いや、日付的には「早い」なのか)。毎年の例の場所に行き(ちなみにかなり空いていた。いたのはなんか外人とぶらさがってるねーちゃんsばっか。)、例の席に座って色々回想など。あと僕の今年の目標の設定。会議の結果決まったのは

1、就活
2、彼女

 …それだけ。あとはまぁ細かく「新しいいいオケを見つける」とか「なにかしら買うために金を計画的に貯める」とかそういうのはあったんだけど…去年ほど多様な事をやって(できて)いない今があったりしてせいぜいそんなもんです。2重要です笑。就活はまぁ成功したらそれに越した事はない、って程度だし…(いやD通に行きたいですよ、そりゃ)。あ、あと密かにちゃんとジムにも通いなおしたいと思って居たりします。学校なくなったら多分結構暇だと思うので(就労時間に上限があるので今まで通り10時半から働くと17時とかに毎日終わることに…やることないし)。そんな感じ。語呂がいいからあと1個で三個の目標にしようと思ったんだけどね…。うーん。

 あ、そうそう。この日記を読んでくださっている方(いらっしゃるとしたら、ですが)、今年も宜しくお願いいたします。今年も「劇場型」の名に恥じぬよう踊るつもりですので。まー日記を読んで面白いかとは結構別問題なんですけどねーー。

嫌な話

2006年1月1日 考え事
 今日は結局12時ごろ起床、さりげなく弾き初めをして(ちなみに曲目はあわせが迫った中国小品集)、HITMANをやって年賀状を整理して送っていないところから来てたので返して…そんな感じ。その後夕方になって祖父宅に移動してみんなでご飯など食べていたのだけれどその席上祖母(植物状態)に洗礼を、という話に。
 なんか僕はちゃんとは知らないのだけれど祖母は意識があるときに何かの席でキリスト教で葬式を、的な事を言っていたらしい。ただ祖父はそれを認めていなかったのだけれど最近になって気持ちが変わったらしい。そのこと自体は誠に結構なのだけれど全てが遅いよねぇ…。なんというかやはり葬式を挙げてもらえないから洗礼を、という事には非常に僕の中で違和感がある。若いせいだろうか?
 せめて自分が望んだことであればどんな夢を見ようと自由だし死が間近に迫ってきた時に神にすがりたい気持ちはわかる気もするし現世利益を基本的には約束しないであろうキリスト教なんかの神父なり牧師だって死に瀕している人がそれで多少安らかに逝けるなら助けてやるにもやぶさかじゃないだろう。それを植物状態になってからやれ前はこう言ってたとか言ってもね…。まぁ「表面に出せないだけで意識はある」という風に考えるのであれば望む事をやってあげたくなるんだろうけど僕がもしそんな状態で意識が身体に囚われてしまったらさっさと殺してほしいのだけれど。身勝手ですかそうですか。やっぱ若いのかね。

 "神はサイコロを〜"じゃないけれど本当にこの世以外に何かがあるかは結局死んでみないとわかりようがないわけだしそんな分がよくない賭けに自分の一度しかない生を賭けた人には救いが与えられてもいいだろう、もし彼らが賭けに勝っていたならば。賭けるものが大きいほどリターンだって大きくなるのは当たり前の話。目前の死の苦痛や恐怖を取り除く為ならば「嘘も方便」で済まされるのかもしれないが今まで祈りの一つも唱えないで生きていた人間が最期に至って救いを求めるのはずるい気がしますよ。ま、葬式やるための方便、ってんだったら仕方ないけどさ。

 ま、そんな事を書くとずいぶん冷たいですね。みたいな話になりますよね。いいんですけど。
 この世には立てちゃいけない問いっていうのがいくつもあって、それらには理屈による整然とした回答が用意されていない。前も書いた「何故人を殺してはいけないか」にしてもそうだしこんな話で肉親だけ例外にしなければならない理由も僕には理解できないのだけれど。

 僕が死んだら家族が勝手に好きにすればいい。僕と一緒に僕の中の神も死に、教義も何も残らないのだから。みな何故神を共有したがるんでしょうか。全く理解できません。正しさに多数派の安心感求めてどうするんですか。


 ところで今栗山千明嬢がテレ東のクレオパトラモノに出ているのだけれど(どうでもいいけど番組じゃなく人が目的でテレビを見るのは多分初めてだ…)この人がオタクってのがなんとなく納得できた。今まで見るのは雑誌とかの写真が中心、あとはキルビル(邦画見ないので)程度のもんだったんだけど素で動いてると声も若いし声質がなんとなくアレ。あと肌も微妙に…。ま、別にマイナス評価ではないのだけれど。

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