鼻づまり

2005年1月17日 日常
 のせいで午前4時すぎだってのにおきてしまいました。点鼻薬投与しても改善しないので綿棒に点鼻薬垂らして鼻の粘膜に直接散布しました。こうかてきめん。しかしこの時間に起きちゃうと後が辛いんだな、寝ようにも中途半端だしそもそもあんまり眠くないし。

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被災地でバカンスを楽しむ人々。これをシュールと平気で言える人はネオファンタジアを面白いと思うに違いない。


 さて、ネットやってるお医者さんの間に今、激震が走ってる模様。発端は

医師がHPで患者中傷 「頭悪い、二度と来るな」

 水戸市の水戸協同病院(津久井一院長)の耳鼻咽喉科の女性医師(28)が、自分のホームページ(HP)に患者とのやりとりや手術の様子を書き込んで「頭悪い」などと、患者を中傷していたことが14日、分かった。医師は指摘を受けてHPを閉鎖。病院は処分を検討している。
 病院によると、医師はHPの日記のコーナーに治療内容などを公開。匿名ではあるが、文句を言う患者に「今すぐ帰れ。二度と来るな」と書いたり、忘年会中に呼び出された緊急手術について「この緊張感がたまらない」と記したりしていた。
 情報提供があった昨年12月下旬、病院が医師に確認すると「日記がわりに書き込んでいた。申し訳ないことをした」と述べたという。


という記事。医療従事者系(そんなくくりがあるのか?)BLOGでは「この程度自分も書いてる」とか「あの記事やばいから消さなきゃ〜」とか言う反応が散見されてる模様。んでDiaryNote内で結構昔から日記を書いてたような感じの女医さんのIDが昨日無くなってたり(まぁ多分危機感感じて消したんでしょう)どったんばったん繰り広げられてるようです。

 しかしこのニュースになったこれは誰かが垂れこんだんですな。怖いね。僕は関係ないものとして見てる分にはこういう日記は楽しいので普通の人間が普通に読んでる分にはどこの誰の日記だかわからなければ別に(関係者が読めばすぐわかっちゃっても)いいとは思う。ぱっと見大体どこの誰だかわかっちゃうと「それは洒落にならん」って思うけど。医師だって人間だとかそんな理屈はともかくそんな病院いきたくないし。

 要するにリアルにバレるとアウトな訳ですね、お医者さん。僕もなるべく気をつけるようにしてるのですが…(いや、医者じゃないけど)まぁ一つの事実から確定は出来ないようにしてありますが一旦怪しまれたらそれを補強してしまうだけの材料はあります。完全に隠れようと思ったらこんなパブリックスペースでやってちゃ無理なわけだしそもそも結構特異な事をやってるので例えばT1なんかは僕と行ったイベントの名前かなんかで検索すれば簡単にこれを見つけられるでしょうね。別に彼に読まれても構わないですけど。

やっぱ風邪かよ

2005年1月17日 日常
 余りにも微熱感と悪寒、それに鼻づまりが酷いので学校終わってからかかりつけの医者に行きました。早くも始まった花粉系かと思いきや診断は風邪、あまりに頻繁ですね。確かに花粉の始まりにしちゃ酷いとは思ってましたがまた風邪ですか。やれやれ。病弱っ子ですよすっかり。
 せっかく明日行こうと思ったジム、無理くさいなぁ…。こうやってずるずる延びていくとどんどん体重は戻っていき、きつかったシャツはぶかぶかになっていくんですねぇ。しかもこれで一人だとなんもする気起きないから栄養摂取にも問題が。
 
 
 そうそう、父親は全く家の仕事はしませんしね。こういう状況なら偉そうに人にあれこれ言う前に自分も少しは動いて見せればいいのに。彼は外で仕事をしている、といえばそうだし僕の負担のほうが大きくて然るべき、というのもそうでしょう。倒れたのは実母だからショックも大きいだろうし。ただそれにしても一緒に居るとこっちの神経が磨り減っていくも事実。まぁお坊ちゃまの上昔の人だから家主の自分は座ってればみんなが勝手に何でもやってくれると思ってるんでしょうね。仕方ないし治しようもないのもわからないではないんですが…。家に置いてあるものは絶対食べないで毎度高級外食みたいだしね。もう少し稼いでからにして欲しいもんです。

 メヌエットの編曲は終わりました。繰り返しが多いし形式を見抜けば結構譜面もコンパクトに。これは演奏自体は簡単な部類でしょう。チェロがちょっと大変だけどその分おいしいし。しかし寒気がするときはヴァイオリンが弾けないので譜面のチェックはまたの機会に。

 のだめの12巻?を購入。チャイコフスキ−のヴァイオリンコンチェルトのトコで出てきたソリストはナイジェルケネディがモデルかな?彼、僕ら家族がNZで泊まったホテルにも泊まった事が有ったようで二枚、写真が飾られていました。最近のとぐれる前。まるで別人。

阪神大震災。

2005年1月17日 日常
 から10年である。僕も被災者で小学六年生であった。今年は10年目であり、そして余り語られていないような気もするが同じ月曜日である(記憶が正しければ、だが)。

 真面目なテキスト(21世紀の宝石業界を読み解くとかKJ法の解説とか英語の頻出誤語法とか岸田秀の史的唯幻論の概説とかなんだか色々HDDには転がっている。まぁ実世界にも読んでない本は沢山あるし)を読む気力がなく、今やネット上にコミュニティー(対人のチャットはいわば高度なちょっぴり人工無能…ってこの言い方、もうないのかな?まぁ、兎に角いい暇つぶしであった、過去は。)もない僕は寝るかPCで時間をつぶす事くらいしかない。午後七時なんかに寝てしまうと後でまた酷い目にあう事確定なので結局起きてぼーぉっとしているかPC、という事。
 こういうときにこういう場があって思いつくことをだらだら垂れ流すことは僕にとっては心地よい(いい迷惑?。

 ああ、そうそう。震災。町中ガス臭かったしそこら中で東京の皆さんがTVで見ていたようなビルの倒壊とか線路の寸断とか起こってたし、まさに映画のセットの中の世界。僕は子供だったからそういう場所からは故意に遠ざけられたのかもしれないけれどあまり現実感はなかった。

 確かにTVで見る風景は見慣れた町のそれなんだしうちの回りも長田地区やそこらと比べればマシとはいえ物凄い壊れ方だったわけだし(うちのマンションは全壊指定)連続性は確かにあったのだけれど自分が怪我をしたわけでもないし…。
 「想像もしなかった」って言う言葉が有るけどあの惨状はまさに文字通り想像なんかするはずもない状態で頭が麻痺しちゃったのかな、というのが最近思う事。

 全く本筋とは違うけど言葉の陳腐化、という事を最近時々考える。前述の「想像もしない」、他にも「死ぬほど怖かった」等も字面を考えれば物凄いインパクトがある言葉だと思うけれど全くそんな程度の話ではなくても気軽に使われている(し自分自身使っている)。
 でもまぁ、比較級の最上級みたいな意味合いなのかな。
怖かった→超怖かった→死ぬほど怖かった
…みたいな。絶対的な恐怖の度合いは問題ではない、みたいな。

 帰京(避難ではなくタイミングよく中学受験だったので)後しばらくはバランスの悪い建物(東京ビックサイトとか…)を見上げる事は出来ませんでした。今でも多少そのケはあります。

 まぁ要するにせめて寝てる間に死なないようにベッドに向けて何かが倒れてこない程度の工夫はしましょう、って事。
 家が崩れたらどういう小手先の対策をしても死ぬんだしそもそも揺れてから隠れるってはのありえませんから。隠れられる(動ける)位のゆれだったらよっぽど不運じゃない限り死にません。
あとは神に祈る事です。遠からず東京にも来るといわれてますが勘弁してもらいたいものです。

 ところで未だに新しい携帯の機能であるところのキャッチホンが使えずに居ます。どのボタン押せばえーのか。

 そうこうしている内にW辺(元職人)から電話。PC買いたいんだけど、という事で相談に乗ってやる。

BGM
Sound Truck / Lola Rennt(ラン・ローラ・ラン)
 …今まで唯一映画館でサントラを買ったのがこの作品。ジャンル的にはジャーマンテクノかな。随所に入る声がステキ。映画本編も(繰り返し部分が余計だったけど)面白かった。ミニシアター系で初めて見た作品かも。かといってそれ以降ミニシアターにはまったとかそういうことはありません。ぱっと思い出せるのは「GhostDog」くらいのもん。
 GhostDogは面白かった。B級感たっぷりで。ただ真面目な筋とその下らないギャグが乖離してたようなしてなかったような。

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