「理論とは、直接的体験による確信の哀れな弁明である。」
全くその通り。
音楽にだってあてはまる、と直感的に思ったんだが待てよ、考えてみると具体的にはよくわからん。まぁ眠いんだろう。
まぁ兎に角「確信」という言葉は好きです。
共有できないが故に孤独に陥る事を恐れ、言語化する事によって周囲の人間にわかって貰おうとするこの惨めさ。
確信。
そうそう、またアメリカ選挙にちょっと関係があるかもしれない話。宗教の危険性というのはつまり「言語化」にあると思うわけです。
神は自然状態において各個人一人一人の中におわす、という考え方はまぁキリスト教においては一般的ですわな。それで悪行測られて最後の審判の時にえらいこっちゃになるわけです悪いことしてると(これってちょっと閻魔大王に報告に行く庚申の話みたいだね)。
僕もそれには特に反対じゃなくて。ただそれを宗教という形にまとめる事にすごく抵抗感がある。
誰しも「わかってるけど言葉に出来ない」事ってあるじゃないですか。本当に絶対わかってるのにそれを言葉にしてくれっていわれるとその途端困っちゃうような。
例えば僕は人の顔を覚えるのがすごく得意です。一回会えばかなりの割合で(ごく短時間会っただけの人でも)覚えてます。でもだからといって「昨日会ったあの人はどんな顔?」って言われてもあんまりわからない。確かに覚えてても具体的な特徴まで口に出せないわけです。それって人の覚え方としては効率いいよね、って友達に言われたりしますが。ほら、認識に本当に必要な情報さえ覚えてればいいってのは効率的じゃないですか。
神様ってそういうものだと思うんですよ。なんとなく信じられるもの、とか見守っててくれるもの、とか。でももやもや。
でも人間はそれについて語ってしまう。そしてちょっと共通点を見つけると自分の中ですりあわせをやってしまうのです(「ちっともわかってないのに『あーわかるわかる』とかいって話し合わせちゃうことあるでしょ?」)。今みたいに圧倒的に3大宗教(+数で言うならあとヒンドゥー教)が勢力を持った時代であればまずそういった宗教は「みんなが支持して何千年も残ってきたもの」という強烈なアイデンティティを持ってるわけです。だから一人の人間としてそれに抗する事は難しく、自分の直感の中に存在しない事や自分の「神」とはちょっと違う部分があってもそれにすりあわせてしまう。そして「みんなが信じてる権威ある神」を信じることで自分もまた
…はいこの辺で昨晩力尽きました。続き。
自分もまた安心できるわけです。でもそれは本来の自分の心の中にある状態の神様とは変質してしまっている、と思ったりするわけです。みんなが譲歩して作った共同幻想だから。
万能の神、という概念もなんかおかしくて個人には本当に万能の神なんて必要ないわけですよ、一人の人間が知覚できる世界なんてそんなに大きいものじゃない。例えば僕の中の神様はボリビアについて全然知らなくても問題ないわけです。僕の中での完全性は損なわれない。だから僕の中で完全であり続けるためには僕より少しだけ大きな存在であればいい。
それをみんなで同じものを信じようとしてみんなのニーズにこたえようとすると不自然に膨れ上がった存在にならねばならないわけです。その内お互いに同じ神の名を掲げて殺しあったりする。
だから僕は「みんなで同じ神を信じる」事に意味を見出せないのです。自分の中に神は在ればいい。
そして僕はまた鬱
全くその通り。
音楽にだってあてはまる、と直感的に思ったんだが待てよ、考えてみると具体的にはよくわからん。まぁ眠いんだろう。
まぁ兎に角「確信」という言葉は好きです。
共有できないが故に孤独に陥る事を恐れ、言語化する事によって周囲の人間にわかって貰おうとするこの惨めさ。
確信。
そうそう、またアメリカ選挙にちょっと関係があるかもしれない話。宗教の危険性というのはつまり「言語化」にあると思うわけです。
神は自然状態において各個人一人一人の中におわす、という考え方はまぁキリスト教においては一般的ですわな。それで悪行測られて最後の審判の時にえらいこっちゃになるわけです悪いことしてると(これってちょっと閻魔大王に報告に行く庚申の話みたいだね)。
僕もそれには特に反対じゃなくて。ただそれを宗教という形にまとめる事にすごく抵抗感がある。
誰しも「わかってるけど言葉に出来ない」事ってあるじゃないですか。本当に絶対わかってるのにそれを言葉にしてくれっていわれるとその途端困っちゃうような。
例えば僕は人の顔を覚えるのがすごく得意です。一回会えばかなりの割合で(ごく短時間会っただけの人でも)覚えてます。でもだからといって「昨日会ったあの人はどんな顔?」って言われてもあんまりわからない。確かに覚えてても具体的な特徴まで口に出せないわけです。それって人の覚え方としては効率いいよね、って友達に言われたりしますが。ほら、認識に本当に必要な情報さえ覚えてればいいってのは効率的じゃないですか。
神様ってそういうものだと思うんですよ。なんとなく信じられるもの、とか見守っててくれるもの、とか。でももやもや。
でも人間はそれについて語ってしまう。そしてちょっと共通点を見つけると自分の中ですりあわせをやってしまうのです(「ちっともわかってないのに『あーわかるわかる』とかいって話し合わせちゃうことあるでしょ?」)。今みたいに圧倒的に3大宗教(+数で言うならあとヒンドゥー教)が勢力を持った時代であればまずそういった宗教は「みんなが支持して何千年も残ってきたもの」という強烈なアイデンティティを持ってるわけです。だから一人の人間としてそれに抗する事は難しく、自分の直感の中に存在しない事や自分の「神」とはちょっと違う部分があってもそれにすりあわせてしまう。そして「みんなが信じてる権威ある神」を信じることで自分もまた
…はいこの辺で昨晩力尽きました。続き。
自分もまた安心できるわけです。でもそれは本来の自分の心の中にある状態の神様とは変質してしまっている、と思ったりするわけです。みんなが譲歩して作った共同幻想だから。
万能の神、という概念もなんかおかしくて個人には本当に万能の神なんて必要ないわけですよ、一人の人間が知覚できる世界なんてそんなに大きいものじゃない。例えば僕の中の神様はボリビアについて全然知らなくても問題ないわけです。僕の中での完全性は損なわれない。だから僕の中で完全であり続けるためには僕より少しだけ大きな存在であればいい。
それをみんなで同じものを信じようとしてみんなのニーズにこたえようとすると不自然に膨れ上がった存在にならねばならないわけです。その内お互いに同じ神の名を掲げて殺しあったりする。
だから僕は「みんなで同じ神を信じる」事に意味を見出せないのです。自分の中に神は在ればいい。
そして僕はまた鬱
GOD IN THE TV
2004年11月8日 音楽
写真の作品とは違いますが、Marilyn Manson のPV集(+おまけ)。たしかタワレコでライブアルバム「The last tour on earth」とパッキングして売られていました。こんなものを昔の彼女に買ってもらっていた僕でした。ヒモでした。そんなあの子は今イギリスに居ます。大体なんだよ家で一家でメシ食いながらサウスパーク見て爆笑してる家族ってなんだよ!と他人事のように思う今日この頃でした。いやぁ懐かしい話です。マンソンもこの子に教えてもらいました。一緒に行こうと思ってツアーのチケット取ったら公演の頃には別れてました。ちゃんちゃん。
いやぁマンソンいいですね。特におまけのツアーの裏話がめちゃくちゃで面白いです。映像もセンス有る。個人的に彼はHolywood(巷では売れてないがメジャー受けのポップさと彼本来のカルトさが危ういバランスでうまく構成されてるように思います。一番好き。これより前も好きは好きだけど強烈過ぎて。)で終わってしまったのでこのあたりを聞くと安心するんです。
いやぁマンソンいいですね。特におまけのツアーの裏話がめちゃくちゃで面白いです。映像もセンス有る。個人的に彼はHolywood(巷では売れてないがメジャー受けのポップさと彼本来のカルトさが危ういバランスでうまく構成されてるように思います。一番好き。これより前も好きは好きだけど強烈過ぎて。)で終わってしまったのでこのあたりを聞くと安心するんです。