タイトルは松岡正剛の千夜千冊『禅と日本文化』鈴木大拙(http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0887.html)文中より。
昨夜はすごいものを見てしまいました(そうそう、上司が計らってくれて行けたのよ)。帰宅して自分が受けた印象をまとめてここに書こうと思ったけど全然まとまらなかった。楽譜を見ていないからわからないけど、多分テーマと大まかな進行、それに場面転換のための合図だけを決めて行われた演奏で、あれはまさに「曲じゃなく音楽」。
普通の曲の場合、まず完成された楽譜があり、ある意味で100%(「完璧な演奏」)がわかった状態それを目指していくような形になる。その100%という場所は曲の解釈やら演奏者の思いやらで演奏されるごとに当然違ってくるけど、でもそれぞれにたどり着きたい場所があって、それに向かっていく。
でも昨日の演奏はそういうものじゃない。それは楽譜や事前の取り決めがあったかなかったかに起因するものじゃない。めちゃくちゃな表現をするならあれはある種の禅。0になることを目指すというか、空(ku)を目指す(正確に書くなら「目指す」ということすら邪念の類なのかもしれないけど)というか、方向としてはそちらに行っている気がする。
今朝起きたら律儀にも重さんからサンキューメールが入っていて(あれだけのライブの後に普通に朝起きてお礼状を書けるというのがすごい。別に僕だけに書いているわけじゃないだろうし)、それへの返事としても書いたんだけど鈴木大拙の「禅と日本文化」がまたこの辺のことへの回答の一片を示しているような。
訓練を積み上げて「訓練していないような音を出す」ってすごい矛盾。多分昨日の演奏だって(嫌な言い方だけど)素人が聞いて「すごい演奏」と思うようなものじゃない。下手したら何あの騒音、とか言われそう。同じ騒音なら楽器なんて弾いたこともない人でも出せるはずなら、その違いはどこにあるのか。「赤子のような振る舞い」を理想にするような話を聞いたことがあるけど、では本当に自由であることがすばらしいことなら、人間の精神はそういったことでなんの役にも立たないのか。
…上はまた覇者と覇者からの引用なんですが、昨日配られた紙にも同じようなことが書いてありました(なくした)。「演奏してしまうこと、表現してしまうことを避ける」みたいな。
なんかああいうものを聞かされてしまうと、僕は今後どうしたらいいのかまったくわからなくなってきてしまいました。
■小ネタ
防衛省・陸上自衛隊:注目コンテンツ「ペーパークラフト写真コンテスト」
http://www.mod.go.jp/gsdf/special/papercraft.html
…どうコメントすればよいのかわからない。しかも自分で「注目」って…
路上のソリスト(※いきなり予告編自動再生)
http://rojyo-soloist.jp/
楽器弾けない役者がちゃんとした指導を受けてないからこういう画になるのかそれとも写真家がクソなのかしらないけどとりあえず「主人公(?)は楽器の天才」という設定が最初のポスター一枚で崩壊。
バーナンキ氏のため息・・・俺の人生返せ!!
http://blog.goo.ne.jp/kitanotakeshi55/e/ca0d7c7179905fb7ba37900c5e56457f
ぐっちーさんが経済学が科学かどうかについて書いてられるんですが自分的にはちょっと今更感。いや全く経済学には詳しくないんですが、「データは直感を補足するためのものであって、逆ではない」というような話じゃないの?直感はそのままでは共有できないわけで、それを共有するための言語が調査なわけだし。確率の話だって単に「降水確率が20%だろうと降ったら降る」ってだけの話な気はするし。いや、ぐっちーさんの話は面白いんですけど、別に煽らなくてもいいのになっつー。
昨夜はすごいものを見てしまいました(そうそう、上司が計らってくれて行けたのよ)。帰宅して自分が受けた印象をまとめてここに書こうと思ったけど全然まとまらなかった。楽譜を見ていないからわからないけど、多分テーマと大まかな進行、それに場面転換のための合図だけを決めて行われた演奏で、あれはまさに「曲じゃなく音楽」。
普通の曲の場合、まず完成された楽譜があり、ある意味で100%(「完璧な演奏」)がわかった状態それを目指していくような形になる。その100%という場所は曲の解釈やら演奏者の思いやらで演奏されるごとに当然違ってくるけど、でもそれぞれにたどり着きたい場所があって、それに向かっていく。
でも昨日の演奏はそういうものじゃない。それは楽譜や事前の取り決めがあったかなかったかに起因するものじゃない。めちゃくちゃな表現をするならあれはある種の禅。0になることを目指すというか、空(ku)を目指す(正確に書くなら「目指す」ということすら邪念の類なのかもしれないけど)というか、方向としてはそちらに行っている気がする。
今朝起きたら律儀にも重さんからサンキューメールが入っていて(あれだけのライブの後に普通に朝起きてお礼状を書けるというのがすごい。別に僕だけに書いているわけじゃないだろうし)、それへの返事としても書いたんだけど鈴木大拙の「禅と日本文化」がまたこの辺のことへの回答の一片を示しているような。
訓練を積み上げて「訓練していないような音を出す」ってすごい矛盾。多分昨日の演奏だって(嫌な言い方だけど)素人が聞いて「すごい演奏」と思うようなものじゃない。下手したら何あの騒音、とか言われそう。同じ騒音なら楽器なんて弾いたこともない人でも出せるはずなら、その違いはどこにあるのか。「赤子のような振る舞い」を理想にするような話を聞いたことがあるけど、では本当に自由であることがすばらしいことなら、人間の精神はそういったことでなんの役にも立たないのか。
「なにかに向けて煽り立てること、そういう行為自体を好きになれないってこと?」
海人は二度うなずいた。
「人を煽り立てる連中は警戒した方がいい」
女子学生の瞳に一瞬光が宿り、自分を疑う口ぶりで言った。
「いま気がついた」
「気がついたって?」
「ガウリの歌はぜんぜんちがう。無意識じゃない。ガウリは自覚的なのよ。感動へ向けて煽り立てることさえ、彼は注意深くさけてる」
…上はまた覇者と覇者からの引用なんですが、昨日配られた紙にも同じようなことが書いてありました(なくした)。「演奏してしまうこと、表現してしまうことを避ける」みたいな。
なんかああいうものを聞かされてしまうと、僕は今後どうしたらいいのかまったくわからなくなってきてしまいました。
■小ネタ
防衛省・陸上自衛隊:注目コンテンツ「ペーパークラフト写真コンテスト」
http://www.mod.go.jp/gsdf/special/papercraft.html
…どうコメントすればよいのかわからない。しかも自分で「注目」って…
路上のソリスト(※いきなり予告編自動再生)
http://rojyo-soloist.jp/
楽器弾けない役者がちゃんとした指導を受けてないからこういう画になるのかそれとも写真家がクソなのかしらないけどとりあえず「主人公(?)は楽器の天才」という設定が最初のポスター一枚で崩壊。
バーナンキ氏のため息・・・俺の人生返せ!!
http://blog.goo.ne.jp/kitanotakeshi55/e/ca0d7c7179905fb7ba37900c5e56457f
ぐっちーさんが経済学が科学かどうかについて書いてられるんですが自分的にはちょっと今更感。いや全く経済学には詳しくないんですが、「データは直感を補足するためのものであって、逆ではない」というような話じゃないの?直感はそのままでは共有できないわけで、それを共有するための言語が調査なわけだし。確率の話だって単に「降水確率が20%だろうと降ったら降る」ってだけの話な気はするし。いや、ぐっちーさんの話は面白いんですけど、別に煽らなくてもいいのになっつー。