帰ってきたら飯がなかった。
2005年9月26日 日常 今日が夏休み明け初出勤。というわけで随分の人に「あれ、しばらくぶりじゃない?」などといわれたり机に知らないものが増えてたり(辞めてった人の形見分けだった)向かいの人の計算機があったり留守電に同じメッセージが何通も入ってた(タイムシートを一部提出してなかった…ので先月の給料は振り込まれず…ぴんち)りとまぁ久しぶりの会社はやっぱり久しぶり、って感じでした。なんか思えば長い休暇でしたよ。先日会社のトップが辞めたのはロンドンで買った雑誌で知っていましたがやっぱりショックだし(かなりの「人物」だった)何故かみんなトレーニング受けに行ってるし。
一日目から新規クライアントに向けてのプロポーザル作り(一番憂鬱)を手伝い(っていうか僕の作ったのを「コピペするから」って言われた…)、結構めまぐるしい感じでした。午後少しまではうちの部門が全員トレーニングでいなかったのでのんびり適当にやってたんだけども。っていうか終わってねぇ…。"お前が名案だしてくれればとっても助かるんだけど"みたいなメールも来たりして見習い的にはあーやらなあかんなーとか思ったりするのですが全然良いアイディアが出ないまま無駄にこんなところで筆を進めています。
一日目だったので?疲れて8時半とかには帰途に。途中腹が減ってどうもこうも、ってな状態だったので恵比寿に寄っていくかなぁ…と思ったけど一応家にtel。そしたら飯がある…との事だったので帰ってみたら親はぐっすり寝ていて台所にあるのはぱさぱさの白飯と汁がほとんどない金目鯛汁?、それにこれだけは食えた豚の蒸した何か。仕方ないのでコンビニ行って食料調達。作れないならそういって欲しいものです…別にそれならそれでいいんだからさ。
美人の佐藤ゆかり衆議院議員(に日本に帰ってきたらなっていた)が「共鳴を感じる」等とニュース23で述べております。国会議員が日本語喋れないんだから大学生が数学出来なくても驚くには当たらないと思ったりします。お前ら中国の古典紐解く前に国語の教科書読み直せ、とお説教したいです。でもこの人元ボスコンじゃなくてなんだっけ、クレディスイスだっけ、で海外長いんでしょ、そりゃ仕方ないかなぁと思ったりもします。当人が恥ずかしくないなら、ですが。
一日目から新規クライアントに向けてのプロポーザル作り(一番憂鬱)を手伝い(っていうか僕の作ったのを「コピペするから」って言われた…)、結構めまぐるしい感じでした。午後少しまではうちの部門が全員トレーニングでいなかったのでのんびり適当にやってたんだけども。っていうか終わってねぇ…。"お前が名案だしてくれればとっても助かるんだけど"みたいなメールも来たりして見習い的にはあーやらなあかんなーとか思ったりするのですが全然良いアイディアが出ないまま無駄にこんなところで筆を進めています。
一日目だったので?疲れて8時半とかには帰途に。途中腹が減ってどうもこうも、ってな状態だったので恵比寿に寄っていくかなぁ…と思ったけど一応家にtel。そしたら飯がある…との事だったので帰ってみたら親はぐっすり寝ていて台所にあるのはぱさぱさの白飯と汁がほとんどない金目鯛汁?、それにこれだけは食えた豚の蒸した何か。仕方ないのでコンビニ行って食料調達。作れないならそういって欲しいものです…別にそれならそれでいいんだからさ。
美人の佐藤ゆかり衆議院議員(に日本に帰ってきたらなっていた)が「共鳴を感じる」等とニュース23で述べております。国会議員が日本語喋れないんだから大学生が数学出来なくても驚くには当たらないと思ったりします。お前ら中国の古典紐解く前に国語の教科書読み直せ、とお説教したいです。でもこの人元ボスコンじゃなくてなんだっけ、クレディスイスだっけ、で海外長いんでしょ、そりゃ仕方ないかなぁと思ったりもします。当人が恥ずかしくないなら、ですが。
未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。
時々見てる嫌いなサイトより。サイトは嫌いだがいい言葉だ…。更に言えるのは「今出来るのは点を力の限りばらまいて行く事だけ」という事。
そして
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。
それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。
それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。
そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
ってのもこう、きますね。