ビルコム
2005年5月7日 Advertise&PR Business 昨日は渋谷で魚をただ食い、今日は高田馬場で和食を割引食い。玉川大学の購買では飼ってる牛から取れるアイスを買うことが出来るとか何とかそんな話で盛り上がっていました。あと大学教員インサイドトーク(非常勤講師2人、大学職員1人と飲んでいた為)。
さて、最近毎日ビルコム(http://www.bil.jp/)のブログを読んでいる。インターン、就活生向け、通常と三つもあって(打ちつを社長が執筆)なんだかかんだか、って感じだけど内容はとても面白い。
特に今日の「新しいPRのあり方とは?」には非常に共感する面が大きい。「広報業務のアウトソージング」としてのPR会社というのはまさに今の日本の(僕の嫌いな)PR会社そのものだと思う。
つまり、書かれているように「PR会社が単にクライアントとメディアの間に位置してサービスを提供するだけでは、不確実性が高すぎる。」という事。これでは単に「卸業」をやっているだけでいつか「流通革命」がPRでも起きてきて、この仕事はなくなっていく。
今なぜこういった卸業が仕事として成り立つかというときっとそれは一つにはジョブローテーション制がまだ多数を占めているであろう日本の会社ではスペシャリストが生まれにくいという事が原因なんだと思う。コネで記事になったりならなかったりが決まったりパブリシティなどである程度の公式化が可能なのであれば長い間同じ仕事に就いているほうが確実に有利である。
ただそれは結局単に「長い間同じ仕事をしている」事だけを売りにしているのであってまさにスペシャリストのアウトソージングにすぎない。その内絶対に廃れる。企業も例えばパブの書き方や何やらを学んでいくだろうしそんな余計なコストは省く方向にいくであろうから。
単に広報外注会社なのに「PRでござい」と名乗っているからおかしなことになる。僕はアメリカ型のPRがPR会社の仕事だと(恥ずかしながら)信じていた。そして実際受けてみた幾つかの会社ではそれは違ったわけだけれど外から区別が付かない事には未だに納得がいかない。こちらも例えば会社を受験するのにコストを払っているわけだし。ま、確かにそういう戦術的な事をやる会社だとは一言も言ってなかったけどさ。
これは今書いている会社に提出するエッセイにもチラッと書いたのだけれど「ネジを締める」事と「機械を作る」事について。
英語で(日本で言われている)広告業界は"Advertising Business"とは呼ばれない。ではなんと呼ぶかというと"Communication Business"と呼ぶらしい。あくまでADもPRもCommunicationの中の一つの分野という事みたいだ。
この言葉に僕は非常に感銘を受けた。Communicationというのは二者間の対話であるし、一方を(潜在顕在の)顧客とするならばもう一方のブランドや企業といったものもコミュニケーションの為には人格を持つ必要がある。
電話で話した時と手紙をやり取りした時と実際会った時にいう事が違う人間はいない。それと同じでブランディングだって広告とPRでいう事が違ったら駄目なはずだ。しかし今の日本の広告業界での広告とPRの力の差はそういった対等の考えを許していないような気がする(「PRはコストがかからないから」と会社説明会で阿呆が能書き垂れるような会社が業界一位とかいばってますからね。)。
そういった仮想人格としてのブランドを作ろうとした時に、うちの会社は環境的には最高だと思うのだ。外資だからPRも戦略的なことを考えるだろうし。日本のようにインフルエンサーに成りえる知識人よりマスコミが強い国では色々欧米流では上手く行かない事があるんだろうなとは思うけれど。大体とりあえずちゃんと日本が喋れるヤツがいないと駄目だと思う…。いや、別に普通には喋れるんですけどまぁでも「言語として喋れる」だけでは駄目だと思うんですよね。
ああ、それたそれた。ブランドを機械に例えたんです。そして広告やPRをネジを回すことに例えた。ネジを回すことに誇りを持つことは勿論必要。しかし機械を作る事を目的とするのであれば(つまり"Communication Business"をしようとするのであれば)ネジをまわす事は手段としての大切さ以上は持たないのではないか、という風に思うんですよ。
ただ「機械を作る」というのはネジでもって組み立てていくわけで直接ポンと「作る」事は出来ない。みんなが真面目にネジを締めて行って最後に組みあがるものだと思う。だから「僕は機械を作りたい」というのもネジを締めることを軽視した愚かな発言だと思う。
具体的には営業が居てプランナーが居てクリエイティブが居て…とかぐちゃぐちゃみんなでこっちを先に締めたらいやこっちをとかやって最適な方法を見つける事が良い機械を作る事に繋がっていくのではないだろうか、と。でも日本の会社はそれぞれ「ネジをまわす」事で終わってて機械をイメージしてないんじゃないだろうかと思ったりしたのです。業界間の力関係の問題とかで。
あー眠い。書いてるうちによくわからなくなってきた。
そう、ビルコム社長ブログは面白いって事。考え方にも魅かれるって事。でも多分エントリーしないかな…。やっぱ一年目でそういう所に自分を預けるのには抵抗が有ります(いや、今の会社にもある懸念なんだけれど…。)。「ゲリラPR」という本があるように確かに広告に比べて小規模でもやりやすいのは確か。媒体が紙、とかTV、とか買占め可能なもので制限されてないから。ただやっぱねぇ…PRはやりたいのだけれど。本当はアメリカの大学ちょっと行ってPR会社に向こうで就職して何年か修行してから戻ってきて企業とかが一番熱いんだろうけれど。
それにしてもねむい。
さて、最近毎日ビルコム(http://www.bil.jp/)のブログを読んでいる。インターン、就活生向け、通常と三つもあって(打ちつを社長が執筆)なんだかかんだか、って感じだけど内容はとても面白い。
特に今日の「新しいPRのあり方とは?」には非常に共感する面が大きい。「広報業務のアウトソージング」としてのPR会社というのはまさに今の日本の(僕の嫌いな)PR会社そのものだと思う。
つまり、書かれているように「PR会社が単にクライアントとメディアの間に位置してサービスを提供するだけでは、不確実性が高すぎる。」という事。これでは単に「卸業」をやっているだけでいつか「流通革命」がPRでも起きてきて、この仕事はなくなっていく。
今なぜこういった卸業が仕事として成り立つかというときっとそれは一つにはジョブローテーション制がまだ多数を占めているであろう日本の会社ではスペシャリストが生まれにくいという事が原因なんだと思う。コネで記事になったりならなかったりが決まったりパブリシティなどである程度の公式化が可能なのであれば長い間同じ仕事に就いているほうが確実に有利である。
ただそれは結局単に「長い間同じ仕事をしている」事だけを売りにしているのであってまさにスペシャリストのアウトソージングにすぎない。その内絶対に廃れる。企業も例えばパブの書き方や何やらを学んでいくだろうしそんな余計なコストは省く方向にいくであろうから。
単に広報外注会社なのに「PRでござい」と名乗っているからおかしなことになる。僕はアメリカ型のPRがPR会社の仕事だと(恥ずかしながら)信じていた。そして実際受けてみた幾つかの会社ではそれは違ったわけだけれど外から区別が付かない事には未だに納得がいかない。こちらも例えば会社を受験するのにコストを払っているわけだし。ま、確かにそういう戦術的な事をやる会社だとは一言も言ってなかったけどさ。
これは今書いている会社に提出するエッセイにもチラッと書いたのだけれど「ネジを締める」事と「機械を作る」事について。
英語で(日本で言われている)広告業界は"Advertising Business"とは呼ばれない。ではなんと呼ぶかというと"Communication Business"と呼ぶらしい。あくまでADもPRもCommunicationの中の一つの分野という事みたいだ。
この言葉に僕は非常に感銘を受けた。Communicationというのは二者間の対話であるし、一方を(潜在顕在の)顧客とするならばもう一方のブランドや企業といったものもコミュニケーションの為には人格を持つ必要がある。
電話で話した時と手紙をやり取りした時と実際会った時にいう事が違う人間はいない。それと同じでブランディングだって広告とPRでいう事が違ったら駄目なはずだ。しかし今の日本の広告業界での広告とPRの力の差はそういった対等の考えを許していないような気がする(「PRはコストがかからないから」と会社説明会で阿呆が能書き垂れるような会社が業界一位とかいばってますからね。)。
そういった仮想人格としてのブランドを作ろうとした時に、うちの会社は環境的には最高だと思うのだ。外資だからPRも戦略的なことを考えるだろうし。日本のようにインフルエンサーに成りえる知識人よりマスコミが強い国では色々欧米流では上手く行かない事があるんだろうなとは思うけれど。大体とりあえずちゃんと日本が喋れるヤツがいないと駄目だと思う…。いや、別に普通には喋れるんですけどまぁでも「言語として喋れる」だけでは駄目だと思うんですよね。
ああ、それたそれた。ブランドを機械に例えたんです。そして広告やPRをネジを回すことに例えた。ネジを回すことに誇りを持つことは勿論必要。しかし機械を作る事を目的とするのであれば(つまり"Communication Business"をしようとするのであれば)ネジをまわす事は手段としての大切さ以上は持たないのではないか、という風に思うんですよ。
ただ「機械を作る」というのはネジでもって組み立てていくわけで直接ポンと「作る」事は出来ない。みんなが真面目にネジを締めて行って最後に組みあがるものだと思う。だから「僕は機械を作りたい」というのもネジを締めることを軽視した愚かな発言だと思う。
具体的には営業が居てプランナーが居てクリエイティブが居て…とかぐちゃぐちゃみんなでこっちを先に締めたらいやこっちをとかやって最適な方法を見つける事が良い機械を作る事に繋がっていくのではないだろうか、と。でも日本の会社はそれぞれ「ネジをまわす」事で終わってて機械をイメージしてないんじゃないだろうかと思ったりしたのです。業界間の力関係の問題とかで。
あー眠い。書いてるうちによくわからなくなってきた。
そう、ビルコム社長ブログは面白いって事。考え方にも魅かれるって事。でも多分エントリーしないかな…。やっぱ一年目でそういう所に自分を預けるのには抵抗が有ります(いや、今の会社にもある懸念なんだけれど…。)。「ゲリラPR」という本があるように確かに広告に比べて小規模でもやりやすいのは確か。媒体が紙、とかTV、とか買占め可能なもので制限されてないから。ただやっぱねぇ…PRはやりたいのだけれど。本当はアメリカの大学ちょっと行ってPR会社に向こうで就職して何年か修行してから戻ってきて企業とかが一番熱いんだろうけれど。
それにしてもねむい。