名言?

2005年5月3日 日常

本質的な話って、
すごく単純なんです。

単純で、
いつも使う言葉で語られるのが
「本質」ですから、
話の核をききながしてしまう人には、
内容は伝わりません。


by CCC社長(ほぼ日より)

 なんていうのを見ながら思い出したのです。言葉のこと。一緒の事じゃないかもしれないけれど、言葉というのは単なる記号である、というお話。思っている事を表現する為の記号でもあるけど思っても居ない事を表現する為に使ったりもする(それが嘘)。

 つまり何がいいたいのかというと自分の置かれている立場によって言葉…だけじゃないな、状況とか場所とかの意味合いって言うのは全然違うって事。凄くまたミクロな例で言えば不随の親族を持っている人にとっては「海を飛ぶ夢」の感想は全然違うよなぁ、って話。いくらいい言葉でも自分が響くべき状況にない時は響かない(もしかしたら「最大公約数的に状況の人に当てはまる」のがいわゆる普遍的な名言の条件なのかもしれないけれど)。

 そんな事を最近考える。要するに「なるようにしかならないしチャンスって言うのはこっちの準備が整っている時に飛び込んでこなきゃ生かせない」って事(あれ?話が変わってきてない?)。

 あれですよ、真面目にやってないなりに就職活動なんてやっちゃって「人生観が変わる」ってのを体験してるわけです。僕は変わったとまでは思いませんが…ただ「自分が結局人生で何をなしたいのか」なんていう事は確かに考えるようになったし、もやもやしていたものを突き詰めて考えるような機会にはなったなぁと思うわけです。

 これまでも自分なりに思うところがあって宗教→臨床心理→説得→社会心理→PRと学問をやったりしてきました。まぁ勿論それを専門にしている人からすればお笑いのレベルなんでしょうがそれぞれ学部生程度の知識は得たとは思います(未整理なたんすに入ってるので取り出すのに物凄く時間がかかったりするのがアレですが)。

 これには漠然とした「本質」があってそれに対するアプローチとしてそういう事をやっていたわけです。一つ一つのアプローチをちゃんと突き詰めているかといわれれればそこまででもなく、その辺が自分の甘いところでもあるとは思うのですが…。まぁそれは余談で要するに…「物事は常に一定方向に流れていて、加速する事は出来るけれどスキップする事は出来ない」って思うんです。

 自分だって臨床を通らなければ説得には行かなかったと思うし説得を通らなければPRに行く事もなかったと思う。
 言い換えれば
「宗教→臨床心理→説得→社会心理→PR」


「マクロコミュニケーションである宗教→
宗教は(出来るだけ沢山の支持者を取り込む為に)一般化しすぎていると思って理論的なバックボーンはあるけれど対する個人毎にかなりのカスタマイズをする臨床(要するにどの学問でも言われる「基礎的な理論はシンプルであるほうがいい」ってヤツね。例外も取り込もうとする理論は破綻するっての。)→
やはりカスタマイズを施すと一般化が難しいのが難点、でも説得学は割合マクロもミクロも相手している→
でもちょっと偽善臭い上に小手先のテクニックが多い(まぁ実践から生まれた学問のニオイがするので仕方がないのかも知れません)から社会心理→
社会心理は所詮「箱庭の中の世界」で得られた結果を現実社会に適応させようとするきらいがある(説得は社会心理学の一分野であるはずなのにこの面で全然違う、というのは面白い事だと思います)→
やっぱ将来の仕事考えるなら実務的なPRだよな(この辺で宗教への興味がまた首をもたげてきたり)」

 っていう道筋があるわけで。やっぱり各道筋は自分にとってのゴールへの直結ではなかったけれどそれなり(どころかとても)に役に立っているわけです。これが自分にとっての「道」ならば
出来るだけ加速してゴールに近づきたいなぁとかそんな事。

 就活の事を言えば多分一年前に電通入れてくれるって言われても(周囲に過労死者もいるし)自分はあまり電通にいいイメージを持っていなかったからあっさり蹴っていたと思う。別に今だって「何をおいても入りたかった」とは思わないし言わないけれど(別に落ちたからーとかじゃなくてさ)。
 就活始めたりインターン始めたりで色々考えたり体験したり話聞いたりでようやく「今の段階での」やりたい事が出来てきたりするわけですよね。

 ま、だから焦っても仕方ないのよね、って事。自分のその時点での最大の吸収率で周囲の知識を吸収し、タイミングが違った良い話で悔しがり、そうやって日々は流れていくんでしょうねぇなどと思うわけ。

 「2:7:1の法則」って昔書いたベン・イェフダか誰かの孫引用(「ヤクザの民俗学」だっけの紹介のくだり)の「修道院の中での正義」と一緒だよね、って思ったけどまたあんまりスペースがない。いいと思った2の集団だけ引き抜いてもまたその小集団の中で2:7:1の比率が出来ちゃうって話がね…。

 I坂さんと各国料理の話をしたり彼女の叔母が諏訪内晶子を教えていたとかいう話を聞いたりしましたがなんだか書くタイミングを逃した!感じ。

あ、今日?ネット徘徊してカレー作ってヴァイオリン弾いて終わり。日曜からこっち予定がつぶれすぎです。3日連続で夜の予定がつぶれてますいえい。ってか明日の予定もつぶれるくさいしな。かなりありえない。今のうちに保険でダブルブッキングしとくかな。

 どうでもいいんですが「膾炙(かいしゃ)」という言葉は全く一般的ではないという事をつい最近知りました。またIME変換されないよあほだなぁなどと考えていましたが…。

 あと上の文章書きながら「〜するきらいがある」の「きらい」ってどんな漢字なんだろうかと思って広辞苑引いたら「嫌い」でした。多分この嫌って漢字自体由来はネガティブな意味じゃないんでしょうねぇ…。馬鹿、みたいな。

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