2011年12月15日 鬱期、または鬱日
(飲んでる)

 最近死を想う事が少なくなっていた。そういうものとひるまずに向き合うというのが真実というか真摯な生き方なのかもしれないけれどどう考えても楽ではないわけで、考えこまないでとりあえず生きられるほうが絶対に幸せだとも思っていた。頭は悪いかもしれないけど、頭が良いことは正しいことではないのではないかと。

 夜早く会社を出たかったこともあって、今朝は少しだけ早く起きた。巡回しているブログやらをざっと見て、なんか気が向いたのでいきつけのバーの社長のブログを結構久しぶりに読んだら、知り合いのバーテンダーの訃報が。

 え?

 彼とは土曜日に会ったばっかりです。久しぶりだったし、今は僕の職場が変わってしまってそこまで通っているわけではない、そして個人的に親交のあった人ではない。でもカウンター越しには多分もう3,4年は知ってる人で、同い年。実は同じ大学出身。

 彼はオフなのに店に遊びに来ていて、相変わらずのんびり月蝕ですねーなんて話をしていた。


 悲しいかといわれれば、違う気がする。僕は彼の死を悲しめるほど彼を知らない。でも、とにかくひどく虚しい。もう二度と彼はカウンターの中には立たない。いつ久しぶりに行っても彼に会うことは無い。シュレディンガーの猫みたいなもので、もし彼が生きていたとしたって、僕が何回行っても会えない可能性だってあるだろう。だから個人的な繋がりが無いならこんなことを考えても意味は無いのかも知れない。でも、とにかく虚しく、寒い。一瞬で逝けたのか、苦しんだのか、そんなことも知らない。後悔する瞬間があったのか、あったとしたらそれは幸せなことなのか。病で苦しんだ末なら兎も角、この年で死ぬことなど誰も望みはしない(どんな年でも死ぬことなんて誰も望みはしないね)だろうし、先々こういうことをしたいという夢だってまだあったはず。それらは全て本人の望みなどと関係なく、あっけなく終わってしまった。


 死は残酷。文字にすれば当たり前だけど目の前で起こって初めて実感するということが最近多い。言葉だけでわかることができればどんなに効率的に生きることが出来るだろう。反面それではつまらない、体験してこそ、と思ったりもする。なんなんだろうね。


 まとまりがつきませんが。

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索