報道被害。

2005年12月5日 考え事
 
 この間の授業で報道による人権侵害についてやった。まぁ先生は元報道側の人間だった事もあり「まぁメディアスクラムは確かに悪いんだけど近年報道側もそれなりに改善努力はしているんだよ」といった論調。例えば広島のペルー人のやつ。あれは早々と遺族が報道各社にFAXを送りつけて身辺の取材をさせなかったんだそうな。それが受け入れられたのは姿勢の変化云々みたいな事を言っていたけど…ってことは今までは止めてくれって言っても止めてくれなかったんだね。酷いね。

 
 まぁそんな話を聞きながらそれ以前に報道の大義名分である「再発防止」は本当に意味があるものなのか、というような事を思った。確かに疑獄であるとかオレオレ詐欺であるとかそういった「システムを知る事によって巻き込まれずに済む、又は悪事を働く事が出来なくなる」という事柄に関しては確かに報道され、システムが周知される事で被害は減るだろうとは思う。
 しかし報道で被害が拡大する事は多分今や誰も否定できない事実になっている(って言っちゃっていいですか?)。勿論遺族被害者は言うに及ばず大きな事故のあとは自殺者が増えるだとかCopyCatが出現する(今回だって幼女殺しの連鎖は起こっている)だとかは明らかに社会を不安定にさせているのではないか、という事である、要するに。
 単に誰かが誰かを恨んで殺した、金がなくて郵便局に押し込んだ。それを報道したところで社会に対しては特段利益にならない。近所で殺しでもあれば新聞を見ずともおのずと知れるし逆に遠くで誰かが誰かを殺したところで知った事ではない。何がしかの大物が殺されたって別にその中味まで知りたいとは思わない(特に自分が好きだった芸能人やらなんやらだった場合そうは言わないがそれが社会として必要かと言われればそうは思わない。どこまでも興味本位である)。
 知る権利は決して損なわれるべきではないが、それは個人の感情によってではなく事件の性質やらなんやらのある程度の客観性を持って行使されるべきでは無いか、そんな事を考えた日。ま、誰かが考えるとなると時間が掛かって速報性とかがだめになるからだめなんでしょうけれど。

 ところでモブ(群衆)を撮影してる人を見ると「この人個人情報保護法知ってるのかね」とか可愛くない事を考えてしまう今日この頃です。

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