藝術。トレンツ・リャドと語源
2004年1月4日 中途半端な時間に書き始めたせいで、しかも一日に一回しか書けないせいでなんだか一日の始めに日記を書くという不思議な事態に陥っている。まぁそのうちガッコが始まりサボり始めれば普通に戻ると思われるのでほっておく。
さて、ついさっき「トレンツ・リャド」という画家を知った。若くして亡くなった画家だがこれが非常に上手い。僕は基本的に女性をキレイに描ける画家が好きだがこの人の「カンピン嬢」を見て非常に気に入った。風景画も色使いがとても良い。インターネットはこういう場合簡単に作品が見れて便利だなぁと改めて思う(老人くせぇ)。欲しいが高いなぁ…。実家を出たら一枚は飾ろう。リトグラフで良いからさ。
…いつになるやら。つか量産品がここまで高いってのが納得いかんなー。作家本人のチェックが入ってるものはともかく(それでも高い)遺族のチェックとか別に意味ないじゃん贋作じゃない事は証明できてもクオリティーについて理解できない遺族なんてたくさんいそうだし。っていうか専門家じゃないとそういうのは無理でしょ。などと。数量限定なのはわかったけど、それでも10万以上の値がつく事に納得がいかないのでした。
画家といえば来週にも加山又造とかいう人の展示会を三越まで見に行く事になった。電車の吊り広告見ていいなぁと思っていつもこういうのに誘う美大生の友達を誘ってみたらあっさり乗ってきて。この人はまだ存命の日本画家だそうで。広告見た感じでは藤原ヨウコウなんかが彩色に影響受けてそうな。ま、狭い知識で語ってもなんだね。
美術には大して興味ないのに(画家の名前なんてほとんど知らない。)なんとなく吊り広告とかを見て美術館に行くことが多い(といっても精々3ヶ月に一遍かそれ以下。)。ちゃんとした美術なんて全然わからん。ちなみに好きなのは藤原ヨウコウとか末弥純とか。あとは平凡とひろき真冬かな。この辺全部昔の人じゃなくて最近の小説のカバーからだしね、知ったの。余談ですが菊地秀行氏の編集の人(なのか?)は挿絵の人を連れてくるセンスがよすぎです。末弥純、ひろき真冬、天野喜孝、小島文美とぱっと思いつくだけでも全員が上手い(だから挿絵で売れる等と言われる。わからなくもない)。
昔は聞きかじりでなんだかんだ知識があったけど最近は美大生君に一方的に教えて貰うような感じ。それなのにクラシックの演奏会に行く回数と数えてみるとあんまり変わらないのは何故だ(去年は覚えてる限りでは国音の定演とN響の浄夜、あと天満敦子くらいしか行ってない気がする。しかも一回も金払ってない…。ってこれ全部年の最後の方だから前半はなんか行ったのかも覚えてないだけかも)。まぁ多分演奏会は高いからだろうね。学生のには付き合いでよくいくけど。大概タダだし。
12月のある週はそれ(オンガク)系イヴェントが集中して一週間でTVに出演(スガさんと共演)、国音の第九、学校のサークル×2と演奏会(?)があり、それに自分のサークルも演奏会前だから普通に練習で一週間ずーっと音楽週間でした。年末は音楽の人はみんな忙しい。ウチの先生も忙しくてレッスンしばらく休みだったし師匠もでかい仕事をかなりこなしてた。神田川を一ヶ月で三回弾いたとか。フリーの人にとってはやっぱり忙しいのが一番なんじゃないでしょーか。
さて、「ハイセツブツ」の意味。遠い昔に読んだ本(多分)の中に「文章なんていうものは作家が色んな体験をしたりして取り入れたものを消化した後出てきたクソで批評家は偉そうな格好してそれを食ってあーだーこーだ言うスカトロ趣味の変態だ」みたいな文章が有ったような気がするのでそこから。確かにそうなんだよね。でも批評家という存在の意義がよくわかりません。作家が望んで、例えば自分でお金を払って批評してもらうのなら兎も角。別にあんなの読んでも大概買う気になれない。同じスペースに広告打った方がマシなんじゃんなどと思う。
えーんレポート終わらんよー(絶賛逃避中)。
…コーラ買い方々煙草吸ってきます。
さて、ついさっき「トレンツ・リャド」という画家を知った。若くして亡くなった画家だがこれが非常に上手い。僕は基本的に女性をキレイに描ける画家が好きだがこの人の「カンピン嬢」を見て非常に気に入った。風景画も色使いがとても良い。インターネットはこういう場合簡単に作品が見れて便利だなぁと改めて思う(老人くせぇ)。欲しいが高いなぁ…。実家を出たら一枚は飾ろう。リトグラフで良いからさ。
…いつになるやら。つか量産品がここまで高いってのが納得いかんなー。作家本人のチェックが入ってるものはともかく(それでも高い)遺族のチェックとか別に意味ないじゃん贋作じゃない事は証明できてもクオリティーについて理解できない遺族なんてたくさんいそうだし。っていうか専門家じゃないとそういうのは無理でしょ。などと。数量限定なのはわかったけど、それでも10万以上の値がつく事に納得がいかないのでした。
画家といえば来週にも加山又造とかいう人の展示会を三越まで見に行く事になった。電車の吊り広告見ていいなぁと思っていつもこういうのに誘う美大生の友達を誘ってみたらあっさり乗ってきて。この人はまだ存命の日本画家だそうで。広告見た感じでは藤原ヨウコウなんかが彩色に影響受けてそうな。ま、狭い知識で語ってもなんだね。
美術には大して興味ないのに(画家の名前なんてほとんど知らない。)なんとなく吊り広告とかを見て美術館に行くことが多い(といっても精々3ヶ月に一遍かそれ以下。)。ちゃんとした美術なんて全然わからん。ちなみに好きなのは藤原ヨウコウとか末弥純とか。あとは平凡とひろき真冬かな。この辺全部昔の人じゃなくて最近の小説のカバーからだしね、知ったの。余談ですが菊地秀行氏の編集の人(なのか?)は挿絵の人を連れてくるセンスがよすぎです。末弥純、ひろき真冬、天野喜孝、小島文美とぱっと思いつくだけでも全員が上手い(だから挿絵で売れる等と言われる。わからなくもない)。
昔は聞きかじりでなんだかんだ知識があったけど最近は美大生君に一方的に教えて貰うような感じ。それなのにクラシックの演奏会に行く回数と数えてみるとあんまり変わらないのは何故だ(去年は覚えてる限りでは国音の定演とN響の浄夜、あと天満敦子くらいしか行ってない気がする。しかも一回も金払ってない…。ってこれ全部年の最後の方だから前半はなんか行ったのかも覚えてないだけかも)。まぁ多分演奏会は高いからだろうね。学生のには付き合いでよくいくけど。大概タダだし。
12月のある週はそれ(オンガク)系イヴェントが集中して一週間でTVに出演(スガさんと共演)、国音の第九、学校のサークル×2と演奏会(?)があり、それに自分のサークルも演奏会前だから普通に練習で一週間ずーっと音楽週間でした。年末は音楽の人はみんな忙しい。ウチの先生も忙しくてレッスンしばらく休みだったし師匠もでかい仕事をかなりこなしてた。神田川を一ヶ月で三回弾いたとか。フリーの人にとってはやっぱり忙しいのが一番なんじゃないでしょーか。
さて、「ハイセツブツ」の意味。遠い昔に読んだ本(多分)の中に「文章なんていうものは作家が色んな体験をしたりして取り入れたものを消化した後出てきたクソで批評家は偉そうな格好してそれを食ってあーだーこーだ言うスカトロ趣味の変態だ」みたいな文章が有ったような気がするのでそこから。確かにそうなんだよね。でも批評家という存在の意義がよくわかりません。作家が望んで、例えば自分でお金を払って批評してもらうのなら兎も角。別にあんなの読んでも大概買う気になれない。同じスペースに広告打った方がマシなんじゃんなどと思う。
えーんレポート終わらんよー(絶賛逃避中)。
…コーラ買い方々煙草吸ってきます。