休みがないわけではない/ブログ/不仲/近況
2012年4月7日 日常 でも土曜になにも入れてないのはひさしぶり...とかなんかこういう書き方って条件をコロコロ変えてそれごとにNo1を目指す全米商法っぽいなあ...。まあ、でも事実として金曜の後すっぱり休む事ができたのは久しぶりな気がして、なんかこれって「週末!」って感じだね。うん。
でそんな休みに何をやっていたかというと、鉄拳6です。最近PS3を譲り受けまして、なんとなくノリで決めちゃったからさてうちには来たけど何をやろう...と考える中で、やっぱり昔やってたものの進化版かなと。ていうかゲーム情報なんて触れなくなって久しいから何が盛り上がってるかまったくわからんし。なんかクソゲーとかはまとめブログに取り上げられたりするからたまに目にするんだけど、普通のはね。
僕がPS初代をやっていたのはもう10年以上前のことです。最後に買ったのがそれこそ鉄拳3とかそんなんだと思う。その頃から比べて相当画面がきれいになってるのは当然として、なんでこんなにムービー増えてるんだろうかねえ。鉄拳だけの現象なのか...まるで動画の合間にゲームやってるような感じ。昔もそういうソフトあったけどね、たまに。
まあ、早晩飽きる気がしています。
ブログ。いや別に自分のじゃなくて大手のだけど、ってメディア化してるよね。いや影響力の話で言えば、特定ジャンルにおいてはメディアと張り合えるだけの力を持っていることがあるってのは当然として、ありようも。あーメディア化、って言うだけだと違うのかな。ブランド化、ともいえるかも。大手の陣容が固定化されてもう何年も経つと、いざそのメンバーが運営やめようとなったらその影響力には値段がついたりして買い取りたい人が出てきて、中の人がかわって運営が続いたりってようなことが起こるんだろうなーってなんとなく思ったんですよ。
なんとなくブログって形式は個人がやってるものだと勝手なイメージがあって、でも別にそれは当然じゃないんだろうなあと、そんだけの話なんですけどね(Gigazineとかは個人じゃないし)。
まーまた父親と折り合いが悪い今日この頃です。震災直後にちょっと書いた気がするけど相変わらず恐らくネットで聞きかじったであろう知ったような聞きかじりの知識で母親に偉そうに垂れていて、それにちょっと質問されると答えられなかったりしているのをみて悲しいなと僕は思うのです。
一見きれいで簡単な理屈でいえば、この人が情報の取り入れ方を学んだのは本とかテレビとか新聞とかそういうものが信頼できた時代の話で、それと同じ感覚でネットで見たものを人に言っちゃってるのかなと思うときはあります。マスメディアやら本はちゃんとフィルタがかかってるから本当に変な事ってのは少ないけど、ネットに書いてあるヨタ話はあくまでヨタ話なわけで肴のレベルを越えないし、信頼に値すると思ってもそれは自分がそう思っただけで他人もそう思うとは限らない。じゃんけんするのに先に自分の手を見せちゃうようなもので、少なくとも(ずるいけど)自分が特定の意見にコミットしてるというような態度を示す事自体が不利なんです。いつでも逃げ道を作っておかなきゃいけない。まーなんか世代論みたいになっちゃうからあまり生産的じゃないというか後付なのかもしれないけど(というように)。
「大人になれば尊敬できるようになる」と言われて幾星霜、まだ僕は大人になれていないようで、ずっと親との関係は改善しないまま。なんなんですかね。ちょっとさびしいなあと思うことはあるんだけど、実際問題僕がもし友人だったとしても付き合いたくないと思うようなことをやっちゃう人で(まあ例えば酔っ払って人に絡んだりとか舌打ちしたりとかな)、家族として云々というより人間として嫌いだなあと思っちゃったりするわけ。それがまあ最近定年を越えて、働いてるとはいえ家にいる時間は長くなるわけで、そうすりゃ衝突は増えますわな。基本的に不愉快な顔も抗弁もさすがに人様の稼いだ金で住まわせてもらってる以上しないようにしているんですが、最近みたいに疲れてる時に執拗に挑発されるとねー、どうしてもねー。
まあ、そんな事もそろそろ家を出たいなあと思う原因のひとつではあるでしょう。
最近の課外活動。ひとつは某合唱団のステマネ。横浜某所の某合唱団(某ばっかやな)を縁あってお手伝いする事になり、なんか団員さんが経営してるレストランで打ち合わせと称して飯食わせてもらったりしています。音楽業界にいながらも、普段あまり音楽(というか演奏)と関わらない仕事をしてるんで、ステマネみたいなダイレクトに関わる仕事は違った面白さがあってちょっと楽しみ。
あと前職の同僚が転職してPRの立ち上げどうする~みたいな事をなぜか相談されたので関係の記者さん紹介して3人で飯食うセッティングしてみました。なんか実になるといいんだけどねー。記者さんも元同僚も別にそこまでその会合を望んで、というわけでなく僕が勝手にセットしたっつうかんじの流れなんでうまくいかないとなんかアレだしなあ...。元同僚氏はとても面白い人だし、記者さんは年末のパーティであっただけなんだけどそこそこ面白そうだったからこういう話をダシに繋がっときたいという僕のスケベ心ですね。しかしお互いに興味がないとファシリテーターの僕がふりまくらないと会話にならない恐れがあるのか!こわいな。まあなんか自分の「つなぐ人になりたい願望」に二人を付き合わせてる気もする!
あとはそうそう、もうひとつ元同僚の話。今度結婚するってんでそこに演奏者の手配を頼まれて仲介してあげたら今度は選曲も...ていうかどうせなら出席しろといわれまして。そこまですげー仲良いわけでもないのになぜかお呼ばれして名古屋まで行く事になりました。まーそういう場にお呼ばれするのは光栄な事なんだけど母からは「また女の結婚式に呼ばれて」などといわれて。しゃあないやん友だち7割くらい女の子やねんから...とかとか言い返すのは最早日常風景。
そうそうそれでそこに数年会えてない大学時代の数少ない大阪在住の友人に会う&京都で美味しいものを食べるプランをくっつけようかなと思ってその友人(これも女子)に連絡したらちょうど?月末で結婚して退職だと言う。学生時代から付き合ってた彼とですよ。まー、んじゃ報告会(?)やらにゃ、ということで京都で晩飯くうべえ、ということになりました。みんな結婚だねえ。前会ったのは2009年、広島から四国を通って大阪から船に乗って上海行ってそのあと香港行ったときでした...って一文で書いてみるとめちゃくちゃっぷりがわかりやすいな。その旅の途中に会ったのです。てかホテル...の前に飯屋予約しなきゃ!ってまだ来月だけど。あー。
来週はなんも楽しい予定がないな。というかちょっと息苦しい。
でそんな休みに何をやっていたかというと、鉄拳6です。最近PS3を譲り受けまして、なんとなくノリで決めちゃったからさてうちには来たけど何をやろう...と考える中で、やっぱり昔やってたものの進化版かなと。ていうかゲーム情報なんて触れなくなって久しいから何が盛り上がってるかまったくわからんし。なんかクソゲーとかはまとめブログに取り上げられたりするからたまに目にするんだけど、普通のはね。
僕がPS初代をやっていたのはもう10年以上前のことです。最後に買ったのがそれこそ鉄拳3とかそんなんだと思う。その頃から比べて相当画面がきれいになってるのは当然として、なんでこんなにムービー増えてるんだろうかねえ。鉄拳だけの現象なのか...まるで動画の合間にゲームやってるような感じ。昔もそういうソフトあったけどね、たまに。
まあ、早晩飽きる気がしています。
ブログ。いや別に自分のじゃなくて大手のだけど、ってメディア化してるよね。いや影響力の話で言えば、特定ジャンルにおいてはメディアと張り合えるだけの力を持っていることがあるってのは当然として、ありようも。あーメディア化、って言うだけだと違うのかな。ブランド化、ともいえるかも。大手の陣容が固定化されてもう何年も経つと、いざそのメンバーが運営やめようとなったらその影響力には値段がついたりして買い取りたい人が出てきて、中の人がかわって運営が続いたりってようなことが起こるんだろうなーってなんとなく思ったんですよ。
なんとなくブログって形式は個人がやってるものだと勝手なイメージがあって、でも別にそれは当然じゃないんだろうなあと、そんだけの話なんですけどね(Gigazineとかは個人じゃないし)。
まーまた父親と折り合いが悪い今日この頃です。震災直後にちょっと書いた気がするけど相変わらず恐らくネットで聞きかじったであろう知ったような聞きかじりの知識で母親に偉そうに垂れていて、それにちょっと質問されると答えられなかったりしているのをみて悲しいなと僕は思うのです。
一見きれいで簡単な理屈でいえば、この人が情報の取り入れ方を学んだのは本とかテレビとか新聞とかそういうものが信頼できた時代の話で、それと同じ感覚でネットで見たものを人に言っちゃってるのかなと思うときはあります。マスメディアやら本はちゃんとフィルタがかかってるから本当に変な事ってのは少ないけど、ネットに書いてあるヨタ話はあくまでヨタ話なわけで肴のレベルを越えないし、信頼に値すると思ってもそれは自分がそう思っただけで他人もそう思うとは限らない。じゃんけんするのに先に自分の手を見せちゃうようなもので、少なくとも(ずるいけど)自分が特定の意見にコミットしてるというような態度を示す事自体が不利なんです。いつでも逃げ道を作っておかなきゃいけない。まーなんか世代論みたいになっちゃうからあまり生産的じゃないというか後付なのかもしれないけど(というように)。
「大人になれば尊敬できるようになる」と言われて幾星霜、まだ僕は大人になれていないようで、ずっと親との関係は改善しないまま。なんなんですかね。ちょっとさびしいなあと思うことはあるんだけど、実際問題僕がもし友人だったとしても付き合いたくないと思うようなことをやっちゃう人で(まあ例えば酔っ払って人に絡んだりとか舌打ちしたりとかな)、家族として云々というより人間として嫌いだなあと思っちゃったりするわけ。それがまあ最近定年を越えて、働いてるとはいえ家にいる時間は長くなるわけで、そうすりゃ衝突は増えますわな。基本的に不愉快な顔も抗弁もさすがに人様の稼いだ金で住まわせてもらってる以上しないようにしているんですが、最近みたいに疲れてる時に執拗に挑発されるとねー、どうしてもねー。
まあ、そんな事もそろそろ家を出たいなあと思う原因のひとつではあるでしょう。
最近の課外活動。ひとつは某合唱団のステマネ。横浜某所の某合唱団(某ばっかやな)を縁あってお手伝いする事になり、なんか団員さんが経営してるレストランで打ち合わせと称して飯食わせてもらったりしています。音楽業界にいながらも、普段あまり音楽(というか演奏)と関わらない仕事をしてるんで、ステマネみたいなダイレクトに関わる仕事は違った面白さがあってちょっと楽しみ。
あと前職の同僚が転職してPRの立ち上げどうする~みたいな事をなぜか相談されたので関係の記者さん紹介して3人で飯食うセッティングしてみました。なんか実になるといいんだけどねー。記者さんも元同僚も別にそこまでその会合を望んで、というわけでなく僕が勝手にセットしたっつうかんじの流れなんでうまくいかないとなんかアレだしなあ...。元同僚氏はとても面白い人だし、記者さんは年末のパーティであっただけなんだけどそこそこ面白そうだったからこういう話をダシに繋がっときたいという僕のスケベ心ですね。しかしお互いに興味がないとファシリテーターの僕がふりまくらないと会話にならない恐れがあるのか!こわいな。まあなんか自分の「つなぐ人になりたい願望」に二人を付き合わせてる気もする!
あとはそうそう、もうひとつ元同僚の話。今度結婚するってんでそこに演奏者の手配を頼まれて仲介してあげたら今度は選曲も...ていうかどうせなら出席しろといわれまして。そこまですげー仲良いわけでもないのになぜかお呼ばれして名古屋まで行く事になりました。まーそういう場にお呼ばれするのは光栄な事なんだけど母からは「また女の結婚式に呼ばれて」などといわれて。しゃあないやん友だち7割くらい女の子やねんから...とかとか言い返すのは最早日常風景。
そうそうそれでそこに数年会えてない大学時代の数少ない大阪在住の友人に会う&京都で美味しいものを食べるプランをくっつけようかなと思ってその友人(これも女子)に連絡したらちょうど?月末で結婚して退職だと言う。学生時代から付き合ってた彼とですよ。まー、んじゃ報告会(?)やらにゃ、ということで京都で晩飯くうべえ、ということになりました。みんな結婚だねえ。前会ったのは2009年、広島から四国を通って大阪から船に乗って上海行ってそのあと香港行ったときでした...って一文で書いてみるとめちゃくちゃっぷりがわかりやすいな。その旅の途中に会ったのです。てかホテル...の前に飯屋予約しなきゃ!ってまだ来月だけど。あー。
来週はなんも楽しい予定がないな。というかちょっと息苦しい。
Route Irish★★★☆☆/ 真偽の狭間は亜空間
2012年4月14日 感想文。 仕事を抜けて、ルート・アイリッシュという映画を見てきました。イラク戦争での民間軍事会社の引き起こす負の面について取り上げた映画で、アメリカでは2010年公開。
http://ism.excite.co.jp/art/rid_E1333086064074/
今週末見るべき映画「ルート・アイリッシュ」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20120328/230342/?P=1
民間軍事会社のリアルな実態を描く『ルート・アイリッシュ』
この監督の作品を見るのは初めてだけど、この人が高い評価を得ている理由は見てすぐにわかる。細かい破綻が少なく、絵もまとまっている。その場面で何を言いたいのか、言葉を使わずにちゃんと表現できている。最近に限ってるわけじゃないけどそういった基本的な所がダメな映画を良く見るので、そういうものと比べると安心して見る事が出来た。
だけど残念な事に超映画批評(http://movie.maeda-y.com/movie/01659.htm)で指摘されているように、なんつーか題材が古すぎる。内容が渋すぎて日本に入ってくるのに時間が云々といった事も書いてあるけど、たとえばPMCって頭おかしいよね、って話が世間で騒がれるようになったブラックウォーターズの民間人虐殺って2007年(年号は調べて知った。思ったより前だね)なわけで…LiveLeak.comなんかでそれこそ携帯で撮った似たような話の動画を手軽に鼻くそほじりながら見れる今、それだけを映画にする事にどんな意味があるんだろう、と思わずには居られませんでした(ちなみに劇中でも「ネットに流せ」みたいな事を言う人はいる)。その当時に言われていた事以上の内容が出てくるかと思いきやそういうわけでもないしね。結末も結局テロ肯定みたいにとれなくもなくて、まあある種の皮肉といえばそうなのか…。圧倒的な装備の正規軍vsゲリラの非対称型の戦争といわれるイラク戦争をテーマにしている作品で結局主人公は復讐のために非対称戦を選ぶわけで(といっても超映画批評が書いてるように巨悪過ぎて勝てないんじゃなく、法律に訴えても立証苦しそうで裁判勝てそうもないから憂さ晴らしに殺っちゃってるという面が強いような…)。
ただ繰り返しになるけど、物語・作品としてはよく出来てると思うのね。だから見ててつまんないとは思わなかったし、むしろ逆。だけど見終えたあとに考えれば考えるほど…あれ…みたいな。なーんか残念。
あ、あとポスターやウェブなどで公開されているビジュアルが全て本編で登場しないニセモノでなんかミスリーディングです。あれ見ると実際にイラク行ってなんかする話なのかなと思うけどそんな事はなくて、ほとんどずっとリバプールでウダウダしてます。というか主人公パスポート取り上げられてて国外出れない設定…ってことはあのビジュアルは最初どういう設定だったら有り得たんだ?…という相当な途中からの路線変更を感じさせますよね。「編集の都合で採用されなかったカット」とかじゃなく、完全に違う設定の話だもん。
ここからはまた偽名ちゃん話。昨日ぼーっとしてたらいきなり降ってきたんですよ、天啓。ある外国の有名人の名前が偽名ちゃんの名前と酷似していることに!ということは...?
といっても全くわからないと思うのでここで偽名ちゃんの嘘で塗り固められた嘘ライフをもう一度整理。彼女の偽名は複層構造で、外側から
1)ハンドルネーム1
2)ハンドルネーム2
3)ハンドルネーム3
4)偽名1(ハンドルネーム1と紐付く。僕が知ってる名前)
5)偽名2からXまで(僕も何個あるか知らない)
6)本名っぽいもの(世間で一番流通している名前・ハンドルネーム2は恐らくここから・通名?)
7)本名(民族名?)
という7段階になっているかと思われる...まあ7を偽名っていうのはちょっと膨らませすぎてて、普通の人でもハンドルネームいくつか使い分けてる、ってのはよくあるんじゃないかなと思うは思う(僕もそんな一人)...けどねえ。まあいいんだけど。いいんだけど。
で、今日の天啓ってのは会って最初の日に知らされ、また僕が信じていた偽名1が実は7)の「本名」とリンクしていたのではないか疑惑…いや疑惑っていうほどネガティブじゃないか。まあそんな話。まったくの嘘だと思ってたんだけど、実は一番奥にあったものが一番表に出ていました、という。だからなんだって言われるとまあなんでもないんだけど、そんな発見を記すのです。
最近忙しいです、とかって事をことさらに言い立てるのは好きじゃない(とかいっときながら、気を抜くとそう言う事無意識に言う自分が)んだけど、実際忙しいといって差し支えないでしょう今の私。昨日はコンサートの立会いの後サイン会のさばきを途中で抜けて22時前から終電まで打ち合わせ。
で、忙しいと色々不安定になってくるのが人間だものってやつで、なんか去っていったり不安定だったりする人間関係について朝晩布団の中で考えています。いや考えているというか勝手に意識に上ってくるというか。厄介なものです。
仕事に限らずこの先自分がどうしたいのか、そんなことを最近考える事が多いことも多分原因なんだろうね。仕事に限らずと書いておきながら仕事が一番たとえとしてわかりやすいんだけど、自分の(仕事で言えばキャリアの)連続性みたいな事を考えてしまうのよ。人生って割と選択肢が多いし、王様から魔王を倒してこいといわれるわけでもない。だから今すぐ仕事をやめて明日の飛行機でタイ行って外こもる事を止める力なんて、実は何もないのよ。なんとなくしない、考えないだけ。多分誰しも自分が一直線に進んでいるかのように考えたがっていて(僕だってそう)、自分が拡散していくのを自分で縛り付けている。
なんで一直線に進んでいるかのように考えたがるのか、ってのは一時自分でも不思議で考えてみたんだけど、多分一人の人間が人生で何を味わうか、なんてのを小さい頃から死の床まで全て見ることが出来るのは有名人の伝記ぐらいのもんで、そういう選ばれた成功者の物語なんてのは大幅に「編集」される、つまり大まかな方向性と矛盾があるものなんかは取り上げられないわけじゃないですか。でもそういうものでしか自分たちは人生の全体像(らしきもの)を見ることができないから、人生ってきれいにそろっててそういうものなんだろうなーって思うんだろうな、と。
だからどうできる、どうしようってわけじゃないんだけど、余計な事心配しないで適当にやりたいように暮らせば後で結果が出れば立派な人生だった!と思ってもらえるだろうし逆なら逆なのかな、ということです。...とこうやって「好きに生きよう好きに生きよう」ってこれ以上そっちに行っちゃうともうなんていうか帰ってこれない気もするんだけどね。
http://ism.excite.co.jp/art/rid_E1333086064074/
今週末見るべき映画「ルート・アイリッシュ」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20120328/230342/?P=1
民間軍事会社のリアルな実態を描く『ルート・アイリッシュ』
この監督の作品を見るのは初めてだけど、この人が高い評価を得ている理由は見てすぐにわかる。細かい破綻が少なく、絵もまとまっている。その場面で何を言いたいのか、言葉を使わずにちゃんと表現できている。最近に限ってるわけじゃないけどそういった基本的な所がダメな映画を良く見るので、そういうものと比べると安心して見る事が出来た。
だけど残念な事に超映画批評(http://movie.maeda-y.com/movie/01659.htm)で指摘されているように、なんつーか題材が古すぎる。内容が渋すぎて日本に入ってくるのに時間が云々といった事も書いてあるけど、たとえばPMCって頭おかしいよね、って話が世間で騒がれるようになったブラックウォーターズの民間人虐殺って2007年(年号は調べて知った。思ったより前だね)なわけで…LiveLeak.comなんかでそれこそ携帯で撮った似たような話の動画を手軽に鼻くそほじりながら見れる今、それだけを映画にする事にどんな意味があるんだろう、と思わずには居られませんでした(ちなみに劇中でも「ネットに流せ」みたいな事を言う人はいる)。その当時に言われていた事以上の内容が出てくるかと思いきやそういうわけでもないしね。結末も結局テロ肯定みたいにとれなくもなくて、まあある種の皮肉といえばそうなのか…。圧倒的な装備の正規軍vsゲリラの非対称型の戦争といわれるイラク戦争をテーマにしている作品で結局主人公は復讐のために非対称戦を選ぶわけで(といっても超映画批評が書いてるように巨悪過ぎて勝てないんじゃなく、法律に訴えても立証苦しそうで裁判勝てそうもないから憂さ晴らしに殺っちゃってるという面が強いような…)。
ただ繰り返しになるけど、物語・作品としてはよく出来てると思うのね。だから見ててつまんないとは思わなかったし、むしろ逆。だけど見終えたあとに考えれば考えるほど…あれ…みたいな。なーんか残念。
あ、あとポスターやウェブなどで公開されているビジュアルが全て本編で登場しないニセモノでなんかミスリーディングです。あれ見ると実際にイラク行ってなんかする話なのかなと思うけどそんな事はなくて、ほとんどずっとリバプールでウダウダしてます。というか主人公パスポート取り上げられてて国外出れない設定…ってことはあのビジュアルは最初どういう設定だったら有り得たんだ?…という相当な途中からの路線変更を感じさせますよね。「編集の都合で採用されなかったカット」とかじゃなく、完全に違う設定の話だもん。
ここからはまた偽名ちゃん話。昨日ぼーっとしてたらいきなり降ってきたんですよ、天啓。ある外国の有名人の名前が偽名ちゃんの名前と酷似していることに!ということは...?
といっても全くわからないと思うのでここで偽名ちゃんの嘘で塗り固められた嘘ライフをもう一度整理。彼女の偽名は複層構造で、外側から
1)ハンドルネーム1
2)ハンドルネーム2
3)ハンドルネーム3
4)偽名1(ハンドルネーム1と紐付く。僕が知ってる名前)
5)偽名2からXまで(僕も何個あるか知らない)
6)本名っぽいもの(世間で一番流通している名前・ハンドルネーム2は恐らくここから・通名?)
7)本名(民族名?)
という7段階になっているかと思われる...まあ7を偽名っていうのはちょっと膨らませすぎてて、普通の人でもハンドルネームいくつか使い分けてる、ってのはよくあるんじゃないかなと思うは思う(僕もそんな一人)...けどねえ。まあいいんだけど。いいんだけど。
で、今日の天啓ってのは会って最初の日に知らされ、また僕が信じていた偽名1が実は7)の「本名」とリンクしていたのではないか疑惑…いや疑惑っていうほどネガティブじゃないか。まあそんな話。まったくの嘘だと思ってたんだけど、実は一番奥にあったものが一番表に出ていました、という。だからなんだって言われるとまあなんでもないんだけど、そんな発見を記すのです。
最近忙しいです、とかって事をことさらに言い立てるのは好きじゃない(とかいっときながら、気を抜くとそう言う事無意識に言う自分が)んだけど、実際忙しいといって差し支えないでしょう今の私。昨日はコンサートの立会いの後サイン会のさばきを途中で抜けて22時前から終電まで打ち合わせ。
で、忙しいと色々不安定になってくるのが人間だものってやつで、なんか去っていったり不安定だったりする人間関係について朝晩布団の中で考えています。いや考えているというか勝手に意識に上ってくるというか。厄介なものです。
仕事に限らずこの先自分がどうしたいのか、そんなことを最近考える事が多いことも多分原因なんだろうね。仕事に限らずと書いておきながら仕事が一番たとえとしてわかりやすいんだけど、自分の(仕事で言えばキャリアの)連続性みたいな事を考えてしまうのよ。人生って割と選択肢が多いし、王様から魔王を倒してこいといわれるわけでもない。だから今すぐ仕事をやめて明日の飛行機でタイ行って外こもる事を止める力なんて、実は何もないのよ。なんとなくしない、考えないだけ。多分誰しも自分が一直線に進んでいるかのように考えたがっていて(僕だってそう)、自分が拡散していくのを自分で縛り付けている。
なんで一直線に進んでいるかのように考えたがるのか、ってのは一時自分でも不思議で考えてみたんだけど、多分一人の人間が人生で何を味わうか、なんてのを小さい頃から死の床まで全て見ることが出来るのは有名人の伝記ぐらいのもんで、そういう選ばれた成功者の物語なんてのは大幅に「編集」される、つまり大まかな方向性と矛盾があるものなんかは取り上げられないわけじゃないですか。でもそういうものでしか自分たちは人生の全体像(らしきもの)を見ることができないから、人生ってきれいにそろっててそういうものなんだろうなーって思うんだろうな、と。
だからどうできる、どうしようってわけじゃないんだけど、余計な事心配しないで適当にやりたいように暮らせば後で結果が出れば立派な人生だった!と思ってもらえるだろうし逆なら逆なのかな、ということです。...とこうやって「好きに生きよう好きに生きよう」ってこれ以上そっちに行っちゃうともうなんていうか帰ってこれない気もするんだけどね。
また休みのない週末を過ごしています。ここ2ヶ月くらい?ずっとこんな感じだけど、体調はそこまで崩れていない。でもなんていうか生産的な内容じゃない仕事の溜まり方なんで、いかんなーと思ってます、主に精神的に。仕方ないから歯を食いしばってやってるけど、まあずっと本来自分の仕事じゃないバグ出しみたいなものばっかりだからね…。まあでも土日を使うとひとつひとつの仕事…というかこりゃ「作業」…だけど、をきっちりやれるので、それはそれでひとつずつの仕事に関するクオリティは満足、とまではいかないまでも悪くないのも事実。
お前もか、の話。以前ちょこっと出てきたことの有る大学サークルの後輩ちゃんでKobeという子がいて、彼女はちょうど地震のちょっと後…だったように記憶してるけどとにかく学部を卒業して去年の3月に奈良方面の大学院に旅立って行ったのです。なんだったか脳内の映像をスクリーンに投影する研究!とかそんなんをしに。その彼女とは最後にご飯でも、ってことで恵比寿でそばを食べたんだけど、その時に偶然、宮崎に行ったはずの僕の前職の同僚と鉢合わせたのは書いたっけなー思い出せない。多分書いてない気がする。
今回縁あってというかなんというか声をかけられて、その宮崎行ったはずの同僚の会社のマーケをちょろっとだけ手伝っています。その時以来だから1年ぶり、Facebookで繋がってた事がきっかけで。で、その人をあるメディアの記者さんに引き合わせるというのを先週末やったんですがそれは後で書くとして、その元同僚とやりとりをしてる時にそういやKobeどうしてるかなーと思ってメールしてみたわけ。そしたら1週間くらいあけて「誰かから伝わってるかもしれませんが実は最近ちょっと…」みたいなメールが返ってきて。
鬱になってたようです。お前もか…まあ真面目なのは確かだけど、ちょっと意外。いや僕の周り、実際鬱サバイバー多いんですわ。ていうか今認知も増えてるだろうし別に僕の周りに特に多いということじゃなくて誰の周りにも多いのかもしれないけどさ。で、おいおいーと思って若干心配、だけど遠くにいるしなあそこまでずいずい近寄ってくほど親密ではないし、と気を揉んでいたら丁度今週末帰京するようなことを言ってきて、今日会うことになりました。まーあたしが会った所で何かがどうなるもんでもないのだけど、直接顔を見れるのはまあ、少なくとも僕自身にとっては安心しますわな(ってあっちに気を使わせてどうする)。偶然元同僚と繋がったことで連絡したら偶然その週末にこっち帰ってくるっていうんだからわりと偶然、だよねー。あ、勿論僕の為に実は帰ってくる!とかではなく法事だそうですよ。
こないだ社長と面談がありまして。年に一度給料の査定(というか決まってるのを申し渡されるだけだけど)名目で実施されるんですが、まあぼろくそに言われました。ちょーーーーっとだけおこずかいレベルで上がってはいたのですが「会社が苦しいのにこの成果を出してないやつになんで給料やってるんだ?」みたいなことを延々と。まあ僕の本来の仕事とされている協賛金営業が全然成り立ってないのは事実で、そこは認めなきゃいけないんだけど、あんた従業員にそんな事言っても士気下がるだけでなんも良いことないと思うんだけど…とか思ったりして。
いや、実際給料やばいです。2回の定期昇(?)給をはさんでなお、前職の初任給より低い。ちなみに前職は華々しい業界だったから外資だし高いでしょ?って言われたけど中途しかいない会社で新卒は僕だけだったから給料の基準がないから決められない、ということですごい適当に人事が他の会社の給料を参考に決めたので全然よくなかったんですが(多分2年目か3年目の世間の平均くらい)…それすら未だ越えられないとなると。というわけで僕は新卒の時が一番給料高かったという世間様と全く逆のスパイラルなわけです。給料が上がるという快感を知らん。
協賛金営業っていうのは僕はもう入社前から時勢的にナンセンスだと思ってて、そもそも確かに相当手を抜いています。だって今のこの時代にそんな儲かってるから文化に金を、なんてのんびりした事やる合理的理由がある会社なんてどこにあるんですか。株主に突き上げられて以上終了でしょう。
だからその代わりにイベント的なものを売ったり、権利モノみたいなビジネスをやったり音源ビジネスを開拓したり、他にいろんなことを立ち上げてる。まー損はないにしろ、そこまで儲かってるかって言われると自慢できるほどではないのは確かだけどでもまあ金で言っても自分の稼動費くらいは稼いでるし、それ以外に新しい分野に踏み込んだりして会社の間接的な利益を他の社員と比べても生んでる自信はある…んだけどなあ…評価されないのね。
要するに直接的な金で戻ってこないと評価しないよということなんだけど、それを見ると当然フロントの営業以外は誰だって別に直接金なんて稼いでないわけで、別に僕だけ高い給料もらってるわけでもないのにそれを求められても不公平だよなあ…とか思ってしまうわけ。いやお前の判断で営業儲からないって勝手に判断して間接部門に逃げるなよといわれれば確かにその通りでございますけれども。まーその辺難しいですね。上の世代はやっぱり営業に回れば金が落ちてくる時代に育ってるから「なんでそんな簡単なことができないの」って気持ちになるのはわからなくもないし…。
そんなもやもや。ほら吹くのがあんまり得意じゃなくて新規営業にガツガツ回るタイプじゃないのも確かだしね。あとこの会社は僕は本当に休憩と、あと好き勝手やるために居座るというのを自覚的にやっているから、その辺の意識がちょっと透けてるのかもねー。あー仕事探さなきゃ。あと北京に飛ばして☆ってお願いしときました。
もう少し、5月の頭で仕事は山場を越えます。そしたら月末の元同僚の結婚式@名古屋に行って、その次の週くらいにはシンガポールか上海か、週末絡めて最低4日くらいいきたいな、というようなことを妄想するのが最近の楽しみです。
お前もか、の話。以前ちょこっと出てきたことの有る大学サークルの後輩ちゃんでKobeという子がいて、彼女はちょうど地震のちょっと後…だったように記憶してるけどとにかく学部を卒業して去年の3月に奈良方面の大学院に旅立って行ったのです。なんだったか脳内の映像をスクリーンに投影する研究!とかそんなんをしに。その彼女とは最後にご飯でも、ってことで恵比寿でそばを食べたんだけど、その時に偶然、宮崎に行ったはずの僕の前職の同僚と鉢合わせたのは書いたっけなー思い出せない。多分書いてない気がする。
今回縁あってというかなんというか声をかけられて、その宮崎行ったはずの同僚の会社のマーケをちょろっとだけ手伝っています。その時以来だから1年ぶり、Facebookで繋がってた事がきっかけで。で、その人をあるメディアの記者さんに引き合わせるというのを先週末やったんですがそれは後で書くとして、その元同僚とやりとりをしてる時にそういやKobeどうしてるかなーと思ってメールしてみたわけ。そしたら1週間くらいあけて「誰かから伝わってるかもしれませんが実は最近ちょっと…」みたいなメールが返ってきて。
鬱になってたようです。お前もか…まあ真面目なのは確かだけど、ちょっと意外。いや僕の周り、実際鬱サバイバー多いんですわ。ていうか今認知も増えてるだろうし別に僕の周りに特に多いということじゃなくて誰の周りにも多いのかもしれないけどさ。で、おいおいーと思って若干心配、だけど遠くにいるしなあそこまでずいずい近寄ってくほど親密ではないし、と気を揉んでいたら丁度今週末帰京するようなことを言ってきて、今日会うことになりました。まーあたしが会った所で何かがどうなるもんでもないのだけど、直接顔を見れるのはまあ、少なくとも僕自身にとっては安心しますわな(ってあっちに気を使わせてどうする)。偶然元同僚と繋がったことで連絡したら偶然その週末にこっち帰ってくるっていうんだからわりと偶然、だよねー。あ、勿論僕の為に実は帰ってくる!とかではなく法事だそうですよ。
こないだ社長と面談がありまして。年に一度給料の査定(というか決まってるのを申し渡されるだけだけど)名目で実施されるんですが、まあぼろくそに言われました。ちょーーーーっとだけおこずかいレベルで上がってはいたのですが「会社が苦しいのにこの成果を出してないやつになんで給料やってるんだ?」みたいなことを延々と。まあ僕の本来の仕事とされている協賛金営業が全然成り立ってないのは事実で、そこは認めなきゃいけないんだけど、あんた従業員にそんな事言っても士気下がるだけでなんも良いことないと思うんだけど…とか思ったりして。
いや、実際給料やばいです。2回の定期昇(?)給をはさんでなお、前職の初任給より低い。ちなみに前職は華々しい業界だったから外資だし高いでしょ?って言われたけど中途しかいない会社で新卒は僕だけだったから給料の基準がないから決められない、ということですごい適当に人事が他の会社の給料を参考に決めたので全然よくなかったんですが(多分2年目か3年目の世間の平均くらい)…それすら未だ越えられないとなると。というわけで僕は新卒の時が一番給料高かったという世間様と全く逆のスパイラルなわけです。給料が上がるという快感を知らん。
協賛金営業っていうのは僕はもう入社前から時勢的にナンセンスだと思ってて、そもそも確かに相当手を抜いています。だって今のこの時代にそんな儲かってるから文化に金を、なんてのんびりした事やる合理的理由がある会社なんてどこにあるんですか。株主に突き上げられて以上終了でしょう。
だからその代わりにイベント的なものを売ったり、権利モノみたいなビジネスをやったり音源ビジネスを開拓したり、他にいろんなことを立ち上げてる。まー損はないにしろ、そこまで儲かってるかって言われると自慢できるほどではないのは確かだけどでもまあ金で言っても自分の稼動費くらいは稼いでるし、それ以外に新しい分野に踏み込んだりして会社の間接的な利益を他の社員と比べても生んでる自信はある…んだけどなあ…評価されないのね。
要するに直接的な金で戻ってこないと評価しないよということなんだけど、それを見ると当然フロントの営業以外は誰だって別に直接金なんて稼いでないわけで、別に僕だけ高い給料もらってるわけでもないのにそれを求められても不公平だよなあ…とか思ってしまうわけ。いやお前の判断で営業儲からないって勝手に判断して間接部門に逃げるなよといわれれば確かにその通りでございますけれども。まーその辺難しいですね。上の世代はやっぱり営業に回れば金が落ちてくる時代に育ってるから「なんでそんな簡単なことができないの」って気持ちになるのはわからなくもないし…。
そんなもやもや。ほら吹くのがあんまり得意じゃなくて新規営業にガツガツ回るタイプじゃないのも確かだしね。あとこの会社は僕は本当に休憩と、あと好き勝手やるために居座るというのを自覚的にやっているから、その辺の意識がちょっと透けてるのかもねー。あー仕事探さなきゃ。あと北京に飛ばして☆ってお願いしときました。
もう少し、5月の頭で仕事は山場を越えます。そしたら月末の元同僚の結婚式@名古屋に行って、その次の週くらいにはシンガポールか上海か、週末絡めて最低4日くらいいきたいな、というようなことを妄想するのが最近の楽しみです。
ぐったりピーク。
なんだかなんとか価値経済とかっていう言葉がはやっているような事を一ヶ月くらい前に来て、でもなんも書けなかったのです。色々批判もされてるようでぼくも違和感があるんだけど、そういう事じゃなくてこれってなんか前ここにも書いたかもしれないけど問題解決の仕方、ってのに似てるのかなあと思った、という話。
その心は、って別に難しい話じゃなくて、価値の交換を何によっておこなうか、という話。あれ、ちょっと難しいな。別に難しくないんだけどな。簡単な例をあげると、前の会社と今の会社で問題を解決するときのアプローチが違うのね。すんごく乱暴に言うと、前の会社は金で解決し、今の会社は人脈で解決する。金というのは誰が使っても金だから有り得さえすれば強く、でも人脈はそういうわけにはいかない。必ず人にくっつくものだし。
それと根が同じなのかわからないけど、起業家の人ってわりとネットワーキングが好きな人が多くて、仲間内で仕事をコロコロしている場合も多い気がする。お互い様で力を借りるときに金は払わないけど、逆に何か頼まれれば仕方ないけど安くやってあげたりする。
こういうのが評価価値かどうかというと違うんだろうけど、貨幣経済とは少なくとも違う気がする。というか本来はそういう人脈とか自分の手が届く範囲の材料で解決ができないものを解決する代償を払うために貨幣が出来たわけなんだろうけどさ。
社会的な地位の高低、っていうわけじゃないんだろうけどなんなんだろうねー。金と違って人脈はムラが激しいというか効果があるかないかがその場になってみないとわからないわけで、やっぱり安定したリターンがある金のほうが使いやすい、ってことになるのかなあ…うーむー。
何が書きたいかよくわからん?僕も。
なんだかなんとか価値経済とかっていう言葉がはやっているような事を一ヶ月くらい前に来て、でもなんも書けなかったのです。色々批判もされてるようでぼくも違和感があるんだけど、そういう事じゃなくてこれってなんか前ここにも書いたかもしれないけど問題解決の仕方、ってのに似てるのかなあと思った、という話。
その心は、って別に難しい話じゃなくて、価値の交換を何によっておこなうか、という話。あれ、ちょっと難しいな。別に難しくないんだけどな。簡単な例をあげると、前の会社と今の会社で問題を解決するときのアプローチが違うのね。すんごく乱暴に言うと、前の会社は金で解決し、今の会社は人脈で解決する。金というのは誰が使っても金だから有り得さえすれば強く、でも人脈はそういうわけにはいかない。必ず人にくっつくものだし。
それと根が同じなのかわからないけど、起業家の人ってわりとネットワーキングが好きな人が多くて、仲間内で仕事をコロコロしている場合も多い気がする。お互い様で力を借りるときに金は払わないけど、逆に何か頼まれれば仕方ないけど安くやってあげたりする。
こういうのが評価価値かどうかというと違うんだろうけど、貨幣経済とは少なくとも違う気がする。というか本来はそういう人脈とか自分の手が届く範囲の材料で解決ができないものを解決する代償を払うために貨幣が出来たわけなんだろうけどさ。
社会的な地位の高低、っていうわけじゃないんだろうけどなんなんだろうねー。金と違って人脈はムラが激しいというか効果があるかないかがその場になってみないとわからないわけで、やっぱり安定したリターンがある金のほうが使いやすい、ってことになるのかなあ…うーむー。
何が書きたいかよくわからん?僕も。