中庸

2012年3月4日 日常
 なんかここ最近超忙しいと超暇を交互にやってきた気がするけど、今週はその中間かな。水曜と日曜にコンサート、金曜に酒。それ以外は…あれなにやってたんだろう?わりと仕事忙しいかも…。
 金曜は僕の大好きな印度マニアのライターさんと某誌の広告営業さん(元レゲエ関係らしい)と3人でバーホッピングとかいって新宿をフラフラしてたのが相当楽しかったのでした。
 先週土曜、「無敵」の後輩、Nちゃんと打ち上げ…のつもりでお気に入りのフレンチへ。彼女に営業さんを紹介してもらって彼女の会社からうちの会社にシステム納入してもら…う予定だったんですが、色々ずれ込んでフライイングになっちゃった。しかも競合プレの決勝戦には残ってるけど最終的に選択されるかまだわからん状態という…あれ全然打ち上げじゃないね。まあ美味しいもの食べたいってとこで一致したからいいのです。

 店までの道すがら「3月末のパーティに良い店ありませんか」とか突然聞かれたんですね。送別会かなんかかなと思って色々聞いてみると「最近日常がタイクツで仕方がないので刺激を求めて友達と一緒にパーティ企画してるけどどうしたらいいのやら」という話で、色々話を聞いてるうちになぜか僕も幹事一味に加えられていました。
 んでどうせだからと食べ終わった後に、思いついた候補の店に連れて行き、次の日の朝そこの社長がFacebookにいたので話しかけて予算などなど相談し、わりとあっさり話がまとまってしまいました。本筋と違うけど今回幹事同士のやりとりも店とのやりとりもほとんどFacebookなんだよねー。別にメールが面倒とか思ってるわけではないんだけど時代は変わるねーって話。まあ社長もIT好きだしNちゃんも腐ってもSIer理系女子だからなんだろうけど。

 まあそれはともかく、店が決まって予算が決まればあとは人集め、というコトで今回のコンセプトは「友達を持ち寄ろう」というものにしてみました。幹事:親、幹事友人:子、その友人:孫という感じで、ネズミ講式に「自分が面白いとおもった人を連れてくること」という縛り。人集めが楽だし、幹事にとっては仕込んでない人が来る可能性があって楽しいんだけどさてパーティとしてはどうなるんでしょう…まとまりがつくのか。
 んで3人いる「親」の一人で「子」を5人探す必要のある僕としては、なるべく子同士も知り合いじゃないほうが面白いなあと思って探しています。が、そう思うと意外と難しいもんだなというのがやってみての実感でした。自分が面白いと思う人同士ってのはどっかしら個別で紹介してたりする事が多いし、そもそもひとつのコミュニティから1人しか選出できないってことだもんね。「高校」から一人、「学部」から一人、「職場」から一人、みたいな。あ、サークルはNちゃんと重なるからNGだし(まあクラシック系のサークルなんてあんまりソーシャルじゃない人が多いし…)
 あと自分特殊?要因として、僕がこういうので声をかけやすいのは女子ばっかりということも「バランス取れよ」とNちゃんから白い目で見られそうで難しいところ。。。とかなんとか、色々考えながら声をかけたりかけなかったりするのも楽しいな、という今日この頃です。こうやってまたはじめまして指数を積み上げていきたいと思います。


 2個前冒頭に「振れ幅が大きい」とか書いた割には記事中で楽しい事ばっかり書いただけで終わったような気がするんですが、きっちり落ちてもいます。とはいえ精神的にどうとか悩んでいるというよりは、ここ数週間ずっと土曜でてるんで多分疲れてるんですな。肉体的にすごい疲れてるというのでもないけど、なんだろう、なんか隙間がなくて窮屈な感じなんでしょう。深刻なわけじゃないけど遊んでるか働いてるかどっちかというとね…って忙しい人はみんなそうか。しかも最近の仕事の内容がデータベースへの入力とか結構単純作業なのも体が硬くなるし気が滅入る原因だなと思うのです。まあしゃあねえ。
 あ、あと新人君が使えないなーってのも若干ゆーうつ。いや別に使えないのはいいんだけど、周りがあまり上手に叱れてないようで、じゃあいっちょ…と思わなくもないんだけどやっぱ「怖い刑事」役は憂鬱じゃないですか、対象に愛があれば別だけどね。でもそろそろいったらな。

2012311

2012年3月11日 日常
 今日はいろんな人がいろんなことをやっているし、ブログやらでも書いていると思う。僕はといえばタイムカードを切るときにふとみたら3月いまのところ皆勤賞(土日含む)だった事にやれやれ、と思いながら終わらない仕事をこなしつつ14時46分を迎えて黙祷しました。

 色々思い浮かぶ事はあるけど、でも冷静に考えて僕にとって3月11日そのものはあまり大きなものではなかった気がします。むしろその後のあの異様にだらだらと続いた「あー日本おわったかも」感の方が強い。ただ、あの日避難した大きな公園で携帯からテレビを通して津波がきてる現地映像を見て気仙沼沖の島出身の子が「うち終わりました」って言ってたのは忘れられないけれど(その子に関しては家が高台だったおかげで家族は皆さん無事だったみたい)。

 僕の周りでは、結局メッセンジャーでしかつながっていないふかひれ業の人とは今も連絡が取れません。震災後しばらくして1回メールが来たんで多分生きてはいると思うんだけど、それ以降まったく返事をくれない。でも、言ってみればそれだけ。直接知ってる人が誰か死んだわけじゃない。そういう意味では恵まれて…というといやな言い方だな、運がよかったのでしょう。

 今日という日をとらえてうちの業界に限らず、色んなイベントが行われています。追悼演奏とか、なんとか。人を悼んだりその時に思いをはせたり、祈りはとても個人的なものだからその方法については他人がとやかく言うものではないと思うけれど、僕はそういったものが非常にいやだな、と感じます。金銭的な儲けを狙った震災商法とまで貶めるつもりはないけど、普段世間に相手してもらえない人たちが「音楽の力」とやらを大げさに言い立てて自己満足に浸っているようにしか感じられない。これも単なる個人の考え方の差といえばそうかもしれないけど、当日に演奏会を強行した某在京オケの話を美談仕立てだかなんだかしらないけどドキュメンタリにするようなそういう考えがいやで仕方ないのです。演奏会やった事自体は単に状況甘く見てただけだよね。お前ら本当にあの時点でそういう高尚な寝言言えるほど余裕あったのっていうね。

 僕はこういう日は家で静かにその時の事を思うような過ごし方をしたいと思います。

ジャグリング

2012年3月13日 日常
 最近とある権利ビジネスに絡んでいて金のにおいがぷんぷんするだけに離れられなくて、あまり自覚はなかったけど改めて考えてみるとわりと沢山の利害関係者が現われていて、そりゃあんまり進んでる感ないのに連絡とか調整にやたら時間かかるよな…当たり前だよな…と風呂に沈みながら思いました。今日なんか別に遅くない時間に会社を出たんだけど完全に電池切れ。
 代理店業(多分特にイベントとか)ってその色が濃いんだけど、ある種のもぐらたたきつうのかな、いかに多くの利害関係者を順番よくこぼさずにまとめあげてひとつの方向にもっていくか、というのが仕事だったりするわけです。どこがどれくらい待てるか、言い換えればだれが我慢強く、誰がすぐ切れるかみたいなのを読みながら、しばしばギリギリの所で確認、確認、承認。ひとつの所にみんなが集合してれば僕なんかいらないんだけど、みんな忙しいからそういうわけにもいかないわけでしょ。

 特に今回はちょっと通常よりも複雑。あるキャラクタをあるイラストレータに書いてもらうという版権モノでは通常あまり許可されないような企画。だから権利者が2組(絵の元になるキャラクターと、それを描くイラストレータの権利が二重にかかる著作物になるわけ)いて、しかも片方は海外在住(しかも代理人が間にいる)。両方の許可もとらなきゃいけない。

 そしてそのグッズを作るのにベンダーをいくつかかまさなきゃいけないし(お菓子作れる人も、ノート作れる人も、Tシャツ作れる人も別なのよ)、それぞれに進行管理が必要。って今思ったけど一社適当なところ指名してそこに10%くらい管理費落として全部仕切ってもらうってありかもな…。店の売り子の手配から自分で全部やってるわけで…って大丈夫なのかなこれ。まあもうやっちゃうんだけどね泣いても笑っても。
 

 そんなわけで中国語学習どころか読書とかお勉強とか全体的に滞りがち。一日100通届く新着RSSも処理できてない。土日昼に家にいればそこで追いつくんだけど全部会社だしなー。もう一個微妙な案件がまた終わってる感じに火を噴いてたりしてることもあって今本来の仕事が全然できてないので流石にまずいと思ってはいて、土日使って追いつこうと思っても全然…とりあえず半分趣味プロジェクトこそ土日に割り振って平日は普通の仕事…って趣味プロジェクトの方がマイルストーン多いんだよ!スイッチ順番に押さないと噴火するんだよっ!

 そんな今日この頃です。

「べき」

2012年3月20日 考え事
 「~すべき」という言葉が、あまり好きではない。そういう、かっこよく言えば信念みたいなことを自分の中で持っている事は悪いとは思わないし寧ろ歓迎すべきことかもしれないとさえ思うのだけれど、それは言葉にするものでも、他人に伝える事でもないと思っている。それが得だからしたほうがよい、それが損だからしないほうがよい、そんな事はあると思う。僕が否定したいのはそういった忠告についてではなく、しばしば他人の行動や言葉を否定するために使われる「べき」のこと。「べき」は自己にのみ向かう「べき」である、というのも一つの自分の「べき」であり、自分の意見に従うならこうした所でさえ表出されてよいものではないのかもしれないけれども。


 そんな事を考えながらも、いま自覚している「べき」について書きたいと思った。「自分がどう生きたいかというものに資する仕事に就くべきである」ということ。 「リュート奏者は生涯の半分を狂ったチューニングでの演奏に、残り半分をチューニングに費やす」というような冗談があった気がするんだけど「生きる金を稼ぐために仕事をする」というよく聞くセリフは僕にはそれと限りなく似通って響く。

 この「べき」も、他の大多数の「べき」と同じ性質、つまり現状その通りになっていない事の裏返しであるということはなるほどそうかもしれない。今僕はそういう仕事をしていない。ただ不思議といえばいいのか、もしかしたら面白いという表現のほうが当たっているかもしれないけど、今の仕事をつまらないとは思わない。今の業界ではおそらく最高のメンバーとチームを組んでいるし、その内容も(この業界にしては)規模が大きい。それに僕の今のポジションはとてもあいまいで、そのお陰でずる賢くも色々な義務から逃げ回ってもいる。そんなあいまいなポジションは競合他社にはない。誰も僕が何をやっているのか全体像を知らないから、理屈で文句をいえない。そしてそれなりに人当たりもいいし頼まれた僕にしか出来ない仕事はこなすから、さらに波風は立ちにくい(僕はわりと人に嫌われる事が多い…というと切ないな、気に入られるか気に食わないと思われるかがはっきりしてる、と書けば良いのか?…から、今は意外と成功している、という風に言えるのかもしれない)。

 しかし同時に、この道はどこにも通じていないとも感じている。給料が安いだとか周囲があまりにアマチュアで能力が低くて、とかそういった不満よりもっと深刻な、このビジネスが自分の人生の目的に適っているか?ということが最近身に迫ってきている。
 そもそも転職した時からそのこと自体はわかっていた。あの頃は(という言葉で過去の自分を表現する事には抵抗があるけど)とても疲れていたしとにかく逃げたくて、唯一与えられた行く先としては今の仕事は最高だった。自分が思い描いていたその「道」からはどうせ前の仕事を続けていたところで外れてしまっていたのはわかっていたわけだし、自分は周囲より優位にいて、プレッシャーをかけられることもほとんどない。端的に楽だ。
 そして、周囲も僕の事を永住希望者としてはおそらく見ていない、というかたまにそういう事を直接言われる。僕も別にそれを隠さない。でもちゃんと求められた能力の提供は行う。僕はそんな中でま、ある種守ってもらって疲れを癒している…というとあまりに話がきれいすぎるのかな。でもそんな実感。

 で、傷も癒え、年齢も節目を迎えようとしていて、金もない。はっきり言って飽きてきた。色々な要因から「そろそろかな」と思い始めたわけです。先日戦略コンサルに応募したと書いたけど、それも同じ流れ。家も出たいしねえ。かといって今すぐ、という切迫感があるものでないしそもそも考えてすぐにわかる事柄ではないのだけれど、ぼんやりと考える「道」を仕事(業種なのか会社なのか)に落とした上で、手は打っていきたいなあと思ったりするわけです。

 ってなんか書いてみるとこれ同じような内容を最近書いた気もするー眠いし恥ずかしいからチェックしないけど。


[とても眠い]
 なんか最近全然まじめな本を読めてない、と思って意識的に手に取ったんだけど、読み終えるのに2ヶ月以上かかった気がします。この「ナショナリズム論の名著50」はその値段の割には…って別に安くないけど、僕が知っている本はもちろん、「想像の共同体」みたいな有名本からきわどいものまで幅広くカバーされてて、読むとなんとなくこの学問が俯瞰的にわかった気になれます。amazonはレビュー少ないなあ…。
 レビューにもあるようにそもそもナショナリズムっての自体どう定義するかとかにも統一した答えがないようなもんだから、自然といろんな角度やとらえかた、論点の本がある。そのどれだけをカバーできている選び方なのか(またはそれは本当に偏っていないのか)はわからないけど、とりあえず「幅が広いジャンルなんだな」ってのはよくわかりました。1冊ごとの紹介の分量も短すぎず、ちゃんと中身がわかったような気になる程度のものではあって、だけど長すぎて1冊分読むのに苦労するってわけでもないし、そこら辺のバランスがとてもよかったですよ。

 こういう企画の常だと思うけどやっぱり書いた人によって相当筆力なのかなんなのかにばらつきがあって「もしかしたら面白いかもしれないけど説明がよくわからん」って章もあったけど、まあしゃあないよね。個人的には特にアーレントの「全体主義の起源」は知らなかったけど相当興味深くて、これは読んどいたほうが良いだろうなと思わされましたよ。これも含めて多分3冊くらいはここに紹介されてる本を買う気がする。でも全体主義の起源は文庫版ないのか…高いよ…

 
 で、「想像の共同体」はさっそく買ってみたけどなんか訳文のせいなのか?読みづらくてとりあえず一旦ペンド。いまは「オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義(大田 俊寛)」を読んでます。とても評判がいいようだし実際謎解き的な意味なのかとても読んでて面白いんだけど、なんだろう…なんとなく流れがよすぎて不安というか、述べたい内容をサポートするような証拠ばっかり集めてきてそれで作ったんじゃないの?というような疑念が浮かぶんですよねー。いや全く根拠なんかないんだけど…。
 そう思っちゃうのは特にこの本の前に「情報時代のオウム真理教 」という同じ春秋社の本を読んだ事も大きいのかも。こちらは確か「今後のオウム研究の基礎資料としても使えるように」みたいな意図で書かれていて、あまり解釈せずに情報を詰め込んでるというような印象だったので(とかいってこっちはこっちでなんかあんまり乗り切れずに最後まで読めてないんだけどさ)。
 なんだろうなー全然ジャンルは違うんだけど医療小説(?)の「廃用身(久坂部羊)」とかを思い出したりした。どっかに書いたっけな、この小説とかってすごく「作者の主張を展開するための道具としての登場人物、事件と舞台」ってのを強く感じたのよね。そんなところがなんとなく似てると思ったんだと思う。別に「結論ありきだろ」って否定したいわけじゃないのよー表現難しいわー。

 そうそう、これを書きながら眠い眠いと思ってるんだけど、最近眠いと思いながら日記を書くことはあってもあまり酔っ払った状態では書いてないよね。別段意識して避けてるわけでもないのになんでだろう。

 ちょっと仕事が詰まりすぎててぶはーってなってるけど緩急はついてる気がして、プライベートは結構楽しんでるかもしれません。でも明日も出社だよーだよーだよー。畜生。 

一回休み

2012年3月25日 日常
 日曜、よーーーやく完全オフ…とかって先週も休んだじゃんね。まあいいとしてください。なんか最近昼まで寝てられなくなってるのと完全にオフが珍しいせいで一日が長く、逆になんか充実してる気がしてしまうのですが、おそらく気のせいでしょう。あ、ちなみに木曜に今度やる演奏会のステマネの打ち合わせがなぜか午後四時からあるので半休…と思ってたけど一日休む事にしました。やることないけど。

 なんか最近通勤時間を全部メールチェックに使ってる…って忙しいいそがしいの後に書くとまるで会社のメールチェックしてるみたいだけどそうじゃなくてニュースとかRSSとかそういうやつね、まあそんなののチェックに追われてるせいで本が読めていません。地下鉄の途中まで走行中も電波入るようになったことも影響してるのも。
 でそんな自覚もあって、そのゆり戻しとして前回書いたようなまじめな本読もうブームがあったりするんだけど、今日は空いた時間で本棚を整理して再読したい本をよりわけたりしていました。例えばホッファーの「大衆運動」だとか公文俊平の「情報社会のいま」だとかそういうまじめな本もだし、音楽業界本みたいなものとかもっとくだらないものだと宝島ムックのタブーがどうのこうのとか。
 そう、買わなくたって良い本はもう手元に結構あるんだよね。新しいものを読むことも(特に時代を取り上げたものだと)必要だし重要なんだろうけど、本は古いからって価値が減じるわけではない(ものが多い)わけで。しかも一回目って評価が定まらないで読んでるからなんか時間なくて飛ばし読みして読んだ!って気になってるだけだったりとかそういうこともあるわけで、ちゃんと眠気がなく(これ重要)、ほかの何かに圧迫されてない時に読み直す事が重要なんだと思うわけです。実行できてないけど。

 昨日は以前書いたよくわからない交流会。結局申し込み30の来たのが26かな?八掛け…つまり25くらいで読んでたので大体イメージどおり。ハコには余裕があったし、会費はちょっとバッファ含めて取ってたから申し込みより人が少なかった部分もカバーできたし。まー「友達の友達を連れてくる」ってコンセプト上、同じ「親」をもつ人たちがどうしても交流しちゃうかんじではあったけど、でも少なくとも僕の「子」2組とNちゃんの「子」2組が結局その後2次会に行ったみたいで、まあ26人きて初対面の8人が二次会行ったのはまあそれだけで成功といっていいんじゃないでしょうか。特に女の子とか一人で動いてるとそうやって次行こう!とか、なりにくい事も考えられるけど、今回はそういう意味ではペア(「子」も「親」以外にも自分が知ってる「孫」が少なくとも一人いる)で動くということになってそこらへん補強された…かも。
 会の内容自体は幹事の僕にはあんまり見返りのないものでした。自分の紹介したハコだし、まあみなさんと会話できないとかそこら辺はしょうがないかも。もとから運営は好きだけどあんまりそういう場でガンガン行く方じゃないしねえ…一部まったりしすぎて幹事なのに入っていけないゾーンとかあったし。あとそもそも幹事がSEで「SE以外と会いたい」とかいう話だったはずなのにやたらSE率高い会でした。東京って石を投げればSEにあたるねえ…とかそんな話。
 まー見返りもなかったけど別に大変な事もなかった(あったとすれば集客にちょい苦労したくらいか)わけで、これからもたまにこういうのやってもいいかな、ってくらい。今回ちょいちょい声をかけてみて誰がこういうのに興味があって、逆に誰があんまりかとかいうのも少しわかったし。で、花見のシーズンしかもなんか今年は土日が満開で雨ふらなそうとかなんですよねー。ですよねー。とかいって正直このイベントやった直後なんで一回畑荒らしちゃってて使える場所が少ないんだけどね。今回全く声かけてない系でやる…ってほど人脈広くないし…あーでもそういえば今回わりと若年層だったから自分より上の人たち集めればできなくもないかな?でもそうすると結局前職とかが中心になって見知った顔ばっかりになる危険性…それもつまらん。ていうか俺花見てる余裕あんのか?

 そう、花を誤変換して思い出したんだけど、今年は何故か不思議と花粉症にやられていません。突然なるひとはいても突然治る人はいないといわれている花粉症…なんでなんでしょう。周りではずびずびやっている人がもちろんいて、別に今年花粉が飛んでないとかそういうことはなさそうなのに(大流行とかではないようだけど)。

 来週の展望。
火曜偽名ちゃんとひさしぶりディナー。今のところいつもとちがってあまりドキドキがないのでどんな爆弾投げようか考え中…ってそういやこないだプロポーズがどうとか言ってたな。
水曜長年の友人である歌姫Kが某結構良い箱でワンマン。お前そんな客集められんの?なんでそんなハコ…って言ったら「一回やってみたかったんだもんてへ☆」だそうですああそうですか…。半分くらいは埋まるかな…。心配。とりあえず友達(美人)紹介しろ。
木曜がさっきちょいと書いたコンサートの打ち合わせ。合唱ステマネなんて未体験ゾーンだけどなんかプロだと思われてるから話が食い違わないか恐ろしい…。とりあえず出来る準備はしていかないとね。
土日なんかあったっけ?多分出勤してる気がする。まあわりと楽しそうな週だ。

今週のはじめまして:20くらいだけどちゃんと話したのほぼ1人。4,5人いてもいいよな…
 なんか最近よく思うこと。メール受信したり電話を受けた後に「あいつは馬鹿」とか「あたまがおかしいからこっちが言ってるこんな簡単なことさえできない」という罵りをよく聞く。前の職場でもそうだったし、今の職場でもいろんな人が言ってるから(サンプル少ないけど)きっとどの職場でもそういう事を言うんだろう。
 で、僕もよく人を馬鹿にしてたりするんだけどなんかそういう人とは「馬鹿にするポイントがちがうなー」と思うのよ。もしかしたら俺って寛容なのか?みたいに思っちゃったり。
 
 僕の周りの人が人を馬鹿呼ばわりしてる時って、結構相手の事を考えてない事がおおいな、と思うのね。相手が一見馬鹿に見えるような反応を返してきた理由を考えてない事が多いような気がする、ってこと。
 いくら馬鹿だって、あたまがおかしくない限りにおいては(とてもシンプルだとしても)馬鹿なりの理屈もあるし、どこまで先を見れるかとか推測できるかとかそういう「視野・視界」に差はあっても損得勘定とかの判断基準がおかしいってことはあんまりない気がしているのよ。誰だってカレーとうんこ出されたらカレー食うって。ただ何らかの理由でそれがカレーに見えてない場合ってのがあるわけで(テーブルの向こうから見たらどうみてもうんこだとかさ)。だから「あーこの人こういう理由でこんなあほなことを」ってのがわかれば怒りもわかない(事もある)し、詰めたいなら追い詰めるのも簡単なのになーって思うわけ。拒絶しちゃったら話聞いてた時間分こっちだって完全に無駄になっちゃうんだから、とりあえずなるたけ生かしてみりゃいいのにな、って事でもあるのかな。

 かといって僕が人の事を馬鹿扱いしないということじゃないし、むしろ1回馬鹿だと思われると心底ゴミ扱いなのでまあそれもそれでひどいですよね。うん。


 んでマイナーなものを普及させる話。こないだうちの業界(マイナー!)を活性化させよう有志の会、みたいなのに誘われたんです。業界で危機感持った人たちが会社や立場をこえて手を取り合って!みたいな。んでこんど打ち合わせだってんでさっき資料読んでたんだけど…うーん。むずかしい。
 詳しくは勿論ビジネスの話なので書けないんだけど、とにかく「敷居を下げれば人が来るのでは?」という目線で書かれている気がして、それがねー。例えば僕が全くしらないジャンルとしてサッカーがあるんだけど、「簡単!サッカーが一番よくわかる本」とかって本が仮に本屋にあったとして、100000%買わないんだよね。興味ないから。でもそんな僕でもフモフモコラム(http://blog.livedoor.jp/vitaminw/)とかは週に一度くらい読んでたりするのは不思議ですね。
 とくにうちの業界はお高くとまっているといわれがちではあって、その反動からかその敷居を下げよう門戸を広げよう、が結構よくあるアプローチとして使われている気がする。それは間違いじゃないと思うしたまに成功もするんだけど、でもなんか思われているより定石ではない気もまたするのよね。僕は(まったくアイディアとして具体的ではないんだけど)、そういう薄く広い人からお金をむしるよりは、むしろマニアックな少数と濃密なコミュニケーションをしたりとか、所有欲とか自慢したい欲を満たす超高額商品/サービスとか、そういうものを売っていくとかのほうに魅力と可能性を感じるんだけどなー。で、たまにそれが外の世界に漏れて新規参入者がばっときて、その9割は1年で死に絶えるけどこの過疎ジャンルにはその残った1割で潤うに十分な果実なのであった、みたいな。…妄想ですかね。

 明日は偽名ちゃん。いつぶりだ?年末どっかで偶然僕が有給取ってる日にランチした気がするからそれ以来か。夜一緒なんてもう半年ぶりくらいな気がする。つうても別になっしんぐろまんてぃっく、な上にまた多分適度なところで逃げを打たれるんだろうなーとかいってそれでも会いたいと言って来るのが謎だ。餌付けしてるわけでも金渡してるわけでもないのにな…って謎といえばなんもない(あってさえ!)のにこうやってずるずる会いたがる僕も謎ですよね。もうそこら辺はつっこまないでください。
 あーでもこの顔がいいわけでも気立てが良いわけでもないというか性格も相当歪んでるしなんなのこれ、って女の子が(そこまで言うか、という話)モテる理由というのが最近ちょっとだけわかった気がしました(そもそも本当にモテてるのか不明だけどさ本人証言しかないし)。媚びる?のがうまいね。媚びつうかテクニックなのか、さらっとドキドキさせるような事メールにはさんできたりする。意識的なのか無意識なのかよくわからん(意識的に僕に向けてそんな事やってもあんまり得はないので無意識だと思いたいけど…これが愚かな男子ハイウェイトゥヘルでしょうか)。でもこれが彼女にぐっとくるポイントだろうし、同性に罵倒される原因(ぶりっ子っぽいということで)なんだろうなあという想像もつく。まーそんな感じの相変わらず偽名ちゃんなのでした。
 最近楽しいお酒の場が多くて、とてもうれしいのです。

 昨日は書いたとおり、偽名ちゃんとのデートでした。言葉にしづらいけど(そんなんばっか)、良いデートでした。まあ客観的に見ると要するにまた泥沼にはまってるんじゃねえの?というそういう感じな気もするんですが、まあそれでもいいかなーと思える偽名ちゃん最強。

 このデートは多分数ヶ月越しに実現したもので、正体知っちゃってから一年祭という位置づけ(なんじゃそれ)だったけど、いつもと比べるとサプライズのない会ではあったかなと思います。結局結婚しないみたいだしな…ほら、前にプロポーズされたらしいって書いたでしょ。
 
 たぶん色々なことを話しすぎて何を話していたか、ってのを詳しく思い出せないのは以前偽名である事をつきつけた日と同じような感じ。今日ワンマンやってた僕の友達が30を前にして音楽をやめてしまうんじゃないか、みたいな話もしたし、彼女の人格と生活の分裂について(ちなみに今は地震やら色々あって整理統合をはじめたんだけどその先行きに不安があるんだってさ)も話した。共通の知人(?)の話もしたし、色々。ああそうそう、はじめて会った日の話もした。彼女は最初自分のほうに踏み込まれるのを相当嫌がっていたけど、まあなだめすかして「一年前にその話をして以来、何度か会ったけどそういう話控えたでしょ、アニバーサリーなんだからいいじゃん」というむちゃくちゃな説得によって少しは自分の正体にまつわることも話したし。
 相変わらず大きな嘘はつかれているし、それをこちらに知られている事をわかっていないみたいではあるけど、以前よりはマシになってきた(のかもしれない)。酔っ払って夜の新宿を歩くのが、とても楽しい日でしたよ。
 
 あーいつにもまして意味不明かも(睡眠不足も相当影響しています)。朝まで飲んでいたので、今日は辛い一日でした。

多面的な人

2012年3月29日 考え事
 昨日の話のおまけ、ていうかそもそもはこれが書きたかったの、ってのを今更思い出したので。

 僕の印象として時々言われる事のひとつに(すっきりした言葉にならないんだけど)「ここだけじゃない人」みたいなのがある。「今は自分と共通の話題で盛り上がってるけど、この人は本来この話題がメインの人じゃない。つきあってくれてるだけ」って書けばもう少し正確なのかな?僕と話しているとそんなプレッシャー?を感じるみたいなのよね。それは「話題の幅が広い人ですね」というのとはちょっとちがったニュアンスで。んでまったく同じ事を偽名ちゃんに言われて、あーっとおもったんですよね、面と向かって言われたのは久しぶりだったけど、でも時々言われる事だったから。
 こちらとしてはもちろんその瞬間瞬間が楽しくてその人と共通の話題で盛り上がってるつもりのに、そうやって知らず受け手に負担をかけてるって嫌だなと思うんです。ちなみに偽名ちゃんは「私とはしないけどTwitterでは政治とか経済とかの話をよく書いてる」みたいなところからこの話題に入ってきて、まー確かにそれはそうなんだけどね。

 「ここじゃない感」「溶け込めてない感じ」ってのはそういった話題とかの話以外のところでもあって、例えば今の業界・会社での立ち位置だってそう。まあこの場合はちょっと意識的にやってる部分もあるにせよ、やっぱり「どこでもエトランゼ」なのよ。特別でいたいからとか、コミットすることで発生する色々なレッテル(良いことも、悪いことも両面)を引き受けたくないとか、かっこわるい状態になるのが嫌だからというのも否定はしないしそれぞれに事実を含んでいるんだけど、それは物語のすべてではない。疎外感、って言っちゃうとなんか孤独を感じてるみたいで100%その通りではないんだけど、なんなんでしょうねえ。

 その話は偽名ちゃんに「で、その被害者としてどう思うんですか」みたいな感じで相談してみたりはしたけど彼女に言わせれば「別にそれは道化さんが悪いんじゃなくてそれぞれ自分のコンプレックスが刺激されてるだけだから、逆に言えば道化さんがなにかして収まるものでもないのでは」みたいな事らしく。
 うーむ。彼女はでも、実際の僕とTwitterの僕という2つのペルソナを見ているのでまあその二つの距離があって違和感が、ってのはわからなくもないんだけど、他の場合は大体どこかのコミュニティの僕、しか知らないわけだから音楽に興味のない人に音楽の話はしないし、広告に興味のない人には広告の話なんかしない。誰だってそんなもんだと思うんだけど、なんで僕だけ「この人にはきっと別のせかいが」なんて話になるんだ??

 あと自分では確かに興味の幅は広いけど結局浅いしキーワード拾ってるだけだな、って思うことが時々あって、まーインプットの総量なんてそんなにあがるものではないししょうがないんだろうけど、でもちょっと悔しいこともある。逆に仕事とか社交、って意味ではキーワードだけ適当にまけば相手がそれを得意になって教えてくれるし「わたしも同じ興味を持っている人なんです、でも初心者なんでどうか教えてください」ってポーズには十分なキーワードを持っていることが多いからそれは態度として効率的な場合もあるんだけどね。

 でもなんだろ、この悪く言うと中途半端感ってのは何も人間関係だけではなくて、例えば自分の持つスキルセット(わりとなんでも出来るけど深い専門性がない)とかも似たような傾向がある気がして、やっぱなんらかの共通の根っこがあるんだろうなーとは思います。突き詰めると自分に関してもう少し面白いことがわかったりするかもね…いまは触れませんが。
 数字が読めて英語がしゃべれて絵がかけてデザインができて、現場仕切って動画編集できてPCなおせて、ってそりゃ全部高いレベルで出来るわけがないし、ならばそれぞれで足りないものがあるはず。必要ない部分だけうまく肉抜きできてればそりゃ美しいけど、そんな世の中甘くないでしょ。

 そんなお悩みでした。

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