一昨日道玄坂行ったら「久しぶり」などといわれ。結局2時間以上だらだらしてました。暑い。

 昨日は昨日で後輩2人と飲んでた。18歳二人連れて何やってるんでしょう自分。サークルの後輩なのにほとんど音楽の話をしなかったような。っていうかしたはしたけどしたのはマリリンマンソンとかだったような。

 今自動車学校から帰ってきたところ。あと少しでやっと仮免へ。まだやる事が箇条書きにして10個くらいはあるのに親が突然祖母のところに行くとか言い出して拉致されるそうです。もー。

顛末

2004年7月10日 考え事
 結局祖母宅。今回はヴァイオリンを持っていかなかったので就活の話とか中心に。

 帰りに父の友人がやってるイタリア料理屋へ。今月で閉店だそうで。父と色々飲食業界の事を。つーかグローバルダイニングってなんか聞き覚えあると思ったらさんざか世話になってるモンスーンカフェやってるトコじゃん!普通は飲食を経営してる店なんかしらないんだけどココだけは知ってます。なんか異様に多角経営だし(飲食業って結構そうなのかもしれないけど)。割合それぞれ面白そうだしね。安いし。でもハコに金掛けすぎで料理は大した事無いってさ。
 まーモンスーンだけの話だけど確かにハコに多少金が掛かってて(オオバコだし)たいして美味くも無いのかも。でもアジア料理なんてそんなもんだしな。それより接客がきちんとしてるからいいよ。誕生日祝ってくれるしねー。本当に美味いものはおとなになってからで。

 そうそう、最近ふと思った事。大衆は愚劣である、という言葉。それは真実であるという事。でも大概に於いてそういう事を言う人間は自分は「大衆」ではないと思っている。それは思い上がりで。どんな優秀な人間でも(愚かな、という意味での)大衆に成り得る。人間は自分の興味があることとか目先の損得絡むことには頭使うけど興味ないことはどんなに先自分に影響してる事でも使わないっていう性質が有って。そういう状態で更に群れたものを大衆って言うんだろうなーとか思うわけです。つまり根源的には「大衆が愚か」なのではなく「愚か(というか頭使う気が無い)人間達を大衆」なのかなって。
 人間は頭使わせると誰でも賢いんだけど広告とかそういう業界はなるべく人間を考えさせず「大衆化」させる所に真髄があるのか、とかなんとか思うわけですよ。根拠もなく。でもよく言えば「大衆状態」で何も考えられないある種無防備な人々に「考えるという本当の労働(影響力の武器より)」をさせずに正しい選択肢を与えてあげるっていう事なのかもね。

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