気仙沼

2012年6月1日 非日常
 と、いうことで旅の最初に気仙沼行ってきまして、その事をまず書いておこうと思います。ちなみに、写真は撮りませんでした。被災者であるふかひれさんがずっと横にいる所でカメラで写真を撮るのはなんか気が引けた、というのも正直なところあるんだけどもっともやもやと何もわからないところで撮る気が起きなかったのよね。なんでだろ。

 一関まで車で迎えに来てくれて、1時間ほどアイスブレイク的なお話をちょこちょこしながら気仙沼市内に。まずはある種のシンボルになっている「船」の所にいきました。鹿折唐桑って気仙沼線の駅(いまは使えない)の目の前にころんと転がっている(つっかえ入れて立ってるけど)その船の前にはちょこんと献花台があって、地元のおじいさんがお祈りしてました(船の周りをうろうろしている間にも人がぱらぱら来ていたし、人手がこれだけの短期間で絶えるはずもないのに花が全て枯れていたのが悲しかった。潮風とかの影響もあると思うけど)。その周りはまっ平らで、道路だけは土を盛って新しく作ったんだとか。海から1kmくらいって言ってたかな、あまり距離はないけど土地が平坦なせいか建物があまり残っていないとはいえ海もみえずあまり水辺という感じはしないんだけど、それでもそこら辺まで波にのってこの船はきたんだそうです(ちなみに7だか8メートル水がないと船は浮かないんだそうな)。ちょうど船の向かいにセブンイレブンが新規開店していてその横に駐車したんだけど、そこからは火がどこまで行ったか、山に行ったら歯止めが利かなくなると言う事で防衛線のようなものを築いて消したらしい、といった話を聞かせてもらいました。海と山が近いのよね。山、といってもそこまで高いわけじゃないんだけど。

 そして復興屋台村でお昼。何食うかねえ、と話していてどうせならじゃあ名物(らしい)気仙沼ホルモンくうべかと。夜鮫食う予定だったからね。昼からホルモンってすごいよね…。んで屋台村(2つある、大きくないほう)でギトギトして、食後は彼女の家の工場があった辺りへ。その道中もこの地区の避難先はここだったから助かった、逆にこの地区のはあそこだったから全員ダメだった、といった事を教えてもらいながら。見た目にはある程度高さがあった建物でもダメだったところはダメだったし、その辺は本当に神のみぞ、の世界みたい。
 彼女の元家、そして隣の工場、彼女が上って助かったという会社の隣の作業場。加工用の工場がなくなってしまったので天日で干して作れる製品しか作れないけど、今はとにかくそれを作っていると彼女はその干してあるサメたちのひれを見せてくれたりして。それをみてなんか、「語るべき言葉を持たない」といった言葉がいかにも陳腐というか、それは「語るべきでない言葉」であるようなって言えばいいのかな。くだらない言葉遊び。この人はここで日常を生きていて僕は単なる観光客だし、そのぼーっとした無責任な立場で何かを言う事自体がなんか内容がなんであれひどく無神経な気がしました。
 その間にも続く、色々な話。あの建物の上に居た人は息子がイギリスに留学していて、そちらにSOS連絡したらTwitter経由で広がってそれが自衛隊に伝わって生き延びた、というような話とか、自分の会社の従業員を解雇する書類を作るにも社印が必要だけどそんなものだって流されてしまって隣町のはんこ屋まで行って作らなきゃいけなかったのにそんなとこまで車もなしにどうやって行けって言うんだ(けどしゃーないからいった)、って話とか。そう、平らな土地は割合あるけど、結局事業をするためには電気も水も必要だし、それを確保できる場所はそんなにない、とか地盤沈下を補うため(なのか?)結局海の近くの土地は大規模な盛り土をしないと建物を建てられなくて、でもその作業完了を待っていたら数年かかりそうで、誰がそこまで待てるのか、といった話とか。

 本当に色々な話をしてもらった気がする。のになんかどうリアクションをすればいいのかよくわからなかった。
 瓦礫やなにかのひどさに絶句したわけではない。あそこまでひどかったわけではないけど僕も阪神の被災者であり、映画のセットでしかありえない光景の中で数ヶ月とはいえ暮らしてるんだから。道路の向かい側はビルが斜めになっていつ崩れるかわからないから歩行禁止、とか完全に瓦礫になってる建物の前で商売してたりとか、そういう光景は沢山見ている。普通の人が見る「被災地の写真」は非日常たるそういったものだけを切り取ったものだと思う。だけど実は当たり前だけどどんなになろうが、それこそ放射能でも飛んでない限りそこは誰かの生活の場で、その壊れかかった家の前を普通に犬連れて散歩してたり小学生が登下校してたりする。想像すりゃ当たり前だけど実地に行くとそのアンバランス(作りこまれていない単なる現実の発するメッセージに統一性なんてものは勿論ないわけよ)に多分衝撃を受けるんだろうけど、まさに自分はその当事者だったわけだし、そんなものは意外でもない。もやもや。

 工場跡地(ちなみに今後は工場機能を分けて、今の場所に最初の加工の拠点を残しつつ、作業の大半は車で少し行ったところに作る新しい工場でやるみたい)を見たあとは、南下して岩井崎へ。九代目…なんだっけ、横綱が岬の突端から沖を指差している像があるんだけど、それが震源地を指しているんだとか。高地なわけでもないのにものすごいガスってました。ずっと多分松の木の林なんだけどその木は無事で、その周りの店とか建物は土台だけ。夜来たら怖いだろうなーって感じのところ。潮吹き岩?とかってのがあって波が強く当たると鯨が潮を吹いてるみたいに見えるらしいんだけどガスって見えず…。でも岬の突端は視界がとても開けていて、なんか気持ちよかった。長くはいなかったけど。

 もどって…どこいったんだっけ。そうそう、お買い物。みやげ物屋やスーパー的なところで勧められるままに(というほどでもない)おいしそうなものを買ったり生物だったから諦めたり、まあ色々。しかしなぜ気仙沼限定ワンピースキーホルダーが海産物屋に…。ふかひれさんもあまり観光の人がいくような店に行く事がないらしく(当たり前か)わりと珍しそうにしていました。

 夕食(1)は地元の居酒屋。安くてうまい!と評判で、さめの心臓(「もうかのほし」という)食べたいよう、という僕のわがままにしたがって(?)彼女がセットしてくれました。7時過ぎの新幹線に乗らなきゃいけないけどその店の夜の開店時間が比較的はやいのでいそげば食える!ということで。でもわりとゆっくりしちゃった。刺し盛りうめえな…サメの心臓はなんだろう、思ったより全然柔らかくて、ツルツル入ってくる。筋肉だし堅いのかな?と想像していたんだけど。酢味噌だったかね。うまいです。というかマグロの歯ごたえの柔らかさがありえん…。これで体調100%完璧だったらもっともっと食べられたし楽しめたんだろうなと思うけど(刺身の味の感じかたってモロに体調が影響する気がする)、でもそれでも美味しかった。

 帰りも一関まで送ってもらいながら、また色々お話。この先どうしていくのか、何が障害なのかとかそんな仕事っぽい話とか、僕の話もしたしね。彼女の仕事であるふかひれについても色々話してくれました。すごく面白かった(ちゃんと話聞けばそれだけで面白い本でも書けそう)。お金は集まっても使い方が難しい、とか漁業権を猟師以外の民間(という表現はなんかおかしい感じもするけど)の会社にも与えるかどうかの議論が起こっている話とか、復興支援的なイベントに呼ばれる機会はあるんだけどそれに出て行くのだって金がかかるし、自分たちはB2Bで最終製品持ってないわけだから別に儲かるわけじゃないし、とか。そのすべてにちゃんとした答えができない自分は浅いなあ、と思ったりもしました。いや、答えられるかもしれないと思うこと自体が驕りなのかも知れんけどさ。正解という意味ではもちろんなく、ちゃんと考えてちゃんと返事をする、くらいはしたいよ。
 というか多分、理屈で考えた所に多分正解的な答えはないのよ。東北6県の日本全体の税収に占める割合が3%(しかもそのうちの相当分が仙台)という現実とかさ(という話も聞いた)、ちゃんとしたデータを元に考えたらばら色の未来なんて描けない。その種がない。でもブレイクスルーが期待できないからってんでぱっとやめちゃうか、っていうとそれも違っているんだろうなとぼんやり思うのです。

 僕は東京で生まれ、おそらく大きなことがなければ東京で暮らして死んでいく(まーありえるとしてもしかしたら海外か)人間です。田舎と呼ばれるものを持たず、だから田舎で生まれて田舎で育ち、死んでいく人と関わる事はとても少ない。きっとこの先だって何人も会うわけではない。今日のように直接話をすることももしかしたらほとんどない。そういう意味で勉強…というとなんか違う気もするけど…まあとにかく色々考える端緒・刺激にはなったのはたしか。しかしそれこそインターネッツ万歳だよな。ネットがなければこうして僕の生活の中に立ち現れることもなかったわけだから。
 なんだろ、これもうまく表現できないんだけど、彼女のように否応なしに何かに縛られている、というのはきっとよくある話なんだと思う。家業を継がなきゃいけない、どこかで暮らしていかなきゃいけない、家の名前を残さなきゃいけないetc…僕や僕の周りに居る人は結構そういうものから自由な人が多くて、あまりそういう話がでてこない。でもふかひれさんのように持った札で勝負をせざるを得ない(別にそれが嫌なわけではないみたいだけど)人というのが一方にはいて、そういう人と会った時にぼくはどうすればいいんだろうか。もちろん自分が恵まれている立場だって改めて認識して感謝する、そんなことは当然するんだけど、それだけじゃない気がするんだよね。何かできる、しなきゃいけないはずだと思うんだけど…。うまい考えが浮かびません。

 なんかちょっと刺身に熱中しすぎて遅刻するか?と思ったけどそこはギリギリセーフ…ってか東京で地震があった影響とかで新幹線が遅れて助かった形なんだけど…まあ何に助けられたかはおいといて、間に合いました。一路青森。

 次に彼女と会うのはいつになるんでしょう。元々彼女は結構頻繁に東京に来てたんだけどそれは妹がいたからで、妹は今地元に帰ってる。あと多分仕事が軌道に乗りなおさないとそんなに遊んでもいられないでしょう。僕が今後気仙沼に行く事は現実的な話、おそらくないだろうし…。彼女はSNSなどやっていないから気まぐれにメッセンジャーに現れたところを捕まえるしかないんだけど、まーそれもいいのかな。Chatpadで適当に出会って数ヶ月(?)チャットしただけのわりにはもう少し腹を割って話すともっと面白い関係になれる気がしていて、今回その時間がなかったのが残念でもあり、でもそれ以前に一旦途切れた関係をちゃんと修復できた事に感謝すべきなのでしょう。

 そんな、気仙沼初訪問でした。

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