新しい会社にようやく慣れてきたような、そうでもないような日々です。でも外食したい病気がでてきたってのは、慣れたひとつの証なんでしょう、たぶん。

 今日のびっくり。昼の帰りなんかうちのエレベータから見覚えのある顔が降りてきたと 
思ったらなんと昔オケで一緒だった人。ぜんぜん仲良くなかったし向こうはおぼえてないと思われたので声はかけなかったけど某業界誌の編集になっていたらしい…ウケる。今度お付き合いすることもあるのかな。非常にうまいヴィオラ弾きで、彼が組んでいたカルテットのヴァイオリンは今有名なプロオケに入ったとか入らないとかってくらい。1年からトップやってたんじゃないかな。

 タイトルの話。うちの会社の人がひとりやばくて。一般的な意味で美人さん…っていうのとも少しだけ違うのかもしれないんだけど、とにかく好みなんです。顔ではなくちょっと低めの声と目が(問題発言だなぁ)。多分目の色と顔立ちはクウォーターだからなんじゃないかなぁと思うんだけど、引き込まれます。というかホント冗談抜きにこの人の目を見れない。見ちゃうから。結構普段目を見て話す人なので自分でも不自然極まりないんだけど、がんばっていつもより相当頻繁に目を切っています。まぁ、幸せです。業務も相当かぶるし。ひひひ。


■ 最近のChatpad
 最近ちょっとだけ復活。にちゃんねるにスレが立って以来盛況なのはいいけど、流入してきたのが大半中学&高校生なおかげで相当質が下がっているように思えます。
 会って面白かったのはスレイヤー好き「雑なネカマ」と呼ばれてへこんでいた女の子。ジョジョネタから音楽の話に行って、お互いの推薦曲がはまりまくり何これもしかして神?とか思った。でもFirefox不調で落ちてしまい。一回目はすぐ再ログインしたらなんと偶然再会できたんだけど(ランダムなわけだからこれはこれで奇跡的)、二回目はついに会えませんでした。残念…途中からこの人は最低でも絶対Twitterにもってくと思っていただけに本当に無念。

 もうひとりは哲学の人。Dで、学部で教えたりもしてるらしく久しぶりに相当まじめな話。「独我論は哲学の仮想敵」とか倫理学における善の定義などについて語っていました。中世カトリックで聖書を読んでいいのは聖職者のみであったってあたりを引いて「何が善きことなのか」を考える倫理学ってのはそれ以降の発想だよねとかそんな話。何が善か、という絶対的解がないであろうことを考えるという行為それ自体が、行動規範のお手本としての聖書(ぶたれたらもうかたっぽの頬を差し出せ、とか)の絶対性を損なうと考えられていただろうとか思ったのです。
 あと反証不可能性ってのもキーワードになってた。物理的その他の理由によって否定できない(しきれない)という意味の「悪魔の証明」とは違って、反証不可能性というのは文字通り、反証(間違っているという証拠を挙げること)が不可能なもののこと。理由を神様にもとめてしまうと「その人が信じればそうだし、逆にその信心を理屈で突破する」ってのは無理だよね。

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