だらだら

2009年2月8日 日常
 土曜日はいちにちPCでした。七面倒だけどまぁ僕の貧しい技術でもどうにかなりそうな感触だったので試してみたい、ということでプログラミング(というほどのものですらないけど)。

 最近いしけりあそび(http://d.hatena.ne.jp/isikeriasobi/ ※プライベートなのではてブしないと読めませんが、はてなのアカウント取る手間であれば確実に読むべき)さんのはてなを読ませていただいているのだけれど、その中で「権力の不当な行使の大半は市民の無関心につけこんで惰性でやってる」というような文章があって(引用するとあれかもしれないのでちょっとだけ改変)、ああ、と思ったのでした。 
 ぼくのやってた社会心理学なり今やってるPRなり、それに文献少ない気がするし僕もあまり読み込んでないからあてにならないもっと直接的な「洗脳」も含めたっていいけど、が効果をあげるためには「実は自分にとってどうでもいい」と錯誤させて負の関与度を下げるか、あるいは「自分がどうにかしなきゃいけない(=自分に不利益がある)」と思わせて正の関与をあげるか、どちらかしかないと思っている。
 人間の心の抵抗って結構強いから本当に意識的に「いやだ」と思っていることを変えさせるのは無理に近いレベルで相当難しい。昔洗脳の本の感想に「そりゃ洗脳じゃなくて拷問だ」って書いたことがあるけど、結局身体に危害を加えるレベルまでいかないとそれが達成できないんですよね、多分。だからそういう積極的な抵抗にあいそうならば、それを力でねじ伏せるよりも例えば「お前と一緒につかまった~と~はもう大筋で吐いてるんだからお前は細かい部分だけ教えてくれればいい」とかって今から喋る事には既に隠すほどの価値もないって教えてあげたりするのがいいわけです。あれこの例わかりにくいかな。一応前者のつもり。

 あーわかんなくなってきた。


 要するに(最近こういう「まとめきれませんでした」多い気もする…)。人のアテンションって二種類あって、その割合としては当然自分の利害が絡む所に関心を持つって部分が大きいんだけど、人間のいいところというか、それ以外にも「貧しい国の人ってかわいそうだな」とかって自分の人生と永遠に関係の無い所にもアテンションを向けることが出来るわけ。
 アメリカ人とかってそれが強くてそれで時折やりすぎて「世界の警察」とかって言われている気もするんだけど(ああこれは個々人の意識というよりアメリカ的な「見えざる国教」というか…別に金持ちなわけでもないくせに差別感情の裏返しとしての「ノブリスオブリージュ」って面も強い気がするけど)、まぁどんな人にだってそういう気持ちはなくはないわけです。でもそのポーションってすごく小さくて、モチベーションも強くない。自分の周りに何か問題が起きちゃったらすぐにそんな関心はなくなっちゃう。本当に余裕がある時の余技というか…。
 で、でもその小さなポーションをものすごいたくさんの人たちが取り合ってるような気がしてるんです。ちょっと前の話に戻ると、僕らがやる普通の仕事のやりかたってのは「いかにそれがあなたに関係のある問題か」というのを突きつけて、身近であることをわからせて…つまりそれがアテンションを払う価値があるものであることを説得するんですが、なんか世の中にはそれがどう考えても無理な仕事の種類もあるんだなという…いや、「どう考えても身近じゃないから必要じゃないこと」では絶対無いんですよ。正直自分でもこういう話ってどうすりゃいいのかまったくわからん、ということでした。ちょいぐだぐだになってる上に実際自分でもどうすりゃいいかわかってないから二重の事故ですね。ごめんなさい。


 あともう一個、世の中って結構張力で出来てるのかもな、って話。
 張力って結構微妙というかわかりにくい表現だけど、なんだろうな…要するに正義はどこにでもあるというか…ってさらにわかりづらいか。そう、「良い世界」ってのはひとつの考え方だけじゃ作れないってことかな。結局どんなによさそうな考え方でもそれによって迷惑をこうむる人がいたり、短期的にはよくても長期的にはだめだったり、そういう何かしらでこぼこがある。
 だから結局、いろんな考え方の人が綱引きをしあうことでその綱引きの中間のどこか(もちろんそれはどの考え方がその場に一番適しているかとか、そもそものパワーバランスとか色々な要素があって着地点は違うだろうけど)に落ちるのが最適な解なのかな、ということ。最適な解というのが事前にわかっていたとしてもいきなりそこに至るってのはなくて、各プレイヤーが力を使い切って自分の方に解を引き寄せようとした結果としてそこにたどり着くことに意味があるというか。そうしたやり取りの結果であれば例えば迷惑を蒙る人がいたとしても協議の中で自分の主張が一部取り入れられたりしていることを通じて納得というか我慢が出来たりする。

 なんかねー。色々難しいなって思うんですよ最近。



 帰宅したら柴田淳がテレビに出ている。僕にとってはとても不思議な光景。久しぶりにみた。というか僕のみかたは8年前か…時が早すぎる。この人いいよね。いいんだけど、なんか受け入れきれない。なんだろ…わからんけどもう一歩な感じ。余計なお世話ですね。知ってるけど…それにしても今までよく生き残っていたし、この先売れていくならあの頃を知っているものとして(って別に関係者じゃないけど)ちょっとうれしい。

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