2022

2022年1月1日 日常
あっという間に今年が終わってしまう。今年は上半期と下半期でまったく違う人生だったといっていい。上半期は日本国内にいて、去り際だからとかなり色々なところに行った。京都には多分2回か3回行ってる。
後半は地獄めぐりってかんじ。まあ今の地獄のほうがマシなのかな?よくわからないが…。業務開始初日、隣に座っているのが誰かもわからない状態でいきなり2時まで働かされたあと11月まで飛んだり跳ねたりすることをやらされてつづけたかんじ。しかし自分の糧になったと思う内容は正直少ない。ないとはいわないが、少ない。仕事としてのレベルは低く、その割に腹立たしく高圧的な客の相手をし続ける毎日。そもそも異常なコンディションのプロジェクトなのに集められたのは「こいつ気に入らなかったらクビにしていいから」という注釈付きのゴミ人材ばかり。その中には本当のゴミも、単に上司の受けが悪いスタッフも含まれていたのを喜ぶべきなのかなんなのか。
 
本来ならば、充実した年だったというべきなんだろう。新しい場所、新しい人、新しい仕事。そしておそらく一生に一回だろうことをやり遂げてもいる。しかし、正直なところ、それらの達成感は不思議なほど薄い。本当に不思議なことに。多分本業がくっそ忙しいときにそちらもピークだったので味が薄まった、ということもあるんだと思う。残念なことに。
 
プライベートでは、新しい場所に移ったとはいえ、やはり年を取ると(という表現は嫌いだが、事実として)出会いは減るな、と思った。いや年齢のせいじゃないといいたいけどね。まあ、大人になると出会いは減りますねというよくある話の延長線ではあるのかもしれない。まあ周りには「仕事が忙しくって」と言っているけれども、そういうことなのかわからない、というか疑っている。

具体的にいうなら、今年であったのは隔離のときに奇妙な縁であった北京人、最近会った琵琶弾き、くらいじゃないかな?ああ、仕事で出会った夫妻もまあ、今後がありそうではあるけども…。やっぱ少ないな。一方東京の縁は、当たり前だけれどもどんどん薄れていくという…まあ、言っても仕方のないことなんだけど、それでもなあ…
 
中国と日本、というより中国とそれ以外の国の渡航に関しては最近どんどん悲観的になってきている自分がいる。中国はその巨体からくる精緻な管理の不可能性ゆえに、ゼロコロナ路線を取らざるを得ない(というかそれがもっとも合理的)。しかし現時点ではコロナを根絶することはあまり現実的ではない。また他の主要国はそのような政策をとっていない。だからそうした国との接触を増やすことはそのままコロナのリスクを引き受けることに繋がるので、中国として受け入れることが出来ない。国内でちょっとコロナ患者が出るたびに地方政府の役人の首が飛んでいることを見れば、国境を開いてコロナ患者が増えた瞬間に誰かの首を飛ばさざるを得ないことは想像がつく。硬直的な官僚主義が蔓延する中国(あるいは共産党)内部で、そのリスクをとろうとする人間はいないだろう。そもそも国境をあけたことによるプラスの影響を数量化できないんだから。

ポジティブに?考えれば、これが10年前でなくてよかったということなのかもしれない。中国は今(もちろん個別に見れば多くの課題をかかえつつ)一定の経済力・影響力を国際社会で持っている。だからこそ鎖国しつつも、色々な取引をしてなんとか中国市場を狙う外国の資金を引き止められる。10年前なら、多分暗黒大陸に逆戻りだったんじゃないだろうか…まあ、そんなことを考えることにそんなに意味はないんだけれども。

今年の目標はまあ、もうすこし考えようかな。とりあえず個人としての活動の基盤を築くことは、もう必須なのだけれども。

ああそうだ、ここまで書いて思い出した。変な話去年は「年だから」とかいう機会が増えた気がする。別に若いとかなんとかいいたいわけでもないが、中年的なことをいうのはちょっとしゃくでもある。別に突然太ったり眠れなくなったりとかそういうことがあったわけじゃないんだけどね。なんか知らないけどそういう発言が増えたので…まあ減らした方がいい気がするね。

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