春節ヨーロッパ2
■アントワープ
 しかし、欧州内は本当に国境を意識させられないで移動できてしまうおかげで自分がどこの国にいるかよくわからなくなりますな。
 ということで三か所目はアントワープ。別にすごく来たい!という感じでもなかったんだけど、アムステルダムとパリの間にあったのでというすげー適当な理由で選ばれました。何か理由がないといかない…というか一生行かなそうだし、まあいっといてもいいかな的なノリです。アントワープというとファッション的なアントワープシックスくらいなもので、他に何かあるかと言われるとどうやらフランダースの犬の舞台はここだったというくいらいで、他に特に何もない街です。印象に残ったのは教会の鐘がなぜかエリッククラプトンとか奏でだすところでしょうか。ファッション関係は後で別個まとめようかなと思ってますよ。
 
 ほかに何があったか…一泊しかしてないのでなんともですが、ああそうだたまたま見つけたディナーした店が生演奏入りで結構しかもおいしくてナイスだった、ってくらいかな?Bourla(http://www.bourla.be/)という店なので機会があればどうぞ。

■ブリュッセル
 ブリュッセルは二泊。これもそんなに興味がある街ではなかったんだけど、それなりに整っていて美しいなと思います。でもアムステルダムが一番きれいだったけどな…。EU本部見学したり服買い過ぎて人生初めてスーツケース買い足したりあと何したかな?服買ったりチョコ買ったりしていましたね。ジャズもきいた。ポテトも食べて、まあわりとやるべきことは一通りと言う感じ。バランスの取れた街。

■パリ
ぬっぺりとした旅ですよね今回。最終目的地だけどこれといった盛り上がりも見せず、ふつーにさくっと終わった感じ。友達は相変わらずこじらせていて、「家の近くに泊まれ」とわざわざちょっと郊外に泊まってやったのに家にも入れてくれず、なのに夜になるとぶちぶちと人生に対する不満を垂れるという…相変わらず超陰キャラでした。面白いから立ち直ってほしいなあ…。
 
 ああ他にも友達に紹介された日本人に会ったんですがあーこの人駄目だーという感じ。紹介してもらったから言えないけど。まず目線がふらついてるのでアウトなんだけど、典型的な現地になじめないで日本人の中で暮らしてる日本人ですね。何も得るものがない…せっかく海外で暮らしてるのに。いや8年いてちゃんとフランス語もどうやら話せるようなんですが、なんというかね…もやりました。とりあえず寒い中謎に彼女自身の用事に付き合わされて、俺の貴重な滞在時間は?という。まじ時間の無駄でしたね。「わーパリっぽい!」って言われた時の頭痛ね。まあパリでパリっぽく暮らしたいといてそれをブラさずに実現したのはすごいといえばすごいでしょうが、日本では単なる社会の落伍者ですよね、ってまあ俺もそうなるのかなあそういう基準でみると…悲しいが。しかしあんまアートは知らない人でしたね。あれでよく半分アートみたいな仕事できうるなあ…。

 途中から変なおばちゃんもまじってたんですが、海外在住日本人あるあるでやることなくて暇だからやたら薄い目的でも一緒に居たりするんですよね。その人も何のために合流したか不明、彼女の買い物に付き合う?わけでもなく3m圏内にいるだけ、帰りにふたりでどっかいくのかとおもったら普通にバイバイ…あれあなた何しに来たの?みたいな。

 まあそういう役に立たない話はどうでもいいとして、まとめ。


今回パリで結構面白かったのが2つ。
1つめは「パリはやる事がない」ということ。2つめは「ヨーロッパ的センスは限界」ということ。ふたつとも相互に関係するけど。
1つめ。なぜパリで芸術や哲学が発達したか、という事に対して、「結局遊ぶところがない」という事を結構長い在住者が二人とも言っていたことが面白かった。で確かにそうで、今回僕は観光名所みたいなところには一切行かなかったんだけど、そうなると買い物以外だとやれることは非常に限られる。もちろん街を知らないから調べればという事はなくはないんだろうけど、それにしても商業施設とか遊べそうなところがない。どうやらローマやらと一緒で、掘ったりすることに制限がきつく、許可が下りづらいので新しい施設とかは作れないんだとか。
 で、だから店に行ってだべるみたいな過ごし方になる。例えばモノを買うとかいう本来の目的をサクッと達成せずに世間話をし続けてひとつの店に二時間みたいになる(その「被害」に今回あったわけだけど)。でも他にやる事がない。でも「だからホームパーティーとか多くて~」とかその日本人は言ってたけど多分それは関係がそこまでなくて、単に在外日本人あるあるの寂しいからホームパーティーってだけなんですけどね。でいない人のうわさ話みたいな。上海いくとあります。
 
 2つめの話。結局無調性とかのコンテンポラリー系って歴史のいきづまりというか「逸脱のひとつのかたち」なのかもしれないなと。表現方法においては歴史を無視し、しかしその背後に文脈的な香りを押し込むことで歴史を踏まえているというエクスキューズにしている。
 表現が結構難しいけど、わかりやすいものでいえば上の建築の制限のように、歴史の蓄積は時に新しいものを縛る。もちろんそれが町の個性であり文化でもあるんだけど、その縛りがきつすぎると新しいものが生まれないのも事実。中国のように王朝が変われば皆殺しで建物も全部立て直しみたいなのもまたやりすぎなんだけど、歴史もまた老いることも事実で、例えばヴェルサイユ宮殿だってあと数百年したら朽ち果てると思うんだけどそうしたらこの街はどうするんだろう?ということね。
 
 話がちょっと変わるように思えるかもしれないけど、台湾とか日本についてインフラの周期の話を多分ここでも書いたことがある。東京はおそらく2000年くらいが境で、suicaが導入されたり六本木ヒルズが開いたりといったことが起きた。東北新幹線とかもそうかな?で逆に台湾はかなり色々なものが老朽化していて、多分向こう10年くらいで逆にインフラが刷新されていく時期になっていくんだと僕は個人的に思っている。
つまり、そうやって町は新陳代謝を一定のサイクルで繰り返すから、今は時代についていけなくても、それが数十年すると入れ替わってなんとなく新しい街になる、といったことを繰り返す(はず)。だから上海とかをすごい!とか言う必要はなくて、今最先端に見えるのは裏を返せば彼らが今成長してきているから、というだけにしか過ぎないわけで、都市(特にインフラ・ハードウェア)はずっと最先端であり続けることはできない。

 話をパリに戻すと、パリがたどっているのはもっと気長な数百年単位(以上?)のこうしたサイクルの一貫した凋落なんだと思う。すごい遺産で食っていて、ビジネスと一緒で成功体験があるから新規事業は自社既存事業と食い合うからやれない…みたいな感じでゆっくりと死んでいく。
 それを強く感じたのはボーパッサージュという最近できたという複合商業施設(というほどの規模でもないけど)を見た時。結構現代的な建築(といっても中庭をうまくつかった半開放式)なんだけど、東京のそこら辺の新しい施設のほうが多分かっこいいです。フランスの小物とかの色彩感やデザインのセンスはやっぱりすごいんだけど、こういう施設になるとまったくランドスケープとして色気がない…というと言い過ぎだな、普通に現代的でかっこいいんだけど、いいかえるとそれだけ(まあその制限とやらで開発の経験が乏しいことが原因の可能性は結構ある)。個性もないし、なんだろうな…上海でもシンガポールでも作れる建築でしかない。
 つまり、なんかもう今「つくる」力って彼らにないんじゃないかなと。それこそ中国にもたくさんフランス人建築家の作品もたってるんだけど(国家大劇院とかもそうじゃなかったっけ)なんだろうなあ…パリでみたものはいずれも躍動感がないというか。
 
 そこには民族がまじりあいすぎている事とか、経済の停滞とか、色々な要因はあるんでしょうけど、いやなんというか、全然ダメじゃん、という感じではありました。繰り返しになるけど歴史的なものはすごいんだけどね。
 だってほら、ルーブルの入り口のよくわからんピラミッド、あれ中国の例えば故宮でやったら「バカじゃないの」って言われるやつですよ。ヨーロッパだからかっこいいとか現代と歴史の融合だとかいうのかもしれないけど、普通に見て変でしょあれ。言ってしまえばあの程度のセンスなんですよ。


 かといって自分が中国に住んでいるからこの面で優れているとは思いません。中国は逆に蓄積がない…というより正確に言うとあるけど一顧だにせず、だけど同時に「我々の民族は5000年の歴史が」という二面性というか二枚舌を持っています。
 文化の話に限れば、事実上文革後…というか改革開放後なのかもしれないけど程度、つまり20年そこそこの成熟度でしかない。あそこにある「歴史的なもの」はいずれも「前の王朝の置き土産(orオーパーツ)」で誰もその意味を分かっていないというのが近いでしょう。一定以上のセンスを持った人間は少なく、それらの使い方も価値もわからない。それもまた、大きな問題ではあるわけです。


 話は全然ちがうけど、結局総合的によかったのはアムステルダムかも。景色と、ごはんと。あと人とね。ただ退屈はするだろうなー。パリは小物のセンスはいいなあとは思ったけど、あんまり魅力ない。建物も美しくて壮大だけど、ああいうものを求めるならバチカンのほうが好き。都会という意味では東京や上海のほうが全然好き。


■ おまけ(中東)
 実は長距離フライトでババを引く率が非常に高い僕なんですが、今回もやってしまいました。ちなみに去年はフライトじゃないけど帰りの空港への道でベンツとごっつんこして…やれやれ。
 今回はなんと、初の国際線乗り遅れ。一応自分にしては余裕もって、google map的に1時間のところを2時間見て、フライトの二時間前に着く設計でいった上に前の日に宿から改札まで下見までしていたのですが、なんと改札入ってエレベーター(まで確認してた)で降りた先が逆側のホームで、その逆に行くことができないという設計になっているとは…構内をぐるぐる回った挙句一回出てもう一回入りなおして時間を浪費、そして来た電車が途中で止まったり降ろされたりしたところであーーーーーと思い始め、やっぱり駄目でした。

 しかも不運(自分に責任がないとは言わないけど)は重なるもので、パリのCDGには僕が乗りたかった中華系キャリアの職員はおらず地上職員?が兼務。だから誰と話してもよくわかってないし責任者がいない。パリのオフィスの電話番号教えられて電話したけど誰も出ない、調べて出てきたホットラインは中国しかなくフリーダイヤルもなく、細かい状況を説明するのに何分もかけて通話料があっという間に底をつき(そらフランスからかけてますから…)切れて、またSIMカードを調達するために彷徨い、で結局北京もたらたらしててダメで「明日の便なら」とかいうからもういいといって切って自分で近いフライトを探して乗ろうとしたら荷物の容量オーバーでその超過料金払うのにまたカードの使用トラブル(カード自体ではなく、荷物の料金は空港?に払うのだけどVISAが使えないとか…しかし何言ってるか意図がよくわからない。あなたのカードに問題があるわけではないが使えないとかなんとか。。英語あまりうまい人ではなかったので)またATMを求めてさまよい…とそんな感じ。

 それでようやく自腹で中東ドーハ経由の便を買ってようやく乗ってドーハ着いた!と思ったら乗り継ぎがいつまで経ってもでなくて嫌な予感がしていたら2時間ほどたって「お食事が」と…あーやべーこれ来たーしかも食堂までわざわざ開けてるってことは「この後2時間で飛ぶことはあり得ない」ってやつですよね!ということで人生初の中東、2時間以内の滞在のはずが結局一晩…1時ボーディング予定が結局6時過ぎでしたかね…ということで結局恐らくホテルを出てから軽く24時間たってからでした、家に着いたの。帰りに余裕もっておいてよかった(朝帰って、その次の次の日から出勤予定にしてたので夜帰っても1日は休めた)。

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