あけましておめでとうございます。
年末恒例の日記読み返しをやらなかったもので、このページを開いたあとに17年のものを全部読みました…とはいえ、近年本当に月1か2本くらいしか書いていないので、全部読んだってかかる時間は知れてるんですけど。
そう、でふと今思ってこの日記を書き始めたのはいつかの1月2日だよな、ということで遡ってみると、一番最初の日記は2004年。まだ大学生ですよ。随分遠い、とは不思議と思わないんだけど、それでも年数で考えるとそりゃ遠いですよね。でもあの頃と、1年前に起こったことの間にあんまり距離を感じない。それが老いたってことなのかもしれないけど。
04年の日記は別に読んでないけど、大体どんなことがあったかは覚えてる。特に04年を比較対象としてどうのこうのというわけではないけれど(これは17年に結構頻繁に感じたことかもしれない)、ほんと想像もできないところまできたよね、俺。ひたすらに、遠くまで来たという感覚。
17年はどういう年だったのかという事を考えると、とても変な年だったと思う。前もちょっと書いたかもしれないけど17年は年初にちゃんとした目標を立てていないので、あまり効果的なPDCAができない。書いたのは2つだけ、
1)中国語
確実に上達している。確かこれを書いたときはちょっとした手詰まり感があったんだけど、それでも多分毎日中国語できったはったさせられていれば、伸びるといえば伸びるだろう…とはいえ、やっぱり喋りはまだ全然ダメ。聞くのはよっぽどのことがなければ大丈夫にはなったが。
でも喋りも(発音は非常に恥ずかしいが)、通訳いなければいないでどうにか社内会議なら参加できるようになってきた気がする。まあそのレベルかと言われればそうだし、通訳なしでも結局困って周囲の日本語喋れる子に通訳を頼むハメになることも結構あるんだけど、それでもね。正直まだ無理レベルだけど、無理レベルなら無理レベルでも歯を食いしばって自分を厳しい場に投げ込まないとね。だけど無理レベルと書いてるとはいえ、今までは本当に無理だったのが、「つらい‥」くらいになったということは進歩なのでしょう。
ただし、自分でもこれが満足できるレベルに達しているとは全然思いません。満足ってなんや非現実的な目標立て過ぎちゃうか、と言われるとうむむという感じなんだけど、一応「喋りまでなんとかこなせる」が目標だったはず。上に書いた程度を「なんとか」というのはまだちょっとね…惜しいといえば惜しいんだけど。
2)お嬢
はいこれ完全に未達成。年初には「まああと数回くらいで白黒つくでしょ」とか言ってるのに全然ついてねえのな、しかも今年は「広州いくわ」って数回言われてそれをドタキャンされたり、当日台北だったり(まあこれは僕の責任)突然連絡取れなくなったりまあ振り回された年ではあります。こういうことやってるから「もしやM?」とか言われるんかね俺。
そろそろ決めたいなあ、というのはもうずっと考えていることで、彼女が広州に来たら…とか思ってるんだけどなんかねえ、タイミングがねえ…もうよくわからんわ。でもそれもどこかに書いた通り、他に行く気とかは一切ないのよね。なんなんすかね。
ちょこっと周りには言い始めてるんだけど、なんかこの1年でそうね、もしかしたら人生的に結構変わったかなと思ったのは、結婚観かも。まだ結婚したいとかそういう話ではないしそこに続いていくかもわからないんだけど、今の環境は前までと違って既婚者がとにかく多い。中国人は結婚が早いし、日本人同僚も結構結婚してる。いままでとは真逆だから、なんとなくそういう人と日夜居ると「結婚するのが普通」って思えてくるね。不思議だね。結局は僕も他人に影響される人間ということです。当たり前だけどさ。自分としては「するのが普通」と「したい」は同じ方向ではないしわりと距離があるんだけど、さてどうでしょう。
その他で17年のトピックってなんだろう。キューバ行ったよね。バラデロが天国だったことはすごく印象がある反面、ハバナはあんまりいい印象がない。悪くはないけど別にいかないよな、って感じ。
自分の記憶でもブログの記録でも、17年はなんかすごく平坦だった気がする。着実に起こるべきこと、やるべきことはやったし起こったけど、別になにも意外なことはない。
そもそも僕は今現実ではない、いわば夢の中で生きているから平坦というのはおかしいのかもしれない。踊り場というのか?でも踊り場は成長の間での表現だよな。成長しないとかしてないとかそういったことをここでは言いたいわけじゃない。
誰かを面接している時に自分で言ったことだけど、目標が明確でない人間は当然をそれをプロセスにも分解できないし、行動にも指針がない。そして何より一段落した後自分の行動を振り返ってそれが良かったのか悪かったのか、満足すべきものだったのかどうなのかを判断する基準が持てない。
やはりそれが問題だったのだと思う。どれだけ特別に見えたことをしても、それが自分の目標に合致していなければ何の意味もないのだ(何の、といいきってしまう事は危険なのかもしれないけれども)。
そんなことを考えながら、引き続き17年に起こったことを考えていて、いえるとしたらということをひとつ見つけた。デビュー自体は16年の9月とかそれくらいだったけど、色々広がったのは17年だと思う。
書いた記事の数は多くない。商業的な媒体に載せてもらったのも4か5本くらい?、それに自分のブログに書いた記事がおそらく同じくらい。
ライターとしてはお粗末というか、もっと書けよボケという感じだろう。だけど数はこんなものかなと思ってはいる。中国について書くライターなんてもともと多くはないけど、それにしたって大きな部分は既に占められているし(普通のライターでいえば、そもそも占められていない分野なんてほぼなくてその上で戦うわけなんだけど)、僕が書く意味がある内容というのは少ない。色々試しながら、そんなことがわかってきた年だと思う。
僕は本業が別にある。だから別にライター業から得られる収入は気にしない。コスパで仕事を見ない。書きたいことを書くだけだ。ていうか、書きたいことを書くなんて別にベテランでもないのに言って書かせてもらえる場所があるということはありがたいし、幸せだと思っている。素人がなんだよそれ偉そうにって話ですよ普通。
そんなワガママを許してもらった上で、書いた記事については比較的いい評価をもらえた。まあ玄人筋にだけど…。自分は素人出身だし、「前提知識はないけどそれなりに知識欲はある素人」をターゲットに書いたつもり。だけどそういう人にはまだリーチできていない…ってまあ当たり前だけどね。質はちゃんと保った上でもっと数を書いていかないと。
リーチということで書くと、17年の成功といえるのは1本記事がすごくバズったこと。詳しいことはおもいっきり特定されそうなので書かないけど翻訳で、例えば今年中国ネタとしてはわりと流行ったような深センすげえな!みたいなのとは全く違う、正直自分でもそんなものが読まれた理由がよくわからないといえばよくわからないもの。バズった原因は何人かの有名人が取り上げてくれたことだってのはわりと明確でそれは別に驚きではあっても不思議ではないんだけど、バズった後でもその理由はよくわからんのよね。理由がわからなけりゃ再現性もあんまりない…というのがちょっとした後悔というか残念ポイント。
あとは友だちの本の校正なんかも2冊分やらせてもらった。これやりがい搾取ちゃうか、とかプロの校正はいらねえのかよ、というような思いはもちろんあるんだけど、結構文章にうるさい(と思う)僕は校正作業大好きだし、その過程で色々学びもある。尊敬する人のナマの原稿を読んで偉そうなことが言える機会ってのも多くはない笑。
そんな意味では本業ではないこの「書く」という方面では、それなりに爪痕を残せたのかもしれない…とはいえ、やはり数が圧倒的に少ないので、インパクトには欠けるわな。
では僕は今年、18年にどうあるべきかということは明日にでも書こうと思う。明日の予定は結局飛んで、夜もしかしたら外で飯を食うかも、という程度。じっくり考える時間はあるはずだ。本も読みたい。
年末恒例の日記読み返しをやらなかったもので、このページを開いたあとに17年のものを全部読みました…とはいえ、近年本当に月1か2本くらいしか書いていないので、全部読んだってかかる時間は知れてるんですけど。
そう、でふと今思ってこの日記を書き始めたのはいつかの1月2日だよな、ということで遡ってみると、一番最初の日記は2004年。まだ大学生ですよ。随分遠い、とは不思議と思わないんだけど、それでも年数で考えるとそりゃ遠いですよね。でもあの頃と、1年前に起こったことの間にあんまり距離を感じない。それが老いたってことなのかもしれないけど。
04年の日記は別に読んでないけど、大体どんなことがあったかは覚えてる。特に04年を比較対象としてどうのこうのというわけではないけれど(これは17年に結構頻繁に感じたことかもしれない)、ほんと想像もできないところまできたよね、俺。ひたすらに、遠くまで来たという感覚。
17年はどういう年だったのかという事を考えると、とても変な年だったと思う。前もちょっと書いたかもしれないけど17年は年初にちゃんとした目標を立てていないので、あまり効果的なPDCAができない。書いたのは2つだけ、
1)中国語
確実に上達している。確かこれを書いたときはちょっとした手詰まり感があったんだけど、それでも多分毎日中国語できったはったさせられていれば、伸びるといえば伸びるだろう…とはいえ、やっぱり喋りはまだ全然ダメ。聞くのはよっぽどのことがなければ大丈夫にはなったが。
でも喋りも(発音は非常に恥ずかしいが)、通訳いなければいないでどうにか社内会議なら参加できるようになってきた気がする。まあそのレベルかと言われればそうだし、通訳なしでも結局困って周囲の日本語喋れる子に通訳を頼むハメになることも結構あるんだけど、それでもね。正直まだ無理レベルだけど、無理レベルなら無理レベルでも歯を食いしばって自分を厳しい場に投げ込まないとね。だけど無理レベルと書いてるとはいえ、今までは本当に無理だったのが、「つらい‥」くらいになったということは進歩なのでしょう。
ただし、自分でもこれが満足できるレベルに達しているとは全然思いません。満足ってなんや非現実的な目標立て過ぎちゃうか、と言われるとうむむという感じなんだけど、一応「喋りまでなんとかこなせる」が目標だったはず。上に書いた程度を「なんとか」というのはまだちょっとね…惜しいといえば惜しいんだけど。
2)お嬢
はいこれ完全に未達成。年初には「まああと数回くらいで白黒つくでしょ」とか言ってるのに全然ついてねえのな、しかも今年は「広州いくわ」って数回言われてそれをドタキャンされたり、当日台北だったり(まあこれは僕の責任)突然連絡取れなくなったりまあ振り回された年ではあります。こういうことやってるから「もしやM?」とか言われるんかね俺。
そろそろ決めたいなあ、というのはもうずっと考えていることで、彼女が広州に来たら…とか思ってるんだけどなんかねえ、タイミングがねえ…もうよくわからんわ。でもそれもどこかに書いた通り、他に行く気とかは一切ないのよね。なんなんすかね。
ちょこっと周りには言い始めてるんだけど、なんかこの1年でそうね、もしかしたら人生的に結構変わったかなと思ったのは、結婚観かも。まだ結婚したいとかそういう話ではないしそこに続いていくかもわからないんだけど、今の環境は前までと違って既婚者がとにかく多い。中国人は結婚が早いし、日本人同僚も結構結婚してる。いままでとは真逆だから、なんとなくそういう人と日夜居ると「結婚するのが普通」って思えてくるね。不思議だね。結局は僕も他人に影響される人間ということです。当たり前だけどさ。自分としては「するのが普通」と「したい」は同じ方向ではないしわりと距離があるんだけど、さてどうでしょう。
その他で17年のトピックってなんだろう。キューバ行ったよね。バラデロが天国だったことはすごく印象がある反面、ハバナはあんまりいい印象がない。悪くはないけど別にいかないよな、って感じ。
自分の記憶でもブログの記録でも、17年はなんかすごく平坦だった気がする。着実に起こるべきこと、やるべきことはやったし起こったけど、別になにも意外なことはない。
そもそも僕は今現実ではない、いわば夢の中で生きているから平坦というのはおかしいのかもしれない。踊り場というのか?でも踊り場は成長の間での表現だよな。成長しないとかしてないとかそういったことをここでは言いたいわけじゃない。
誰かを面接している時に自分で言ったことだけど、目標が明確でない人間は当然をそれをプロセスにも分解できないし、行動にも指針がない。そして何より一段落した後自分の行動を振り返ってそれが良かったのか悪かったのか、満足すべきものだったのかどうなのかを判断する基準が持てない。
やはりそれが問題だったのだと思う。どれだけ特別に見えたことをしても、それが自分の目標に合致していなければ何の意味もないのだ(何の、といいきってしまう事は危険なのかもしれないけれども)。
そんなことを考えながら、引き続き17年に起こったことを考えていて、いえるとしたらということをひとつ見つけた。デビュー自体は16年の9月とかそれくらいだったけど、色々広がったのは17年だと思う。
書いた記事の数は多くない。商業的な媒体に載せてもらったのも4か5本くらい?、それに自分のブログに書いた記事がおそらく同じくらい。
ライターとしてはお粗末というか、もっと書けよボケという感じだろう。だけど数はこんなものかなと思ってはいる。中国について書くライターなんてもともと多くはないけど、それにしたって大きな部分は既に占められているし(普通のライターでいえば、そもそも占められていない分野なんてほぼなくてその上で戦うわけなんだけど)、僕が書く意味がある内容というのは少ない。色々試しながら、そんなことがわかってきた年だと思う。
僕は本業が別にある。だから別にライター業から得られる収入は気にしない。コスパで仕事を見ない。書きたいことを書くだけだ。ていうか、書きたいことを書くなんて別にベテランでもないのに言って書かせてもらえる場所があるということはありがたいし、幸せだと思っている。素人がなんだよそれ偉そうにって話ですよ普通。
そんなワガママを許してもらった上で、書いた記事については比較的いい評価をもらえた。まあ玄人筋にだけど…。自分は素人出身だし、「前提知識はないけどそれなりに知識欲はある素人」をターゲットに書いたつもり。だけどそういう人にはまだリーチできていない…ってまあ当たり前だけどね。質はちゃんと保った上でもっと数を書いていかないと。
リーチということで書くと、17年の成功といえるのは1本記事がすごくバズったこと。詳しいことはおもいっきり特定されそうなので書かないけど翻訳で、例えば今年中国ネタとしてはわりと流行ったような深センすげえな!みたいなのとは全く違う、正直自分でもそんなものが読まれた理由がよくわからないといえばよくわからないもの。バズった原因は何人かの有名人が取り上げてくれたことだってのはわりと明確でそれは別に驚きではあっても不思議ではないんだけど、バズった後でもその理由はよくわからんのよね。理由がわからなけりゃ再現性もあんまりない…というのがちょっとした後悔というか残念ポイント。
あとは友だちの本の校正なんかも2冊分やらせてもらった。これやりがい搾取ちゃうか、とかプロの校正はいらねえのかよ、というような思いはもちろんあるんだけど、結構文章にうるさい(と思う)僕は校正作業大好きだし、その過程で色々学びもある。尊敬する人のナマの原稿を読んで偉そうなことが言える機会ってのも多くはない笑。
そんな意味では本業ではないこの「書く」という方面では、それなりに爪痕を残せたのかもしれない…とはいえ、やはり数が圧倒的に少ないので、インパクトには欠けるわな。
では僕は今年、18年にどうあるべきかということは明日にでも書こうと思う。明日の予定は結局飛んで、夜もしかしたら外で飯を食うかも、という程度。じっくり考える時間はあるはずだ。本も読みたい。
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