朱鷺を看る者によせる哀歌 / 転向
2014年6月1日 考え事
なんすかね、このブンガク的なタイトルは。
金曜は最近続いていたお引き合わせシリーズのいまんとこ最終回、「反社飲み」。超コアかつディープな趣味(?)をもつ人たちの情報交換の仲立ちをする黒い紳士役でした。いやあ、個室予約しといてよかった。
まあ話の内容は割りと専門的だったしいいとして、そこで感じたのはこの業界も終わりつつある、ということ。
えーとどこまでが書いていい範囲か迷うんだけど、総会屋って昔いたじゃないですか。最近聞かないと思いません?逮捕とかすらされていない。小池隆一やら小川薫辺りが最後だったんでしょう(知らんでしょうな)。聞いた話では昔の大手企業には必ずそういった「特殊株主」対応のセクションがあったりしたらしいのですが、いまとなっては総務と言ったら暇そうなおばちゃんがお茶汲んでるイメージになっちゃってる。
僕だってそんな時代を直接知ってるわけではありませんが、そんな話があったわけです。今回会ったのはその対策班ではないんですが、それに近い部隊の人。しかし出てくる情報は微妙というか…わりと昔話に終始した感じ(少しだけ最新の手法も話題に出たけど)。昔のワルがいまどうしているか、とかそういった話。彼らが相手にしていたワルがいなくなれば、彼ら自身も役割を失うということなのかもしれませんね、とちょっとした感慨でした。僕が連れてった人は現役バリバリな人だったんですが、老人(ではないんだけどね)の昔話につきあわせちゃったかな、とちょっと申し訳なく思いました。老人は喜んでたように見えたけどね。
ちなみに元ネタは
朱鷺によせる哀歌/吉松隆
な。
転向。昨日はげろまずな焼肉をケタロウさんと食べていました(この人と飯を食うとやたらまずくて安いところにいく羽目になる)。久しぶりに登場、ケタロウさんは実はアメリカに行っていました…ってそのことは書いたな(http://42583.diarynote.jp/201301150000519309/ )。そう、社長なのに語学留学していたのですが、なんか知らんけど帰ってきたのです。
で、アメリカでも色々もまれた結果、彼はプロダクト寄りのことをやりたい気持ちがさらに強くなったようです。
面白かったしうれしかったのは、最初に飲んだ時の事を彼がいまだに覚えていてくれたこと。彼はその当時は僕の考え方をとてもすばらしいと感じ、今はそれを乗り越えた、そんなことを話せたことです。
僕がずっと(これは今でも)コミュニケーション業界を目指した理由は(すごくはしょって書くと)「現代に生まれるプロダクトに本質的な差はない以上、全てはイメージによる。だからイメージを作る仕事が一番良い。プロダクトはどんな意味にせよ幸福感を与えるべきである」というものでした。
例えばビールの味の違いなんて、目隠ししたらおそらくほとんどの人がわからないでしょう。でも「俺はスーパードライが」とか言う人は、要するにそのブランドを買って、飲んでいるということ。「辛口が好きな俺」みたいなね。で、そういう人たちを喜ばせるためにそのブランドを大きく見せ、「このブランドを信じてフォローする俺」を正当化してあげることがこの仕事の要諦だと思っていました(というか思っています、というか)。
僕は、資本主義が行き着く先はそうだと思ったし、「持つことで幸せを感じる」ブランド(広義の「ブランド」ね)を作ることは人の幸せを生むことだと信じている。それは悪く言えば「嘘」なんだけど、嘘はばれなきゃ嘘じゃないし、現実は不変で自分の視点のみなのであれば、自分が心地よい視点に固着することは別に否定されるべきじゃないと思うんですよ。自分が幸せと感じる世界に浸って何がわるいのか。
でも、彼は言いました。「昔は確かにそうだった。技術を持たないわれわれは自らの手でプロダクトを良くする術を持たず、加えてそもそも設備投資を要する製造業的なアプローチでは、いいプロダクトを個人が生み出すことは現実的に難しかった。しかし今我々にはウェブがあり、プログラミングがある。それによって確実に『Something Good』のための何かを生むことが力がある」と。
ある種のウェブ・テクノロジー万歳論であることは否定しようもないでしょう。楽観的過ぎると。しかし確かにそれは(実現しさえすれば)すばらしい事ではあります。僕は嘘で世界を作ることを否定すべきでない、と書いたけど、実際に「いいもの」が生まれる世の中であったほうがナンボもマシであることは当然。
なんか誌的になっちゃった気もするな。
とにかく、彼はそうした考えに則って広告業界と決別し、プロダクト側に行って世界を変えたい、ということのようでした。広告があんなに、僕の何百倍も好きだった彼は、テクノロジーから広告にアプローチすることからさらに一段上がってプロダクトを作る事、にシフトしたということです。
なんかさらっと書いたけどさ、「世界を変える」っていいよね。ていうかそもそも俺そういうことしたかったんだよね。物質的に世界を変えることは叶わなくても、人々の主観的世界を変えたかったんだよ。最近アホみたいな仕事に追われていたけど、それがこの業界に入った根本だということを思い直したというか…だからといってそれに近づくために何をすればいいのかはよくわからないけどねえ。どうしたらいいのかな。
そして、自分の周りの「仕事ができる人」はこういうことまったく考えてないだろうな、ということがなんか空しい…
ってその辺はしょうがないというか、僕はちょっと視点が高すぎるんです。こんな視点僕くらいの年で持ってても意味がない…わけじゃないけど、僕がよくないのは低い視点を持っていないことなんですよね。皮肉じゃなくて、高い視点だけではなく両方を持って、複眼的に捉えられたらすごく強いんだと思う。でも僕は細かい、低い(決して「低い視点」を下に見てるわけじゃない、という部分は強調したい)視点をもてていない。だから低い視点しか持ってない人とは本当に噛み合わない。彼らには僕が持っている視点は伝わらないから、彼らにとっては僕は「本当に何も持っていない人」なのかもなあ、と思ったりもするのです。
なんか話がまとまらんなー。別にまとまりを期待するものではないけどさ。今日も仕事でした。明日からも仕事です。エンドレス。
金曜は最近続いていたお引き合わせシリーズのいまんとこ最終回、「反社飲み」。超コアかつディープな趣味(?)をもつ人たちの情報交換の仲立ちをする黒い紳士役でした。いやあ、個室予約しといてよかった。
まあ話の内容は割りと専門的だったしいいとして、そこで感じたのはこの業界も終わりつつある、ということ。
えーとどこまでが書いていい範囲か迷うんだけど、総会屋って昔いたじゃないですか。最近聞かないと思いません?逮捕とかすらされていない。小池隆一やら小川薫辺りが最後だったんでしょう(知らんでしょうな)。聞いた話では昔の大手企業には必ずそういった「特殊株主」対応のセクションがあったりしたらしいのですが、いまとなっては総務と言ったら暇そうなおばちゃんがお茶汲んでるイメージになっちゃってる。
僕だってそんな時代を直接知ってるわけではありませんが、そんな話があったわけです。今回会ったのはその対策班ではないんですが、それに近い部隊の人。しかし出てくる情報は微妙というか…わりと昔話に終始した感じ(少しだけ最新の手法も話題に出たけど)。昔のワルがいまどうしているか、とかそういった話。彼らが相手にしていたワルがいなくなれば、彼ら自身も役割を失うということなのかもしれませんね、とちょっとした感慨でした。僕が連れてった人は現役バリバリな人だったんですが、老人(ではないんだけどね)の昔話につきあわせちゃったかな、とちょっと申し訳なく思いました。老人は喜んでたように見えたけどね。
ちなみに元ネタは
朱鷺によせる哀歌/吉松隆
な。
転向。昨日はげろまずな焼肉をケタロウさんと食べていました(この人と飯を食うとやたらまずくて安いところにいく羽目になる)。久しぶりに登場、ケタロウさんは実はアメリカに行っていました…ってそのことは書いたな(http://42583.diarynote.jp/201301150000519309/ )。そう、社長なのに語学留学していたのですが、なんか知らんけど帰ってきたのです。
で、アメリカでも色々もまれた結果、彼はプロダクト寄りのことをやりたい気持ちがさらに強くなったようです。
面白かったしうれしかったのは、最初に飲んだ時の事を彼がいまだに覚えていてくれたこと。彼はその当時は僕の考え方をとてもすばらしいと感じ、今はそれを乗り越えた、そんなことを話せたことです。
僕がずっと(これは今でも)コミュニケーション業界を目指した理由は(すごくはしょって書くと)「現代に生まれるプロダクトに本質的な差はない以上、全てはイメージによる。だからイメージを作る仕事が一番良い。プロダクトはどんな意味にせよ幸福感を与えるべきである」というものでした。
例えばビールの味の違いなんて、目隠ししたらおそらくほとんどの人がわからないでしょう。でも「俺はスーパードライが」とか言う人は、要するにそのブランドを買って、飲んでいるということ。「辛口が好きな俺」みたいなね。で、そういう人たちを喜ばせるためにそのブランドを大きく見せ、「このブランドを信じてフォローする俺」を正当化してあげることがこの仕事の要諦だと思っていました(というか思っています、というか)。
僕は、資本主義が行き着く先はそうだと思ったし、「持つことで幸せを感じる」ブランド(広義の「ブランド」ね)を作ることは人の幸せを生むことだと信じている。それは悪く言えば「嘘」なんだけど、嘘はばれなきゃ嘘じゃないし、現実は不変で自分の視点のみなのであれば、自分が心地よい視点に固着することは別に否定されるべきじゃないと思うんですよ。自分が幸せと感じる世界に浸って何がわるいのか。
でも、彼は言いました。「昔は確かにそうだった。技術を持たないわれわれは自らの手でプロダクトを良くする術を持たず、加えてそもそも設備投資を要する製造業的なアプローチでは、いいプロダクトを個人が生み出すことは現実的に難しかった。しかし今我々にはウェブがあり、プログラミングがある。それによって確実に『Something Good』のための何かを生むことが力がある」と。
ある種のウェブ・テクノロジー万歳論であることは否定しようもないでしょう。楽観的過ぎると。しかし確かにそれは(実現しさえすれば)すばらしい事ではあります。僕は嘘で世界を作ることを否定すべきでない、と書いたけど、実際に「いいもの」が生まれる世の中であったほうがナンボもマシであることは当然。
なんか誌的になっちゃった気もするな。
とにかく、彼はそうした考えに則って広告業界と決別し、プロダクト側に行って世界を変えたい、ということのようでした。広告があんなに、僕の何百倍も好きだった彼は、テクノロジーから広告にアプローチすることからさらに一段上がってプロダクトを作る事、にシフトしたということです。
なんかさらっと書いたけどさ、「世界を変える」っていいよね。ていうかそもそも俺そういうことしたかったんだよね。物質的に世界を変えることは叶わなくても、人々の主観的世界を変えたかったんだよ。最近アホみたいな仕事に追われていたけど、それがこの業界に入った根本だということを思い直したというか…だからといってそれに近づくために何をすればいいのかはよくわからないけどねえ。どうしたらいいのかな。
そして、自分の周りの「仕事ができる人」はこういうことまったく考えてないだろうな、ということがなんか空しい…
ってその辺はしょうがないというか、僕はちょっと視点が高すぎるんです。こんな視点僕くらいの年で持ってても意味がない…わけじゃないけど、僕がよくないのは低い視点を持っていないことなんですよね。皮肉じゃなくて、高い視点だけではなく両方を持って、複眼的に捉えられたらすごく強いんだと思う。でも僕は細かい、低い(決して「低い視点」を下に見てるわけじゃない、という部分は強調したい)視点をもてていない。だから低い視点しか持ってない人とは本当に噛み合わない。彼らには僕が持っている視点は伝わらないから、彼らにとっては僕は「本当に何も持っていない人」なのかもなあ、と思ったりもするのです。
なんか話がまとまらんなー。別にまとまりを期待するものではないけどさ。今日も仕事でした。明日からも仕事です。エンドレス。
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