幸福を感じるためには秘儀が必要? /珍しい仕事
2013年2月17日 考え事 以前からちょいちょい書いている幸せの話。
僕は幸せになりたいと思っている。誰でもなりたいかなりたくないかで言えば絶対になりたいんだけど、そういう意味じゃなく、もっと意識の表層にそういう事がある。ただ、金を稼ぐことと違って、幸せになるためにどうすればいいかというのはとても難しい。「何を達成すればいいのか」がわからなければ、それに向けてどう努力すればいいのかわからない。
だから「幸せになりたいな」と考えている時間というのは実は「何が起こったら幸せと感じるか」について考えている時間なのだ。
ベトナムで得た新たなキーワードのひとつが、「幸せと不幸せは一直線上にない」ということ。なんとなく幸せの反対は不幸だと思ってしまいがちだけど、この二つは実はまったく別の要因で、不幸を解消する要素がいくら増えたところで幸せにはならないということ。
不幸を解消する要素とは例えば健康だとか、仕事場の環境だとかそういったもの。あるサイトでは「デパートのトイレが汚かったら行く気が失せるが、きれいだからといってデパートに行く理由にはならない」という例を出していた。これ、わかりやすい。
この元ネタは産業心理学なのかな、ハーズバークという人の二要因理論の中で「衛生要因」として説明されているらしい。
困ったことに、ぱっと思いつく「幸せになる方法」が、この話を聞いた後に考えてみると大体衛生要因だってこと。金、仕事、人間関係。いずれもなかったら確実に不幸だけど、かといって沢山あったからそれだけ幸せになるものでもない(し、これは別の議論だろうけど副作用もある)。
話を戻す。前にも書いたように、幸せは相対的なものだと思う(だからこそ明確に定義しにくいわけで)。周囲の誰か、過去の自分、なんでもいいけどそういった比較対象と比べての幸せであるように思う。またもしかしたら以前ちょっと書いたように(http://42583.diarynote.jp/201206170302395670/)、幸福という状態は存在せず、「自分が幸福であると信じている状態」だけがあるのかもしれない。まず「確信」があり、だからこそ物事の判断に迷わず、確信があるからその判断の結果訪れる結果をポジティブに受け止められる。
その確信を自分の中で育てるためにはどうすればいいかなー?とぼんやり考えていたときに、「秘儀」ってのが出てきたのね。かたちとしては新興宗教論とか、あとチャルディーニの影響力の武器で出てくる「組織の結束を強くするためには」みたいな話で、簡単に書くなら色んな国では組織に入るときに特有の結構つらい儀式(痛みに耐えるとか)を課していて、それを通り抜けたからこそ「優れた組織の一員だ」というような連帯感を持てるらしいんです。
ちょっと脱線するとそれと外見(服装とか刺青とか)や内面(食事制限とか)、行動(決まった時刻にお祈りとかお布施とか)を組みあわる事で信者自身に自分と他者の違いを自覚させ、また多少嫌なことがあっても戻れないという気持ちにさせるのがいやな宗教のやり方ですね。あとは家族とか人間関係崩壊させればなおよし。
まあ今日の話題は新興宗教じゃないから幸せに話を戻すと、秘儀、もっと簡単な言葉を使うなら何らかの運命的っぽい偶然とか苦難の克服とか、そういったことがあるともしかしたら「俺いま幸せだな~」って思える確率があがるのかな?と思ったのでした、という話です。かといってそれを人為的に作り出すって大変そうだけど…。
今年の目標に一個追加。珍しい仕事の人に会う。これむかーし、確か10代のある年の目標だったんだけど、今年はこれを復活させてみようと思いました。なんか人生暇つぶしっぽいけど…。
ちなみに最近会った珍しい職業の人…を考えていたんだけど、あんまりいないのよね。新聞記者は意外と珍しいとは思うんだけど、歌手、詐欺師(これは普通に暮らしてたら会わないよな)、作家、超高級不動産屋…多分そんなもん。仕事関係であった人除くね。
代理店やってれば会いそうなクリエイターみたいなのにはあんまり興味なくて(TV関係とか映画とか)、やくざ…は本物にあったら怖そうだから嫌だけど、なんか物語の中にいそうな人と会えないかな~?とりあえず周囲に自分の目標を吹聴しまくってみようと思います。
僕は幸せになりたいと思っている。誰でもなりたいかなりたくないかで言えば絶対になりたいんだけど、そういう意味じゃなく、もっと意識の表層にそういう事がある。ただ、金を稼ぐことと違って、幸せになるためにどうすればいいかというのはとても難しい。「何を達成すればいいのか」がわからなければ、それに向けてどう努力すればいいのかわからない。
だから「幸せになりたいな」と考えている時間というのは実は「何が起こったら幸せと感じるか」について考えている時間なのだ。
ベトナムで得た新たなキーワードのひとつが、「幸せと不幸せは一直線上にない」ということ。なんとなく幸せの反対は不幸だと思ってしまいがちだけど、この二つは実はまったく別の要因で、不幸を解消する要素がいくら増えたところで幸せにはならないということ。
不幸を解消する要素とは例えば健康だとか、仕事場の環境だとかそういったもの。あるサイトでは「デパートのトイレが汚かったら行く気が失せるが、きれいだからといってデパートに行く理由にはならない」という例を出していた。これ、わかりやすい。
この元ネタは産業心理学なのかな、ハーズバークという人の二要因理論の中で「衛生要因」として説明されているらしい。
困ったことに、ぱっと思いつく「幸せになる方法」が、この話を聞いた後に考えてみると大体衛生要因だってこと。金、仕事、人間関係。いずれもなかったら確実に不幸だけど、かといって沢山あったからそれだけ幸せになるものでもない(し、これは別の議論だろうけど副作用もある)。
話を戻す。前にも書いたように、幸せは相対的なものだと思う(だからこそ明確に定義しにくいわけで)。周囲の誰か、過去の自分、なんでもいいけどそういった比較対象と比べての幸せであるように思う。またもしかしたら以前ちょっと書いたように(http://42583.diarynote.jp/201206170302395670/)、幸福という状態は存在せず、「自分が幸福であると信じている状態」だけがあるのかもしれない。まず「確信」があり、だからこそ物事の判断に迷わず、確信があるからその判断の結果訪れる結果をポジティブに受け止められる。
その確信を自分の中で育てるためにはどうすればいいかなー?とぼんやり考えていたときに、「秘儀」ってのが出てきたのね。かたちとしては新興宗教論とか、あとチャルディーニの影響力の武器で出てくる「組織の結束を強くするためには」みたいな話で、簡単に書くなら色んな国では組織に入るときに特有の結構つらい儀式(痛みに耐えるとか)を課していて、それを通り抜けたからこそ「優れた組織の一員だ」というような連帯感を持てるらしいんです。
ちょっと脱線するとそれと外見(服装とか刺青とか)や内面(食事制限とか)、行動(決まった時刻にお祈りとかお布施とか)を組みあわる事で信者自身に自分と他者の違いを自覚させ、また多少嫌なことがあっても戻れないという気持ちにさせるのがいやな宗教のやり方ですね。あとは家族とか人間関係崩壊させればなおよし。
まあ今日の話題は新興宗教じゃないから幸せに話を戻すと、秘儀、もっと簡単な言葉を使うなら何らかの運命的っぽい偶然とか苦難の克服とか、そういったことがあるともしかしたら「俺いま幸せだな~」って思える確率があがるのかな?と思ったのでした、という話です。かといってそれを人為的に作り出すって大変そうだけど…。
今年の目標に一個追加。珍しい仕事の人に会う。これむかーし、確か10代のある年の目標だったんだけど、今年はこれを復活させてみようと思いました。なんか人生暇つぶしっぽいけど…。
ちなみに最近会った珍しい職業の人…を考えていたんだけど、あんまりいないのよね。新聞記者は意外と珍しいとは思うんだけど、歌手、詐欺師(これは普通に暮らしてたら会わないよな)、作家、超高級不動産屋…多分そんなもん。仕事関係であった人除くね。
代理店やってれば会いそうなクリエイターみたいなのにはあんまり興味なくて(TV関係とか映画とか)、やくざ…は本物にあったら怖そうだから嫌だけど、なんか物語の中にいそうな人と会えないかな~?とりあえず周囲に自分の目標を吹聴しまくってみようと思います。
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