僕はおそらく、人と比べれば結構文字を読むほうだと思う。といってもその「文字」はウェブ媒体の占める割合がかなり多くて、実際の紙の本を読む量は、たいして多くはない。昔のほうが、確実に読んでいたんじゃないかな。
 じゃ、たまに読む紙の本は何が多いかといえば、(まんがを除けば)ノンフィクションが圧倒的に多い。特に旅行前にブックオフなどできっちり書き込まれたノンフィクションが100円で大量に叩き売られているのを「救出」するなんてのは割と幸福を感じる瞬間である。いや、ちゃんと本屋で買えよ、というのは正論なんだけどね、ノンフィクションは文庫化されることが少ない気がするし、ハードカバーは高いのよ…。あとこれは自分の至らない部分かもしれないけど、よーーーーっぽどじゃないと、ノンフィクションは二度読まない。タネが明かされた密室殺人モノよりも、読む気が起きない。なんでだろうね。だからどうしても100円読み捨てになってしまう。

 さて、最近HONZ(http://honz.jp/)というサイトがあることを知った。ノンフィクションを専門に取り上げる書評サイトらしい。知ったのはそれより少し前だと思うけど、数週間前?読んだ「和僑」という中国関係の作家さんの本のレビュー(http://honz.jp/20505)が結構よく書けているなー、と思って興味をなんとなく持っていて、しかも旅行前で本を探していた時に面陳してあって手に取ったのがこの「ノンフィクションはこれを読め!」であったわけ。前書きによれば、HONZに掲載された500本だかのレビューから150本を厳選したのが本書であるらしい。
 別に書評本の書評を試みようメタ的な取り組み!とか意気込んでこんなものを書いているのではなくて、まあ要するにとても読みながら残念さのあまりクラクラしてオエってなりながらもせっかく金出したんだし1Pなりの独立書評ものなんだから別に最初が気に食わなかったから最後までそうであるというわけではないんだし最後まで読んだんだよボク!というような事を主張したかった…わけでも多分なくて、いや多分にそういう事はあるんだけど、それでも多少は学ぶことがあったからこそ書いておこうかなと思ったんですよ、ホントですよ。
 
 気に食わない点は主に、3点(外資のプレゼンみたいだな)。
 最大の理由は書評じゃないものが多く混じっている、ということ。エラい根本的な話だけど。「ノンフィクションはこれを読め!」というタイトル通り、こうした書評(レビュー)は「自分が面白いと思った本を、まだそれを知らない人に(本物を読んだ時にまだ面白いさを残す形で)紹介する、読みたい気持ちにさせる」のが目的であることは誰も疑わないと思う。
 だけど、この本に収録されているいくつかの記事は、とても申し訳ないけれど読んでいてこの目的を理解していないで書いているのでは?と思わされる。多いのは読書感想文、または本のサマリと化していること。ぱっとどの項目がと槍玉にあげられないけど、これはそもそも書評が陥りやすいポイントなのかもしれないし、さらに酷い表現を使うなら書評として機能していなくったって本について書いているんだから最低でも読書感想文にはなるわな、と言ってしまうこともできるかもしれない。

 あとはダシとしてその本を取り上げているだけのもの。例えば「白い死神」というフィンランドの狙撃兵シモ・ヘイヘを取り上げた本を紹介している項は(少し変形だけど)あちゃー感が一番強く心に残った箇所で、何しろ本の内容に触れているのは最初の1パラグラフ10行(「この本はシモ・ヘイヘのインタビュー本だよ」と言うだけの内容)だけで、残りの120行くらいはこのヘイヘの紹介とフィンランド史の紹介に割かれている。いくら「(本書では触れられていないが)知っているかで本書の面白さが大きく変わる」からといってそりゃないだろう、というかこの人自分が紹介すればとりあえず読者は買うから、買ってから俺の書評とあわせて読んでくれよ、とでも思ってるのか?とさえかんぐりたくなってしまう。だって順番違うでしょ。普通の人は書評読んでから本買うんだから…。「閉じこもるインターネット」もクッキーなどネット上の行動履歴の売買の現状について紹介しているだけで、こちらは本に何が書いてあるかまったく触れていない。いいのかそれ(もしかしたら本の中で紹介されていることを取り上げているのかもしれないが、そう明示しないのはそれはそれで問題では…)?
 
 もうひとつは書き手または僕の能力不足でそもそも何を言いたいのかさっぱりよくわからない文章。「ひとり家飲み通い飲み」などがそうで、評を3回くらい読んだけど結局そもそもこの本が何を取り上げた本なのかわからないまま(家飲みの素晴しさを説く、という内容の文章が1つだけある…けどそんなものはタイトルでわかるでしょ)。そういう意味では感想文にすらなってない。評者はきっとこの本を好きなんだろうな、というのだけは伝わるけど、まるでアヒルの群れにガチョウが我が物顔で混ざっているのを見つけてしまった感じ。あ、別に他が全部優れているのに、という意味じゃなくてね。ただ同じ評者でも「漁業と言う日本の問題」とかはちゃんとした評になっているから、要するにこれはフィルタリングの甘さなんじゃないか(逆に500から150選んでこれが残るのでは残りの350は一体…)ということ。

 一つ目の理由が長かったな…最初に「課題は3つあって」と切り出すけど2つめに移る辺りで既に残りで何を喋りたかったか忘れる辺りも外資系っぽいっすね。酷いときは「3つ」って指を出してる時点でようやく1個目を何にするか思いついてるとかだからね。とりあえず、3つ。

 2つめは確か、ちゃんとした校正校閲を通り抜けていないと思われること。というか上で書いたように評のセレクションにもブレを感じるし、全体的に編集がうまくいってないのかな。
 ウェブ媒体には校閲がちゃんと入らないと言うのは確か小田嶋隆が日経ビジネスオンラインかどこかで書いていた。確かにかの媒体はよく自分が読みに行く頃には文末にぞろぞろと誤字脱字の訂正の報告が載っていたりすることも多い(それをちゃんと公表するのは偉いと思うけど)。僕は結構文章は正しく書かせるべきだから校閲は無料の媒体であってもメディアを自称するからには(といって自分の誤字脱字や日本語の至らなさを許してほしいという趣旨ではないよ)ちゃんと行われるべきだと思うけれど、きっとそれは読者の論理であって、そんな経費かけらんねえよしかも別に無くても文章自体が形にならないわけでもないし、といわれれば確かにねといわざるを得ない。しかもHONZは別に大手出版社系のサイトでもなんでもなく、代表は有名人のようだけど基本的には個人サイトの延長みたいなものなんだと思う。だからそこに期待するのは筋違いかもしれない。
 しかし、これは出自はどうあれ紙の本である。ウェブ上のものは間違いを見つけたらすぐに訂正できるしすればいい、そこの事前チェックに金をかけないのは許せるとして、それを紙に落とす時はちゃんと校閲にかけよう。多分この本はそれをけちっている。言おうと思えば「ウェブのライブ感が」とかなんとか理由はつけられるかも知れないけれども、結局これは「だからウェブ発の文章は質が低い」と思われる原因をまたひとつ増やしているにすぎない。しかも訂正できない証拠とともに。しかも中央公論ってまともな出版社やんか…中央●版じゃないんでしょ(つぶれたっけ?)?「加圧厳菌(「喜びはどれほど深い?」)」とか「日本でもついこのあいだまで羽音が聞こえるくらいバリバリと昆虫を食べていたのだ(「昆虫食入門」)」とか…。
 あとは唖然としたのはちょっと長くなるけど「しかし男は女より多く産まれるという現象はどう考えても自然選択説にそぐわない。なぜなら男女が同数産まれたほうが成立するペアの数が増え、より多くの子孫を残せるからだ(「なぜ男は女より多く産まれるのか」)」って…同数産まれるとなんで成立するペアの数が増えるの???この評でまったく触れられていない同性愛とか重婚をカウントすればそれはその通りだけど、男と女のバランスがどうなろうと、1対1のペアかつ異性愛を前提とする限り成立しうるマックスのペア数は少ないほうの人数だよね…?誤植とかそういう話じゃなくもっと根本的な所がチェックできていない例では…。それともこの本を読むと意味がわかるのかな。

 
 3つめ、いかんね、本格的に忘れたよ。プレゼンでこういう場面になってしまった時は「実は3つめはお話の流れ上、さっきの2つに含まれてしまっていて云々」というような弁解を慌ててするようなことが多いような気がするけど、いやホント今回は何を書こうとしたか思い出せない。思い出したら書きます。

 (数分経過)あ、そうそう3つめは上の2つと比べればたいした話じゃないんだけど鼻についた、って話だ。なんかメンバーによるHONZ絶賛コラムみたいなのが随所に挟んであって、読まされた(って別に強制じゃないけれども)僕はただ「そうですか。楽しそうでいいですね(棒」とそういった感想を抱かざるを得なくて白目でした、という話だ。別に外向きに書かなくてもいいのにねえ…というだけだけどね。


 で、まあそんな不満は数々あれど、読んでいてそれでも「読んでみようかな」と思わされた本はあるので、あげていきましょう。まあ実際まだ読んだわけじゃないから何も書けないしあくまで自分メモな。"/"の後は評者。

牡蠣と紐育 マーク・カーランスキー / 土屋
IT時代の震災と核被害 宮台真司他 / 久保※「核」じゃなくて「原発」じゃないのかな…読んでないけど
摩擦との闘い 日本トライポロジー学会 / 村上
宙へ挑む リチャード・ブランソン / 高村
クリーニング革命 古田武 / 久保
子供の無縁社会 石川結貴 / 栗下
江戸時代に描かれた鳥たち 細川博昭/ 新井
アイ・ウェイウェイは語る ハンス・ウルリッヒ・オブリスト / 新井
情熱の階段 日本人闘牛士、たった一人の挑戦 濃野平 / 高村
ウイルスと地球生命 山内一也 / 久保
ハチはなぜ大量死したのか ローワン・ジェイコブセン / 久保
寄生虫のはなし わたしたちの近くにいる驚異の生き物達 ユージーン・H・カプラン / 久保
砂 文明と自然 マイケル・ウェランド / 久保
大村智 2億人を病魔から守った化学者 / 仲野
なぜ本番でしくじるのか プレッシャーに強い人と弱い人 シアン・バイロック / 栗下
喜びはどれほど深い? 心の根源にあるもの ポール・ブルーム / 山本
偶然の科学 ポール・ワッツ / 高村
友達の数は何人? ダンパー数とつながりの進化心理学 / 成毛

150冊の内17冊というのを多いと見るか、少ないと見るか。元々ノンフィクション好きとはいえ好きなジャンルは事件や検証ものが多いという分野の違い(この本にはそのジャンルは少ない)はあろうけれども、やっぱりもう少し多くてもいいんじゃないかなと思いましたとさ。

 旅先でまで何やってんだかねえ…。

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