断片メモ

2012年10月6日 日常
 不幸→ふつう→幸福は一直線上のものであるように見えて、そうではない。不幸な人を救済することと、普通の人に幸福を感じさせることはまったく別の世界の話、とか、健常者に風邪薬を与えた所で何も起こらないと書くといかに当たり前か感じられるけど、わりと直線状と思ってしまうことのほうが多い気がする。また、不幸は客観的に不自然な状態であったり原因が明確な場合が多いが幸福でない、というのはそれと比べるととてもあいまいな状態。
 そもそも人は持続的に、現在形で幸福を感じることはあるのだろうか?そのあたりをもっと調べなければいけない気がする。


 SHARPの件を見ていてもそうだし最近何回か書いている世界的なもののサプライチェーンのお話は結局のところ、垂直統合と水平分業のどちらを取るのか(というか水平分業の徹底マンセー)?という所に収斂している気がするが、そのような指摘を全く他で見ない。
 ただ従来のこの二つの選択肢では水平化した時にとれるシェアがひとつの最終製品のとある工程全部、だったのが今は工程がとても細かく刻まれてモジュール化した分、似たような他の製品の工程にも入り込むことができるようになって相互の乗り入れが活発化、結果としてひとつの製品を作り上げるのに関わるサプライヤーの数が昔より増えている、裏返せば少量多品種生産が進むことによりひとつのサプライヤーが関わる製品が多くなるために、その一か所が潰れると及ぶ影響がやたら大きくなるというような構造になってしまっている気がする。
 しかもその最適サプライヤも過度の潰し合いのサバイバーなので代替業者がおらず(自分のコア事業以外に投資をするなんて体力の無駄、となると競争に負けた業者は「2位のままでも事業を継続していつか1位の座を奪い取ろう」ではなく、新たなニッチを探してさまようか、1位に吸収される道を選ぶでしょう)、ねじ一個の問題とかで製品全体の生産が止まるようになる…そのリスクをどう緩和するか、というかそれってこの構造自体の根本的な問題だからこけたらやばい所は自分のところで資本を入れてある程度垂直化(という言葉が正しいかしらないけど)するか、というような話になるのかな?この辺もちゃんと調べないと裏付けがないけど、そんなことに最近興味があります。
 


 風邪をひいて1週間くらい治らない。ひどい症状があるわけでもない代わりにギリギリ動けない症状が延々続いて気力が削がれる。

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