わりとまじめな本を読んでいる昨今
2012年3月23日 日常
なんか最近全然まじめな本を読めてない、と思って意識的に手に取ったんだけど、読み終えるのに2ヶ月以上かかった気がします。この「ナショナリズム論の名著50」はその値段の割には…って別に安くないけど、僕が知っている本はもちろん、「想像の共同体」みたいな有名本からきわどいものまで幅広くカバーされてて、読むとなんとなくこの学問が俯瞰的にわかった気になれます。amazonはレビュー少ないなあ…。
レビューにもあるようにそもそもナショナリズムっての自体どう定義するかとかにも統一した答えがないようなもんだから、自然といろんな角度やとらえかた、論点の本がある。そのどれだけをカバーできている選び方なのか(またはそれは本当に偏っていないのか)はわからないけど、とりあえず「幅が広いジャンルなんだな」ってのはよくわかりました。1冊ごとの紹介の分量も短すぎず、ちゃんと中身がわかったような気になる程度のものではあって、だけど長すぎて1冊分読むのに苦労するってわけでもないし、そこら辺のバランスがとてもよかったですよ。
こういう企画の常だと思うけどやっぱり書いた人によって相当筆力なのかなんなのかにばらつきがあって「もしかしたら面白いかもしれないけど説明がよくわからん」って章もあったけど、まあしゃあないよね。個人的には特にアーレントの「全体主義の起源」は知らなかったけど相当興味深くて、これは読んどいたほうが良いだろうなと思わされましたよ。これも含めて多分3冊くらいはここに紹介されてる本を買う気がする。でも全体主義の起源は文庫版ないのか…高いよ…
で、「想像の共同体」はさっそく買ってみたけどなんか訳文のせいなのか?読みづらくてとりあえず一旦ペンド。いまは「オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義(大田 俊寛)」を読んでます。とても評判がいいようだし実際謎解き的な意味なのかとても読んでて面白いんだけど、なんだろう…なんとなく流れがよすぎて不安というか、述べたい内容をサポートするような証拠ばっかり集めてきてそれで作ったんじゃないの?というような疑念が浮かぶんですよねー。いや全く根拠なんかないんだけど…。
そう思っちゃうのは特にこの本の前に「情報時代のオウム真理教 」という同じ春秋社の本を読んだ事も大きいのかも。こちらは確か「今後のオウム研究の基礎資料としても使えるように」みたいな意図で書かれていて、あまり解釈せずに情報を詰め込んでるというような印象だったので(とかいってこっちはこっちでなんかあんまり乗り切れずに最後まで読めてないんだけどさ)。
なんだろうなー全然ジャンルは違うんだけど医療小説(?)の「廃用身(久坂部羊)」とかを思い出したりした。どっかに書いたっけな、この小説とかってすごく「作者の主張を展開するための道具としての登場人物、事件と舞台」ってのを強く感じたのよね。そんなところがなんとなく似てると思ったんだと思う。別に「結論ありきだろ」って否定したいわけじゃないのよー表現難しいわー。
そうそう、これを書きながら眠い眠いと思ってるんだけど、最近眠いと思いながら日記を書くことはあってもあまり酔っ払った状態では書いてないよね。別段意識して避けてるわけでもないのになんでだろう。
ちょっと仕事が詰まりすぎててぶはーってなってるけど緩急はついてる気がして、プライベートは結構楽しんでるかもしれません。でも明日も出社だよーだよーだよー。畜生。
レビューにもあるようにそもそもナショナリズムっての自体どう定義するかとかにも統一した答えがないようなもんだから、自然といろんな角度やとらえかた、論点の本がある。そのどれだけをカバーできている選び方なのか(またはそれは本当に偏っていないのか)はわからないけど、とりあえず「幅が広いジャンルなんだな」ってのはよくわかりました。1冊ごとの紹介の分量も短すぎず、ちゃんと中身がわかったような気になる程度のものではあって、だけど長すぎて1冊分読むのに苦労するってわけでもないし、そこら辺のバランスがとてもよかったですよ。
こういう企画の常だと思うけどやっぱり書いた人によって相当筆力なのかなんなのかにばらつきがあって「もしかしたら面白いかもしれないけど説明がよくわからん」って章もあったけど、まあしゃあないよね。個人的には特にアーレントの「全体主義の起源」は知らなかったけど相当興味深くて、これは読んどいたほうが良いだろうなと思わされましたよ。これも含めて多分3冊くらいはここに紹介されてる本を買う気がする。でも全体主義の起源は文庫版ないのか…高いよ…
で、「想像の共同体」はさっそく買ってみたけどなんか訳文のせいなのか?読みづらくてとりあえず一旦ペンド。いまは「オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義(大田 俊寛)」を読んでます。とても評判がいいようだし実際謎解き的な意味なのかとても読んでて面白いんだけど、なんだろう…なんとなく流れがよすぎて不安というか、述べたい内容をサポートするような証拠ばっかり集めてきてそれで作ったんじゃないの?というような疑念が浮かぶんですよねー。いや全く根拠なんかないんだけど…。
そう思っちゃうのは特にこの本の前に「情報時代のオウム真理教 」という同じ春秋社の本を読んだ事も大きいのかも。こちらは確か「今後のオウム研究の基礎資料としても使えるように」みたいな意図で書かれていて、あまり解釈せずに情報を詰め込んでるというような印象だったので(とかいってこっちはこっちでなんかあんまり乗り切れずに最後まで読めてないんだけどさ)。
なんだろうなー全然ジャンルは違うんだけど医療小説(?)の「廃用身(久坂部羊)」とかを思い出したりした。どっかに書いたっけな、この小説とかってすごく「作者の主張を展開するための道具としての登場人物、事件と舞台」ってのを強く感じたのよね。そんなところがなんとなく似てると思ったんだと思う。別に「結論ありきだろ」って否定したいわけじゃないのよー表現難しいわー。
そうそう、これを書きながら眠い眠いと思ってるんだけど、最近眠いと思いながら日記を書くことはあってもあまり酔っ払った状態では書いてないよね。別段意識して避けてるわけでもないのになんでだろう。
ちょっと仕事が詰まりすぎててぶはーってなってるけど緩急はついてる気がして、プライベートは結構楽しんでるかもしれません。でも明日も出社だよーだよーだよー。畜生。
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