昨日ちょっと考えていたんだけど、結局これって外部(のしばしば偉い)者による管理を肯定する考え方だよね。いや共有地の悲劇が、ってんじゃなく、これをどう解決するかって話になると…例えば地球資源の配分でもいいけど、時々僕が書く「最高の統治形態は万能者による善き独裁」みたいな話で、当事者の気持ちを斟酌しない(=影響されない、でもある)誰かの手による管理という考え方が自然に導入されてしまう気がして。

 例えばそれが古典的なムラの共有地に牛を話す話なり入会地で木を切る話なり、それはきっとそのムラの長老とかが決めるわけでしょ。権力者が割り当てる。でも現代ではそんな権力者個人による裁定なんてありえない(基本的に強制執行力がない)し誰からもそんな権力は承認されないわけで、いまの世の中では「外部者」はプレイヤーの誰からも信任をされている中立な組織とかが現実的なモデルになるんだろうけど…果たしてその資格を持つのは誰?ってことが疑問。
 例えば環境問題で普通に考えるなら国連ってことになるだろうけど、分担金で成り立ってるというのは要するに本来的にはその比率だけ負担国に対して忠義を尽くさなきゃいけないわけで、そういった意味では全く中立ではありえない(たとえば地球上には非加盟の国なんてたくさんあるわけで)。公平負担の公平ってのは果たして金額が公平(一律10万ドル/年)なのか、それとも負担感が公平(GNPの1%)なのかってことでもあるかもしれない。

 他にあるのかな?別にその中立的な組織じゃなくて考え方(論理的に「こういう存在なら」という答えの導き方もあるはず)でもいいと思うのよ。その中立ってのは僕がただ思うだけで必須じゃない(その競争の参加者同士の合意形成の方法があるかも)かもしれないし…。
 中立な…ってのは失礼な言い方をすれば楽な解決法ではある。だってそういう調整を誰かに預けてしまえばプレイヤーは安心して自己の利得の最大化だけに専念できるんだから、それってなんか楽っていうか安易?「誰かがやればいいじゃん」みたいな。あ、もちろんその権力を預けた誰かの行為によって自分が強制的に不利益を課される可能性も飲み込まなきゃいけないわけだから、実際はそんなに安易じゃないんだけど(でも多分現実にはそれを諦めるというより権力者を接待するなりして自分のいいように誘導する方に力を使う気がするね)。
 
 とにかく、じゃあそういう外部者による解決に対して、それに対して内部での解決を志向するという考え方も少なくとも論理上はある。内部、即ちプレイヤー同士の合意による合意形成(上でちょっと書いたけど)。多分そのプレイヤー集団からの落伍者をどう罰するか(フリーライダーをどう罰するか)ってのもきっと重要だろうな。
 このモデルを考えると「結果の平等」は難しい場合が多い(全体の資源が有限な以上、誰かが得したら誰かが損する可能性が強い)と思われるから、意思決定プロセスをできるだけ透明にして納得感を与える必要がある。…と考えるとこれの現状での最上が民主主義による多数決なんだろうなぁ…

 ってそうだ思ったけど独裁ってのは切り離しなんだね。外部化。独裁者はその他大勢と違う(例えば神に選ばれている)ってこと。色々な神話を与えることで普通の人から切り離し、それが判断する権力の源泉になる。「偉い(人より賢い)から判断する資格がある」というのは確かに神話としてはそうなんだけど実際は多分「違うから判断する資格がある」というのがそもそもで、「どう違うか」を描写するにあたって「僕たち赤だけどあの人青」って違い方じゃなぜその人に決定権を委ねるのかがよくわからなくなっちゃう。だからわかりやすくするために「だって僕たちよりかしこいでしょ」って…。
 …なんかこれは民衆による独裁者作りの話になってきた気がする(ある意味いまの学会なんかはそうなのかもしれないけど)。そうなるといわゆる軍人出身の独裁者とかにはまったくあてはまらないねこれ。

 ま、いまざっと考えたらこれが限界だけど、ちょっとこのテーマは面白いので引き続き考えようと思います。

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