コイツはくせぇー!XXX以下のにおいがプンプンするぜぇーー!
2009年6月5日 日常ってえわけでもないんだけど、偶然
http://www.futoritai.com/
太りたい人の太る方法
てな所にたどり着きまして。うわーこれはアフィくさいなぁなどと思いながら読んでたら本当にどこまで言っても明治製菓でした、というような話。でもでも、このサイト、マシです。スパムとはいえない。ちゃんと読んだらためになるものを、しかも更新が必要なく自分に負担がかからない形で用意してる。こういうのだったら(「くさい」ので個人的にはやっぱり嫌いだけど)アフィリエイトも生きることくらいは赦されてもいいのかも。まぁ生成が簡単だからなんだろうけどそれにしてもCMSくさすぎるこういうサイト構造、やめればいいのにね。あ、あと当然このコンテンツは「情報量がまとも」ってだけで質がどうかはしりません。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090605
“メディア対権力”というおかしな虚構
毎日正座で読ませてもらってるちきりんさんのブログ。中盤までは「はぁそうですよね」くらい。途中の湾岸の件なんてまぁコピペで持ってこれるくらいありふれた話。もう2億回くらいその「ゲーム」ってやつ聞いたよね、ってな話で。
でも、このエントリの後半部分があるんだからもうそんな瑣末なことはどうでもいい(中盤と微妙にトーンが変わってる所からしても書きながら至ったのかなと思うんだけど)。「メディアが反権力なのではなく、個々のジャーナリストが反権力であっただけ」というその事は今まで全く指摘されてなかったことかなんて知らないけど、少なくとも僕にとっては新鮮で面白い。そうなのかも、って思う。
ただ僕はジャーナリズムに彼ら自身が主張するような「木鐸」だの「権力の監視機能」だのを期待するのは間違ってると思うし、それが裏切られたからといって文句をいってるのを見るとなんだかなぁ、って思う。
直接的には彼らは広告主に露骨でないにしろ(まぁ雑誌だと結構露骨なパターンもある)配慮をするし、そもそも読者にうけないと売れなくて食ってけないという根本的かつ当たり前な問題から「正しいか」よりも「売れるか」が優先されがち(勿論正しくありつづければ信頼され、売れるようになるという長期的な視野に立てればいいしそういう風に動くこともあるけど、そうでないことだってたくさんある)。
だからそういう意味ではちきりんさんのエントリは「ナイーブだね」みたいな感想になってしまうんだけど、ただ志を持って集まった(だろう)個人ジャーナリストが会社を作って新聞やら雑誌やらを刷って売るようになったというのが歴史ならば、どこで彼らの気概は失われ「折れる」のかは気になる。集団は集団であろうとすると社会的手抜き(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E6%89%8B%E6%8A%9C%E3%81%8D)みたいなことは起こるしそういった「ジャーナリスト魂」みたいなものもなくなるのだとすれば、じゃあその意義は何なんだろうとか思ったりね。やはり知らせることは薄めることで、薄めずに広く知らせるなんて、無理なのかな。
うーん眠いからかまとまらんなぁ。クーデターはやっぱり官邸の次は放送局だよなぁ、とかまたどうでもいいことが胸を去来していました。
あと中国流れで勢いで書いたんだろうけど(気持ちはわかる)Googleはメディアじゃありません。単なる意思のないデータベースです…ってつっこむならコメント欄でつっこめよって話だよね。
■ 今日の小ネタ
http://fsokuvip.blog101.fc2.com/blog-entry-1176.html
「けいおん!」じゃなくて「バッハ研究会!」だったら面白かったのに
http://www.futoritai.com/
太りたい人の太る方法
てな所にたどり着きまして。うわーこれはアフィくさいなぁなどと思いながら読んでたら本当にどこまで言っても明治製菓でした、というような話。でもでも、このサイト、マシです。スパムとはいえない。ちゃんと読んだらためになるものを、しかも更新が必要なく自分に負担がかからない形で用意してる。こういうのだったら(「くさい」ので個人的にはやっぱり嫌いだけど)アフィリエイトも生きることくらいは赦されてもいいのかも。まぁ生成が簡単だからなんだろうけどそれにしてもCMSくさすぎるこういうサイト構造、やめればいいのにね。あ、あと当然このコンテンツは「情報量がまとも」ってだけで質がどうかはしりません。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090605
“メディア対権力”というおかしな虚構
毎日正座で読ませてもらってるちきりんさんのブログ。中盤までは「はぁそうですよね」くらい。途中の湾岸の件なんてまぁコピペで持ってこれるくらいありふれた話。もう2億回くらいその「ゲーム」ってやつ聞いたよね、ってな話で。
でも、このエントリの後半部分があるんだからもうそんな瑣末なことはどうでもいい(中盤と微妙にトーンが変わってる所からしても書きながら至ったのかなと思うんだけど)。「メディアが反権力なのではなく、個々のジャーナリストが反権力であっただけ」というその事は今まで全く指摘されてなかったことかなんて知らないけど、少なくとも僕にとっては新鮮で面白い。そうなのかも、って思う。
ただ僕はジャーナリズムに彼ら自身が主張するような「木鐸」だの「権力の監視機能」だのを期待するのは間違ってると思うし、それが裏切られたからといって文句をいってるのを見るとなんだかなぁ、って思う。
直接的には彼らは広告主に露骨でないにしろ(まぁ雑誌だと結構露骨なパターンもある)配慮をするし、そもそも読者にうけないと売れなくて食ってけないという根本的かつ当たり前な問題から「正しいか」よりも「売れるか」が優先されがち(勿論正しくありつづければ信頼され、売れるようになるという長期的な視野に立てればいいしそういう風に動くこともあるけど、そうでないことだってたくさんある)。
だからそういう意味ではちきりんさんのエントリは「ナイーブだね」みたいな感想になってしまうんだけど、ただ志を持って集まった(だろう)個人ジャーナリストが会社を作って新聞やら雑誌やらを刷って売るようになったというのが歴史ならば、どこで彼らの気概は失われ「折れる」のかは気になる。集団は集団であろうとすると社会的手抜き(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E6%89%8B%E6%8A%9C%E3%81%8D)みたいなことは起こるしそういった「ジャーナリスト魂」みたいなものもなくなるのだとすれば、じゃあその意義は何なんだろうとか思ったりね。やはり知らせることは薄めることで、薄めずに広く知らせるなんて、無理なのかな。
うーん眠いからかまとまらんなぁ。クーデターはやっぱり官邸の次は放送局だよなぁ、とかまたどうでもいいことが胸を去来していました。
あと中国流れで勢いで書いたんだろうけど(気持ちはわかる)Googleはメディアじゃありません。単なる意思のないデータベースです…ってつっこむならコメント欄でつっこめよって話だよね。
■ 今日の小ネタ
唯「コープマンが・・・」
澪「リヒターの・・・」
律「クレンペラーなら・・・」
紬「アルノンクールは・・・」
梓「先輩たち!演奏批評はいいから楽譜の研究をしましょうよ!」
http://fsokuvip.blog101.fc2.com/blog-entry-1176.html
「けいおん!」じゃなくて「バッハ研究会!」だったら面白かったのに
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