[半分くらいは飲みながら書きました]
==ここから河原(withBeer)============================
今日も出社。でもすごくいやだいやだという気持ちを抑えて出社する途中よく考えたら別に日曜にやっちゃわなきゃいけない仕事なんてひとつもなかった。そりゃやっといたほうがあとあと楽、ってのはあるんだけど、結局会社に行ったって集中できるような状態でもないわけで、それならよくわからない責任感なんて感じてもしょうがないんだし、逃げゃえ、って思って、逃げました。
でも逃げたところで行く先なんかなくて、ちょっと考えてもこういうときに一緒にいてほしい人が浮かばなくてまた悲しい気分に。
なんか日が翳ってきてから風がすごく強くなって少々寒い。日中はあったかかったのになぁ…。
話を戻すと。
なんかこういう結構折れそうな時に話したい相手って、ぶっちゃけ自分を肯定してくれる人なわけですよ。僕は基本わざとらしくだめな子キャラで売ってることもあってとりあえず突っ込んどけみたいな対応をしてくる人が多くて、それはゲームとしては普段は楽しいんだけど、こういう状況においてはとげとげしいだけでぜんぜんありがたくない。闇雲に交友関係を広げてるつもりでもないというのに、こんな時に430人からいる僕の携帯のメモリはまったく役に立たない。いやまったくは言いすぎだ。たとえばこんな気分でも☆さんには会いたいと思う。思うのは確かなのだけれど、やはり僕たちの関係においてそれに頼るのは間違ってるとも思う(彼女は僕のことを素直に肯定などしないが、まぁ別格だ)。というか再来週には香港で顔を付き合わせるわけで、そんなに頻繁に使っちゃまずいだろ、ってのもある。彼氏いるしな(理由としては一番最後だけど)。
そうそう、あともうひとり考えていて浮かんだのが高校時代の「親友」、歌姫。我ながら不思議だけどなんとなく思い至ったので連絡してみたら「デートだから無理(はぁと)」だってさ。ちっ。つうかこいつの場合結構な確率で女の子だからな、デートの相手。
ということで僕が折れそうな時に頼れる人は430人に2人しかいないようですよ。あれそれって含有率2.5%くらいすかね。なんかこれってもっと濃くしていかなきゃいけないんじゃないかとか思ったりします。投資ファンドやってる時に説明されて得心が行った方法論でいけば、結局理屈ではこの手のことへのソリューションとしては「分母を減らす」か「分子を増やす」しかないんですよ。つまり、メモリに入っている人を減らすか頼りたい人を増やすか。まぁ減らすほうが簡単ですよね見かけ的にいい数字出すためには…。ってなんの話やねん。投資ファンド関係ないし。
何の話だっけ。あそうそう。まぁ結局僕は会社から逃げたわけです。で、いま川原にいます。なんか逃げたいって強迫観念と共に「風がある場所にいきたい」って思ったんですよ。もしや俺病気かな。ていうか風風って風強すぎだよここ。でもなんか気分は変わりますよ。寒いけど。あー空ってこんなに広かったのね、とかってすごく感傷的なせりふだけど、ちょっとだけその気持ちわかります。ていうか風が強すぎてどう覆ってもライターに火がつかない。ガッデム。
着いた。
しかし当然ばんばん燃える。しかも燃えるところが偏ってる。
==ここまで===================================
…結局、ちょっと風が強すぎて寒いしもうどうしようもないので帰ってきてしまったのでした。そして寝ました。2時間くらいでおきちゃったけど。
正真正銘、鬱期突入してます。しかも結構重くて長い。現実とリンクしてるだけに今回は厄介。体力が落ちたときに発生するものだと体力が戻れば一緒に戻るんですが…。そういう意味でというかなんというか、あと少しで長い休暇を取って海外に行けるっていうこの時期だってのだけはある意味救いだとは思います。
まったくがんばる気になれないし会社には行きたくない。先週金曜のプレゼン終わったんだからほっといてくれ。本当にほっといてくれ。そういう気分で満ち満ちているので、元からの休みの話がなくても早晩力尽きて休んで旅にでも出ていたでしょう。というか既に力は尽きていて、ただ今休んじゃうともう少しでまた休みになるってキリの悪さもあって無理やりあと5日間どうにかしてがんばるってだけ。そういやチケット関係の準備はしたけれど荷物関係の準備はぜんぜんだな。
外務省の外郭団体(http://42583.diarynote.jp/200904020029579750/)の話、実は普通に進めています。アメリカは希望しないと思うけど、チェコなりルーマニアなりシンガポールなり…ま、こんなんで、しかもいきなりで受かることは難しいのでしょうが、それでも一応チャレンジはしてみようかなと。
逃避じゃん、ってのは自分でもわかってるんです。でもどうせ逃げるのなら思いもよらないところまで逃げてちゃったほうが面白いんじゃねえのとかって思うんです。予想できるところに自分を置いたってつまらなすぎる。
昨日S水とそんなことを話していたんですがその中で自分の中から出てきた表現が「サイコロをふりなおしたい」って台詞。思えば僕が今の会社を受けたのも「どうせ外資に就職する気はないしインターンで体験だけしてみようかな」って程度だったんです。まったくそんな世界も知らなかったし、いってしまえば完全な興味本位だし、現状からは完全に非連続。今回も似たようなもんかなと。受かったとしても別に赴任先に骨をうずめよう!とかそういう性質の制度ではない(2年で確実に帰国させられるので)し、海外で暮らすってのも自分を変える大きな刺激としてはいいのかな、ってまぁそんなもんです。
もしこれが叶えば、同時に思索を深めるために色々と本を読む時間を取りたいと思っています。今が忙しすぎるなんて言いたくはないけれど、自分の人生というか内面と向き合うための材料となるような本は読むための時間だけが空いていても全く足りなくて、それを噛み砕くためにも時間が必要。ニーチェもハイデガーも読まずに死ぬなんてもったいなすぎる(あ、別にこの人たちが二人ともドイツ人であるというところには意味はありません。思想的にも表層的なことすらあやふや)。
なんか考えがぜんぜん進まないんですよ。いや短期に進むもんでもなく、一歩一歩なものだろうことは頭ではわかっているんですが、でもそれが自分の行動に影響すると少なくとも今は信じているわけで、もしそうであるならば決着をつけてしまってちゃんと自分の行動原理に納得した上に自分のキャリアを積み上げたい、とやっぱり思うのです。
さすがにというか何年もこんなことを考え込んでいる甲斐があってというかなんというかまぁ、なんとなくおおまかな所は見えているんですが、でも答えからはまったく遠い。すごく循環してる。でも何度も何度も循環していくうちにぴょこっとその軌道を外れたときに新しい展開があったりすることもあり、つまり循環にも意味があるのかもしれないという風にも思えます。
もうよくわからん。
要するに「何がしたくて生きているのか」もっと言うならなぜ死なないのか、を立証したいのです。多分何度も書いているけれど一番嫌な生き方は「死んでいない」というやつで、要するに死ぬまでの時間の暇つぶしをしているという。最近自分が徐々にそうなりつつあることに危機感を覚えているのです。僕の考え方からいったらそれって別に生きている必然性がない状態である、ということで、容易に暇なんかつぶしてないでさっさと死にますって結論に達してしまいそうになる。
別に仕事選ぶのにこんなテツガク的なこと考えることないんですよきっと。僕がヴァイオリン触っていて楽しいのと同じレベル(というと失礼なのかもしれないけど)で仕事を選んで楽しいと思っている人はたくさんいるように感じる。仕事は大変だよ楽しいことばっかりじゃない、とか言うけどヴァイオリンの練習だって別に楽しくないよ(いつも楽しくないわけでもないけどさ、当然)。だからひとつの選択肢としてはそういう手元で楽しいというかマクロ的なものがない、自分個人がそのとき楽しいことでお金をもらえることをやる、ってのもひとつの選択肢だとは思うんです。それが悪いとは思わないんだけど、でもそれってやっぱり人生の使い方に対する回答としては簡単に至れるところにありすぎるのかなともおもうわけで…。ぬうううう。
まぁいいや、なんかまたループにはまってる気もするし、今日は寝ます。寝ておきたら会社だと思うとうんざりしすぎてうんざりだけど。あ、会いたい人追加。やっぱ狗とは会いたいなぁ…電話帳に入ってないけど(知り合った時には海外生活でやつは携帯とか持ってなかった。PCにはPCアドレス入ってるけど)。
==ここから河原(withBeer)============================
今日も出社。でもすごくいやだいやだという気持ちを抑えて出社する途中よく考えたら別に日曜にやっちゃわなきゃいけない仕事なんてひとつもなかった。そりゃやっといたほうがあとあと楽、ってのはあるんだけど、結局会社に行ったって集中できるような状態でもないわけで、それならよくわからない責任感なんて感じてもしょうがないんだし、逃げゃえ、って思って、逃げました。
でも逃げたところで行く先なんかなくて、ちょっと考えてもこういうときに一緒にいてほしい人が浮かばなくてまた悲しい気分に。
なんか日が翳ってきてから風がすごく強くなって少々寒い。日中はあったかかったのになぁ…。
話を戻すと。
なんかこういう結構折れそうな時に話したい相手って、ぶっちゃけ自分を肯定してくれる人なわけですよ。僕は基本わざとらしくだめな子キャラで売ってることもあってとりあえず突っ込んどけみたいな対応をしてくる人が多くて、それはゲームとしては普段は楽しいんだけど、こういう状況においてはとげとげしいだけでぜんぜんありがたくない。闇雲に交友関係を広げてるつもりでもないというのに、こんな時に430人からいる僕の携帯のメモリはまったく役に立たない。いやまったくは言いすぎだ。たとえばこんな気分でも☆さんには会いたいと思う。思うのは確かなのだけれど、やはり僕たちの関係においてそれに頼るのは間違ってるとも思う(彼女は僕のことを素直に肯定などしないが、まぁ別格だ)。というか再来週には香港で顔を付き合わせるわけで、そんなに頻繁に使っちゃまずいだろ、ってのもある。彼氏いるしな(理由としては一番最後だけど)。
そうそう、あともうひとり考えていて浮かんだのが高校時代の「親友」、歌姫。我ながら不思議だけどなんとなく思い至ったので連絡してみたら「デートだから無理(はぁと)」だってさ。ちっ。つうかこいつの場合結構な確率で女の子だからな、デートの相手。
ということで僕が折れそうな時に頼れる人は430人に2人しかいないようですよ。あれそれって含有率2.5%くらいすかね。なんかこれってもっと濃くしていかなきゃいけないんじゃないかとか思ったりします。投資ファンドやってる時に説明されて得心が行った方法論でいけば、結局理屈ではこの手のことへのソリューションとしては「分母を減らす」か「分子を増やす」しかないんですよ。つまり、メモリに入っている人を減らすか頼りたい人を増やすか。まぁ減らすほうが簡単ですよね見かけ的にいい数字出すためには…。ってなんの話やねん。投資ファンド関係ないし。
何の話だっけ。あそうそう。まぁ結局僕は会社から逃げたわけです。で、いま川原にいます。なんか逃げたいって強迫観念と共に「風がある場所にいきたい」って思ったんですよ。もしや俺病気かな。ていうか風風って風強すぎだよここ。でもなんか気分は変わりますよ。寒いけど。あー空ってこんなに広かったのね、とかってすごく感傷的なせりふだけど、ちょっとだけその気持ちわかります。ていうか風が強すぎてどう覆ってもライターに火がつかない。ガッデム。
着いた。
しかし当然ばんばん燃える。しかも燃えるところが偏ってる。
==ここまで===================================
…結局、ちょっと風が強すぎて寒いしもうどうしようもないので帰ってきてしまったのでした。そして寝ました。2時間くらいでおきちゃったけど。
正真正銘、鬱期突入してます。しかも結構重くて長い。現実とリンクしてるだけに今回は厄介。体力が落ちたときに発生するものだと体力が戻れば一緒に戻るんですが…。そういう意味でというかなんというか、あと少しで長い休暇を取って海外に行けるっていうこの時期だってのだけはある意味救いだとは思います。
まったくがんばる気になれないし会社には行きたくない。先週金曜のプレゼン終わったんだからほっといてくれ。本当にほっといてくれ。そういう気分で満ち満ちているので、元からの休みの話がなくても早晩力尽きて休んで旅にでも出ていたでしょう。というか既に力は尽きていて、ただ今休んじゃうともう少しでまた休みになるってキリの悪さもあって無理やりあと5日間どうにかしてがんばるってだけ。そういやチケット関係の準備はしたけれど荷物関係の準備はぜんぜんだな。
外務省の外郭団体(http://42583.diarynote.jp/200904020029579750/)の話、実は普通に進めています。アメリカは希望しないと思うけど、チェコなりルーマニアなりシンガポールなり…ま、こんなんで、しかもいきなりで受かることは難しいのでしょうが、それでも一応チャレンジはしてみようかなと。
逃避じゃん、ってのは自分でもわかってるんです。でもどうせ逃げるのなら思いもよらないところまで逃げてちゃったほうが面白いんじゃねえのとかって思うんです。予想できるところに自分を置いたってつまらなすぎる。
昨日S水とそんなことを話していたんですがその中で自分の中から出てきた表現が「サイコロをふりなおしたい」って台詞。思えば僕が今の会社を受けたのも「どうせ外資に就職する気はないしインターンで体験だけしてみようかな」って程度だったんです。まったくそんな世界も知らなかったし、いってしまえば完全な興味本位だし、現状からは完全に非連続。今回も似たようなもんかなと。受かったとしても別に赴任先に骨をうずめよう!とかそういう性質の制度ではない(2年で確実に帰国させられるので)し、海外で暮らすってのも自分を変える大きな刺激としてはいいのかな、ってまぁそんなもんです。
もしこれが叶えば、同時に思索を深めるために色々と本を読む時間を取りたいと思っています。今が忙しすぎるなんて言いたくはないけれど、自分の人生というか内面と向き合うための材料となるような本は読むための時間だけが空いていても全く足りなくて、それを噛み砕くためにも時間が必要。ニーチェもハイデガーも読まずに死ぬなんてもったいなすぎる(あ、別にこの人たちが二人ともドイツ人であるというところには意味はありません。思想的にも表層的なことすらあやふや)。
なんか考えがぜんぜん進まないんですよ。いや短期に進むもんでもなく、一歩一歩なものだろうことは頭ではわかっているんですが、でもそれが自分の行動に影響すると少なくとも今は信じているわけで、もしそうであるならば決着をつけてしまってちゃんと自分の行動原理に納得した上に自分のキャリアを積み上げたい、とやっぱり思うのです。
さすがにというか何年もこんなことを考え込んでいる甲斐があってというかなんというかまぁ、なんとなくおおまかな所は見えているんですが、でも答えからはまったく遠い。すごく循環してる。でも何度も何度も循環していくうちにぴょこっとその軌道を外れたときに新しい展開があったりすることもあり、つまり循環にも意味があるのかもしれないという風にも思えます。
もうよくわからん。
要するに「何がしたくて生きているのか」もっと言うならなぜ死なないのか、を立証したいのです。多分何度も書いているけれど一番嫌な生き方は「死んでいない」というやつで、要するに死ぬまでの時間の暇つぶしをしているという。最近自分が徐々にそうなりつつあることに危機感を覚えているのです。僕の考え方からいったらそれって別に生きている必然性がない状態である、ということで、容易に暇なんかつぶしてないでさっさと死にますって結論に達してしまいそうになる。
別に仕事選ぶのにこんなテツガク的なこと考えることないんですよきっと。僕がヴァイオリン触っていて楽しいのと同じレベル(というと失礼なのかもしれないけど)で仕事を選んで楽しいと思っている人はたくさんいるように感じる。仕事は大変だよ楽しいことばっかりじゃない、とか言うけどヴァイオリンの練習だって別に楽しくないよ(いつも楽しくないわけでもないけどさ、当然)。だからひとつの選択肢としてはそういう手元で楽しいというかマクロ的なものがない、自分個人がそのとき楽しいことでお金をもらえることをやる、ってのもひとつの選択肢だとは思うんです。それが悪いとは思わないんだけど、でもそれってやっぱり人生の使い方に対する回答としては簡単に至れるところにありすぎるのかなともおもうわけで…。ぬうううう。
まぁいいや、なんかまたループにはまってる気もするし、今日は寝ます。寝ておきたら会社だと思うとうんざりしすぎてうんざりだけど。あ、会いたい人追加。やっぱ狗とは会いたいなぁ…電話帳に入ってないけど(知り合った時には海外生活でやつは携帯とか持ってなかった。PCにはPCアドレス入ってるけど)。
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